千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012

2012-09-23 22:33:54 | Classic
お久しぶりにテレビで最初に映った五嶋みどりさんのアップのお顔に、思わず”ふつうのおばさん”になったな~!っ、とまっさきにもらしてしまったのが、正直な私の感想。世界的なヴァイオリニスト、本当に世界の第一線で活躍している五嶋みどりさんは、11歳でデビューして今年で30周年を迎えたことを記念に、『五嶋みどりデビュー30周年特別プロジェクト』として全国のツアーを行った。ご本人曰く、復興・平和への願い、感謝の気持ちを込めて、将来にわたり継承していく文化財である世界遺産に登録された寺社・教会を中心に、日本全国で、バッハ作曲「無伴奏ソナタ&パルティータ」全曲演奏に取り組む企画だそうだ。今夜は、その模様をドキュメンタリー番組として放映された。

まず最初のツアーの会場、長崎県の五島列島にある青砂ヶ浦天主堂でのコンサートの模様を映す。離島という地形のために、この地では生のクラシック音楽を聴く機会が殆どないそうだ。小さなお子さんからお年寄りの方まで、それほど広くない堂内に普段着のTシャツでバッハの音楽に耳を傾けている。ヴィブラートをおさえ、弓を短めにもって一心不乱にバッハが演奏される。厳しさの中にも崇高で、これぞバッハ!という音楽に、会場の観客はどんな印象をもたれたのだろうか、ちょっときいてみたい気がする。

ツアーの会場は、他にも京都の西本願寺対面所、太宰府天満宮、善光寺本堂、日光東照宮本殿、平泉中尊寺本堂、函館カトリック元町教会など、日本を代表するような歴史ある場所でもあり祈りの場でもある。特に西本願寺の対面所の前にある能舞台は国宝だが、五嶋みどりさんだからと特別に使用許可されたそうだ。通常の音楽専用ホールとは全く異なり、ある時はバッハの旋律にせみの声が重なり、又、ある時には雨の音がバッハの音楽にとけこんでいく。自然、生命と音楽。みどりさんのシルバーのドレスにも戸外の夏の盛りの木々の緑が映えて淡いグリーンに染まっている。

番組は演奏している姿だけでなく、移動中の素顔のみどりさんも追っている。移動は公共の乗り物、地味で簡素な服装、宿泊ホテルはビジネスホテル。いつでも億単位のヴァイオリンを手離さず、背負っている楽器の金額に反比例するかのように予想外に質素な暮らしぶりに驚いたのは私だけではなかった。
「いつもビジネスホテルに泊まるのですか。」
思わずたずねるテレビ側の人の質問に、淡々とそうだと答え、できるだけ自分で移動して、自分の荷物は自分で持ち、洗濯物のランドリーに出さずに自分で洗濯すると答えるみどりさん。実際、ホテルの前にあるコイン・ランドリーで、夜、洗濯しているみどりさんの年齢相応の平凡な中年女性の後姿が映る。

現在、みどりさんは南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校弦楽学部で学部長もつとめている。ホテルのロビーで大学図書館に購入希望の楽譜を優先順位をつけてリストアップするみどりさんに、大変ですねと声をかけられると、これが私の仕事なのです、ときっぱりと微笑む。ツアーの途中でも、半年先のコンサートで弾く曲の練習に余念がなく、あいまにテレビ局や雑誌のインタビューが入り、とても多忙な日々が続く。

一般的に五嶋みどりさんクラスのヴァイオリニストになれば、高価なドレスに身を包み、移動はファーストクラス、美食で高級レストランの常連というイメージがつきまとう。しかし、みどりさんはそんな華やかなイメージと自分が理想とする音楽家のイメージとのギャップに悩み苦しんだそうだ。20代になり、一時拒食症になり、音楽好きの人の間では、再起不能なのかとひそかにささやかれたこともあった。しかし、彼女はそれを克服して自分の道を歩む決意をして、音楽家になることも決めたという。そして、こどもの頃からの旅から旅へのツアー生活が続く。今日も、明日も、ずっと見知らぬ街を訪問する暮らし。そんなツアーは好きですかと聞かれると、私は好きとか嫌いの感情で判断しませんときっぱり。

