千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「深代惇郎の天声人語」深代惇郎著

2010-06-27 19:53:47 | Book
手元に一冊の本がある。地元の公立図書館で借りた本で昭和51年発行、出版社は朝日新聞社。以前、読んだ本で今回は再読。貸出期限は2週間だが一回のみ延長ができるので、ほぼ1ヶ月間手元において何度も読み直しをしたにも関わらず、手離すことが惜しくてまだ読んでいる。著者は、深代惇郎。とくれば、自ずからタイトルが予想できるだろう。「深代惇郎の天声人語」である。

深代 惇郎は昭和4年東京生まれ。昭和28年に朝日新聞社に入社して、ロンドン、ニューヨークの特派員などを経て48年に論説委員になる。深代が「天声人語」を執筆したのは48年2月から50年11月1日、急性骨髄性白血病で入院するまでのわずか3年に満たない期間であった。しかし、朝日新聞にとっては、深代の登場によって「天声人語」のブランドが他新聞社の同類との差別化に成功し、不動の輝きをもたらせた。我家は私が生まれた時から父がジャイアンツ・ファンということでY新聞である。朝、まず一番に目を通すのが「編集手帳」なのだが、これがおそろしくおもしろくないのだ・・・。つまらない!論説委員の方は、特に”古今東西の名文を微妙な引用”で人生の四季を描き出す当代随一の名コラムリストとして世間では評価が高いそうだが、巧みな文を書くための技巧を凝らし筆が走り、肝心な著者の魂がきこえない。

久々に再読した深代の文章は、珠玉の名文なのである。プロの書き手として超一流。しかも、本物の文章力があるから、どんなに名文でもその”技巧”の鮮やかさに気をとられることもなく、ずしりと心に響き余韻を残す。勿論、論文や過去の著名人の言葉の引用もあるのだが、単なるうすっぺらな借用ではなく、後年、マスコミ史上、最高の知性派のひとりと評価された彼の深い教養こそ感じられ読ませられる。現代の名コラムリストとどこが違うのか。深代は、教養人でありながらその懐は人間味溢れて深い。そして、自分の言葉で語る。もともとの人間力も違うのだろう。49.4.10「竜治君の死」を読んで涙を流さない読書人はいないであろう。それでいて田中角栄など政治家や権力者を見る目は厳しかった。表層ではなく、物事の本質を見抜くジャーナリストととしての目は確かで、鋭くもユーモアがあり、心はあたたかかった。こういう名文家にしてジャーナリストという人物が久しく現れないのも、日本という国の衰退なのだろうか、くだらない番組を延々と垂れ流すテレビのスイッチを切って、まともな本を読もう。

「政治家と政治屋」(49.2.13) 「政治家は国民のフトコロのことを考え、政治屋は自分のフトコロのことしか考えない」といったら、われわれは「政治家」に恵まれた国民であるのか、どうか

「風圧」(49.3.24) インフレの本当の恐ろしさは経済問題ではない。それが人間を侵食し、誠実な人生をせせら笑うことになる

「狂気の時代」(49.10.23) 狂気の時代には、正気なことをいう者が狂気じみた人間にされる

「劇的英雄」(49.7.8) 舞台が小さくなれば踊りも小さくなる

「爆弾教本」(49.10.17) 硬派は「男気」で売り、軟派は「男前」でいく

「滅亡への道」(50.4.30) この男が、ヨーロッパ大陸を征服するまでの過程は戦慄に満ちたものだ。彼(ヒトラー)はだれよりも歴史を作ったが、また、歴史によって作られた人間でもあった。滅亡への道を歩んでいると考えるヨーロッパの恐怖心が、憎悪と復讐をかかげた「ヒトラー」という狂気を生み出したのかも知れない。


他にも「柳腰美人」「虚名虚業」「差別と区別」など、そのままそっくり掲載しても現代に通じるコラムもある。わずか800文字で完結される文章。話題も豊富、ネットだったらさしづめ究極のブログである。本書は各テーマ別に編集され、352回分が収められている。続編もあるのだが、新聞紙上で毎日掲載されたほぼ3日に一回分に該当するのだが、あとがきの森・論説委員顧問の言うように、すべてにおいて出来過ぎているのである。大学時代、深代を神のように崇めていた友の顔を思い出してしまったのだが、まるで自らの早世を予期したかのように凝縮されたエッセンスだけのような神がかり的な名文が並ぶ。「編集手帳」の名コラムリストとはレベルが違い過ぎるのだ。

