千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「遺伝子はダメなあなたを愛してる」福岡伸一著

2012-10-28 15:33:02 | Book
すっかり忘却していたのだが、こどもの頃の愛読書はドリトル先生シリーズだった。いつか自分もドリトル先生のように動物と会話ができる、と恥ずかしくて誰にも言えなかったのだが、かなりのお年頃になるまでひそかに信じ込んでいた。ところが、”白衣を着た詩人”と絶賛されているこの方も少年時代はドリトル先生に夢中になり、憧れて、理想の生物学者がドリトル先生だったとは!

そんな福岡ハカセが週刊誌「AERA」に「ドリトル先生の憂鬱」という診療所を開設して、読者の身近で素朴な疑問やたわいないお悩みを”診断”して回答していたのが一冊にまとめられたのが本書である。

「片付けられない女はダメですか?」・・・NGですね。。。
「明かりをLEDにしました。エコだけれど、少し寂しく感ずるのは気のせいでしょうか?」・・・気のせいです。。。
「パンダは本当は竹より肉や魚が好きなのではありませんか?」・・・大熊猫に聞いてください。。。

私だったらこう答えたいところだが、福岡ハカセは意表をつく切り口で自由にかろやかに語る。たとえば花粉症対策の質問の回答が、いきなり彫刻家のイサム・ノグチの代表的作品が、空間、何もない穴という意味をもつ「ヴォイド」(void)という話題からはじまるのだ。そもそも花粉症は花粉を外敵襲来とみた免疫系の反応であり、免疫系は自己と他者をどのように区別をしているのか、、、といういつのまにか楽しい生物科学のワールドへひきこまれていく。実は私たちの体には、胎児の頃から免疫細胞をせっせとつくっていたのだった。免疫系にとって自己とは、うがたれた空間、すなわちヴォイドである。私たちは、自分の中にどんなに自己を探してもそれは空疎なもの。周囲の存在が自己を既定している。ここでプロローグのイサム・ノグチの彫刻作品に鮮やかにつながっていく。なんと、たかだか(花粉症の方にはごめんなさい)花粉症対策のお話が哲学になっているではないか。

私が一番気に入ったのは「わが子はピーマンが嫌い。大人になれば好き嫌いがなくなりますか」というコラムだ。
ここでは私も大好きなカズオ・イシグロさんの作品「わたしを離さないで」を紹介している。福岡ハカセによるとイシグロさんのテーマのひとつは「大人になること」だという。少しずつ、有限性に気がつき、夢や体力、想像力も失われていくなか、奪われないものは私自身の記憶。ハカセはイシグロさんから、ガーシュインの”They Can't Take That Away From Me”という曲を教わったそうだ。美しい記憶は大切に保存し、苦いピーマンのような記憶は折り合いをつけたり和解していく。私もピーマンや三つ葉などはちょっと苦手だった。ところが、今では苦味がスパイスのように美味だと感じるになり、過去の経験と折り合いをつけているのか、と考えた。寂しいが、こうして夢とひきかえに現実的なおとなになっていく。

・・・なんちって感傷にひたっていたら、これには最後にオチがあり、ピーマンはポリフェノールという化学物質によって苦味があるのだが、品質改良?によって苦味が減っているそうだ。記憶も変容しちゃったりするのね。

生物系の研究者にとっては当たり前のウサギやウニ、線虫を使った実験も、本書の解説でよくわかる。今までなかったのではないか、まったり系のサイエンス本は、秋の旅行の友にいかがだろうか。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
「フェルメール 光の王国」

■カズオ・イシグロさんのこんなアーカイブも

「日の名残り」
「わたしたちが孤児だったころ」
「わたしを離さないで」
「夜想曲集」
映画「わたしを離さないで」

「明治二十一年六月三日」山崎光夫著

2012-10-22 22:38:38 | Book
「石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人(ひとり)のみなれば。」

格調高く高貴な香りのこの文章ではじまる有名な小説の作家は誰であろうか。ちょっとしたイントロクイズだが、教科書にもよく掲載されているあまりにも有名な明治の文豪の名前はすぐにわかるだろうが、ここではXとしておこう。

本書の表紙、白黒写真の後列左端におさまっている額の秀でたこの作家Xは、明治21年(1888年)6月3日、ドイツ・ベルリンのフリードリッヒ写真館で、視察に立ち寄った陸軍省医務局長の石黒忠悳を中心に日本人留学生らと一緒に写真を撮った。総勢19名の彼らは、殆どが医学を学ぶためにはるばる遠く日本から何日何十日もかけてやってきたのだった。それは一足飛びに西欧化をして世界と競合していこうとする日本が送ったエリート中のエリートたちが、帰国後は二度と一同に会するすることのなかったほんの一瞬の異国の地での会合だった。