考えてみれば、みどりさんは小さい頃から特異だった。間違いなく天才で、幼い頃から高名な音楽家や教師すら驚かせるさまざまなエピソードをもつ。その音楽的才能をモンスターとまで絶賛されたみどりさんは、今、音楽をこえたさまざまな活動にひろげ、ストイックに、普通の生活者の日々を慈しみながら年を重ねている。私の感想のふつうのおばさんは、みどりさんのこうありたいと考える音楽家の姿だったのだ。

「老化の進化論」マイケル・R・ローズ著

2012-09-23 16:19:14 | Book
「老化の進化論」なんちゃって本を読んでいると、アンチエイジングかいな?と思われそうだが、本書は私が最も好きで信頼のおける書評を書く名文家でもあり、本業は脳科学者の池谷裕ニさんが”久々に心を動かされた”という感想に、私も”久々に心を動かされた”からだ。

まず、著者のマイケル・R・ローズってどんな人か。
1955年カナダに生まれて、同国のクィーンズ大学で修士号を取得、にぎやかできらびやかなハーヴァードに進学する予定が、ひょんなことからさして魅力を感じていなかった老化プロジェクトに参加するために英国サセックス大学に進み博士号を得る。米国ウイスコンシン大学でポスドクで働いた後に、個人的な事情もあり母国に戻り、ダルハウジー大学で教鞭をとり、バイオ・ベンチャー企業をたちあげるものの資金集めでなかなかうまくいかない。現在はカルフォルニア大学の教授を務める。

著者の業績は、老化が起こる理由を進化論の中で理解しようと考え、「自然淘汰の力」が老化を決定するとしている。ショウジョウバエの成虫の生存と生殖を3週間延ばすことが自然選択上有利になるように設定し、12世代先の60週間後に、ついに長寿のハエ(メトセラバエ)の作成に成功して、第一線級の老化の研究者になる。長生きするためには、若いころの生殖は抑えなければならないそうだ。度をこした若齢期の生殖は命がけ。それどころか、去勢のような思いきった処置の方が確実に寿命の延長をもたらすのだ!勿論、老化のコントロールを人間にも応用して、老化を少しでも先送り(若返ることではありません^^)する治療法を利用することにある。

老化の研究の古来歴史にはじまり、本人の想定外の進路が、いかに実験結果を積み重ねて画期的な成果をだしたのか、研究者らしい率直さと軽快さで化学式がひとつもでてこないエッセイのようだ。科学は終わりのないサッカーの試合のようなもの、その点では彼は選手として有能に働き満足しているそうだ。しかし、私が本書で心を動かされたのは、時にはゴールを決めた研究生活と一緒に語られる彼自身のあまりにも悲劇的な別れと体験である。当初、全く予想していなかった老化の研究もこれらの辛い人生経験が不思議とからみあっているような気もしてくる。

原題の”The Long Tomorrow: How Advances in Evolutionary Biology Can Help Us Postpone Aging”の方が売れるのではないだろうか。そもそも老化の”老”という字を見るとドキッとしてしまうのだ。

『甘い生活』

2012-09-18 22:22:31 | Movie
休暇でプロヴァンスに滞在していた英国のウィリアム王子夫妻、がフランス人パパラッチに盗撮されて波紋をよんでいる。英国王室はパパラッチをしたカメラマンを相手に刑事告訴を表明したが、写真を掲載した雑誌もロイヤルファミリーとはいえひとりの人間と家族の人権を侵害している点では同罪ではないだろうか。さて、有名人の私的な生活を撮影をして写真を売ることを生業としている人々をパパラッチpaparazziとよんでいるが、単数形ではPaparazzoになる。ウィリアム王子の母親のダイアナ元妃が執拗に追いかけられて交通事故にあった事件から、世界的に知られた職業?パパラッチは、本作の主人公のカメラマンの友人の名前パパラッツオからきている。

作家を夢見てローマにやってきた青年マルチェロ・ルビーニ(マルチェロ・マストロヤンニ)。青雲の志はどこへ行ったのか、今ではカメラマンのパパラッツオとつるんで、芸能人や社交界のゴシップ記事のライターとなっていた。いつものナイトクラブで出会った大富豪の娘マッダレーナ(アヌーク・エーメ)と車を飛ばして場末の宿で彼女と一夜をともにするが、とうのたったお嬢様にとってはこんな遊びはアバンチュールの下僕のようなもの。アパートに帰れば同棲中の婚約者エンマの自殺未遂事件が待っていた。(以下、内容にふれてまする)

