千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」川本三郎著

2011-06-27 22:49:52 | Book
”あの時代”・・・たくさんのデモ、内ゲバ、政治的挫折、そして死。
アメリカの女性作家ボビー・アン・メイソンの著書「インカントリー」では、60年代に憧れる17歳の娘に
「いい時代じゃなかったのよ。いい時代じゃなかったなんて思わないことね」
とシックスティーズ60年代世代の母親が諭しているそうだ。
”あの時代”、1968年から72年にかけて朝日新聞社に勤務して「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者だった川本三郎さんの回想録が本書である。

同じタイトルの映画『マイ・バック・ページ』が自伝的映画だとしたら、本書はまさに川本さん自身が体験した苦くも厳しい青春の蹉跌である。それは、彼にとっては、長い間忘れようとしていた時代だが(私には逃げようとしていた時代に思える)、しかし、一度しっかり向き合って”総括”しなければ永遠に”あの時代”から彼は自由になれない。

前半は、あの時代に川本青年を通り過ぎた若者たちが語られている。映画にも登場した「週刊朝日」のモデルを務めた保倉幸恵、センス・オブ・ギルティを議論する米国からきた記者スティーブ、日比谷高校の早熟で美青年のM君と彼の恋人。そして、戦争で両腕と両脚を失った50歳ぐらいの取材相手の男性。国会周辺ではデモがあり、羽田空港では機動隊と学生が衝突し、東大安田講堂陥落、ヒッピーが歌い、熱気に包まれた時代の中で、「記者」という特権で安全な場所で傍観者でいることに疑問を感じた川本青年の前に現れたのが、「赤衛軍」を名乗るKだった。その後の顛末は、映画と殆ど同じで23日間留置所に入れられ、犯人隠匿及び証拠隠滅罪で有罪判決を受けるまでが後半。

当初、いかがわしいKだったが彼を思想犯として考え「取材源の秘匿」にこだわり、川本さんが頑固にジャーナリストのモラルにこだわった背景には、山本義高や滝田修らが知的エリートであり、彼らが自らの社会的意味を自己否定してゆく姿に清潔さを感じていて、同じく東大出身の川本さんなりのKに対するある種の負い目や同情が事件に傾斜していったのではないだろうか。社内でも孤立していく彼を気の毒だとは思うが、様々な点で、ジャーナリストとして考えが浅く、意固地になり甘かったとしか言いようがない。本書を改めて読んで、この状況下で、共犯者にされなかっただけでもよかったと私には思える。しかし、それは今の世代の、社会経験がそれなりにあるオトナの私だから言えることだ。

重要なことはあの時代の川本さんの行動や考え方の是非を説いたり、批判することではない。ジャーナリストを志し、就職浪人までして入社した朝日新聞を懲戒解雇され、事件後は政治について語ることを川本さんは禁じてきた。その資格がないからだ。それも当然の報いだ。何の罪もない人がひとり亡くなっているのだ。それでも、大きな、大きな挫折の後に生きていく場所は文学しかなかった川本さんだが、評論や映画批評では活躍されているのは周知のとおり。人間、何とかやっていけるものだ。
映画化に際し、監督も脚本家も1972年当時まだ生まれていなかった若い世代であることに意味があることがわかった。何故ならば、川本さんはあの時代はいい時代じゃなかったが、誰もが他者のことを考えるかけがえのない”われらの時代”だったと言う。60年代世代の後、私たちはそんな”われらの時代”をずっと見失っている。

■アーカイヴも
映画『マイ・バック・ページ』
「小説家たちの休日」

「オーケストラ大国アメリカ」山田真一著

2011-06-25 16:08:21 | Book
今年の秋も、ウィーン・フィルが黄金の輝きを運んでやってくるようだ。今日は、そのチケットゲットの大事な日。何とか、ようやく!念願のウィーン・フィルに行けそうだ。しかも、嬉しいことに*サントリーホール25周年を記念した特別価格です・・・ということらしい。それは兎も角、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の設立は1842年。今日まで続くオーケストラの中でも最も歴史がある。(ベルリン・フィルは1882年創立)その伝統あるウィーン・フィルと同じ年にニューヨーク・フィルハーモックも産声をあげていたとは、ちょっと意外な感じがしたは、おそらく私だけではないだろう。しかも、更に米国はオーケストラ大国だったことにも。しかし、今日私たちが聴いている音楽のオーケストラのスタイルが19世紀に成立したという経緯や、クラシック音楽の本場、ドイツのユダヤ人音楽家が戦争中に米国に移住してきたことや、ロシアの音楽家も革命後に亡命してきて名教師になっていたことなどを考えると、現代の米国のオーケストラが高い能力と実力をもち、ヨーロッパを凌駕する魅力も備えていることも当然の流れかもしれない。資本力もばっちりあるし。

