千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「インタビューズ!」

2006-01-30 23:14:53 | Nonsense
今週号の「News week」(日本版)は、創刊20周年を記念して、昭和天皇からペ・ヨンジュンまで独占インタビュー55連発。(←なんだかスポーツ新聞のような見出しだ)
これは、永久保存版と言ってもよいくらいおもしろい。毎日2~3人ずつ、じっくり感慨深く読んでいるのだが、心にとまった一部を抜粋。

■マーガレット・サッチャー(1925.10.13~) 1990.10.18

-あなたは、さほど好感のもてるタイプではないとよくいわれる
「そうした見方には、男性的偏見が反映されているのではないか。意志が強くて決断力のある女性は、男性の好みではないのだ。指導者に必要なのが”好かれる”ことなら、その資格のある者はいくらでもいる。だが、そうした人が優秀な指導者になるとはかぎらない。」

・・・確かに80年代サッチャー政権のもと、イギリス経済は復活したとも言える。より効率よく、市場にも自由でタフな政策は、またその分弱者にも厳しかった。その鉄の女が昨年公の場から引退する最後の食事会には、エリザベス女王も名残惜しんで出席した。その時の写真で観た80歳になるサッチャー夫人をはじめて美しいと感じた。

■アンゲラ・メルケル(1954.7.17~)2000.4.26

-東ドイツ出身だから違う視点をもっているとあなたが主張しているが。
「(略)世界は急速に変化している。多くのドイツ人は変化を恐れているが、変化を前向きに受け止める勇気が必要だ。」

・・・当時はストレートのボブカット。今とは別人の印象があるが、その容姿はいかにも東ドイツ的だ。元物理学者(サッチャー夫人は化学者)らしく、理路整然としている。ヘルムート・コール元首相の娘と言われながらも、不正献金疑惑がもちあがると恩師を断罪した。政界に転身して、あっというまに頂点に登りつめたのも、厳しいながらもその明晰さによると思われる。難しい局面にいながら、今のところ舵とりは順調な船長だ。

■クエンティン・タランティーノ(1963.3.27~)2003.10.22


「はっきり言えるのは、僕が感覚として『キル・ビル』を見たら極上のセックスやドラッグみないに感じるだろう。」

・・・容貌イッテルが、作品も完全にイッテルのだろうか。でもヴァイオレンスものは苦手だ。

■ビル・クリントン(1946.8.19~)2002.4.10

-この一年で、自分自身について発見したことはあるか。
「これまでの人生には満足している。犯すべきでなかった過ちも犯したが、それはたいていの人に言えるだろう。
いま感じているのは、政治家という道を選んでよかったということ。でも、もう思う存分やった。思い残すことはない。」

・・・最近はすっかり白髪になった元大統領。けれども、私は政治家の中でもやっぱりこの方が最も好きだ。確かに過ちも犯したが、政治家としても有能であり、国民と家庭を大事にした政治家だったと思う。それにまるでアメリカ映画を観ているようなあかるさを感じる感傷もあるのだろう。

その他にも読み応えある記事があって、ぼろぼろになってしまった。

最後にマイケル・ムーアの遠吠え。
「ブッシュはバカだが、周囲の人間は頭が切れる。」

『コンフィデンス 信頼』

2006-01-29 22:52:30 | Movie
テレビ番組「あいのり」は、どうやら今でも人気番組らしい。異国を旅しながら、発情期の男女が生活をともにすればそこに恋が芽生えるのはごく自然な流れであろう。たとえそれがごく少ない選択肢の結果であろうとも、恋する者にとってはその選択は絶対なのだ。
もしも「あいのり」ではないが、ある日突然なんらかの事情で日常生活と切り離された場所で、夫とは違う男性、或いは妻や恋人ではない女性と仮の夫婦として暮らすことになったら、しかも相手がなかなか魅力的であったなら、はたして不貞を働かず道徳心を最後まで守れるか。

第二次世界大戦が続くナチス統治下の冬のブタペスト。化学者の夫と娘をもつ主婦カタリン(イルディコ・バンシャーギィ)が、買物帰りに何者かによって連れ去られる。その男は、彼女の夫が今まで地下活動をしていたこと、危険になったので身を隠したこと、ついては彼女もヤノシュという男と偽名を使い、夫婦を装って安全になるまで暮らすことを命ぜられる。驚きと悲しみに打ちひしがれながらも、ヤノシュの待つ老夫婦の家に行き、その息子の部屋を間借りして偽りの夫婦として暮らすことになる。

長年の反政府の革命活動による疲労のにじむ男ヤノシュは、常に身の危険を感じて神経質に女に細かく注意する。娘の写真は、自分たちの疎開しているこどもとして部屋に飾ることを許したが、夫の写真はその場で焼き捨てるように命じる。小さなことが、命とりになるのだ。
「ぼくたちは、一緒に暗い森を歩いているのだ。ぼくの後を君が歩いている。だからお互いの信頼がなければ、ふたりとも命を失う。」
そう厳しく説得する男だが、誰よりも人を信じることができない。大学時代のたったひとりの親友さえも。それはドイツの大学時代、毎日逢瀬を重ねた恋人からゲシュタポに売られた経験が彼の人格をゆがめたのか。

