千の天使がバスケットボールする

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「明治二十一年六月三日」山崎光夫著

2012-10-22 22:38:38 | Book
「石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人(ひとり)のみなれば。」

格調高く高貴な香りのこの文章ではじまる有名な小説の作家は誰であろうか。ちょっとしたイントロクイズだが、教科書にもよく掲載されているあまりにも有名な明治の文豪の名前はすぐにわかるだろうが、ここではXとしておこう。

本書の表紙、白黒写真の後列左端におさまっている額の秀でたこの作家Xは、明治21年(1888年)6月3日、ドイツ・ベルリンのフリードリッヒ写真館で、視察に立ち寄った陸軍省医務局長の石黒忠悳を中心に日本人留学生らと一緒に写真を撮った。総勢19名の彼らは、殆どが医学を学ぶためにはるばる遠く日本から何日何十日もかけてやってきたのだった。それは一足飛びに西欧化をして世界と競合していこうとする日本が送ったエリート中のエリートたちが、帰国後は二度と一同に会するすることのなかったほんの一瞬の異国の地での会合だった。

それでは、作家のXとともに写真に写っている他の18名の人々はいかなる人物だったのか。著者は20年前に「作家Xと医学留学生たち」という講演を行った際の疑問を丹念に追跡調査を行い、又探し当てたご遺族の方々から入手した資料をもとにほりおこして今回光をあてた彼らのそれぞれの人生だった。北里柴三郎のノーベル賞級の業績を残した科学者を除けば、公衆衛生、眼科、産婦人科、解剖学、法医学など日本の西洋医学の黎明期をリードして活躍し、輝かしい優れた業績を残したものの現代ではすっかり忘れ去られた人々ばかりだ。

しかし、彼らの意外な繋がりが現代にもあり、作家Xの親しい生涯の友となる人物の息子のひとりは映画『東京五人男』に出演していた俳優の古川緑波、御茶ノ水にある浜田病院の設立者、刑法第三十九条の発案者などもいる。そして名前は消えても現代医学界に大きな功績を残しているのが、やはり明治の誇るエリートたちだ。その一方で、志なかばで早世した者やXのライバルになる者も。著者は、Xの残した「独逸日記」などと照合して彼ら19名の人生を、写真には写っていないが作家にとって重要な友も含めて生き生きと描写している。それは、西欧においつこうとする健気でいじらしい明治という時代背景すらも活写しているようにも思える。

 「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」

写真撮影から2年後、こんな文章で結ばれる小説「舞姫」が発表された。主人公の太田豊太郎のモデルとなった人物もフリードリッヒ写真館の写真に精悍な顔立ちをのぞかせている。国家を背負ってもドイツ女性と恋もし、友情を紡ぎ、個人で生きることも叶わなかったこともあった異国で学ぶ彼らの心のさまはいかばかりであろうか。著者の明治の男達を見つめる滋味のある文章が、秋の夜長に心がともるようだ。

今年は作家X、森鴎外の生誕150年にあたる。