千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「2007年 日本はこうなる」三菱UFJ&リサーチコンサルティング

2006-12-30 11:28:19 | Book
この1年をふりかえり、感慨にふけるまもなく年末だ。これでいいのか、自分。反省しなかったら猿と同じではないか。
そんなことがちらりと脳裏によぎるのだが、職場のチームを異動する打診が上司よりあり、また面倒なことにまきこまれる予感とともに気持ちははや2007年へ。
ブルーな年末最後をしめるにふさわしいブログは、希望をもちたい「2007年 日本はこうなる」。
来年はいったいどうなるのだろう、そう考える方へのこうなるんだけどというよきテキストとガイドブックが、三菱UFJリサーチ&コンサルティングより上梓された本著である。

経済の流れを読み解くための指標が20、更に新聞・雑誌の話題になる関心の高い単語の来年の動きを知るためのキーワードが80項目。
すべて見開き2ページ分のトピックス形式になっている。左のページの下半分には、見やすいチャートや図、統計データーがおさまっている。読みやすく、ポイントがわかりやすい。第1部の部分は、毎週月曜日の会議の資料を思い出して懐かしい。自分の興味のあるところだけ読むこともできるが、就職活動をむかえる大学3年生には、すべてに目を通すことをお薦めしたい。やはり小さなトピックスのすべてを拾うことによって、全体を俯瞰することがこの国の流れと運命をともにするイタイ喜びとともに社会人デビューする覚悟ができるだろう。それに多くのキーワードは、ビジネスマンとして知っておくべき一般常識でもあるので、ここをおさえておけばシューカツにも役にたつ。

同じく日本を代表するシンクタンクの野村総合研究所が「2010年の日本」において、数年先をマクロな視点で「雇用社会から企業社会」への”組織を活用していくという「人間主義」そのもののパラダイム”を提唱しているに比較して、「2007年 日本はこうなる」では、幅広い分野で今のリアルタイムでの日本をとらえている。情報提供とはいっても、NRIのように大上段にかまえて総力結集というのではないが、最後にさりげなくそえられた執筆者のコメントが、希望にむかうあるべき潮流の方向を見いだしているのが特徴だ。来年も、来年こそは良い年を迎えたい。
ちなみに巻頭言として、中谷巌氏は日本文化、「日本ブランド」への評価の高まりという現象をとらえ、これからの経営者はアメリカ流の経営ロジックやカリスマ性だけでなく、日本文化を自らの言葉で語れる教養豊かな存在であることを述べている。私は常々思うのだが、デキル人は多いが、教養のあるビジネスマンは少ないのではないだろうか。頭脳が優秀で仕事ができても、教養の深さに欠けているのは仕事で人生を消耗されているのか、そもそもこどもの頃から勉強ばかりしてきたのか。「美しい日本」をつくるのは、安倍首相ではなくひとりひとりの国民であることを忘れたくない。

*経済に関して展開されている議論の「見巧者」としてマニアックな本をご紹介されているブログ「日々一考」のecon-economeさまも、本書に執筆しております。
毎日のTOPIXの動きに目を光らせるのではなく、シンクタンクでのリサーチというお仕事からアカデミックよりの記事が多いです。

それでは、みなさま良いお年を。。。

『輝ける青春』 La Meglio Gioventu'

2006-12-26 21:59:20 | Movie
喜びがあれば悲しみもあり、笑いもあれば涙もある。そして時には怒りや憎しみもある。けれども、ただそこに在るだけで世界は美しい。

1960年代ローマ、イタリアの中産階級カラーティ家は今日もにぎやかである。小さな会社を経営する父の資金繰りをめぐる教師の母とのいさかいも、この家庭の活気すら与える。この夫婦から生まれたのが、2男2女。イタリア人は、生命力に溢れ子だくさんでもある。(以下、かなり内容にふれております。)
なかでも1歳違いの兄ニコラ(ルイジ・ロ・カーショ)と弟マッテオ(アレッシオ・ボーニ)は、それぞれ医学部と文学部に籍をおく共通する感性をもつ仲の良い兄弟だった。しかし無難に試験をきりぬけ優秀な成績を修める明るい性格の兄に比較して、文学好きで繊細だが気難しいマッテオは、口頭試問の最中に試験官の教授と対立する。そんなマッテオは、精神病院にボランティアに行き、そこで一人の患者と知り合う。その少女の名前は、ジョルジア。精神病院における彼女の不当な扱いに怒り、兄弟は真夜中にジョルジアを病院から連れ出し、3人で友人と待ち合わせた場所まで旅に出る。
検事になった姉のジョヴァンナに相談するも、誘拐という犯罪行為だと厳しく反対される。しかしジョルジアを彼女の父のもとに届け、家族の愛情で立ち直らせようという彼らの決意がひるむことはなかった。ようやく突き止めたジョルジアの父は、新しい家族との生活で精一杯で娘は邪魔な存在なだけだった。現実の壁にぶつかり悩んでいたところ、ジョルジアは警察に見つかり連行され、結局精神病院に戻ることになった。彼らの企ては、失敗したのだった。なすすべもなく、連れていかれるジョシアを見つめるだけのふたり。

そしてジョルジアの魂を救うことに必死になった行為の底に、口には出さなかったが、旅の途中ずっと美少女の彼女へのほのかな恋心をお互いに気がついていたニコラとマッテオ。この一夏の旅で、彼女のような患者を救うために精神科医の道に進むことを決意するニコラだった。そして駅で兄と別れ、父親が一番期待した頭脳をもちながらも大学も中退して警察官になっていくマッテオ。このイタリアの田舎の小さな駅で別れた兄弟は、この駅がふたりのその後の人生の分岐点になることをこの時は知らなかった。

