千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「バチカン」秦野るり子著

2009-07-29 22:51:03 | Book
周囲0.44平方メートルの最も小さな国。ご存知バチカン市国である。しかしながら、東京ディズニーランドよりも狭いちょっとした田んぼ並の小さなサイズにも関わらず、この国の存在はその独特の成り立ちと役割のために無視できないTDLよりも天国に近い国。1929年当時、独裁者のムッソリーニと教皇ピオ11世によって結ばれたラテノラ条約によって、電報、電話、郵便、放送の負担はイタリアがもち、バチカン市国内に駅を建設してイタリアの国鉄とつなげる義務すらもイタリアがもつことが決まった。その一方で、飛行機がバチカン領空を通過することは禁止され、イタリア領土内にバチカンを見下ろす建物の建設は一切できない。理由は、プライバシーを守るためである。
小さな小さなこんな国に気を使い、いたれりつくせりにも思えるイタリアの対応。それもこれも、この国がおそれ多くも神につかえる国だからだ。本書は、そんな悪魔のような凡人にはうかがい知れないかの国を、読売新聞の記者によるその歴史からひもとき解説をこころみた入門書である。

現在、カトリック信者は世界の総人口の約17.3%にあたる11億4000万人、司祭は40万8000人、修道士は男女あわせて81万人。キリスト教会の中では最大かつ最強の勢力であり、約13億人と言われるイスラム教徒に迫る規模である。その迷える羊たちの頂点にたち、ある意味オバマ大統領よりも影響力があるかもしれないのが、システィーナ礼拝堂内でコンクラーベ(鍵を掛けるという意味)で選出されるローマ教皇である。中でも私たちの中で最も記憶にありなじみの深いのが、ポーランド出身の第264代ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世ではないだろうか。本書ではパウロ2世の経歴が簡単に紹介されているのだが、前教皇は幼くして母を亡くし、続いて兄も失い父とのふたり暮らし。大学で哲学を学ぶや戦争により化学工場に勤務している時に父も失い、幼なじみも強制収容所に送られ、本人はナチスの車にはねられ重傷を負う。その後、聖職者をこころざして非合法な地下組織の神学校に学ぶ。やがてローマで博士号を取得して帰国するや、故国では共産主義政府による宗教弾圧下にあった。1981年、旧ソ連のブレジネフ書記長に書簡を送り、故国に侵攻するならば戦車の前にたちはだかると言明した。その直後、トルコ人に撃たれ瀕死の重傷を負うも、犯人に寛大な赦しを与えた。教養と慈愛が深く、語学の天才で、その一方行動派でもあった。

ノーベル賞平和賞にも匹敵する活躍をおさめ尊敬されたパウロ2世。しかし、カトリックの超保守的な思想は女性の人権に対しては、避妊、中絶禁止とあまりにも前近代的で遅れているというよりも、女性を対等な性ではなく第2の性としての扱いを感じる。カトリック教会は完全なる男社会。プロテスタントが女性牧師、英国教会が女性の司祭を認めているのに対して、カトリックでは頑として女性の司祭を認めていない。助祭、司祭になってはじめて聖職者として認められるのであり、修道女はあくまでも熱心な信者に過ぎない。そんな事情もいくつかの映画を観ればなんとなく伝わってくるものである。またニューズウィーク誌によるとローマ・カトリック神父の35~50%が同性愛者だという。結婚という社会制度から免れるために神父になる同性愛者がいるのではないかという説もある。現在のバチカンは同性愛者の趣向は認めながらも、行為は禁欲の誓いに反するため禁止されている。こんな厳しい禁欲も、かえってゆがんだ性をもたらすのではないか、と改革を求められているのも聖職者による性犯罪があとをたたないからだろう。

本書の大半は、バチカンの歴史やシステムなどの紹介であるが、読者が知りたいのは”本当のところ”ではないだろうか。

ローマ教皇は、教会の最高権威であり、市国の元首、立法、行政、司法の三権すべての長である終身制。しかも財政収支の発表はあるが、外部からの監査の入らない主権国家。修道会や各地の教会から「最も信頼できる銀行」とバチカン銀行に多額なお金も集まる。82年、「神の銀行」と呼ばれ、バチカン銀行である宗教活動支援機関の事実上の投資顧問だったイタリアのアンブローシアーノ銀行ロベルト・カルビ頭取は、巨額不正融資で自らの銀行を破綻させたあげくに、ロンドンのテムズ川にかかる橋で首吊り死体となって発見された。融資先の多くはバチカン関連の企業や機関だった。橋にかけられた死体。まさに見せしめの生贄だったのではないかとかんぐってしまう。要するに最高の聖職者が集結したバチカンは、特権も大きければ闇も深いのだ。読者として期待したかったのは、wikipediaでもわかりそうな表層的なことではなく、バチカンが抱える闇の問題点にあるのだが、中学生向けの内容では少々ものたりない。もっとも内部に深く潜入した謎にせまる記事を書くのも、いろいろな意味でアブナイのかもしれない。

■アーカイブ
映画『マグダレンの祈り』
『ダウト~あるカトリックの学校で~』
『尼僧物語』

中国の国家大劇場と聴衆のマナー

2009-07-26 12:04:12 | Nonsense
「共産党一党独裁の矛盾を富で穴埋めすることですり替えた中国共産党の力は恐るべきものです」

calafさまのこの言葉を実感したひとつの舞台が、昨年の北京オリンピックではなかっただろうか。人口13億人、国家GDP世界第三位のマスの力を誇示する演出に、我家の爺さんもどきもがぬかされたようだった。この北京オリンピック開催にあわせ、天安門広場にある人民大会堂の裏に完成されたのが国家大劇場。高さは46.68メートル、周長は600メートル以上で、シェルの表面には、18,398枚のチタンのメタルプレートと1,226枚を超える乳白色ガラスを組み合わせた三日月上半球体構造である。外観が「プトレマイオスの地球儀」にようなドームは、周囲の人口湖に映えると卵型になりよりいっそう調和を感じられる。内部はオペラ、管弦楽、京劇などの多目的ホールに仕切られているそうだ。建築費総額は、50億元(約750億円)。中国資本で国内に建設した最も金をかけた建築物である。この前衛的で壮大な建物を写真で観ただけで、”中国の富”が輝いているかのように思える。この建物の前で労働者がホームレスのように休憩していた写真さえ見なければ。

