千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」今野浩著

2013-07-28 14:50:43 | Book
7月25日の日経新聞の報道によると、東京大などに架空の研究費などを請求し2000万円余りをだまし取ったとして、東京地検特捜部は同大某研究センター教授A氏を詐欺の疑いで逮捕した。容疑は2010年2月~11年9月、懇意にしているシステム販売会社の社長らと共謀、同社など複数社に研究調査などを発注したように装って、東大や岡山大に架空の委託契約料を請求して、複数社の預金口座に約2180万円を振り込ませた・・・そうだ。 詐欺、共謀、架空請求!その逮捕者が東大教授となれば、マスコミは飛びついていく。

こういう事件こそ、分野が違うけれども工学部の語り部、はしたない奴と言われつつも研究者の環境を本気で心配してくれている長老のヒラノ教授の意見を聞きたいものだ。それというのも、今回の事件と類似性がありそうなのが、本書のなかの「研究費の不正」の事件ファイル9である。


手口は大学院生に実験補助などのアルバイトを依頼し、研究費の中から支払ったバイト謝礼金の一部を”合意”のうえで上納し、ピンハネしたお金を有効活用するという方法だ。中には極貧学生の生活費補助などに還元していたケースもあるが、昔はともかく90年代に入るとピンハネ厳禁の通達が出るまでになった。ところが、2006年にとある大学の有力M教授が、学生名義の架空アルバイト料1472万円のキャッシュを自分の口座に入れて投資信託で運用していた。昔はともかく、いや昔だって研究費ではなく私的な蓄財はまずいはず。調べるとでてくるでてくる不適切使用の疑いがある研究費がなんと1億円!東大教授を父にもち、見た目も悪くなかった女性教授は学会の大物の寵愛を受け、実力以上のポストと研究資金をえて、いざとなったら大学と文科省がもみ消してくれるだろうという甘い考えがあったのではないか、というのががヒラノ教授の辛口分析である。笑えることに、M教授は各種審議会や文科省の「研究資金不正防止委員会」の委員まで務めていたそうだ。

さて、問題はM教授の事件発覚後のことだ。
怒ったオカミは国が拠出している研究費の使用目的の検査を強化した。たとえボールペン1本でも科研費で購入するからには、検収官なる職員が実物と書類を確認することになった。そして、検収官に支払うべき給与は、科研費の30%上乗せした事務経費から”搾取”することとなった。ヒラノ教授の概算によると、全国の研究機関で数名の検収官を採用して支払う給与は50億円になる。善良なる教官も、かくしてコピー用紙1枚でも、検査のための追加コストの負担をしなければならない。たとえ、50億円の投資にみあわなくても。

従来は、研究費でパソコンを購入する場合、メーカーからの見積書・請求書・納品書の3点セットで年度内の予算からおりたが、現物と伝票が一致していることを検収官が確認しなければならなくなった。そのため、経理の締切日に確実に実物が届く見込みがたたないものはあきらめるようになる。ある副学長は、年度内に残った研究費を来年のためにとりあえずの機器を購入したことにして、お金は業者に一旦預けて、翌年支給された研究費とあわせて別の機器を購入するという不正経理に関与した。研究は数年単位で実施されるのに、会計処理は単年度の輪切りで、そもそも必要な金と支給される金を毎年度ぴったりあわせるのが難しいことからはじまった工夫による。涙ぐましくもいじましい研究者たち。

さらに、本書の「ヒラノ教授の事件ファイル」には、次々とあんなこと、こんなことの事件があかされている。衝撃的な事件も、笑劇的なエピソードも、そして悲しい事件も・・・だ。一般人としてはヒラノ教授の勇気を讃えたいところだが、、仲野徹センセイの立場となると、体調不良を理由に、本書の書評を断ろうかと思ったくらいおかみのおしおきが恐ろしいという。そんなおかみをものともせず、めでたく定年退職をして科研費がゼロになったヒラノ教授はこわいものなしとなり次々と事件ファイルを綴っていく。

