千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

ドイツの旅

2011-10-31 22:46:24 | Nonsense
3回目のドイツ旅行から(いやドイツ詣でか?)、先日、帰国したばかり。

最初は2005年11月末に、旧東ドイツを中心にオスタルジーと音楽をテーマに充実した旅行だった。2回目はとりあえずの観光目的に、昨年7月に各地(ベルリン、ローテンブルク、ニュルンベルク、バンベルク、ドレスデンなど)を通り過ぎた。観光目的ならば気候のよい時期と、7月は少々暑かったがそれはそれで楽しかったのだが、やはり暗い、重い、寒いっ時こそヨーロッパ!と考える私は、今回は10月下旬を選び、しかも初の個人旅行を敢行したのだった。英語が全くできないのに無謀ではないかと自らの身を案じつつ、大手旅行代理店主催の個人旅行(往復飛行機+宿泊ホテル+空港から日本語でのホテルの送迎&チェックインのお手伝いあり)のパックを申しこんだ。多少お高め?だが、初めての海外個人旅行としては正解だったのではないかと思う。理由として、ホテルのグレードも高く、ビジネス席直行便という条件でネットで調べてみると旅行代理店主催の個人旅行でもそれほど高くはなかった・・・と信じたい。同一条件で、ANAの「マイレージクラブ会員限定ツアービジネスクラスで行く!ひとクラス上のフランクフルト」 があるが、少なくともネット上ではJALよりもANAのサイトの方がわかりやすく顧客ニーズにそっていると感じる。(ちなみに、フランクフルト市内を観光する際には、ネットで見つけて印刷しておいた「JAL MAP」が大活躍した。この地図がなかったら、徒歩1分程度のすぐ近くのトラムの駅からホテルまでたどり着けなかったかも?)

それは兎も角、初めて利用したビジネスクラスは噂に違わずとても快適だった。ベテラン客室乗務員がわざわざご挨拶に来て、まずはウエルカム・シャンペンで乾杯するとほどなくメイン料理が運ばれる。勿論、そこでワイン、ビールなど好きなものを注文。前菜、メイン、デザートも文句なく美味しい。和食などは、ちょっとした懐石料理並み。大はしゃぎする私を除いて、他のビジネス客はカップルもいたが、ひとり客が多く、淡々と呑みかつ食事をした後はさっさとシートを倒して到着近くまでお寝すみになられている。みなさん、旅なられてらっしゃるというか、いつもビジネスで飛行機を利用している感じがする。それにしても、少し眠った後に映画を観始めるやいなや、「○○様、お飲み物はいかがでしょうか」、とこちらの胸のうちが聞こえているかのようにちょうどよいタイミングで客室乗務員の方が声をかけてくれるのは感心した。笑顔、優雅な身のこなし、気配り、仕事とはいえさすがに日本の客室乗務員は一流だと感じた。今はプロ野球選手の結婚相手に女子アナが勢力を伸ばしているが、ひと頃昔はスチュワーデスが人気だったのも頷ける。12時間近いフライトも、ビジネスクラスだと本当に快適だ。窮屈でわびしい食事が配給されるエコノミー席を思い出して、初めて自分のなかに”優越感”というダーティな感情が芽生えたのは予想外だったが(笑)。

さて、今回の旅行で感じたのは、予想外にドイツ人は感じよく親切だったこと。ハイデルベルクでビールもそこで製造している地元っ子に人気のお店に入ると、呑み助たちがわんさかいて大賑わい。隙間を見つけて席をずらしてもらって席を確保するものの、ウエイトレスさん達が忙しくてなかなか注文に来ないと思うや、しきりにカウンターで呑んでいたおじさまが、店員さんに声をかけて私たちには「すぐに注文をとりにくるよう店の者にオレが話しをつけておいてやったから、大丈夫」とアイコンタクトをしてくる。ダンケ シェーン!しかし、この小さな大学都市では一泊したのだが、観光地としても人気があるせいか、活気があり、英語も飛び交い、気楽に美味しいビールを呑むには最高の街だった。学生街という青春の息吹の中、ライトアップされたハイデルベルク城やカール・テオドール橋も情緒たっぷり。私も、心はハイデルベルクにおいてきたかも・・・。

勿論、リューデス・ハイムではアイス・ワインを堪能し、フランケン・ワインをお土産に購入。旅行をきっかけにドイツ精神と経済にせまりたいと考えつつも、なんだ、この中身のない文章は、、、情けない、いまだにビールの酔いが残っているのかも。続きはおいおい。。。