それでは、作家のXとともに写真に写っている他の18名の人々はいかなる人物だったのか。著者は20年前に「作家Xと医学留学生たち」という講演を行った際の疑問を丹念に追跡調査を行い、又探し当てたご遺族の方々から入手した資料をもとにほりおこして今回光をあてた彼らのそれぞれの人生だった。北里柴三郎のノーベル賞級の業績を残した科学者を除けば、公衆衛生、眼科、産婦人科、解剖学、法医学など日本の西洋医学の黎明期をリードして活躍し、輝かしい優れた業績を残したものの現代ではすっかり忘れ去られた人々ばかりだ。

しかし、彼らの意外な繋がりが現代にもあり、作家Xの親しい生涯の友となる人物の息子のひとりは映画『東京五人男』に出演していた俳優の古川緑波、御茶ノ水にある浜田病院の設立者、刑法第三十九条の発案者などもいる。そして名前は消えても現代医学界に大きな功績を残しているのが、やはり明治の誇るエリートたちだ。その一方で、志なかばで早世した者やXのライバルになる者も。著者は、Xの残した「独逸日記」などと照合して彼ら19名の人生を、写真には写っていないが作家にとって重要な友も含めて生き生きと描写している。それは、西欧においつこうとする健気でいじらしい明治という時代背景すらも活写しているようにも思える。

 「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」

写真撮影から2年後、こんな文章で結ばれる小説「舞姫」が発表された。主人公の太田豊太郎のモデルとなった人物もフリードリッヒ写真館の写真に精悍な顔立ちをのぞかせている。国家を背負ってもドイツ女性と恋もし、友情を紡ぎ、個人で生きることも叶わなかったこともあった異国で学ぶ彼らの心のさまはいかばかりであろうか。著者の明治の男達を見つめる滋味のある文章が、秋の夜長に心がともるようだ。

今年は作家X、森鴎外の生誕150年にあたる。

『コッホ先生と僕らの革命』

2012-10-17 22:49:47 | Movie
先日、フランス国営テレビ「フランス2」が放送した情報バラエティー番組で、サッカーのフランス代表と対戦した日本代表のGKの選手に腕が4本ある合成写真を映し、司会者が「フクシマの影響ではないか」とやゆする発言をして、スタジオから拍手と笑いが起こったそうだ。こんな失礼な発言は、日本人に負けたくやしさだけでなく、多少の人種差別も根底にあるように思われる。しかし、サッカーとは、本来は階級や国籍に対する差別意識をなくし、公平に敬意を払う”フェアプレイ”の精神があるスポーツだったはずではないだろうか。サッカーという球技の精神の原点にたちかえり、このスポーツの素晴らしさを思い起こさせてくれるのがこの映画だった。

19世紀末の帝国主義下のドイツ。反英主義に固まる中、イギリス帰りの英語の教師が母校のギムナジウム・カタリネウム校に赴任してきた。コンラート・コッホ。彼こそは、スポーツが階級差別を打ち破るという信念のもと、スポーツ振興に生涯を捧げて後に”ドイツ・サッカーの父”と讃えられるようになる青年だった。規律を重んじ厳格なドイツでは、スポーツとは自己鍛錬に励み、精密機械のようにほんのわずかな狂いも生じない体操競技のことだった。そんな中、コッホ先生がもちこんだゲーム性に富み勝敗を争うサッカーは、何かと偏見をもつ保守的な教師や親をとまどわせ反対されるのだが、彼はサッカー競技のもつフェアプレイの精神や仲間を思いやるチームプレイを生徒たちに教えていくのだったが。。。

主人公のコッホ先生は、ドイツの売れっ子俳優ダニエル・ブリュール。一時、体重の増加を心配していたのだが、本作ではよい感じにバランスがとれ、肉感的な?お尻姿をサービスしている。物語そのものは史実に基づき、とは言え、エンターティメント性のある学園ものの王道ヒューマン映画である。貧しい者や弱い立場の者へのいじめ、権威主義への反抗、生徒の反乱、初めての恋。今ではサッカー大国のドイツのサッカー黎明期を、この国の特徴をおりこませて描いている。けれども、観どころは何よりもサッカーというスポーツ精神のあり方を再確認させてくれたことではないだろうか。

それほどサッカーに興味も関心もない私ですら、最後にはすっかり気持ちが入り込んで改めてサッカーの魅力を感じつつある。映画はこれだから楽しい。フランスは過去の歴史からもドイツとは相性が悪いそうだが、フランス人も、一度このドイツ発の映画を観たらいかがなものか。少なくとも、バラエティ番組とはいえ、あのような差別意識を感じさせる”茶々”に笑うというふるまいは恥ずかしくてできないだろう。予定調和的な単純な物語展開の印象もぬぐえないが、逆に幅広い層で楽しみ元気がでる娯楽映画である。

