情報伝達が何でもありの時代でなかった昭和16年ごろ、ラジオの放送に
よって、祖谷の民謡が全国に放送されたことにより世に知られるように
なった経緯と軽妙な寸評はなかなかの随筆である、紹介しよう。
祖谷民謡の放送 喜田 徳 著 抜粋
昭和16年の夏であった、わたしはちょうど祖谷に帰っていた。徳島放送局が
京都、高知の両放送局と連合して山と海に因んだ民謡の放送を企画した。
その撰に入ったのが祖谷の粉挽き節であった。
いったい民謡の歌詞になる素材は、その土地の口碑や伝説に採るか、民俗の
推移や人情のあやを織り込むかにある。
祖谷といえば平家というほどなところだけに平家一族の流離の哀愁を、土地の
風物に結びつけるのは当然である。
祖谷地方は食生活に恵まれなかった、大麦や裸麦を火で乾燥してこれを石臼に
入れて粉にして常食とした。
石臼をまわしながら、調子を合わして歌ったのがこの民謡である。
京(みやこ)おもえば 月さえくもるヨ
とんで行きたや アノ空へヨ
サア ヨイヨイヨ
おん痛わしや平家の公達も、地下びとに成り下っては、一切平等である、そのかみ
殿上に侍つた栄華の夢を追い、有為転変世をはかなんでの朗詠ならぬ地下びと唄で
あろうと祖谷的な明解を施している。
月に一度のサワリが なけりゃヨ
主に仇足ふましゃせぬヨ
サア ヨイヨイヨ
さぞや公達百姓も落胆されたことであろう、千山万岳ならぬ幾つかの峠を越えて
きた逢瀬に、とたんに契機を阻むものありと聴かされて、後朝も索漠と別れる
ふたりシルエットが感じられる。
粉挽け粉挽けと ひかせておいてヨ
荒い細いの ナショたてるヨ
サア ヨイヨイヨ
愛人を持つ娘に軽い嫉妬を感じている家族や近所の人達の、揶揄的なレジスタンス
といったものであろう。
ナショは祖谷の方言で、非難する、なんくせつける、小言という言葉。
臼よはよまえ はよもうてしまえヨ
門でまつ殿 夜が更けるヨ
サア ヨイヨイヨ
夏ならまだしも、零下何度の戸外で待つ身もさることながら、臼よ早くまわるように
と念じている娘の心は氷っていたことであろう。
臼のシャクリ挽きゃ 荒い粉が下るヨ
旅のお方にゃ 出されまいヨ
サア ヨイヨイヨ
臼をうまくまわせばよいが、手もとへ強く引くと、その部分だけ荒くなる
それでは客人に出されないというのであろう。
が、好きになった娘へ母が心を配る言葉とも受け取れように。
謡われる曲はひどく哀愁がこもったもので、秋の夜 民家を訪れる旅人などが
聴くと、いつかやるせない想いを身近に漂わせる。
祖谷は必ずしも平家の落人で形成されたものではない、しかし花顔の乙女が
唄っているのを聴いているうち、こういった否定はわけもなくかき消されて
祖谷は落人の里だと思い込んでしまうから、奇妙である。
放送の夜、長い伝説と口碑の力に感心したのである、あれから、
はや15年が過ぎている。
発行者 祖谷刊行会、徳島県文化財専門委員会 書物「祖谷」昭和31年発行
よって、祖谷の民謡が全国に放送されたことにより世に知られるように
なった経緯と軽妙な寸評はなかなかの随筆である、紹介しよう。
祖谷民謡の放送 喜田 徳 著 抜粋
昭和16年の夏であった、わたしはちょうど祖谷に帰っていた。徳島放送局が
京都、高知の両放送局と連合して山と海に因んだ民謡の放送を企画した。
その撰に入ったのが祖谷の粉挽き節であった。
いったい民謡の歌詞になる素材は、その土地の口碑や伝説に採るか、民俗の
推移や人情のあやを織り込むかにある。
祖谷といえば平家というほどなところだけに平家一族の流離の哀愁を、土地の
風物に結びつけるのは当然である。
祖谷地方は食生活に恵まれなかった、大麦や裸麦を火で乾燥してこれを石臼に
入れて粉にして常食とした。
石臼をまわしながら、調子を合わして歌ったのがこの民謡である。
京(みやこ)おもえば 月さえくもるヨ
とんで行きたや アノ空へヨ
サア ヨイヨイヨ
おん痛わしや平家の公達も、地下びとに成り下っては、一切平等である、そのかみ
殿上に侍つた栄華の夢を追い、有為転変世をはかなんでの朗詠ならぬ地下びと唄で
あろうと祖谷的な明解を施している。
月に一度のサワリが なけりゃヨ
主に仇足ふましゃせぬヨ
サア ヨイヨイヨ
さぞや公達百姓も落胆されたことであろう、千山万岳ならぬ幾つかの峠を越えて
きた逢瀬に、とたんに契機を阻むものありと聴かされて、後朝も索漠と別れる
ふたりシルエットが感じられる。
粉挽け粉挽けと ひかせておいてヨ
荒い細いの ナショたてるヨ
サア ヨイヨイヨ
愛人を持つ娘に軽い嫉妬を感じている家族や近所の人達の、揶揄的なレジスタンス
といったものであろう。
ナショは祖谷の方言で、非難する、なんくせつける、小言という言葉。
臼よはよまえ はよもうてしまえヨ
門でまつ殿 夜が更けるヨ
サア ヨイヨイヨ
夏ならまだしも、零下何度の戸外で待つ身もさることながら、臼よ早くまわるように
と念じている娘の心は氷っていたことであろう。
臼のシャクリ挽きゃ 荒い粉が下るヨ
旅のお方にゃ 出されまいヨ
サア ヨイヨイヨ
臼をうまくまわせばよいが、手もとへ強く引くと、その部分だけ荒くなる
それでは客人に出されないというのであろう。
が、好きになった娘へ母が心を配る言葉とも受け取れように。
謡われる曲はひどく哀愁がこもったもので、秋の夜 民家を訪れる旅人などが
聴くと、いつかやるせない想いを身近に漂わせる。
祖谷は必ずしも平家の落人で形成されたものではない、しかし花顔の乙女が
唄っているのを聴いているうち、こういった否定はわけもなくかき消されて
祖谷は落人の里だと思い込んでしまうから、奇妙である。
放送の夜、長い伝説と口碑の力に感心したのである、あれから、
はや15年が過ぎている。
発行者 祖谷刊行会、徳島県文化財専門委員会 書物「祖谷」昭和31年発行