この国家大劇場でピアノ・コンサートを聴きにいかれた精華大学の招聘教授である紺野大介氏の感想が、「選択」に掲載されているエッセイ「あるコスモポリタンの憂国」で綴られていた。
ピアニストは、11歳で北京中央音楽院に入学、94年ハーグ国際ピアノコンクールで二位に入賞しデビューしたトウタイハン(杜泰航)。最初の曲は、ガルッピのピアノソナタ、続いてアルベニウスの「スペイン組曲」。演奏がはじまるやいなや、周囲への遠慮も配慮もなく、遅れてきた観客が木製のフロアを鳴らすハイヒールの音とともにやってきたそうだ。後半のドビュッシーがはじまると突然コンサートホールの背面に縦8メートル×横10メートルほどの巨大な白い布が垂れ下がり、音楽にあわせて動画が映し出された。この辺の事情は、まだ発展途上国として仕方がないとピアニストと紺野氏に同情する余地はある。しかし、人間の習い性として音楽よりも関心が視覚がとらえる映像に移るものだ。10数名の者がこの映像を携帯カメラで写し始めた。
驚いたのは、このマナー違反に不快感を感じた一部の”良識がある”方たちの反応だ。その携帯カメラ小僧たちをいさめるために、それを阻止しようと赤色のレーザーポイントを携帯用ディスプレイをめがけて様々な角度から発射。ランダムに乱れるレーザーポイントは、巨大画面や果てにはピアニストの顔も直撃(命中?)したという。

我が国の聴衆は、その国民性からおとなしすぎると揶揄されたこともあったが、今では日本人聴衆マナーは世界一と欧米の一流演奏家から認められている。海外の演奏会に行ける機会はめったにないが、国内のコンサート会場に度々足を運んだきた者としてその言葉はお世辞ではないと思う。サントリーホールのスタッフの方たちの接客は、最高クラスであろう。実に感謝している。ピアニストのウタイハンさんが前半の演奏がおわり、舞台から退場する時に、無数の短冊状壁面の設計のため出口を捜す様子に会場から爆笑されるという一幕もあったそうだ。こんな様子を芸術家のちょっとしたお茶目さにかえる微笑ではなく、”爆笑”で返す観客の心情とはいかがなものか。そして紺野氏はドアのノブがないモダンな設計にも原因がありと感じられているようだが、そもそも日本のそれなりの会場でプロが演奏する場合、自分でドアを開けることもなく、楽屋に戻る位置までさがるととまるで神に導かれるかのように阿吽の呼吸で自然に出口が開くものだ。

大劇場の設計については、事前に世界の著名な建築家のコンペが行われ、実は最も評価が高かったのが日本が誇る磯崎新だった。どの思想にも左右されないそれぞれの固有の政治、社会、文化に深く触れる建築芸術に、審査中の中国の専門家たちは磯崎氏の設計を熱望した。しかし、抗日色の強い江沢民の判断で欧州の建築家が指名された。さんざん対日感情をあおっておいて日本人に依頼をするのは難しいのか、共産党一党独裁の政治的判断とやらか。この建物だけに関しては、なかなか素晴らしいではないかと私なんぞ思うのだが、このエリアは周恩来首相が「将来国民が西洋音楽の教養を身につけるように」と用意された地域であるが、景観にそぐわないと評判は悪いそうだ。
建築物の評判はともかく、中身も大事。経済的に中国人が日本人に追いつくには50年かかるという報告書が、中国社会科学院で公表されている。政治の矛盾をそらすかのように富でりっぱなハコを造っても、マナー、もっと言ってしまえば道徳観はそう簡単に日本に追いつけそうにもない。

■こんなアーカイブから
民主化よりも富豪の道?「ポスト天安門世代」
中国大使党の活躍

チャイコフスキー★ナイト

2009-07-25 22:43:35 | Classic
夏枯れか・・・、そんな感じのする弊ブログだが、今宵は暑き、いや熱きチャイコフスキー・ナイト★
壇ふみさんが「N響アワー」の司会をされていた時のことだが、あまりクラシック音楽に関心がないと見受けられた壇さんは、自らのモチベーションを高めるが如く、好きな作曲家としてチャイコフスキーをあげて「私のチャイさま!」とよく呼んでいた。。。
壇さんは憧れのチャイさまが同性愛者だったのをご存知かしらないが、その年齢で乙女チックなもの言いにはちと無理があるぞとかねがね思っていた。それにロシアのリリシズムに溢れたチャイコフスキーの音楽は、”チャイさま”という呼び方にはにつかわしくないくらい泥臭い土着型の音楽である。ショパンのように白いフリルのブラウスが似合うような音楽ではないし、むしろおろしや村の民謡か演歌のようなこぶしが利いているのが持ち味。したがって、チャイさまの音楽を聴くには、そのこぶしがポイント。

チャイコフスキーによるチェロ、ヴァイオリン、ピアノの協奏曲という、これらの各楽器をソロ楽器にしてお楽しみどころのコンンチェルトの傑作を集めた企画が成立する作曲家を考えると、まずチャイコフスキー以外には殆どいない。しかも、チャイコフスキーの音楽はその旋律が日本人の琴線にもふれるというわけで、けっこう夏の夜の過ごし方としてヒットしたのか、予想外にカラヤン広場がにぎわっていた。
トップバッターのチェリスト・辻本玲さんは藝大出身、第72回日本音楽コンクール第2位併せて聴衆賞を受賞した新進気鋭のチェリストといったところだろうか。私の席からは後姿になっていてボーイングや運指がよく見えなかったのだが、優美で装飾的なロココ風にふさわしい音楽を丁寧につくりあげていた。低音域のチェロの音型にロシアの夏の昼下がりのような心地よさが感じられる。