原題:Der ganz grosse Traum(大いなる夢)
監督:セバスチャン・グロブラー
2011年ドイツ映画

■こんなアーカイブも
「レ・ブルー黒書」フランス代表はなぜ崩壊したか

「最高に贅沢なクラシック」許光俊著

2012-10-15 22:41:58 | Book
「ハイヒールをはかない女性には、クラシックはわからない。ファスト・ファッションで満足している女性には、クラシックはわからない。」
こんなことを職場でのたまったら大顰蹙ものだっ!それでなくても趣味がクラシック音楽・・・というだけで浮いてしまいかねないのに。
ところが、著者の許光俊さんは、小心ものの私とは違って堂々とこんな爆弾宣言をしている。

「電車で通勤している人間には、クラシックはわからない。
トヨタ車に乗って満足している人間には、クラシックはわからない」

こんなこと言っちゃっていいのか。しかも殆ど真実だと自信をっている確信犯。それというのも、「クラシック音楽が本質的に贅沢への志向ないし贅沢感覚がある」からだそうだ。本書のセオリーと要はここにある。なんでも20年以上も前のパリでのこと、育ちのよいお坊ちゃまの友人が「学生食堂なんかでご飯を食べていたら、プルーストはわからないよ」と無邪気な発言をしたら、財力をひけらかす方でも経済力で差別するタイプではなかったのだが、留学生仲間から猛反発をくらった。彼の考えが間違えているのか、そんな疑問が某私大の教授となって「近代の、文芸を含む諸芸術と芸術批評」を専門とする氏の脳裏によみがえり、クラシックという最高に贅沢な芸術なフィールドで過激な本音を言いまくっている。

何かとちょっとした発言で一般人のささやかなブログですら、時に炎上するという不穏な世の中に、読者の反感の攻撃を覚悟でここまで言い切る許光俊さんの紳士の気概(蛮勇か?)に、私は素直にまずは敬意を表したい。内容の是非は兎も角、人間、言いにくいことをはっきり言うにはたとえ真実だとしても躊躇するものである。そして、許さんがこよなくクラシック音楽、車、美味しいワインと料理を愛し、人生を美しく謳歌されていることについては、ファースト・フードと居酒屋めぐりの若者には、本書をもって旅に出よ、少し参考にしろよと言いたくもなる。この国ほど貧しいミドル・クラスはないという怒りには、私も海外を旅して本を読むたびに感じていることだ。

しかし、ここで明確にしておきたいのは、氏のおっしゃる”クラシックがわかる”のと、私の考える”クラシックをわかる”というには意味が違うということだ。
許さんが「NHK交響楽団を聴いても、クラシックはわからない」とおっしゃるのは、洗練され研ぎ澄まされた美意識で感じる感覚なのだろう。本物の贅沢を知っているものが、美しいものを感性で熟知していてわかるように。ところが、オペラ鑑賞にスコアを持参する文字通り知の巨人の丸山真男氏のようなタイプのクラシックがわかる方もいる。圧倒的な教養がクラシックをわかる滋養となっている。(もっともワインも美食も教養のひとつかもしれないが。)丸山氏には足元にも及ばなくてもそれなりの教養がそなわっていれば、清貧でもいけるかもしれない、、、というのが私の日本人的な考えである。ちょっと、許さんにはつまらないかも知れないが・・・。

ところで、ハイソな女性向けファッション誌に掲載されていたのが、ミラノ・スカラ座の初日を飾るゴージャスな上流階級の紳士・淑女たち。いかにも多少の経済的なゆとりがあることを自覚している女性の喜びそうな企画だったが、こういう世界に疑問をもつのが庶民の私だ。著者によると、やはりということになるが、社交界の場としてのミラノ・スカラ座に集う人々は肝心な音楽には無関心で退屈しきっているのがわかり、彼らをはっきり嫌悪しているのだが、高価なエルメスのバックを買う感覚でスカラ座に流行のドレスを着て登場する彼らを相手にしなくてはオーケストラも音楽祭も成り立たないそうだ。最高に贅沢なクラシックの、悲しくも矛盾しているこれも真実であろう。

すべてに賛成できるわけではないが、著者の言い分ももっともだと思う。せっかくの一石なのであれば、年下の後輩相手のような気さくな文章もそれでよいところもあるのだが、相手が贅沢なクラシックなので、もう少し格調高く?品格のある文章だったらより楽しめたかも、というのが私の感想。