■Archiv
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2011

2011-10-20 22:42:54 | Classic
とうとう!聴いてきたウィーン・フィルの輝き!
・・・と書きたいこといろいろあるが、明日から所用もかねてドイツへ。
(ブログの更新が滞っていたのも、旅行の準備に追われていたのだ。)
続きは帰国後に・・

-----------10月19日 クリストフ・エッシェンバッハ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 --------------------

曲目 ブラームス:悲劇的序曲 ニ短調 op.81
シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」
マーラー:『少年の魔法の角笛』から
* 出演 マティアス・ゲルネ(Br)

■アンコール
マーラー :『少年の魔法の角笛』から「不幸なときのなぐさめ」
J.シュトラウスⅡ:ワルツ『美しく青きドナウ』 op.314
J.シュトラウスⅡ:ポルカ『雷鳴と稲妻』


「マイクロファイナンスのすすめ」菅正広

2011-10-16 12:29:37 | Book
自分で銀行を設立する、そんなありえない物語のような事業を実現したのが、旧東京銀行出身の枋迫篤昌さんだ。NHKで放映された「”小さな金融”が世界を変える」では、枋迫さんの理念とビジネスモデルには感銘を受けた。しかし、それは貧しい移民が大勢いる米国のお国事情という背景があり、またノーベル平和賞を受賞したムハメド・ユヌス氏とグラミン銀行にみるように発展途上国に向いているスキームだと私は考えていたが、本書は、国内の貧困対策でも有効であり、公でも民でもない「第三の道」であるマイクロファイナンスが、持続可能な社会をつくるきっかけとなる案内書である。

貧困と貧しいのは全く意味が違う。貧困は、貧しいために生活に困窮している状態を意味する。映画『サラエボの花』では、元医学部の学生だった主人公が、戦禍のために医師になることをあきらめ、夜の酒場でウエイトレスとして働いてもひとり娘の修学旅行費200ユーロを工面できずに困り果てていた。わずか、200ユーロのお金がないのだった。日本だったら、家族4人でディズニーランドで遊ぶ入場料だ。しかし、日本でも、生活に困窮している世帯が特別なケースではなくなりつつある。ネットカフェ難民、年収200万円に満たないワーキングプアが1000万人の報道に、もはや驚きではなく”社会の流れ”を感じる昨今である。林真理子さんの小説「下流の宴」の軽い足音は、こういった事態が高みの見物の他人事ではないことが受けたのだろうか。1日1ドル以下の絶対貧困でなくても、GNP世界3位の日本で生存権以下の貧困世帯が1割以上と推測されている。また、誰もが、病気、離職などによってすべり落ちる可能性がある。私は貧困対策を怠たり、このままワーキングプア対策を放置したら、いずれ社会のコストとして返ってくると考える。全く、他人事ではないのだ。

戦争や紛争に隠れて今ひとつめだたないが、貧困は世界が解決すべき第二の問題である。日本で育ち、暮らしていると、能力と自助努力の差が多少の格差を生じたのかと思い勝ちだが、ユヌス氏は「貧困は、貧しい人たちが作りあげたものではなく、社会の構造と政策によって作り上げられたもの」と断言している。”改革”などという小泉劇場のセリフで一時流行した”自己責任”という言葉は勘違いで、貧困は社会や制度が生んだ現象なので、社会が対策を講じなければならないというのが著者の信念でもある。ここで、信念という熱い単語を使ったが、著者の熱意が伝わってくる。私たちは、嫌でも企業が利益の最大化を目的に動く自由は市場経済で生きているが、人は感情をもち、社会性を備え、尚且つ政治を考えるなどの精神的営みを持っている。現在の資本主義社会は、利益最大化という一元的な行動原理を基に理論が構築しているが、社会的に価値のあることを創造し、利益を得るだけでなく人々や社会に貢献できる事業がマイクロファイナンスである。貧困は施しや慈善では解決できないのだ。

本書で紹介された既存のマイクロファイナンスのビジネスモデルは、予想外に広く、そして深い。お金を貸すコストがかかるため金利が高いなど、課題や問題点もあるが、日本でも「第3の道」はいずれ開かれると考える。

■アーカイヴ
ノーベル平和賞にみる女の自活
”小さな金融”が世界を変える
日本版ワーキングプア
「日本の貧困と格差拡大」日本弁護士連合会
いま憲法25条”生存権”を考える

