松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

あなた(学校)は朝礼のとき子どもに号令を掛けますか?

2014-04-03 09:44:23 | Weblog


 「子ども主役」の全校朝会・・・というタイトルで元全国連合小学校長会会長 寺崎千秋さんが日本教育新聞「決断」のコーナーで次のように書いている。少し長文になりますが、大事なことなので紹介します。

 「子どもが主役の楽しい学校」を掲げながらも、子どもが受け身のままで過ごさざるを得ない時間があった。毎週月曜日の朝会である。
 当番の教員が「気を付け」「前倣え」と呼び掛け、静かになったところで、校長講話、生徒指導の話と続く。これでは子どもが主役だとはとても言えない。
 そのため、1週間の始まりに子ども自身が、学校生活のリズムを創り上げる場に変えた。最初に号令をやめて自分たちで整列させた。当初は3、4分かかったが、徐々に短縮され、1ヶ月後には約700人の児童が整然と並ぶようになった。各学年の整列位置は、外側を高学年、内側を低学年としており、外側からすーっと静まりかえる様子は鳥肌が立つほど見事だった。教職員に言われてやるのでなく、自分たちの意思でこの状態を創り出したのである。
 こうした変化になかなかなじめなかったのは、実は教職員で、つい指導をしようとしてしまう姿を何度も見掛けた。そのため各列の前に立ち、見守るように助言した。
 ・・・・・・・・このように書くと、どのような指導をしたら子どもたちが自主的に行動するようになるか、という疑問を持たれるかもしれない。種明かしをするれば、最初はなかなか整列できない児童を思いっきり叱った。「何をしにここに来ているんですか。月曜朝会は、これから1週間を始めるに当たり、自分で自分の心を切り替える場です。号令がなくても、自分たちで環境づくりができませんか。自分たちでやってみなさい」と。


※ 私もこれと全く同じような指導を子どもたちや先生方にした覚えがある。
  どこの学校も当然のごとく教師の号令によって子どもたちを整列させていようである。これは、長年の習慣によるもので、教師はおかしい と気づかないでいる。実は私もそうであった。
  しかし、考えてみれば、「気を付け」や「前倣え」などによる整列は、1年生からやっていることである。これと同じことを6年生になっ てもやっている。まったくおかしなことである。中学年や高学年になれば、自分たちで、または自分で教師から号令を掛けられなくても整列 できなければならないのではないか。そのように思う。
  やはり、私の経験でもこの指導には教師がなかなかなじめなかった。特に低学年の担任は、号令だけでなく、すぐに子どもの列の中に走っ て行って世話を焼くのであった。だからいつまでも自分たちで整列できなかった。子どもが自主的にとか主体的にと言いながら、その前に教 師が手をかしてしまうからいつまでもできないのである。
  今回の場合は、整列のことであったが、こういうことは他の指導にもたくさんある。考えなくてはならない。



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