チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 118

2019年03月22日 11時12分14秒 | 日記
桜の開花宣言があった
本来はこの宣言があると桜模様の着物はお休み
主役を桜に絞るという習わしがあった少なくとも昭和50年代まではーー
宣言が過ぎても桜模様の着物を着ていると先輩たちから「チャコは野暮だよ」と注意されたものだ

とにかく縛られることや決まり事に反抗していた若い日
「名残の花よ」と言いながら花びらだけの着物や帯を作ったり
夜桜模様の着物を染めてもらったり
背紋に桜の花を刺繍、八掛に桜吹雪、長襦袢に桜模様
などなど様々に工夫をこらして先輩たちの目をくらませることに躍起になっていた時がある

それくらい季節の花を身にまとうことが重要に思えたた時代もあった

それでは着物は売りにくいと云うので四季の花を全部入れて「季節に関係なくいつでも着られます」という着物もたくさん染められた

なんでここまで日本の女は季節にこだわるのかと過去の文学などを読み漁ったところ
「旬を大事に思う心」を知った
旬は宇宙のエネルギーが降り注ぎその旬のものを口にすることはもちろん旬を愛でることも
また旬の柄を身につける、旬の色を身にまとうことも
すべてが自然に感謝そして自然からいただくエネルギーによって身も心も健やかでいられる
その中に着物の旬の模様もある

日本の歴史の中では梅の花を愛でることのほうが古く
桜をみんなで大騒ぎで愛おしむことになったのは江戸時代に定着した模様
特に八代将軍の吉宗公は江戸の土堤の殆どに桜を植えているそのため東京はこれから街中が桜に彩られる

さてこの桜の模様と着物も時代とともに変化し今では桜満開の時あえて桜とともに桜の花の着物を着て花と共演するという感覚になってきている

きものサロンの初期の編集長故佐々木和子は「着物といえば桜柄」とばかり
春号になると桜模様ばかりを特集していた
それだけではなく沖縄に桜が咲いたと聞く1月末から弘前の桜が散るまでの3っヶ月余は桜に溺れて着物はすべて桜
便箋も封筒もお懐紙や名刺までそうだ年賀状も桜から始まっていた

桜模様は一年中オーケーとなった動気は小説家の宇野千代さんの桜の着物から始まっったかもしれない
宇野千代さんはご自分の着物の殆どは桜模様であった
これに力を借りて着物愛好者が一年中桜模様の着物を着るようになったのかもしれない

しかしチャコちゃん先生着物を着始めたときの諸先輩からの有形無形の忠告がトラウマとなっているのか
変に頑固なところもある性格のせいか
桜模様の着物は桜宣言とともにやすんでいただく
しかし夜桜とか流水に花びらなどの着物は弘前の桜が消えるまで手を通す
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