毎日緊迫した日々が続くふたり。戦局は悪化して、物資も滞るようになった。夫と娘の安否ばかりが気がかりで、冷たく緊張感を強いる男におびえていた女だったが、少しずつふたりの距離が縮まる。そんなある夜、軍隊がやってきて恐怖で胸がはりさけるような時間が流れた。やがて別の者の逮捕だったことを見届け安堵する。そのつかのまの平和な開放感からか、ふたりは暗闇で見つめあい、とうとうものも言わずに激しく抱き合う。妻のいる男と、夫と娘のいる女は、なにもかも忘れてお互いを求める。翌朝、朗らかに満ち足りた微笑をうかべる女を見て、男は深入りしたことへの後悔と、女への疑心暗鬼に揺れる。これは罠かもしれない。

「この国は泥沼だ。かきまわせば、汚いものが浮かんでくる。だから生きていたかったら人を信じるな。」

これが男の本心だ。
女は久しぶりに夫と密会する機会をもった。久しぶりに夫に会えた歓びに溢れるが、今まで地下活動をしていたことを秘密にしていたことに抱かれても素直になれない。女が本音をぶつけられるのは、今では夫でなく、彼女の帰りを待っていた男だった。彼もまた、夫に抱かれてきたばかりの女に燃えるような嫉妬心に怒りがこみあげる。また女は命懸けで政治活動に関わる夫や男たちにとって、自分は彼らをなぐさめるためのSEXの道具だ、と怒りをぶつける。非日常の異常な事態下で、男は妻にも言わなかった本心をさらけだしていく。慎ましい妻への愛情を大事にしながらも、仮の妻である女に惹かれてしまう男。そして夫と娘を気にかけながらも、男を愛していると感情をぶつける女。やがて、連合軍のブタペストへの総攻撃がはじまった。

男女の恋愛、夫婦の愛情も、決して永遠でない。そんな疑問を投げかけるこの映画だが、緊迫した戦時下で毎日暮らすうちに激しく求め合うふたりの愛は、奇しくも本物だった。そんなパラドックスを「太陽の雫」でハンガリーの歴史とハンガリー人を描いた監督イシュトヴァーン・サボーの投げかける問いは、複雑である。愛しているから、信じている。愛してしまったから、人は裏切ることもある。”信頼”という見えない絆をもてないがゆえに、男は自ら人を信じない。臆病だからだ。自分の感じるまま、素直にと諭す女すらも疎ましい。肉体のつながりがあるからこそ、もう他人ではないと男を信じる女と、だからなお冷静さを保とうと距離をおきたがる男。

期待したほどの18禁度には及ばなかったが、この映画のオトナ度は高い。昼メロに陥りがちな不倫ものも、冬のブタペストなら重い哲学が見える。最後の夫と再会して抱き合い、流す女の涙の意味の解釈は、ひとそれぞれだろう。ようやくもとの生活に戻れる安堵の喜びの涙かもしれない。迎えに来ない名前も知らない男への恨みと悲しみの涙かもしれない。それとも夫に抱かれながら、こころがからっぽな自分への憐憫なのだろうか。
DVDの表紙は、ふたりが初めて抱き合った後の映像である。ゆっくり体を起こし男は、シャツのボタンをおもむろにかけていく。彼が見ている先は自分の鏡だと思われるこの場面は、印象に残る。
「ラブワゴン」は、ときめく男女にとって楽しい乗り物だ。だから降りたら、まるで夢から覚めたように現実に戻る。

不法移民天国アメリカ②

2006-01-28 22:49:01 | Nonsense
米国はヨーロッパから移民してきたWASPが、領土を広げて成り立った国ともいえる。国家自体が移民者のサラダボールという構成要素から、米国は積極的に移民を受け入れてきた。しかし独立以来の長い歴史には、移民に対してWASPによるWASP以外の人種への抑圧と緩和が繰り返された。そしてその背景にあるのが人種差別である。

まず差別されたのが、同じ移民者であるがWASPでないイタリア系やアイルランド系への偏見によるネイティビズム(先住民保護政策)である。これは反カトリックと反移民の運動だった。次は言うまでもなく奴隷として連れてこられた黒人だ。1868年憲法修正14条成立まで、彼らは市民ですらなかった。人道的な主人も多かっただろうが、これは家畜に近い扱いである。黒人も国籍をもつようになると、1924年には国別に移民の割当が決まり、アジア人には帰化を認めない規制が始まった。この頃がKKKなどの差別団体の運動が活発になり、”差別すること”をひとつの思想として社会にひろげた時期でもある。
しかし米国のよさは、悪意の中にも常に大国らしい正義と平等、自由が息づいていることだ。やがて移民問題も緩和され、様々な人種が入り込み国別の割当規制も廃止された。
するとどんどんやってくるラテン系。だから今度は、76年に彼らの受入上限を2万人に締め付ける。そんなことはおかまいなくおしよせる法の下の移民たち。結局86年法改正で300万人もの不法移民者に恩赦が与えられた。
歴史はくりかえす。今や約3400万人の移民が生活しているが、一昨年米国労働省統計局によると合法移民(45万5千人)よりも、不法移民(56万2千人)の方が多いというのが現実だ。まさに満員御礼。