最後に、許さんはこうも訴えている。
「若者よ、厳しい時代かもしれないが、無理してでも贅沢を知りたまえ」

まあ贅沢が身についてしまうと、それはそれで又生きにくいことにもなりかねないのだが。若者よ、サントリーホールのP席でもよいから、本場のクラシックの音楽にふれてほしい。
最後に、私自身はハイヒールは苦手でめったにはくことがなく、1年365日バレエシューズのようなローヒールを好んでいることを白状しておこう。

『お早う』

2012-10-12 23:15:38 | Movie
晩年の黒澤明監督は、小津安二郎のような映画を撮りたいと語っていたそうだ。にわかには信じがたいが、こんな映画を観るとそれもあながち伝説ではないような気もしてくる。

テレビがお茶の間に登場しはじめた時代。昭和34年。
東京の長屋のような家がならんだ郊外の新興住宅地を舞台に、それぞれの家族の模様が映されていくが、なかでも林啓太郎と妻の民子、そのこどもたちの中学1年生の実、弟の勇、民子の妹の節子を中心に物語が展開していく。

実をはじめ、こどもたちの最大の関心事はテレビにある。相撲中継がはじまると、アバンギャルトで自由な雰囲気のため周囲からういている若夫婦の家にこどもたちはいりびたり、勉強もしないでテレビにかじりついている。民子にしかられると実たちはテレビを買ってくれと駄々をこねはじめる。その光景をみた啓太郎が「こどもの癖に余計なことを言うな」と一括するや、「おとなだって、コンニチハ、オハヨウ、イイテンキデスネ、、、って余計なことを言っているじゃないか」と実が生意気な口をきく。とうとう兄弟は、抗議のためにハンストとともにいっさい会話をしないという作戦を実行する。彼らのデモはご近所にもさまざまな波紋をよぶのだったが。。。

こどもたちの間で流行しているのが、おでこをついておならをすること。ところが、この芸当がうまくできずに、つい、ちびってしまうこどもあり。
「ばかだなぁ」
こどもたちの英語の家庭教師をしている福井平一郎(佐田啓二)が笑っているように、くだらなくて下品にもなりかねない描写が最後に青空にはてめく洗濯物のパンツでおわる。「山田洋次監督が選んだ日本の名作~喜劇編~」の1本だが、一言で言って、お茶目な作品なのだ。美しく完璧な構図で知られる小津監督の作品にもこんなお茶目な映画があるとは意外な感もした。

しかし、そこはやはり小津監督らしく、全く同じ規格、同じ間取りのマッチ箱のような家が並ぶ新興住宅地のセットは、なかなか興味深かった。玄関をあけるとすぐ目の前に火鉢にのせたやかんがしゅんしゅんと湯気がのぼるお茶の間があり、本当に小さくてつつましく、けれども清潔そうでどこの家庭も整理整頓がゆき届いている。青年・平一郎の家の玄関には赤いスキー板がかかっていて楽しい暮らしぶりがうかがえ、兄弟のおそろいの手編みのセーターは真ん中に赤いラインが入っている。彼らの動きにあわせて、その赤色が一緒に動くことによって、いきいきとした躍動感が生まれている。気がつけば、どの画面を観ても箱根細工のように緻密に完成されている。もし黒澤監督が、小津監督のような映画を撮りたいと言っていたのが事実なら、こんな映画かもしれない。

監督:小津安二郎
昭和34年製作

村上春樹氏 ノーベル文学賞受賞ならず

2012-10-11 22:17:25 | Nonsense
スウェーデン・アカデミーは(日本時間の夜8時)、今年のノーベル文学賞を発表した。受賞者は本命の中国の作家、莫言氏。世界最大規模のブックメーカー、英ラドブロークスの文学賞受賞者を予想するオッズでは、村上氏は1位で、莫言氏は4位となり、今年こそはと期待されていた村上春樹氏は受賞をしなかった。しかし、スウェーデンのブックメーカー、ユニベットでは莫言氏が村上さんを抑えて1位となっており、見事に予想を的中させた。
私が賭けようとしたのは、残念ながらやはり村上さんではなかった。過去の日本人受賞者の川端康成、大江健三郎と肩を並べるには無理がある。

ちなみに莫氏の略歴は、次のようである。
1955年2月、中国山東省高密県生まれ。農村家庭に育ち、60年代半ばの文化大革命で小学校中退を余儀なくされた。人民解放軍在籍中に著作活動を開始。中国当局の検閲を避けるため、暗示や比喩、間接表現を駆使して、中国国内でタブーとされる政治的に敏感な内容を含んだ作品を発表してきた。
スウェーデン・アカデミー好みの越境はないが、「抑圧」「反権力」オーラがたっぷりの人と作品である。(近著の「蛙鳴」は、手に取ったものの、めったにないことだが、私にはあわなかったので読破できなかったのだが。)村上春樹さんのように大衆に人気があり、ポップカルチャーのような作品はノーベル文学賞にはむかないのかもしれない。