本書は、音楽評論家の山田真一氏が、パリの都市計画を研究するためにシカゴ大大学院に留学中、街の真ん中にオペラ座を作った意味を知るために、当時、定期的にシカゴ交響楽団を指揮していた作曲家のピエール・ブーレーズの楽屋を入り浸るうちに「音楽は決してあいまいなものでなく、合理的に割り切れるもの。そう確信できました」と豪語し、世に出たのが本書である。この場合の”音楽”は、音楽そのものよりも、音楽をとりまくビジネスととらえるべきだろう。著者のこの言葉からもわかるように、山田さんの合理主義的な考え方と米国のオーケストラの成り立ちと歴史は相性がよい。

米国にとって、オケはプロ野球チームと同じように街の顔。音楽を聴きたいという市民の芸術熱を満たすために、音楽専用ホールを建て、日常的にそこをフランチャイズとして練習を行い、演奏のレベルを挙げるというシステムが早くに確立した。そこで数多くのスター指揮者も誕生する。ストコフスキー、トスカニーニ、ワルター、ジョージ・セル、ショルティ・・・。あのグスタフ・マーラーもかっては指揮者としてメトロポリタン歌劇場にやってきていたのだった。ところが、メットでは卒なく仕事をこなしながらも手を抜いたマーラーはトスカニーニの怒りを買い、彼に追われるようにニューヨーク・フィルの常任指揮者となった。ここでは一転、妥協を許さない指揮者としてひたすら音楽の質を追求し、定期演奏会も3倍に増やし、レパートリーの飛躍的に増え、世界のどの都市のオーケストラにも負けない洗練されたオーケストラへと変貌させたのだった。2シーズンで楽団員の半分は去るという荒療治にもなったのだが、平凡なオケが飛躍する背景には、こうした指揮者の厳しい努力があるものだ。
そして、米国は自家産の20世紀最高のスーパースターのひとり、レナード・バーンスタインを生み、まさにトッペレベルのオーケストラととも輝く時代を迎える。よく考えれば、こどもの頃から耳になじんだ指揮者とオケではないか。それもそのはず、確かに聴いている音楽は、ドイツ音楽、ウィーン、フランス、ロシア、イタリアの音楽なのだが、音楽産業の隆盛に伴ってレコード、CDなど音源でもすっかりおなじみになっていたのは、むしろ米国のオケだった。

米国の特徴として、地域社会活動の延長上に、芸術分野のひとつの華としてオーケストラが存在するところにある。地域の篤志家たちがオーケストラ運営協会という運営組織をつくり、多額の寄付金や人脈をつぎこむ。このようなチケット収入に依存しない、シカゴ響のようなシカゴモデルによって財政基盤を確保して、高い定期演奏会を行う。また、オーケストラ組織のガヴァナンスが協力で、理事は無給のボランティアにも関わらず、常に経営を向上する義務があり、スタッフの充実させてグローバル企業並みのマーケティング・マネジメントの敢行、はいかにもアメリカらしい。そして、活動を社会へ広める努力をしていることだ。おなじみのタングルウッド音楽祭などが先例であるが、ベルリン・フィルもサイモン・ラトルが音楽監督になってから映画製作に協力したり(映画『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』)、映画音楽に関わったりと随分積極的になってきている。

ところで、米国の”ビッグ5”と讃えられる米国の名門オケは、ニューヨーク・フィル、シカゴ響、ボストン交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、そしてフィラデルフィア管弦楽団。何を隠そう、ストコフスキーがこのフラデルフィア管弦楽団を振った映画『ファンタジア』は、こどもの頃に観て以来、私の生涯ベスト10に入る。ビデオ化された時は、真っ先に購入したくらい、私の音楽の原点と言ってもよい。しかし、本書が発刊される3日前に、同楽団についてこんな報道がされた。

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【米国 名門オケ破綻】
米名門オーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団の評議会は16日、連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を裁判所に申請し再建を目指すことを決めた。経営側は資金難を理由としている。