セクハラ・アカハラ、大学という超格差社会、トップクラスの国立大学の修士号を資産家の父親の金で買ったお隣の国からきたできの悪い留学生(ちなみに国民の税金である留学生枠の奨学金は彼の新車に消えたそうだ)にまつわる幻の奨学寄附金、そして設立当時の筑波大学でソフトウエア科学の世界的拠点を築くという構想を打ち砕いた物理帝国の許しがたき兵士達の蛮行を綴った涙の領土略奪事件。

最後のページをめくり、おかみを交えたアカデミックなセンセイがたのバトル、個人的な事情に驚き、あきれつつ、裏表紙の黄昏に飛ぶカラスの泣き声を聞きながら、下手な小説よりはるかにスリリングな本書を閉じた。はじけてるぜ、ヒラノ先生!
尚、文科省によると、今年4月、公的研究費の不正使用が全国の大学など46の研究機関で計3億6100万円のあり、139人が関与したそうだ。

そうそう、ヒラノ教授は定年退職をしたが、これから先もずっと「工学部の語り部」は続けたいそうだ。時間はたっぷりあるしとね。

■堂々?のシリーズ
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」

ロザリンド・フランクリン生誕93周年

2013-07-25 22:12:02 | Nonsense


帰宅後、早速パソコンでGoogle検索をかけたらロザリンド・フランクリン生誕93周年を記念したログに変更されている。
私はGoogleのお茶目なロゴが大好きで、今年の母の日のロゴはとても楽しませていただいた。そして、今日のロゴもかなりお気に入りとなった。
「o」にはロザリンド・フランクリンの横顔、「l」には二重らせん構造のDNA、「e」にロザリンド・フランクリンが撮影したX線画像が描かれている。このX線画像はかなり重要だ。
さて、ロザリンド・フランクリンって誰?
たまたまつたない弊ブログをご訪問され、1920年に英国生まれて1958年にわずか30代で亡くなった女性科学者にご興味を感じたら下記の再掲載のブログをお読みいただけたらと。

2010年10月30日「ダークレディと呼ばれて」より再掲載

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「『ロージー』はノーベル賞がとれたのか」。
1998年8月15日の「自由なオランダ」紙が投げかけた命題である。1953年にDNAの二重らせん構造をフランシス・クリックとともに解明して、62年にノーベル賞を受賞したJ・D・ワトソンの『二重らせん』を読んで、ワトソン-クリックの後に続くのは、”第3の男”のウィルキンズではなく、X線解析で彼らにヒントを与えて貢献したロザリンド・フランクリンではないかと、私は考えた。但し、もし彼女がその時、生きていたならば。

本書の著者のブレンダ・マックスはそのような仮定は無意味だと結論している。確かに、彼女が男性だったら、という”もしも”と同じように無意味だ。しかし、この質問を、彼女が生きていたらノーベル賞委員会はウィルキンズではなくロザリンドに与えたはずだ」という主張に変えたとしたらどうなるであろう。ストックホルムのノーベル賞委員会には、各国から推薦を受けて受賞者を選ぶのだが、推薦人にはその国の受賞者が含まれて、彼らは師弟関係を優遇する。「二重らせん」で序文を書いたローレンス・ブラック卿は、英国の候補者の決定に強い影響力をもち、彼がウィルキンズを推薦していたのは想像できる。37歳という若さで亡くなり、世界で最も権威のある賞には縁がなかったが、80年代以降、ロザリンド・エルシー・フランクリンが優秀な科学者だったことが再評価されている。副題に「二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実」がつけられた本書は、1920年7月25日、ユダヤ人の裕福な銀行家に生まれた彼女の家族の歴史からはじまり、生い立ちから熱心に研究生活に励み、最後の日まで取り乱すこともなく次の研究課題を考えておだやかに眠るように逝った彼女の生涯が綴られている。