私が大好きで最もよく聴く曲が、次の「粗野で悪臭を放つ」と作曲された当時悪評だったヴァイオリン協奏曲。これまで様々なヴァイオリニストの演奏で聴いてきたきただけに、1986年生まれの鍵冨さんのこの曲へのアプローチを楽しみにしていた。ステージに登場してきた姿は、音大生というよりももはやプロのヴァイオリニストの雰囲気。気負いもなく、格別な緊張感もなく、これからはじまる自分の演奏でお客さまに楽しんでいただく、という自然体に好感がもてる。こんな見た目の顔立ちのよしあしよりも、雰囲気も大事。
鍵冨さんの演奏は、音に夏の朝にたとえるような”乙男”風?清潔なつややかさがあり、一方テンポ感に彼流”チャイコさま”の独創性が感じられる。あわせるのが大変かと思われるのだが、指揮者の秋山氏のタクトもオケも若い彼をよくサポートしていた。勿論、テクニックも卓抜しておりミスがなく、カデンツアも易々と披露する安定感。この曲は難曲で、大学生にならないと弾かせないという先生もいらっしゃるのに。若いだけに、よい意味での緊張感が音楽の瞬間芸術の本質を思い起こさせ、充実した演奏内容だったと思う。
ところでその熱演ぶりの効果?で、おそれていたように第一楽章がおわった時に拍手がわいてしまった。(私がもっているオイストラフのライブCDも、第一楽章で観客の拍手がはいっている)しかし、鍵冨さんはさらっとお辞儀して、全然とまどう気配も動じる様子もない。そんなことも含めて、今後も彼の演奏に期待度大と花丸印をつけた私だった。

最後は、ベテランというよりもその体重と体格にふさわしい大御所への王道をいく清水和音さんの登場。
チェロもヴァイオリンも私自身とても好きな楽器で、協奏曲も本当に傑作なのだが、ピアノ協奏曲の華やかさにはどうしても負ける。このような各楽器によるコンチェルトが続くと、最後のしめはいつもピアノ協奏曲。新人ふたりを最後にまとめるのが鍵冨さんが生まれた時はすでにピアニストとしてご活躍されていた清水さんとなれば、なにやらカイシャの人事情報を連想する。
それは兎も角、数少ないコンサート・ピアニストとして超多忙な清水さんの演奏は、こんな演奏会を心ゆくまで楽しめる日本の音楽事情の豊かさを実感する。堂々たる音楽に、堂々たる演奏。まったく”チャイさま”の音楽を堪能できる幸福さである。

----- 09年7月25日 サントリー・ホール ----------

指揮:秋山和慶
チェロ:辻本玲
バイオリン:鍵冨弦太郎
ピアノ:清水和音
演奏:東京交響楽団

◆ Program ◆
□ チャイコフスキー
■ ロココの主題による変奏曲 イ長調
■ ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
■ ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調

生物学五輪、日本人初の金 千葉県立船橋高の大月さん

2009-07-22 22:29:04 | Nonsense
茨城県つくば市で世界の高校生221人が生物学の知識を競った「国際生物学オリンピック」で18日、千葉県立船橋高校3年の大月亮太さんが、成績上位10%に与えられる金メダルを獲得した。生物学五輪での日本人の金メダル受賞は初めて。成績は221人中の6位。金メダルは計23人に授与された。
ほかの日本人参加者、灘高(兵庫県)2年の中山敦仁さん、桜蔭高(東京都)2年の谷中綾子さん、同3年の山川真以さんの3人はいずれも銀メダル。

同日の表彰式で司会者から名前を呼ばれると、大月さんは青い法被に鉢巻き姿で舞台に登場。ひときわ大きく響く拍手の中、笑顔で金メダルを首にかけてもらった。
大月さんは「先生方への感謝の気持ちでいっぱい。昔から生物系の学者になりたいと思っていた。金メダルが取れて、本当に生物って楽しいなと再認識した」と話した。

国際生物学オリンピックは、1990年に旧チェコスロバキアで始まり、今回で20回目。各国の代表生徒は14日と16日、実験と理論の2種類の試験に挑んだ。受験者全体の上位10%に金、それに次ぐ20%に銀、さらに30%に銅メダルが授与された。


(2009/07/18 共同通信)
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高校生の理系離れが懸念されている今の時代、喜ばしいニュースが飛び込んできた。日本人で初めて金メダルを受賞した大月さんは、半被姿にねじり鉢巻となかなかお茶目な扮装で、早速、新聞などの”顔”に登場されていた。マイクを持ってインタビューに応えている姿の写真も掲載されていたのだが、親指と人差指でつまむようにマイクをもっている手つきが、ビーカーをもつ手つきそのまんまなのがちょっと笑えた。指導された先生方の生物のセンスが抜群で、金メダルをとるなら彼との予想に見事にこたえた。
「生物って楽しい。」
そんな受賞の喜びの感想も高校生らしい素直さに好感がわく。受験に特化した中高一貫の有名な私立高校ではなく、公立の高校生が金メダルに輝いたのも、なんだか嬉しい。

■アーカイブ
・試験問題掲載サイト→Challenge2009

民主化よりも富豪の道?「ポスト天安門世代」

2009-07-21 22:30:24 | Nonsense
映画『天安門、恋人たち』のテーマーを「サーカスな日々」のkomon20002000さまは「ユー・ホンたちは、自由の兆し、解放の兆しに溢れた大学生活の中で、それほど深刻な思想に苦悩するというよりは、「与えられた自由」を満喫するのに夢中で、そのことがまた自分の欲望を再生産するといった、いわば「モラトリアム」な時間というものを持て余しているようにも描かれている。」と表現している。さらに”一般的な都市的環境の中で浮遊している青春像の典型”とも。とても鋭い分析に思わずひざをたたきたくなるのだが、過激な?性愛描写だけでなく天安門事件を扱ったというだけで本作品は、その優れた内容にも関わらず中国国内では今でも上映禁止とされている。

天安門事件から、今年で20年。民主化を求めてかって広場を占拠した知識人や学生は社会の中核にいる。6月4日に近づくと治安当局はインターネットや人権活動家への監視を強化したようだが、今ではすっかり風化したかのような現代学生気質である。

