チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

プロって

2019年03月21日 17時20分18秒 | 日記
チャコちゃん先生はプロ意識があるのだろうかと疑っている
いろんなことに怠けていて
誇りだけはある

これって一番厄介だ
プロとしての仕事の進め方が今だにわからない
50年もやってきているのに

対価の法則を学んでいないのでお金をいただくのが不得意
仕事と趣味が一緒になっているように思う
差し出す金額がやけに高かったり安すぎたり
今頃こういうことを真剣に考えるって
神様もどう教育しようかと悩んでらっしゃるのではあるまいか
お手上げだ

これからプロのサチコさんに会うので彼女に良く聞いてみよう
またお説教を食らうな
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着物を繋ぐもの 117

2019年03月20日 11時31分15秒 | 日記
着物から日本がわかる
着物から日本人の生き方がわかる
着物から日本の経済の動向がわかる
着物から日本の本当の歴史がわかる
きものからーーー教わることのなんと多いこと!

チャコちゃん先生着物ビジネスとしては何回も壁にぶっつかりつらい思いもいっぱいしたけど
今になるとそれは魂の向上に必要だったのだと理解できる

大島紬の取材で奄美大島に初めて行った時に乗り継いでいく
一回は荷物がストを起こしたのか鹿児島から動かず手元に届くのに2日がかかった

大島紬を織っているのにもかかわらず着物を着た女性が珍しくみんな寄ってくる
そのとき「こういうときこそそこで生産された着物を着てみんなをよろこばせないといけない」とつくづく思ったものだ
初回は洋服姿だったが二度目からは着物を着て取材
三回目からは大島紬を着て方々を回った みんな喜んでくれたその時から一気に親しみが出てきた

奄美大島のその当時の基幹産業は大島紬とサトウキビ生産だった
サトウキビの茎をサクサク囓みながらオリコさんのところを回ると必ずお漬物が出て嬉しかった
そういう時龍郷町にいった
嫁入り前の娘たちが龍郷柄を織りそれを嫁入り道具として持っていく
そこでは初心者向けの「バラ柄」もありこれは大島紬の普段着として多くの人が色を変えて着ていた

その2つの柄に見入っていたら西郷隆盛が幽閉されたと言われる家に案内された
そしてそこで西郷さんの島の奥方の話を聞く

当時は若かったので鹿児島に妻がいるのにこちらでも家庭を作るなんて西郷さんって変なやつ!
と怒っていたのだがそのとき「これチコとサイゴウという名前の柄なんだけど」と男物の絣柄を見せてもらえた
バラ柄の小さな絣に更にその中に十字絣がある
「西郷さんが考えたんですか?」「と言われていてここでは西郷さんがよく着ていたらしい」
そういう話を聞くと一気にサイゴウフアンになってしまう
泥染めのいい絣柄だった

その後いろいろ調べると西郷さんはこの奄美にいる間島の人達にお金のことや暮らしぶりまた世界のことなどを教えていたらしい
それから西郷隆盛が篤姫の婚礼衣装を整える時染織の職人たちのところに行って自ら勉強してTPO考えた選び方をしたという史実も嬉しかった
歴史家や通俗小説が描く西郷隆盛は政府に歯向かい城山で敗北というお決まり物語だが
奄美大島での西郷隆盛の話を聞くと本当は「民衆のために」平和を一番深く考えた政治家だったという思いが強い

こういうことも着物を通して学べるので着物って本当にすごい衣装だと感心する

#西郷隆盛 #奄美大島 #大島紬 #チャコちゃん先生 #龍郷柄 #バラ柄 #桜島 #着物 #中谷比佐子 #サトウキビ #日本の歴史
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着物が繋ぐもの 116

2019年03月19日 13時39分08秒 | 日記
「骨格着付け」
「骨盤着付け」
というような名称を作り出したチャコちゃん先生
芸者さんや能の着付けその他僧侶や神官などの着付けを軒並み取材して撮影をしていた時
「ああ着物は骨できるものなんだと納得」した