業をにやしてたちあがったのが、アリゾナ州のボランティア団体「ミニットマン計画」である。17世紀後半マサチュセッツ州で国家が独立するまで他国からの侵入者と戦うためにたちあがった勇士自衛団である。今や4500人にふくらんだボランティアは、政府にかわり不法移民者を排斥している。さすがにボランティアの根付くアメリカだと思ったらとんでもない。彼らの多くは白人指導主義者の極右勢力のひとつ「ナショナル・アライアンス」にも加盟しているのだ。そこにあるのは、”不法移民者”の排斥というよりもあきらかな人種差別である。もしも不法にやってくるのが、WASPだったらここまで熱心に熱いアリゾナで中年の太ったおじさんたちが、熱心にはねの色が汚い”バードウォッチング”をするだろうか。
しかも無知なることに、自分も移民の立場で、もしかしたら合法的な移民者だからなのだろうか、アーノルド・シュワルツェネッガー州知事も彼らの運動を素晴らしいともちあげている。確かに非合法をせきとめることも重要だ。しかし、それと人種差別団体の”慈善行為”を認めることは別である。

仕事をしていて最近思うのだが、幅広い年齢と異なる個性をもつチームが、お互いを尊重しあい認めることができたら、より柔軟に強く活性化することによって貢献できる。
米国における不法移民者が、出自を虚偽するために証明書等を簡単に偽造できることは、CBSレポートでも実証されている。彼らが高い教育を受けていたら、このような不正な入国はしていないだろう。本質的に自分の居場所がない者は、社会で犯罪を犯しやすい。また不法就労者は、消費税のような直接税は支払うが、所得税や州税を納付しない。しかしもっとも懸念されるのが、テロリストが入り込む余地があることだろう。それを考えると不法移民者への偏見は、私にもないとはいえない。けれども今日の米国の発展は、やはり移民者による力である。今後、どのようにこの国らしい解決をするのか、興味がある。

「ラブホテルGackt」観光ツアー

2006-01-27 22:25:45 | Gackt
映画『ホテル・ルワンダ』を観終わったら、「のだめカンタビーレ」の千秋がのだめを求めるように、私もGacktさんに救われたい。私だって、”変態”は自分で選んだのだ。
だから、「ラブホテルGackt」に行ってみたいーーーっっ。。。

Gacktさんは、引越し魔である。ラジオでも言っていたが、小さい頃から両親がしょっちゅう引越しをしていたらしい。そのせいだろうか、ウィーン時代71回も引越しをしたベートーベンには及ばないが、まるでやどかりのように住むおうちを変えている。以前は、歩いて代々木公園にいける距離で、賃貸だった。当時公開されていた部屋を拝見すると天上から紅い薔薇がたれさがり、部屋の中央にグランドピアノと玉突き台。シーツやベッドカバーは豹柄とのこと。高価なワインセラーは当然ながら設置済み、廊下はブラックペンライトで、何故かトイレには「ガンダム」の漫画やら取扱説明書などが常備されている。(本人告白)
ここから先がGacktさんらしい不思議さなのだが、窓は全部ふさいでしまった。(賃貸なのに?)蝋燭の明かりで生活。(時々二酸化中毒になるらしい?)HYDEさんが訪問した時は、脚本をライターの火で読んだらしい。24時間音楽はランダムにつけっぱなしで美容院状態。喉を守るために加湿器をたくさん置いて、勿論重要なことであるが自宅ではポンで静かに暮らしている。(ただ、あまりにも湿気が多く、換気が悪いので服がかびだらけになった。)

そんな彼がはじめて家を購入。残念ながら場所は不明。(おそらく空きビルか倉庫をお金をかけて改造していると思われる。)以前「HEY HEY HEY」で自慢した情報によると、トランポリンがあり趣味と体力つくりをかねて楽しんでいるとのこと。寝室には滝がある!大きなお風呂。引っ越して3日間は、溺れる夢を見ていたらしい。
どんなんだーーっ???

その部屋の謎が、月曜日の「HEY HEY HEY」でほんのちょっぴりだけ自宅の写真公開で明かされた。
ひとめ観て、ラブホテルみたいだと思ったのは、私だけではなかった。松本さんが間髪いれず「栃木のラブホテルみたいだ。」と、スリリングな発言。巨大なベッドは、まあ理解できる。イロイロと利用価値大だ。あっけにとられたのが、あのギリシャをイメージする円形のお風呂というよりも入浴場。そしてグランドピアノのそばにオーストラリアで購入したというソファー。趣味が悪いかも・・・。以前もハワイでピンクの大きなハート型の浴槽を買ってしまったそうだが、今回のソファーも大き過ぎたと後悔していた。だってグランドピアノよりも大きい。壁にはパイプにかけられた服が延々と続く。