↓2009年11月2日のブログより再掲載↓
ノーベル文学賞の選考委員は社会派がお好み、というのは定説。情報誌「選択」によると、スウェーデン・アカデミーの構成要員は、作家や裁判官などの18名。今年度受賞したヘルター・ミュラー氏の「狙われたキツネ」を読むと、受賞ポイントの「抑圧」「越境」「反権力」の三点セットを見事にフル装備している。(ミュラー氏は、87年にドイツへ亡命している。また、彼女自身も主人公の女性教師の友人や生徒と同じように弾圧を受けてきた少数民族出身)

それでは、5月29日に新作「1Q84」が刊行されるや爆発的に売れまくっている我らが候補者の村上春樹氏、ここ数年、今年こそは!と期待が高まっているのだが、いったいノーベル文学賞を受賞するのはいつか。ノーベル賞の候補者は春までに20名リストアップされ、さらに秋に5名程度に絞られる。どうもこの「20名」に村上氏が入っていることには間違いないそうだ。ミュラー氏の場合は、かねてから資質を認められながら「もう一作読みたい」とまるで日本の芥川賞受賞の見送りと同じ理由でみあわせていたのが、今年、強制収容所体験を書いた「アーテムシャウケル」を発表して、一気に受賞へと実を結んだ。村上氏も同様に「もう一作」という声が選考委員の中で多かったそうだ。今回の「1Q84」の英語版が出版されるのは11年秋。事情通によると12年の受賞が、最もノーベル賞に再接近する年だそうだ。

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 」「ノルウエイの森」。みんな大好きな小説ですすめてくれた男子とよく「ムラカミハルキ」のことを話題にして熱く語り合ったもんだった。今のノーベル賞候補作家とは路線が違っている初期の作品が好きなので、「アンダーグランド」などのノーベル賞を意識した作品を発表する頃から、なんとなく手にとることがなくなったいった。

今年も10月8日の夜、大磯町の高級住宅地にある村上氏のご自宅には黒塗りのハイヤーが8台も待機していたそうだ。こうした喧騒を嫌う村上氏は数日前には国外脱出をしているが、とりあえず「自宅」に記者たちははりつく。ご苦労なことである。「落選」の情報が入るとまた静かに去っていったとのことだが、スウェーデン紙は文学賞発表前に朝刊で”受賞するであろう”作家のインタビューを掲載するのが恒例で、今年もミュラー氏のインタビューを掲載した。わざわざスウェーデンまで飛んだ日本の某新聞紙の文化部長など、予想した作家がすべてはずれてまことにお気の毒。むしろそんなに騒がなくてもよいのでは、と村上氏のために言いたい。必ずしも作家の作品の価値=ノーベル賞受賞でもない。ノーベル賞を受賞していなくても三島由紀夫のように優れた作家は他にもいる。むしろ作品の価値よりも”権威がつく”ことと”名前が後世まで残る”方に価値があるのではないだろうか。
ちなみに、スウェーデン・アカデミーは売れる作家はお嫌いだそうで、3年後に村上氏が受賞を逃すと「もうない」という、これまた何度も芥川賞候補に挙がりながら受賞する好機を逃すと「もうない」のと同じようだ。ちょっと笑えたのが、「村上氏が消えたら、お次はよしもとばななさんが浮上」というスエェーデン人ジャーナリストの情報に対して「選択」誌の記者のコメントが、「今のノーベル文学賞とはこの程度のもの」だったことだ。

■こんなよい本もありました
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

■こんな厳しい批評も
「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」

ノーベル賞:医学生理学賞に山中伸弥氏

2012-10-08 22:10:41 | Nonsense
今日、スウェーデンのカロリンスカ研究所は、今年度のノーベル医学生理学賞を、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授と英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士に授与すると発表した。授賞理由は「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」。山中氏は06年に、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化する能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作り出すことに成功した。
再生医療や難病の仕組みの解明などにつながる革新的な功績が受賞理由だと思うが、選考委員会が何よりも評価したのは”iPS細胞が基礎生物学に与えた衝撃”だそうだ。
新聞の片隅の小さな報道で初めて人工多機能肝細胞作成の成功を知った時は、まるでSF小説のような話に驚いた記憶は、今でも鮮明で忘れない。これが本物だったらきっとこの方は、人並みに長生きすればいつかノーベル賞をとれるとその瞬間思ったのだが、最初の成果が米科学誌に掲載されてから6年余りとは、かなり早かったのではないだろうか。