精神科医として、着実に患者の人権を主張して医療現場をかえることに奔走していくニコラ。精神の自殺のように体制の組織に組み込まれることを望んで警察官になりながらも、社会の闇を知れば知るほど現実とおりあうことができずに、奔流のような感情をおさえていくことができないマッテオ。このふたりの対比が鮮やかに印象に残るのが、兄とその親友たちに娼婦を紹介するマッテオの醒めた表情と、娼婦とベッドに入り行為を躊躇する兄の恥らう表情だ。彼らを心配しながらも見守る母や検事として公害を垂れ流す企業やマフィアと戦う姉、イタリア銀行で活躍するニコラの親友と結婚し家庭を守る妹に、その家庭を捨ててまで「赤い旅団」のテロ活動にのめりこんでいくニコラの妻。女性の立場で登場人物たちを観ていくと、それぞれ全く別のタイプの女性像でありながら、そのすべての人物に小さな自分の分身すら見つける。国籍や人種は異なれど彼女たちに感じる胸のしめつけられるような共感性が、欧州でこの映画が絶賛された理由なのだろう。
366分という長い上映時間が話題になった「輝ける青春」であるが、66年代から現代までおよそ40年に渡るイタリアのひとつの家族の物語をおった一大叙事詩は、時間の長さを忘れてしまうくらいだ。最近の二時間程度に起承転結がはっきりして要領よくまとまったセンスの良い、まるで職人技のような映画を見慣れていると、このスケールのおおらかな物語は往年のイタリアらしい名作映画を彷彿させる。ローマ、ボローニャ、ミラノ、シチリア島、映画の舞台はどこも絵になる。

さらに兄と弟のふたりの主人公を主軸にして、その時代のイタリアの重要な事件や文化が彼らの人生にも影響を与えている。
フィレンツェの大洪水、学生運動と赤い旅団、シチリアのマフィア、フィアット社の大量レイオフ・・・。光もあれば、影も濃いのがイタリアか。1950年ミラノ生まれ、若い頃政治活動に傾倒していたマルコ・トゥリオ・ジョルダーノ監督の本作品も、政治的思想が色濃く反映された映画である。ニコラの大学時代の試験の時、老教授がいみじくも「この国は、美しいが無益だ。いつか滅びればよい。」と感慨深くと語る場面がある。「輝ける青春」とは、そんな退廃美に染まる夕暮れのイタリアという国への、ジョルダーノ監督の限りない慈しみに満ちた映画でもある。これはイタリア人によるイタリア人のためのイタリア讃歌と言ってもよい。このような映画は、アメリカでは撮ることができない。
今度は、声を大にして伝えたい。「イタリア映画万歳」。年末最後をしめるのにふさわしい映画だった。
尚 「La Meglio Gioventu -- 輝ける青春」とは、映画監督にして詩人であり、1975年に謎の死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニの詩のタイトルでもある。


■これまでのジョルダーノ監督の名作

「ベッピーノの百歩」
「夜よ、こんにちは」
「13歳の夏に僕は生まれた」

「戦争広告代理店」高木徹著

2006-12-23 22:46:35 | Book
いつも情報のはやいペトロニウスさまの「物語三昧」で、レオナルド・ディカプリオ主演の米映画「ブラッド・ダイヤモンド」(原題)が公開されたという記事が載っている。映画のテーマーは、アフリカ問題の火種である「紛争ダイヤ」とのこと。世界中で、紛争の種は尽きない。そんな状況では、1992年から20世紀が終わる頃まで、旧ソ連邦から独立したボスニア・ヘルツェゴビナ共和国で勃発した紛争が、もはや遠い過去の出来事にすら感じる。けれども、あれほどマスコミをはじめ、人々の耳目を集めた旧ユーゴ紛争の”サラエボ”の勝敗を左右したのが、米国PR会社のひとりの社員の情報操作の力量だったとしたら。本書は、豊富な資料と詳細なデーターを基に、2000年放送NHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~」を製作したNHKディレクターによる文書化である。ここにあるのは、「情報」という武器を使って戦争の行方さえも決定していく驚くべき国際政治の現実である。

92年4月、ボスニア・ヘルツェゴビナ外務大臣のハリス・シライッジは、たったひとりケネディ空港にやってきた。人口300百万人あまりの小国の未来を背負って、彼は祖国のセリビア人からの攻撃から守るための支援をえるために、国連に向かったのだった。しかし国連本部の高級官僚たちの中では祖国存亡の危機も、次々と起こる問題の処理に忙しい国際政治の奔流のなかでは、「ヨーロッパの裏庭」で起こった仔細な出来事に過ぎなかったことを思い知る。確かにサラエボでは、5万人のボスニア人が殺された。然し、スーダンでは50万人が死んでいき、300万人が難民になっているのが世界の紛争だ。マスコミにとっても、政治家にとっても、この時点ではサラエボはさして魅力的な紛争ではなかった。失望のうちに、米国のベーカー国務長官から西側の主要なメディアにかけあって欧米の世論を見方につけることが重要だとアドバイスを受ける。シライッジの頭に浮かんだのが、ボスニアの古い諺「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」。そして彼が次に向かったのが、大手PR(Public Relations)企業のルーダ・フィン社だった。そこで出会ったのが優秀なPRマン、ジム・ハーフ。日本ではあまりなじみのないPR企業のビジネスとは、さまざまな手段を用いて人々に訴え、顧客を支持する世論を作り上げることだ。