着るときも脱ぐときも人は骨を意識しているかどうかで肢体の美しさが決まる
骨を注意深く動かしてきた着付けを3年もすれば贅肉は落ちていくしまずつかない
20年365日に着物を着続けたことは着物の知識もさることながら
自分自身の肉体のこと
自分自身の心のありようもすべて骨を意識することが大事なことだと認識した

江戸から明治にかけて多くの異国の文化人が日本に寄留した
その多くの人たちは感想文を書物に表しているがすべての異国人が
日本の女性の優しさ、美しさ、凛とし姿、惹きつけられる笑顔、優雅な身のこなしを褒め称えている
自分たちは新しい文明を教えるために来たけど逆に彼女たちに文化を教わったという感想が多い

その頃の写真や絵画を見ても日本の女たちは雅で美しい
書物の中には
貧乏な長屋に住んでいる女たちも自分の生き方に誇りを持っているのか姿勢がいいし粗末なものを着ていても清潔で品が良い
どんな小さな家にもまた庭もない家でも生花を飾る心の余裕がありしかも目が合うとニコニコしてくれる
誰も知らなかったこの小さな島国ほど文化が発達し神の御心のままに生きている人達が多い

この時代は男も女も着物を着ている
着物に着られて居るのではなく着物を着ている
よくよく研究すると彼女たちはまず骨盤を意識している
湯文字をつけるのは当たり前でこれは骨盤の安定になる
湯文字という言葉は御所言葉なので一般の人は使わない腰巻きと云ったしかも「お」をつけて「お腰」と呼んでいる
いかに骨盤を大事にしたかそれが伺える

なにせ女の骨盤の中には子宮と卵巣腸の一部が収まっているのだ
大事な生命を育てるところでもある
その場所を常に安定させ湿度を保ち意識することで健康の基本を手に入れることができる

骨盤を安定させれば自然に背骨は真っ直ぐになる猫背とは無縁
長時間座っていても骨盤を安定させることに注意していれば横隔膜も広がるので呼吸が深くなる

骨盤の次に着物を着る上で注意するのが肩甲骨
帯を締める紐を結ぶ皆この肩甲骨を寄せたり開いたりすることで横隔膜が広がり下腹に力が入って贅肉のつけ入るところがなくなる

更に襟合わせは鎖骨だ
顔ノカタチと鎖骨は連動していてそこに襟あわせのコツが有る

骨を意識さえすれば着物の着付けは簡単!

# 骨格着付け #骨盤着付け #鎖骨 #骨盤 #横隔膜 #襟合わせ #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #長屋 #芸者
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着物を繋ぐもの 115

2019年03月18日 07時58分34秒 | 日記
春は大島秋から結城というのがチャコちゃん先生の着物選び
春の陽光により美しく輝く大島紬
泥染めに耐えた糸の光沢
絣機で締め付けられたあとの糸の開放感
南国の日差しと風の中で織られた躍動感
そういうものが着る人の心を自由にする
春きたるの喜びと大島紬の軽やかさが体と心にフイットするように思う

だいたい日本は南北に長い
それぞれに気候が違い考え方も微妙に変わる
今の季節でも南は海に入れるが北は雪が降っている

南国でおられたものは陽氣のいい時着るのがベターだし
北国で織られたものは冬に暖かい
もちろん植物繊維はこの考え方には当てはまらない

また養蚕でも地方によっては微妙に蚕の飼育が違うし桑の葉にも違いがある
それによって繭の違い糸の違いとあるのだが
そういう違いを一挙にまとめてしまおうとしたのが、機械化だ
真綿にするとより良くなる繭も有り
繭から直接糸を引いたほうがいい繭も有る

土地の変化が着物の素材の違いを呼んだとも言える

さて大島紬は九州の奄美大島と鹿児島で織られている
本場は奄美大島ここでテー千木染め(車輪梅)と泥染めが行われている
鹿児島は戦争が激しくなり奄美から移住した人たちの手によって先ずは織られた
奄美群島は日本復帰がかなり遅れ厳しい生活を強いられていた

初めて奄美に取材に行った時まだ空襲で焼け落ちた建物や爆弾で穴が開いたままの煙突とか戦争の傷跡がいたるところに残っていてその中でも島の基幹産業としての大島紬の復興は脚光を浴びていた
組合の働きも盛んでみんな張り切って明日に向かって力強く生きていた