さて、これまでのアーカイブでおさらい。
ES細胞のあらたなる研究成果
ips細胞開発の山中教授 引っ張りだこ
・「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか」
・NHKで報道後、緊急出版された「生命の未来を変えた男」

山中博士の研究目標は、難病治療に役立てるためという人類共通の希望があることからも、今般の快挙に発明の内容からも受賞は当然だとしても、日本列島は久々にあかるいニュースにわいた。しかしながら、喜んでばかりもいられないのが日本の研究事情。当初から、間違いなく名誉は山中氏にもたらせられるだろうが、実際の果実は海外の研究所に渡るとささやかれていた。ips細胞を利用した特許を海外勢におさえられてしまったら、せっかくの研究成果も肝心の治療では日本人は高額で利用できないか、利用できても収益は海外に渡ってしまう。米国では再生医療研究の10倍、海外の研究所も数倍の研究予算で急ピッチですすめている。こうした危機感から山中氏は講演活動などで何度も研究への理解を訴えてきていた。日本の研究資金は、現在、ジリ貧状態だ。その中でも山中氏の研究所は最大50億円の支援があるが、それも13年度末には終了するそうだ。その一方で、選択と集中で資金をiPS細胞研究所に集めたあおりで、他の研究室の資金がなくなり、せっかく良い研究をしていた若い研究者がはじきだされたと読んだ記憶がある。受賞をきっかけに、日本の基礎科学全体の底あげを、本気で考えなければいけないのではないだろうか。

「私たちの本当の仕事は、しっかり研究を進め、iPS細胞の医療応用を果たすこと。これからも本当の仕事を進めていかなければならないと思った。難病を持っている患者さんには、希望を捨てずにいてほしい」と決意を語っていた。この言葉のもつ意味をもう一度かみしめて。

■もうひとりの候補者
遠藤章氏にラスカー賞

『バレエに生きる』

2012-10-07 16:27:29 | Movie
バレエを習っている少女はすぐわかる。電車の中でみかける髪をアップにきっちりとアップにしている少女たちは、日本人にしては顔が小さく手脚がスラリと長い。そして何よりを姿勢がよくて、歩く姿は小さなバレエリーナ。最近は、いかにもバレエのレッスンに向かう娘とつきそいの意外と地味めな母のセットをみかけることがある。第40回ローザンヌ国際バレエコンクールで菅井円加さんが第一位に輝いた一連の報道から、日本全国津々浦々にはバレエ教室が5000もあり、習うバレエ人口が40万人とあり、その層の厚さと裾の広さに驚いたのは私だけではないだろう。米国では、こどもをひとりだけ授かるなら裕福な層は女の子を望む人が多い。ピンクのドレスを着せたバースディ・パーティ、そしてバレエを習わせることに夢を感じるそうだ。日本のこどもたちのピアノのお稽古のように、なじみのあるバレエ教室なのだろう。

ピエール・ラコットとギレーヌ・テスマー。本作はパリ・オペラ座と縁の深い夫婦のドキュメンタリー映画である。
ところで、バレエを身近に感じる方が多い昨今だが、このおふたりのお名前をご存知な方はそれほどいないのではないだろうか。
バレエが一般大衆にひろまったとはいえ、こどもにピアノを習わせる母親が多くても、本人はそれほど音楽を知らないし、コンサートに足を運ぶこともないのが実際だ。かくいう”ちょっと”バレエも好きな私も多少のバレエ・ダンサーの名前は知っていても、この老夫婦の存在は知らなかった。美しく、居心地のようさそうな素敵な邸宅に住む足取りもちょっとあやしい太めのおふたり。やがて古い映像が流れて、斬新な演出でいきいきとクマテツなみに跳躍して踊る青年と、気品があり優雅に舞う白いチュチュが似合う美しいエトワール。今ではすっかり老いたふたりが、あの素晴らしい邸宅を支える優れた実力を充分に知らせてくれる若かりし頃の踊りである。

ピエールは1932年生まれ。7歳の時に両親と姉と一緒に、パリ・オペラ座で初めて本物のバレエ、セルジュ・リファールとリセット・ダルソンバルが踊る「ジゼル」を観る。涙を流して深い感銘を受けた少年は、いつか絶対にあの舞台で自分も踊ると決心する。10歳でオペラ座バレエ学校に入学し、頭角を表してプルミエとなるが、振付創作もはじめる。一方、ギレーヌは43年に北京で生まれ、幼い頃に、当時住んでいたモロッコで、旧ソ連のバレエ映画を観てバレエとともに人生を生きる決心をする。その夜、海辺に面した家の屋上で星を見ながら決心した景色は、今のバレエの世界と繋がっているという。こんなふたりの出会いは、ギレーヌがコンセルヴァトワールの入学審査を受けた時にさかのぼる。審査員として初めてギレーヌをみた時から、ピエールは彼女の容姿と踊りの美しさにすっかり心を奪われた。