彼らのビジネスは、実に巧みだった。アラン・ドランのような彫りの深い顔のシライッジ外相のオーラを利用し、次々とメディアに露出するセッティングをする。シライッジは、ハーフの”演技”指導を受けて、いかにも祖国を愁うる悲劇の大臣として登場する。幸いなことに西側メディアに訴えるための英語力は、備わっていた。さらに短い間にいかにテレビに効果的に表現するか、声の調子を変え、話すスピードの変化などを身につけ、容姿の魅力からも女性受けもよくやがてマスコミの寵児となっていく。公の立場に立つ者が、カメラの前でどのように話すべきかを学ぶのは、当然なことである。そこに多少の演技が入るのも自然なこと、というのが優秀なPRマンであるハーフの考え方である。

実際のボスニア紛争は、複雑だった。セルビア人だけが悪いのではなく、それに対抗して攻撃し、被害を演出しているクロアチア人にも同じように罪がある。しかしPR会社にとっては、顧客の立場にたち、有利な事実だけを、つまりあくまでも嘘をつかずに事実をうまく選択して、いかにも無辜な市民が血を流し命を失っているかのように情報を流すのが仕事である。そして「ボスニア通信」と名づけて、セルビア人=悪玉からクロアチア人が受けるサラエボの”悲劇”として、次々と事件をマスコミに発信していく。なかでも「タイム」誌の表紙を飾った収容所の鉄条網ごしのやせたムスリム人の男性の写真は、センセーショナルな話題を呼んだ。しかし、この鉄条網はカメラマンの背後にある変電所に附帯する装置であることが後にわかった。
またハーフたちは、「民族浄化」(ethnic cleansing)という抽象的な言葉を使い、世界中にネットワークをもつユダヤ人の支持もとりつけるようになる。これはまさにキャッチコピーの勝利だった。本書では、この言葉が欧米人の言語感覚をくすぐり、どのように国レベルまで広まっていったかを詳細に記されている。哀れなのは、急遽対策案としてセルビア共和国のミロシェビッチ大統領から任命されてユーゴスラビア連邦の首相に就任した切り札、米国籍のミラン・パニッチだった。彼はPR対策の遅れを懸命に挽回すべく奔走するも、もはや完全に手遅れ。92年9月、前代未聞の国連からの退場という屈辱も味わう。

ハーフたちは顧客のためなら、人は良いけれど邪魔な国連の将軍も追い落とす。大統領も動かし、美味しいソースに飛びつくメディアも徹底的に利用する。
 「どんな人間であっても、その人の評判を落とすことは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばいいのです。たとえ事実でなくても、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね」ハーフは、自信もってそう応える。なにしろこの「ボスニア紛争」で、彼らは全米6000社あるPR会社の中で、全米PR協会の最優秀賞を獲得するという栄誉に輝いたのだ。
この勲章こそが、後のルーダ・フィン社とハーフにとっても格好のPRになっている。

本書の特徴としてルポ・ライターでなく、著者自身もNHKディレクターという身分から、こうした情報操作を主観をまじえずあくまでも事実を積み重ねているところにある。しかしながら、PR戦略の是非を問うのではなく、世界の情報戦争の現実を見据え、我が国としても無知なこどもではいられないことを訴えている。日本の外交当局のPRセンスのレベルはきわめて低い。アメリカの高級官僚のように雇用環境を柔軟にし、民間と公のシフトを簡単にするような懐の深さが、国際政治におけるPR戦略を立案遂行するには必要不可欠だ。日本のように大学卒業をしてそのまま外務省に入り、一生その中で生きていく外交官ばかりでは、永遠に日本の国際政治が高まらない。もしかしたらいつまでたっても解決しない北朝鮮拉致問題も、こうしたハーフたちに依頼すべきなのかもしれないと思えてくる。
またメディアに映る像と、実際の素顔との乖離が見えるところも本書のおもしろさである。悲劇の外相という役回りのシライッジだったが、前身が歴史学の教授という教養の深さにも関わらず、病的なほど女好き。ボスニア側のイザトベゴビッチ大統領は吝嗇家でPR会社への正当なるしかも仕事のわりには安い報酬を値切った。この辺の人物描写は、思わず失笑してしまった。
それはともかく、世界の動きを知るうえでも「戦争広告代理店」は読むべき本であろう。

今、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボは、世界各国から人が集まり、華やかに美しく装った街になっているという。そのきらめきは、この国が情報戦争に勝利した果実である。その一方、そこからわずか200㌔離れたセルビア共和国の首都ベオグラードでは、内務省や放送局などの重要な施設がNATO空爆を受けた崩壊した瓦礫のまま放置されている。建物、店、すべてがすすけてこの街を覆う空気の色は、「灰色」だ。

「第九」の仕掛け人

2006-12-21 23:23:37 | Classic
さすがに年末。ブログの更新が滞りがちなのは、弊ブログだけではないようだ。
気がつけば、クリスマスの準備(省略しようかな)、年賀葉書の用意すらできずにはや21日。毎年生活を楽しむゆとりもなく迎える年の瀬。嗚呼、せちがらい。
そうは言っても、何故か年末になると車の中で聴きたくなる曲もあの「第九」。先日の映画『敬愛なるベートーヴェン』でも「第九」初演シーンは、話題を呼んでいたのだが、いったいいつから日本人は大晦日になるとこの長い曲を聴くようになったのだろう。
今日の「日経新聞」に、音楽評論家で元N響番組を担当されていた増井敬二さんのお話が載っていた。