読むのにあたり、私が心がけたことがふたつある。「二重らせん」が売れたのは、20世紀最高の生物学的発見者による本というだけでなく、真偽のほどはともかく、赤裸々な科学者の生態と、二重らせんの解明にある意味ルール違反ではないかと思われる過程があったことも人々の好奇心に作用したのではないだろうか。クリック以上に、この本の中で重要な役割を演じているのが、ダーク・レディと呼ばれた通称ロージー。ノーベル賞という権威の裏にある暴露的なことを期待したり、フェミニズムの視点で悲劇のヒロインの象徴を求めたら、科学とひとりの女性研究者の本質を見誤る、というのが私の考えだ。著者のブレンダ・マックスはサイエンス・ライターにふさわしく、ロザリンドの業績と人となりを曇りのない視点で客観的に書いていて、私は感動すら覚えた。

ワトソンが31歳のロザリンドに初めて会った時の印象として、顔立ちはよいのに、化粧もせずにイギリスの文学少女めいた衣服を着て、母親からつまらぬ男と結婚しないですむように、職業的技能を身につけさせるように強要した結果と評価している。後に教養も高い裕福な銀行家の娘と知るのだが、”ダークレディ”というニックネームとともに、ヒステリックで頑固、周囲との協調性に欠けるやぼったい女性というイメージが、本の売れ行きとともに、当の本人が亡くなったために反論の機会すらないまま、遺族が悲しむくらいにひろまってしまった。ここで、ワトソンの言葉にある”技能”と”強要”に、私にはひっかかるものがあるが、私も本書を読まなければ、そう感じたままで終わっていただろう。自らエピローグに言い訳めいて書いているが、科学者の世界では「女性は真剣な思考から救ってくれる気晴らしの存在」としてみる傾向があるということだ。栄冠をめざして競争社会で生きる彼ら男性群にとっては、ハーバード大学ですら女性に終身在職権を与えたのが1992年のことという社会的背景もあり、女性は気楽に遊べる女の子か、ワトソンの妹やクリックの妻のように恋人や妻にふさわしい美しい女神しかいなかったことも、あまりにも聡明で男以上に勤勉なロザリンドに対して愚かな対応だった原因はある。人は誰しも、その人のすべてを知ることは難しく、ワトソンの”ロージー像”もすべてが誤りだとも思えないが、あまりにも独断による一面しか伝わってこないのは、如何なものかと思われる。

確かに、ケンブリッジはロザリンドに、人生を変え、専門職と哲学を与えてくれたが、ロンドン大学キングスカレッジでの彼女への扱いは不遇としか言いようがなかった。また不運が同僚との対立をうみ、礼儀正しさが育ちの違いの印象を与え孤立を深め、慎重さが猜疑心の深さ、生真面目さが頑固と思われ、よい人間関係を築きことができなかった。女性に対する偏見や周囲の無理解だけでなく、彼女がフランスで初めて愛情をもった既婚の科学者のように、尊敬に値する優秀な頭脳を上司に期待し過ぎた失望が人間関係の躓きともなったと思える。しかし、頭のよい女性にありがちなそのような厳しさは、自分がチームのリーダーとなるや、次々と論文も発表するかたわら研究費獲得のために努力し、不治の病を自覚してからは部下の生活すら配慮して彼に遺産を与える遺言状を残す、という実に有能で頼れる理想の上司として慕われる面を発揮していくことになる。