映画は、振付家と活躍をはじめたピエールの作品を紹介していく。シャルル・アズナヴールの「パリの子供」や「夜は魔法使い」。特に、ジュリエット・グレコの歌を背景に創作した「声」というバレエは、今観ても斬新でテーマー性もある。彼女の特異な”声”からこんなダンスの発想をするピエールの才能は、妻となったギレーヌのダンスにも次々と生かされていく。彼らの踊りからコンテンポラリーのおもしろさにめざめはじめた私だったのだが、予想外にも、その昔、マリインスキー劇場で、ヴァーツラフ・二ジンスキーと踊ったエカテリーナ・エゴロワから「古典バレエを保存すると誓って」といわれて、モダンなバレエを封印して古典バレエを復元することをはじめる。

「ラ・シルフィード」」「コッペリア」「盗賊の娘」「ドナウの娘」「ジゼル」「オンディーヌ」・・・、次々と名作のダンスシーンが映される。ルドルフ・ヌレエフも踊っている。映像がいかんせん、古かったり画質が悪いのが残念だが、その芸術性にどんどんひきこまれていく。
バレエって素晴らしい。
やはり古典バレエは王道である。気がつけば、すっかりバレエの魔法にかけられていた私。

パリだけでなく、ニュー-ヨーク、モナコ、アルゼンチン、そして東京も・・・、とふたりのバレエの旅は続く。ギレーヌは、引退後、パリ・オペラ座で後進の指導をしている。夫婦には実子がないが、ここにはふたりのこどもたちがいる。ギレーヌの関心は「円環を閉じること」そんな哲学的なことをさらりと言う彼女は、レッスンの様子を見ても聡明な女性という印象も受けた。ともあれ、数々の夢のようなシーンが現れて、まさに心が躍るような映画だった。

監督:マレーネ・イヨネスコ
2011年フランス製作

■こんな踊りも
世界への挑戦 17歳のバレリーナ
「テレプシコーラ/舞姫」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部3」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部5」
「黒鳥」
「魔笛」カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団
「毛沢東のバレエ・ダンサー」リー・ツンシン著
『ブラック・スワン』・・・少し雰囲気が違うアメリカ映画

「女性のいない世界」マーラ・ヴィステンドール著

2012-10-04 22:52:32 | Book
先日の中国で吹き荒れた反日デモの映像を観ていると、これは政治的なデモというよりも単なる若者の暴動ではないかと思えてくる。実際、暴れまくった彼らは*注)「第2代農民工」とよばれる都市戸籍のない出稼ぎ労働者の第二世代の若者が、欲求不満の捌け口に抗日をもちだした側面がある。この事件の背景は、意外でもなく本書の内容にも結びついている。

公立の小学校に入学した時、殆どのクラスでは男児が1~2人程度多かったはずだ。自然な出生時の男女比は、100人の女子につき男子は105人ほど生まれる。ちなみに日本では、100人の女子に対して106人ほど男子が生まれている。最近のアンケートによると、こどもがひとりだけだったら、女の子派の方が男の子がいい派よりちょっぴり多いそうだ。それは兎も角、中国では出生性比は113と男児が多く生まれている。中国のひとりっ子政策がもたらした不自然さは、おそらく誰もが言葉に表しにくいことを想像するだろう。しかし、事情は中国のみならず、韓国、シンガポール、インド、とひろがり、一国の中でもわずかにみえる性比だが、総計していくと1億6000万人もの女性が消えている計算になる。1990年、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、「いなくなった1億人以上の女性たち」というタイトルの小論文を発表し、経済発展はしばしば女性の生存率悪化を伴うと警告している。

『サイエンス』誌の記者である著者は、パリ人口開発研究所のクリストフ・ギルモトの研究を足がかりに、複雑にいりくんだ不自然な出生性比がうまれた原因とその現象を丹念に追っていく。日本人としては驚くような事実が書かれているが、欧米が主導して資金を提供してアジア各国に人工抑制計画を実施させていたことにはまさに衝撃を受ける。考えれば、人類は誕生して以来、飢えとの戦いだった。それは20世紀に入っても変わらず、人口問題の研究者にとっては、男女の出生性比などよりも、幾何級数的に増加する人口の過剰に食糧の供給が追いつかず、貧困が発生することが何よりも懸念事項であり、研究目的でもあり、男性が多いということは一部のローカルな問題として関心が集まることがなかった。