国内での「第九」の初演は、今夏評判のよかった映画『バルトの楽園』にあるように、1918年徳島県鳴門市の俘虜収容所においてドイツ軍俘虜による演奏会というのが定説だが、増井氏らしいこだわりによると女声なしでは完全とはいえないということで、24年の東京音楽学校の完全演奏を初演としている。
その後、NHK音楽部洋楽担当だった三宅善三氏が36年ドイツ留学した時に、当時ライプチヒのゲヴァントハウス管弦楽団が大晦日の深夜「第九」を演奏していることを知り、帰国後にこの慣習を輸入したそうだ。
それから三宅氏は、戦争中電波管制で正月あけになった時を除き、毎年大晦日にN響の生演奏を放送し、やがて録音録画で対応するようになると演奏会も開かれるよになった。次々と誕生したオーケストラがこれに追随し、やがて年末は全国津々浦々に「第九」が波及するようになった。
三宅氏は惜しくも50歳の若さで病に倒れたが、三宅氏と音楽上の激論を闘わした当時新人だった増井氏が大きな番組を任せられるようになった。そんな増井氏が印象に残る「第九」演奏は、43年11月28日の特別放送。12月1日に学徒出陣を控えた学生への放送だった。
今では、世界の頂点にたつ指揮者とオーケストラによる最高の演奏を、そして実力も備えてきた日本のオケによる生演奏と、音楽シーンは確実に豊かになった。出陣を控えた学生が聴いた「第九」は、どのように彼らの胸に響いたのだろうか。想像するだけでも、あの有名な合唱のあつみのある声が聴こえてくるようだ。

頑固で熱血漢だったという大晦日「第九」も仕掛け人、三宅氏とともに歴史を残すために、近く増井氏の著書「第九-歓喜のカンタービレ」が刊行される。

『敬愛なるベートーヴェン』

2006-12-20 23:08:24 | Movie
今年も師走がやってきた。
年初はモーツァルトイヤーで幕をあけた2006年だったが、終盤にかけて巷ではベートヴェン人気にわいているそうだ。特にベートベンが作曲した交響曲弟7番が着メロダウンロード曲として急上昇中。おそるべしのだめ効果と言いたいところだが、我が国では恒例の第九番演奏会もあいまって、やはりベートベンの”本格”に弱いのではないかとの観測もある。今ではすっかりドイツ音楽の本格派、本格カレーのルーのように人気の高いベートーヴェン。けれども彼が生涯独身だったことや晩年耳が聴こえなくなったことは有名だが、モーツァルトが当時としてはポップスターのような存在だとしたら、ベートーヴェンは非常識で自己中心的な天才ロックスターだったのではないだろうか。

その音楽だけでなく愛すべきキャラクターとともに、映画監督の興味と関心をひきつけるベートーベンのゲイリー・オールドマン主演の米映画「不滅の恋 ベートーヴェン」から12年、名作「太陽と月に背いて」を撮ったポーランド出身、アニエスカ・ホランドによる映画「敬愛なるベートーヴェン」がやってきた。

1824年。難聴がすすんでいるベートヴェン(エド・ハリス)は、しかし創作意欲の方は全く衰えない。
今日もまるで元祖「のだめの部屋」を彷彿させるゴミ箱のような部屋で、ひとり作曲活動に邁進している。恋多き彼は、天真爛漫な熱中派であるがままにこれまで何度も求愛してきたが、その恋が成就することなくいまだに独身だ。ま、天才にありがちな変人でもあるのだが。シラーの詩に感激した単純な彼は、奇想天外な合唱付きというおまけのついた第9番交響曲の初演を控え、まさに作曲している最中だ。そこへ写譜師として派遣されてやってきたのが、作曲家志望のうら若き23歳の女性だった。彼女の名は、アンナ(ダイアン・クルーガー)。野心満々で将来有望な彼女は、”野獣”と言われたベートヴェンの写譜をしながら、作曲家としてのデビューをめざしていた。
女性がきたということに激怒したベートーヴェンだったが、彼女の生意気で気が強いがコピストとしての高い能力を認め、やがて右腕として重用していく。
おまけに美人だし・・・。彼は現代だったらセクハラとして億単位の賠償金をふっかけられるような行為も意に介さず、同じ職場で濃い時間を過ごすうちに、アンナとの間に職場の上司と部下以上の感情がわいてくるのだったが。。。

「永遠の恋人」が、ベートヴェンの生涯にミステリーをかけて描いたとしたら、ホランドの「敬愛なるベートーヴェン」は、彼の晩年を描いている。
前評判の高かった「第九」の初演を中盤においた構成が、この監督らしいこだわりのようだ。また初演で指揮をした時に、難聴のため拍手が聴こえなかったエピソード、溺愛した甥が放蕩だったこと、伝記エピソードをおりこみ、ブタペストで再現されたベートーヴェンの部屋など、一定のファンは観るだけ、聴くだけで楽しめる映画なのだが、上昇志向の強いアンナが典型的なアメリカ女性に見えてくるのが惜しい。老人となったベートーヴェンを説教し、アドバイスするアンナは物語として重要な役なのだが、その素適な衣装以上の魅力を感じられなかったのが残念だ。10ヶ月もかけて資料を研究し体重も増加させてエド・ハリスの役者根性は評価したいのだが、キャスティングが重要と説く監督の最大の成果は、気が弱く自堕落な甥カールを演じた俳優だ。彼はまるで泰西名画からぬけでたような退廃した王子の風貌である。カール役にぴったり、ルキノ・ヴィスコンティ好みの綺麗系というのは、思わぬ収穫というもの。