「大島紬を応援しなければ」と強く思ったものだ

そして常に仕事着として大島紬を着て感じたのは
着ると体に沿って体が細く見える事
雨にあっても泥染めのお陰で水を弾く
ということは汚れもつきにくい
何より賢く見える いい女に見える
帯は塩瀬か纐纈がピッタリ合う
鹿児島で生産されている斬新な大島には金が入っていてもよく調和する

マイナスは冬は寒い
だから春着るのが一番 さもなければ暖かい地方の人向き
裾が逃げるーーだから歩き方や仕草に注意するので着姿が優雅になる
お茶席は無理ー衣擦れの音が高いのと座っていて裾が逃げる

こういう事が身にしみて分かったのち
春を呼ぶ着物として愛用するようになった
そののち単衣が最適と知る
さらに雨に安心で雨コート
最終的にはモンペイトエプロン

優雅でいながら労働着にもなる素敵な大島紬

#大島紬 #奄美大島 #中谷比佐子 #雨コート #単衣
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着物が繋ぐもの114着物の端切れを

2019年03月17日 08時31分36秒 | 日記
着物の端切れをきちんととっておきその布をつなぎ合わせて風呂敷にしたりふとんかばーにしたり、着物は着物の形がなくなってもいつも生活者の下にいる
そういう生活の仕方が日本人であるようだ

各地のひな祭りを取材している時
つぎはぎの衣装を着た人形に出会ったり
親や上のお姉ちゃんたちの着物のハギレを着物に仕立てて幼児が着ていたり
今思うと高度成長に入る前の日本人の暮らしは心のこもった暮らしぶりだった

あれは七夕の取材で長野の佐久へ行った時
浴衣のハギレで作った人形が廊下いっぱいに吊り下げられていた
しかもその浴衣は健康で成功者の人からいたかだくのだという
子供の成長を祈って健康で良い生活をしている人の波動をいただくということか

日本は昔から偉い人からの羽織やその他の衣類でも拝受の品としての喜びと誇りがあった
この考えの中には
日本人はすべてのものに神宿るという考え方が子供にも浸透しまたそのようにしつけられていたので
どんな小さな端切れにも神様の心が拠り所としてあり粗末にできなかった
それはその品を作った人への感謝でもある

しかも成功者が身につけたものは
そこに大きな神のご加護があると信じられそのお裾分けをいただこうとして端切れ集めの衣装が存在したのであろうか

小泉八雲も書いている
日本人は全てのものに神が宿っていると信じているので、ものに対しても畏敬の目を持ち手仕事を大切に考えている。それをしない人は日本人ではないと

先般岡谷のシルク博物館でも
300枚もの小さな端切れをおつなぎ合わせた産衣が陳列してあり目がクギつけになった
美しかった!
しかも貧しい家の子のものではなく普通の家の子が元気で育った他家の子供達の着物の端切れを身に纏う
母親がひと針ひと針縫っていたのだという

今で言うプラスエネルギーを身に感じるという事だろう

一昨日銀座で結城紬の端切れで作った大暖簾を見て昔の取材を思い出した

針を持つことの偉大さをもっと伝えなければとつくづく思う

と言ってもわたしはぬえないのだがーー困ったものだ!

#和裁 #中谷比佐子 #端切れ #結城紬 #銀座#お雛祭り #暖簾 #風呂敷
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着物が繫ぐもの 113

2019年03月15日 16時04分57秒 | 日記
「姿がいい」
「いいお召し物」
「着物が添ってるね」
「あなたらしい着方ね」

着物に対しての褒め言葉そして着物を着ていることへの認め方
昭和50年代までは年配の女性や殿方たちが上のような言葉で着物を着ている女性を褒めていた

今でも私の引き出しにしまっている褒められ言葉は
姉のお姑さんが「比佐子さんは姿がいいわね」
大内順子さんの夫君宮内先生が「比佐子さんのきもの姿は品があるね」
写真家の藤井秀樹さんが「谷やん最近は肩の線に風情が出てきたね」
銀座の伊東屋でトイレ掃除の女性に「春らしい明るい装いですねおくさん、素敵です」ーお掃除ありがとうございますといったときのお返しの言葉ー
タクシーの運転手さん「お客さんの笑顔と着物がマッチしていますね今日はついてますよ」