ふと思いだしたひらめいたのが、キーワード、ラスベガス。3回目のファンクラブのツアーの目的地がラスベガスだった。何故ラスベガスへ?
ラブホテルを経営している友人と、最近アミューズメントセンターを建てている建築家の夫をもつ友人の会話の共通項が、”部屋の中に、建物の内部に滝をつくる”ことだった!ラブホテルの部屋とアミューズメントセンター設計に係るコンセプトは、どうやら近いものがあるらしい。だからラスベガスのホテルに、友人は何回か旅行に行ったのだ。だからGacktさんもラスベガスが好きなのだ。

あの部屋で寛げるかどうかは自信がないが、やっぱり一度はお泊りしたい”ラブホテルGackt”だ。

『ホテル・ルワンダ』

2006-01-25 22:13:18 | Movie
ルワンダ、ルワンダ。ホリエモン逮捕劇をライブで楽しむ東洋の島国において、そこは遠い遠い国。だからほんのつい”最近”ルワンダで起こった大量虐殺事件など、、、知ったこっちゃない。

「何故、ツチ族を嫌うのか。それは歴史に聞けばよい。彼らは侵略者で略奪者だ。そして彼らはゴキブリだ。」
(ルワンダで多数派のツチ族と少数派のフツ族が分裂するきっかけを作ったのは、国際連盟によって第一次世界大戦後の戦利品として与えられたベルギーの政策による。黒くて平らな鼻をもつフツ族に比較して、背が高くて色の薄いヨーロッパ人に近い顔立ちのツチ族を、IDカードを作って経済的にも教育的にも優遇してきた。そして人種差別の思想をすりこんでいったのである。)
長年争ってきた彼らは、和平協定が結ばようとしたその矢先、ツチ族の大統領が何者かによって暗殺された。これまでの不穏な空気が、一気に暴発する。1994年アフリカ中部で、未曾有の大量虐殺開始の合図は、プロバガンダ専門ラジオ局RTLMの「高い木を切れ」というメッセージからだった。

首都ギワリでベルギー系の四つ星ホテルミル・コリン・ホテルでは、政府軍のビムジング将軍や国連の平和維持軍、観光客、ジャーナリストでにぎわっている。そこで働くポール・ルセサバキア(ドン・チードル)は、優秀な支配人だ。ツチ族の大虐殺がはじまるという義兄夫婦の忠告もにわかに信じられなかった。
世界中の人々の監視の中で、そのようなことが起こるとは。しかし、突如それは始まった。
ツチ族の妻の安否を気遣い、慌てて自宅に戻ると荒されて略奪された一室に難を逃れた隣人達と肩を寄せ合い、おびえてふるえる妻とこどもたち。行方不明の長男を狂ったように庭の隅から探し出しひきずりだすと、何者かの血を全身にあびて血まみれで錯乱していた。その姿を見て、善良で人間の良心を信じるポールは考えられない、考えたくない事態が発生したことを知って慟哭する。そして自分の職場であるホテルにみんなを車で運び、一時的に非難させる。

ポールは、はじめは兎に角自分の家族を守ることしか頭になかった。しかし、目の前で救いを求めている隣人たちを見殺しにすることはできない。部族が異なっていても彼らは隣人なのだ。仕事で培った気配りや機転で、なんとかツチ族の隣人達も助けようと奮闘する。そこへ今度は、孤児たちがホテルへ避難してきた。ものも言えずにおびえている小さな命を前に、彼は愕然とする。ここで彼は、なんとかひとりでも多くの人々を救う決意をする。

ジャーナリストが世界に流した大量虐殺の映像によって、国際救助がくると信じるポールにカメラマンは悲しげに応える。
「世界の人々は、あの映像を見て、”恐いね”と言ってディナーを続ける。」
やがてベルギーの国連軍がホテルに到着する。これで助かったと歓喜をあげる人々だが、平和”維持”軍は仲裁はしないと、国連兵士や職員、ルワンダにいる外国人だけを退避させるためにやってきたのだ。悲しく残酷なのは、雨の中、ホテルに残されたルワンダの避難民1268人と、バスに乗り込み去っていく彼らとの別れの場面であり、世界がルワンダを見捨てたことの象徴である。

ポールは、しかしあきらめなかった。ホテルで不安を抱えている彼らのために、食料を調達にツチ族の商人であり、民兵グループのリーダー、ジョルジュを訪ねる。ジュルジュは、友人としてアドバイスをする。「川沿いにそって帰れ、検閲がないからな。」
それは実に、現実的なアドバイスだった。夜明けとともに走っていく車が、突然障害物に次々とぶつかっていき走れなくなった。まだあけきらない薄い朝の光とともにぼんやりと浮かんできたのは、道路の向こうに延々と虐殺されてころがっている死体だ。これは、ポールへの警告であり、家族の命も奪うという脅迫だったのである。それでもポールは、勇気と人としてのあり方を失わなかった。

この映画を「アフリカのシンドラーのリスト」とわかりやすいコピーで紹介されている記事をみかけるが、本質は別のところにある。
当初主役のポールには、私も好きな俳優デンゼル・ワシントンも候補にあがっていた。演技力もあり、人間のあつみも感じさせて魅力的な容姿のデンゼル・ワシントンが起用されたら、話題性充分で興行的にも成功しただろう。しかし彼が演じたら、ひとりの英雄の美談色が強くなり、製作者たちと現在ベルギーに亡命しているポールが映画を通じて真に伝えたいことがずれていく可能性もある。(ポール役のドン・チードルと現在のポール・ルセサバイナ⇒)