映画の中では、さまざまアジテーションがはられていた当時の北京大学の掲示板(これは日本の”タテカン”とは違う)には、家庭教師の求人広告や部屋の賃貸広告掲示板にかわり、それもインターネットの普及で一昨年には撤去された。天安門事件そのものの概要は知っているが、事件で失脚した共産党書記長の趙紫陽も今時の大学生は名前しか記憶にないし、学生の指導者に至ってはその名前も知らない。これも体制側の報道規制によるものかもしれないが、ひとりっ子で両親の期待を一身にになう彼らの関心は、民主化や政治などではなく、留学や起業であり、就職難もあり一流企業への就職の方がはるかに重要になっている。あの頃の中国人は貧しかった。ユー・ホンはいつも同じ茶色のサイズのあっていないジャケットを着て、女子学生の憧れのイケ面のチュウ・ウェイなんぞはジャージ姿。広場を埋めた学生たちが歌っていたのは、ロック歌手、サイ健の「一無所有」(すかんぴん)だった。そして当時の大学生はエリートであり、よい意味で社会を変革しようと理想をもっていたが、理想よりも現実、就職して『房奴』(マンションを買うためあくせく働く奴隷)になることの方が大事。

「貧しくても自由がある」
天安門事件のあった冬、ベルリンの壁は崩壊し、二年後にはソ連は解体したが、共産党一党独裁体制は生き残った。そして、世界第三位の経済大国になった中国の若者をとらえているのは、自由と民主ではなく富豪になることと富強国家へのナショナリズムである。「向銭看(銭の方を見る)」といった拝金主義が浸透している。今年度の中国人長者番付「胡潤財富報告」によると1000万元以上の個人資産をもつ主にインターネットを利用した起業家の富豪が82万5千人で、中国人1万人に6人の割合だが、そのうちの114人にひとりは北京に集中している。政治権力への密着が富豪への近道と感じるのはうがった見方だろうか。

一時はやった怒れる若者の「憤青」はナショナリズムの快感に酔うのが目的で、更に若い世代にひろがっているのが「宅男」や「宅女」のひきこもりのゲーマーのこどもたち。こんな彼らが民主化運動でたちあがることはまずないだろう。それよりも政府として心配なのが、党員の腐敗である。富豪を目指して入党するポスト天安門世代には、愛人に告訴されるものまでいて国家副主席の習近平氏によると「道徳の防波堤が弱い」そうだ。
20~30代の「ポスト天安門」世代は、小平体制の「先富論」の経済成長至上主義と「白猫黒猫論」の現実主義の申し子なのだろうか。天安門事件は確かに風化した。しかし、中国政府にとっては今でもタブーであることにかわらない。

天安門事件後に、欧米各地で漂白の生活を送り、昨年ようやく香港に居を定めた詩人の北島(ペイ・タオ)さんのこの言葉をどのように聞くのだろうか。
「亡命=流亡とは、支配する体制から精神的な距離をとって行動し続けるということです。エドワード・サイードが、知識人はエグザイル(流浪)の精神を持って初めて、強権に対して有効な異議申し立てができる、と述べたように。今は中国語圏で暮らせても、将来何かあれば、いつでも香港を離れる覚悟はできています。私にとって流亡は永遠の運命です。その運命に忠実でありたい」

彼は今でも中国本土に入れず、北京の病気の母の看病もままならず詩集は禁書とされたままである。

■アーカイブ
映画『天安門、恋人たち』

「ロミー・シュナイダー事件」ミヒャエル・ユルクス著

2009-07-20 11:16:30 | Book
どういうわけか、最近の私の読書の彷徨をふりかえると、時代、国籍、環境が大きく異なっているにせよ、実在の人物の評伝にひかれているようだ。彼、彼女の生き方と人物像は小説の中の、ある意味読者の関心をひきよせるためにつくられた理想の人間よりも、はるかに魅力的でドラマティックだから。先日、オーソン・ウェールズの映画『審判』を久しぶりに観た時に、長身のKにまとわりつく小間使い役のレミを演じた小柄なロミー・シュナイダーから目が離せなくなった。彼女の笑顔には、誰をもひきつける不思議な魅力がある。彼女は、1938年にオーストリアに生まれ、わずか43歳で大量の薬物服用が起因かと思われる心不全によりパリ郊外、ボワシー・サン・サヴォワールで亡くなった。
波乱万丈。
彼女のわずか43年の短かった生涯は、映画よりも波乱万丈だった。15歳でデビューし、58本もの映画のすべてに主役クラスで出演した彼女は、渾身の演技で演じたどんな役よりも、「ロミー・シュナイダー」を生きることは、人生を消耗させたのではないだろうか。

「ロミー・シュナイダー事件」は、ロミーに幾度もインタビューをしたことがあり親交のあった作者ミヒャエル・ユルクス個人の思い入れからなる、きわめて主観的な評伝である。本書は、ロミーが亡くなった82年5月29日の早朝からはじまる。多くの映画に出演してきたスターにも関わらず、亡くなった時の彼女は無一文だった。亡くなる前の11年間だけで稼いだ金額は1000万マルク(当時のレートで10億円をこえる)。毎月、1000万円以上も浪費しなければ使いこなせない金額だ。家も有価証券もお金も、いっさい彼女には残っていなかった。それどころか、税務署から請求されている高額な税金すら払えないありさま。多くの重要な賞を受賞した、国際的な女優。その素晴らしい演技力で批評家をうならし絶賛させた、ロミー・シュナイダー。しかし、その実、本名のローゼマリー・マクダーレ・アルバッハは肉体的にも精神的にもいつ倒れてもおかしくないほどぼろぼろだった。当時の恋人、ロラン・ペタンと記者のアンナ・ヴェリントンは憤りから、いったい誰が彼女の財産と人生を搾取していったのか、調査をはじめや1本のビデオを入手し、彼女がきわめて身近なある男から恐喝されていたのではないか、という疑惑が生じて調べていく。それゆえに、タイトルは「ロミー・シュナイダー”事件”」になるのである。本書は、ロミーの伝記の部分に彼女の伝記を書こうとする記者アンナとその上司である編集長との対話が入り、単なる伝記ではなく一冊の小説として読めるようになっている。アンナと上司が、作者の分身であることは説明はいらないだろう。