AP通信によると、 同楽団は今シーズンのチケット売り上げなどで計3300万ドル(約27億4千万円)の収入がある見通しだが、運営費として4600万ドルが見込まれ、緊急の資金調達を図っても、500万ドルが不足するという。 米主要オーケストラが11条適用を申請、事実上経営破綻するのはこれが初めて。演奏会は予定通りに続けていくという。同楽団には1億4千万ドルの基金もあるが、経営側によると使途が厳しく制限されている。楽員側は11条の適用が音楽水準の低下につながるなどとして、申請に反対してきた。

東部ペンシルベニア州フィラデルフィアに拠点を置く同楽団は1900年に設立。2011年4月17日

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著者は、2008年世界的不況の中で次々と文化支援を打ち切ったり、地方の緊縮財政による予算カットに泣く日本のオーケストラに比較し、米国では1929年の世界大恐慌時に、こんな時代こそ文化振興の機運が高まり、心を豊かにしようとする米国の精神に触れている。それでも、破綻か!連邦破産法11条は、日本の民事再生法に相当するそうなので、フィラデルフィア管弦楽団が消滅する心配はなさそうだが、フィラデルフィア・サウンドと讃えられた明るく色彩的な響きにもかげりがみられるとのこと。これは是非とも日本の聴衆のためにも復活に期待したい。

■アーカイヴも
フィラデルフィア管弦楽団の演奏会
・映画『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』

ヴァイオリンは良い投資先

2011-06-22 23:00:39 | Classic
日本音楽財団が所有するバイオリンの名器、ストラディバリウスが約1600万ドル(約12億7000万円)で落札された!

当該財団は、20日、東北地方大地震被災地の伝統芸能の復興を支援するために、十数挺保有しているストラディバリウスの中でも、「ほぼ未使用で、現存するなかでは保存状態が最も良いストラディバリウス」(最も保存状態が良い=最高の音とは限らないが)の1721年製作レディー・ブラントを、ロンドンの楽器の競売会社タリシオが主催するインターネットオークションに出品され、匿名の入札者によって980万ポンドで落札された。英国の詩人、バイロン卿の孫娘であるレディー・アン・ブラントが所有していたところからこの名前がついたレディー・ブラントが、前回競売にかけられたのは1971年のこと。サザビーズでの落札価格は当時最高の8万4000ポンドで、日本音楽財団がこの楽器を購入したのは、2008年のことで購入価格はあきらかにされていない。

・・・が、日本音楽財団はわずか3年でもちゃんと売買益があったと想像される。勿論、キャピタルゲインを狙って購入したわけではないだろうが、1971年から40年後には、何と116倍になったのだ。
というのも、弦楽器製作者アントニオ・ストラディバリ(1644-1737)による現存している通称”ストラディバリウス”は、およそ600挺。ブランド力というよりも、素人が聴いても、本当にストラディバリウスの音は最高に素晴らしい。佐藤俊介さんののように、健康的な新作楽器を好む方も最近はいらっしゃるが、やはりストラディバリウスは特別だと思う。そんな希少価値性からも、ヴァイオリンの名器は非常に良い投資先と指摘する経済学者もいる。

米マサチューセッツ州、ブランダイス大学のキャスリン・グラッディ経済学部教授は「投資先としてバイオリンのリターン(投資収益率)は美術品と比べても遜色ない。株式よりは低いが債券の平均をわずかに上回る。リターンは安定しており美術品ほど変動しないため、安全性の高い投資先と言える」との見方を示している。さすがに、破損してしまったら、その傷の程度にもよるが価値は劣るが 、自動車を運転するよりリスクは少ないと思う。ちなみに、グラッディ教授が2008年に発表した調査結果によると、力強い音に特色があり、五嶋みどりさんも愛用するイタリアの弦楽器製作者ジュゼッペ・グァルネリが製作したバイオリンの1980-2006年のリターンは年率平均6.9%。S&P500種株価指数のリターンの平均は9%以上、米国債は約6.6%となっている。今の日本経済だったら、ヴァイオリンの名器は株や債権を買うよりも堅実な投資先になるかもしれない。