トヨタ自動車副会長の張冨士夫氏は、少年時代からの年季の入ったクラシックファン。なかでも好きなのが、ベートーヴェン。
作曲家の生家だったボンにある博物館には3回も通ったそうだから、本物のファンであろう。トヨタ自動車の社長時代に、その博物館の地下に保管されている自筆の楽譜を見る機会があったそうだ。その場では写真撮影を断られてしまったのだが、その場にいた知人が後日その楽譜のコピーをまとめた本を送ってくれた。
張氏は、ベートーヴェンは初期の頃より晩年の作品の方がお気に入りだそうで、人生最期に聴く曲は晩年の弦楽四重奏と決めている。
「人間はある年齢で頂点に達すると衰えはじめるのだが、ベートーヴェンは”ピークアウト”しない。私もそんな人生に挑戦したい。」
そう語る張氏の大切な宝物がその自筆楽譜のコピー、晩年のピアノソナタ『ヴァルトシュタイン』その一部が写真に掲載されていたのだが、筆に勢いがあり実に若々しい。
本作品ではなにかと下品な行動が強調されているのだが、ベートーヴェンは本当は純粋なロマンチストで常に挑戦し続けた”野獣”であることを受け取っていただきたいと願っている。
ついでながら、「第九」の素晴らしさを再発見した映画でもあった。

『だた、君を愛してる』

2006-12-18 23:01:57 | Movie
この世に完璧な人間など存在しない。誰もが多少なりとも不具合や単なる美意識からの主観的な欠点を抱え、コンプレックスをもちながら生きているのではないだろか。ここに一人の男と女がいる。
男は、健康上の理由からコンプレックスを抱えて大学の入学式すらも出席する勇気がない。女は、同じく健康上の、しかしもっと深刻な問題を抱えていたのだが、そんな内気な男、誠人(玉木宏)に大学の入学式の日に初めて会った瞬間に恋をしてしまった。しかも最初で最後の激しい恋に。静流(宮崎あおい)にとっては、その恋は劇薬だった。彼女は、そのたったひとつの恋のために、女性として最高の恋を生きるために幸福に包まれて劇薬を飲んだのだった。

今年度は、久しぶりに邦画の興業収入が21年ぶりに洋画を追いこすとの観測だ。邦画復権の兆しを見たいと思い、上海行きの機上で鑑賞した映画が『ただ、君を愛してる』だった。
中井美穂さんの批評に、「展開をよめるけれどやっぱり最後に泣いてしまった」というなんともうすいコメントがあったのだが、泣けるか泣けないかが映画の興業成績に結びつくのだろうか、はたまた”せつない”というキーワードで集客力をあげることができるのだろうか。そんな紋切り型の批評やら感想、試写会でのコメントがりっぱに宣伝活動になることそのものに、これまでの日本映画の様相を想像させられる。

「ただ、君を愛してる」は、青春恋愛映画の王道だ。繊細でひとの良い主人公、誠人、そんな彼に恋する一途だがなにやら秘密を抱える幼い風貌の静流、そんなふたりを見守りつつ微妙な三角関係の頂点にたつのが、誠人の憧れの女性、美人で性格も良くグループのマドンナ的存在のみゆき(黒木メイサ)。彼ら3人という恋愛映画のパターンに、大学生活を謳歌する仲間達との友情という構成は延々と繰り返される大学キャンパスライフの構図である。馬鹿騒ぎ、授業風景、そして卒業という別れ。それぞれの道を歩いていくのだが、事情があって卒業後忽然と姿を消した静流から届いたNYからの手紙を握り、カメラマンになった誠人は彼女を訪ねて渡米する。そこで待っていたのが、静流ではなくみゆきだった。
玉木宏、宮崎あおいと、まさに旬の輝きをもつふたりの役者の要となるこのみゆきの存在が、映画の中で独特の奥行きを与えている。
誠人が最初自分に恋をしていることを知りつつも、今では本当に愛しているのは静流だった。恋をされたのに、最後に愛されたのは自分の友人だったということを理解し、誠人の気がつかないうちに静流と女同士の固い友情をはぐくんでいた。
ふたりの女性は、どちらも恋は実らなかった。あるいはそれぞれの思いは届けられ、一人の男性への共有する思いこそがふたりを卒業後も結びつける絆にさえなった。この友情は、尊く哀しい。

「ただ、君を愛してる」
これ以上の言葉も、これ以外の言葉もない。
一遍の瑞々しい恋愛映画として、端整な哀しみをたたえた丁寧な映画つくりに好感をもった。コンプレックスさえももつことが叶わなかった静流の生き方は、静かな感動をよぶ。

