千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「インドの衝撃 わきあがる頭脳パワー」NHKスペシャル

2007-01-29 22:58:43 | Nonsense
キムタク主演の「華麗なる一族」を観ちゃった方が後悔するほどおもしろかったのが、昨夜のNHKスペシャル「インドの衝撃 第一回わきあがる頭脳パワー」であろう。

とっくに衆知のことではあるが、IT関連のヘルプデスクに電話すると流暢な英語でお世話してくれるのが、インド在住のインド人だったりする。独立から60年、IT産業を牽引きに大躍進しているのが11億の民を抱えるインド。その秘密を探ると、超エリートを育てて科学技術の振興を図るシステムにあるようだ。なかでも「IIT(インド工科大学)に落ちたらMITに行く」とまで伝えられるインド最難関校IITは、夜中の一時まで図書館を開館、徹底的に論理的思考を鍛える独自のカリキュラムから、世界的に活躍する卒業生を数多く輩出している。
物流システム、二階建ての航空機の設計、ソフトウエア開発などいまやインド人の存在、頭脳ぬきには語れない。

その優秀な頭脳は、インドでどう育てられたのか。
教育の崩壊、地盤沈下を叫ばれる日本人としても、無視できない興味深い内容だった。(以下、固有名詞を控えていないので、記憶に残っている印象のみ)
まず小学校での算数の授業風景。
33×33=1089 333×333=110889 
という解の規則性に注目し、3333×3333 33333×33333 と教師の質問に次々に挙手をして、競いあい答えるこどもたち。清潔な制服を着ているところから私立小学校だろうか、比較的裕福なこどもたちが通学しているようにも見える。「算数はおもしろい」とはきはきとマイクに答えていた少女の大きな瞳が輝いている。ゼロを発見したインドでは、現在も数学教育に力を入れている。それは家庭教育でも同様。数字を加減乗除して、同じ数をつくるゲームに興じる姉と妹の姿が紹介されたが、行儀のよい彼女たちを見守る両親と背後に見える本棚の蔵書から、教育熱心なインテリ家庭と見受けられる。

ここまでは日本の教育熱心なお受験家庭も勝るとも劣らない家庭環境だとは思ったのだが、タイトルどおりに衝撃を受けたとしたら後半のIITに進学する予備校の様子だった。
インドの貧困層が密集する地域に、未整備の道路を歩いていくとトタン屋根、バラック建てのその予備校がある。授業料は、他の予備校に比べて格安。1000人収容する教室には、肩を寄せ合い若者が熱心に授業を聴講している。雨が降ると片側には壁がないため、傘をさして半分濡れながら熱心にノートをとる生徒の姿も見受けられる。誰もが真剣そのものの表情だ。教室の主催者でもある教師が予備校を開校したきっかけは、ケンブリッジ大学に優秀な成績で合格するものの、貧しかったために進学を断念した時の体験による。そのためどんなに貧乏でも教育の機会均等のために、夕方からはじまる選抜30名の特別クラスでは、授業料免除、宿舎と食事も提供している。昨年は、なんとこの30名から28名がIITに合格するという実績を誇る。
そのなかの一人、アーザード・クマール君に同行して、彼の実家にカメラが取材に行く。彼は、農業を営む両親、ふたりの弟、妹、祖父と村で生活をしていた。小学校を卒業すると、片道2時間かけて中学校に通っていたと言う。いかにも土地は貧しく、祖父の病院代にも事欠くと窮乏を訴える父。家族だけではない、村一番の秀才、アーザード君には、村民みんなの期待が肩にのしかかる。「IITに合格したら、いずれこの村に中学校を建てたい。」
彼だけでなく、こうした一流大学をめざす青年たちの表情は、誰もが勉強熱心で真剣である。その表情は、性別、顔立ちのつくりに関わらず、ある種の荘厳ささえ醸し出している。もしかしたら戦後の復興期の日本の青年たちもこのような感じだったのだろうか。
優秀な頭脳は、国家の隆盛を左右するという認識を国家レベルでもっている。そのために生まれたエリート養成のシステム。しかし、インドの識字率は65%程度。
テレビの画面に映る庶民の暮らしぶりは、まだまだ発展途上国だ。一部のエリートを育てることも必要だが、国民全体の教育レベルの底上げをしない限りは、本当に豊かな国にはならないのではないか、そんな印象もした。

喝采か罵倒か 指揮者・大野和士「プロフェッショナル 仕事の流儀」

2007-01-28 17:13:42 | Classic
「ぼくはおおきくなったら、しきしゃになりたい」
消防士さんや電車の運転手という身近な存在の職業をあげる同年齢のこどもたちが多いなか、わずか三歳にしてすでに”指揮者”という職業と役割を知っていたことすら、充分この方の軌跡を語るにふさわしい最初のエピソードになりうる。しかし多くの才能ある人物がそうであるように伝説は、続く。

指揮者、大野和士。
1月25日NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、現在年間70回のコンサートとこなし、14カ国からなる100人の構成員をもつベルギー国立歌劇場、通称「モネ劇場」の音楽監督として活躍する1960年生まれの大野和士さんが挑戦者。