「絶筆」では「斑鳩の白い道のうえに」という著書の感想から、理想的政治家としての聖徳太子の生涯の感想の後に、「権力に狂奔し、怨霊におののく古代人たち、いつかもう一度、法隆寺を訪ねてみたい」でおわっている。
深代の最後の希望は叶わなかった。もし彼が長生きをしていたら、現代をどのように喝破し、いかに論じ、いかに感じたのか。
本は一旦、図書館に返却したのだが、こんな優れた本が絶版になっているとは。本が売れないなら、このような名作を掘り起こせばよいのではないか。深代を忘却の彼方に失いつつあるのは、それこそ朝日新聞の怠慢であろう。それとも現役論説委員の方々は彼と比較されるのが怖いのだろうか、ついつい疑ってしまう。

『ブライト・スター/いちばん美しい恋の詩(うた)』

2010-06-21 22:31:32 | Movie
「輝く星よ」1819年

輝く星よ
その誠実なきらめきは 夜空に高く孤独を知らぬ
その目は永遠の瞼を開き
受難者か隠遁僧の如く見守りつづける
世を取り巻く大地の岸を
絶えず清め 流れる水を
その目はまた 山や沼を覆う 淡き初雪を見守る
永遠に誠実にして変わることなし
恋人の豊かな胸を枕にその柔らかなうねりを感じつつ目覚めよう
甘き不安の中で
静かに彼女の息づかいを聴き 永遠の生か恍惚の死を求めん

わずか25歳で夭折した英国を代表するロマン派詩人のジョン・キーツJohn Keatsの「Bright Star」の詩は珠玉のように美しく、しかも官能的でもある。
しかも英語の原詩はもっと美しい。

Bright Star

Bright star, would I were stedfast as thou art--
Not in lone splendour hung aloft the night
And watching, with eternal lids apart,
Like nature's patient, sleepless Eremite,
The moving waters at their priestlike task
Of pure ablution round earth's human shores,
Or gazing on the new soft-fallen mask
Of snow upon the mountains and the moors--
No--yet still stedfast, still unchangeable,
Pillow'd upon my fair love's ripening breast,
To feel for ever its soft fall and swell,
Awake for ever in a sweet unrest,
Still, still to hear her tender-taken breath,
And so live ever--or else swoon to death.


1818年の夏。新鋭の詩人、ジョン・キーツ(ベン・ウィショー)はロンドン郊外ハムステッドに住む親友の編集者ブラウン(ポール・シュナイダー)に招かれて同じ屋敷に暮らすようになった。当時も新進の詩人は作品の価値が高くても世間や権威的な評論家たちの評価はなかなか追いつかず、彼は貧しく生活に困窮していたのだった。お隣の家の長女ファニー(アビー・コーニッシュ)は、少々生意気だがお洒落が大好きで活発な女性。彼女は、ブラウンには、詩なんて役に立たないと会えば喧嘩の犬猿の仲だが、繊細で才能ある詩人を体現したかのようなキーツには一目ぼれをしてしまう。
聡明なファニーだったが、恋というものを彼女なまだ知らない。しかし、そんなファニーの心を見透かすブラウンは、キーツの創作のために彼女を遠ざけようとするのだったが。。。

Bright Star はキーツの生涯ただ一度の恋をした女性、ファニーのために書かた詩である。本作はふたりの恋をファニーの側から描いており、監督は、『ピアノ・レッスン』で世界中にその名を知らしめたジェーン・カンピオン監督。おそらく映画好きの女性でジェーン・カンピオンの名前を知らない人はいないであろうと同じく、『ピアノ・レッスン』を観たことがない人もいないであろう。職業を紹介する記事に”女性”や”女流”の冠がとれたことを喜ぶ記事を最近読んで私も同感したが、カンピオン監督に限っては”女性”監督であるという性が、作品に独特な感性と男性には決して描くことができない繊細な官能の世界を映像美で見事に表現している。女性の視点から振り返ると、直裁的なベットシーンなくして『ピアノ・レッスン』ほど官能的な映画はなかった。はっきり言って、あの映画のエロティシズムは男には理解できないだろう。本作も「ニューズ・ウィーク」誌には、最も革新的なのは”ふたりが寝ないこと”だったとジョークの酷評がされていた。それはともかく、カンピオンが監督が務めるならキーツではなくファニーが主人公でなければならない。

