千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「なかのとおるの生命科学者の伝記を読む」仲野徹著

2012-04-30 14:14:26 | Book
日経新聞を開くと真っ先に目を通すのは、私の場合は「私の履歴書」。だって、おもしろいんだもん。
本書の著者の生命科学者の仲野徹さんは、自他ともに認める伝記好きのおじさんらしい。その理由として、他人の生活をちょっとかいまみたいというのぞき見趣味を満たすだけでなく、生きているとこういうことがあったりするのか、と、人生というものを真摯に考えさせてくれるからだと説明している。近頃、評伝に傾倒しつつあり私の習癖が、下世話好きなのぞき趣味だったのかと、妙に納得したのだが、たった一度しかない我が平凡な人生から経験しえない他者の”人生”に映された鏡から多くの事をせつなくも感じさせてくれるのも事実。

さて、「私の履歴書」には、政治家、学者、芸術家、俳優、実業家、、、といった肩書きに”家”がつくりっぱな経歴と実績をおもちの錚々たるお方が月替わりで登場するのだが、私が一番読んで楽しく、感銘を受けるのが、研究者である。本書は「細胞工学」という専門誌に生命科学者の伝記本を紹介するという連載企画があり、当時から研究者仲間で話題だったそうだが、今般、生命科学好きな一般読者、特に若い生命科学者になりたい人におもしろいと感じてくれたらとまとめて一冊の本となった次第である。とりあげられたいずれも個性的な人物18人。

【第一章 波瀾万丈に生きる】
野口英世:一個の男子か不徳義漢か
クレイグ・ベンター:闘うに足る理由
アルバート・セント=ジェルジ:あとは人生をもてあます異星人
ルドルフ・ウィルヒョウ:超人・巨人・全人

【第二章 多才に生きる】
ジョン・ハンター:マッド・サイエンティスト × 外科医
トーマス・ヤング:Polymath ー 多才の人
森 林太郎(鷗外):石見ノ人 鷗外と脚気論争
シーモア・ベンザー:「オッカムの城」の建設者

【第三章 ストイックに生きる】
アレキシス・カレル:「奇跡」の天才医学者
オズワルド・エイブリー:大器晩成 ザ・プロフェッサー
サルバドール・ルリア:あまりにまっとうな科学者の鑑
ロザリンド・フランクリン:「伝説」の女性科学者
吉田富三:鏡頭の思想家

【第四章 あるがままに生きる】
リタ・レーヴィ=モンタルチーニ:ライフ・イズ・ビューティフル
マックス・デルブリュック:ゲームの達人 科学版
フランソワ・ジャコブとジャン・ドーセ:フレンチ・サイエンティスツ
北里柴三郎:終始一貫 (研究編)
北里柴三郎:終始一貫 (スキャンダル編)

この中で何人の科学者を知っているだろうか。業績は兎も角、名前だけの人でもたった8人しかいなかった。政治家やスティーブ・ジョブズの自伝や評伝が飛ぶように売れているのに、科学者は野口英世やキューリー夫人のこども向けの伝記本で殆どおわっているのはおしいと、なかのとおるさんの話から感じる。カイシャで出世する方法はこういったたぐいの本にはない。孫正義や柳井正さんのようにビジネス界で成功したり、富豪なれる秘訣は書いていない。しかし、科学者の人生は驚くようなエピソードがあったりもする。これぞ、人生なんて。

私が好きなのは、神経成長因子を発見してノーベル賞を受賞したイタリア人のリタ・レーヴィ=モンタルチーニの「美しき未完成」である。
彼女は1909年、トリノに生まれたユダヤ人。子守であった女性が胃がんで亡くなったことをきっかけにトリノ大学の医学部に進学する。女性は300人中7人。ここでまるで科学の神様のいたずらのように、がん遺伝子の発見者としてノーベル賞を受賞するレナート・タルベッコややはり分子生物学者としてノーベル賞を受賞するサルバドール・ルリアと出会う。ファシズムの嵐の中で1938年に制定された人種法により、彼女は公職から追放されて研究ができなくなってします。そこでたった一人で自宅でわずかな器具しか必要としないニワトリの神経発生の研究を再開する。やがて、戦争がおわりルリアと同じ研究室に向かうタルベッコと同じ船で渡米する。彼女の女性らしい感性は、神経細胞が並んで移動するのを鳥の親子が行列を作って歩いていくのを連想させ、アポトーシスで死んでいく神経細胞に戦争で亡くなっていったこどもたちを思い出し悲しむといった男性とは違う美しさが感じられる。

そしてもうひとり、フランソワ・ジャコブ。彼は、岸惠子さんの元夫だったイヴ・シャンピさんとともにシャルル・ド・ゴールが祖国のために自由フランス軍を編成することを知り、兵役を志願した12人の医学生のうちのひとりだった。ドイツ軍との戦闘では、かってひとりの女性を奪い合った負傷した友人を見捨てることができずに寄り添っていた時に爆撃を受け、友人は死にジャコブは生きたのだった。無謀な理想主義者だったのか、戦後の復帰は困難で、右手の負傷により外科医をあきらめたジャコブは小さな製薬会社に勤め、やがて運よくパスツール研究所で研究奨学金を得ることができた。そんなジャコブは「内なる肖像」という自伝で次のように語っている。
「未来に生きた。あすの結果を待ち続けていた。自分の不安を職業としたのである」と。

さて、彼ら登場人物を俯瞰で眺めたなかのとおるさんの感想は、やはり独創性につきる。そして、一貫性、偶然性もしかり。しかし、ここで伝えたいのは、協調性も重要だということだ。ひとりよりもふたり、ふたりよりみんな、といった他者との補完するような組み合わせや刺激がよい発見を生み、コミュニケーション能力は科学者にも大事だ。最後はやっぱり人間性。なかのさんによると、研究にはその人の性格や人生観が色濃く反映されるそうだ。しかし、そんな変人たちの伝記本の殆どが絶版になっているとは!次々の売れる本が消費されていくなかで、良い本が静かに消えていく出版界の現状が、嘆かわしい。

■こんなアーカイブも
「二重らせん」ジェームズ・D・ワトソン著・・・いまだに良く売れている
「ダークレディと呼ばれて」ブレンダ・マックス著

消え行く”バンカラ校”と”乙女の園”