「ハードボイルドに生きるのだ」向井万起男著

2011-10-12 23:34:12 | Book
この表紙のダンディな紳士を見て、思わず”ぷっ・・・”と笑ってしまった方は、私と同様にマキオちゃんのファンである。

宇宙飛行士の妻をもち超遠距離結婚を続けるマキオちゃんは、あのおかっぱ頭の効果だろうか、少々世間から誤解されている節もあるようだが、怖いものをさけずに知ってみれば、というか怖いものみたさにお試ししてみると、なんともチャーミングな紳士である・・・と私は思っている。表紙の図は、超遠距離結婚を続けるマキオちゃんが大好きな女房に会えない寂しさを、待っていることが自分は大好きと言い切り、トレンチコートの襟を立ててハードボイルドにキメテいるのだ。しかし、大好きなことをしているのに何故か寂しいのは夫として当然。そんな奇妙な状況で綴られたおかしくもちょっぴりせつない宇宙飛行士の夫のエッセイである。

万起男さんは日本人初の宇宙飛行士の妻をもった男として、当初は”自分の女房を専門とするライター”としてご活躍をされていたのは衆知の事実だが、今では、軽妙洒脱ながら明快な物言い、真正直な文章に講談社もエッセイ賞を献呈するくらいの独立したライターに昇格している。文章がうまいのもそのはず、彼は大の読書好きだそうで「週刊文春」に連載されていた「私の読書日記」も本書におさめられている。特に進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドは、彼にとって偉大なヒーローだそうだ。しびれるほどの感動的な内容と言われてしまうと、赤いハッピの勇姿が目にうかんできて、ついグールドの本を手にとってみたくもなる。そして、当初より子ども時代からの年期の入った筋金入りの大の大リーグファンを自認していたが、あのおかっぱ頭に蓄積された膨大なデータは、日本でも指折りではないだろうか。しかも、単なるデータ集めではなくそこから独自の分析を展開していくのは、さすがに病理の研究者である。ちなみに、万起男さんは顕微鏡で初めて見たがん細胞の美しさに息をのみ、夢にみるくらいにこの正体不明のがん細胞に熱中して追いかけてきた経験がある。勿論、そのような”しち濃さ”はあい変らず、というか不変の自分の女房専門ライターにもいかされている。

そう、やっぱりここでも恋女房へのいとおしさと寂しさ、愛情たっぷりが伝わってくる。毎日毎日、地の果てまで恋女房を追いかけて国際電話をかけまくる夫と、そんな連れ合いのボールを微妙なセンスで返球する妻の会話も本書の読みどころだ。エッセイを書いた頃から、早10年。携帯電話での国際電話はとても便利で金額も安くなっている・・・、ということは、お二人の遠距離会話の続編もいずれは刊行されるのだろうか。現在、向井千秋さんはJAXAの宇宙医学生物学研究室長に就任されている。多少近距離結婚に近づきつつあるようだ。

■アーカイヴ
「君についていこう」
「謎の1セント硬貨」

先進国で最も高い日本の自殺率

2011-10-04 22:43:56 | Nonsense
先日、コンサートの帰宅途中の列車に乗っていた時のことだった。対向車とすれ違った瞬間に聞きなれない妙な音がしたかと思うと、案の定、列車は線路上で緊急停止してしまった。車内放送で人身事故による救出作業のため列車を緊急停止したとの放送があり、しばらくこのままお待ちくださいとのこと・・・。誰かが思わず小さく舌打ちする音が聞こえてきた。高校生の頃は、人身事故はものすごく恐い大事件だった。しかし、現代の都会の通勤列車の人身事故は、悲しいことに日常茶飯事だ。いったい、いつからこんなに人が列車に飛び込む世の中、日本になったのだろうか。

1998年から現在に至るまで、日本の自殺者は年間3万人を超えるという。自殺率という統計によると先進国の中では最も高いそうだ。宗教観から、自殺を罪と考える欧米との違いもあるが、このような高い自殺率について、精神科医の岩波明氏は情報誌「選択」で、日本では自殺を暗黙のうちに寛容している”世間”の合意があるととても厳しい感想を語っている。明治時代の一高生、藤村操の華厳の滝入水にはじまり、高野悦子さんの「二十歳の原点」などにみられるように、哲学的な死を美化して憧憬の感をもつ思春期を通過した人も格別珍しくはないだろう。しかし、岩波氏が言うそもそもの”世間”とはいったいなんぞや。

