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いつも情報のはやいペトロニウスさまの
「物語三昧」で、レオナルド・ディカプリオ主演の米映画「ブラッド・ダイヤモンド」(原題)が公開されたという記事が載っている。映画のテーマーは、アフリカ問題の火種である「紛争ダイヤ」とのこと。世界中で、紛争の種は尽きない。そんな状況では、1992年から20世紀が終わる頃まで、旧ソ連邦から独立したボスニア・ヘルツェゴビナ共和国で勃発した紛争が、もはや遠い過去の出来事にすら感じる。けれども、あれほどマスコミをはじめ、人々の耳目を集めた旧ユーゴ紛争の”サラエボ”の勝敗を左右したのが、米国PR会社のひとりの社員の情報操作の力量だったとしたら。本書は、豊富な資料と詳細なデーターを基に、2000年放送NHKスペシャル「民族浄化~ユーゴ・情報戦の内幕~」を製作したNHKディレクターによる文書化である。ここにあるのは、「情報」という武器を使って戦争の行方さえも決定していく驚くべき国際政治の現実である。
92年4月、ボスニア・ヘルツェゴビナ外務大臣のハリス・シライッジは、たったひとりケネディ空港にやってきた。人口300百万人あまりの小国の未来を背負って、彼は祖国のセリビア人からの攻撃から守るための支援をえるために、国連に向かったのだった。しかし国連本部の高級官僚たちの中では祖国存亡の危機も、次々と起こる問題の処理に忙しい国際政治の奔流のなかでは、「ヨーロッパの裏庭」で起こった仔細な出来事に過ぎなかったことを思い知る。確かにサラエボでは、5万人のボスニア人が殺された。然し、スーダンでは50万人が死んでいき、300万人が難民になっているのが世界の紛争だ。マスコミにとっても、政治家にとっても、この時点ではサラエボはさして魅力的な紛争ではなかった。失望のうちに、米国のベーカー国務長官から西側の主要なメディアにかけあって欧米の世論を見方につけることが重要だとアドバイスを受ける。シライッジの頭に浮かんだのが、ボスニアの古い諺「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」。そして彼が次に向かったのが、大手PR(Public Relations)企業のルーダ・フィン社だった。そこで出会ったのが優秀なPRマン、ジム・ハーフ。日本ではあまりなじみのないPR企業のビジネスとは、さまざまな手段を用いて人々に訴え、顧客を支持する世論を作り上げることだ。
彼らのビジネスは、実に巧みだった。アラン・ドランのような彫りの深い顔のシライッジ外相のオーラを利用し、次々とメディアに露出するセッティングをする。シライッジは、ハーフの”演技”指導を受けて、いかにも祖国を愁うる悲劇の大臣として登場する。幸いなことに西側メディアに訴えるための英語力は、備わっていた。さらに短い間にいかにテレビに効果的に表現するか、声の調子を変え、話すスピードの変化などを身につけ、容姿の魅力からも女性受けもよくやがてマスコミの寵児となっていく。公の立場に立つ者が、カメラの前でどのように話すべきかを学ぶのは、当然なことである。そこに多少の演技が入るのも自然なこと、というのが優秀なPRマンであるハーフの考え方である。
実際のボスニア紛争は、複雑だった。セルビア人だけが悪いのではなく、それに対抗して攻撃し、被害を演出しているクロアチア人にも同じように罪がある。しかしPR会社にとっては、顧客の立場にたち、有利な事実だけを、つまりあくまでも嘘をつかずに事実をうまく選択して、いかにも無辜な市民が血を流し命を失っているかのように情報を流すのが仕事である。そして「ボスニア通信」と名づけて、セルビア人=悪玉からクロアチア人が受けるサラエボの”悲劇”として、次々と事件をマスコミに発信していく。なかでも「タイム」誌の表紙を飾った収容所の鉄条網ごしのやせたムスリム人の男性の写真は、センセーショナルな話題を呼んだ。しかし、この鉄条網はカメラマンの背後にある変電所に附帯する装置であることが後にわかった。
またハーフたちは、「民族浄化」(ethnic cleansing)という抽象的な言葉を使い、世界中にネットワークをもつユダヤ人の支持もとりつけるようになる。これはまさにキャッチコピーの勝利だった。本書では、この言葉が欧米人の言語感覚をくすぐり、どのように国レベルまで広まっていったかを詳細に記されている。哀れなのは、急遽対策案としてセルビア共和国のミロシェビッチ大統領から任命されてユーゴスラビア連邦の首相に就任した切り札、米国籍のミラン・パニッチだった。彼はPR対策の遅れを懸命に挽回すべく奔走するも、もはや完全に手遅れ。92年9月、前代未聞の国連からの退場という屈辱も味わう。
ハーフたちは顧客のためなら、人は良いけれど邪魔な国連の将軍も追い落とす。大統領も動かし、美味しいソースに飛びつくメディアも徹底的に利用する。
「どんな人間であっても、その人の評判を落とすことは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばいいのです。たとえ事実でなくても、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね」ハーフは、自信もってそう応える。なにしろこの「ボスニア紛争」で、彼らは全米6000社あるPR会社の中で、全米PR協会の最優秀賞を獲得するという栄誉に輝いたのだ。
この勲章こそが、後のルーダ・フィン社とハーフにとっても格好のPRになっている。
本書の特徴としてルポ・ライターでなく、著者自身もNHKディレクターという身分から、こうした情報操作を主観をまじえずあくまでも事実を積み重ねているところにある。しかしながら、PR戦略の是非を問うのではなく、世界の情報戦争の現実を見据え、我が国としても無知なこどもではいられないことを訴えている。日本の外交当局のPRセンスのレベルはきわめて低い。アメリカの高級官僚のように雇用環境を柔軟にし、民間と公のシフトを簡単にするような懐の深さが、国際政治におけるPR戦略を立案遂行するには必要不可欠だ。日本のように大学卒業をしてそのまま外務省に入り、一生その中で生きていく外交官ばかりでは、永遠に日本の国際政治が高まらない。もしかしたらいつまでたっても解決しない北朝鮮拉致問題も、こうしたハーフたちに依頼すべきなのかもしれないと思えてくる。
またメディアに映る像と、実際の素顔との乖離が見えるところも本書のおもしろさである。悲劇の外相という役回りのシライッジだったが、前身が歴史学の教授という教養の深さにも関わらず、病的なほど女好き。ボスニア側のイザトベゴビッチ大統領は吝嗇家でPR会社への正当なるしかも仕事のわりには安い報酬を値切った。この辺の人物描写は、思わず失笑してしまった。
それはともかく、世界の動きを知るうえでも「戦争広告代理店」は読むべき本であろう。
今、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボは、世界各国から人が集まり、華やかに美しく装った街になっているという。そのきらめきは、この国が情報戦争に勝利した果実である。その一方、そこからわずか200㌔離れたセルビア共和国の首都ベオグラードでは、内務省や放送局などの重要な施設がNATO空爆を受けた崩壊した瓦礫のまま放置されている。建物、店、すべてがすすけてこの街を覆う空気の色は、「灰色」だ。