2012-04-26 22:38:21 | Nonsense
先日、新聞で興味深い記事を読んだ。文部科学省の調査によると、男子高、女子高の男女別学の高校 が激減していて、全国で464校、全体の1割にも満たないそうだ。圧倒的に男女共学 校が多いとは・・・。

共学化にすすんだ理由として、先進国病のような少子化にあるという。ある男子校では生徒数が減り続けて、共学にふみきったところ、受験者数が2倍以上も増加。確かに、女子も受験できるとなると受験資格者も倍になる。受験料は私立高校にとって大事な収入源だ。笑えるのは、女子も入学してくると聞いた男子の入学者も増えたそうだ。乙女たちもくるとなると、学校があかるい雰囲気になるのは確かだ。

しかし、すっかり少数派となった別学には伝統ある難関校で、共学化などしなくても充分に学生を呼べる大学合格実績を誇る。昨年の東大合格者数では、上位7位までは男子校で8位は女子高と別学が連なる。中学・高校と男女の身体、精神面の成長にタイムラグがあることから、男女がともに学ぶのは非効率的という意見もある。そのため、共学でも、授業は別教室という学校もあるそうだ。

私自身はずっと共学に学ぶ乙女だった。
我が母校は創立100年を超え、詩人、政治家、学者、芸術家などを多く輩出している。学制改革に伴い、要するにお上のお達しで男子校から共学化されたようだ。その当時は、伝統ある男子校にスカートをはいた女子がやってくるのは大事件だったそうだが、体育と家庭教師だけは女性教師を配置したと聞く。つまり、私が在学中も、女性教師はたった2人、しかもとても優秀なご婦人で後は全員男性教師だった。女子学生は全体の4分の1しかいなかったため、男子クラスというのがあったのだが、隣から見ていても男子クラスは同じ高校かと思うくらい雰囲気、”匂い”ともに違っていた。まさにバンカラ・パラダイスで破天荒だった。思春期に異性を意識することなく男どもでのびのびと過ごせるためか、3年間、ずっと男子クラスは嫌だけれど、一度は男子クラスを体験したい、というのが男子の都合と願望だった。

大学に進学すると、更に女子学生は少なかった。私が入学した当時の経済学部は特に女子に人気がなく、学部では更に更に女子が少なかった。
私が入った数Ⅲレベルの経済数学が必須のゼミは、ゼミ開設以来、男子のみ。私たち女子がやってくると聞いた先輩やOBの一部は反対したと、後に教授の奥様に聞いた。ゼミの夏合宿では、女性禁止のある場所へ行くのが恒例となっていた伝統?があったのだが、それもとりやめとなるからという事情もあったとか。(その後、10年もたつと女子学生が過半数を占めるようになった。)ただ、地方の女子高出身の友人の話を聞くと、女子高は性別の固定された役割がなく、女子でもクラブ活動や生徒会、行事などでリーダーシップを発揮する機会に恵まれていること、多くの同性のメンターやモデルケースには恵まれていると感じた。恋愛だって、共学でなくてもできるし。一部地方では、県立の進学校ほど別学で県民の強い支持があるとも聞く。伝統の重みが生きている。

そして、現在の勤務先の部署は殆ど女子ばかりの女子高状態。女子限定話で盛り上がったり楽しいノリであかるい職場だと感じることもあるが、けっこう気を使ったりして面倒だと感じることもある。そもそもスイーツや韓国ドラマ、ジャニーズはよくわからないので全くついていけないし、経済や映画、本の話題の方がずっと好きなおやじ系だし。周囲の目を気にしなければいけなかったりと、前の男性軍に囲まれていた時のようにのびのびと働いたり提案したいとも思う。

最後に開成高校の校長の次の言葉を紹介しておきたい。
「同性の先輩を見て、早い段階に自分は何になりたいかと自己確立が可能になり、それに向かってすすむことができる。今ほど、男女別の学校が必要な時代はない。我が校は最後の1校となっても男子校であり続ける」

「第14回チャイコフスキー国際コンクール 優勝者ガラ・コンサート」

2012-04-26 22:36:53 | Classic
昨年の9月にジャパン・アーツ主催で開催された「第14回チャイコフスキー国際コンクークール 優勝者ガラ・コンサート」は大盛況だった。宣伝チラシにある「決定!新スターの誕生」という昭和の芸能界のノリのとおりに、まさしくキラ星のような若き演奏家たちだった。それに気をよくしたのか、追加決定されたのが今夜の優勝者ガラ・コンサート。演奏順はバランスよく、最初にヴァイオリン、チェロ、そして休憩をはさんで最後にピアノだ。

まずは、ヴァイオリン部門で2位(1位なし)で聴衆賞を受賞したセルゲイ・ドガージン君が登場する。
彼はロシア人にしては小柄だが、全身黒づくめの衣装とステージマナーは洗練された印象を与える。年齢から言えば、大学卒業した新人社員なのだが、まるで何年もステージ活動を続けてきたプロのような堂々とした物腰で、その分初々しさはに欠ける。選んだ曲は、モーツァルトが19歳の時にザルツブルグで作曲したヴァイオリン協奏曲第3番。昨年のチャイコフスキーVn協奏曲で自分の音楽観を披露した演奏スタイルとは異なり、モーツァルトの純粋な才能と音楽に心を自然にそわせて、繊細な音がきらめくように実に美しい。そして彼の音楽性はこの音楽のもつ初々しさを春から初夏へかわる新緑のように映している。思わずため息がでたのだが、演奏がおわってみれば、何の事もない、それが彼流の”説得力ある演奏”に説得されていたことに気がついた。

お次のナレク・アフナジャリャン君は、チェロの名曲中の名曲ドヴォルザークのコンチェルト。すべてにおいてバランスのよく、オールマイティな演奏家だと感じている彼の楽器は、ダヴィッド・テヒラー。勿論、貸与である。ドヴォルザークが1892年、アメリカ滞在中に作曲されたこの曲は、ボヘミア民族舞曲が反映されたナショナリズムと望郷があり、一方で黒人霊歌の影響も受けており、情熱のほとばしりの中にも溌剌とした新らしさも感じられる。彼の祖国、アルメリア共和国は複雑な歴史をもつが、彼自身はモスクワ音楽院に進みムスティスラフ・ロストロポーヴィチ財団から奨学金を授与されていて、実力をのばして栄冠を手にした。そんなこととは別に、のびやかに彼のチェロは歌う、ある時は情熱のほとばしるままに、そして悲しげに。高音が美しく、まるでヴァイオリンかと思った。演奏後の拍手を背に、舞台に設置されたチェリスト用の台から、チェロを片手に長い脚で軽やかにひょいと降りたナレフ君。大きな楽器が、彼の長身の中では可愛らしさすら感じる。大器の熟成が楽しみだ。