上海雑感③

2006-12-16 23:26:34 | Nonsense
9月23日、その日の夜上海体育場は、5万人を超す人々が集い「上海国際陸上黄金大会」が催された。ゲストには、Gackt氏製作映画「MOON CHILD」で共演した王力宏(ワンリーホン)らも出演しておおいに盛り上がったそうだ。ライブ中継された会場の貴賓席でその様子をご満悦で眺めていたのは、共産党上海委員会の陣良宇書記ら市政府のお偉方である。しかし彼らの絶頂は、その日が最後だった。翌朝、陣は上海市の社会保険基金を私営企業化に不正融資した容疑で武装警察に拘束され、北京まで連行されたのだ。党政治局は、速攻で書記解任、党政治局委員、中央委員の職務停止を決議、前総書記江沢民が率いる党内派閥、上海派を潰した解任劇の鮮やかな手際のよさは、胡錦濤主席の周到に用意された準備を想像させられる。

彼は社会保険基金の不正融資をしていたにも関わらず、社会保障フォーラムでは「社会保障は貧富の格差の是正に貢献しなければならない」と演説もしていた。しかし最大の過ちは、中国最大の経済都市上海を手中におさめている傲慢さから、現政権への恭順を失い、タテついたところにこの国の権力闘争の凄まじさを感じる。彼は約38億円の資産をもち、愛人や美人モデルをも蓄財していたのだ。けれども、陳良宇は「水の落ちたイヌはたたけ」という格言の単なる生贄に過ぎないというのが、雑誌「選択」の記者の見方である。本命は、江沢民にそっくりの五十四歳になる長男、社会保険基金の流出先である江綿恒にある。この人物はハイテク企業の経営者でありながら、中国有人宇宙プロジェクトの副総裁も務める多才な人物でもある。この一卵双生児のような息子を将来党中央委員の指導者にすることが、江沢民の悲願である。親ばかな父親の感情を利用し、息子の逮捕を見送るかわりに政治介入を封印したのが、今回の上海疑獄のもうひとつの真相である。

噂に聞いてはいたが、上海は建築ラッシュにわいていた。かって農地だったという浦東新区には、グランドハイアットなどのホテルや建築中の上海ヒルズなどに代表される高層オフィスビル、億ションが次々と建設されている。熱気を帯びた開発は、市有地の払いさげを通じ不動産業者と市幹部の特殊利益共同体が形成されている。勿論、満足な補償金も払われずに住民は、追い立てられている。国有企業の党幹部は、改革の旗印に格安で自社株を購入して、一夜にして企業のオーナー。これまで国営企業で働いてきた労働者は、レイオフされている。農村では耕すよりは、開発業者に売却した方がGDPに貢献して自分の評価が高まるとばかりに「失地農民」を生産している。中国における経済の自由化は、かくして貧しい者から搾取することによって特権階級へ更なる果実をもたらした。しかしこうした目にあまる特権集団による横行を黙って見過ごすほど大衆は馬鹿ではない。彼らの当然とも思える怨嗟をおびた不満は、もはや爆発寸前であるところにこの上海疑獄の逮捕劇の見せしめである。
この解任劇後、中国共産党は地域や所得の格差を緩和して、資源と環境のバランスも考慮した「和諧(調和)社会」の建設を、第16期中央委員会で今後の発展戦略とすることを決議した。

先日、身内の大学院生の研究室に、精華大学の学生が研究設備などの見学のために、わざわざ来日してきたという話を聞いた。寄書きに書かれた英文の感謝のメッセージを読んで、やっぱり真面目だなという印象をもった。彼、彼女達は、兎に角人間として”いい人”たちだったそうだ。おそらく中国のエリート階級の両親から、同じくエリートになるべく大事に育てられ、その期待に叶うべく優秀な頭脳をもった一人っ子ばかりなのだろう。ひるがえって上海旅行で見かけた精華大学の学生と同じぐらいの年齢のひとりの少年(もしくは青年)を思い出した。市内の繁華街にある公園で、その彼は冬空の下で上半身裸で座っていた。上海の冬は、東京と同じくらい寒い。何故、彼は服を着ないのだろうか。彼は、両腕が無かったのだ。事故なのか、生まれつきなのか、彼は自分の腕がないことをアピールするために、首からがま口型のバッグを下げて上半身裸で座っていたのだ。
「コンニチハ」
そう声をかける彼の笑顔は、素晴らしく屈託のない。まず最初に彼の笑顔に視線がいき、腕がないことに気がつかなかったぐらいだ。彼の両親は、彼のようなこどもを産んだことで苦労もあったかもしれないが、ある意味ではラッキーだったかもしれない。彼は、孝行息子だ。何しろ彼の笑顔と体は、お金を運んでくれるだろう。彼が、若くて清潔感のある年齢までは。
日本だったら、たとえいかなる障碍があっても人間としての尊厳を失わず社会の一員として生きることが当然であり、また経済的な支援をするシステムも整っている。中国では、社会のセーフティ・ネットはたいして役にたっていないのだろう。

「公平と社会正義への実現」「階層間の和諧」
共産党大会でくりかえされたキーワードは、まことに皮肉である。階層という富める者と貧しい者の対立をなくし、「階級」そのものをなくすための共産主義ではなかったのか、意味のない寄付は決してしない自分が彼に”恵んだ”5元の金額と行為をいまだに深く悩みながら、そんなことを考えた。

