秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

小説  斜陽 3   SA-NE著

2017年12月13日 | Weblog


裕基の帰った部屋には、まだ柑橘系の匂いが残っていた。
裕基が持参したお供え物のタルトは、生きている僕の胃袋を、一つ一つ満たしている。
写真の中の母は、温厚な顔をしている。とびきり美人ではないけれど、笑った時の二重の目元は、若い頃と変わらない。
僕の薄い唇の形は母とは違う。

「私生子」と言う言葉が、キズの付いたCDのメロディみたいに、何度も何度も頭の中でリプレイされている。
この世界で僕は一人きりになってしまった。
母が触れた物、母の痕跡の残る物、何でもいい。僕の空虚な隙間を繋げてくれるものなら、何でもいい。
こじんまりと片付けられている、母の部屋の押入れの中の物を、僕は丁寧に畳の上に広げていった。

真っ白な表紙のアルバムが、一冊。どれもみんな、僕の写真だった。
新生児、一歳、二歳、三歳誕生日ごとに必ず撮してくれている。
高校生になった辺りから、何故かスナップ写真に変わっていた。僕が恥ずかしいからと、逃げていたあの頃だ。

母はあの時、少しだけ悲しげな顔をした。
写真には一枚ずつ、淡いグリーン色のカードが貼り付けられていて、お決まりの右肩あがりの文字で、
(愛する智志○才おめでとう)
と書いてある。

アルバムを見ながら、また涙腺がキリッと痛くなって、涙が流れた。
母の若い頃の写真は、一枚も無いことに、初めて気が付いた。
僕が生まれた時からの写真しか、無い。
僕を生むまでの、母の35年間の痕跡を、母は何一つ遺していなかった。

不意にその箱は、押入れの一番奥から出てきた。
いかにも母らしかった。市販の箱ではない。素麺の入っていた高さ3センチ程の薄い木箱た。
その中には無地で透かし絵も、入っていない、母の便箋が入っていた。。

僕は便箋を一枚、何気なくめくった。落葉樹の落ちる様な音が、指先を滑る。
それは母の晩年の文字だ。文字が途切れながら、小さく震えていた。
不意に僕の手により、見つけてしまった、書きかけの母の手紙。その二行に胸が震えた。

前略
ご無沙汰しておりました。
さて、わたしはあれから

母さん、この続きは何を書きかけたの。
母さん、この手紙は、誰に宛てようとしたの。

近くの商店街のスピーカーから、クリスマスソングがノイズ混じりに流れていた。
やがて、僕は
その手紙の空白を辿る旅に出ることになる。













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