元一橋大学長の阿部謹也は「日本には欧米流の”社会”とよべるものはなく、存在しているのは”世間”だ」と喝破した。日本人は常に世間の枠組みでの中で生きてきて、世間から相手にされなくなることを恐れ、排除されないようにひたすら努力を重ねてきた。このような世間では、個人が尊重されることはほとんどない、と言われるとなんだか身にしみてとてもよくわかるのは私だけだろうか。欧米よりもまだ低い失業率にも関わらず、男性や中高年の自殺者が多いのは、日本型終身雇用が破綻し、小泉政権の構造改悪によりリストラされた男たちが、社会的に価値がないと”世間”からすべり落ちた存在にされていることにも原因がある。「選択」では、今の日本を冷酷な社会ときっている。

また経済協力開発機構(OECD)の2005年の調査によると「友人や同僚との付き合いがなく社会的に孤立している」との回答は、調査国の中で15.3%と日本が最も多かった。確かに昔の家族的な雰囲気の会社は少なくなっている。評判が悪いがカイシャ主催の運動会、社員旅行もそれどころではなくなってきた。電力不足回避の節電対策もいつのまにか経費節約にシフトして、なんだか職場も不景気で暗い雰囲気がある。もっと問題は、未来を担うこどもたちだ。08年のユニセフ調査では、孤独を感じる15歳は30%。時には根源的な孤独を感じるのも成長期の証だとしたいところだが、この孤独の質もそうではなさそうだ。バブル崩壊から長引く不況のトンネルの中、悲観的になるのも無理からぬことだが、”世間”の空気は冷たいのは間違いない。

『隠された日記 母たち、娘たち』

2011-10-02 17:28:41 | Movie
生物用語では、分裂する前の細胞を母細胞、そして分裂後を娘細胞とよぶ。この呼び方は、女性の私としては、実に的確だと感じているのだが。^^

カナダの都会で働くフランス女性のオドレイ(マリナ・ハンズ)は、着々とキャリアを築いていた。そんな彼女が、突然、フランスの片田舎、アルカションにある実家に帰省してたのは、人生のある重要な事態を抱えていたからだ。優しく歓迎する父とどこかよそよそしく冷たい母マルティーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。久しぶりのひとり娘の帰省だが、実家に併設する病院で医師として働く母は多くの患者を抱えて多忙だった。そんな状況と、そしてうまく関係を築けない母をさける目的もあったのだろうか、オドレイは祖父の家に滞在することを決める。悩みを両親にうちあけることもなく、オドレイは台所の改装中に、50年前にこどもたちを捨てて失踪したと聞かされていた祖母ルイーズ(マリ・ジョゼ・クローズ)の一冊の日記を発見する。そこには、料理のレシピだけなく、日々の悩み、そして娘と息子への深い愛情が記されていたのだったが。。。

女性映画という言い方がある。母から娘へ、そして更にその孫娘へ繋がれる遺伝子とそれぞれの生き方。まさしく、母細胞から娘細胞への世代を渡る移動である。本作は、女性のための女性映画だ。自分の人生をその時代の戦争や社会に翻弄されるのは男性でも同じだが、女性の場合は長い男性社会の中で、自らの意志で自分の人生を生きるのは難しかった。あの自由の国フランスでも、祖母ルイーズが自立して生きるのは困難な時代だった。何も彼女は、経済的に自立したキャリア・ウーマンをめざしていたわけではない。家庭で育児と家事をする妻と母としての仕事だけでなく、ひとりの女性として、人間として当たり前の自分のための時間と趣味や勉強をほんの少し望んだだけだった。それが、変わり者や奔放というレッテルになるのは時代と片田舎という地域性だけでなく、何よりも夫の無理解だったのは悲しい。彼、マルティーヌにとっては父、オドレイにとっては祖父が、そんな祖母へ向ける視線は、優しくも残酷だ。

母に捨てられた娘として成長して、医師になった優秀なマルティーヌ。母への反発と屈折な思いを抱きながら、最も母の望む専門職に就き、地域社会に貢献している役柄を大女優のカトリーヌ・ドヌーヴが好演している。若くて美しい女優はたくさんいるが、貫禄のある年齢でいろいろな意味で貫禄のある女性を演じられる女優は貴重だ。マルティーヌは、年頃の娘がまだ未婚であることにいらだっているのも、優等生として完璧な人生を自分にも娘にも課している雰囲気もある。一方、そんな姉に及ばないのがいつでも弟だ。弟は亡くなった父からの援助で、何とか小さなホテルを経営している。そこへ登場した祖母の一冊の日記。