■中国関連アーカイブ
中国流ODAのゆくえ
VW車の中国における事情
二つの戸籍をもつ中国
知られざる中国「精華大学」の実力
     

上海雑感②

2006-12-14 21:36:23 | Nonsense
或る時、作家の宮本輝氏の小説に熱中した時期があった。その時に彼の小説は殆ど読破したのだが、エッセイも珠玉のように素適で、1字1字いとおしむように文字をたどった記憶がある。その中でタイトルは忘れたのだが、中国の取材旅行の時にガイトの方にすすめられて雑技団を観た感想があった。最初はサーカスのようなものだと思いあまり気乗りしなかったそうだが、その人間の能力の限界をこえたような芸の数々に圧倒されたという文章にひかれるものがあった。
作家だから文章が上手いというのではなく、宮本氏らしい視点に共感したのかもしれない。いつか雑技団を観たい。それは肉体で表現する芸術性というよりも、人間の肉体の極致のようなものを見てみたいという即物的な好奇心からだ。我ながら奇妙な動機だと思うのだが。

上海雑技団の団員数は、約200。海外公演も行うというショーの水準は、中国一との定評がある。そんなわけで、夜7時半開演の上海雑技団を見学に行く。
私が行った会場は、1990年に開設されたシャンデリアがきらめく近代的で巨大な外資系施設、上海商城劇院の一角にある。おりしも12月26日にラン・ランのピアノ・リサイタルが催される音楽ホールと同居している。複合施設の周囲には、よく撮れている何枚ものラン・ランの写真が旗のようにめぐらされていた。マキシム・ド・パリも入っていて、華やかさが一段と増す。
チケット代は4000円程度だが、そこそこの席。ホール自体は、991席とこじんまりとしていて舞台との一体感がある。
真紅のドレスを着た美形の女性のアナウンスとともに、にぎやかでポップな音楽とともに小学生ぐらいのこどもたちも交じって、何人かの男女がバク転を披露する。空中で回転する位置の高さと、回転のきれに感心する。写真←にあるのは、日本でもおなじみの皿まわし。皿まわし自体は、それほど珍しいものでもないのだが、お皿を回しながら次々と組体操のように美しい形をつくっていく。女性の体の美しさで表現していくパフォーマンスは、彼女たちの体のしなやかさとやわらかさを極限まで披露する。クラシック・バレエも体のやわらかさが必要だが、それはあくまでも表現上での条件であって、それを披露するものではない。しかし雑技団は、流れるような音楽とともに観客の気持ちに最終的に訴えるのは、予想をこえる体の柔軟さにつきる。確かに、綺麗ではある。しかし、リピーターや評判をよぶのは、やはり表現の美しさというよりも肉体の限界であろう。だから、雑技団というのか。比較して男性は、男らしく危ないアクロバティックな大技で勝負する。

その主旨がよくわかるのが、最後に披露されたバイクによるショーだ。このバイク・ショーは雑技団最大の売り物である。まさに人間の能力と運動神経の限界へのチャレンジともいえる。これから観る方もいらっしゃるだろうから、詳細はふせておきたい。雑技団は予備知識なく観たほうが、断然おもしろい。それほど”まだいくのか”と驚きの連続である。このバイク・ショーは昨年よりも、さらにパワーアップしたそうだが、気の弱い私なんぞ夜うなされるのではないかと本気で心配したくらいだ。上海に行かれたら、是非雑技団だけは観ておいた方がよい。

楽しく興奮する世界の上海雑技団。しかし、そればかりでもないのが、今回の旅行の重い土産。
真っ白な椅子を積み重ねて、きらきら光るぴったりした白いコスチュームを着た団員が、その椅子の上で妙技をひろげる。やがて同じ形の椅子が棒で支えて運ばれてくる。錘を椅子の中央におき、命綱をつけるとここからが本番だと気がつく。一脚、また一脚。どんどん重ねられる椅子の上でさかだちをしていると、まるで脚が天上に届きそうである。逆立ちをした状態で小さな手足をのばして、輪をひっかけてくるくる回す。そう、このけなげな団員は、小学1年生ぐらいの可愛い男の子である。運ばれた椅子を丁寧に重ねる時の慎重な様子、逆立ちをするタイミングでの緊張感、それは眺めている観客である私にも伝わってきた。幼い少年とはいえ、決して華奢ではない。バランスよいが、その年齢ですでに充分鍛えられているのが、タイツの上からもうかがえる肉付きである。小さな男の子が一生懸命みせる技に会場はあたたかい拍手と微笑みをおくる。でも、終演は夜の9時である。もう少し年長の少年と長い棒をつかった離れ技もみせたのだが、こどもがこんな時間帯まで働くことに単純に楽しめない感情もわいてくる。
以前、楽器商の方からイタリアに楽器の買い付けに行く時はこどものスリに用心するという話を伺い、こどものスリに非常に驚いたのだが、彼らにとってはスリは仕事であるという解説に違和感なく納得もした。しかしあわよくば、というスリとは事情が異なる。雑技団のお仕事は、命綱をつけてはいるが一歩間違えれば大怪我をする危険な仕事である。スポーツの体操競技の危険性とはまた次元が違うでのではないか。
ショーマンシップをみせる男児が可愛らしいだけに、複雑な気持ちをかかえたけれども、それが彼の仕事と思えばなんとか納得もするだろう。この時は、翌日もっと衝撃を受ける光景を目にするとは、想像もできなかったのだが。(続く)

上海雑談①

2006-12-13 20:50:33 | Nonsense
着陸する前に、機上から眺めた上海浦東空港はとてつもなく大きかった。近代化と国威を示すかのような設備ではあるのだが、欧州の空港や成田空港に見られる明るさには乏しい。せっかくの連続休暇を利用して、あえて欧州ではなく渡航先を中国に選んだからにはそれなりのテーマーをもって行きたい。以前から興味をもっていた中国経済を肌で感じてこよう、そんな安易な意気込みも異国に足を踏み入れた途端消滅してしまった。