①登るべき山を示す
自分で考案したやわらかそうな素材のオフ・ホワイトの仕事着に着替えて、颯爽と職場である稽古場んび向かう大野さん。待っているオケの団員にリハーサルをしながら仏語で自分のイメージを具体的になおかつ明確に伝える。プロコフィエスの「ロミオとジュリエット」で、フルート奏者にここは初めての出会いなのだから”もっと愛らしく”と指示。彼らと同じイメージをもち、めざすべき音楽的な高みを示すためだ。全員の音色を聴きわけて異なればピンポイントで演奏者にイメージを伝える。

②すべてにおいて相手を圧倒しなければ人はついてこない
彼は、英語、独語、仏語、伊語を自由自在に使いこない、ドイツ人歌手にドイツ語でワーグナーの解釈を伝える。これは非常に彼の能力の高さを示している。自宅では、妻のゆり子さんが家事全般すべてをとりしきる。彼の個室には膨大な資料とピアノ。常に作品の研究に余念がない、というよりも自宅でも夫の顔ではなく24時間指揮者である。冒頭で第二の小澤征爾と紹介されていたが、指揮者としてもパーソナリティとしてもタイプは異なる。そういう言われ方を欧米でされること自体、同じ日本人として遺憾に感じるのだが。それはともかくお子さんがいないせいか、彼はすべての時間を夫でも父親でもなく音楽、つまり自分のために費やせる。お見合い結婚と思われる妻も、彼にとっては家事をこなす同居人という印象すらした。
「一番大切なのは、作品と会話をしているか」
番組中、楽譜を披露し「椿姫」の有名な部分をピアノで弾いて解説をしたのだが、そのスコアはテープで修正したあともあるくらいぼろぼろだった。かけだし時代の弁当のトンカツ・ソースのしみがついている部分を記憶しているくらい、徹底的に作品を読み込んで作曲家の気持ちになっている。「椿姫」を弾きながら「ここは喀血している部分、ここでもまた喀血してしまった、そして何故ここはデミエンドするのか、過去を回想しながら嘆いているから・・・」と真剣なその表情は、完全にどこかにイッテシマッテイル目だ。

③一人一人を解放する
大野さんの指揮の特徴として、大げさな身振り手振りはあまり見られない。
人を動かす奥義として、あってなきかのごとく指揮者というくらい、演奏者が自分の自然でやりやすい方法で最も素晴らしい音をだすことが理想のようだ。そのために細部に至るまでイメージを伝えて、徹底的に音に磨きをかけ、本番では一人一人の能力を解き放つことに重きをおいている。

東京藝術大学を卒業後、25歳でドイツに留学した大野和士さんが初めて参加した国際指揮者コンクールでは4位。彼よりも上位入賞者は全員審査員の弟子だった。1987年には第3回アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールで優勝。ヨーロッパでのキャリアをスタートさせる。指揮者という仕事は、小澤征爾氏も言っているように常にがけっぷちを歩いているようなもの。失敗すれば、もう次はない。リーダーの資質として、大野氏は次のことをあげている。

・リーダーには確信が必要
・リスクは自分がとる
・どんな状況でも自分のベストを尽くし諦めない

こんな大野氏の伝説的なエピソードが日本にも伝えられたのがパリ、シャトレ座でのオーケストラ団員たちの組合の労働争議によるストの時の演奏会である。現代作曲家のオペラを上演し、ピアニストも合唱団もその日にむけて練習していたにも関わらず、オケの団員のストによって出演しないことになり公演が危ぶまれていた。大野氏はピアニストたちと三日三晩で譜面を三台のピアノ曲に編曲し、「バッカスの悪女」を開演させた。この前代未聞の危険な綱渡りは、観客の地鳴りのような喝采で成功をおさめた。すべての責任をとるのは指揮者、と最後まで諦めないプロフェッショナルの流儀を実践した大野氏は、やはり並の指揮者ではない。
また5時間にもおよび1回の公演で2キロやせるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」で、世界で歌えるのは10人しかいないといわれる難かしいトリステ役に挑戦するジョン・ケイズ(43歳)にレッスンをしていた。彼の声に惚れてあえて新人を起用する大野氏だったが、プレッシャーにいまひとつ歌いきれない弱気のジョンに劇場支配人のむける目は厳しい。
「今は音楽にだけ集中し、壁をこえよう」
そうジョンを励ます指揮者。おまけにイゾルデ役の歌手も気管支炎で倒れ、リハーサルではイゾルデの部分を振りながら歌う指揮者。観ているだけで、その仕事の厳しさと緊張感が伝わってくる。
本番では見事にトリスタンをジョンは歌い、新人デビューに観客の喝采は続く。
ワインのコルクの芯を自分で削って作ったオリジナルな指揮棒を振る大野和士さんの仕事の流儀は、オペラの経験が少ない小澤氏とは別の道を歩いている。2010年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」まで棒をふる演奏が予定されている彼は、もしかしたら日本人としては前人未到の伝説を歩いているのかもしれない。

『映画のようには愛せない』

2007-01-27 22:47:38 | Movie
「ハケンの品格」③では、総合職の出世コースを登る東海林が、ハケンという立場と職種が違うにも関わらず、同じ土俵という戦場で戦う春子の優秀さにノックアウトされてしまったというのがポイントだったと思う。同じフィールドの戦士がカップルになると、それぞれの能力や才能がわかるために嫉妬や挫折感、おもに男性側のコンプレックスなので破綻する場合と、逆にクルントン夫妻や音楽家カップルによくみられるような無二の親友というあらたな関係もうまれ、ふたりの絆がより固くなる場合がある。