日記は、あくまでも想像だが、真実を教えてくれた。これまでずっと、マルティーヌがあまりにもつらくて直視できなかった、避け続けていた真実を。娘としては、父から知らされていた奔放な母の捨て子よりも、もっとつらい祖母の顛末を。この映画は、現代女性のひとりとしてオドレイを中心に進行していくが、本当の主役はマルティーヌだと感じる。社会の成功者だが、ひとりの母の娘、娘の母、としての悩みや寂しさには、国は違い、形は違えど、女性だったら共感できるのではないだろうか。女性として先輩である母に反発を感じるオドレイの感情も理解できる。しかし、反発しているだけでは未熟だと思う。相手への理解が必要だ。しかし、彼女もいずれわかるだろう。母としてより良い人生を娘に望む愛情も。

監督:ジュリー・ロペス=クルヴァル
2009年フランス・カナダ製作

■米国版
映画『愛する人』

「ルリボシカミキリの青」福岡伸一

2011-10-01 12:04:40 | Book
久しぶりに「週刊文春」を手に取ったが、記事の間に実に様々な分野で活躍されている方たちのエッセイが掲載されている。おっとっ!福岡ハカセを発見。なんだか、秋のもぎたて「10大スキャンダル」だの、みずほ3人衆「厚顔天下り」やら「会長辞任! エリエールより軽い1万円札」などの勇ましい記事が踊る中、ハカセのパラレルターンパラドクスのエッセイは涼やかな高原にある小さな別荘のようだ。ルリボシカミキリの青、フェルメールですら作れないその青に震えた感触が、ハカセのセンス・オブ・ワンダーの原点だった。本書は、そんなハカセによる教育論をこっそりひめた「週刊文春」連載のコラムをまとめた一冊である。

ここでは、著者は自分を福岡ハカセと称して自分自身と多少の距離をおき、”ハカセ”になった元福岡少年を語ることによって、大切な何かをひとつもちながら旅をすることの豊かさを説いている。そして、それがずっと静かに自分を励ましてくれることを。それは、ハカセにとってはルリボシカミキリの青だった。不思議なクールな青の色をもつカミキリを私はちっとも美しいとは感じない。昆虫が苦手で嫌いだからである。残念なことに「虫愛づる姫君」ではない。しかし、少年ハカセが、見る角度によってさざ波のように淡く濃く変化する”青”に心がふるえた感性はとてもよくわかる。何を美しいと感じ、何にセンス・オブ・ワンダーを感じるかは人それぞれであろう。向井万起男さんは、不謹慎かもしれないが、顕微鏡で見るガン細胞を美しいと言っていたが、それは私にも共感できる。大人になって、社会の荒波にもまれて自分の美しさを感じる感性を失いかけた疲れた旅人に、福岡ハカセは居心地がよく静かな別荘に案内をしてくれる。

「日本一高い家賃」

こんな気どらないシンプルなタイトルもハカセらしい。けれども、ついのぞいてみたくなる。何と、福岡ハカセは日本一高い家賃を払っている。たった一坪3億円!これは事実である。しかし、そこに居住しているのはハカセではなく、マウスの受精卵だ。縦2センチ、横1センチほどのスペースで、温度は常に”快適な”マイナス196℃。要するに坪単価にすると3億円になるが、実際に受精卵凍結保存サービスの受託サービス会社に払っているのは、月2万円ほど。それでも確かに、高い家賃だ!最高の部屋に静かに住んでいる凍結されたマウスの受精卵の話から、やがてヒトの受精卵へと話題はうつり、一体いつヒトはヒトになるのか、という本源的な問いをなげかけてくる。日本の民法上では、「胎児は相続については、既に生まれたものとみなす」としか規定されていないそうだ。車内から聞こえてくる女子大生の下宿の家賃の話題から、このオチまでの流れはうまい。ハカセの生活の中心は研究と教育の二本柱で、今は超多忙な方だと想像する。いったいに、理系の研究者は、日常生活でも根本的な原理を考える思考方法が自然に身についているようだが、それにしても、福岡ハカセの現象への深い思索とひきだしの多さにはいつも実に楽しませてくれる。

福岡ハカセの別荘は、静謐さの中に、日常の流れに見失いがちな哲学がある。白衣を着た詩人は名エッセイストでもあった。だから、つい何度も訪問したくなりリピーターになってしまうのだった。次の出版も待たれる。ラブコール!

■アンコールも
「動的平衡」
・ノーベル賞よりも億万長者
「ヒューマンボディショップ」A・キンブレル著
「ダークレディと呼ばれて」ブレンダ・マックス著