スター女優のスキャンダルとは。
金銭のもつれ、若くして男と同棲、失恋、妻子ある男との恋愛、クスリ、離婚、事故。彼女の体を通り過ぎて行った男たちは、アラン・ドロン、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ブルーノ・ガンツや元ドイツ首相のブラント等々、、、錚々たる名士やスターが並ぶ。今だったらさしずめスキャンダルの女王という名誉が与えられただろう。
そして一度も父としての役割をしたことがなかった実父の面影をみた理想の男だったルキノ・ヴィスコンティ。華麗な男性遍歴や最初の夫の自殺と彼との間にできた最も愛する息子、14歳のダーヴィトの悲劇的な死を含めて、ロミー・シュナイダーほど大衆とマスコミが喜びそうなスキャンダルのフルコースを経験しているスターはいないだろう。ここで、彼女の幼少時からの家庭環境、寄宿していた厳格なカトリックの学校の教育、愛情が乏しかった美男俳優の父へのファザー・コンプレックス、彼女を自分の事業に利用しつくした継父、生涯愛したアラン・ドロンとの恋から終生身につかなかった金銭感覚や思考のあり方などを心理学者のように私が分析しても意味がない。これは小説なのだから。しかし、架空の人物アンナと編集長の物語がはいることによって、事実が真実味を帯びて浮かび上がり、ロミーの実像があきらかにされていく。

ロミーは若い時は、演技にすべてのエネルギーをかけ、成功すれば明日は出演依頼がくるのだろうかと不安にさいなまれた。もって生まれた容貌と天才的な演技力でえた仕事の成功と不幸な私生活。多くの人を愛したが、あまりにも多くの人を失った。彼女はアラン・ドロンに「人生でなにをしていいのかわからない。みな映画のなかでやってしまったから」と語ったという。スクリーンの中でさまざまな人生を演じた彼女は、現実社会ではただの一度も望んでいたやすらげる家庭を営むことができなかった。それは彼女の資質のせいばかりでもないだろう。病院で白い布をかけられた亡くなった息子の遺体すら週刊誌で公表される日々だったのだから。そして、お金になることだったらなんでもやるという一部マスコミの餌食の対象だったロミーは、さまざま人々からその懐を狙われもした。彼女の存在は、金のなる木だった。そこにつけこんだのが、ある男性とその弟だった。(アラン・ドロンが弟を襲撃して、経営するビデオショップを全焼させたという後日談も)本書に登場するビデオは確かに実在するそうだ。

そして本書から感じられたのは、清純な乙女のアイドルだったロミー(日本で言えば吉永小百合さんのような存在だろうか)が、アラン・ドロンを追ってパリに住むようになってからのドイツの反応に、ナチズムの後遺症をひきずるドイツ的なものを感じ、また米国やアジアとは異なるヨーロッパの空気を感じた。
小説以上に小説的なロミー・シュナイダーの人生。
ここで、彼女が出演した映画を殆ど観ていないことに気がついた。もっとも晩年に彼女が58本の出演作のリストを自分でよかったとチェックしたら『審判』とヴィスコンティの作品を含めてわずか10本しかなかったという。ヘルムート・バーガと共演した『ルートヴィヒ 神々の黄昏』の彼女の演技は素晴らしかった。もう随分前に観た映画なのに、彼女が従弟のルートヴィヒの城を初めて訪問した時の自信に満ちた威厳がありながらも慈愛に満ちた穏やかな表情をまだ覚えている。亡くなった時、たくさんの家族の写真とともにたった一枚飾られていたスチール写真が、この時の従姉のオーストリア皇后エリザベートの姿だった。

『天安門、恋人たち』

2009-07-19 12:19:57 | Movie
1987年、中国の東北地方に雑貨屋を営む父とふたり暮らしの美しい娘ユー・ホン(ハオ・レイ)は、憧れの大学、北清大学の合格通知を受取る。大喜びする彼女だが、故郷との別れは幼なじみであり恋人ショオ・チュンとの別離を意味する。故郷で過ごす最後の夜、ふたりは初めて結ばれる。
希望を抱いて北京にやってきたユー・ホンは、学生寮で後に親友となるリー・ティと親しくなり、彼女のベルリンに留学中の年上の恋人ローグから、チュウ・ウェイを紹介される。女子学生の誰もが彼と寝たいと思っているほど、魅力的なチュウ・ウェイ。まさに理想的な男だった。ふたりが、大学中評判の恋人同志になるのに時間はかからなかった。
激しく愛し合いながらも、その愛情の深さゆえにぶつかるふたり。
やがて自由と民主化運動の波が大学のキャンパスをおおい、89年6月の天安門事件をきっかけにふたりは別れていくのだったが。。。(以下、内容にふみこんでおります)

2006年にカンヌ映画祭で『天安門、恋人たち』が上映されるやいなや、中国国内でタブーとされていて話題にすらとりあげることのできない天安門事件を作品でとりあげていること、そして過激なSEXシーンを全裸で演じていることから、中国政府は即刻上映禁止と監督らに5年間の撮影禁止という処罰を与えた。本来の作品の内容に対する評価よりも、中国側の対応が宣伝効果を高めてしまったようだ。

まず、作品における天安門事件について。
この映画はあきらかに政治的な映画ではなく、恋愛映画である。確かに天安門事件を扱い、その事件の後遺症を登場人物らが抱えている面もあるのだが、1965年に生まれ、85年に北京電影学院に入学した監督自身の同世代の若者達共通の、「天安門世代」の青春像を描いている作品である。国が映画に対してどう対応しようと、80年代後半に北京で学生生活を過ごした「天安門世代」にとって、事件をぬきに自らの青春時代を語ることはあまりにも難しいのではないかと想像される。この映画を観ながら思い出したのが、小池真理子さんの小説「望みは何と訊かれたら」である。この小説も政治的な小説ではなく、あくまでも官能的な恋愛小説である。しかし、作家の小池真理子さん自身が”学生運動”の時代をいつまでも引きずっているように、同じ時代を過ごしたかっての全共闘世代も、自分史から”運動”という背景をきれいに取り除くことはできない。(小説の話題から、あの時代に都内の大学に通っていた団塊世代の友人が思い出を語ったところによると、彼女の関わった運動のリーダーも顔立ちがよくカリスマ性があり、女子学生はみな彼にひかれていったそうだ。そして、次々とそんな純粋な女子学生と行為に及んだのは、小説とそっくり同じだった。)「望みは何かと訊かれたら」が、政治的な小説と言われたら、作者も否定するだろう。