オーストラリア室内管弦楽団は、芸術監督であるリチャード・トグネッティ氏の発案で新基金を設立し、180万ドル(約1億4000万円)でストラディバリウスを購入した。この楽器で、同楽団のアシスタントリーダー(コンミスのことか?)であるサトゥ・ヴァンスカさんはシベリウスのバイオリン協奏曲の最初の部分を演奏した瞬間、「これこそが自分の求めていた楽器」と感じたそうだ。現在、ストラディバリウスを使用(もしくは所有)されているヴァイオリニストは、諏訪内晶子、竹澤恭子、高嶋ちさと、五嶋龍さんや東京クヮルテットなど、多くの方が愛用されている。海外では、イツアーク・パールマン、ギル・シャハム、ペーター・ツインマーマン・・・次々とうかんでくる。欲しいかどうか、買えるかどうかは別として、やはり名器が演奏者を育てるのも事実。以前、高嶋ちさとさんが、ヴァイオリニストは小金が貯まったら弓を買い、大金が貯まったら楽器を買い換えると言っていたが、ストラディバリウスに手は届かなくとも、演奏家だったら優れた楽器を買うために働いているようなものかもしれない。
それにしても、やっぱりこの楽器はほれぼれとするような美青年じゃけん!

■5年前のストラドヴァリウスのオークション落札価格
ストラディバリウスが3億9千万円で落札!
私だって聴きたい東京都響「矢部の音」

打楽器のマジック 「フローズン・イン・タイム」

2011-06-20 22:18:47 | Classic
2月16日、サントリーホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会(第1696回)に行かれた方は、とってもとってもラッキーだったと思う。
昨夜、久々に教育テレビにチャンネルをあわせたのは「打楽器のマジック  フローズン・イン・タイム 」というタイトルにひかれたこと。打楽器はなじみがないので興味津々。

番組は、演奏を放映する前にソリストのパーカッション奏者であるマルティン・グルービンガーMartin Grubingerさんのインタビューではじまる。金髪をおしゃれにカットし、Gパン、深紅のジャージをはおったマルティンさんは1983年ザルツブルグ生まれのまだ20代のあんちゃん。リンツのブルックナー音楽院とザルツブルクのモーツァルテルムに学び、1999年「第2回世界マリンバ・コンクール」で最年少ファイナリストとなる。 その後、ハンブルク・ライスハレ、ベルリン・コンツェルトハウス、バーデン・バーデン祝祭歌劇場などの コンサート会場でリサイタルやオーケストラのコンサートに出演。 またシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭でマルタ・アルゲリッチや ネルソン・フレーレと共演したリサイタルでは、バーンスタイン賞を受賞。 とまあ、クラシック音楽番組らしい音楽暦なのだが、彼の場合、世界中の民族音楽、 ロックやポピュラーまで多彩なジャンルの音楽にも取組んでいる。

気さくに笑顔でインタビューに応じる彼は、ごく普通のサッカー青年という感じなのだが、サントリーホールにずらりと並べられた打楽器を自分で位置を決めてねじの調節を始める。10種類ほどの様々なタイプの打楽器が彼の周囲を取り囲んでいて、それだけでも壮観な印象。真剣な表情で、ひとつひとつ楽器のねじを巻き、位置を調節していく。この作業は、絶対に自分で行い、1時間程度の時間をかけるとのこと。その作業の意味は、演奏がはじまりたちどころに判明した。左手と右手で別々の楽器をたたいたり、と、まさに瞬間芸の連続である。しかも、後ろにある楽器を演奏することもあり、テリトリーが広いのである。だから、めちゃくちゃ忙しい。

イスラエルの作曲家アヴネン・ドルマンが、マルティンさんのために2007年に作曲した打楽器とオーケストラの協奏曲「フローズン・イン・タイム」。全部で3楽章の構成で、第1楽章はインドアフリカ・アレグロ、第2楽章はユーラシア・アダージョ、第3楽章は南北アメリカ・ブレスト。左側に鏡を置いてあるが、指揮者のジョナサン・ノットと完全に背中あわせになった時のためのもの。抜群のリズム感、驚異的なテクニック、自由でいてきちんと様式美もあり、片手に二本ずつ撥をもった手がしなやかに敏捷に舞う。まさにマジック!しかもものすごく楽しそうに。アンコールでは、小太鼓を演奏されたそうだが、途中で大道芸のような技も見せるサービスぶりで会場をわかせたとのこと。これは、視覚的にも楽しめる音楽である。

