秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(さよなら・おっちゃん)

2011年01月16日 | Weblog
東祖谷に入って、京柱峠と、剣山の別れ道に差し掛かる道に、一件の商店がある。

お客様はさまざま。
村人は、当然。
山登りの方々。
剣山に向かう方々。
ツーリングの若者。
帰省客。山の現場から町に帰る土木作業員。
『皿鉢料理』は、
今ではごく当たり前の、仕出し料理だけど、35年以上も前の、祖谷地方では、珍しい料理だった。
『刺身』が、山の生活で食べられるなんて、想像さえ出来ない、時代だった。

祖谷地方に、初めて
『皿鉢料理』を広めたのは、高知から移りすんだ、A山のおっちゃん、おばちゃんだ。

おっちゃんは、80才を迎えても、Gパンスタイルだった。
いつも、きっちりと、シャツイン!
シャツインは、おっちゃんのいつものスタイルだった。

80才を、過ぎた頃から、少しずつ身体を、壊し始めた。

店番をしていても、
動作が遅くなって、お客さんは、皆、結構待たされた。
おばちゃんが、店番に立つようになって、おっちゃんの余暇の時間が、増えた。

店の側の、橋の欄干から、川に住んでいる、鴨の親子に、パンを落としてあげる。
店に搬入されたばかりの、新鮮な食パンだ。
おっちゃんが、橋から身を乗り出しながら、パンを落としていた光景は、遠くから見ると、どう見ても、
『身投げ』に見えた。
『落ちそうで…落ちない?』
おっちゃんは、身体バランスが、よかったんだ。きっと。

おっちゃんが、お孫さんと大切に飼っていた、柴犬は、我が家のゴンの兄弟だった。

数年前の夏。おっちゃんから、突然電話がかかってきた。
『はよう、来てくれ~犬、いけな〈埋める〉いかん~ダメじゃあ~もう死ぬわ~』

慌てて、
おっちゃんの家に向かうと、ワンちゃんは暑さで、ダウンしているみたいだった。
動物病院を、教えて上げて、夕方、息子さんがすぐに、連れて行き、治療して、無事に帰れた。

おっちゃんは、ワタシに
『犬の墓穴を掘らそうとした…』


おっちゃんは、おばちゃんの事が、大好きだった。
病院に、お見舞いに行った時も、
『バアサン、元気にしよるか?』
そればかりを、、聞いてきた。


50年前に、夫婦で、祖谷に移り住み、コツコツと行商で、生計をたて、念願の
食料品兼『皿鉢料理』を始めた。

毎日、毎日、店番をして、
毎日、毎日、商品を並べ、
『じいさんがねぇ~』と、おばちゃんの些細な愚痴の隣で、
おっちゃんは、顔色一つ変えないで、いつもの口癖を、言っていた。

『エェ~エェ~』

レジの前に立ち、
『エェ~エェ~』
レジを打ちながら
『エェ~エェ~』
レジの金額を見て、
『エェ~エェ~』

『エェ~エェ~』の口癖は、おっちゃんにとっては、何かしらを始める時の、調子をとる為の、掛け声みたいなものだったんだ。


おっちゃんは
優しい 人だった。
ワタシが、
790円の買い物を、して、
千円を渡すと…
おっちゃんは、レジの合計金額を、しばらくじ~と見て…
ワタシに お釣りの
790円を 返してくれた……?

『おっちゃん~!お釣り間違えとるよ~』
と言うと、
やっぱり、

『エェ~エェ~』
と答えるだけだった。

おっちゃん、
『皿鉢料理 』
ありがとう。
お寿司も、刺身も、
美味しかったよ!

前に、おっちゃんと、何回か、村の診療所に行った時、
主治医から、聞かれたんだよ!

『あなたは、この方の身内にあたる方ですか?』

『他人です!』
ワタシが答えると、
主治医は、不思議そうな顔をして、ワタシを見ていたよ…

ささやかで いい…
ささやかに 生き…
ささやかに 逝く…

見送った者も
やがて 必ず
同じ 場所に 逝く

『死』に向かい
誰もが それぞれに違う歩幅で
歩いている

ただそれを 淡々と
繰り返していく

舞い落ちる 雪のように…

さよなら
おっちゃん
合掌















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