映画鑑賞や読書は、きわめて個人的な感性にゆだねられるものである。だから私は、趣味を多少なりとも理解している友人以外は、そうそう映画をすすめたりしない。けれども、この「ホテル・ルワンダ」だけは、時間が許されるなら映画館へと是非足を運んで欲しい。部族間の単純で残虐な争いではない。そして共感性をもって、なにかを感じとることを願う。これは感動を与えてくれる映画でも、泣ける映画でもない。
国連軍が外国人救出のために到着した時、平和維持軍の指揮官であるオリバー大佐は、苦渋に満ちた顔でふりしぼるようにポールに伝える。
「君が信じている西側の超大国は、”君らはゴミ”で救う値打ちがないと思っている。君は頭がよく、スタッフの信望も厚いが、このホテルのオーナーにはなれない。君らは”ニガー”以下のアフリカ人だ。だから軍は撤退する。虐殺をとめもしない。」

100日間で惨殺された人間は、100万人。無抵抗のこどももツチ族の根を絶やすために、殺された。
エンディングのタイトルロールで、こどもの合唱と男声の歌があかるく重なり流れていく。

「ルワンダ ルワンダ アメリカがアメリカ合衆国なのに
なぜアフリカは アフリカ合衆国になれないのだろう」

*現在は民族別差別を排除した改革と教育プログラムを実施。ツチ族、フツ族という言葉も差別用語として使用禁止になっている。
また25日日経新聞夕刊に来日したポール氏の談話が載っている。「映画化を契機に1人でも多くの人が、平和のために声をあげてもらいたい。」
公式HP

「のだめカンタビーレ」

2006-01-24 23:10:52 | Book
やってきた「のだめカンタビーレ」14巻!

その後千秋は、マルレ・オケをどう指揮するのか、心配していたのだが、やはり団員が脱退してスカスカのオケでラベルの「ボレロ」はきつかった。
この曲は、私にとってもこだわりの曲なのだが、大変革新的な構造になっている。

①リズムの変化がなく繰り返されるのみ
②主題の旋律が繰り返されるのみ
③転調がない
④主題旋律とリズムのみ
⑤pp~ffで終わるクレッシェンドのみ

あまりにも有名なこの曲を、情熱的でありながらもフランス風典雅もあわせもった表情とラベル的な魔法を感じさせるには、演奏家の技量のごまかしもきかず、指揮者の実力も試されるとも言えよう。特に打楽器奏者、そして管楽器奏者にとっては華やかな天国の舞台になるか、地獄になるかの勝負曲ともいえよう。千秋振るマルレ・オケは撃沈した。そりゃそうだ。コンマスとのコミュニケーションもとれていないのだから。千秋の肩には、一昨日のような雪が降り積もるだろう。それも成長への試練だ。

そんな千秋の大和魂が救われる相手がなんたることか、あののだめとは。すべてに恵まれ整った男が自分で唯一選んだのが、”変態”だった。ゲテモノ好き・・・。パリは燃えているか、益々接近する千秋とのだめの関係。千秋には不釣合いだったのだめは、どこにでもいるちょっと才能ある音大生からピアニストへと静かに脱皮中。
今まで自分の好きなように勝手気ままに弾いていたのだめが、黒木くんやポールとプーランクの室内楽を演奏している。この場面は、けっこう意味深い。
相手の音をよく聴く事、そして自分の音をよく聴く事、まるで恋愛事始のようなこれらを自然に学ぶことによって、のだめの中でなにかが変わる。
パリ・コンセバトワールの試験で、試験管を「試験というよりもまるでリサイタルを聴いたような気分」とまで、言わしめたのだめ。どこかで聞いたせりふだが、これは学生に対しての最大級の誉め言葉である。かってのライブドア以上の成長株だ。こういうのを”おお化け”と言うのだろう。

「誰も読まなかったコペルニクス」オーウェン・ギンガリッチ著

2006-01-23 23:51:14 | Science
”コペルニクス的転回”の通称「コペ転」という言葉は、旧制中学より始まり、現役高校生まで脈々と継承されている。この意味をあえて説明するまでもなく、天動説が信じられた時代に、宗教の謀反を起こすかのような地動説は、まさに科学革命だった。その地動説を誰よりも早く発見したコペルニクスが出版した『天球の回転について』は、アーサー・ケラーによって、実際は誰も読まなかったワーストセラー本という烙印を長らく押されていた。ところが、著者のオーウェン・ギンガリッジがエジンバラ王立天文台で偶然手にしたこの『回転について』初回版には、最初から最後まで入念に読みこなして、副次的な仮説まで入り込んだ形跡を思わせるたくさんの書き込みがあったのだ。そしてこの本の持ち主が、残されたイニシャルからコペルニクスの次世代の傑出した数理天文学者エラスムス・ラインホルトであることを想像する。ギンガレッジ氏に衝撃が走った。それ以降30年に渡って、世界中に散った『回転について』を探索することになるのである。”誰も読まなかった”コペルニクスの本をめぐって、ふたつの物語が交錯する。それは、『回転について』の本を読みつづけていった人々の物語と、検閲のために豊富な蔵書を誇るバチカン宮殿内の書庫、鉄のカーテンの向こう、旧共産圏の図書館、また或る時はイギリス貴族の館まで現存する601冊の本を探索する著者の30年に渡る長い旅の物語である。

