万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

パナソニックの未来は大丈夫?-ポストIoT時代を見据えては?

2019年02月10日 13時39分00秒 | 日本経済
本日2月10日の日経新聞朝刊の2面には、都賀一宏パナソニック社長のインタヴュー記事が掲載されておりました。同社長曰く、パナソニックが目指すべき理想像とは、‘ハードを造らないメーカー’なそうです。将来的には、家電製品が全てネットで繋がるIoT時代の到来に合わせ、端末化した家電製品やシステムそのものの設計や技術の研究・開発のみに特化した事業者としてのサバイバルを目指しているようです。しかしながら、この見等に合わせて練り上げたこの戦略自体が既に時代遅れになる可能性もあるのではないかと思うのです。

 インタヴューでは、製造は海外企業に任せてもよいと述べていますので、‘モノづくり’を得意としてきた日本企業による‘モノづくり放棄宣言’にも聞こえます。日本国内には家電等の消費財を日常的に使用する1億3千万人の国民が暮らしておりますので、マクロの視点からすれば、これらを全て輸入品で代替することは不可能です。貿易収支が大幅の赤字となり、やがて貿易決済ができなくなるからです(相手国企業が円決済を認めた場合のみこのリスクが低下する…)。つまり、この方向性は、‘製品輸出で外貨を稼ぎ、同外貨で資源を輸入する’という戦後日本国の貿易パターンが崩れることを意味するのです。パナソニック一社であれは最適な経営戦略であっても、日本国全体から見ますと死活問題にもなりかねません。

おそらく、従来の貿易パターンに替って‘知財で稼ぎ、そのライセンス料等で消費財を輸入する‘という新たなパターンを構想しているのでしょう。しかしながら、知財、もしくは、金融のみで1億3千万人の生活を支えることは極めて困難です。そして、この’新パターン‘を実現させようとすれば、日本国の教育制度にあっては、ITやAI等に関する知識や技能を教え込む情報科学を必修科目として初等教育段階から組み入れる必要性も生じます。人には向き不向きがありますので、全ての日本国民をこの道のエキスパートにすることはできませんし、仮に、全国民を情報エキスパートに育て上げたとしても、金融分野と同様に、研究・開発職の需要は限られています。つまり、日本国民の大半が失業者となりかねないのです。

しかも、今日、IT大手が人材確保に奔走しているように、こうした分野でイノヴェーションを起こすほどの人材は世界を見渡しても僅かしかおりません。高給の下で採用された天才的頭脳を有する人材であっても、一生涯の雇用を約束されているわけでもないのです(どちらかと申しますと、’使い捨て型‘なのでは…)。また、企業は、自社に必要な人材を躊躇なく海外に求めるでしょうから、日本国民の雇用機会はさらに狭まります。逆に、日本国の’教育改革‘の甲斐あって優秀な日本人IT・AI技術者を育てたとしても、巨額報酬を提示した米中のIT企業からヘッドハンティングを受けて引き抜かれてしまうかもしれません。

かくして、長期的に見ますと、日本企業であってもそこで働く人々の大半が外国人となり、実質的には、日本企業とも言えなくなります。さらに、市場規模や税制等を基準として本社を海外に移転させるとしますと、‘脱日本化’が完了してしまうのです(企業のグローバル化が辿る道…)。つまり、この段に至りますと、日本国の貿易の新パターンであったはずの‘知財で稼ぐ’路線も自然消滅し、日本経済、あるいは、日本企業は、IoT時代にあってプラットフォームを独占した米中何れかのIT大手企業の傘下に組み入れられ、日本企業としての独自性を発揮する余地を失うことでしょう。

以上に述べたように、IoT時代への対応としての‘モノづくり’の放棄の先には、日本人の大量失業や日本経済の従属化という未来が見えてくるのですが、ここで考えるべきは、人類は、真に全てがネット繋がるIoT時代の到来を望んでいるのか、という点です。既にGAFAの情報独占に対してプライバシーの侵害等をはじめ、批判や警戒論が広がっております。人という存在は、自らのプライバシー、即ち、他者から干渉されない自分だけの自由な空間を護ろうとしますので、家庭内にあってさえ自らの行動が情報化され、他者に監視・管理されるリスクが高いIoTに対しては本能的な嫌悪感を覚える可能性も高いのです。

情報化社会におけるプライバシーの保護については、ハッカー等からの攻撃を防ぐ安全技術の開発によって対応するのも解決手段の一つですが、ここで発想を転換させる必要もあるように思えます。つまり、プライバシーが侵害されるリスクのない安全な製品を、敢えて‘売り’にするという方法です。自らの日常の発言や行動が情報化され、文章、映像、音声として記録・保管されてしまうデジタル時代にあっては、個々人は、日々データとして蓄積されてゆく自らの個人情報の行方や利用にまで神経を使う必要に迫られ、それは、精神的なストレスとして人々を苦しめます。完璧に整備されたIoT社会とは、24時間監視体制の監獄に等しく、むしろ、人々は、自由を求めるかもしれないのです。

このように考えますと、家電メーカーが、IoT時代を前提として企業戦略を立案し、研究・技術開発に当たってもIoT仕様の製品開発やサービスに投資するよりも、言葉は悪いのですがその’裏をかく’ような‘自由型製品’の市場開拓に努めるのも一案です。もっとも、ネットから隔離された‘自由型製品’とは言っても、従来の家電とどこも変わりはないではないか、とする批判もありましょうが、‘自由’のアピールは、中国におけるIT監視社会化の現実が人々の危機感を募らせる中、それだけで購入意欲を高める宣伝効果があります。従来型の製品であっても、人々のニーズに応え、利便性を高める製品開発の余地はあるはずです。また、IT技術を発展的に利用するならば、IT大手のプラットフォームの介在を要さずに、ネット上に個人が閉鎖型のネットワークを構築し得る分散技術の開発もプライバシー保護には役立つかもしれません。

社長による‘モノづくり放棄宣言(ファブレス化)’をパナソニックで働く社員の方々がどのように聞いたのかは分からないのですが(士気が下がったのでは…)、未来の目標とされながらも、現時点にあってIoT時代に深刻化が予測される諸問題が明らかになっておりますので、先の先、すなわち、ポストIoT時代を見据えた経営戦略こそ、日本企業のサバイバルの鍵となるように思えるのです。

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