■こんなアーカイヴも
・映画『タッチ・ザ・サウンド』

『主婦マリーがしたこと』

2011-06-19 15:33:22 | Movie
先月亡くなられた俳優の児玉清さんは、読書家としても知られていたが、切り絵制作も生涯の趣味だったそうだ。その切り絵を始めたきっかけは、学習院大学を卒業後、東宝ニューフェースに合格するものの、長かった大部屋暮らし時代に生活費の足しにとはじめたことがきっかけとのこと。切り絵というものが生活費になった時代があったとは意外な感もしたが、”向上心と努力の紳士”という弔辞にふさわしい児玉さんらしい趣味だと感じた。

主婦マリーの夫も切り絵が趣味だった。(以下、内容にかなりふれておりまする。)
第二次世界大戦、ドイツ軍占領下のノルマンディ。小さな男の子と女の子を育てている平凡な主婦マリー(イザベル・ユベール)も、親友のユダヤ人が連行されるという時代だった。
ある日、隣に住む未婚のジネットが妊娠し、法律で禁止されている堕胎の手伝いをすることになった。石鹸水で泡をつくって、ゴム管で子宮に送るとという危険で幼稚な施法だったが、すっかり元気になったジネットからお礼として蓄音機とレコードをもらい喜ぶマリー。そこへ、夫のポール(フランンワ・クリュゼ)が、傷痍軍人として復員して帰ってきたのだった。単身赴任中のお父さんが、突然帰宅した時の妻の不機嫌さとは少し違う、夫を完全に忌み嫌う表情がマリーから読みとれる。貧しいなりに母子3人の平穏な家庭に侵入してきた邪魔な存在のポール。しかも、彼は心に戦争の傷を負っていて、生活力がまるでなく、夜、切り絵をひそかな趣味として楽しむだけの役に立たない男だった。
やがて、マリーは美容院で知り合った娼婦のリュシー(マリー・トランティニャン)に自分の部屋を貸すことで副収入を得ることばかりか、噂を聞いてやってきた女たちに堕胎を施して金銭をもらうことで、少しずつ生活ぶりが良くなっていく。
生活苦でやつれていたマリーは、おしゃれをして、化粧をするようになり表情が輝いていく。夫との性生活は拒絶したが、恋人リュシアン(ニルス・タヴェルニエ)との性は自由奔放に楽しむようになったマリー。夢である歌手になるためのレッスンもはじめ、幸福そうに笑いながらこどもたちと踊っている時に、警察に逮捕されて連行されてしまった。そして、彼女は異例にも国家裁判所の法廷で裁かれることになり、ドイツ軍に占領されて道徳観にこだわりはじめた国の国策として死刑を宣告される。1943年、平凡な主婦だったマリーは、彼女がしたことの罪によって、女性最後の受刑者としてギロチンにかけられ断頭台の露と消えていった。

物語は淡々と進んでいく。平凡な主婦が貧しさゆえに違法の堕胎に手を染めたというほどでもなく、子沢山や婚外子の妊娠に困る女性を救うためという社会的な意義を目的にしたわけでもなく、フランスらしい自由を求める精神という哲学もなく、ほんの堕胎のお手伝い感覚からのきっかけから主婦マリーの人生が転がっていくさまを、映像は日常の中で映していく。歌い、堕胎で金を稼ぐ彼女には何の考えもなく、困っている娘さんを助けたかっただけの善意の人『ヴェラ・ドレイク』とも違い、また親友のために無免許の男に非合法な依頼をする映画『4ヶ月、3週と2日』の女子大生オティリアのような思想も感じられず、息子のナレーションのとおり7歳の息子と同じ精神年齢の幼さを感じさせられる。だから、最後のギロチンにかけられるまでがあっけなく感じられ、こんな感想こそ、クロード・シャブロル監督の狙いなのではないだろうか。

本作の観点は、3つある。まず、堕胎の是非である。宗教上の理由などから、今でも堕胎が違法な国はいくらでもあるが、女性の生殖が国の人口政策に支配されてきた歴史もあり、国にとっての人口調節ではなく、女性ひとりひとりの健康、人権上からも妊娠、避妊、出産、人工妊娠中絶が合法的で安全で、個人の意志で選択できるというのがリプロダクティブ・ライツという概念である。また、妊娠、出産、子育てに対する男女の違いも考えさせられる。”育メン”というお茶目な造語は私もお気に入りで、夫婦で子育てという発想が定着しつつある日本だが、避妊をすることが禁じられた宗教のもとでは、女性は次々と妊娠・出産を繰り返し、母体の健康が損なわれる可能性がある。マリーを法廷で裁いたのが男たちだったように、女性の人権への配慮に欠けた男の論理がそこにあるような気がする。
最後は、本作が実話を基にした映画であるところから、死刑制度についてである。フランスはご存知のように、ミッテラン大統領政権下、1981年に死刑制度が廃止された。(経緯については、ロベール・バタンエール著「そして、死刑は廃止された」がある。)米田鋼路氏の書評的対話「はじまりはいつも本」で弁護士の安田好弘氏が、死刑制度には人の命が国策によって奪われることの危険性を訴えていたが、まさに映画『主婦マリーのしたこと』の結末がそうである。