いよいよ、ダニール・トリフォノフ君の登場。何度も聴いて来て、いささか食傷気味のショパンのピアノ協奏曲第1番、、、だったはずだが、彼の演奏する音楽は全く違う。この曲って、こんなに素敵だったの。思わず集中して、一音も聴きのがしたくないと真剣になる。音の一粒一粒に、彼の考える、彼の感じるショパンが宿り輝いている。繊細で美しいのに、大きな音楽となっている。写真集でアイドル並みの売り出し方に疑問を感じるのだが、彼の音楽は本当に素晴らしいのだ。それにも関わらず、モクスワ交響楽団の演奏はさえなかったのが、とても残念。

最後にアンコール曲について。
セルゲイ・ドガージン君は端整なモーツァルトの協奏曲第3番を演奏したのだが、この曲は技術的には難しくない。小学生でも発表会で弾いているくらいだ。しかし、単に弾くことと演奏することは別の次元で、逆に、だから難しい部分があるのだが、それは兎も角、アンコールで選らんだのは超絶技巧のパガニーニ「ラ・モリアーナ」!抜群の技巧を披露しながら、決して荒れずに音が美しい。拍手喝采。観客の受けをよく計算した抜群な選曲だったと思う。
チェリストのセルゲイ・ドガージン君は、すべてピチカートで奏でる「ツィンツァーゼ:リョングリ」。粋で、あかるい音楽性が映える。なかなかやるもんだ。
・・・とくれば、ダニール・トリフォノフ君は何を演奏するか気になるところ。彼が弾き始めたのは定番中の定番、ショパンの「華麗なる大円舞曲」だった。まるで着メロのようなこの曲も、彼は自分の音楽観で個性的な誰も演奏したこともない、素晴らしい音楽をうむ。彼はピアニストではなく、作曲家の心をもった音楽家としてショパンを演奏しているのだった。

総じて3人とも、選ばれるべくして選ばれた覇者だということがよくわかった。覇者という言い方は好きではないが、これを踏み台にダニール君はウィーン・フィルとすでに初共演している。しかし、彼らは国際的なコンクールで優勝したのだが、免許皆伝で自らの音楽性を育てていくという旧来のタイプではなく、どのような師匠に指導されようと自らの音楽性と個性をすでにもっていて立っている。ピアニストの中村紘子さんが世界で活躍できる日本人音楽家を育てるには、若い頃から演奏経験を積む必要があると牛田智大君をバックアップしていることの真意がよくわかった演奏会でもあった。完璧な演奏ではなく、プロとしての音楽性が求められている。

--------------------------- 4月26日 サントリーホール --------------------------------------

・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調
・ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調
・ショパン:ピアノ協奏曲第1番 

■アンコール
・パガニーニ:ラ・モリナーラ
・ツィンツァーゼ:リョングリ
・ショパン :華麗なる大円舞曲
・チャイコフスキー :田舎のエコー


指揮 :アンドレイ・ヤコヴレフ
出演 :セルゲイ・ドガージン(Vn)、ナレク・アフナジャリャ(Vc)、 ダニール・トリフォノフ(Pf)、
演奏 :モスクワ交響楽団

■もっとアンコール
昨年のガラコンサート
チャイコフスキー国際コンクールの幕がおりる
ファツィオーリという世界最高のピアノ
「第13回チャイコフスキー国際コンクール 入賞者ガラ・コンサートジャパンツアー」

『スーパー・チューズデー』

2012-04-25 23:01:18 | Movie
今年はオリンピックの年。ということは、アメリカでは大統領選挙の年でもある。
選挙資金を大量に使い、中傷合戦をものともせずに熾烈な選挙を勝ち抜いてオバマ氏が登場してもう4年か。歳月人を待たず・・・。
それは兎も角、実際の大統領予備選が進展しているさなかに、実にタイムリーな映画が本作の『スーパー・チューズデー~正義を売った日~』である。しかも、あのジョージ・クルーニーが監督して、大統領の有力候補のモリス役をとして出演もしている。

こうして観ていると、ジョージー・クルーニーは大統領候補役にぴったり敵っている。私生活でもニュース・キャスターだった父上の影響を受け、同じく監督を務めた社会派映画『グッドナイト&グッドライト』のように正義感が強く、平和運動にも関心が強く、スーダン大使館前でのデモ活動で拘束されて罰金を支払ったニュースも記憶に新しい。

ジョージ・クルーニー演じるペンシルベニア州知事マイク・モリスは民主党から出馬した大統領の有力候補。(間違っても共和党ではない)
今では死語かもしれないハンサムな顔立ちとりっぱな体格、清廉潔白で妥協はしない信念の人。誰だって、こんな人物が立候補したら魅了されるだろう。大統領候補者を決める予備選の山場で多くの州で投票日が重なる3月15日の火曜日、スーパーチューズデイがせまってきた。老獪でやり手の選挙参謀のポール・ザラ(フィリップ・シーモア・ホフマン)と若い広報官スティーヴン・マイヤーズ(ライアン・ゴズリング)は、モリスを大統領にするために必死になって働いている。そんなある日、スティーブンに1本の電話がかかってきた。相手は、なんと最大のライバル、プルマン陣営の選挙参謀トム・ダフィ(ポール・ジアマッティ)だった。。。

米国の選挙運動は、国ぐるみの最大のイベントでありお祭りでもある。日本の白い手袋にマイクを持って、有権者が聞き飽きたお調子のよい演説の垂れ流しとは全く次元が異なる。そこにあるのは、一瞬の失言や印象が命取りとなるテレビ出演、政治家としての手腕、資質が問われる討論会、計算された衣装と顔映りがよくなる化粧、膨大な選挙資金や大勢のスタッフだけでなく、いかにもありそうな陰謀や裏切り、密告、そして誰もが好きな下世話なスキャンダル。よくできた政治映画でありながら、サスペンスというエンターティメント性も加えたのは、さすがにジョージ・クルーニーだ。映画の中の彼は、全く造られた笑顔が決まっている。彼の整ったハンサム顔というのは、大衆好みのテレビ向きかと思っていたのだが、彼のおもしろみのない容姿があってこそ、この大統領候補はいきてくる。映画を観ながら、元アンカーソー州知事から若くして第42代大統領になったクリントンを彷彿させた。