こうした学生運動でカリスマ性をもつには、品格のあるグッド・ルッキングが要件であろうか。『故郷の香り』で好演したグオ・シャオドンが、誰からも好かれる素朴な好青年から、先輩の婚約者であり恋人ユー・ホンの親友リー・ティと激しくむさぼるように肉体関係を結んでしまう複雑で難しい役どころを演じている。勿論、彼は品のあるよい顔をしている。視点を女性のユー・ホンではなくこのチュウ・ウェイにしたら、天安門事件に関わる政治的な映画として全く別の作品になっていたであろう。ついでなから、果敢にも全裸で挑んでいる。会話のかわりに、ユー・ホンの詩的な言葉をナレーションにして映像もこっている。特に事件の後、グオ・シャオドンがユー・ホンとリー・ティのふたりの女性と3人で長い道のりを歩いて帰る場面が、その後の彼らの歩みを予感しているようで美しくも哀切が漂う素晴らしさがある。

そして中国初の全裸の過激なSEXシーンについては、西側から見ると全裸も珍しくなければ、過激でもない。
日本の大学生は殆ど自宅通学か下宿するので、キャンパス内にある大規模な学生寮の生活は興味深かった。二段式ベットがふたつあり4人の大部屋だが、北京出身の女子と同室のリー・ティが彼女が自宅に外泊して個室状態になると、日本のようなラブ・ホテルのないお国の事情から恋人たちに自分の部屋を提供したり、女子学生が夜恋人の男子寮の部屋を訪問すると同室の学生たちが気をきかして数時間外出して部屋をあけるのも、諸々事情がわかり思わず笑ってしまった。主人公を演じたハオ・レイは、清楚で美しい顔立ちながら脱いだら意外と?淫らな体で、高校生から30代の成熟した女性まで繊細で内に秘めた激しい気性をよく演じている。愛が深いため、愛し過ぎるがために愛がもたらす苦しみから逃れるように別れをもちだす彼女の心理も、女性だったら共感しやすい。しかし印象に残るのは、むしろ美人のユー・ホンよりも親友のリー・ティ。
「愛とは心に残る傷で 傷がなおれば 愛は存在しない」
彼女の存在と行動が、映画にいつまでも消えない余韻を残している。確かに複雑な関係だが、青春時代には陥りやすくもあるか。。。
なんだか古い日本映画を観ているような懐かしさを彼らの服装にまで感じた。個人的に好きな映画だ。

ちなみに、最新作はこれまた国内でタブーの同性愛を扱った『Spring Fever』。おそらく国内では再び物議をかもすだろうが、この映画も観たい。

監督:ロウ・イエ
2003年中国製作

■これも好きな映画
『故郷の香り』

「夜を抱いて」グウェン・エイデルマン著

2009-07-18 12:29:11 | Book
映画『愛を読むひと』のはじまりが、ノラネコさまがおっしゃるようにはるか年上の女性との高校生マイケルの”青い性”体験だとしたら、本書はNYの本屋で32歳のキティが奇跡的に戦禍と収容所を生き延びたユダヤ人のジョゼフと偶然出逢い、情事を重ねる官能小説か。”青い性”どころか、オーストリアに生まれ少年時代にはすでに家出をして、戦火をかいくぐり数えきれない女と寝てきた劇作家のジョゼフは百戦錬磨の性豪。波打つ髪に、強情そうな顎、濃い睫毛をした瞳、そしていつも自信に溢れて傲慢なふるまいをして世界の中で自分の居場所を知っている男。金などないのに、いつもファーストクラスで旅行してタクシーの運転手に横柄な態度をとる。決してイイ人ではないが、彼にひきつけられるのは女だけでなく、男すらもジョゼフに魅了された。
彼と出逢ったその日から、キティはジョゼフが常宿している安いホテルのブラインドがいつも下がっている暗い部屋で、そして食べ物や煙草の灰が散らかっているなかで、「世界」をしめだした密室の中でベットをともにした。いや、”ベットをともにした”という表現はふさわしくないかもしれない。愛情を交歓して夜をともに過ごすためのベットではなく、仕事もそこそこにかけつけるキティを抱く情事だけのためのベットだからだ。
『愛を読むひと』の原作「朗読者」のミヒャエルが、ハンナのために毎日本を朗読していたとしたら、ジョゼフはキティに自分自身の物語を朗読した。

10年後。小説は、北フランスからアムステルダムへ、ジョゼフの葬儀に向かう列車の中でキティの回想からはじまる。彼女の回想の主人公は、いつだって作家として成功して万事そつなく生きる夫ではなく、彼女の人生の根っこに居座るジョゼフの葬儀に向かっているからだ。作品の構成は列車の今の時間の移動のあいまに、本屋での出会いから、ふたりの性の描写や行動、キティの会話、ジョセフのベットでの会話の戯曲形式が交互に流れていく。描写が巧みで、ジョゼフの会話にいつのまにかひきこまれていく。彼の物語は、両親の出会いから百年に一度のドナウ川も凍る極寒の夜に生まれた誕生からはじまる。ところが、彼がキティとの行為のたびにベットで朗読する物語には、思想がない。カフカの再来とまで言われ、超現実的な戯曲で辛口の批評家をうならせた才能をもっているのに。彼はひたすら饒舌に、現実に起こった事件や女たちの話を延々と次々に披露するのだった。彼を拾ってくれた親切な家庭のまだ体も成熟していない初体験の娘から、最初の結婚相手の女、娼婦、そして息子を産んだ女まで。その時は嘘でも愛の言葉を交わした女から、名も知らぬ単なるゆきずりの女まで。墓のように無口なキティに、次々と語る女の話が、結局すべて原題の「WAR STORY」なのである。戦争体験も悲惨だが、なにを語っても「WAR STORY」になるのも悲劇ではないか。

