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「狙われたキツネ」ヘルタ・ミュラー著

2009-10-27 22:53:23 | Book
ノーベル文学賞:ドイツ人作家、ヘルタ・ミュラー氏に授与

【ロンドン】スウェーデン・アカデミーは8日、09年のノーベル文学賞をルーマニア出身のドイツ人作家、ヘルタ・ミュラー氏(56)に授与すると発表した。同アカデミーは授賞理由として「凝縮した詩と率直な散文によって、持たざる者の置かれた状況を活写した」と述べた。授賞式は12月10日、ストックホルムで開かれ、賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億3200万円)が贈られる。

 ドイツ人のノーベル文学賞受賞は1999年のギュンター・グラス氏以来10年ぶり。ドイツ語圏では04年のエルフリーデ・イェリネク氏(オーストリア)以来になる。ミュラー氏は53年、ルーマニア西部のドイツ系少数民族の村の生まれ。母語はドイツ語。ティミショアラ大卒業後、金属工場で技術翻訳の仕事に就いたが、秘密警察への協力を断ったために職場を追放された。82年に発表した「澱(よど)み」がドイツで高い評価を受けたが、チャウシェスク政権下の84年には労働と作品発表を禁じられ、87年に母国を離れてドイツへ政治亡命した。92年に発表した長編第1作「狙われたキツネ」(山本浩司訳、三修社)は生まれ故郷が舞台。秘密警察におびえる市井の人々の不条理な日常を、実体験を踏まえて丹念に描き、抑圧されたルーマニアの政治状況を告発した。今年、ルーマニア出身のドイツ人がソ連に強制連行され、ラーゲリに収容される体験を描いた12年ぶりの長編小説「アーテムシャウケル(息のぶらんこ)」を刊行。国内外で注目され、前評判も高かった。
(10月8日ロイター)

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ごく平凡なルーマニア人が地獄に落ちた。
ところが地獄は大変な混雑ぶりで、悪魔に指示された片隅に残った最後の空き地に行くと、あっというまにあごまで泥の中に沈んでいく。ところが中央の悪魔の席のそばには膝までしか泥につかっていない男がいる。ルーマニア人が首をのばして見るとチャウシェスクだった。
「正義はどこにあるんだ、あの男は俺よりも罪深いぞ!」と悪魔にくってかかると悪魔は応えた。
「そのとおりだ。だけどあの男は女房の頭の上に立っているんだよ」

笑いたいけれどむしろ悲しいこんな自虐的な小話が、本書に登場する。主人公の女性教師アディーナの友人であり少数民族出身のアビが、秘密警察の取調べを受けている時の会話の回想である。「狙われたキツネ」は、88年夏から翌年の暮れのチャウシェスク政権の崩壊までをバナート地方の革命の発端となったティショアラを舞台としている。公営アパートの屋上で日光浴をする全裸のアディーナと、彼女の親友でビキニ姿のクララののどかで開放的でありながら、妙に官能的な情景で物語ははじまる。若いふたりの女性ののびやかで開放的で淫らな姿が、やがて80年代のルーマニア政権の抑圧的で監視された体制からくる恐怖、不条理な社会への鬱屈と抵抗からくる心理下の、ある種のなげやりの姿だったと気がついていく。しかも親しき隣人、恋人すらも誰もが密告者になりうるのが当時の状況だった。チャウシェスク政権は反対派を封じ込めるために内務省のセクリターテという組織を強化していくが、アディーナはセクリターテに狙われて陰湿な方法で精神的にも追いつめられていく。彼らは、便器の中に煙草の吸殻などを捨ててあえて部屋の中に侵入した痕跡をわずかに残していくことによって、相手に恐怖心をうえつけていったのだ。

ほこりをまきちらしながら道路を横切る市電、食料を買うための長い行列、よく停電になり暗闇の底に落ちる町と国。その一方で、灰色の市営のアパートに住む一般市民とは別に<権力の閑静な住宅街>に住む指導者階級(ノーメンクラトゥーラ)はさまざまな特権を享受し、高級嗜好品や入手困難な食料品・輸入品も手に入れられる恩恵を受けていた。ヘルタ・ミュラーの文章は、繊細で散文的でありながら日常の断片を怜悧にきりとり、そこから息がつまるくらい絶望的なルーマニアの政治状況を多層的にうかびあがらせていく。乾いた率直な味気ない単語が並ぶかと思えば、詩的な表現が人々の心理を表層する不思議な読後感が残る。

一昨年のカンヌ国際映画祭で、パルムドール賞をルーマニアとして初めて受賞したのがクリスティアン・ムンジウ監督による『4ヶ月、3週と2日』だった。この映画では、望まぬ妊娠をした友人の中絶の手助けをする女子大生、オティリアの緊迫する一日がよく描かれている。中絶をするホテルの廊下の電灯が壊れていて薄暗く寒々しい光景は、いつまでも忘れられない。非合法で闇で危険な中絶をせざるをえなかった彼女たちだが、「狙われたキツネ」に登場するクララは病院で中絶手術を行っている。クララの恋人が、セクリターテの人間だったからだ。同様に、映画のオティリアのボーイフレンドの母親の誕生日を彼の自宅で祝う場面では、父が大学教授ということもあり室内は知的な雰囲気を保ちつつなんらかの特権階級らしい豊かさすらも感じられた。映画の舞台は87年と、まさに「狙われたキツネ」に時代が重なっている。作家のミュラー自身も映画のように自分で輪針のチューブを子宮に差し入れて2回も堕胎した経験があるという。これは今では旧共産圏の過去の歴史となった。しかし、それではミュラーは昔の傷を告発しているのだろうか、と言えばそうではない。

「ただ古いコートが新しいコートに変わっただけなのだ」

という一文で結ばれていることで作家が示唆しているところを考えたい。平凡な一市民がかっての秘密警察、現代では監視体制によって陰湿に追いつめられていく恐怖がくりかえされないと誰が断言できるだろうか。市井の女子学生を通して抑圧された社会を描いた『4ヶ月、3週と2日』がパルムドール賞を受賞したように、ヘルタ・ミュラーの作品はスウェーデン・アカデミーの選考委員のお好みでありノーベル賞受賞に価する。
翻訳されているのが、本書一冊のみというのはとても残念である。

■こんなアーカイヴも
・クリスティアン・ムンジウ監督による『4ヶ月、3週と2日』
『善き人のためのソナタ』


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