また、ワトソンがもっと化粧をした方がよいと感じた全く色気のないロージー像は、世間に女性科学者への偏見すら与えていないだろうか。実際のロザリンドは、洗練されていてとてもおしゃれだった。夜、白衣を脱いで研究室の階段を下りる彼女が、別の星からやってきたように美しいイブニング・ドレスだったことを目撃した者もいる。人間関係を築けないどころか、友人の家庭を訪問するとこどもたちとたちまち仲良く遊び、気がきく贈物を選ぶ気配りもあり、料理も大好きで、自宅でのもてなしも得意だった。そして旅行が大好きで、裕福な家庭の娘にも関わらず、元祖バックパッカーだった。フランスでの研究生活、アメリカでの招待講演をかねた旅行、最後のバークベックカレッジでの暮らしでは、毎日、生き生きと充実した日々だった。残念ながら、恋をした男性は既婚者ばかりで、唯一結婚を考えられる男性と出会った時は遅し、すでに彼女は病に冒されていてあきらめるしかなかったのだが。

研究者としてロザリンドが用心したのは、産業界から一定の距離をおくこと。自分の研究が営利目的のみの道具となることを憂慮してのことだが、これには戦争体験や裕福なユダヤ人の一族という出自にもある。そんな思慮深く人生哲学をもつ彼女が亡くなった後、研究成果が認められると、ワトソンの”職業的技能”という言葉にもあるように「地道」で「腕の良い実験者」という”ほめ言葉”で再び知性を貶められることになった。しかし、ロザリンドは炭素、タバコ・モザイク・ウィルスの研究で世界的評価をえて、数々の論文は短い人生ながらも、科学者の一生分のキャリアに並ぶものだった。そしてDNA構造の解析に決定打のヒントを与えたのは、ロザリンドの撮った51番のX線写真だ。本書の監訳をした福岡伸一氏によると、彼女はデーターをひたすら地道に積み上げていく「帰納的」アプローチでDNAの構造を解明することをめざしていたことになる。そこには野心も気負いもなく、ひらめきやセレンディピティは必要なく、クロスワードパズルをひとつひとつ緻密にうめて、その果ての全体像としておのずと立ち上がってくるものとしてDNAの構造があった。一方ワトソンとクリックは、典型的な演繹的アプローチによってDNA構造に迫ろうとした。直感やひらめきによって、先に図式を考えて正解に近づこうとする思考だ。その思考に貢献するデーターが、ウィルキンズが偶然もたらした切り札、フランクリンの撮影したDNAの三次形態を示すx写真だった。このX線写真に数学的な変換と解析をしたのは、”準備した心をもった”クリックだった。この写真のおかげでふたりは一番に正解に達したが、ロザリンドも真実のすぐ間近まで上っていたということだ。ワトソンの「二重らせん」は、帰納型よりも演繹型の方が競争には有利という意味でも功罪を残したことになる。

ロザリンドはノーベル賞をとれたかという質問を「ノーベル賞受賞者にふさわしい業績だったか」と問われたら、間違いなくYESと答えたい。しかし、ノーベル賞をとれたかという議論は、彼女にとっては瑣末なこと。ロザリンドにとって奪われた賞とは、著者のいうように結局、生命そのものだったのだろう。科学に熱中するケンブリッジ大学で学ぶ娘の行く末を案じた父に宛てた手紙には、「科学と日常生活を切り離すことは不可能ですし、そうすべきではないのです。科学は私にとっては、人生を解釈する材料を与えてくれるものともいえます。それは事実と経験、実験に基づいているのです。」と記されていた。本書を読むと、そんなロザリンドの人生観も伝わってくる。

4月19日付けの『ロンドンタイムズ』紙に、J・D・バナールによるロザリンドへの敬愛の気持ちがあらわれた学者らしい気品のある追悼文が掲載された。そこには、「彼女の人生は科学研究に一意専心に身を捧げた見本である」と結ばれていたそうだ。

■あわせて読みたいアーカイヴ
「二重らせん」J・D・ワトソン著

「S先生のこと」尾崎俊介著

2013-07-21 16:38:37 | Book
今日は、選挙の投票日。立候補者、各政党の意見が掲載されている新聞を読み、何度も考えたが、いざ投票所で白紙の小さな紙片を前に呆然とした。こんなことは初めてだった。誰を入れたらよいのか迷うのではなく、投票したい人物が見たらないのだ。大衆にキャッチする一言をただ連呼する選挙カー、いったいどういう気構えで政治家を志したのか問いただしたい候補者の顔々。
そんな不可解な政治家候補者に”峻厳”という言葉を、私は今問いたい。