作家の小池真理子さんは、この作品をナチズム批判をテーマーにしたものでもなければ、反戦や戦争の悲惨さを訴えたものではなく、テーマーはジョゼフそのものだと解説している。それに異論はない。なんたってこれほど爺さんになりかけた60歳の男を、お色気たっぷりに書けた小説にはめったに遭遇できないだろう。私の中では、ジョゼフは映画『コンフィデンス 信頼』を演じたビロ・ヤノシュ役のペーター・アンドライのその後を読むような気分だ。ジョゼフは、確かに誰をもひきつける魅力をもっている。キティにとっては、ジョゼフはすべてだった。
しかし、私は彼が饒舌にしかも決めつけるように唯我独尊で語る”WAR STORY”にひかれてしまう。父を語っても、母を語っても、女たちを語っても、そして亡くしたふたりの息子を語っても、それは彼自身の中に永遠に内包される”戦争”という種子のバリエーションにしかない。暗闇が好き、女が好き、食べ物をたくさん買いだめてしまう癖、彼の行動のひとつひとつに、戦争の影が落ちている。その影に囚われ、支配されている男。そしてその男を愛した女。だからとてもうまい邦題と感心した「夜を抱いて」ではなく、「WAR STORY」なのだ。

「戦争はおわっているのよ。なぜわからないんだ。戦争が終わってるって? 彼は問いただした。自信はあるのか?すぐに旅立てるように、いつでも逃げ出せるようにしておかなければ」
戯曲と長編小説で数多くの賞を受け、政府から勲章までもらった彼の作品は、たぐいまれな才気だが夜のように暗いと批評された。

「マルクスは生きている」不破哲三著

2009-07-13 22:41:12 | Book
「過去千年間で、最も偉大な思想家は誰だと思うか」

10年ほど前に英国のBBC放送が国内と海外の視聴者にアンケート調査をしたところ、カール・マルクスが圧倒的に1位になったそうだ。18年前に旧ソ連が崩壊した時に、多くの人々が”マルクスは死んだ”と実感したと思う。ところがどっこい、マルクスは決して消滅したわけでも不要になったわけでもなく、金融危機にはじまる世界的大恐慌の影響もあり、再びマルクスは息をふきかえし、「資本論」やマルクス主義を見直ししようという機運が高まっている。著者は、ご存知30年以上に渡り書記長、委員長、議長を経て「共産党の元プリンス」にして顔だった不破哲三氏である。

構成は、この偉大なる経済学者ではなく思想家としてのマルクスを
①「唯物論の思想家」
②「資本主義の病理学者」
③ 「未来社会の開拓者」
としての3つの側面からとらえた入門書であるが、これまで社会主義といえば旧ソ連の崩壊やドフトエフスキーの「悪霊」における”おびただしき豚の群れ”という象徴した表現である種の誤解を抱いている者にも是非手にとっていただきたい内容となっている。

私自身は唯物論者であるが、まず最初に読者向けに3つの質問があり、その質問への回答から誰もが観念論者ではなく本来は唯物論者であることを巧みに導いていく。そして、DNA理論から昨年のノーベル賞を受賞した素粒子理論まで、唯物論と弁証法が自然科学の研究分野の成果に影響も与えていることを説明している。特に益川氏の「私にとって弁証法的唯物論は予測をたて、自分の世界観をつくる上で重要だった」という言葉まで引用したのは、大学時代に物理学を専攻していた著者ならではの説得力があり、これまで抽象的過ぎると思い込んでいた資本論が、実は科学的な理論であることに少なからぬ衝撃を受けた。

また「マルクスの目で日本の労働現場を見ると」、よくあるサービス残業も労働時間を資本家から搾取されていることになり、「過労死」や過労による病気さえ耳にすっかりなじんだ現象もマルクスの視点をかりなくとも、日本の搾取現場の過酷さは異常である。「資本論」の中では余剰な労働者を「産業予備軍」と定義して、彼らの存在が現役労働者に無言の圧力となっていたのだが、最近の日本では実際には企業の工場で働く現役労働者でありながら派遣労働者という雇用形態の「予備軍」化していることに問題を見ている。
さらにかって地球環境に悪影響を与えていた米国の化学企業のデュポンが元凶のフロンガス規制に猛反対をした過去の事例から、人類と地球の運命にかかわる問題よりも利益第一主義の資本主義社会におけるセオリーを危ぶんでいる。

こどもの頃は作家志望だったという不破氏の解説は平易でわかりやすく、決して押し付けがましいものではない。日本共産党は旧ソ連と思想的に離れていったが、その事情もきちんと納得のいく説明(言い訳か?)がされている。社会主義を頑固なひとつの宗教の盲信ととらえたとしたら、そして終わったレトロな思想と考えていたらとんでもない誤りである。マルクスが復活したのは、不景気のせいばかりでもない。行き過ぎた資本主義の暴走に不安と不幸を感じる人々は、合理的な社会から労働者、人類の幸福を追求したマルクスの思索に原点回帰したいのではないだろうか。
「マルクスは、その哲学を研究する人はその哲学ばかり、経済学の人は『資本論』ばかりを読む。そうではなくて、マルクスはその全体像と思索の歴史から理解せよといいたい」とは耳に痛い著者の弁だが、けだし正論である。そもそもマルクスは、革命を過去のすべてを否定する破壊的な過程とみなさずに、古い枠組みは捨てるが積極的な成果は遺産として引き継ぎながら前進する建設的な過程ととらえていた。資本主義が生んだ国民主権の政治体制と人権宣言は継承していくのである。思想が優れていれば、公平に誰もが幸福になる社会システムの構築を考えるのが、今後の後世の課題であろうか。

当初「マルクスと現代」というテーマーで執筆を依頼された著者の達筆で、マルクスは見事によみがえりつつある。確かに復活宣言してもよいと思う。
やはり「マルクスは生きている」のだから。

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【派遣法改正 労働弱者を放置するな】(中日新聞2009年6月26日)