1473年ポーランドに生まれたコペルニクスは、伯父の計らいで司教座聖堂の参時会員になり、生涯経済的に困らない身分で政治的駆け引きから背を向けて研、究活動に没頭することができた。ボローニャで天文学教授の家に下宿したことを契機に、やがて天文学に興味をもつようになる。彼は早くから太陽でなく、この地球が回っている論文を「仮説」として書きつづけていたが、教会の反応への不安や納得いかない未完成の部分(当時は観測不可能だった)、非常識な説への人々の嘲笑や批判を考えると、とても出版するまでの気持ちはなかった。このコペルニクスの学説に注目し、出版を強く勧めたのが若きゲオルク・ヨアヒム・レティクスだ。彼は老いたコペルニクスを師と仰ぎ、戦略をたてて重い腰をたたいて数年に渡り熱心にくどき、とうとう原稿をニュルンベルグのペトレイウスの印刷所に届けることができた。ようやくできあがった本を携えて、師のもとに意気揚揚と戻るとなんと恩師は卒中を起こしていて、意識がまだら状態ではないか。自分の人生をかけた集大成を認めたのかどうかも不鮮明なまま、まもなく死の天使のむかえがくる。
やがて時はたち、1551年教授として人望を集めていたレティクスの人生も暗転する。酒に酔ったあげく、若い学生に対して同性愛行為に及んだというスキャンダルがたち、青年の父親から告訴される。そしてプラハに逃れ、三角法の数表作成に取り組み、正弦(サイン)、余弦(コサイン)を小数点第10位まで計算したり、医学に転じ急進的で画期的な新しい医学にも取り組んだ。再び三角法への情熱を取り戻すきっかけが、老いてから出あった共同研究者である若いヴァレンティン・オットーの存在だ。オットーの勧めに従い、今度は自分が『三画法総覧』を世におくることになるのである。まさに若き頃の自分とコペルニクスに重なるような不思議なめぐりあわせである。

そして初版500部、第二版500部程度と推測される革命的な著書『回転について』が、哲学者デカルトやティコ・ブラーエ、ガリレオ・ガリレイへと受け継がれ、ケプラーの法則まで、その時代に活躍した科学者に大きな影響を与えたことが、本の行間にある書き込みから浮かび上がる。そこにあるのは、また人間くさいドラマだ。
スウェーデンの女王の個人教授になったデカルトは、毎朝11時までベッドで瞑想する習慣を5時起きにされ、哀れ命を縮めたり、占星術の知識の豊富なガリレオが、トスカーナ大公にお世辞を並べて取り入ったり、プライドの高い貴族ブラーエが皮肉やでライバル心むきだしだったり、ケプラーが実は唯一天文学だけが-Aの成績だったりと、舞台を想像するだけで映画を楽しむような物語が続くのである。それを可能にしているのは、ラテン語という共通言語と、ニュルンベルグで開催さていた本の見本市、そして何よりも幅広い地域に網羅されていたネットワークが一種の「見えない大学」を形成していたことである。

そしてギンガリッチ氏自身も『回転について』を1冊ずつ調べながら、盗まれた本の証言のために法廷に出頭したり、道を誤って旧東ドイツ内に不法侵入して冷や汗をかいたり、同じ科学書のライバル書誌学者との競争もあり、それはそれでもうひとつの長い物語でもある。「科学革命をもたらした書誌学的冒険」という副題のとおり、この本とともに知的冒険に魅了されるのは、私だけではないだろう。

「幾何学に暗い者は入るなかれ」
表紙に、ギリシャ語でそっと警句が記されている『回転について』は、太陽を中心として惑星がその周りを回っている説を、きわめて説得力ある議論を展開しているという。その基盤にあるのは、単純さ、調和、そして美しさだとも。”コペルニクスが誰も読まなかった”というのは、途方もなく間違っていたのだった。

不法移民天国アメリカ①

2006-01-22 16:17:49 | Nonsense
昨年末行った、汐留のビル内にある中華料理のお店は美味しかった。中華といえば、円卓でより分けるのがちょっと面倒なのだが、この店はあらかじめひとりずつ盛り付けたディッシュが、ちょど良いタイミングで運ばれてくるという新タイプ。但し給仕をする方は、中国人のようだ。近頃、出稼ぎ労働者なのか移民なのか、時給の比較的低い仕事に従事する外国人は珍しくない。やがて人口減少の下げを補うかのように、この狭い日本でも移民が増えるかもしれまい。そうなったら、こうした移民を差別せずに受け入れる必要があるだろう。ところが移民の国、米国では不法移民に悩まされているという。CBSレポートでタイムリーに不法移民をテーマーに扱っていたので観たのだが、合法か違法かの違いで将来の日本の事情に重なる部分もありそうだ。