アビー・コーニッシュは、瑞々しい美しさだけでなく躍動感に溢れる生命力を感じさせるファニー役を好演している。彼女のまろやかな体のラインの健やかさと一途な乙女ぶりが、キーツ役の「猫のような美しい生き物」と監督お気に入りのベン・ウィショーの初夏のあわいに漂う華奢でかげろうのような雰囲気をひきたてている。しかし、私が最も注目したのは、キーツをとりあう擬似三角関係にあるブラウンの存在である。ドレスのフリルをオリジナルで三重にも重ねてゴージャスさを装うファニーは、当時のいわばファッションリーダーのようなタイプ。裕福に育った彼女は、育ちからくる素直さそのものでメジャーデビューを果たした美形ミュージシャンに憧れるように、ひと目で詩人・キーツに恋をする。美的感性に優れていた彼女ではあったが、キーツが影響を受けたミルトンの詩が韻をふまないblank verseを用いていることも知らなかったように、その美意識はファッションへの関心にとどまっている。ブラウンはそんな彼女の人柄を見事に喝破して、キーツの短命を予感したかのように創作の時間をファニーのために削られることを恐れて、彼女を厳しく批判する。その舌鋒が鋭く厳しければ厳しいほど、ブラウンのキーツの才能への偏愛ぶりが遺憾なく発揮される。男としてのキーツを愛したファニーの女性としての官能と彼の才能を愛でたブラウンの情熱、キーツを手離したことへの身をきるように後悔するブラウンの存在があってこの映画は素晴らしい恋愛映画になりうる。そして、プラトニックなふたりの恋に、「彼女と寝ればよいのに」とつぶやくブラウンの心理を忖度すると、彼自身がたいして好きでもなかった女中に手をつけて孕ませて養育に追われていくさまも、夭折するキーツと純粋なファニーの恋心がより一層美しくも感じられる。

キーツがファニーとの恋の成就をためらったのは、果たして無一文なだけが理由だろうか。母と弟を結核で失い、自身医学生でもあったキーツには、常に自分も同じ病に倒れる覚悟があったのではないだろうか。

「Bright Star 」の詩は”And so live ever--or else swoon to death”で結ばれている。 恋する女性を謳いながら永遠の生命と死を見つめるキーツの孤独と幸福、そして慟哭を思う。

「カラヴァッジョ」と「ハーツ・アンド・マインズ」

2010-06-18 23:49:20 | Nonsense
洪水のような大量の情報の渦の中でおぼれかけつつ、まさに自分が興味と関心をもっていたことに関わる事柄や事件が、まるであらかじめ”自分のために”用意されたかのようにあらわれることがある。こんなことはおそらく誰にでも経験があるのだろうが、朝刊と夕刊で気になった話題をふたつ。

【カラバッジョ】
********************************************************
伊バロックの巨匠カラバッジョ、遺骨ほぼ特定
イタリアの専門家グループは16日、同国の画家カラバッジョ(本名・ミケランジェロ・メリジ、1571~1610)の遺骨をほぼ特定した、と発表した。
伊ANSA通信などが伝えた。伊中部で昨年見つかった人骨をDNA鑑定したもので、これまで謎とされてきたバロックの巨匠の埋葬地が没後400年を経て、確認されたことになる。
この人骨は、カラバッジョが死去したとされる伊中部トスカーナ州ポルトエルコレの地下聖堂で発見された頭骨や大腿(だいたい)骨など。伊ボローニャ大の人類学者らは今年に入って、カラバッジョの出身地の伊北部で、血縁者とみられる「メリジ」姓の住民のDNAを採取、人骨と照合した結果、共通性を確認した。人骨からは、バロック期の顔料に含まれていた水銀や鉛が高濃度で検出され、炭素同位体による年代測定でも没年の1610年前後のものと判明。人骨のDNAの劣化で完全な証明はできないが、「85%の確率」で本物と確認できたという。ただ、暗殺や病死など諸説ある死因については、特定できなかった。


*************************************

春にアンジェロ・ロンゴーニ監督による映画『カラヴァッジョ』を観てから、すっかりこのバロック時代の天才画家に魅せられた。血と暴力に満ちた文字通り波乱万丈の人生の軌跡にも驚かされたが、やはり作品から感じられる敬虔で深い精神性に満ちた魂にこそこの画家の最大の特徴であろう。粗暴で野卑な行動と高潔で深い精神の矛盾は、現代のカラヴァッジョ研究の隆盛に向かっているとは宮下規久朗氏の著書「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」でもふれられていたが、本国のイタリアではとうとう遺骨発掘捜査活動まで行われていたのかっ。もっともカラヴァッジョがポルト・エレコレで亡くなったのは事実であり、遺骨から死因が特定できないのであれば、これまでのカラヴァッジョ研究に今回の発見はそれほどの貢献はないものと思われる。ご苦労なことだ。

・・・がっ、もっとおろろいたのが、あの女性問題がらみのスキャンダル大統領のイタリア、ベルルスコーニ首相が、1600~01年に制作されたカラヴァッジョの「聖パウロの回心」を購入するというニュースだ。作品はローマのオデスカルキ家が所蔵し、保存状態も非常に良好で宮下規久朗鑑定団によるとこのお宝はまず100億円はくだらないだろうということだ。大富豪でもあるベルルスコーニ首相の資産は米経済誌フォーブスによると90億ドル(約8200億円)で、この作品に1億ユーロ(約112億円)以上を提示しているそうだ。もし首相が1億ユーロでこの絵画を購入できたらとても幸福だろう。しかし、回心が必要なのはベルルスコーニ氏ではないかと考え、つらつら回心が改悛、首相の顔を思い浮かべたら”回春”といただけない連想になってしまった。