そんな時にハリウッドからやってきたのが、グラマラスで人形のような美貌の女優のシルビア(アニタ・エクバーグ)だった。すっかり彼女のとりこになってしまったマルチェロは、エンマに対する改悛の気持ちはシャンパンの気泡のように消えて、どんちゃん騒ぎから彼女を連れ出して、深夜にトレヴィの泉で戯れる。なんと甘く楽しくもばかばかしい一夜だろうか。疲れきってホテルに彼女を送り届けるとそこで待っていたのは、シルビアの俗物のような婚約者からの殴打とそんな彼らの写真を狙うパパラッチ。虚しさに苛まれるマルチェロは、教会で旧友のスタイナー(アラン・キュニー)に偶然出会って彼の自宅の集いに招かれる。

整然と並んだ本棚、優しく上品な妻、そして可愛いらしい娘と息子。知性的だがあたたかく、優しさと愛情に包まれた落ちついた彼らの家庭を訪問して、再び作家をめざすマルチェロだったのだが。。。

自分の名前と同じマルチェロを演じたマルチェロ・マストロヤンニ。
これまでどうしてこのおじさんが世界中の女性たちにもてるのか不思議だったのだが、この映画でのマルチェロは実に魅力的だ。軽薄で、女たらしで、弱く、だらしなく、いかにも通俗的。それでも、女性に優しく、田舎もののやぼったさを残しながら白いスーツにネッカチーフとサングラスが素敵に似合ってしまっている。まさにはなり役であろう。冒頭の古代遺跡から掘り起こしたと思われるキリストの像を、ヘリコプターでバチカン宮殿に運ぶ映像はショッキングでありながら象徴的だ。屋上のプールサイドで遊んでいる水着の女性たちがそれに気がついて騒ぐと、ヘリコプターの席からマルチェロは彼女たちの電話番号を聞き出そうとする。つるされたキリスト、若い女性たちの半裸に近いビキニ姿に、ナンパしようとするマルチェロの軽薄さ。たとえ神の象徴の前でも、ローマの人々は狂乱の遊びに熱中し、おまけに奇跡を演じて金儲けをたくらみ妄信する人々。虚無にとりつかれた男の悲劇を、スタイナーを演じたアラン・キュニーが強烈に演じている。私には、彼が教会で演奏したバッハの「トッカータとフーガ」の音楽に彼が最終的に選んだ行動が重なり、つるされたキリストとともに神の不在を感じさせる。

本作にはしっかりしたストーリーはない。映像と登場人物の会話が次々と提示され、観る者はフェリーニのマジックにとりこまれていく。有名なトレヴィの泉で戯れる場面、貴族の城でのパーティ、友人の別荘での狂乱、最後に音楽とともに訪問者が次々と退出していく場面。無秩序で無意味な空虚さ。やっぱりフェリーニはすごい。

原題:La Dolce Vita
監督・原案・脚本 フェデリコ・フェリーニ
1960年イタリア製作

レイ・チェン ヴァイオリンリサイタル 未来のマエストロ・シリーズ

2012-09-14 22:18:08 | Classic
予想以上の収穫があった今夜の演奏会。
以前から気になっていたレイ・チェンという名前。と、いうのも彼は09年エリザベート王妃国際コンクールで優勝していたというのもあるが、そんな覇者の彼が台湾生まれの東洋人だからだ。今の時代に人種は関係ないという意見もあるかもしれないが、欧州を旅行したり、ドイツ関連の書物を読むと、東洋人がクラシック音楽を演奏するには多少のハードルはあると、最近、私は感じている。

さて、プログラムに、主催コンサート・イマジンのプロデューサーの方によるコンクールでの彼の印象を語った文章が掲載されていたのだが、彼には”オーラ”というと大袈裟かもしれないが、12人のファイナリストの中で、彼だけが独特の雰囲気を伴って舞台に現れたそうだ。公開されている数少ない写真で見る限りでは、それこそ、アジアだったらどこにでもいるような平凡な青年ではないか。イケ面や個性的な雰囲気が”オーラ”の条件ではないと私も思っているにせよ。

ところがどっこい、モーツァルトを弾き始めるや、なんとなく、なんとなくだがだんだんと確かに彼には”オーラ”があるのかも・・・と感じてくる。急遽とった私の席は、2階のステージよりだったため、左手の運指の動きはよくわかるけれども、レイ・チェンが実際に演奏している表情や全体の姿はわからない。しかし、変ロ長調のこの曲のモーツァルトののびやかさとくったくのないあかるさが、彼の音楽にはある。年齢を改めてみると1989年生まれ、青年というよりもまだまだ若者なのだ。未来への希望を感じさせられる美しい音は、何よりも演奏している彼自身が音楽を楽しんでいることが伝わってくる。聴いている自分にもしみじみと音楽の喜びにつつまれてくるようだ。(個人的な好みだが、この曲に関しては、ピアノの蓋は全開しない方がモーツァルトの時代の様式感にそっていると思う。)

続いて定番のような、レイ・チェン曰く音楽の料理のメイン・ディッシュになるブラームスのヴァイオリン・ソナタ第三番とバッハのシャコンヌ!どちらも名曲だが、名曲なりに難しさがある。ブラームスは名曲がゆえにあまりにも耳になじんできているし、シャコンヌはこだわりの曲、なんていう3つ★クラスの音楽が日常的なTOKYOのホールにやってくる観客の厳しい耳などを、プレッシャーとは感じないタイプの方ではないだろうか。真摯に音楽に向き合い、自分の今の器で最高の音楽性を、つややかに歌い、内省的に深く探求していく。

後半のデザートのようなショート・ピースは、彼が国際的なコンクールで優勝したのも納得させる内容の音楽だった。特に素晴らしかったのは、サン=サーンスのハバネラ。この若さで、こんなリズム感で粋にチャーミングに歌うなんてアジア人という人種を超えている。この曲1曲だけでも、彼はすべての観客の心を甘くとろけさせたと断言したい。プログラムのプロフィールによると、レイ・チェンは生後まもなく豪州に渡り、4歳からスズキ・メソードでヴァイオリンをはじめていた。なるほどっ、人種的には台湾人だけれど、バリバリのオーストラリア人ではないか。だから、大陸的な雰囲気があるのか。

3回ものアンコールに応えてくれたレイ・チェンは、私の妄想でなければ観客に投げキッスをしていた!プログラムによると、あの大舞台のコンクールでチャイコフスキーの協奏曲を弾く時になかなか調弦が決まらなくて、通常だと観客も交えてはらはら緊張する場なのだが、なんと彼は苦笑してヴァイオリンのスクロールに唇をつけ、会場もちょっとあたたかい笑いがひろがったそうだ。素顔は実はシャイといわれている彼のそんな仕草に、気障でも気取った雰囲気を感じさせずに、自然でチャーミングなふるまいに感じさせるのが、彼のもっている”オーラ”なのかもしれない。何かをもっている人、そんな流行語があったが、彼も間違いなく何かをもっているヴァイオリニストだ。

そんなレイ・チェンもTwitterを楽しむ若者の顔をもち、どうやら銀座のアルマーニでスーツを新調したようだ。実物は写真で想像するよりも、ずっと男前でアルマーニを着こなせるくらいかっこいい。遠目にも肩ががっちりしていて彼が肉体を鍛えているのがわかるのだが、どうやらヴァイオリンを弾かない時はボクシングを楽しむ意外とマッチョな生活もしているらしい。演奏後の長蛇のサイン会の行列をみても、再来日もそう遠くないと期待したい。
ちなみに使用楽器は、日本音楽財団から貸与されている1702年ストラディヴァリウス「ロード・ニューランズ」
12月には、エッシェンバッハ指揮のもとノーベル平和賞コンサートに出演予定とのこと。

------------------ 2012年9月14日 オペラシティ ------------------------
[出演]
レイ・チェン(Vn)、ジュリアン・クエンティン(Pf)
・モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第40番変ロ長調K.454
・ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調op.108
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004よりシャコンヌ
・サン=サーンス:ハバネラ/序奏とロンド・カプリチオーソ

■アンコール
・グルック:メロディ(クライスラー編)
・ヴィエニャフスキー:カプリス
・ジョン・ウィリアムス:シンドラーのリスト *実はレイ・チェンはゆっくりした曲の方が好きだそうです。

メニュヒンとラニツキ

2012-09-11 22:26:43 | Classic
現代ドイツ文学の法王と呼ばれるマルセル・ライヒ=ラニツキの自伝「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」は、私の今年の読書の中ではダントツに1番になりそうだ。
ワルシャワ、ベルリン、ポーランド、ゲットー、再びポーランド、ハンブルク、フランクフルトと命がけの流転をくりかえしてきたラニツキの交流が、自伝の後半を構成している。多くの文学者に交じって私が最も印象に残ったのは、やはりヴァイオリニストという職業のイェフーディ・メニュインとのことだった。

ラニツキがはじめて彼の名前を知ったのはベルリンに暮らして間もない頃で、ベルリン・フィルと共演した13歳の少年メニュインの演奏を親戚の誰かがアルベルト・アインシュタインの評価を引用して「いまわかった、たしかに神は天上に存在する」と感想を話していたそうだ。こんな大仰なたとえで芸術をかたずけるのを無力感と皮肉を言うのもいかにもラニツキ少年らしいが、本当の意味で初めてメニュヒンを聴いたのはゲットーでのささやかなレコードコンサートの時だった。

まだ聴いたことのなかったモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第三番ト長調の第一楽章は、ラニツキ青年の心をとらえ揺さぶった。度肝がぬかれて口も利けないくらいに。彼は、現代になっても尚、この第一楽章「いまだかってメニュインより美しく演奏した者はいない」と断言している。
全く同感!私が愛聴しているのは全盛期を過ぎたと思われる1962年録音でバース・フェスティバル・オーケストラとの共演によるものだが、この曲をメニュインほど悲しくなるくらいに神々しく演奏した者はいないと思う。ラニツキが彼の本領は完璧さではなく、アインシュタインの語った”神々しさ”にあると記述しているとおり。

ラニツキが生のメニュインの演奏を聴いたのは、1956年のワルシャワでのことだった。ステージに立った長身のメニュインは、壁際や通路にたっている人々を呼んでステージの床に招いたそうだ。われもわれもとステージの床に腰をおろした若者たちのヴァイオリニストの姿がいまだに忘れられないという。

1960年に、ケルンからハンブルクへ戻る列車で思いがけず食堂車でメニュインと妹のヘフシバと相席になった時に、町から町へ毎晩ステージにたつ彼らに疲れたり退屈したりしないのかと質問をしたらほんの少し思案しだけで、すぐに単純きわまる返答がかえってきた。
「毎晩ほんとうに打ち込んでいれば、退屈なんかしませんね」
ラニツキにとってもこの言葉も忘れがたいものとなったそうだが、私にとっても生涯心に残る言葉になりそうだ。

そんな彼が、メニュヒンの70歳の祝賀会では頼まれて「音楽とモラル」というタイトルで挨拶をした。音楽は女神であると、しかし、音楽とモラルの因果関係はこうあったらいいなという美しい夢、無邪気な先入観に過ぎないと講演した。しかし、メニュインは1999年3月12日に没するまで、こどもの頃と変わらず、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲やバッハのシャコンヌを聴いていれば、善人にはならなくても少なくともましな人間にはできると信じていたに違いないと、彼は感想をもらしている。

ゲットーでは、意外にも、になるのだろうか、収容されていたユダヤ人音楽家たちによってオーケストラが結成されて、時々演奏会も開かれていたそうだ。なかには頭角を表してきた著名は指揮者もいれば、優れた演奏家もゲットーに収容されていたからだ。やがて、貴重な演奏会も禁止され、彼らはみな死の部屋へと連れて行かれた。そしてラニツキが初めてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲に出会ったような狭い室内でレコードを聴くホームコンサートも開かれていた。確かにシェークスピアの「音楽は愛の糧」だった。しかし、過酷な環境下でほんのわずかな時間に美しい音楽をともに過ごした若者たちは、その後、全員ガス室送りとなっていった。

「わがユダヤ・ドイツ・ポーランド」マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝

2012-09-09 15:50:21 | Book
今週発売の某週刊誌2誌に、東京国税局によるGさんの自宅と事務所に強制捜査が入った件とあわせてプライベートに関する記事が掲載されているようだ。本当にこの方の人生は、まあ実にイロエロある。当初、義捐金の振込口座を専用口座ではなく借りた別法人名義にしていたのは、さすがにまずいだろう。

・・・さて、本書はドイツの書評家、マルセル・ライヒ=ラニツキによる自伝である。今では知名度抜群のGさんとは違って私も初めて知った日本では全く無名の方ながら、ドイツでは「文学の法王」とまでおそれられる?とても有名な現代ドイツ随一の批評家だそうである。そのラニツキが、1999年に出版した本書は120万部も売れる大ベストセラーとなった。日本ではようやく2002年に西川賢一氏によって翻訳され、私好みのヘビーな二段組500ページにも及ぶ他人の人生が、何故、人々、特にドイツ人の関心をひいて多くの人に読まれたのか。それは、ほんの数ページを読んだだけでも合点がいく。読み始めたら、おもしろくってやめられない。Gさんの人生もそれなりに波乱万丈だが、ラニツキ氏の場合は超ド級の圧巻の波乱万丈物語だった。

それもそのはず、、、なのである。
マルセル・ライヒ=ラニツキは1920年6月2日ポーランドのヴウォツワグエルで生まれたユダヤ人。「梅ちゃんせんせい」の下村陽造おじさんのようなビジネスの才覚のない父と少しばかり世間知らずの母を両親に育つが、父の事業が失敗して9歳で親戚をたよってベルリンに渡る。幼少時代、彼が最も感銘を受けたのは音楽だったが、ギナジウムに進学する頃にはドイツ文学にぞっこん惚れこんでのめりこんでいき、人生で一番たくさんの本を読む。しかし、ナチスが政権をとるやユダヤ人への迫害がはじまり、しまいには学校生活からもはじきだされて、何とか卒業資格をとりながらも、ドイツ文学を学ぶ希望を申請したベルリン大学への入学は拒否される。やがて一家はワルシャワへと引き上げるが、ユダヤ人の公共施設への立ち入り禁止など、迫害はひどくなる一方で、とうとうユダヤ人だというだけでワルシャワ・ゲットーに収容されるようになった。

そしてホロ・コーストから奇跡のように脱出して生き延び、故国ポーランドで書評家としてすぐに頭角を表していくが、共産主義の圧制で自由な表現は難しく、再び反ユダヤ主義の萌芽をこの国に感じ取っていく。ユダヤ人の彼にとっての祖国はいったいなんなのか。彼はいつでもどこでもオンデマンド「持ち運べる祖国」をもっていることにようやく気がついていく。

それは、彼にとっては、ドイツ文学だった。
そして、彼はたったひとつの小さなスーツケースをもって危険をおかして再びドイツへと亡命する。持っているのは目に見えない手荷物、つまりドイツ文学だけをたっぷりと心に入れて。。。

本書は前半と後半の2部構成となっている。
前半は、90歳をこえても意気軒昂に批評家として活躍しているラニツキの迫害され、何度も生命の危機を迎えながらたくましく生き延びて、批評家として自活していく文字通りの数奇な自伝となっており、後半は辛口批評家として本の世界では2回も殺されている彼らしいノーベル賞受賞者を含む文学者との交流を率直に描いている。

今でも元気な長い長い人生と作家との交流についての長大だが簡潔明瞭な文章に、ほんのわずかにも退屈や倦怠がはいりこむ間がない。どんなに極限の状態でも冷静沈着なラニツキ、そして泰然としたシニカルながらユーモラスがただよう。13歳の時、ヴァッサーマンの「鵞鳥の雄」で知った性の目覚め、初めての体験、年上マダムとの毎日の情事、ゲットーで最愛の妻と若くして結婚しながら、ほんの一夜の浮気やポーランドを去る時の素晴らしい愛人との別れ。やるもんだ、ラニツキ。一方で、飾らない性格でたちまち一刀両断のもとに作品を激賞するか、厳しく批評する彼には、社会人としての一抹の孤独も感じる。文句なく最高級の自伝であるだけでなく、ユダヤ人迫害、ゲットーの生き証人としての貴重な資料ともなるので、この分野にあまり関心のない日本人にもかなりお薦め。

尚、ラニツキはテレビで「文学カルテット」という文学批評番組の司会を長らく勤めていたが、村上春樹氏の「国境の南、太陽の西」が2000年6月30日取り上げられて大論争となり、番組を自主的に打ち切った。何でもレギュラー出演している批評家Sigrid Löffler氏が「これは文学ではない。文学的ファースト・フードに過ぎない」と言い放ったことが発端だそうだ。彼女の激辛発言の是非はともかく、日本でもたった1冊の本を俎上にここまで激論を闘わす熱い番組を観たいもんだ。

■アーカイヴ
「ドイツの良心」の罪と罰
「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワグナーの生涯」

メニュヒンとラニツキへ

『東京五人男』

2012-09-06 22:29:30 | Movie
今年も終戦記念日がやってきた。ヒロシマ、ナガサキに原子爆弾が投下され、日本は敗戦国として、国民も国土も徹底的にうちのめされた。昭和20年8月15日。
ところが、この年、そんな状況にもかかわらず!、斎藤寅次郎監督によって『東京五人男』という映画が製作されてお正月映画として年末に公開されていたのだった。しかも、この『東京五人男』はブラック粒胡椒をちょっぴりふりかけたコメディなのだ。

戦時中は地方の軍需工場で働かされていた5人の男たちが、終戦とともに家族のいる東京にようやく戻ってきた。懐かしい我家、、、とみれば今にも崩れ落ちそうなバラック小屋。ここが昔の67年前の日本の東京かっ。どうやら家では葬儀の最中らしい。誰が亡くなったのかといぶかしむと、なんと死んだのは自分らしい。じいさんたちにまじってぼやけた自分の遺影が貧しい貧しい我家の部屋をかざっている。そうか、、、とうとう俺も成仏したか(涙)・・・、なんてわけがないっ!

登場する五人の花より男子は、横山エンタツ、花菱アチャコ、古川緑波、柳家権太郎、石田一松。
エンタツ、アチャコは、都電の運転手と車掌になった名コンビ。セリフがなくても、彼らのパフォーマンスのひとつひとつで、お笑いのセンスが一流であることがよくわかる。現代のお笑い芸人と呼ばれているひとたちの笑えない”芸”よりも、はるかにおもしろいのには実に感心した。

石田は「のんき節」を歌いながら、自転車で配給所に通う毎日。(あののんき節は、いつものんき者といわれていた私のことかいな。)お役所仕事につきものの、書類、手続きの残念ながらのんきではない煩雑さに、切実に物資を求める人には必要な配給物が届かない現状に彼は怒る。ロッパは、疎開先から帰ってきた息子のために、田舎の農家に買出しにでかけていくが、すでに米と交換した時計や着物をたっぷりともっているためにまったく相手にしてくれない農夫があるかと思うと、気の毒がって俵でお米を譲ってくれる農夫もあり。権太郎はといえば、国民酒場で働くことになったが、名前とは裏腹にごうつくばりな店主はメチルアルコールをお酒にまぜて客に売り、その一方で、金持ちや権力者にはヤミで売って私腹をこやしていた。

戦後の混乱期とはいえ、こんなことでは日本に未来はない!、と思ったのだろうか、彼ら5人組は不届きものの悪事を暴き、疲弊している庶民のためにも東京の復興をめざすようになった。

あらすじをたどると実に素朴な内容になるのだが、彼ら5人の怒れる男たちのそれぞれの持ち味がうかがえる行動とヒューマンな笑いがあかるい。斎藤寅次郎という監督は当時「喜劇の巨匠」と言われていたそうだが、それもあながち誇張ではないと思えてくる達者な芸ぶり。現代では、映画の製作技術は飛躍的に向上し、脚本、演技、脚色も洗練されている。まるでこども相手の紙芝居のような映画を観ていると、しかし、映画の原点や本質は時代の流れにゆるがないものがあると、最近、この映画だへではなく古い日本映画を観ていて感じる。

ところで、この映画を録画して鑑賞したのは、終戦当時の東京の焼け野原の映像が記録されている”映像文化遺産”としての価値があると解説されていたからである。本当にあたり一面焼け野原なのである!そこにわずかにかろうじて建っているのが、バラック小屋のようなふけば飛ぶようなあまりにも貧しく小さな家。資本家の家庭では、新品のおしゃれな犬小屋があるというのに。こんな何もない荒れ果てたところから、日本は勤勉にひたすら走り見事に復興していき、東京オリンピック、大阪万博へと高度成長期を迎えたのだと思うと感慨深いものがある。
日本は、日本人はまだまだ大丈夫。日本の底力を感じてちょっと元気になった。

昭和20年 東宝製作