それは 或る日の昼休み。
職場の隣の席の美しい女史(鈴木京○さん似)と、何気なくニュースの話題になり
児童虐待の話になり、親の話になり、気がつけば、本の話になり。
早い話が、職場の中で読書という共通の趣味を持つ者が居るとは思わなくて、五年が過ぎた今の職場で、初めて見つけた、
「本の話が出来る~なんかっ嬉しいっ!!」
と浮かれていたら、彼女から一冊の本を渡された。
「少年犯罪のノンフィクション、読んでみて」
「私、ノンフィクションより、純文学が好きなのですが…」
と応えると、
「あんなストーリーの変化のしない内容を、無駄に膨らませて描写している物語の何が面白いの!?」
「……」
そう言われれば、何も言い返せなく、彼女に勧められるままに読んだ久しぶりの事件ノンフィクション。
「○ではない君と」
読了して、彼女に短い感想を伝える。
本の内容に共感しながら、熱く語りあう。
明くる日。
彼女は三冊の本を私の机の上に置いていた。
「一家○人惨殺犯の告白19歳」
「死刑○の記録」
「レンタ○チャイルド」
数日かけて、読了した。
心身共に、疲れた。
一冊を読み終える度に、重たい読後感に包まれ、身体が固まり、暫く動けない位の疲労感。そして重たい溜め息。
本の世界は果てしない。
恐ろしい位、世界は広い。
ふと、思った。
生まれて初めて出会う本って、
その人の生涯の価値観に、かなり影響して行くのではないのか?
私達の毎日なんて、有難い位平凡で 変化がない。
毎日、同じ職場で同じ顔を見て、同じ口癖を聞き、同じ癖を見ながら話す。
同僚の家族のどうでもいい内容の話を聞かされ、愉しそうに頷くワタシ。
この時間が一番苦痛で飽きる。
家族とか、友人には飽きないのに、なぜどうでも良い人達に飽きるのか?
興味が無いから、飽きるのか!?
話は脱線しましたが、自分の知らない世界を知り、見聞が広がるのが、本の世界。
知識の在る方のお顔と、権力だけを振りかざして生きた人や、悪知恵ばかりを積んだ人のお顔は、全く違うわけで、
どちらも終われば、同じ灰になるのだけど、
やっぱり内容の在るお婆さんに成りたいから、
活字を読んだり、写真展を観たり、文化に触れるそんな時間が一番落ち着くのであります。
名頃の案山子祭りに、ブログの主様と待ち合わせ、テラオの兄さん達が焼いた、たこ焼きをおごって頂いた。
屋台のメニューが豊富で、どれも手作りで、本当に美味しかったです。
主様は、民宿の若旦那様に握手を求められて、目尻が下がりっぱなしで ございました。とても幸せなお顔で、終始笑っておりました。
祖谷が、大好きな主様がおりました。
何気ない時間の中に、見えない幾つもの幸せが、隠れている。
生きている。
そして 消えていく。
老いていく。
そして 消えていく。
太陽も月も一つなのに、何故こんなにも、生きる世界が違うの。
産まれた場所で、イノチが運ばれていく。
無力な私は、自分のイノチだけを生きている。
地球儀の中の、小さな小さな島国の中の、更に小さな島国の、小さな小さな小さな山奥の
ゴマ粒位の場所で、黙々と栗の皮を剥いている。
平和な 静寂が在る。
草 々