日雇いの原則禁止や賃金公開義務など派遣労働者の救済を目指す労働者派遣法改正案の審議が遅れている。失業や低所得に歯止めをかけるには法改正が不可欠だ。今国会での成立に全力を尽くせ。
この半年間の派遣村騒動はいったい何だったのか。仕事も住む部屋も失った派遣労働者たちが炊き出しに長い行列をつくった。政府は慌てて雇用保険の適用拡大などを決め派遣を含めた雇用対策を打ち出した。
一年前、二重派遣や禁止業務への派遣など相次ぐ違法行為により事業停止命令を受けていた日雇い派遣大手のグッドウィルは、廃業を表明した。若者や女性たちを低賃金で無保険のまま働かせるという日雇い派遣の実態は、社会に大きな衝撃を与えた。派遣法の見直しはこれがきっかけだった。政府・与党は昨年十一月、改正案を国会に提出した。

柱は(1)契約期間三十日以内の派遣を原則禁止(2)派遣労働者の賃金や派遣会社のマージン率などの情報公開を義務付ける(3)違法派遣があった場合は迅速に処理する-などである。当然、早期成立が期待されたが国会の動きは鈍かった。

経済界の反発などから与党の腰が重かったことに加え、野党側の対案づくりが遅れたためだ。今週に入り民主、社民、国民新の野党三党は改正案を共同で今国会に提出することで合意した合意点は(1)契約期間六十日以内の日雇い派遣を原則禁止(2)製造業派遣および登録型派遣は一部の職種を除き原則禁止(3)違法行為があった場合は派遣先に雇用させるみなし雇用を創設-などである。
野党側の対案づくりは遅すぎたが、会期はまだ残っている。野党三党は近く改正案を提出する予定という。提出されたら与党は速やかに修正協議に入るべきだ。

高失業率と求人倍率の低下など雇用情勢の悪化はまだ続く。正社員にも雇用不安はあるが派遣や期間工など非正規労働者たちの方が深刻だ。簡単に解雇されるような雇用形態を放置していいのか。現在の労働法制と雇用政策を、労働者保護の原点に引き戻すことが今回の改正の本当の目的である。
一九八五年に制定された労働者派遣法は通訳などの専門職種に限定されていた。九九年に原則自由化、二〇〇四年からは製造業も解禁された。今回の改正は派遣労働者を擁護する第一歩だ。同時に企業が非正規雇用に頼りすぎた経営を是正するきっかけともなる。

「利休にたずねよ」山本兼一著

2009-07-10 22:59:08 | Book
「たかが茶ではないか。なぜだ?なぜ、そこまで一服の茶にこだわる」
古田織部は、そう首をかしげる。しかし、堺の魚問屋のせがれに生まれた商売人が、当時流行していた侘び茶を茶道という芸術の域まで高め、織田信長、豊臣秀吉の御茶道を務めて、まさに美の司祭者という絶対的な地位までのぼりつめた千利休は、秀吉の逆鱗にふれて切腹の命を受けねばならなかったのか、受け入れる決心をしたのか。「たかが茶ではないか」
私もそう考える。たかが茶頭への秀吉の激しい怒りと天下の殿様にそむいてまで貫きたかった利休の美学とこだわり。そして。罪状はあきらかに言いがかりであり、秀吉も謝罪さえすれば利休を赦す心つもりでいたにも関わらず、命をかけても守りたかったものは。それは、小さな緑釉の香合だった。掌にすっぽりおさまり、そのすがたは瀟洒でよく晴れた夏の朝、海辺で濃茶を練ったらこんな色にみえるような深みと鮮やかさがある。この緑釉の香合に秘められた利休の過去と想いとは。

あまりにも有名な利休と秀吉の関係を作品にして直木賞を受賞したのが、著者の山本兼一氏である。作家としてこれほど意欲がわく素材はないだろう。だが、同時に凡百の腕で書くにはあまりにも素材の奥が深い。物語は「死を賜る」という天正15年2月28日、利休が切腹をする朝からはじまる。緑釉の香合への利休の回想に謎を残しながら、切腹の前日の秀吉の胸中を語った「おごりをきわめ」、15日前の細川忠興の「知るも知らぬも」と過去にさかのぼりながら、それぞれの人物の視点を通した利休の人間像、そして茶道における美、美の概念にせまる。その美しさは、これまでの私の美の範疇をはるかにこえるひろがりがあり、まるで美学の講義を読んでいるような贅沢な気分である。利休は当時の言葉で言えば数寄者だが、今時の言葉でいえば重症のオタク患者。ガンプラやフィギュアに情熱を傾けて大枚はたくアキバ系オタクと大差ないかもしれない。オタクの世界を芸術の域まで昇格させた功績は大きい。現代の総理大臣も漫画好きなのだから、昔の市井のオタクと天下人の趣味が一致することも珍しくない。けれども、絶対君主として君臨する秀吉にしてみれば、天下の椅子が常に狙われている危うい状況にさらされているなかで、美の世界で唯一自分に傅かない利休の存在を許せなかったという理屈はよくわかる。欲望が着物を着たように品性に欠けていた男ではあったが、秀吉もまた美の追及への情熱は、たとえ相手が利休といえども劣っていなかった。

しかし、作者は大胆にも”侘び”や”寂び”の小宇宙を築いた利休に、実に艶めいたひとつの燃えるような恋の花を咲かせたのである。そして、その恋が利休を後戻りできない美の求道者にしたのだった。この着想のあざやかさは、最終章の青年時代の19歳の利休の起点が見事に切腹につながっている。私が利休だったら、やはりここで自害するのは男子の本懐として本望である。御意!実に納得のいく起承転結なのである。山本氏の筆は巧みで、くりかえし登場人物たちに秀吉と利休と美をいきいきと語らせながら、そのありかたがどれもさまざまで奥行きがある。ミステリーをかねたエンターティメント性、芸術性にここが大事なエロスまでかねそなえた極上の歴史小説である。

4畳半の茶室から3畳、そして最後は1畳半の狭い空間。ここは、緑釉の香合に通じる利休の時空をこえた宇宙だったのだ。

気がつけばいつしか自分も茶の世界のとりこに?
いやいやそれはちょっと危険かもしれない。
「なぜ、人は茶に夢中になる」と秀吉が尋ねれば、利休はこうこたえる。
「茶が人を殺すからでございましょう。茶の湯には、人を殺してもなお手にしたいほどの美しさ、麗しさがあります」

たかが・・・茶ではないか・・・。