ステーファノとラウラの関係はどうだったのだろうか。
ステファーノ(ルイジ・ロ・カーショ)は、イタリアを代表とするベテランで人気俳優。舞台俳優出身だったが、今では映画・テレビと活躍の場を移し、人気にみあう高額所得者。19世紀のまるで「椿姫」のような彼が主演する貴族役の相手の恋人に無名の新人が決まりそうだと聞いて不満を感じる。しかし初日の読み合わせの時に、もう若くないが美しく不倫の恋に生涯をかける貴婦人役にはまり役のラウラ(サンドラ・チェッカレッリ)のとらえどころがなく、それでいて凛として雰囲気に惹かれて行く。東海林と違い、ステファノは自分がラウラに恋をしていることを自覚していく。しかし肉体関係だけのつながりしかない女性としか付き合ってこなかった彼は、俳優としては一流だが自己中心的な男で他人には無関心。人に愛されても、誰かを本気で愛したことのないステファノ。一方、ラウラは女優として成功したいという野心はそれほどではないが、気がついたら彼女に惚れた男を利用してのしあがっていくタイプ。この事実と過去の男性関係を知ったステファノは、周囲のスポットライトと関心を集めて女優への階段をのぼるラウラに、同じ土俵で戦う俳優としての嫉妬と男としての嫉妬に苦しんでいく。それは、今まで数々の女性に対して行ってきた行為の報いであることに彼は気がついていない。

映画は、19世紀の誠実で人望の篤い貴族の紳士が、賢夫人と誉れの高い妻と可愛いこどもがいるにも関わらず、ひとりの伯爵の愛人と舞踏会で出会ったがために恋に落ちるという悲恋ものという映画の中の映画、つまり劇中劇という様式で現実のカップルの恋模様を描いている。
ルイジ・ロ・カーショは決してイケ面ではない。身長も高くなく小顔の痩せ型、イタリア男につきもののちょいワル系の色気や、たくましい生活力を感じさせるマッチョ系のセクシーさもない。そんな男性が、多くの優れた映画に次々に出演していることが、今日のイタリア映画らしさなのかもしれない。本作品でも「輝ける青春」の精神科医に重なるような、19世紀時代のいかにも家庭を大事にする人徳者でありながら、一途で純粋な貴族役を演じつつ、身勝手で感情的な俳優役も演じている。ところが美貌を武器に伯爵という後ろ盾を利用して社交界に生き残る女性と、たいして好きでもないが援助してくれるプロデューサーと一夜を過すラウラには、”女力”とでもいうような共通する部分がある。女は、どんな時代でもたくましく女を貫くということか・・・。それは兎も角として、役者として頂点をきわめるかのようなルイジ・ロ・カーショに比較して、綺麗だが二番手のようなサンドラ・チェッカレッリの方がより高い演技力を求められると感じたのが、この劇中劇だ。サンドラ・チェッカレッリは、冒頭のカメラテストの監督(映画の中の)の質問に答える場面だけでひきこまれる。もう若くはなく、ショート・カットに近い金髪とシンプルで質素な服装。それが逆に彼女の愛らしさと美しさをひきたてる。そして次の台本の読み合わせでは、一瞬にして前世紀の悲しい恋におちた女性の佇まいをかもしだす。ステファーノは、彼女の燃えるような瞳にたじろいでしまう。映画の中のラウラに負けて悩むステファノと同様に、この映画ではサンドラ・チェッカレッリの勝ちである。

映画のようには愛せない。この素適な邦題の原題は、「LA VITA CHE VORREI」(私の望む人生)
ラストの彼女の選んだ生きかた、彼女の望む人生に共感を覚える女性は多いだろう。そうだよね、、、やっぱりこれからはオンナの時代だ。男性諸君、覚悟せよ。

監督:ジョゼッペ・ピッチョーニ

男が女に惚れる時「ハケンの品格」③

2007-01-25 23:45:15 | Nonsense
第三回「ハケンの品格」は、なにかと派遣社員の大前春子を敵視し、彼女をあからさまに嫌う態度を表していた東海林武が、帰宅する途上のバス亭前にいた彼女にいきなりキスをして終わった。。。

ストーリーは、ブームのマグロの解体ショーに目をつけた彼らが、売り場拡張に成功したデパートの一角でマグロ解体ショーを企画するが、マグロの解体師がいない。そんな中運よく”マグロの神さま”ことツネさんとコンタクトをとって東海林が出演依頼の交渉に成功する。準備を整えいざというところで、打算的な東海林のひと言でツネさんを怒らしてしまい、不注意から怪我をさせてしまう。ところがかわりの解体師が見つからない。
人生最大のピンチ!マグロを大量に準備して肝心のマグロの解体ショーが中止になったら、東海林のクビが飛んでしまう。そんな絶対絶命の危機を救ったのが、時給3000円スーパー派遣の春子だった。★★★
その春子(篠原涼子)を眺め、胸につまる思いで一杯の東海林(大泉洋)。この時の彼の感情が、窮地を救ってくれた春子への恋心に満たされていたわけではなかった。シゴトにおける厳しさと職場における友情に、胸がはりさけそうだったのだ。春子にひと言、感謝の気持ちを伝えたいと声をかけたのだが、降る雪を手のひらで受け止めて微笑む春子に衝動的にキスをしてしまったのだ。理屈ではない、まさに自分で自分の気持ちを理解する前に、いや自分の感情に気がつく前に感情の奔流が溢れるままにいきなりキスをした。ルール違反だ。第三回目でキスをするのは早くないか。最終的に東海林が春子にほれるのは予想できたが、急展開で今後の成り行きが気になる。