そして夕刊の映画の話題で見過ごしてしまいそうな小さな記事で紹介されていたのが映画『ハーツ・アンド・マインズ』である。

【ハーツ・アンド・マインズ(心と精神)】

そもそも1975年のアカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したこの映画を知らなかった。何もアカデミー賞受賞という権威で本作に価値を認める気持ちはさらさらないが、今愛読している「深代淳郎の天声人語」(昭和50年8月23日の「天声人語」掲載分)にこの映画の感想が書かかれている。タイトルは「恥ずかしい国」で、欧米では一般に公開されている映画が採算がとれないという理由で日本では公開されないことに深代氏は苦言を呈している。怒りの対象は、映画配給会社ではなく我々日本人である。

「一時あれほでベトナム反戦で燃え上がった日本で、お客がこないとはどういうことだ」と。

そう、この映画はベトナム戦争を俯瞰でとらえた記録映画である。日本では劇場で未公開だったが試写を観る機会があった深代氏の名文をもう少し紹介しよう。

「評判にたがわず、見事な映画だった。全編は記録映画だけであり、余計な注釈も解説もない。人間の情緒ではなく知性に訴えて、この映画は感動を誘いだす。「ベトナム戦争」とは、米国の中の闘いであり、各人の良心との格闘であったことを教えてくれた。」

わずか3年弱の短い期間に、朝日新聞誌上に奇跡のような珠玉の「天声人語」を産みだした最高の名文家、深代氏が唯一とりあげたこの映画を観たい!と思ったら、東京では2010年6月19日(土)~7月16日(金) 東京都写真美術館で上映される。偶然とはいえ、不思議な気持ちがする。

WANTED カミッロ・シヴォリ

2010-06-15 23:07:43 | Classic
6月14日の日経新聞に、東京藝術大学でイタリア語を教えていらっしゃるというルチアーナ・ギッツォーニさんによる興味深い記事が掲載されていた。
日本人ビジネスマンと留学先の米国で出会ったイタリア人の彼女が、長年傾倒(熱愛?)している音楽家がカミッロ・シヴォリ(Ernesto Camillo Sivori)。と、名前を聞いても、私も全く知らなかったのだから、この天才ヴァイオリニストの旋律復権のために20年以上も孤軍奮闘しているルチアーナさんのご苦労がしのばれるというものだ。

シヴォリは1815年、ジェノバに生まれ、あのニコロ・パガニーニ(1782~1840年)から唯一弟子入りをゆるされたヴァイオリニストである。彼は幼い頃より音楽に興味を示し、その才能を発揮。パガニーニがジェノバに滞在した1822年10月から23年5月にかけてふたりは出会って、後に師弟関係を結ぶようになる。天才必ずしも名伯楽にあらずのとおりだろうか、パガニーニは「弟子のためにこんな簡単な練習曲を書くのは嫌だ」とくしゃくしゃにした楽譜を渡し、失敗すれば乱暴で無愛想な口調で注意、また人を馬鹿にした口調で皮肉な笑いをうかべていらだったように部屋中を行き来する。「能力は問題ではない。忍耐と精神力がすべてだ」と力説して、暗譜で練習曲を完璧に弟子の前で弾きこなす。パガニーニの過酷なレッスンを通じて、シヴォリは音階練習をしない日があってはならない(←現代も同じ)とたたきこまれ、終生、規則正しき励んだそうだ。

そんな鬼教師をシヴォリは愛情をこめて、”パガニーニは師事した中で最低のヴァイオリン教師”と回想しているという。”最低”の教師による最高の教えの成果だろうか、シヴォリは12歳でジェンバ宮廷劇場でデビュー、パガニネット(小さなパガニーニ)と聴衆から愛され、また恩師からは何曲か献呈され、死の床にもよばれて演奏のお礼に名器を贈られた。ところで、その幸福な弟子のその後の足跡が、実は大変興味深いのである。

シヴォリはライプチヒでメンデルスゾーンと出会い、珠玉の名曲!「バイオリン協奏曲ホ短調」の英国初演を託され、パリではロッシーニと知り合い、その遺体をパリからフィレンツェに移送する儀式ではオペラ「モーゼ」の旋律を奏でた。リストやベルリオーズら同年代の作曲家だけでなく、後にイタリア統一を達成するガリヴァルディ将軍とも面識があった。1846年には渡米して、ジャマイカで罹った黄熱病も克服、マネージャーを務めた実兄の株投資失敗により全財産を失うという不運にも見舞われるが、精力的な演奏と作曲活動で復活、最後には慈善演奏会までこなした。まさに華麗にして波乱万丈のメロディ!

