秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

奥祖谷初夏に誘い

2010年06月10日 | Weblog
新緑が真っ只中の奥祖谷に高校の同期生(73歳)十数名が剣山、かずら橋
コテージに遊ぶが、剣山ではリフトで西島、それからの歩きは漫画道中。

膝を張り薬、サポーターで、雁字搦め、引きずり登る者、心臓病でハアー、ハアー
ゼー、ゼー、おまけに携帯酸素ボンベでプシューと吸って登るなど
実に様々なスタイル登山であったが、悲壮感など微塵もないどころか、このような
自分の状態さえ、冗談を云い、ユーモアーを発するのだから、みんな、笑い転げの
珍登山となった。

そこまでしても登りたかったのである、下山後のコテージの宴会で
蠎蛇状態で酒を飲み干したい楽しみが待っている。

なかでも、一人の優秀なる外科医(今も現役)は徳大医学部の山岳部に属して
1954年から6年間四国の山々を歩き、特に剣、祖谷山系を徘徊した。
当時は貞光からバスで終点葛籠から夫婦池へテントを担いでの登山であった
また、祖谷街道は名頃までしか車道はなくて、食料、酒が無くなると部下が
名頃まで歩いて買いに走る有様であったそうだ。

医者になってからは忙しさに感けて、登山どころではなく、登る機会を失して
いたから、今回は約四十数年ぶり、、また最近ヘルニアを患い足腰が思うに
任せないが、懐かしさいっぱいの歩きで山頂に立つことが出来、感慨深げであった。

一時のあとみんなでヒュッテで昼食にしようと山頂をあとにしていると皆に
判らないように彼だけがガスに煙る次郎笈に向かって黙祷をしていた。
わたしは目ざとく目撃して、訝しく思ったが、黙っていた。

コテージの宴会でわたしは思い切って訊ねると、見ていたのかと云って
話してくれたところによると、山岳部当時、部下が三嶺ー剣山縦走の折
激しい風雨に晒されて、次郎笈附近で低体温症のために絶命した、そのことが
痛恨の極みで今回の剣山登山にヘルニアを押して参加した理由のひとつでもある
部下に会え、安らかに眠れと祈ることができて良かったと述懐した。

最後にコテージで料理など、いろいろお世話していただいた活彩祖谷村のスタッフの
皆さんにありがとうございました、特にばあば連には本場の祖谷蕎麦を手打ちから
食べられて美味しかったです、ありがとうございました。
あんなに歓待していただいて同期生みんな非常に喜んでいました、良い思い出に
なりよかったです。、





















コメント (2)
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