しかし、女性のいない世界は他国のことではなく、世界的な問題である。
女性が少なければ、女性の地位向上につながりそうであるが、現実はその正反対である。成人したが結婚できない男性が増え、人口統計学者は彼らを「余剰男性」と呼ぶ。売れ残った彼らは、性目的の人身売買、ネットでの花嫁売買など、より貧しい地域からブローカーを通じて女性を仕入れてくる。本人の意志や希望だったらそれでも幸福になるが、誘拐されて強制的に売春をさせられる少女も多い。女性は生涯のパートナーではなく、妻として母として、家事をする労働者、SEXの相手として求められる。その一方で、米国では、裕福な人を対象に着床前遺伝子診断でスクリーングにかけ、特定な疾患のないお好みの性別の胚を選択できる病院も登場している。

中国の余剰男性が戦争ゲームに熱狂する姿や、憤青となって爆発する様はこの異常な出生性比がもたらしたとする著者の考えを否定できない。ひずみの波は、いつか世界に広まっていく。尚、本書は2012年度のピュリッツアー賞のファイナリストにも選ばれている。

*注)18歳から25歳までの年齢で、学歴や希望職種などの物質面や精神的な欲求は高いが忍耐力は低い“三高一低”が特徴

「下町ロケット」池井戸潤著

2012-10-01 22:36:01 | Book
梅ちゃん先生の旦那様は、幼なじみのノブ。彼の職業は蒲田にある安岡製作所の経営者、というよりも父親がはじめた零細工場の跡をついだ工員だ。モノづくりにこだわりをもち、一生懸命よい製品をつくっていくうちに評価され、世界一速い新幹線の部品づくりをまかされることになった。昭和39年の今日この日に東海道新幹線が開業した。戦火をくぐりぬけて町工場で汗水たらして作業着を汚して働くノブが現代に生まれていたら、同じ安岡製作所で今度はロケットエンジンを開発しているかもしれない。

あまりにも評判がよいので地元の図書館からようやく借りることができた「下町ロケット」。昨年、直木賞を受賞した時の報道記事にある「ビジネス・エンターティメント小説」という”新語”がこれ以上ないくらいふさわしい。経済小説というジャンルで、ここまでエンターティメント性をうちあげ痛快な小説に仕立てた作家のセンスに脱帽したいくらいだ。

舞台は下町の蒲田にある従業員200人ほどの小さな町工場。かってロケット工学の研究者としてロケットのエンジン開発にたずさわってきた主人公・佃航平は、ロケットの打ち上げ失敗に責任を感じて辞職して、父親が経営していた町工場の跡を継いだ。同じ研究者の妻とは離婚。そんななかでも、ものづくりにこだわり開発してきたエンジン開発の技術特許に目をつけたのは日本を代表する大企業。えげつない大企業による下請けいじめ、資金繰り難、高飛車で血も涙もない銀行、どんな汚い手をつかってでも小さなライバル会社を潰そうと躍起になる大企業、そんな次々とおそいかかる佃製作所の存亡の危機は、どれもどこかで聞いたような話なのだが、テンポよい展開にはらはらしながら一気に読んでしまう。完全に、読者の誰もが心情的に大よりも弱小の味方になるように、ある意味、わかりやすく勧善懲悪が設定されている。このあたりの構図は、人生の深淵を問うような純文学とはあきらかに違う。

物語の前半は、中小企業にありがちな悲哀と大企業の非情な論理にまきこまれそうになりながらも、敢然と戦う航平たちを描き、やはり「正義は勝つ!」と納得し、これでかなり満足して本をもつ手がゆるみ加減になるのだが、おっと後半からは、一転、今度はロケット開発を担う超大企業が登場し、航平たちが開発して取得したロケットエンジンの特許をめぐってあらたなる攻防がはじまる。従業員や一人娘の反乱もあり、窮地にたつ航平。ここで彼はあらためて考える。

何のために働くのか。
自分にとって仕事とは。

単なる企業ものをこえて、働く意味を問う小説へ。侮れなかった、この小説を連載していた「週刊ポスト」。エッチな写真や記事ばかりではなかったのね。理想論かもしれないが、最後に佃製作所の従業員たちが涙を流しながらロケット打ち上げを祝う気持ちが、すっかり我が心と同化していくのに気がつく単純な自分。。。
ありきたりな言葉だが、会社という大家族の中で、それぞれが自分の役割をプロフェッショナルに貫徹し、そして仕事への浪漫を真摯に追求していく。「梅ちゃん先生」の安岡製作所も規模はうんと小さいけれど、そんな町工場だった。こんな会社が本当にあったら、嬉しいではないか。昔の日本には、こんなものづくりにプライドをもっている職人さんや工員さんがたくさんいたのではないだろうか。そして、今でも品質にこだわり、誇りをもってよい仕事をしている人がいるはずだ。日本は、まだまだ大丈夫、とそんな元気がわいてくる一冊。