22日には全国学力テストが実施された。私は既に学校を退職しているのだが、特に静岡県の学校、先生方は大変であったと思う。
聞くところによると、多くの学校は、学力テストの学校別公表を意識して、始業式の翌日からテストの練習があり、1週間前から去年の問題を解かせる。そして模擬試験などもやる・・・等々のようであった。
学力向上よりも学力テスト対策になってきている。こんな様相である。公表を考えると学校の得策としこのようするのもしかたがないなと感じた。
しかし、そもそも学力テストは、結果を分析して指導の改善をすることが目的である。しかもこのテストで測れる学力は、学力の一部である。想像力や追求力などはあまり測ることができないのである。もっと言うならば、これ以上に大切な学力もあるのである。
結果の公表は、この一部の学力に比重がかかり、その他の多くの学力や人間教育などの指導が疎かになりがちになる。また、学校の序列化や学校間の競争の激化なども起きてくるのではないか。知事や一部の市長などは、その考えは杞憂であるというがほんとうにそうであろうか。
昭和30年代には、学力テスト成績公表のために越境入学の希望が増加した。また、勉強ができない子どもを休ませるというようなこともあった。こんなことがなければよいのだが、・・・・・
教育の世界も、政治の世界も多くの人がおかしいと思いながら容認していく昨今である。なにか恐ろしいことにならないかと感じてならない。