しかし、ドラマチックなメロディを奏でるシヴォリの曲が忘れられつつあるのは、ルチアーナさんの分析によると師匠の万事派手で強烈なパガニーニの影になり、存在感が希薄なためだろうということだ。聴衆にとってセカンドの価値は低いものだ。確かにあの悪魔的なパガニーニに比較すると善良なる小市民的な風貌だ。しかし、ルチアーナさんによると1994年にシヴォリ没後100年を記念して録音された曲を聴くと、超絶技巧を生かしながらたっぷりと歌いあげる旋律は今でも魅力的に響くそうだ。
よし!こうなったらスピードの速い歴史に埋もれつつあるシヴォリの捜索願いをしてみよっと。

『恋におちて』

2010-06-14 23:08:38 | Movie
今から25年前のアメリカの既婚者同士の恋愛映画。
NY郊外のウエストチェスターとNYを結ぶ通勤列車は、クリスマスの日にリゾート書店で運命的な出会いをするモリー・ギルモア(メリル・ストリープ)とフランク・ラフティス(ロバート・デ・ニーロ)を乗せて今日も快調にレールの上を走っている。モリーは有能な医師を夫にもち、同じく医師だった父の看病のためにマンハッタンの病院まで通っている。彼女の職業は、繊細な絵を描くグラフィック・アーチスト。一方、そのモリーと恋におちるフランクは、妻と二人の息子との円満な家庭を築く建築技師で建設現場まで通勤していた。
偶然出逢ってしまったふたりが、恋におちるのはさして時間がかからなかった。お互いを見つめる恋心の中で、相手を激しく求める気持ちが熟成するにもさしたる時間はかからない。しかし、ふたりには非のない法律上の配偶者とフランクには息子までいる。。。

ふたりの名優をキャスティングしたオトナの恋愛映画を久しぶりに再鑑賞してみたが、随分前に観た時の感想や印象と幾分違っていたのは、自分の中の歳月の流れ?もしくは堆積というものだろうか。

1.モリーとフランクの背景の違い
芸術的な仕事をもつモリーは、父親や夫の職業から察するに育ちのよいお嬢様がそのままのぞまれて妻となった純粋で素直、そして真面目な女性。瀟洒な邸宅で洗練された家具に囲まれた比較的裕福な暮らしぶり。フランクはそれに比較して、腕はよいが建築技師で自宅もモリーに比べて小さい全くの庶民クラス。女性の方の背景が男性よりもクラス感が高いのも本作に魅力を与えていると思う。

2.ガテン系のフランクが人妻を本気で好きになるなんて
映画の冒頭で、フランクがデパートで妻のクリスマスプレゼントを選ぶのに迷う場面があるが、そこから、女性への贈物を選ぶのが苦手⇒ガテン系の素朴さ⇒華やかな恋バナとは縁の遠いタイプを表しているように推測される。つまり本来恋に不器用な男が、ありえない恋におちてしまった。しかも、魅力的な女性と!

3.モリーの女性としての成長物語
病にふせる父を見舞う”娘モリー”の場面が多いせいか、妻として出産経験もあるにも関わらずモリーにはまだ少女のような雰囲気が残っている。夫との家庭生活も冷えていることもあり、フランクとの恋愛は彼女にとって本気で男性を好きになった初めての出来事ではないかとも考えられる。クローゼットの前でデートに着ていく衣装を選ぶ有名な場面は、”もう一度の恋”というよりも初めての本気の恋の印象が残る。

4.結局最後の一線を越えることがなかった事へのフランクの妻の怒り
ずっと謎だったのだが、ふたりが友人のアパートでいざ”コト”に及ぼうとしてが、最後の一線をこえることができなかったことに対して、寝るより悪いと怒ったフランクの妻の感情を理解できなかった。私もフランクのように「寝なかった」ことで罪はまだ軽いと思っていたのだが、それが逆に相手の女性への本気度がわかり、またいつまでもモリーに心を残してしまうことで単なる浮気と片付けることができないことから、妻としての深い悲しみや怒りに納得した。

強烈な存在感を与えるロバート・デ・ニーロはだから苦手な俳優だったが、本作では恋におちてしまった悩める平凡な中年男性の役を好演。しかし、何の落ち度もない素敵な妻と離婚するのも恋の代償の大きさでもあり、こどもがいても男と女の原点でものを考える米国の夫婦事情である。何年たって何度観ても本作の価値と魅力は衰えない。それは、恋をする気持ちが鮮やかに描かれているからだろう。恋愛は若者だけの特技ではない。