本書の「S先生」とは、アメリカ文学者であり翻訳家、又、小説も書いていた須山静雄氏のこと。1925年静岡に生まれ、海軍に仰がれてかなわないとその後入学したのは、横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科。卒業後、一旦は、農林省に入省したものの文学への想いが断ち切れずに、夜間の明治大学文学3年に編入学して、ミシガン大学へ留学。帰国してからは、留学先で出会った女性と大恋愛のすえ結婚。母校の助手という勤務先も見つけ、息子も生まれて、教育者としても研究者としても希望に満ちたまさにこれからという時に、S先生を不幸が襲う。あまりにも悲しい不運。それも何度も。

著者は、1980年代のなかば、慶応大学英文科3年の時に、当時非常勤として一変わっていて人気もない講義をしていたS先生と出会った。J・Dサリンジャーの熱狂的な大ファンだった著者は、S先生が講義でとりあげたフラナリー・オコナーにひかれてとうとう卒論も、その後の研究テーマもオコナー作品に劇的に変換した。

それではいったい何故、S先生にとってはオコナーだったのか。
ひとりの20歳にしかない若者は、尊敬するS先生を師匠に真摯に英文学にとりくんでいくうちに、フラナリー・オコナーの精神世界にせまっていく。やがて、ウィリアム・フォークナーを知り、旧約聖書のヨブ記を下書きにした戯曲を精読していくようになる。それは、彼にとって少しずつS先生の厳しい人生と心の道程をたどる旅でもあった。そして、著者がひかれていったのは、フラナリー・オコナーらの作品だけではなく、「S先生」そのひとだったということの本当の意味を理解していったのは、先生を亡くしてからだった。

先生の人となり、人生には、まさに「峻厳」という言葉が貫かれている。いつも全身全霊で翻訳や創作にとりくむ「S先生」。理不尽な生を生きる「S先生」。世の中には、一冊の本を翻訳するだけで話題になる作家もいる。それと比較して同じ本を何度も推敲を重ねて修正を加えていった翻訳家の須山氏を、実名ではなく「S先生」というつつましやかなタイトルで上梓した著者の心情が伝わってくる。本書は、今年度の「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞した。受賞したのは、「S先生」とひとりの生意気盛りの若者の人生の出会いなのだと思う。

『25年目の弦楽四重奏』

2013-07-11 22:47:18 | Movie
その卓抜したテクニックと優美な音楽性で世界最高峰の弦楽四重奏団として人々を魅了してきた「東京クヮルテット」Tokyo String Quartetが、今年7月で44年間の輝かしい活動に終止符をうつことになった。

きっかけは、第2ヴァイオリンの池田菊衛さんとヴィオラの磯村和英さんが身を引くことになったことからはじまった。第1ヴァイオリンのマーティン・ビーヴァー氏とチェロ奏者のクライヴ・グリーンスミス氏は、引き続き活動をするために、後任としてカルテットの名前に適した日本人もしくは日本のバックグラウンドをもつ演奏者たちを探していたそうだが、そこがカルテットの難しさで、卒業されるおふたりもアメリカ生活が長く純日本人とは感覚が少し違っていることもあり、そんなおふたりの空席をうめる人材発掘はそもそも至極困難で、最終的に潔く解散することになったそうだ。たったひとりがぬけても、音楽性が大きく変わるカルテット。至宝のようなカルテットの解散については、長年のファンとしてはとても寂しい限りだが、それもやむなしと思える。カルテットを長く続けるのは、なにかと大変なのだ。