ちょっと前の女も男も人を褒め人を認めるというときの言葉が愛にあふれていた
そうやって褒められていたのでチャコちゃん先生は着物を着続けられたのかもしれないと今になって思う

「毎日着物を着よう」と決心し行動に移したらついに20年も続いてしまった
その20年で学んだことのなんと多いことそれはことごとく宝になっている
語呂の多い日本語それを駆使して褒め言葉を探す大人たち
なんと素敵なオトナが多かったのだろう

ちょっと悲しいことがあると宝の引き出しを開けて自分自身を自分で褒めている

ある時尾形光琳の「八ツ橋」もどきの帯を締めて電車に乗っていたら
白髪の紳士が近づいてきて「ありがとうまるで絵画を見ているような時間でしたよ」と肩をぽんと叩いて下車して去った
ウフフと嬉しくなりすぐに誰かを褒めたくて
エスカレーターの掃除をしていたおじさんに「いつもきれいにしていただきありがとうございます」と声をかけたら
びっくりしたけど晴れやかな笑顔を返してくれた
ああーーこうして嬉しい和が広がっていくのだと大人に教わった

こういう厳しいことも言われた
「いい着物を着てらっしゃるけどあなたの年齢とあっていませんね」初老の紳士
「着物を着たら口紅くらいはつけましょうよ」とやはり初老の紳士
今だったらセクハラ?
「まだ桜の着物を着ているの?枕草子読みましょう」と先輩女性
「顎出して歩かないで!シャンとして頂戴!着物が嘆くわ」と姉
着物を着る人たちはこうやって若い人に甘口だったり辛口だったりして鍛えていたのだと思う
ありがたかった

日本語はいろんな奥深い褒め方がある。これを駆使して良い社会にしたいとつくづく思う

#着物 #中谷比佐子 #褒め言葉 #チャコちゃん先生 #伊東屋 #藤井秀樹

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着物が繋ぐもの 112

2019年03月14日 18時03分41秒 | 日記
蚕の研究家たちは言う
「蚕は遺伝子の優等生」
研究のし甲斐があるということだ
必ず結果を出してくれると喜ぶ

そういう中でチャコちゃん先生は「蚕が吐く糸がどれだけ人にいい影響を与えているかを知りたいと思っている
体験では明らかに絹を身に着けていると健康になっていく(着物を着始めて病院に行ったことがないもちろん薬も飲んでいない、健康食品も不要)
それがどう科学的に証明ができるのか
それが出来ない限り今の人は絹を着ようとしない(この星は、行動体験の星であることを忘れている)

本日も15人の方たちの着付けをさせていただいた
ブラジャーはもちろんヒートテックすのインナー更には下履き
「全て脱いで絹にしてしまったほうが気持ちがいいですよ」といっても聞き入れる人は殆どいない

2時間で15人を着せなければいけないのでいちいち説明もままならずあるものでやっていく

しかしその中で学校の理事長さんだけはすべて絹をつけてくださった
いらしたときは足がいたいと引きずっていらしたが着物を着せ終わったら
「不思議ですね足の痛さが消えました」と大悦び
湯文字の効力なのだ

終わって着物を脱いだ時毎年卒業式に着ているけどこんなに楽で気持ちの良い着付けは初めてですとご感想を頂いた

つまり「絹」のちから

絹に包んだ桃と普通にしている桃を5日間くらべたら
元の形を維持しアジも全く落ちないのが絹に包まれた桃だった
つまりアンモニアや二酸化硫黄の吸収度が強く腐敗の速度を遅くしてくれる