監督: ウール・グロスバード
1984年米国製作

「免疫の意味論」多田富雄著

2010-06-09 23:52:03 | Book
諸々の用事に追われ、本当はもっと丁寧に読み込みたかったのだが、図書館の貸出期限がせまったために、さらっと読了。
本書は、先日、惜しまれつつ亡くなった免疫学者の多田富雄さんが、雑誌「現代思想」に12回に渡って連載されたものを集めた一冊である。免疫学からアプローチした12のテーマを集約すると、免疫学的な「自己」とは何か、それでは「非自己」とは何かの問いになる。この免疫現象の意味をどんどん追求していくと、自己と非自己の臨界は曖昧になり、しかも両者が入り組んだ関係には、めまいがするようなパラドックスもあり私は軽い衝撃を受けた。

93年4月に初版が発行され、翌年の10月に図書館で購入したのは第22刷発行のものである。著者は人気作家の宮部みゆきさんや東野圭吾さんではない。発行元も宣伝のうまい幻冬舎でもなければ、それほど大手出版社でもない青土社。しかし、考えてみれば、本書の内容から羊土社のような出版社ではなく、いかにも青土社好みともいえる。

白衣を着た詩人・福岡伸一氏のエッセイ「動的平衡」にもすっかり感銘を受けたが、福岡氏が擬人化した手法で一般人にわかりやすく説明をしながら、むしろ彼自身の自分の内面に深く問いかけている内向性も見受けられるのだが、多田富雄氏の本書は、免疫の意味論から「自己とは何か」という哲学的なテーマを読者に挑発的に投げかけてくる。屈折もなくストレートだ。
たとえば、ウズラの神経管を移植されたニワトリの胚の中ではニワトリの胸腺(T細胞の分化、成熟など免疫系に関与する臓器)が発生する。ウズラの神経管の方はニワトリの脊髄や抹消神経の一部になりきり、色素細胞も皮膚に分布しはじめる。後から発生するニワトリの胸腺はウズラ由来の神経細胞や色素細胞を「自己」の一部と求めざるをえない。こうしてウズラ色の羽根をもったニワトリ、キメラ動物が誕生する。しかし、誕生後数週間後に、ニワトリの免疫系はウズラ由来の細胞を「非自己」と認め、T細胞が排除を始める。ウズラの神経細胞は拒絶され、キメラは解体して動物の「自己」も死ぬ。かように「自己」というものも常に変化して、昨日まで自己であったものが今日は非自己となったり、またその逆もある。連続した「自己」というものは存在しないのだろうか。

生前の多田さんは、世界的な研究者として多忙を極めたにも関わらず、能の創作活動も含めて多くの著書を残した。それは病に倒れても精力的な執筆活動、意欲は衰えなかった。免疫学の研究者としての業績だけでなく、本書のように難しいことをわかりやすく、シンプルな現象もより深く、優れた文章で残してくれたことも忘れてはならない。

■アーカイブ
「ダウンタウンに時は流れて」

満身創痍の「はやぶさ」が帰ってくる

2010-06-08 23:15:11 | Nonsense
宇宙航空研究開発機構は5日、小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還が確定したと発表した。

軌道調整のエンジン噴射がほぼ完了した。燃料漏れや通信途絶、エンジン故障など度重なるトラブルを乗り越え、60億キロ・メートルを旅してきた探査機は、日本時間13日午後11時ごろ、大気圏へ突入し、試料カプセルがオーストラリアのウーメラ砂漠に落下する。
月より遠い天体に着陸し、地球へ戻るのは世界初。カプセルには、小惑星イトカワの砂などが入っている可能性があり、太陽系初期の様子を知る貴重な手がかりとして期待されている。

はやぶさは、3日午前から50時間連続して噴射し、ウーメラ砂漠へ向かう軌道に入った。地球からの距離は現在約360万キロ。宇宙機構は、微修正の最終噴射を9日に行い、2000平方キロ・メートルの落下予定範囲へと正確に導く。カプセルは、パラシュートを開いて砂漠に着陸する。カプセルが出す電波を頼りに回収隊が捜索する。はやぶさ本体は、地球まで4万キロ・メートルのところでカプセルを分離した後、自らも大気圏へ突入し、燃え尽きる。

はやぶさは2003年5月に地球を出発、05年11月にイトカワに着陸し、砂などの採取を試みた。エンジンの大半が故障し、「満身創痍(そうい)」の状態で飛行を続けている。(2010年6月6日 読売新聞)