さて、プレリュードが長くなったが、結成25周年を迎える「フーガ弦楽四重奏団」もチェロ奏者のピーター(クリストファー・ウォーケン)の突然の引退宣言から存亡の危機に陥る。完璧主義者で極限まで音楽を追求する第1ヴァイオリンのダニエル(マーク・イヴァニール)、色彩豊かに奏でる人間味ある第2ヴァイオリンのロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)、彼の妻でもあり、深みを与えるヴィオラ奏者のジュリエット(キャサリン・キーナー)、そして威厳と愛情で父親のような存在のピーター。素晴らしいカルテットを奏でてていた彼らは、ピーターの病に動揺し、それまで抑えていた不協和音が一気に鳴りはじまる。

嫉妬、疑い、ライバル意識、家庭問題、母と娘の関係。誰もがもっている感情、誰にもありそうで、誰もが体験するようなことが次々と喧騒曲となってアレグロで奏でられる。この四重奏曲は、実にスリリングだ!

ところで、驚いたのは脚本も監督のヤーロン・ジルバーマンが書いているのだが、ベートーベンの弦楽四重奏第14番にインスパイアされてこの作品を製作したことだ。なんと着想が豊かなのだろう。一般的にベートーベンの四重奏曲は、後期に入ると哲学的になると言われている。なかでも14番は、定番の4楽章構成ではなく7楽章から成り、しかもアタッカ(休みなく演奏)で演奏される。(評論家の吉田秀和さんも生前大好きな曲だと書いている。)楽章の切れ目で調弦をしないまま長く演奏を続けていくと、音程が狂っていく可能性がある。梅雨時の日本など特にそうだ。長い人生も、時々調弦しながら人間関係を軌道修正していった方がよいのではないだろうか、というのが監督からの投げかけだ。

映画を観ながら感じたのは、監督はカルテット事情を熟知していることだ。映画の監督業に学歴は関係ないが、ヤーロン・ジルバーマン監督がMITで物理学で学士号を取得していたことを知った時は、思わず心の中で、”Einsatz”とつぶやていてしまった。弓の毛を自分で張り替える独身の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのキャラクターの違い、ヴィオラの役目やどっしりとしたチェロ奏者と楽器にあわせた実に適格な役回りとキャスティングだと思う。東京クヮルテットの第2を務める池田氏も厳しさのなかにも社交的であかるい印象の方である。NYという格好の舞台上でくりひろげられる知的な映画を最後まで存分に鑑賞できた。個人的にかなり好みの映画だ。

そして、「東京クヮルテット」が最後の演奏会に選んだ曲も、彼らのこだわりの「ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131」。単なる偶然ではない。この曲のもつ深遠さであろう。

原題:A Late Quartet
監督:ヤーロン・ジルバーマン
2012年米国製作

■アンコール劇場
「東京クヮルテットの室内楽」
「東京クヮルテットの室内楽vol.3」
「東京クヮルテット」リクエスト・プログラム発表
「東京クヮルテット」創立40周年記念コンサート
「東京クヮルテットの室内楽vol.6」

「二十世紀の10大バレエダンサー」村山久美子著

2013-07-07 16:09:51 | Book
著者の村山久美子さんは、舞踏史や舞踏の芸術を長年研究されていてロシア語も含めて大学で講義しているばかりか、毎晩バレエの公演を鑑賞し、批評や評論を書き続け、尚且つ、ご自分でもバレエ、ストリート・ダンスまで実技で踊っているそうだ。美学の延長として”バレエ学”の学者による理論ばかりではなく、幼少の頃から踊ってきた者として技術面の難易度を読者に実感させる批評もできるから説得力がある。