移民の国、米国では昨年70万人以上の移民を受け入れた。しかし非合法で流入している移民は、実際1100万人はいると言われている。
中西部ネブラスカ州にある小学校で、星条旗を前に国家への忠誠を誓うこどもたちの8割が、ヒスパニック系の中南米人である。その顔の色を見ていると、ここが米国とは思えないが、だからここも米国なのだろう。彼らの両親たちは、果たしてアメリカン・ドリームのためにこの寒い地にやってきたのか。殆どが低賃金で働く精肉工場の単純作業の労働者として、雇用の需要を満たすために移住してきたのである。問題は、非合法で働く移民が多いことである。

従業員2100人を抱える大手、カービル精肉工場の8割がヒスパニック系の移民で、そのうち4割が不法移民である。工場の広報部長(この方自身もヒスパニック系の顔)は、社会保障カードのID番号を社会保険事務局に照合しているので、不法移民はひとりもいないとインタビューに応えている。
しかし実際には撮影隊の者が不法移民を装い、1300ドルの手数料を支払うだけで、翌日には簡単にバーの経営者から実在する別人の出生証明書と社会保障カードを入手できた。(偽名のリカルド・トーレス・カマチョは、1000キロも離れた土地に実在するホームレスだった。そしてこの書類は、本物だった。)
こうした証明書の密売ルートを指摘しても、出生証明書と社会保障カードの書類を整っているのに、不法移民を疑うのは人権問題だと語る。

地域としても移民労働者の存在によって、人口増減(彼らは多産だ)や地域の活性化というメリットがあるため、積極的に不法移民者の締め出しをしていない。また企業としてもアフリカ系国民の時給(1100ドルぐらい)よりも、さらに安い賃金の労働力として重宝している部分もある。合法的に移民してきた先住者の中には、同じ民族の血をひいても職場を彼らに奪われたり、彼らの存在が賃金上昇の妨げになると怒りをあらわにする者もいる。
日本も低賃金労働の場を、徐々に中国人や出稼ぎ中南米人に侵蝕されつつある現状を考えると、他人事とも思えない。

2004年アリゾナ州コチイズムで国境警備隊によって逮捕された不法移民者は、23万5千人にのぼる。こうした警備を逃れて、うまく侵入した不法移民者は4倍はいると言われている。しかし、全長560キロに及ぶ国境を取り締まるのは、実質不可能ではないか。警備隊と不法移民者の追いかけっこも、所詮いたちごっこに過ぎない。不法移民者の57%がメキシコ国境を越えてくるが、過去10年間警備に費やされた費用は約100億ドル。ブッシュ大統領もこうした不法移民に対処すべく、3年間という期間限定つきの短気労働許可書を発行するという新移民政策を発表。一方、民主党エドワード・ケネディ議員と共和党のジョン・マケイン上院議員の連名による移民改革法案の審議もすすんでいるが、こちらは罰金と納税で2000ドル支払えば、最長6年までの労働許可を与えるという内容だ。いずれにしろ、不法移民者にとっては、合法的に滞在できて働ける温情措置ともいえよう。
しかし、そういう動きとは別にこうした移民流入を阻止しようという運動もあるのだが、そこには米国の移民政策が緩和と強化の繰り返しである、その底に米国流差別もみえてくるのである。(続く)

米国の不思議な聖域「FRB」

2006-01-21 15:03:43 | Nonsense
18年間もの長い間、連邦準備制度理事会(FRB)のトップを務めたアラン・グリーンスパン議長が今月末に勇退する。いよいよ31日に、米上院で後任のバーナンキ大統領経済諮問委員会(CEA)委員長の指名承認投票を実施する。議長の任命は大統領が行うが、定期的に議会での聴聞に応えるという役割から、議会の監督下にあるという両面をもちつつ、時に逆らう越権行為にも及ぶ。そのそもFRB議長の役割とは、いったいどのようなものなのか。それを調べていくと、不思議なFRBの成立ちを知ることになる。

米国金融の街ウォール街では、非ユダヤ教徒「ジェンタイル」と、ドイツからの移民してきたユダヤ人グループ「クラウド」の二大系統が存在する。(リーマン・ブラザース、G・Sはクラウド系、モル・スタやF・Bはジェンタイル系)
1913年に制定された連邦準備法は、世界連動型大恐慌の反省からロンドンに対抗できる磐石な金融基盤をつくること、ロシア革命後のトロツキー派などへの活動資金への援助目的もあり整備された。その後、ひそかにジキル島にロックフェラー(ジェンタイル系)とウォーバーグ(クラウド系)、政治家がこもってFRB設立を計画した。結局できあがってみると、ロンドン・ロスチャイルド銀行など10の民間銀行が株式をもつという不思議な組織が成立した。
(現在でも12の地区連邦準備銀行の株式は、民間銀行が保有している。こうした銀行業界のカルテルのような実態にFRBのHPでは「よくある質問」で、民間企業なのか?という質問に、「民間銀行のものというよりも市民のもの」という珍答が掲載されている。)

議長に求められるのは、なによりもウォール街とワシントンの仲介、ウォール街内部での仲介、というマネーだけでない調整能力とバランス感覚だ。しかもウォール街での仲介業はそれぞれの妥協点を提示するというのでなく、より大きなパイを提案する戦略が期待されている。だからウォール街のためなら、超法規的な越権行為もおとがめなし、という不文律がある。そうなのだ。すべては、ドルという紙切れへの信頼に通じる。

