千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『私の、息子』

2014-09-11 23:31:21 | Movie
中年のふたりの女性の会話が流れる。少しざらつき乾いた映像が、きれいに化粧をされたデジタル映像に慣れてしまった目には、ドキュメンタリーのようなリアル感をもたらす。

コルネリア(ルミニツァ・ゲオルギウ)は、いらだちながら一人息子バルブ(ボクダン・トゥミトラケ)が同棲している恋人の不満を口にする。お相手のカルメンは、離婚暦があるだけでなく、別れた夫との間には娘もいるという。
私の職場には、偶然なのだが一人息子のママたちが多い。彼女たちの一人息子にかける情熱を思い出しながら、一心に育てた大事な一人息子が美しく若いお嬢さまならともかく、こんな女に奪われてしまうのかっ。と、つい、コルネリアの嘆きもわかるような気がしてくるのだが、そんな背が低いが華やかで金髪の母親を否定するかのように、息子が選んだ恋人は彼女と正反対の表情に乏しく黒髪でやせてひょろりとした容姿というのも意味深い。

しかし、ふたりの会話を聞いていると、どうやら息子は30歳過ぎてもまだ経済力もなく、親が所有している別宅にカルメンと同居していて、彼女の娘のために勝手に部屋の改装まで計画しているようだ。少しずつ、干渉して愛情という鎖で息子を支配しようとする母と、そんな母親から逃れるべく反抗しながらも自立できない息子の普遍的な問題がうきあがってくる。そして、予想どおり、夫であり父親は、温厚なのだが妻のいいなりで存在感が薄いタイプ。

そこへ届いた一本の電話。息子が交通事故を起こし、はねてしまった少年は亡くなったという。

人は、ルーマニアというと何を連想するのだろうか。世界遺産があって薔薇が美しい国。私にとってのルーマニアは、大崎善生さんの小説「ドナウよ、静かに流れよ」やノーベル文学賞を受賞したヘルター・ミュラーの「狙われたキツネ」、そして映画『4ヶ月、3週と2日』や『汚れなき祈り』からの印象が描く世界である。一言で言って、暗く貧しく、いつまでも悲しい国。

コルネリアが住むのは、首都ブカレスト。下品なくらいに大きくゴージャスな装飾品をつけたスーツ姿から、自分の誕生パーティには人気オペラ歌手や政府高官に祝福されて洗練された素敵なドレスで踊るコルネリア。派手でチープなおばさんのイメージだったコルネリアが、セレブで趣味のよいインテリアの豪邸に住むハイソな芸術家に変貌した場面だった。またたくまに、私の思い込んでいたルーマニアで暮らす人のイメージは、彼女達が運転するアウディの車の疾走とともに消えていった。国が貧しくとも、特権階級は生き残り、経済格差は広がり一握りの財力も人脈ももつ裕福なルーマニア人の暮らしぶりが、映画では実に効果的に生き生きと描かれている。これみよがしの金持ちオーラ服も、むしろコルネリアの職業の舞台芸術家にふさわしいのだった。

ところで、母親としてのふるまいの是非や子育て論を、この映画から展開するのは見当違いであろう。映画の核は、邦題のタイトルである「私の、息子」ただそれだけである。育て方が間違っていようが、子離れできない母親であろうが、母親にとっては永遠に「私の、息子」なのである。先日、身内の者に頼まれて彼女の一人息子を連れてドイツに行ってきたばかりなのだが、中学生の彼のスーツケースを開けると、滞在日数ごとに着る服が清潔にきちんとセットされているのを見て、母親の愛情を感じたばかりだ。彼がメールをすると、日本が真夜中だろうが母親から速攻で返信がかえってきた。かくも深き、大事な一人息子への愛。と話題にしたいところだが、今後、彼が親離れして寂しくなっても、決して「だから、こどもは2人作るべきだ」とは、たとえ身内でも言ってはいけないことだ。

どこの国でもみかける母と息子という何度も繰り返されるテーマーも、ルーマニアを舞台にするとかくも深遠で見ごたえのある作品にしあがるのか。地味で渋いこんな作品に、ベルリン国際映画祭は金熊賞を授与した。

監督:カリン・ペーター・ネッツアー
2013年ルーマニア製作

ダッハウ収容所をたずねて

2014-09-07 15:37:38 | ドイツ物語
Muenchen中央駅からS2のPetershausen方面行きの列車に乗って、約25分ほどでDachau駅に到着。ダッハウ駅前に待っている726番のバスの乗り換えて閑静な住宅街を車窓から眺めて、KZ-Gedenkstätteで下車。ダッハウ強制収用所を訪ねるのは、昨年に続いて二回目となる。

1933年3月20日、ハインリヒ・ヒムラーの宣言によって開かれたダッハウ強制収用所は、後に次々と建設されるナチスの強制収用所のスタート地点となる。当初は、60人の政治犯や反社会的な人々の”教育”のために作られた収容所が、第二次世界大戦とともにどのような”目的”で、どのように機能していたのか、今日では多くの人々に知られている。しかし、知識として知るのと、実際に知るということは少し違うかもしれない。

写真のノートには、収容されたひとたちの記録が残されている。
名前、出身地、に付けられた囚人番号。どれも几帳面な字できちんと書かれているのは、収容所の跡地が整然と等間隔で建てられていたことからもうかがえるドイツ人気質を見る。ドイツの戦争への高揚をたきつける政策的な広告は、この国だけではないだろう。展示から、囚人たちが、様々な薬草を育て、蜂蜜をつくりながら、音楽会なども開かれていた暮らしぶりが伝わってくる。

ユダヤ人への人権上の観点から反対の声をあげた法律家を、首から看板をぶらさげて市中を歩かせている写真。驚くのは、おびただしい遺体や、運よく日系オアメリ人部隊によって解放された人々のやせ衰えた肉体だ。映画でナチスや収容所を扱った映画でやせ細った収容者をよく観るが、現実はあのようなレベルではない。鞭を打たれる制裁を受けるための机。超高度実験や冷却実験などの人体実験の写真も一部展示されている。

Muenchenで私が好きなのは、何といっても高級ブランドショップがきらめくMaximilian Str。こじんまりとしてセンスよく飾られたショーウィンドウは、きらきらと独特のオーラを放ち夜も歩行者を楽しませてくれる。レジデンツやバイエルン歌劇場も並び、銀座のフラッグショップなどとは別格の世界である。この街から、それほど遠くないのどかな郊外に存在していたダッハウ収容所。

この地に私を招いたのは、ハンア・アーレントであり、チェコの作家、ラジスラフ・フクスの著書「火葬人」深代惇郎のヒトラーに関する言葉だったり、多くの出会った映画だった。そういう意味でも、私の歩いてきた心のほんのひとかけらをたどるような旅だったのかもしれない。

寒い冬の雪の降る日、多くの縞のパジャマを着たユダヤ人たちが靴をはかずに連行されていくのを、ダッハウの住民たちは窓から眺めていたという。

Dachau Concentration Camp Memorial Site KZ-Gedenkstätte Dachau:
AlteRömer strasse 75, 85221 Dachau

■アーカイヴ
・映画『ハンナ・アーレント
・映画『愛を読むひと
・NHKアウシュビッツ特集 第1回第3回第4回第5回
・「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース
・「ナチスのキッチン」藤原辰史
・「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」マルセル・ライヒ=ラニツキ
メニュヒンとラニツキ