「正義を売った日」というサブ・タイトルがついているが、日本人には立候補者の中から投票する政治家を選ぶことの重さと選挙民としての覚悟を問われたような思いがした。日本では、選挙をテーマに優れた映画作品が生まれることは難しい。

さて、先日の平和運動で政界に出馬するのかと問われたジョージ・クルーニーの答えはNOだったのだが、何しろ水面下ではなんでもありの米国の選挙運動だ。本当のところはどうなのだろう。不図、思いだしたのは、中曽根康弘元首相が渡仏した時の素敵なスピーチ。

シラク市長(当時)がいかにもENA出身のテクノクラートらしい、四角四面の原稿を読みながらの演説で、聴衆がすっかり退屈しているのを感じた中曽根さんは即座に用意した原稿を破棄するように通訳に伝えた。そして、「天井桟敷の人々」「舞踏会の手帖」といったフランスの古典映画を例にとって話をはじめた。
若い通訳はこんな名作のタイトルを知らなかったらしく、赤面しながら「えッ?えッえッ」と詰まってしまった。
その狼狽ぶりに苦笑しながら間髪入れず、「Les Enfants du Paradis(レザンファン・デュ・パラディ)(天井桟敷の人々)」「Un Carnet de Bal(アン・カルネ・ドゥ・バル)(舞踏会の手帖)」と一言一言句切りながら、自らフランス語で言った中曽根さんに聴衆は拍手した。
「日本には下手の横好きということばがありましてね、私は『枯葉』というシャンソンが大好きです。これも日本の滑稽な習慣ですが、風呂に入って頭の上に手拭いをのせて、私はよく上手くもない『枯葉』をうたう。だから、イヴ・モンタンさんは私にとって雲の上の人、幻の師匠です。ただ、そのシャンソンの大師匠に、今、私が教えてあげられることがたった一つある」
その場にいた岸惠子さんによると、ここで中曽根さんはちょっと間をとったのだが、それがさながら名優の域のような実に的確で効果的な間だったそうだ。

「政治はそんなに簡単なものじゃない」
会場は割れんばかりの拍手だったそうだ。

会場にもいたイブ・モンタン氏は笑いながらこの名スピーチをどのように聞いたのだろうか。タレントや運動選手が簡単に政治家になる日本。そんな日本を心底情けないと感じいる。しかし、政治家にならなくてもジョージ・クルーニーにしかできない政治活動もあるはず。社会派映画の次回作も期待したい。

監督:ジョージ・クルーニー
2011年アメリカ製作

■アーカイヴ
『グッドナイト&グッドライト』
『マイレージ、マイライフ』
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

「ドイツ病に学べ」熊谷徹著

2012-04-23 22:19:45 | Book
「ドイツを訪問すると、整然として清潔な街に日本にはない快適さを感じる。便利なサービス面やファッションセンスでは劣るかもしれないが、インテリアは美しく、各地方を結ぶ機能的なアウトバーン、エコライフ、美味しいビールにワイン。そして生活拠点で余暇を楽しむ人々の姿を見かけると、慌しい旅人はうらやましくなる。真に豊かな暮らしというものを考えるとふつふつと疑問がわいてきて、これでよいのか、日本人!?・・・となってくる。

たとえば、ドイツの大手企業の取締役会の上には監査役会があり、労働者の代表も参加し重要事項の決定権をもつという独自のシステムがある。それは社会保障サービスの充実につながる。公的健康保険は眼鏡のレンズだけでなく、フレーム、サングラスまでカバーしてくれる。入院しても、6人部屋などありえない。2人部屋か個室が当たり前、電話も各自のベットについている。被保険者の葬儀費用、分娩費も健康保険でいける。「連邦休暇法」で有休休暇は20日あり、従業員はすべて有休休暇は消化する。それだけでなく、医学的な予防とリハビリのための宿泊費や治療費も公的健康保険でカバーしてくれる「クーア(kur)」という転地療養休暇まである。著者の住んでいるミュンヘンには、美術館のような老人ホームもあるそうだ。

やっぱり、いいじゃんドイツ!ところが、しかし、本書の趣旨はそれでよいのか、ドイツなのである。

いったいその財源は誰が支えるのか。勿論、国民であり勤労者である。世代間でお互い様、、、と言えるうちはよいけれど、2003年のドイツの合計特殊出生率は1.34と米国を大きく下回っている。管理職につく女性が多く、激務のためにプライベートな時間がつくれなくて未婚だったり、個人主義のために離婚が多かったりと、女性がこどもを出産しなくなった事情は日本とは違うのだが、年金生活者を支える若者が減っているのは同じである。日本と比較してうらやましい限りの社会保障を、国家依存症という甘い毒と言い切る保守派の論客もいる。

更に、労働コスト削減のために、生産施設はチェコ→スロバキア→ルーマニア→ウクライナと転々として、製造業界は「生産施設の遊牧民化」と呼ばれている。産業の空洞化は日本と同じ。ビジネス・カジュアルが浸透し、益々服装にはお金をかけない買わない傾向が続き、車好きなドイツ人もベンツはゴルフではなく100万円以下の低価格車が人気となっている。(EU共通通貨ユーロの導入は、マーケットが一気に広がり為替リスクのなくなり、ドイツ企業には多くの利益をもたらしたことを考えると、今日のユーロ安は皮肉を感じるのだが。)現代のドイツは”sick man of Europe”というニックネームをいただいている。本書には確かにドイツ病に学べというとおりに日本と同じ症状がみられる。

女性が出産・子育てしやすい環境を整え雇用を即したり、東西ドイツが統一された頃から、社会保障コストを引き下げることも必要であろう。外国人の受入体制、高齢化と少子化対策、技術革新、高付加価値製品の製造、など治療をはじめたドイツから日本は学ぶところがおおいにある。しかし、私が本書で最も衝撃を受けたのは、かのドイツ銀行 のヨーゼフ・アッカーマンCEOである。ドイツ銀行は2004年度に当期利益が前年度比81%増、25億ユーロ相当の利益を生み出し、株主配当を増やし、投資アナリストをうならしたやり手である。しかし、業績が飛躍的に改善しているにもかかわらず、人件費が高すぎると行員の数を5200人減らすと発表した。さすがに政府や組合から「反社会的」と非難轟々だったそうだが、税引き前ROEを25%引き上げるためには必要な措置と言い切ったそうだ。彼は、投資銀行出身で英国の金融界では最も優秀な銀行家のひとりという高い評価を受けている。なんということか。