ドルは米政府発行ではなく、今は不換紙幣である。だから「ドル札はただの紙切れで、預金は帳簿上の数字にすぎない」と、シカゴ連銀発行のブックレットに明記されている。その紙切れが流通して、買物ができるのも有限の”信頼”という実に抽象的なお札がついているからである。そのマネーの仕組みを維持するために、連銀のうえに理事会が存在する。米財務省に小切手をきって財務省短期証券(TB)を購入し、それを”準備”してドル札を発行業務だけでなく、ドル=マネーの信頼を維持していくためにも、通過共通量のコントロールという大変な重責をFRBは背負っているのだ。

「マジック」とその神業を絶賛されたグリーン・スパン議長は、来月から年収18万ドルから1回につき15万ドルに近い出演料で講演活動に入る。数年前結婚した編集者である新妻のためにも、がんばって長生きしなければいけない。けれどもそのドル札への威光にも、かげりが見え始めている。
05年前半、世界の民間金融資産の動きは30兆ドルだが、ドル建ては41.8%、ユーロ建てが39.8%だった。3年前に比較してドル建ての比率は4%の低下、ユーロ建ては5%上昇。私だって、ユーロ建ての投信をシティ・バンクで購入しようかと考えている。市場との対話を続けたグリーンスパン議長の後任であるベン・バーナンキ氏は、「インフレ・ターゲット」の設定と理事会の政策公開度の拡大により金融市場のミスリードを防ぐことを表明している。
シカゴ連銀のブックレットには、「人々がそれを可能と信頼するから」という、文章が続く。大国の市場を巧みにリードし、世界の”信頼”をえるためにバーナンキ新議長がどのようなマジックをつかうのか、楽しみだ。

首相をめざす片山さつき議員

2006-01-20 23:49:26 | Nonsense
市場外騒動が起きると訪問するブログ「中年金融マン」のぐっちさんが、オヤジ英語と絶賛?されていた片山さつきさんの当選後の近況が、読売新聞に載っていた。これは、けっこう笑える。確かに片山さんは、元ミス東大という華麗なる女性の着ぐるみをきたおやじだった。その発言と行動は、まさにエネルギッシュで油ぎった、いえ(失礼!)油ののった中年おやじに通じる”オーラ”がある。

①自信満々
46歳で官僚から政界への転身は、はっきり首相をめざしたため。
<役人であがりになってからの余生を参議院で過ごすには、手遅れ。代議士になってから頂点をめざすなら、40代半ばがタイムリミット。>

11月の政務官人事で、当選3回前後で就任する経済産業政務官に飛び級で昇格。
<自分は、ほかの新人議員と求められていることと違う。>
みんなとは違う、特別扱いを充分に認識してる片山議員は、早速官僚時代の人脈を生かし、関東農政局幹部を招いて、地元の農業関係者の説明会の開催し、国土交通省や経済産業省とのパイプ役を務めた。このパイプが、果たして太いかどうかは疑問が残るが、行動の早さと地元へのアピールを忘れない機転には感心する。

②気配りと巧みな自己アピール
情報収集のために訪れた主税局長へのおみやげが、「片山系」という地元静岡産みかん箱だった。まさにあっぱれというしかない。
選別した娯楽番組や週刊誌で笑える私生活を暴露して、親しみやすさもアピール。「高慢な女」というイメージを変更するためのメディア戦略らしいが、素顔を隠すのは、無理というものだ。元夫を高飛車に一刀両断に斬るコメントに、私はむしろ好感をもっているのだが。(正確に言ってしまえば、そういうはっきりものを言う片山さんに親しみやすさを感じてしまう。)

③敵は徹底的に撃墜する戦闘力
11月27日、かっての選挙戦での対抗馬、城内実氏の選対本部長・中谷多加ニを訪問し、「党本部は、もう城内クンの公認はないと言っている。」と、最終勧告を伝えている。おまけに中谷家と家族写真まで撮るという念のいれよう。もし片山さんが本当に将来首相になったら、外交面では期待できそうだが、小泉政権以上に社会的弱者には厳しい政府となりそうな気もしてくる。なんだか、雲行きがあやしい・・・。

「勝ち馬に乗ること、自分の能力は仕事で生かされる。」
こう発言する片山さんは、きれいごとでなく本音で勝負する正直な面もあるが、オーソドックスな男性政治家と同じ「技」を女性がやっているだけ、と言うならば、政治家としての新鮮味には欠けている。
日本初の女性首相は、という世論調査で、堂々3位(1位は小池百合子さん、2位は田中真紀子さん)に入ったということも、嬉しいらしい。首相になりたい、というのは本気だった。ただこの国の政治のあり方で自民党の女性が首相になるのは、遠い先のお話である。それにいつ気づくのだろうか。
女性が女性政治家を語るのは、ともすれば中傷ととられかねないので難しいが、私が期待しているのは、姫だるまの猪口邦子さんだ。理由は、40歳で双子を出産した底力ではないけれど。