そんな彼女が、20世紀を代表するバレエダンサーを10人選んだのが本書である。よくある「10大●●~」つながりの本を書くのは、難しいと思う。著者自身が、当該分野の全体を俯瞰できる実力、多少の好みのふれはあるにせよ、読者に選択結果を説得できるように専門知識をわかりやすく伝授し、おまけに”感嘆”までさせられる文章力。たとえば、「世界でもっとも美しい10の科学実験」は、非常に優れた本だった。(文庫本化が待ち遠しい!)村山さんが、1冊の本を執筆する、という魅惑的だが10人に選ぶところでおおいに悩んだとうのもしかり。バレエについてはうとい私ですら、近年のバレエ芸術の、伝統と革新をふまえた芸術性の高いレベル、人種の壁をこえて素晴らしいバレエダンサーが、完成されたメソッドのもとで生まれていくシステムが確立されていることを感じている。

才能ある芽を最大限に伸ばすのは、本人の才能は勿論だが、よき指導者とよきメソッド。(そしてできれば支援できる社会的体制も。)村山さんが10人を選ぶのにおおいに悩んだのも、ロシアの名教師アグリッピーナ・ワガーノワが、”ワガノーワ・メソッド”をつくり世界の様々なバレエ機関で活用される結果、スケールの大きな素晴らしいダンサーが次々と育っていったという幸福な時代ということもある。

さて、毎晩バレエを長年鑑賞し続けてきた批評家でもある村山さんが選んだ究極の20世紀のバレエダンサーたちは次の方たちになる。

ウリヤーナ・ロパートキナ(表紙のカバー写真)
ウラジーミル・マラーホフ
シルヴィ・ギエム
ファルフ・ルジマートフ
ミハイル・バリシニコフ
ジョルジュ・ドン(
ルドルフ・ヌレエフ
マイヤ・プリセツカヤ
ガリーナ・ウラーノワ
ワツラフ・ニジンスキー
・・・そして、第二部に登場するのが、日本のバレエ界を代表する森下洋子さん、吉田都さんと熊谷哲也さんであるのは誰も異論がないだろう。

登場するのは、現代から過去に少しずつさかのぼっていき、最後はあのニジンスキーでおわる。読みすすめるうちに、バレエの魅力にふれ、振り付けの影響力、後年のバレエ界に与える功績、そして時代に踊らされる人間模様もみえてくる。

たとえば、私の一番好きなミハイル・バリシニコフ。技の巧みと美しさの両方を彼ほど備えているダンサーはいない、と村山さんも個人的にとてもお気に入りのようだ。彼は、古典バレエ作品の理想であり、誰もが人目で理解する完璧なまで技の美しさをもっている。そして、”調和”がいかに美しく心地よいのか彼の踊りは教えてくれるそうだ。確かに、素人にもとてもわかりやすいのが、ミーシャだ。亡命先の米国人が、素晴らしい金が飛び込んできて熱狂したのもわかる。そんな彼が、なぜ亡命したのか。キーロフ・バレエ在籍中にほんのわずかに知った西側の自由と優れた創造性、雪どけがはじまった感に思えたにも関わらずフルシチョフ失脚による閉塞感、凡庸な振り付けに、小柄でお茶目な雰囲気をもつミーシャには古典作品のノーブルな大役がなかなか回ってこない。そんなこんなで、61年のヌレエフ、70年のマカーロワに続いて74年に亡命。はっきり言って、私がバレエに魅せられ、♂のタイツ姿にも問題なく?すぐに慣れて鑑賞できるようになったのも、ミーシャが亡命してくれたおかげかもしれない。

立っているだけで王子のマラーホフ、観る者に高揚感を与えてくれるヌレエフ、踊りが解き放つオーラをもつジョルジュ・ドン、もはや神格化したニジンスキー、、、天才という名にふさわしいダンサーがいる中でミーシャほど美しい品をもちチャーミングなダンサーはいない。

・・・と、つい熱くなってしまうのだが、著者の村山さんは静かな情熱とともに、10人のダンサーを冷静に分析していく。言語表現の全くない音楽と舞踏を、言葉を借りて表現するのはなかなか難しいと思うのだが、わかりやすい単語でその人となりも想像させながら、バレエ入門となっているのが本書である。特に本書の表紙となっているウリヤーナ・ロパートキナのよる「瀕死の白鳥」を踊る描写で、死生観まで肉体で表現をする記述には、彼女の才能とバレエという芸術の崇高さまで伝わってくる。
それにしてもバレエダンサーという職業は、なるものではなく、なれるものでもなく、バレエダンサーになるべくして生まれてきた者のものだということがつくづくわかる。21世紀はどんなダンサーが彗星のごとく現れるのか。