それでよいのか、ドイツ。このままでは人間の顔をもつ優しい資本主義をめざしたライン型資本主義は、強欲なアングロサクソン型資本主義に敗北してしまうのではないだろうか。敗戦の瓦礫の山から奇跡のように復興して経済大国になったドイツと日本。 しかし、著者によると現代の両国に共通なのは社会の閉塞感。それを感じるのも長くなった・・・。本書が出版されたのは、2006年、1ユーロ=140円のユーロ高の時代と事情も多少変わり、すべてに納得するわけではないし、別の視点から考える必要もあると思う部分もあるが、ドイツの現状を知るにはふさわしい1冊である。

■こんなArchivも
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「ドイツ語とドイツ人気質」小塩節著

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の生き方」カトリーヌ・キュラン著

2012-04-14 19:32:22 | Book
「5月に法律の最初の試験、8月に双子出産、12月に法律の最終試験。マーガレットについてほど多くを語れる別の女性がいたら、会ってみたいものだ」

これは「鉄の女」を妻に娶った勇気ある紳士、夫のデニス・サッチャー氏の言葉である。妊娠・出産だけでも心身ともに負担が大きいのに、双子ちゃんの出産だったらかなりきついはずである。それをものともせずに、難関試験にパスする女性。 メリル・ストリープの名演技ばかりが印象に残ってしまった感のある映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』でものたりなかったサッチャリズムをもう少し知りたくて手に取ったのが、本書である。出版社は何を考えて、このような粗雑で中途半端な装丁にしたのかわからないのだが、表紙の”顔色”が超悪サッチャーに比して、彼女の個性と魅力や辞任するまでの英国の政治事情や背景など、本書は中身はスリムだがその分コンパクトにうまく整って書かれている。入門編としてこれ以上の一冊はないのではないか。しかし、素材をサッチャーにした時点で、著者が仕事を楽しめたことは読んでいて感じた。実にまれな人物なのだ。

デニス氏が舌を巻いたように、サッチャーほど多くを語れる人物はめったにいないはず!映画『鉄の女の涙』だって、涙を副題につけて「英国初の女性首相の栄光と挫折、そして最愛の夫との感動の物語」と宣伝するにしても、内容がランチ定食並みでは満足できないじゃないか。・・・と、ここでほえても仕方がないか。本書も専門家からすれば素人向けのAランチかもしれないが、英国の議会が、世襲貴族や首相を退任した後のサッチャーのように任命された議員、そして教会の聖職者から構成される上院と、650人からなる普通選挙で選ばれた議員からなる下院で構成されている、といった特殊な英国らしい背景の説明もあると日本人にはわかりやすい。

さて、肝心のサッチャーだが、自分のすべてを負っていると明言している父アルフレッド・ロバーツの存在なくして語れない。質素で勤勉知られる食料雑貨店の店主だが、彼は天賦の雄弁の才能に恵まれて、長時間、メモなどなく話しができて地域でも評判が高かったそうだが、その才能は次女のマーガレットに受け継がれた。彼女は1時間近い演説でもメモを殆ど見ることなく話すことができた。映画の中でマーガレットが首相になってからミルクの値段を正確に言い当てた時に、議員たちは小声で「食料雑貨店の娘だから」と揶揄していたが、そこは違うと思う。抜群の記憶力をもち元化学者だった彼女は、常に様々なデーターの正確な数字を把握して演説し、説得していたのだった。

確かに、彼女はオックスフォード大学に入学できる頭脳もあったが、決して特別に頭がよかったわけではない。父のアルフは猛烈な勉強家で、働いて家族を養いながら、独学で次々と図書館から書物を借りてきてはインプットしていた。金本位制、信託問題、ヒットラーが台頭した原因、何を質問しても回答がかえってくる父、その父と娘が議論する濃密なセミナーのような家庭の夕食。そんな夕べを襲う空襲警報が鳴るたびに、娘は食卓の下に避難しながら宿題をするのをやめなかった。(映画では単なる戦争体験にしかわからなかったが)父の薫陶をたっぷりうけた彼女は、政治家になっても通常はアシスタントまかせにするところを自ら調査し、すべての書類に目を通し、疲労で気を失って倒れるまで猛烈に勉強して働いた。

政治の世界には、努力だけでなく運も大事。マーガレットにとって最大のラッキーは、父親のかわりのような10歳年上の離婚暦があるがデニスと出会ったことだろう。議員になってもきちんと生計できる収入をえることができるようになったとはいえ、ベビー・シッターを雇う費用や政治資金などの金銭面を気にせずに政治活動に専念できるようになったのも、そして初登院の日に、数着のスーツと8足の靴を非のうちどころのないエレガンスさと一緒に控え室にもちこめたのも、ゴルフとジャガーが大好きなデニスのお金だった。最愛の夫という映画のキャッチフレーズどおり、ふたりがお互いを信頼しあい最後まで愛し合っていたのは間違いないようだ。

ところで、映画の中で印象に残るシーンは、移動するダークスーツの集団の中にひとり、目のさめるような青い帽子を上から俯瞰して撮った場面である。圧倒的に男性で占められる政治の世界の中での女性をわからせるよくできた場面だが、別の意味でも彼女はアウトサイダーでありテロリストでもあった。もうひとつの運は、本人も含めて誰もが女性の首相が誕生するわけがないと考えていた時代に、逆に女性だから自由闊達に能力が発揮できたのかもしれない。