ところで東海林のように仕事がデキルと自他ともに認める生意気な男が強烈なライバルであり、周囲もあきれるくらいに嫌っていた女性を好きになっていた、という話は珍しくない。大学時代の友人の郷里での同級生の話だが、彼女の中学時代のクラスメートに非常に頭のキレル男の子がいた。その男の子A君は、同じクラスメートのB子を徹底的に嫌っていた。最初は、顔立ちもよく、成績も抜群な彼女への関心がよぶA君の幼い気持ちの裏返しでの嫌がらせだろうと周囲は静観していた。然し、その嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、今でいうイジメの状態になりクラスでも問題になるくらいだった。この時点で、クラスメートもA君の行動や言動に怒りを覚えるようになった。とうとうその地方都市で医師をつとめるB子の父親が、学校に相談にくる事態にまでなった。クラスメートが理解できなかったのが、何故すべての方面において何事も優秀で模範的であるA君が、イジメなどという愚劣な行為をするのか。また何故、いじめられる根拠が思い当たらない理由のないB子だけをターゲットにするのか。

大学に進学して親しくなった友人から私はその話を聞いて考えた。やっぱりそうは言ってもA君は、B子を好きだったのではないか。最初はみんなそう思ったが、あの陰湿ないじめ方は好きだからという理由では、決してないと断言した。彼女の分析によると、頭脳優秀なA君にとって唯一自分と対等にはりあえるライバルが、B子だった。それが脅威でもあり、気に入らなくもあり、ゆるせない存在だったのではないだろうか。
私は友人の指摘は、けっこう的を得ていると思った。けれども、愛と憎悪は表裏一体。A君は気がついていないけれど、憎悪の裏には自分と対等にはりあえる貴重な女性としての存在と離れることができないのではないかとも感じていた。それに敵対しているふたりだが、共通している点もなきにしもあらず。ふたりとも、大学受験に関しては第一希望は能力を充分に発揮できずに挫折組。A君は、別の友人が合格したT大学に落ちて私立(といっても一番の難関私大)に進学。B子は、医学部受験を親から期待されていたが某大学に進学。
その後東京に進学した彼、彼女たちは時々呑み会を主催して旧交をあたためていたのだが、話題になるのはこのふたりのことだった。
どうもあのふたり、時々ふたりだけで会っているみたいなんだよね、そうつぶやく耳年増で猥談の好きな友人の不思議そうな表情は、今でも忘れられない。

東海林タイプで傲慢な男が、男以上にできる女性に惚れることは理解できる。優秀でも謙遜するタイプではない。自分の能力に自信満々な男に限って、能力の高い女性を敵視するにも関わらず、心底では賢い女性を好む。男と女は矛盾している。米国のマスコミはクリントン元大統領とヒラリー夫人を不思議な夫婦として度々報道してきたが、クリントン大統領のような野心家タイプが、ヒラリーのように弁護士としては自分よりも優秀で高給とりだった女傑を選ぶ気持ちもわからなくもない。
少し話が長くなったが、結論。結局、A君とB子はどうなったのか。ここまで読んでいただいた方の予想どおり、紆余曲折あり家族の反対もあったが、身内だけで結婚式を挙げたそうだ。その事実は、かっての同級生たちを驚かすにたるインパクトを与えたが。

「野に咲く花のように」リリース!

2007-01-23 22:53:18 | Gackt
ほぼ1年ぶりにGacktさんの新曲がリリース!!

タイトルは「野に咲く花のように」
この曲の誕生秘話は、以前書いたブログの記事をご参照いただけると嬉しい。Gacktさんらしいエピソードは、この方の個性が伝わる。「Gacktさんが高校の卒業式に出席」

ところで、遅まきながら知ったのだが、今回の新曲にあわせてミュージックビデオを一般から公募するという企画があったのだ。
以下、募集サイトより抜粋。

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今回のミュージック・ビデオで前代未聞の企画を立ち上げることにしました。
それは、「「Gacktのミュージック・ビデオに、あなたの学校生活の思い出を残しませんか?」という驚きの募集企画です。 教室での授業風景、仲間と部活動に励む姿、登下校の様子、体育際や文化祭など学校生活にまつわる思い出の1ページを 映像や写真に収めて投稿してもらい、その全てをGackt自ら選考し、同曲のミュージック・ビデオとして全編に渡って編集します。
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残念ながら昨年末に応募が締め切られたが、その貴重なミュージック・ビデオはNHK「みんなのうた」で2・3月の歌に放映が決定しているので、観ることができるかもしれない。期待度大♪

小菅優さんの「トップランナー」

2007-01-22 23:20:52 | Classic
ブログにおける貴重な”クラ友”であるromaniさま、calafさま、emiさまもおそらく1月21日のNHK「トップランナー」をご覧になっているだろう。
ゲストは、あの昨年のザルツブルグ音楽祭で内田光子さん以来二人目の登場となったピアニスト小菅優さんだ。
1983年生まれの弱冠23歳にして、彼女の音楽暦はすでに華麗といっても過言ではない。
彼女の公式サイトのプロフィール及び番組出演中のお話から簡単にその足跡をたどってみたい。2歳よりピアノ教師のお母さまから指導を受け、9歳からリサイタルを開き、ドイツでショパンのノクターンを演奏したことをきっかけに、10歳よりデザイナーのお父様を日本に残して言葉も全くわからないドイツに留学。(ちなみに彼女は一人っ子。)その後ヨーロッパを拠点に演奏活動を開始して、米国、モスクワ、パリなど演奏地は年40ヶ所にも及ぶと言う。異動は、単身。少女の頃から活躍する音楽家にありがちだが、いろいろな意味で年齢以上に自立している。
2000年、ドイツ最大の音楽批評誌「フォノ・フォルム」よりショパンのエチュード全曲録音に5つ星が与えられたほか、02年には第13 新日鉄音楽 、さらに04年にはアメリカ・ワシントン賞を受賞している。
国内の主要なオーケストラ他、フランクフルト放送交響楽団、フランス国立放送交響楽団、サンクトペテルブルク交響楽団等と共演し、国際的な音楽祭にも度々招かれている。

上記は、これまでの音楽暦のほんの一部である。しつこく言ってしまうが、、、まだ23歳である。
10歳よりドイツに在住し、今では日本語よりもドイツ語で夢を見るくらいということから、日本語の会話は、どちらかというともどかしそうな印象だった。しかし、もしかしたらドイツで育ってためであるかもしれないが、演奏スタイルや物腰からは年齢以上の堂々たる雰囲気が伝わってくる。このぐらいの年齢だったらもう少し精神的にも幼い一般的な日本人女性とは、少し雰囲気も異なる。服装は黒のパンツに、同じく黒いベアトップ型のぴったりした上着に変形ボレロを身につけていた。昨年芸術劇場で見かけた彼女は、ステージから受ける印象よりもずっと小柄で155センチ弱ぐらいの身長だったが、ダイエットしていない健康的な体に、ピッタリした服装が嫌味なく似合っている。パンツにあの上着は難しいと思うのだが、シンプルだがセクシーにまとめていた。日本人は、あまりしないスタイルともいえよう。演奏を背後から撮影した映像を見たが、身長のわりには肩からの筋肉がしっかりついている。

リスト作曲「超絶技巧練習曲10番」を演奏したが、テレビからも卓抜したテクニックとダイナミックな音楽性が伝わってくる。(それにしてもリストは、難曲だ。楽譜を見てみたい。)内田光子さんとは、タイプが全く違うようだ。シゴトのできる女にたまに見かけるように、女性らしいおしゃれに凝ったり時間を費やすタイプにも見えない。ドレスも彼女にとっては、単なる舞台衣装か制服のようなものであり、声楽家や中村紘子さんのように音楽にあわせてたくさんのドレスを着てくる女優タイプでもなさそうだ。ロングでストレートな黒髪は、欧米人に好まれそうだが、むしろ彼女にとっては髪をまとめやすいから伸ばしているようにも見受けられる。

終始笑顔を絶やさない彼女、ピアノに向かう時の音楽と対峙して自由に自分の音楽を表現する彼女、大器の片鱗を見た。彼女はステージであがるということはなさそうだ。50歳になったら映画監督になっているかもしれないという言葉から、意外な一面も感じた。ピアニストになるためにドイツにまで留学したけれど、まだまだ未知の部分、未確定な部分を残しておきたいのだろうか。その会話だけ、唯一まだまだ若いな、という印象をもった。
けれども50歳になって円熟した彼女のピアニズムにふれてみたい、というのが私の願いだ。

『麦の穂をゆらす風』

2007-01-21 21:04:15 | Movie
アイルランドという国は、私にとっては不思議な国だった。いみじくも作品中でも主人公が同じことをつぶやているのだが。
1998年4月10日、60年以上続いた北アイルランド紛争は一応の和平合意に達した。これによって英国・北アイルランドの政治家ジョン・ヒューム(カトリック穏健派、社会民主労働党の党首)とデービッド・トリンブル(プロテスタント最大政党のアルスター統一党党首)がノーベル平和賞を受賞するという栄誉に輝いた。
ようやく平和が戻ると世界中から期待されつつも、和平条約にある北アイルランド議会と自治政府の設置項目も、IRAに武装解除をめぐりプロテスタント系政党と、シンフェイン党が対立。英国政府は一時的に自治を凍結したりと現在も混迷が続いている。

日本人の多くが、北アイルランド問題をプロテスタントとカトリックという宗教対立という構図でとらえがちだ。私自身もそうだった。何故ここまで同じ国民が激しく対立するのか、「宗教の違い」で説明されても理解できない。その疑問を解くべく「麦の穂をゆらす風」を観たといっても過言ではない。歴史的にみれば宗教の対立もあったが、もともとは英国による植民地政策と占領問題からくる英国の一部であることから独立問題に妥協点を見つけスタートしたいユニオニスト(連合主義者)や王室主義者に対して、完全独立をめざす国民主義者や王制に反対して共和主義を掲げるリパブリカンによる対立である。

アイルランド、南部コーク。医師であるデミアン(キリアン・マーフィー)は、ロンドンでの大病院への勤務が決まった。明日出発するという日、仲間とハーリングを楽しみ幼なじみの家に別れの挨拶をしに行く。そこに突然やってきたのが、英国の治安警察補助部隊のブラック・アンド・タンズ。彼らはアイルランド人に対して屈辱的なふるまいをしたうえに、アイルランド語の名前を名乗ったという理由で17歳の少年を射殺する。アイルランド独立運動に身を投じリーダー的存在である兄に比較し、英国軍の強大な武力の前に冷静で現実的な判断をするデミアンは、独立運動から一歩ひいてロンドンへと出発すべく駅に向かう。そこである事件を目撃したことによって、彼は医師になる道を捨てて独立運動の戦士となっていく。

英国人であるケン・ローチ監督がこの作品を完成させると、反英国的であると論争が起こったという。この反映国的であるか否かの議論は、この映画の本質ではない。何故かというと監督自身も語っているように、宗主国である英国がアイルランドを紳士的に手離しながらも、これまた紳士的に経済の権益は手離さなかったという構図は、今日も尚裕福な西側諸国と発展途上国の関係にみられるからだ。また共通の敵に向かうために、主義や利害の異なるものが共闘しても、支配勢力による不正操作によって内部が対立していくとう図式もイラクにあるように繰り返されるパターンだ。カンヌ国際映画祭でパルム・ド・ゴール賞を受賞したのは、残酷なシーンをあえて排除して”娯楽映画”として商業ベースにのせない監督の静かな、しかし深い洞察力に満ちた視線で語られるひとつの小さな国のお話に多くの共感が集まったゆえだ。

人は、イデオロギーのためには冷徹にもなれる。医師をめざしたはずのデミアンが、アイルランド独立のために幼なじみの少年を処刑する場面がある。国家の独立と自由への大きな目的のためには、小さな命の犠牲はまさに車輪の下に消えていく。だから彼は、恋人との私生活へ戻ることを拒絶したのだった。それが自分が銃をうった少年への償いでもあり、譲ることのできない信念だ。独立運動に投じた有名な運動家ではなく、無名の一市民を主人公としたところに、散っていったたくさんの人々の人生が凝縮されている。淡々とすすむ物語は、哀しいことに予想された結末を迎えた。このラストシーンに、衝撃を感じることもなく冷静に鑑賞できるのも、あまりにも世界中で起こっている事件が多くのことを暗示しているからなのだろう。

映画の背景

「累犯障害者」山本譲司著

2007-01-20 12:36:11 | Book
「仕事でストレス…」3歳児を歩道橋から投げ落とす

 17日午後2時30分ごろ、大阪府八尾市光町、近鉄八尾駅前の歩道橋から、大阪市平野区平野市町、N君(3)が、男に体を抱え上げられ、約6メートル下の車道に投げ落とされた。N君は左足を骨折するなどの重傷。男は通行人らに取り押さえられ、駆け付けた八尾署員が殺人未遂の現行犯で逮捕した。
男は八尾市桜ヶ丘のY容疑者(41)で、同市内の知的障害者小規模通所授産施設に通っており、調べに「仕事でストレスがたまりむしゃくしゃしてやった」と供述している。Y容疑者は、同府豊中市で2000年3月、2歳の男児を誘拐して京都市まで連れ回したとして未成年者誘拐容疑で京都府警に逮捕されるなど、幼児を狙った誘拐、誘拐未遂事件などで6回逮捕され、3回実刑判決を受けている。同署は動機などを詳しく調べる。
 (07/1/18 読売新聞)
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この事件の報道に接し、誰もが暗澹とした気持ちになるだろう。なんという非道な犯人だろう。ゆるせない、と。一般市民にとっては容疑者に対する怒りが当然わく事件だろうが、容疑者が知的障害者であり3回も実刑判決を受けているという報道から、違った感想もわいてくるのが「累犯障害者」の読後感である。

ちょうど一年前の1月7日、JP下関駅が放火された事件があった。街のシンボル的存在で特徴のある外観は鉄道マニアのファンも多く、火災の翌日はターミナル駅の焼失で脚を奪われた「怒る市民の声」が各新聞に掲載された。しかしその怒りのターゲットである犯人の実像は、あまり知られてはいないのではないだろうか。大手メディアは、犯人が障害者であることがわかると世間の偏見を避けるためだろうか福祉関係者への考慮だろうか、報道を自粛していくのだという。放火犯は、知能指数66で外見上は健常者と区別ができず身の回りのことはこなせるが、自分で考えたり抽象的な思考のできない軽度の高齢の知的障害者だった。少年時代から父親から凄まじい虐待を受け(こうしたケースでは、父自身も知的障害者であることが多いが)、12歳で少年教護院に入ってから少年院、矯正施設と塀の中を出たり入ったりと、成人してからの54年間のうちなんと50年も刑務所で過している。事件を起こす半日前、放火事件の罪を償い教えられた「セーカツホゴ」を受けるために区役所に出向くが、住所不定ということで相手にされなかった。何度も刑務所から出所したばかりと伝えても、相談にものってくれない。そして追い返され手渡されたのが、下関駅までの一枚の切符だった。
外は緊張するし、幼い頃からの家庭内暴力の記憶から家は怖い、そう感じる犯人にとって安心である刑務所に戻るためには、今までと同じ放火事件を起こすしかないと、11回目の火を放ったのだった。
序章で記された「安住の地は刑務所だった」の中で記される下関放火事件の犯人の言葉こそ、著者の元・衆議院議員の山本譲司氏が00年に秘書給与流用事件で実刑判決を受け、433日の獄中生活を送った時に出会った累犯障害者と同じだった。

山本氏は、出所後に塀の中での体験を「獄窓記」として出版した。この「獄窓記」の中で印象に残るのが、一般受刑者から「塀の中の掃き溜め」と揶揄される懲役作業の現場である。知的障害者、認知症老人、聴覚障害者らの作業の割り振りや日常生活の介助に追われる山本氏の日々は衝撃的事実であり、評価も高くドキュメント賞を受ける。刑務所には様々な障害をもつ受刑者が多数収容されており、しかも累犯者が少なくない。国会で論じてきた福祉対策の皮相さを痛感した山本氏は、社会復帰後の人生を障害者への福祉活動に力を入れて「触法障害者」を減らす貢献活動をしたいという誓い、その公約を一歩果たした成果が「累犯障害者」である。

「レッサーパンダ帽の男―浅草・女子短大生刺殺事件」「閉鎖社会の犯罪―浜松・ろうあ者不倫殺人事件」など、これらは記憶にある事件ではあるが、その事件の真相に今まで知られていなかった社会の闇があぶりだされている。また「障害者を食い物にする人々―宇都宮・誤認逮捕事事件、売春する知的障害女性たち、仲間を狙いうちする障害者たちなど、様々な驚くべき事実と司法の実体は多くのことを考えさせられる。障害者には、福祉の目が行き届いているという私の認識は、全くの誤りだった。
人類における知的障害者の出生率は全体の2~3%であるが、日本では0.36%しか報告されていない。全体の8割を占める軽度の知的障害者にとっては、単なるレッテル貼りに過ぎない「障害者手帳」を取得しないケースが多く、そんなことから「障害者手帳」をもったこともなく、福祉のセーフティネットからこぼれていったのが冒頭の下関駅放火犯である。本来なら福祉の支援が必要な彼らは、最後に落ちるのが刑務所の塀の中であり、ここで待っているのも社会で生きていくための支援プログラムよりも懲罰である。矯正予算の年間270万円も税金の無駄遣いであるというのが、山本氏の指摘である。

現在、受刑者3万2千人のうち、実に3割弱が知的障害者として認定される人々である。勿論、彼ら知的障害者が犯罪を惹起しやすいわけではない。むしろ山本氏が言うように、彼らは素直で規則や習慣に従順であり争いごとを好まないタイプであろう。それでは、何故ここまで累犯を重ねてしまうのだろうか。八尾市の幼児を歩道から投げ捨てた事件の犯人が、幼児を狙った誘拐で誘拐未遂事件などで6回逮捕されて3回も実刑判決を受けている報道に接し、同じ手口の犯行を重ねていることから動機を詳しく追求する警察署の事情聴取に虚しさを感じる。彼らにとって人生とは、なんなのだろう。

刑務所の一部が社会の行き場のない障害者の収容所になってしまっていることを問題視する山本氏に、満期出所を目前に控えた受刑者が言った次の言葉が胸に響く。
「山本さん、俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ。だから罰を受ける場所はどこだっていいんだ。どうせ帰る場所もないし・・・。また刑務所の中で過ごしたっていいや。」

著者来店

「現代アメリカを観る」鈴木透著

2007-01-18 23:46:54 | Book
アメリカを嫌う人は多い。嫌米感情の理由として、人種差別がいまだに解消されないことや、厳しい競争社会、犯罪の増加と治安の悪さ、不可解な銃撃事件や離婚率の増加。「アメリカは超大国かもしれないが、確実に病んでいる」という認識は誰しも感じるだろう。にも関わらず、病めるアメリカ社会に関心をもつのは、矛盾した国であり、米国の現実はいつか日本もいくつく未来であることから目が離せないことだが、最大の理由はやはり過去の過ちは認め、常に「モア・パーフェクトユニオン」に向けて胎動している国家だからだろう。
「病めるアメリカ社会を観る」というカテゴリーでこの病んでいるが魅力的な超大国アメリカへの道案内をしてくれる「物語三昧」で見かけたのが、鈴木透氏の本書である。

まず歴史の中のアメリカとして、著者は60年代がこの国にとって重要な分岐であると説いている。63年に期待されたケネディ大統領暗殺、学生運動の盛り上がりによる既存の価値観を壊して世の中を変革しようという動きが台頭する。公民権運動、女性解放運動とそれにまつわる性革命という自由と変革もあったが、その一方でベトナム戦争の泥沼化とその後遺症、ウォーターゲート事件と続き、超大国に分裂と混乱をもたらした。
こうした60年代のリベラルな思考も80年代タカ派のレーガン政権時代になると、価値観の多様化が他人への無関心を助長して絶対的価値観の喪失が米国に危機をもたらすという保守派が展開した教育論アラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉」がベストセラーになる。
現代はそうした流れを受けて60年代のリベラリズムの遺産をめぐって、守る側と保守派によるアメリカ社会内部の分裂が激化している。
また米国社会をリードしてきたWASPも、過半数を割る時代が確実にやってくる。分裂の危機をのりこえて、きたるべき人口の構成変化の時代にふさわしいアメリカ文化の鍵を握っているのが、アメリカ的歴史感覚、統合のシンボルとしての人間像を生み出すための想像力/創造力、多人種的国家の統合をめざすメディア、すなわち映画という文化表現媒体であるというのが本書の主旨である。