■アンコール
映画『バレエに生きる』
世界への挑戦 17歳のバレリーナ
「テレプシコーラ/舞姫」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部3」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部5」
「黒鳥」
「魔笛」カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団
「毛沢東のバレエ・ダンサー」リー・ツンシン著
『ブラック・スワン』・・・少し雰囲気が違うアメリカ映画
映画『ファースト・ポジション』

「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」今野浩著

2013-07-03 22:32:15 | Book
かの愛すべきお茶目な「工学部ヒラの教授」は、どうもタダノ教授ではなくなってきた。新潮社から2011年に出版された「工学部ヒラノ教授」から、ご本人曰くまさかのシリーズ化ではないが、いつのまにか次々に増産されていた。本書は「事件ファイル」から読者からの照会が多かったアメリカでの研究生活の”総括”である。

ヒラノ教授は、1963年に東京大学を卒業し、1971年にスタンフォード大学大学院OR学科で博士課程を修了。筑波大学、東工大学、中央大学と渡り歩き、現在は東工大学の名誉教授である。その間、スタンフォード大学で若き青年時代を送り、1972年から1年、ウィスコンシン大学数学研究所客員助教授、79年3ヶ月ほどパデュ-大学大学院客員教授を務め、更に98年から1年間コロンビア大学でも客員教授となる。問題の最適な解決法を研究するオペレーションズ・リサーチから、華やかでセクシーな?金融工学へと転進している。

ヒラノ教授が米国で学究生活を送っていた時代はだいぶ以前となるが、米国の大学の本質はそう変わっていないだろう、というのが次の点である。

1.膨大な資金力(日本とは桁違い)
母校のスタンフォード大学からの寄付金依頼がしつこいくらいにやってきたそうだ。それに比較して、○○記念で卒業生に一度寄付金をおねだりしてきた東大は可愛らしいものだ。

2.完全なる格差社会
トップの大学には一流の研究者や学生が集まり、豊富な資金力と優秀な頭脳で切磋琢磨して優れた業績を挙げる。その華々しい成果に更に寄付金や運営資金が集まる。B級の大学には、B級の教授と学生しかいない。しかもAクラスの一流大学で博士号をとっても半年に1本のよい論文を書き続けなければ、2流、3流の大学へと移り、授業に追われるティーチング・マシンとなって研究者としては透明人間となっていく。非常にシビアな競争社会だ。

3.強欲なアメリカ人か?
「MBA」にもピンからキリまであるが、超トップクラスのMBAで学んだ後、ウォール街で強欲なビジネスマンや弁護士となっている。名門ハーバード大学で長い間最も人気のある授業、Michael J. Sandel教授による「JUSTICE(正義)」で学び、議論した知的エリートたちは卒業後、強欲な”高給鳥”となって金融業界や法曹で大きく羽ばたいているではないか。あの名授業の成果がこれか。

良くも悪くも突出しているのがアメリカだ。光がまぶしければ、影も深い。そんなこの大国で、最も優れた産業が「大学」と言われている。そして、ヒラノ教授によると、キャンパスの広さと美しさは夢のようで、特にクリントン元大統領の一人娘も学んだスタンフォード大学は気候も素晴らしいそうだ。その他、ハニートラップ、お尻のおでき事件、某教授との同棲生活など、大学内事情の告発者といよりもお茶目な語り部の役者がすっかりいたについてきたようだ。はしたないやつだ、、、というちょっぴり怨嗟の視線も感じているらしいが、事実は事実なのだ。ヒラノ教授、頑張れ。