そんな彼女のエピソードで最高に笑えたのが、ジミー・カーター元大統領との会談だ。サッチャーは、組合について説教をたれ、外交にもモラルが必要と穏便にわからせようとするカーターを一笑にふして「そんなのは戯言」と言い放ち、「外交は国益以外のなにものでもない」と断言した。青ざめたカーターを、後に生ぬるい奴と評価した彼女の方に軍配をあげたい。そんな彼女と対照的なのはロナルド・レーガン大統領。 夕方5時には帰宅して、金曜日の夜からはバカンス旅行。水曜日の午後はテレビで映画鑑賞と、レポートには殆ど目を通さず、自分が知らなければ知らないほど統治はうまくいっていると考えるお気軽な輩。何しろ彼は、モスクワで行われる会談の準備に、仕事の雰囲気につかるためと言って米ソの戦争ミステリー小説を読む政治家なのだ。しかし、だから逆に相性はよかったようだ。彼女にとっては元俳優のレーガンは、憎めないできの悪い少年にも思えた。そして、特出すべきはゴルバチョフの能力をいち早く見抜き、食事抜きで延々と議論してレーガンとの仲介役を果たしたことだ。

そんな彼女も人頭税導入では最大の失敗をした。経済的合理性よりも政治的見地から累進制度を廃止して人頭税を実施しようとしたのだが、公平性を求める英国民には社会的不正義にうつるそれは無理がある。国家の繁栄と国民の幸福よりも党の政治的事情を優先したのは、彼女の持ち味でもあるアウトサイダーの本分が失われていていった。「鉄の女」という表現に冷酷さを感じる英国民もいるが、本書からは意志の強さが伝わってくる。最後に私の好きなサッチャーのもうひとつのエピソード。1959年議会は解散し、総選挙がはじまった。マーガレットはすべての人と語り、すべての商店、養老院、学校、会社を訪問した。マーガレットは人の名前、こども、病人をわすれず心を配り、誰もがその魅力溢れる人柄を称えた。10月8日、選挙に勝利し、次の月曜日にはともに選挙戦を働いてくれた人々に手書きで700語の礼状を送ったそうだ。これこそサッチャー流ではないか。

■アーカイヴ
「ブレア回顧録」
老いたサッチャー夫人
・サッチャー元夫人が認知症に
「インタビューズ!」
映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

ポール・ルイス シューベルト・チクルス Vol.4

2012-04-12 22:24:14 | Classic
ミュンヘン出身の映画監督ミヒャエル・ハネケの作品に、イェリネクの著書を15年間熱望して撮った『ピアニスト』という映画がある。
主人公の中年女性エリカは、音楽院の有能なピアノ教師。権威ある地位についてはいるが、彼女は母親の執念のように期待されたコンサート・ピアニストになれなかった教師。しかし、そんなエリカだが、誰よりもシューベルトの世界を手にしている自信はあった。
「シューベルトはあなたのもの」
母のささやきを当然だと思っていた。
「シューベルトはわたしのもの」
誰よりも自信があったエリカを絶望の淵に落としたのは、シューベルトを素晴らしく演奏をする若く美しくすべてに恵まれた青年の登場だった。

シューベルトのピアノ曲とは特別なものなのか。
映画を観た時から、ずっと気になっていたシューベルト。王子ホールが主催したのは、英国リバプール出身のピアニスト、ポール・ルイスによるシューベルト・チクルスである。彼によるとシューベルトの音楽の”特別な”魅力とは次のようになる。

「シューベルトの音楽には憧れや絶望、親しみ、ノスタルジアといったものが率直かつ直截的にあらわれており、聴く人はその音楽に動かされ、引き込まれずにはいられません。」

ポールは、階級社会の英国で、リバプールの労働者階級に生まれたということだけでなく、サッカー狂の父親とクラシック音楽に全く興味のない母親の間に育ち、ピアノを学びはじめたのはなんと12歳の頃からだという珍しい経歴をもっている。それは演奏会が終わって知ったことだが、初めてポール・ルイスのピアノを聴き、裕福な家庭ですべて整えられた環境で学んだ音楽家とは違う雰囲気を感じた。一言で言うとラフな中の本物感というのだろうか。ポール・ルイスは20歳の時に出会ったアルフレッド・ブレンデルを師匠に、派手な宣伝とは無縁に地道に演奏活動を続けてきて、近年は、次世代の巨匠と期待されているピアニストだ。華やかに時流にのるスターもよいけれど、こうした地味だが息の長い固定客をつかめる演奏家を大事にしたいと思う。演奏家を育てるのも、観客の役割だからだ。華やかさに目をひかれる人は、あきるのも早い。

さて、シューベルトの音楽は、あかるさと楽しさの中にふと悲しみや絶望がのぞく時があり、私にとっては実はこどもの頃はこわくてもの悲しいシューベルトだった。しかし、彼の手にのると、シューベルトのこわさが人生への絶望と悲しみの表情であることが人間味として表れ、そこにシューベルトと音楽への愛情が感じられる。確かに、こどもには不思議な恐ろしさを感じた旋律が、何度もめまぐるしく変わる転調となって耳から、心から、離れることがない。

「シューベルトの音楽はあなたのもの」

ところで、ポール・ルイスを知ったのは、昨年の震災の後、海外の大物の音楽家のキャンセルが相次ぎ多くのコンサートが中止となる中、4月21日の彼のリサイタルが通常どおり開かれていたことを記事で読んだからだ。事前の打ち合わせでも、来日した時も、彼からは原発のことは何ひとつ質問がなかったそうだ。平然と来日して高い密度の演奏をして聴衆への感謝を述べて去ったそうだ。王子ホールの関係者が最後に彼に気になりませんかと尋ねたところ、「国は違っても私たちはこの世界の住人であり、どんな小さいことでも自分たちの役割を果たし、日々の営みをつないでいかねばならない。だから私は今月、日本でシューベルトを決意をした」という言葉が返ってきたそうだ。そんなポールらしい、大きな構成の音楽を存分に楽しめたことは喜びだった。

さて、私は他の方の演奏会のマナーや聴く姿勢についてあまり気にしない方であるが、というよりも気にしないようにつとめているだけなのかもしれないが、近頃、いかがなものかと感じるのが拍手のタイミングである。音楽の余韻にひたる間もなく、あわただしく拍手が入るのは無粋ではないだろうか。(せっかく楽しまれている方に、たかが拍手のタイミングにいちいち眉尻をあげることこそ無粋だとも思うのだが。)確かに、弾き終わった瞬間にブラボーと喝采したい曲も雰囲気もあるので、すべてがその限りではないのだが、今夜のシューベルトの音楽は音が消えたつかの間の余韻を、深く心でそっと慈しみたい音楽ではないだろうか。ポール・ルイスのこの言葉には、私は思わず深く肯いてしまった。

「彼の音楽は静寂を求めているようなところが少なからずありますが、ついに静寂が訪れたときには、それがいかに大事なものかをしみじみとわからせてくれます。」

今宵のシュベールトは、ポール、あなたのものだった。
そして、私のものでもあり、ホールをうめた人々のものだった。私たちは、どこへ住んでもやはり地球というひとつの船の住人には変わらないから。

---------------  2012年4月12日 王子ホール ------------------------- 

16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ Op.33, D783
ピアノ・ソナタ 第14番 イ短調 Op.143, D784
アレグレット ハ短調 D915
ピアノ・ソナタ 第16番 イ短調 Op.42, D845

■アンコール
シューベルト:ハンガリーのメロディ ロ短調 D817


『ヘルプ』

2012-04-11 22:27:59 | Movie
女優で作家でもある岸惠子さんの愛娘のデルフィーヌさんがまだ3歳にならない頃、長く滞在していた日本からフランスに戻った時のことだった。日本に滞在中、人形遊びで外国人イコール白人の西洋人とすっかりすりこまれてしまったために、久しぶりに対面した大好きなお手伝いさんの顔を見て、「オランプ、どうして顔が夜になってしまったの」と驚き、一緒にお風呂に入るや彼女のチョコーレート色の肌を一生懸命にタオルでこすったそうだ。オランプは、デルフィーヌさんの詩的で可愛らしい発言を岸さんに報告して、いかにもおかしそうに笑ったという。オランプは溌剌とした23歳の若い女性。しかし、彼女の育った国の例にもれず、すでに3人の子持ちだった。14人兄弟で育ったオランプは、故郷の大家族にこどもを残し、シャンピ家でお手伝いとして働いていた。私は岸さんの著書「30年の物語」で1960年代のこのエピソードを読んで、オランプに尋ねたかった。
「オランプ、自分のこどもではなく、他人のこどもを育てるのはどんな気持ち?」

「自分のこどもではなく、他人のこどもを育てるのはどんな気持ち?」
1960年代、アメリカ南部。上流階級で育ちミシシッピ大学を卒業したばかりの作家志望のスキーター(エマ・ストーン)は、”ヘルプ”と呼ばれた黒人のメイドのおかれた立場に疑問をもつようになり、メイドの実態を伝える本を執筆するために黒人のメイドたちにインタビューをこころみようとした。しかし、当時の明確な黒人差別が色濃い地域社会では、黒人が自由に発言することは命の危険すらあった。誰もがおびえて断る中、スキーターが最初に白羽の矢をたてた対象のエイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)は、勇気をもって応じるようになる。まさに命がけのインタビューをはじめたスキーターからエイビリーンへの最初の質問が、これだった。未婚でこどももまだいないスキーターのまっすぐな質問は、ためらいもなく素直で、ヘルプの母親たちにとってはなんと残酷なのだろう。

しかし、この映画の魅力は雲ひとつない映像と同じ晴天のあかるさにある。人種差別を扱ったテーマーでは撮りようによっては、社会的だったり、深刻だったり、悲劇に傾く可能性がありながら、軽快にユーモラスに物語は進行していく。それは諸々のつらい状況におかれた黒人たちの小気味よいしたたかさにもつながっていく。白人たちのおいては群れることからの主体性の欠如が、弱い立場の黒人の彼女たちには連帯となっている。又、差別と迫害を当然と感じるヒリーのような人もいるが、人種が異なっても相手への思いやりを失うことのない人や、最初から垣根のない人、スキーターのように高い意識をもって友情を育む人とその頃も現代も人さまざまである。

それにしても現代の日本人の私からすると違和感があるのが、劣っていると考えている黒人にどうして大切な宝のようなわが子の世話を任せっぱなしにできるのだろうか。掃除、洗濯、おむつの交換だけでなく、教育やしつけまでメイドまかせか?ましてヒリーのように黒人を不潔だと主張し、各家庭に黒人メイド専用トイレを設置させようと進言する女性が、わが子をその”不潔な”黒人に抱かせて、調理をさせた料理を喜んで食べているのである。やはり、言動に無理があるのだから、いつかは破綻する。しかも、人種差別も女性の固定的な役割による性差別もそれほど違いはないと気がついていない。

ところで、最近アメリカのブランド「Milly」を愛用している私としては、映画に登場する60年代のファッションは観ているだけで楽しかった。健康的であかるく、チャーミングなファッションは、映画の雰囲気もうまく演出していると思う。そして、意外にもヒール役のヒリーすらもにくめないのが、映画を観終わった時の満足度になるのだろう。映画の中では、本を執筆したのはスキーターなのだが、後に作家となったと思われるエイビリーンの回想によるナレーションが希望を感じさせてくれるのがミソ。

さて、冒頭の惠子さん宅の”ヘルプ”だったオランプのその後。なんと、祖国チェコの抵抗運動を準備するためにシャンピ家に居候をしていた18歳の金髪碧眼の美青年と恋におち、別の国に亡命したそうだ。故郷に3人のこどもを残して。やはり、彼女たちはしなやかでつよい。そして、惠子さん曰くこれぞ青春だよ!

原題:英題: THE HELP
監督:テイト・テイラー
2011年アメリカ製作

■こんなアーカイヴも
映画『ダウト』・・・エイビリーン役を演じたヴィオラ・デイヴィスが出演

「30年の物語」岸惠子著

2012-04-07 22:27:31 | Book
「 一瞬も 一生も 美しく」
さすがに資生堂である。女の化粧という表面を飾る営みから、哲学まで感じさせられる。その新聞広告に出演しているのが、今年80歳になる岸惠子さん。
岸惠子さんが作家としてデビューした「巴里の空はあかね色」の続編にあたるのが、本書の「30年の物語」である。岸さんが初めてパリを訪問したのは1956年の1月2日のことだった。デヴィッド・リーン監督が製作する予定の「風は知らない」のヒロインに抜擢されたため、英語をマスターする必要があり留学ついでに立ち寄っただけのパリ。美しくりっぱな街だが、こんなさびしいところには住みたくないと感じた岸さんは縁があって、2年後にパリの住人になった。それから42年の歳月が流れてある風景として残ったのが14の物語。30年という岸さんの心の基準を経て、尚且つ静かに沈殿しているのはどれもこれも心がふるえるような珠玉のような物語だった。

言ってしまえば、前作の「巴里の空はあかね色」では、少々文章がうまい女優レベルだった。女優という職業に敬意を払うけれど、演じることと文章を書くことにふたつの才能は全く別の次元のもの。映画女優だけでなく、作家という肩書きを易々と名のる岸さんに、日本人離れをした会話と同じようなきどりを感じていたのも正直なところ。しかし、本書のすべてのエッセイは、本屋に溢れる多くの作家やスポーツ選手などの様々な職業人のエッセイや本と名づけられた退屈な文章の羅列をこえている。

まず、文章がうまい。作家のこなれた粋で読ませる職人技とは違う、素人の手触りがあるのだが、おそろしくセンスがよくうならせる。しかも、きれいだ。けれども、本書の価値は、何よりも人生の酸いも甘いも噛み分けた成熟したおとなの女性の感受性がみせた世界があることだ。異国での日常の仔細な煩雑さを嘆くかと思えば、私からすれば娘のデルフィーヌさんの異邦人のように感じる辛らつな会話、政治、国際情勢まで、岸さんは単にパリ在住をおしゃれなエルメスのスカーフのように飾る元アナウンサーたちとは次元が異なる深い洞察力をもつ国際人だ。元来、女優だけで満足できる器ではなかったのだろうが、岸さんに最も影響を与えてシャーナリスティックな見方を育てたのは、何と言っても縁があり遠いパリまで嫁ぎ、又離婚に至ったイヴ・シャンピ氏の存在である。

確かに私は「巴里の空はあかね色」の感想で、夫となったシャンピ氏を”一回り年上のはげちゃびんのおじさん”とつぶやいた。しかしながら、古い写真と前作では読みとれなかったこのおじさんはスケールが違っていた。彼は、フランスの上流階級の男だった。シャンピ氏は医科大学生時代に、「自由フランスよ、立て!」とラジオで呼びかけるシャルル・ド・ゴール将軍の下へ、12人の学友とともに夜影にまぎれてナチス占領下のパリを旅立った。文字通り、命がけのレジスタンスの地下活動でピレネ山を越える途中、ノルマンディ上陸後、そしてパリ解放の記念すべき日にも、友人たちはさまざまに無念の非業の死をとげた。12人の医科大学生のうち生きて還ってこれたのは、シャンピ氏とのちにノーベル生理医学賞を受賞したフランソワ・ジャコッブ氏のふたりだけだったという。この若き青年たちの心に残されたものはなんだったのだろうか。医学生たちに起こったことをそのまま語る著者の文章は、慎みと理性の品格がある。

機知に富み意外にもお茶目な面もあったり、自立して生きる女の意地やプライドがのぞいたりと、一字一句を楽しんだのだが、なかでも私が最も好きで思わずため息をついたのは、チェコ人青年とのまるで映画のような淡い恋を綴った「栗毛色の髪の青年」である。東洋人の人妻と激動のチェコからやってきた医学生とのすべてが完璧な一篇のまぎれもない実ることのない恋。これぞ恋愛小説、と、つい書いてしまいそうだが、これは彼女が創作した架空の物語とは違い、プラハの春やその後のビロード革命のように、彼女の人生に30年の歳月に風化されずに残された事実だった。そして、それはすなわち、私がまぎれもない優れた作家に出会ったことになるのではないだろうか。

■アーカイヴ
「巴里の空はあかね色」

大学版モンスター・ペアレント

2012-04-06 23:02:51 | Nonsense
父の今は亡き友人のその昔の話である。
父の友人Mさんは、いわば江戸っ子気質の方だったのだと思う。私たち姉妹は、父の兄貴分のMさん、当時お隣に住んでいたMのおじさんには随分可愛がっていただいた記憶がある。大学時代、帰宅途中に偶然出会ったおじさんと駅前の寿司屋で一杯呑んだこともあった。制服とさよならした18歳の私には、これまで考えたこともなかったおじさんの、豪放磊落な一面を伺い知る機会ともなったのも懐かしい思い出である。お洒落できれいとご近所で評判のひとり娘はすでに嫁ぎ、初老にかかったおじさんの若かりし頃のエピソードを母から女同士の噂話のように聞いたのも、そんな頃だった。娘が小学生の時、おじさんは家においてあった給食費をもちだして呑みに行った前科があったという。父親として赦し難い行いだと思うのだが、おじさんらしいと笑ってしまった。今だったら、さしずめモンスター・ペアレントと糾弾されるところだろう。

ところで、度々マスコミに登場するようになった現代のモンスター・ペアレント。そんな親達の子息も今では大学生になり、今度は大学でさまざまなふるまいをしているようだ。近頃の大学では、成績表の発送を本人か保護者宛てか入学時に選べたり、自動的に保護者に発送するのも珍しくない。保護者は学生の最大のスポンサーだから保護者宛に成績表を送るのは理にかなっているとも思うのだが、何と父母会を開催する大学が8割にものぼるという。某私大歯学部では、保護者面談があると聞いて友人達とちょっとした話題にもなったのだが、就職活動前の親子面談を実施する大学が過半数もある。大学生にもなって親子面談に疑問を感じるのは、私だけであろうか。しかし、少子化時代を迎えて学生確保のための大学サービスともなれば、それもあるかと納得する。

しかし、モンスター・ペアレントはその程度のサービスでは納得しない。ある国立大学長宛に親から抗議の電話がかかってきた。授業中に騒ぐ学生を退室させたら、速攻で学長室の電話が鳴ったそうだ。笑える。ある公立大学の就職担当者は、「テレビCMにも出ない無名企業に就職するために入学させたわけではない」とこどもに内定を断らせたりする親に毎年泣かさせる。まあ、これも笑える。教育熱心な親の並々ならぬ情熱が、今日的に困った方向へ行ってしまった例だと解釈できるのだが、笑うどころか泣けるのは、こんなモンスター・ペアレントだ。ある私立大学のように学費未納の学生と面談するうちに、奨学金を召し上げてパチンコなどの遊興費につぎこむ親がいて、しかも結構な数にのぼり驚愕したという記事を読んだ時は、とうとうそこまできたかと私も驚いた。言うまでもなく貸与型の奨学金は、学生本人が返済する義務を負う借金だ。こどもの未来のお金を奪い、結局、学費の支払いは滞っている。苦学生というのは、昔からいたが、奨学金を奪って自分の遊びに遣う親というのは聞いたことがない。