**********************************************************

女の日々は多忙である。仕事、買物、読書、映画鑑賞に音楽鑑賞、旅行の準備、、、とそのあいまにハートを周囲にふりまき、気がつけば「はやぶさ」と「イトカワ」の天使の距離をブログにアップしたのは、今から5年も前の話。一時は行方不明だの、帰還は絶望的かと心配しつつすっかり忘れた感のあった「はやぶさ」だがようやく!いよいよ地球に帰って来ることになった。
「放蕩息子の帰還」並みに「はやぶさ」は満身創痍のぼろぼろ状態らしいが、カプセルには「イトカワ」の砂が入っていると期待される。本当に楽しみだ。

■こんなアーカイヴも
「はやぶさ」と「イトカワ」の天使の距離
「やんちゃな独創」糸川英夫伝

「動的平衡」福岡伸一著

2010-06-05 23:48:11 | Book
精神科医の斎藤環氏が、本書の書評で福岡伸一をまぎれもなく一流のサイエンスライター、「白衣を着た詩人」と評した。座布団1枚!
20世紀は物理の時代だったが、今世紀は生物、中でも分子生物学の時代だと私は思う。注目されているips細胞関連だけでなく、毎日生命科学の新しい発見のニュースに接している。このようなダイナミックな科学の進展に、ともすればインパクトのある記事に好奇心こそかりたてられるが、大きな視野での生命への意味を問うことを忘れがちになってしまう。そんな中で、白衣を着た詩人は静かに語るのが「生命はなぜそこに宿るのか」。

生命、自然、環境をキーワードに請われるまま書いてきた科学エッセイをまとめたのが、本書の「動的平衡」という一般の者にはあまりなじみのないタイトルだが、この動的平衡(dynamic equilibrium)とは、間断なく流れるなかで、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っていて、その流れ自体が「生きている」ことをあらわしている。(名づけ親は米国の研究者、ルドルフ・シェーンハイマー)

本書の成り立ちから、散文的になるのだが、ここでも福岡ハカセ・ワールドの底流にあるのは、科学者でありながら詩人であり、また哲学者のような深い思考である。ところで、門外漢の私でも「ノックアウト・マウス」を用いた実験は、よく新聞記事や科学書で目にする。しかし、このノックアウト・マウスを生みだしたマリオ・カペッキ教授とオリバー・スミシーズ教授がノーベル医学生理学賞を受賞したのは、2007年とつい最近のことだったのだ。あまりにもなじみのあるノックアウト・マウス君たちの存在で彼らの研究成果がわかるのだが、同時にノックアウト・マウス創出の基礎やES細胞樹立に貢献したマーチン・エバンス教授も受賞した。

ご存知のように精子と卵子の出会いは、受精卵を誕生させる。ここで生命という時計が動きはじめ、発生プログラムを進行させ、二細胞、四細胞と細胞分裂を繰り返し、中空のボール構造となった初期胚となり、それぞれの細胞はその核の中に受精卵と同じDNAをもちどんな細胞にでもなりうる万能性(多機能)をもっている。ここから驚きなのだが、それぞれの細胞は将来何になるか知っているわけでもなく、また知らないまま運命づけられているわけでもない。まして細胞群全体と鳥瞰的な視座から見渡し指揮するマエストロがいるわけでもない。格細胞は、やがてある細胞は脳細胞、また別の細胞は筋肉へと”専門化”の道を歩きはじめる。ここで福岡ハカセの文章表現がさえているのだが、細胞を擬人化したストーリーで、お互いに”空気を読み”タンパク質を介した情報交換をして話し合いによってそれぞれの分化に向かって互いに他を律しながら立ち止まることなく分化を進めていく。

それでは、どんな細胞になりうる能力をもつ細胞を一時停止させることができたら、またその時になんらかの処置をしてある方向にプログラムを再開させることができたら、それは長年の研究者たちの夢だった。81年、とうとうエバンス博士は、一旦細胞群をバラバラにしながらもなお生き続ける細胞を見つけ出したのだ。つまり、空気が読めないKYな細胞だが、増え続ける細胞である。そこで膵臓の働きの研究をしていた福岡ハカセは、GP2というタンパク質の機能を調べるために設計図を消去したノックアウト・マウスをつくる。えびす丸1号と名づけられた赤ちゃんマウスは、消化酵素をうまく分泌できない膵臓のために栄養失調になるとの予想とは全く異なり、何事もなく元気に育った。ちゃんと次世代の赤ちゃんも残しているそうだ。最近、資生堂など動物実験を廃止した研究所もあるくらいだが、人類に貢献しそうな歳月と多くの金をかけた研究は、残念なことにこれでは失敗だ。