水分を一時的に貯留するので静電気を起こさず吸湿性も優れている
肌や毛髮の表面に薄い被膜を作るので水分の蒸発を抑え乾燥を防ぐ効果も期待できる

絹は発熱するので着ていると暖かくなり余分の熱を放出するので、熱がこもらず快適だ

こんなに賢い繊維を私達はもっと日常に身に着けなきと持ったないと思う

こういう研究成果の結果
絹は直接肌につけるのが最適
傷さえ塞いでしまうそれはアミノ酸のお働き

自分の体を美しく保つには絹が一番と思う

そういう絹をついに「旅立ちの祝衣」として考えた
つまり死に装束だが直接肌に絹を着せることでもちろん本人の体はもう反応しないが
実は骨が反応、そして魂も喜ぶだろう
上記の絹の特徴がそのまま焼かれた骨に反映される
焼いたあとの骨の美しさが格別、骨に艶が出る

そういえばミイラも絹の布にくるまれていた骨は原型を保っていたという

今日はちょっと怪しい話になってしまった

#ミイラ #骨 #絹 #アミノ酸 #防湿 #アンモニア #蚕 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子


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着物が繋ぐもの 111

2019年03月12日 14時57分28秒 | 日記
蚕の一生を考えて見る「愛と光と忍従」
野生の桑の葉を「美味しい美味しい」と食んでいた神代時代
古事記にもあるように素戔嗚尊が高天原を逐われ「腹が減ったなにか食するものをよこせ」とオオゲツヒメに頼むとーー
オオゲツヒメはい体中のあらゆるところから食物を取り出し
それが無礼だとスサノウが切って捨てると
今度は蚕を始め桑や五穀他の植物などが出てきてそれが日本の基本的な衣食住の原点になる

ということは蚕は有史以来この日本にあって
他国から渡ってきたものという教えはおかしくなる

今月始め四国徳島の阿南市から邪馬台国であるらしき遺跡が出てきて
ああやはりーーと思ったけど今までの教科書や考古学の先生、さらに歴史学の先生などはそれを認める訳にはいかないらしい
しかし現実は事実が証明が証明する

オオゲツヒメの神社も徳島にあるが
昔からその神社の周りが古代の高天原ではないかと言われていた
今その地で養蚕を行っている若い養蚕農家がある
まさしく桑と蚕の誕生の地で蚕をを育てているということになって感慨深い

と興奮しているのはチャコちゃん先生だけで---

ということで
最近は蚕の立場に立って蚕を考えてみる事が多い
蚕ほど人様に貢献している生き物はいないと思う
「昆虫を食べる学問」というのがあり
あらゆる昆虫の中で蚕の味が一番いいという
蚕のクッキー、蚕のコーヒー、蚕の唐揚げなどなど食料品として高級に分類される

始めて蚕を食べたのは信州に取材に行った時
佃煮として旅館の朝食に出てきた
普通に口に入れ食感が大豆に似ていて美味しく食器を下げに来た中居さんに「この器に入っていた佃煮は何が材料ですか?」
「ああーお蚕さんですわ」
「エッ」
慌てて口を拭ったがもう胃の中(何ということ!ごめんなさいごめんなさい)
「売店で売ってますのでお帰りにどうぞ」(冗談ではない!)

海がない信州は昆虫や小動物が貴重なタンパク質でとくに養蚕がさあかんな地方では子供のおやつが蚕を香ばしく炒ったりしていた

糸を吐くというのが蚕の本来の使命なのだろうが
その途中で人の意の中に入ってしまうとは
更に繭を作ってつぎの命の誕生のために蛹になっているときも
蚕の腹から糸がなくなり純粋なタンパク質だけの蛹は粉末にしてサプリメントとして高級健康食品になる

医療にも貢献
人工皮膚を作ったり、人工血管 人工骨、手術用縫い糸 細胞増殖、人工靭帯
ああーー蚕の人はどれだけ助けられているのだろうか

(この項つづく)

#蚕 #佃煮 #着物 #繭 #チャコちゃん先生 #信州


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着物を繫ぐもの 110

2019年03月11日 17時43分21秒 | 日記
下着や着物の小物に注意を向けるようになったのは
365日着物を着ると決めて5年くらいたってから

歯の質が弱く(末っ子なので母親のカルシュームが不足していたのだと姉たちは言う)
歯医者通いが頻繁(ここ40年病院は歯医者のみ介護保険がどうしてこんなに高いの?私は使わないのにと時々愚痴っている)


まず帯枕
背中に当たる部分の厚紙が背筋を締め上げるようになり背中の筋肉が緊張してコチコチになる
帯板は固くて脇腹が窮屈
なんとかしよう

帯枕には綿と残布を入れて膨らませガーゼぜ包んだなかなか心地よい
しかし美しさにかける
カバーを白羽二重にした。しかし中はすぐに潰れる
枕の部分の改良に3年かかった
というのは形が決まっていて違う形にしたり、別の素材にするとそれだけでまたお金がかかるのだ
それでも「使う人が優先でしょう?」と強引に新製品を押しすすめ
ウレタンの代わりに絹で包んだ赤松のチップを入れた枕で落ち着きそれを白羽二重で包む
ここまで来るのに20年

歯医者の椅子に座っても抵抗ないし、長時間の飛行機旅行にもかえってクッション代わりになりよく眠れる
帯枕はこれでよし

帯板だ
帯板もウレタンが多いので胴の周りに熱が出る 
中の芯をボール紙にして幅を5ミリ細くし絹で包んだ
かなりの出来だと喜びしばらく使っていたが長い時間の中でやはり両脇が疲れる

帯板をせず伊達締めだけで帯を締めるということもやってみたがシワが気になる
またこの帯板は10時間も着ているときは一番疲れるものだとわかった
伊達締めを二枚使って帯板代わりにしてみる
これはなかなか快調だが夏はいかん、できるだけ紐を少なく涼しくしたいのに胴周りだけが重装備だ

芸者さんの取材をした時
帯の下に下帯を巻き付けその上に帯板などない帯の締め方があることを学び
「帯板締め」というのを考案した
これは伊達締めに得厚の帯芯を使う
なんと
スッキリでお腹周りが涼やか

汗線を止める胸当て
襟元が動きにくい胸紐
何よりお腹の肉がそのまま補正になる湯文字とヒップアップの裾よけ

いま
食の見直しが始まっていて無農薬無肥料のものを食するという人が増えてきている
しかしながらそういう人が自然素材の衣服を身に着けていない
またシックハウスのそしてコンクリートの家に住んでいる

体をいたわるなら衣服の方にも心寄せる必要があると思う
人の自然治癒力はそべて自然の恵みを大切にすることから始まると思うから

#自然治癒力 #湯文字 #胸当て #帯板締め #帯枕 #中谷比佐子 チャコちゃん先生 #裾よけ #伊達締め





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笑顔と一声

2019年03月09日 21時53分46秒 | 日記
久しぶりに超混み合う時間の中央線に乗った
停車するたびに人が人を掻き分け、また人がズルズル通しながら入ってくる
その間誰も言葉を発しない

巷では
優雅な立ち居振る舞いとか大和撫子の仕草とか江戸しぐさなどのセミナーが大流行りというが
現実はそんな風潮など糞食らえ!的

ちょっと一声かければその場は和むと思う
日本人はいつからこんな民族になってしまったのだろう

昨夜は図らずも高級リゾートホテルで一
当然迎える方はニコニコ愛想がいい
それに対して客はこれ又にこりともしない人が多い

お世話になります
宜しく

たったこれだけの言葉がすらりと出ていかないようだ

朝スパへ行く
会う人会う人によって「おはようございます」と声をかけると
みんな嬉しそうににっこりしておはようございますと言える

面白くなって子供にも声かける
嬉しそうだ

笑顔は気持ちいいと誰もが思っている
そしてその時の一言をもらうと嬉しい!

習慣になっていないから自分からの一言が出ないのであろう
チャコちゃん先生世代は
家庭ノンかでの挨拶をしっかり躾けられたし学校でも大きな声で挨拶を促されていた

こういう教育は小さい時にしないと身につかない
日本が捨ててしまった家庭内での挨拶
これを取り戻した時
あの満員電車での無言で暗い肩押し歩きはなくなり車内が明るく柔らかくなるように思う

そんなことを考えたひとり旅だった
#着物で旅 #満員電車 #リゾートホテル#スパ #笑顔 #挨拶
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