本書が書かれたのは8年前であるが、平均して月に一回は映画館に足を運ぶのが一般の米国人だそうだ。この数字は日本人4倍にあたる。映画は米国人にとって娯楽であり、誇るべき大事な文化でもある。
「フィールド・オブ・ドリームス」「ダンス・ウィズ・ウルブス」「フォレスト・ガンプ」「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」などの映画を通して、新しいヒーローを登場させ、過去を掘り起こし未来へ伝え、アメリカの歩みはなんだったのかと米国人に説いている。これまで何気なく観ていた映画だが、確かにこれらの米国映画には米国らしさが常につきまとう。登場人物を個としてとらえるのではなく、物語の背景もとらえることがより深い鑑賞につながるということが本書でよくわかる。その時代の空気感を判りやすく反映しているのも米国映画であり、ややその発想も単純な印象もする。
ペトロニウスさまも「善悪二元論の克服がアメリカ映画人の大きなテーマであるのではないか?と語っているのは、慶応義塾大学の鈴木透先生」と伝えているように、善玉悪玉の対立の図式がはっきりしていたのが、これまでの米国映画の特徴だった。
そういった単純な図式をぬけだし、人種間の対立をこえたニューヒーローを求めて国民統合の武器としての映画の価値を高めることが今後の課題であろう。
「モア・パーフェクト・ユニオン」という夢を追いかけるのが、米国の使命なのだから。
そしてアメリカ人にとってこの国は、統合の完成を夢見る「物語の途中の国」なのだ。


「性と暴力のアメリカ」

もうすぐセンター試験

2007-01-16 23:02:32 | Nonsense
今週末にかけて大学入試センター試験が実施される。
もうそんな季節かと、不図感慨深くなる。センター試験が導入される以前、1979年~89年の間国立大学で入学志願者を対象に、共同で基礎学力を実施した共通試験なるものが存在した。大学教育において個性と多様化の人材を求める一方、受験戦争の緩和目的の共通試験導入ではあるが、平均的に高得点をとれる優等生タイプの受験生の方が有利という点で、当時は賛否両論のあったのではないだろうかと推測する。その共通一次試験が実施された最初の入学試験の時、当時現役高校生として受験会場にいた人物がいる。彼は、なんと受験のあいまに休憩時間になる度に「共通試験反対!」というプラカードをもって校門にたち、マスコミにアピールをしたという武勇伝がある。現在のセンター試験でもそうだが、基礎学力を試すとはいいつつも、いかにミスなく、時間内に要領よく高得点を稼ぐかがポイント。難関大学の一部には、センター試験は足切り程度にしか利用されていないことから、そのようなセンター試験のあり方をあまり考慮していないのかだろう。

しかしこのような共通の試験導入の80年代から受験合理主義がはじまったと指摘しているのが、予備校の感想である。
昨年高校の必修科目の履修漏れが全国的に蔓延しているのが発覚した。河合文化教育研究所の主席研究員である丹羽健夫氏は、こうした事態に「やっぱり」という感じもしたそうだ。
かっての予備校では、高校で教科の本質を教わり、教科に対して畏敬の念すら抱き学習意欲のある生徒たちに、入試問題の解法を教えるという醍醐味を味わった。しかし難関大学の合格者数の競い合いや教育委員会からの受験実績による補助金の多寡の変動を通告されたりして、やがて高校側でじっくり教科の本質を教える余裕がなく、正解をひねるだすための記憶ドリルの作業場に変質した。しかも中高一貫教育校の方が受験には有利ということで、大都市圏では名門公立高校が地盤沈下している現象も、受験合理主義のあらわれだろう。それは明確に、受験生気質を変質させた。
高校時代の”0”を、いつも”ジェロ”と発言したある数学の教師を思い出した。その教師は単に数学を解くだけでなく、ご本人の面相とは離れた”エレガント”な解き方にこだわった。
丹羽健夫氏によると似たような教師がどこにでもいるもので、ある予備校講師はひとつの問題で別解を6つもだし、最後に「これが一番エレガント」とやってみせると教室中が興奮に包まれ拍手がわいたそうだ。しかし、有名なこのエレガントな教師はやがて辞表をだして教壇を去ることになる。
というのも、ある日クラス代表という生徒3人がやってきてこう訴えた。
「別解をいくつもだすのは止めてください。頭が混乱します。一番簡単なやつをひとつだけ教えて下さい。僕らは大学に受かることが目的ですから」

そのそも予備校なのだから、大学に受かるためだけのテクニックを教えればよいのだろうか。本来その存在そのものに疑問すらもつ受験産業の予備校側で、教育の本質を嘆くこと事態お門違いなのかもしれない。また共通試験やセンター試験のおかげで受験産業もうるおう部分もあるはずだ。しかし、このような教科の本質をおきざりにして受験合理主義への実態は、数学という教科だけではなく、高校全体にひろがっているからこそ発生した今回の履修漏れであるという予備校側の指摘は正鵠をえている。
教師の立場としても、本質追求型の授業はエネルギーも準備も大変だ。それに比較して正解追求型は単純で楽だ。大学合格という明確な目標は、ゲーム感覚でも高校生のモチベーションを維持できる。かくして受験テクニックに邁進するこどもたちの方が、受験の勝利者となっていくのだとしたら、いかにも残念である。
ところで「共通試験反対」のプラカードで抗議をしたかっての憂国の士である高校生は、無事志望の難関大学に合格し、いまや某予備校の有名な講師である。ちょっと変わった人物らしいのだが、生徒に人気抜群で指導の実力もある。但し、彼がセンター試験対策の講座をもつことはない。