しかし、ここに生命の本質があるのではないか。

生命とは機械ではない。パーツの単なる組み合わせではない。ハカセが訳した「ヒューマン ボディ ショップ」も原点の一冊になると思われるのだが、機械とは全く異なるダイナミックスさを備え、生命のもつやわらかさ、可変性やバランスが動的な平衡である。福岡伸一の擬人化してわかりやすい巧みなストーリーに仕立てあげ、そこに「ノーベル賞よりも億万長者」のようなウェットな人生の機微をも用意する気配りを忘れない。文章力が際だっているため、科学書がうっかりすると似非科学との境界線が不明瞭になるくらい心配すらある。分子生物学者にして深い考察ができる文章家は感動品質ものだとは言えるだろう。文豪のゲーテも詩人でありながら自然科学者だった。ゲーテは「自然科学と詩歌が一体化しうることを誰もが認めようとしなかった」と嘆いたそうだが、科学を一般人にもわかりやすく橋渡しをしてくれる白衣を着た詩人の登場は我々にとって幸運だ。

エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

2010-06-02 23:12:04 | Classic
サントリーホールの会場のロビーに一歩足を踏み入れると、なにやらブルーローズ方面で人だかり。
いつもCDを売っているコーナーにわんさか人がいて、まさに黒山状態。みなさん(概ね紳士ばかりか)、ちょっと下の方を向いているので頭頂部の山ばかりが黒く見える。開演してから15分の休憩時間中も、終演後も、CDコーナーでは人が集まり、次々とCDが飛ぶように売れていく。みなさんのお目当ても、やっぱりヒラリー・ハーンか・・・。
「本日サイン会」の立て札を見かけるが、あの人々の人数と帰る時間が気になりCD購入とサイン会は今度も断念!

今年創立65周年を迎えるフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者は、ヘルシンキ生まれのエサ=ペッカ・サロネン。なんと最初の曲は、サロネンが2005年にBBCから委嘱して作曲したヘリックス(Helix 英語読みでは「ヒーリックス」。というよりもプログラムで初めて知ったのだが、サロネンは作曲家としてスタート。彼は、25歳の時にマイケル・ティルソン・トーマスの体調不良により、急遽代役で同オケでマーラーの交響曲第三番をふってロンドン・デビューをした。いきなりですかっ!!しかもマーラーの三番を!まるでドラマのようだが、この業界の成功伝説ではよくある代役デビュー・ストーリーだが、コンサートは大成功におわり、以来フィルハーモニア管弦楽団との信頼関係が築かれる。
ところで、この「ヘリックス」だが、プログラムによると螺旋の意味があり、円錐面上を進んで最後に頂点にいたる螺旋の形状がアッチェレランドしながらフレーズの音価を長くしていく音の動きによって描かれているそうだ。とっつきやすくわかりやすいようで実は非常に凝って計算されたこの曲を、フィルハーモニア管弦楽団は、スマートでクールな音楽にしたてあげた。最新の現代曲を入れたことで、全体のプログラムがひきしまったように思える。

次はいよいよ真打登場!堂々として澄ました顔のヒラリー・ハーンのドレスは目にも鮮やかなWeb Colorの”red”。ドレスの色に白い肌と赤い髪がひきたつ。そして彼女の奏でるチャイコフスキーVn協奏曲は、まさにハーンのチャイコフスキーだ。テクニックが完璧なのに、逆にそれがむしろ印象に残らないのは、音楽全体のおおらかなスケール感と表現が不適切かもしれないがオケを手中に入れて征服したかのように真摯に自己流を貫く彼女のきわだつ個性のためだろうか。指揮者もオケももうこうなったら彼女にあわせるしかないのだが、圧倒されるような存在感のある音がオケとよい意味での緊張感をもたらしている。オケとソリストの親密でうるわしい関係だけでなく、このような丁々発止の凄みのある演奏も、大枚はたいてS席のチケットを買ったかいがある。アンコール2曲も充分に楽しませていただいた。

そしてヘルシンキに生まれたサロネンが、母国の大作曲家シベリウスの交響曲、しかも2番をふるというのもいかにも日本人向けで安易ではないかと思ったのだが、抒情にいたずらに流されることなく、シャープで現代的な演奏だった。余談だが、サロネンは北欧の方にしては小柄な方だが(身長170センチないかもしれない)、逆に小柄な体型が若々しい印象を与える。とても50代には見えなかった。きびきびとした若々しい指揮が、魅力である。

---------------------- 6月2日(水) 19:00 サントリーホール --------------------------
エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

サロネン:ヘリックス
Salonen : Helix

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 (ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン)
Tchaikovsky : Violin Concerto in D Major op.35 (Violin: Hilary Hahn)

シベリウス:交響曲第2番
Sibelius : Symphony No.2 in D Major op.43

■ヒラリー・ハーン ソリスト・アンコール
イザイ:メランコリア
J.S.バッハ:ジーグ

■アンコール
シベリウス :メリザンドの死
シベリウス :組曲『カレリア』から「行進曲風に」


■アーカイヴ
4年前のヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル