千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「チェリビダッケの音楽と素顔」フリードリヒ・エーデルマン著

2013-02-23 21:39:03 | Book
クラシック音楽を全く聴かない人でも、カラヤンの名前くらいは知っているだろう。それでは、セルジュ・チェリビダッケという偉大なマエストロの名前はどれだけの方がご存知であろうか。昔々、ミュンヘンの新聞にそのチェリビダッケによる「カラヤンはコカコーラの如し」というインタビュー記事の見出しが掲載されて、一大スキャンダルになるという事件があったそうだ。

さて、生前そのような辛らつな発言で舌禍事件を度々起こしていたというSergiu Celibidacheは、1912年ルーマニアで生まれた。音楽家を志すようになった17歳の時に、息子を大統領にしたいという願望をもった父親と対立して、お金ももたず着のみ着のままで家出をした。ブカレストでバレエスクールのピアノ伴奏者として働きながら上流階級の令嬢に燃えるような恋におちたが、彼女の両親の猛反対にあい、やがて数学や哲学、音楽を学ぶためにベルリンに渡る。1945年、戦時中にナチスの協力したという理由で指揮活動を禁止されたフルトヴェングラーの後任指揮者のオーディションを受け、見事にベルリン・フィルの首席指揮者のポストを得ることになった。

戦後の混乱期とはいえ、あの輝かしいベルリン・フィルの首席指揮者だ!やったね、チェリ。私が、彼が間借りしていた大家だったら、御礼と就職祝いの1ポンドのコーヒーなどプレゼントしてくれなくても、一緒にものすごく喜んだと思う。しかし、フルトヴェングラーの非ナチ化審理では、彼にアドバイスをして、47年に指揮が許可されると、チェリビダッケは尊敬するフルトヴェングラーに自らの意思で首席指揮者の地位を返還したそうだ。人格的にも器の大きさを感じるなかなかよい話なのだが、そのフルトヴェングラー亡き後は、カラヤンとのポスト争いに負けて失意のうちに去ったのは有名な話である。

著者のフリードリヒ・エーデルマンは、ハイデルベルク大学で数学を学んだ後に音楽家に転向し、1977年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席オーボエ奏者となった方である。(ちなみに2004年に退団した後は、奥様のチェリストのレベッカ・ラストさんと日本も含めて室内楽コンサートを行っているそうだ。)本書は、ひとりのオーケストラ奏者による「クラシックジャーナル」に連載されていた記事が好評のため、一冊の本にまとめたチェリビダッケの回想録である。

ある程度年季の入った熱心な音楽愛好家のなかで、彼の指揮による演奏を生で聴くという経験をされた方は、一生の幸運にも出会えたと言ってもよいのではないだろうか。そんな方たちへの私がめったに使わないと決めている”うらやましい”という感想がついでてしまうのも、手に取った時の軽さと活字の大きさから、よくある”素顔”という巨匠紹介エピソードものという予測とは違って、本書は音楽的にえるものが多かったからだ。チェリビダッケの音楽へのこだわり、スタイル、指揮を通じて、音楽という貴重な秘密の箱をほんの少しのぞいたような気持ちすらしてくる。

そのわけは、「音響理念とその現実化」という章にわかりやすく掲載されている。チェリビダッケは、従来からのオケの構成員から第一ヴァイオリンを増やすことによって、より均質だが豊かで深い音質と音調を生みだした。そして、すべての楽団員は他の奏者と各セクションを聴くことを、時間をかけたリハーサルを通して求められた。トレモロ、ボーイング、テンポ、チェリ流は、暗く豊かで重めのドイツ音楽を響かせていった。又、契約書というものを交わさなかったり、団員の入団オーディションには必ず出席したり、という音楽への情熱のこだわりをチェリ流で通したのだが、それがいつのまにか私が知っている”キャンセル魔”という気難しい指揮者という印象も残していったのだろう。

カラヤンを師と仰いだアンヌ・ゾフィー・ムターとの協演ではテンポ感もフレージングも全く異なっており、ゲネプロの後に彼女は病気を理由にキャンセルをしたというエピソードも、それも致し方なしと思える。

ところで、これほど優れたマエストロにも関わらず、所謂世間的には彼が知名度が全くないのは、プレイバック・レコーディングを最初に導入して豊富なビジュアル的にもこだわったカラヤンと違って、録音や録画を徹底的に嫌っていて、誰もが聞けるCDやDVDをあまり残していないことにもある。彼は音楽とは時間軸上の流れのなかでひとつのものとして生まれ、それらの音のつながりの関係性において音楽上の意味をもちうると考えていた。音の一粒のためにカット編集してつなぎあわせた録音など、彼にとっては音楽ではなかった。冒頭のカラヤン=コカコーラというのも、元々は新聞社オーナー夫人がレコーディングをすればヘルベルト・フォン・カラヤンに負けないほど有名になれるのに、というあまりにも素朴な意見に、間髪いれずに「有名というなら、コカ・コーラも大変有名ですよ」という知名度に関する価値観をチェリ流に答えたものを、誤解を招く表現に変えられてしまったというのが真相だ。

チェリビダッケ流儀は、実に正解だとは思う。しかし、後世の人間からすれば、生の演奏がかなわないのであれば、せめてCDでも聴くしかないのではないか。最近の音楽の傾向として、シャープで色彩豊か、クリアーであかるめの音楽になりつつあるようだ。フルトヴェングラーがふる「運命」とアシュケナージのそれは、全く別の音楽に聴こえる。現代的な音楽の方がなじみやすいのだろうが、ふくよかで暗く重めのドイツ音楽を求めていったら、許先生でなくてもやはりチュエリビダッケにたどりついてしまう。

■こんなアンコールも
『カラヤンの美』
『カラヤン生誕100年 モーツァルトヴァイオリン協奏曲』
「指揮台の神々」
「素顔もカラヤン」眞鍋圭子著
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著

「フランス組曲」イレーヌ・ネミロフスキー著

2013-02-12 17:56:24 | Book
ヨハン・セバスチャン・バッハにはケーテンで過ごした時代に、鍵盤楽器のための6つの組曲からなる「フランス組曲」(BMV812-817)を残している。
30代半ばの彼は最初の妻を病気で亡くし、20歳の若い二番目の妻、アンナ・マグダレーナ・バッハへの結婚の贈物とも言われているが、簡潔ながら優美で気品のある曲である。

1940年6月4日パリ。前日の月曜日に、開戦以来初めてパリの爆弾が落ちてきた。もうすぐナチスがやってくる。
恐怖にとらわれたパリに住む人々は、いっせいに南の農村へと逃れていこうとする。裕福な上流階級のペリカン家一族、作家のガブリエル・コルトや銀行家たちは彼らなりのブルジョワ風流儀で、彼に雇われている者や労働者たちもそれなりの方法で危険から脱出しようとしている。
「六月の嵐」
駅には人が溢れ、道路も大渋滞、物資も不足してガソリンもなくなっていく。そんな非常事態の状況下で、ものを略奪する者もあり、だましてガソリンを盗む者もあり、人々は人間の本性をあらわしていくようになる。しかし、そんな戦局においても、己を見失わず、誇りを保ち愛情と思いやりを失わない善良なるミショー夫妻のような庶民もいるのである。作者は、様々な人々をさながらひとつの音符、音、小節のように描いていきながら、やがて彼らが繋がっていき、互いに共鳴しあって音楽が鳴っていく。私は、トルストイの「戦争と平和」を思い出していた。

「ドルチェ」
田舎町ビュシーで最も裕福なアンジェリエ家の屋敷に、ドイツ軍中尉ブルーノ・フォン・ファルクが宿泊するようになる。主人であるガストンは、1年前からドイツ軍の捕虜となっているため不在で、美しい妻のリュシルが冷たい義母のアンジェリエ夫人や召使とともに暮らしていた。意気揚々と、町を村を占領していくドイツ兵とフランス女性が親しくなるのは危険なことだったが、それでも若い娘たちは清潔で金髪のドイツ兵たちを見つめずにはいられない。ドイツ将校たちは、フランス人と友好関係を結ぼうとこどもたちと遊んだりする。ブルーノは礼儀正しくリシュリと親しい関係を築こうとしていくうちに、ふたりの間の恋がめばえていく。占領者と愛されていなかったとはいえ、その夫を捕虜に囚われている既婚女性。不条理な中で、激しい感情と理性の相克にひきさかれるようなふたりの精神を、観察者のように作者は描写していく。まるで映画を観ているように物語は緊迫の中に進行していき、「六月の嵐」とからみあっていく。474ページのどの文章も緻密で繊細、芸術性が高く、細やかな情を描いても決して感情のおぼれることにない作家の資質に感服する。

ただし、「フランス組曲」は5つの楽章からなるのだが、ここで未完で終わってしまっている。作者のイレーヌ・ネミロフスキーは、「ドルチェ」を書き終えた後、1942年7月13日にフランス憲兵によってユダヤ人であることを理由に連行され、アウシュヴィッツ収容所で亡くなった。残された当時12歳と5歳の娘たちは、翌年やはり同じように連れ去られた父からひとつのトランクを托された。
「決して手放してはいけないよ、ここにはお母さんのノートが入っているのだから」と。
重いトランクを懸命に運びながら、必死に憲兵から逃れ、名前を変え、逃亡を続けた少女たち。あまりにもつらくて、母が最後に残したノートを読む勇気がなかったそうだが、プライベートな日記だと思っていたノートは、作家として円熟に向かおうとしていたイレーネが、残された時間が少ないことを覚悟して執筆した最後の長編小説だったのだ。紙が不足してきていたために、原稿は小さな字でびっしりと書かれていたという。2004年、トランクの中に眠っていた物語は1冊の本となり、フランスで70万部、全米で100万部、世界で350万部の驚異的な売上を記録しているという。

こんな優れた小説が日本で出版されるのに何故8年もかかったのか、と思わざるをえないところもあるのだが、上記の作者自身のストーリという前置きなど必要ないくらい本書は読むべき価値がある。自然の描写が瑞々しく巧みで、ほのかにエロチックな描写も私のお気に入りだ。野崎歓氏の解説も充実していて、残された資料によると作者の中では様々な構想が交錯していたようだが、物語は私の予想外の大きな展開になりそうだったのだ。文才という才能だけでなく、祖父や父達がロシア革命を潜り抜けてきた経験から、彼女には冷徹な哲学があったようだ。そんな彼女の文章は、今でも充分に私たちを魅了する。

『鳩の翼』

2013-02-10 22:17:05 | Movie
気がつけば、実にたくさんの映画を観てきた、つもりだ。その中でも忘れられないとびきりの登場人物がいる。容姿ともに品格があり優雅で美しく、それだけでも感動した存在感をもつ役。それは、『鳩の翼』のミリーだ。

1910年のロンドン。没落した中産階級のケイト(ヘレナ・ボナム=カーター)は、上流階級の伯母モード(シャーロット・ランプリング)にひきとられて暮らしている。恋人のジャーナリストのマートン(ライナス・ローチ)は貧しい労働者階級出身で、後見人の伯母からは彼と会うことすらも禁止されてしまった。伯母の価値観と対立しても、ケイトの父親がモードの仕送りで生活を維持しているという弱みがあった。社交界デビューしてもなじめず鬱屈していたケイトの前に現れたのが、アメリカからやってきた係累はいないが裕福な女性ミリー(アリソン・エリオット)だった。お互いにひかれあい、たちまち親しくなる若いふたりの女性。ケイトとミリー。
ところが、ケイトとの関係を知らずに端整なマートンに恋心をいだきはじめたミリーが病のため余命いくばくもないことを知ったケイトは、あるたくらみを思いつく。やがて、ふたりの娘は南の光に満ちたベネティアへ旅たつ。ミリーは、由緒ある宮殿を借り切る。美しい娘ふたりを追いかけて、まもなくマートンもベネティアにやってきたのだが。。。

原作者のヘンリー・ジェームスはアイルランドからの移民2世として米国に生まれた。父親は非常に裕福で教育上の観点から、何度も息子たちを欧州に旅行させて教養を積ませる。ヘンリーはハーバード大学に進学するものの、わずか1年で中退して作家として生きる決意をする。30代でロンドンに居を移し、晩年は英国に帰化する。映画を観て、ヨーロッパ人に米国人を描き、米国人にヨーロッパ人を見出す作家でもあると感じる。

鳩の翼は英国では”無垢”を意味するそうだ。(以下、内容にふれてまする)
ケイトは美貌が勝り、支配的な伯母を嫌悪しているが父親を見捨てることもできない情もあり、愛だけでは食べていけないことも知っている計算高さもある。しかし人を愛することと生きることに関しては、貪欲でたくましい女性。因習と社会的制約に縛られた英国の未婚の女性が、階層の違う男と結婚する自由を得るためには、裏切ることも、策略することもできるが、自らしかけた罠から嫉妬心に苦しむ難しいケイト役を、ヘレナ・ボナム=カーターが小悪魔の魅力をふりまきながら演じている。映画のヒロインは、こんな女優にやりがいを感じさせるキャラクターのケイトにある。そんなケイトにおされ気味のマートンは、人がよい優男。マートン役のオーディションでもライナス・ローチは際立っていたそうだが、ふたりの女性の間でゆれる繊細だが、何が真実かを知っている青年役を演じている。

さて、ミリーはアメリカからやってきた女性だ。資産家でもある彼女にとっては、階級差や社会的なしきたりもそれほどの意味はない。自由で無垢な心でケイトと友情を結び、マートンには控えめながらまっすぐに恋をしていく。それでは、彼女は単なる無邪気な女性かというとそれは違う。自らの病の進行に毎日向き合い、死への恐怖におびえながらも短い人生を精一杯生きている女性だ。ベネティアの教会に登り上から街をのぞみ、街を、人々を、生命を愛し慈しむように輝くような笑顔を見せている。ほんの短い場面だが、病を隠し矜持をもつ彼女の生き方を象徴する重要なシーンだと思う。それでいて、カーニバルの夜に消えたケイトとマートンへの詮索よりも、ふたりの関係をただす率直さ。残酷さに打ちのめされながら、最後にはケイトとマートンの幸福を願うミリー。彼女の仕草、表情、言葉のひとつひとつに豊かな慈愛と清らかさ、精神的な強さがオーラのように感じられる。アリソン・エリオットの優美な顔立ちと演技に、劇場で観てから歳月を経て、私は再びいつのまにかひきこまれていった。映画の中では、あくまでも主役はケイトにあり、ミリーはその次。しかし、私の中では生き生きとしたベネティアの由緒ある宮殿に住む気品ある王妃だ、忘れることのできない。

鳩がその翼を静かに永遠に閉じた時、マートンは確かに生きている時には愛していなかったのに、その面影を生涯忘れることができなくなる。人を愛することの残酷さと悲しさ、それでも愛すること。ひとりベネティアの街に戻るマートンを、淡く黄金色の光があたたかくも優しく迎え包んでいく。

文芸ものの映画が大好きな私だが、なかでも『鳩の翼』は特等席にある。映像、衣装、音楽、キャスティングのどれも完璧。最近、忘れ去られたような古い名作が次々とDVD化して映画館で観た名作と再会できるとは!そして、何度も映画の舞台になったベネティアは、今では狂おしいくらいに一生に一回は訪問したい街になってしまった。

監督:イアン・ソフトリー
1997年英国製作

■こんなアーカイヴも
映画『金色の嘘』
『眺めのいい部屋』

『ファースト・ポジション』

2013-02-06 22:12:46 | Movie
本当に跳んでいる!今年のローザンヌ国際バレエコンクールで、日本人の18歳の山本雅也さんが3位に入賞した。
今回ボランティアで審査員に参加した熊川哲也さんによると、同コンクールは若いダンサーにキャリアの扉を開いてくれる世界唯一の最高水準のコンクールだそうだ。ところで、この有名なローザンヌ国際コンクールに比べて、今ひとつ知名度が低いが、バレエダンサーをめざす子供たちにとって難関だが挑戦のしがいがあるのが、ユース・アメリカン・グランプリ(YAGP)である。

YAGPは、毎年世界中から9歳から19歳までの5000人を超える応募者から予選で選ばれて、NYの最終選考に残るのは200~300人。入賞すれば、世界の名門スクールへの奨学金やバレエ団への入団もある。『ファースト・ポジション』は、その参加者たちの中から、6人のバレエダンサーのまだひよこにもならない卵たちを中心としたダキュメンタリー映画である。

登場する彼らは、人種を含めて多種多様である。内戦で孤児となりアメリカ人夫婦の養女になった黒人の少女ミケーラ、貧しいコロンビアから家族の生活を背負いながら単身NYでレッスンに励むジョアン。熱心な日本人教育ママから、物心両面のそれはそれで大変そうなサポートを受けるミコとジュールズの姉弟。すでに王子の風格のあるアランや容姿に恵まれたレベッカ。彼らは、跳び、舞い、踊る。まだ幼いけれども、プレッシャーと戦い、不安と希望に心をふるわせながら、未来へ向かって踊る。

これだけ多くの参加者の中から監督たちが注目した素材は、素人の私から見てもやっぱり魅力的な”逸材”!。こんなに脚が高く上がるなんて信じられない!わずか12歳で、どうしてそんなに情感豊かに優雅な踊りができるのか。少女なのに、感情表現はあたかも恋の果実を味わった成熟した女性のようで、女指数では完全に私は彼女達に負けている。高いテクニックと繊細で細やかな表情。ダイナミックに、軽やかに、繊細に。バレエに捧げる時間が長く、情熱が濃いほど、彼らの真剣さと必死さが伝わってくる。チャンスは5分。このたった5分のために、バレエという美しい芸術にかけるこどもたち。しかし、バレエダンサーとして華のある舞台をふめる時間は短い。

そんなこどもたちの姿だけでなく、彼らを支える家族や指導者たちの献身的なサポート、見方によっては滑稽にもなりかねないお茶目なパフォーマンスと、主役級の奮闘ぶりにもなかなか素敵。アランに期待して指導しているのは、マチュー・ガニオのパパである。(マチューにそっくりのおじさんだった)ミコの日本人ママも、平均的な母親からするとちょっと熱心過ぎてステージママにみえるかもしれないが、私は彼女の情熱にも共感するものがある。チャイコフスキーの音楽にあわせて踊る男の子を見て、胸がしめつけられる思いがしたと涙を流す彼女の心情もとてもわかる。もっとも、気持ちの切り替えの早さもあっぱれで声をあげて笑ってしまったが。

ところで、その後、フォーガッティー・ミコさんは15歳に成長し、なんと今年のローザンヌ国際コンクールでベスト・スイス賞も受賞していた。映画でもミコさんは容姿も美しく、性格も素直そうで伸びる才能が感じられた。もっと彼女の踊りを観ていたいと感じさせられる将来がとても楽しみなバレエダンサーである。

監督:ベス・カーグマン
2011年アメリカ製作

■アンコール
・世界への挑戦 17歳のバレエリーナ
「テレプシコーラ/舞姫」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部3」
「テレプシコーラ/舞姫 第二部5」
「黒鳥」
映画『バレエに生きる』

「精神と物質」立花隆×利根川進

2013-02-03 19:14:05 | Book
ジェームズ・ワトソンによる「ニ重らせん」と並んでもはや古典的名著といえるのではないかと思うのが、今回再読してみた立花隆さんと利根川進さんの対談による「精神と物質」である。私が、本書を初めて読んだのは1998年のことだったのだが、20時間に渡るインタビューが「文藝春秋」に連載されたのは、1988年。もう25年前のことであるが、わくわくするようなサイエンスの読み物としてもおもしろく、何度読み直しても利根川進さんの発想や考え方が普遍的な世界のトップを走るサイエンティストそのものであることに感銘を受ける。

1939年生まれの利根川進さんは、一年浪人して京都大学に進学。有名なエピソードだが、高校時代生物を勉強したことのない利根川さんは大学の一般教養で生物が細胞でできていることに驚く。語弊のある表現だが、生物に関しては中卒レベルの20歳近い日本の若者が、米国の新しくできたカルフォルニア大学に留学、そこで博士課程を取得。運よく、30歳でソーク研究所のダルベッコ研究所でポスドクとして働く。奨学金つきのビサが切れることから、1971年にダルベッコの推薦をもらってバーゼル免疫研究所に渡る。ここでの研究活動の成果が、後の87年のノーベル生理・医学賞の栄誉をもたらす。しかも、単独受賞で、選考委員のひとりから”100年に1度の大研究”と評価されたそうだ。

「抗体の多様性生成と遺伝学的原理の解明」というのがその研究。

何のことか、全然わからないぞ。
新聞報道などの解説を読んでも、これが私を含めた一般人の殆どの感想だと思うのだが、インタビューアーの立花さんは、利根川さんの大学時代、米国からスイス時代、そしてその後、MITで脳科学の研究に転進するまで、そんな素人読者のために解説もおりこんで果敢にきりこんでいく。利根川さんの発見は、生殖細胞=受精卵から体細胞(固体)に至る過程で、遺伝子の組み換えが起こっていることをあきらかにしたことだ。これまでの、ワン・ジーン、ワン・ポロペプチド(一遺伝子一タンパク質)が分子生物学の常識だったのをひっくり返した。まさに生物界において、コペルニクス転回だったのだろう。しかも、その発見は同時の多くの新しい研究のスタートにもなったということだから、いかに大きな発見だったのかわかってくる。そして、ノーベル賞受賞後は、免疫系で抗体が抗原を認識してキャッチするレセプターの仕組みが神経系のニューロンとシナプスと神経伝達物質が流れるときに、それを認識して受容するレセプターのメカニズムによく似ていることから、脳の先祖と免疫系の先祖が共通なのではないかと、脳神経の分野にすすみ、大きな成果をあげている。

本書から伝わる利根川さんの人となりは、昨年、同じ分野のノーベル賞を受賞した山中伸弥さんとはだいぶ違う。医師であり、患者を救うために臨床医から研究者に転進した山中さんが一般人と同じ感性をもつ誠実で謙虚な人格者であれば、利根川さんは自信満々で負けん気も強く、合理的な考えをもち、YESNoがはっきりしていて強引な印象もあるが、科学に対して実に情熱の人でもある。本書の彼の言葉の片鱗から、私にはサイエンティストとしての資質においては、日本人では利根川さんに並ぶ人はいないと思われる、というか断言してしまいそうだ。そもそもサイエンティストたる才能や資質は、利根川さんから学んだのだった。その点でも、科学を学ぶ学生が今でも本書を薦められるというのもよくわかるし、日進月歩の科学分野にも関わらず、初版から20年以上の歳月もたっても絶版にならずにすぐ手に入る。

ところで、前回読んだ時にも強烈な印象を残したのは、立花さんが「精神現象は一種の幻のようなもので、重さも形も、物質としての実体がないのだから、物質レベルで説明をつける意義はあまりないと思う」という感想に対して、利根川さんは「幻って何ですか。そういう訳のわからないものを持ち出されると、ぼくは理解できなくなっちゃう」とばっさり斬りかえしている対話である。超一級のサイエンスライターのお仕事をしている立花さんですら、そんな非科学的な発想をしていたのだ。ファンタジーのお話をされると頭が混乱する私も、いつか精神活動は物質レベルで解明されると考えている。心の病もかなり治療がすすむと思うのだが、子育てや教育面で優生学的な思想も発達するのではないか、と別な面での危惧もある。今でも現役でエネルギッシュに活躍しているらしい利根川さんも、もう73歳になる。そろそろ続編を期待してもよいのでは。

「ビジネスマンの精神病棟」浅野誠著

2013-02-01 23:47:35 | Book
読んでいくうちにつらくなる本がある。本書はそういう類の本だ。
1948年生まれで精神科医療センターに勤務する浅野誠氏が、「ビジネスマンの精神病棟」を執筆したのは1990年。バブル真っ盛りの雰囲気の中、静かに心が崩壊して死んでいった男たちがいた。彼らは、”企業戦士”と呼ばれた最後の男たちでもあった。

登場するのは12人の男達である。目次には、今では使用されていない精神分裂病の病名もあるが、鬱病、不安神経症、強迫神経症、アルコール精神病など、特異な病ではなくむしろ身近な社会的な現象の病が並ぶ。著者は、遠山高史というペンネームで、かって愛読していた情報誌「選択」に不養生のすすめというコラムを連載していて、精神世界からの哲学的な考察が鋭くも奥深く、毎回、感じ考えさせれた。本書は、幅広い層を対象に、病におちた患者の診察をしながら、彼らの生育暦から心象風景が具体的に綴られている。

いかにして彼らが発症したのか、わかりやすい。・・・という感想は、著者がおそらく優れた精神科医であるという理由もあるが、彼らの心の揺れ動き、壊れていく過程がまるで自分と無関係とは思えないからでもあろうか。私の勤務先でも”ワークライフバランス”なるメッセージが通達されていて、猛烈に働く働かせる企業戦士は消えたかのようにみえて、職場環境は別の意味で苛酷になっているとも感じる。先日のアルジェリア人質事件でも、家族と離れて遠い異国の地の厳しい状況で奮闘する日本人のビジネスマンや労働者の姿を知ったばかりである。

そして、著者の分析には、現代に生きる者にとっても多くの示唆が含まれている。以下は、そんなメモしておきたいようなメッセージだ。

・精神が病むということは心がオーバーヒートしているのだから、治療と休養が必要。
・戦争体験など選択の幅が限られたなかを生き抜いた人間は、その後の人生に迷いが少ない。
・母から早い分離を体験したこどもは、母の愛の代償として広くみんなに愛されたいと、歌手やタレントに強く憧れやすい。
・兄弟は最初の敵。親子の関係は人の愛し方の基準になるが、兄弟との関係は傷つくことの練習問題。
・兄弟喧嘩、クラスの悪どもとの戦い、父親への反抗は自我の発達にきわめて重要で、心の外壁を強くする。

ところで、本書の登場する彼らの共通の特徴として私が感じたのは、幼少期の家庭環境の複雑さにある。戦後の貧しい時代に生まれ育ったという背景もあるが、ある人はとても貧しかったり、今で言えば親がネグレストだったり、複雑な家庭で育っていることである。もの心がつく頃に両親からの、もしくは母親か父親からの当たり前の愛情を受けられず心の土壌が培われなかったという気の毒な背景に、素人ながら心の病に至る起因があると感じた。この観点から考えると、不景気とは言え、物質的な豊かさに恵まれた現代人に鬱病が増えているのもわかるような気がする。しかし、彼らは人間的な魅力をもち、この時代の日本人らしく一生懸命生きている。その不器用な一途さは著者の精神科医のみならず、読者にも静かな悲しみの情をよびおこす。やっぱり、読んでいてつらくなるのだった。

■アーカイヴ
独裁者に欠けている共感性
自転車のように