空港ロビーからバスで四川料理のレストランに直行。古城公園の近くで停車したバスに4人ほどの女性が紙コップをもって群がってくる。最初の視界に入った垢に汚れた老婆の女性から、物乞いだとは私でもすぐわかった。日本でも上野あたりに行けば、女性を含めたホームレスの姿は、森の風景にとけこんでしまった感すらある。通勤途中に利用している駅の構内でも、時々見かけることもある。だから汚らしい身なりは、珍しい姿でもない。でもホームレスと物乞いは、一見同じようでいて実は違うのではないだろうか。物乞い、今では使われない言葉の「乞食」は、それすらもひとつの生業と言えなくはないだろうか。
彼女たちは、片手に紙コップをもってゆすりながらコインの音をたてて観光客や通行人にアピールしている。言葉なんかいらない。けれども、驚いたのは30代半ばと思われる身なりは貧しいがそれほど汚れていない太った女性が、1~2歳ぐらいの男の子を抱いて我々に声をかけてきたことだ。雨は降っていなかったが、上海の冬も寒い。わずかな小銭、はした金を他人からひきだすために、幼いこどもを連れまわすという理解しにくい彼女の行動、もしくは事情。衝撃を受けた。日本だったら、小さなこどもをシングルで育てる女性には公的支援や生活保護もある。ホームレスになることもなく、あたたかい布団に寝かせて幼いこどもをなんとか食べさせていける。幸いその男児は健康そうだったのだが、私は抱いていた子供が本当にその女性の実子なのかと疑っている。
今回のツアーで同行したそろそろ孫が欲しい年齢の女性たちをねらって、人になにかを施すことで優越感をえたがるニッポンの婦人層の憐憫を、お金にかえるための道具としてレンタルしてきたこどもではないだろうか。そんな発想すらする自分を、恐ろしくも感じる。

でもそんな疑問がもしかしたら的外れではなかったのではないかと思われたのが、帰国する前日、食事の帰りに夜10時過ぎに乗車した地下鉄内での出来事だった。
閉まる寸前の扉から駆け込んで電車内に乗ってきた20歳そこそこと思われる女の子が、やはり同じように男児を抱いていた。こんな時間に、幼いこどもを抱いて電車に乗るだろうか。まず日本では、考えられない。もしこどもを抱いていたとしても、大きな荷物をもって帰省や行楽帰り、あるいはなにかの用事が想像できるが、その女性というよりも女の子は、手ぶらでまだ赤ちゃんとも言える幼児を抱いていた。そして、やはり予想どおり乗客の前に紙コップをもって物乞いを始めた。中国の地下鉄の初乗り料金は、3元(現在48円程度)。タッチパネル式の自動切符売り場から購入したハイテクの切符をポケットに忍ばせて、こうして深夜まで彼女の稼業が続くのだろう。ぐずらずに好奇心一杯につぶらな瞳を光らせている幼児の表情が忘れられない。
もっと嫌な光景は、髪の長いジーンズの上下を着た小学3年生ぐらいの女の子がひとりで乗っていて気になっていたのだが、彼女達が別の車両に去った後に目をつけた乗客の前に行き、ひざまづいてお金をせびりはじめたのだ。刺繍をほどこしたおしゃれなジーンズを着た女の子は、慣れたしぐさでカップルの前にやってきて何か哀願している。その表情から必死さは伺えないが、なにかお願いをしているのは感じとれる。相手にしないカップルの間をわって、すぐに次のターゲットを求めて移動していった。
こどもの人権というのが、この国にはないのだろうか。街の喧騒、順番を守らず人を押しのけて我先に乗車する人々、信号を守らない自動車優先社会、遠目でもひと目で偽物とわかるお財布や小物入れを見せて”ヴィトン”と連呼して寄ってくる得体の知れない人々、こんな光景を発展途上の国と嘲笑し嫌悪するのは簡単だ。

けれども森ビルと上海環球金融中心有限公司が建築中の101階建超高層複合ビル「上海ヒルズ」に代表される近代的な超高層のビル群、億ションが立ち並ぶ風景とあまりにもかけ離れたこどもたちの姿は、国威掲揚に励む中国の裏の顔を見た気がする。(続く)

Gackt流「怪しく美しく」

2006-12-08 23:33:37 | Gackt
歌手、Gackt(年齢非公表)の連ドラデビューとなる来年1月7日スタートのNHK大河ドラマ「風林火山」(日曜後8・0)の扮装姿が11月30日、公開された=写真。

背中にたれた長い髪、白い肌。戦国武将、上杉謙信もGacktにかかればこの通り。妖しく美しい謙信が誕生した。

「乱世を鎮めたいという願いをかなえるため、自分を律し、欲を犠牲にしたところにひかれる」と謙信の魅力をあげたGackt。「謙信は狂気をともなうカリスマ。圧倒的な美しさと狂気を、画面上でどう伝えるか、どう表現するか考えることが1番楽しい」と話していた。異色の謙信に、中高年の時代劇ファンは異論を唱えるかも。本人は「ぼくだからできる謙信を楽しみにして欲しい」とGackt流を貫くつもりだ。(06/12/1サンスポ)

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blue様情報より。
最初はGacktが上杉謙信?とイメージがわかなかったが、いつでも自分流を貫くこの姿。文句を言わないでね、中高年の方達。

ところで、明日より上海に行きます。中国経済を肌で感じてきます。コメントやTBは帰国後に。