違法な堕胎に何の苦悩もなく向かうマリー、愛がないからといってこどもたちの父親である夫に寄り添おうという努力もしないマリー、恋人が実はユダヤ人を密告してアウシュビッツに送るような仕事で稼いでいることに思いもよらないマリー。彼女には同情こそすれ共感はないが、残されたこどもたちのことを考えると本当に哀れである。そして、母親を密告したのが、警察署に届いた父親の切り絵の文字で書かれた匿名の手紙だとしたら・・・。

監督:クロード・シャブロル
原題:Une Affaire de Femmes(英語タイトル:The Story of Women)
1988年フランス映製作

■こんなアーカイヴも
『ヴェラ・ドレイク』
『4ヶ月、3週と2日』
『ピアニスト』←イザベル・ユベール主演の必見の映画

「小説家たちの休日」

2011-06-18 19:39:19 | Book
革の手袋をはめた精悍な表情をした三島由紀夫と、当時、”慎太郎カット”という髪型が若者たちに大流行したという石原慎太郎が並んで、ビルの屋上からなにやら眺めている。この写真を撮影した樋口進氏によると、ある日の歌舞伎座でファンから「慎太郎刈りの真似をしている」と言われた三島は、「俺がこの髪型の元祖だ」と烈火の如く怒ったそうだ。このエピソードを、著者の川島三郎さんは、たかが髪型ぐらいで怒る三島を「何よりもオリジナリティを大事にしている誇り高い作家」と感想を述べている。そして、しかしたかが髪型にこだわるところに、見られ続けた作家の真骨頂と批評する。本書は、1922年生まれ、文士たちの写真を撮り続けた写真家、樋口進さんの写真に短いキャプションがそえられ、1944年生まれの川本さんの文章が4ページ、という構成になっている。とりあげられた作家は、川本さんの研究対象でもある1879年生まれの永井荷風が、浅草ロック座の裸の踊り子たちに囲まれた写真にはじまり、生まれた年代順に1932年生まれの江藤淳まで、すでに鬼籍に入られた65人の文士の素顔をとらえた昭和文壇実録である。

上映中の川本三郎さんの自伝的映画『マイ・バック・ページ』では、この方がある事件の犯人に関わったことで逮捕され、朝日新聞を懲戒免職になり、懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けていた過去を知って驚いた方も多いだろう。映画の終盤に向かって、試写会を観終えた川本さんモデル沢田雅巳(妻夫木聡)に映画批評の原稿を依頼していた記者が、これからみんなと一緒に呑みに行きませんかと屈託なく誘うのだが、沢田は遠慮して断る場面がある。声をかけてくれた女性記者にとっての仲間のみんなと、せっかく憧れの朝日新聞に入社するものの、懲戒免職という異例の退職をせざるをえなかった川本青年の立場との距離感と違い、そして彼の孤独を感じさせられる場面が私は好きだ。そんな経歴のせいだろうか、本書の川本さんの文章にはそこはかとない慈愛がある。対象との微妙な距離を維持しながら、前述のように三島の本質を見抜く力の怖さと見守る優しさが同居している。そんな川本さんらしい一冊だと思う。

「肉体の門」が大ヒットした田村泰次郎が、神社かお寺かと思わせるような豪邸だったらしい杉並区自宅の大きな門(本当に大きい!)の横で遠慮がちに腰を曲げているなんだか笑える一枚、線路を見つめながら歩く広津和郎の陰気は表情、団扇片手にランニングにステテコ姿でくつろぐ「風邪ひいたカバ」のあだなどおりの大宅壮一がいるかと思えば、「火宅の人」となった原因の愛人(よく見れば娘の壇ふみさんをもっと溌剌と可愛らしくしたような女性!)と並んでいる壇一雄などなど・・・。書斎の本棚を前に意識した作家ではなく、休日の素顔が並んでいる。読んだことがないどころか、知らない作家が5人もいる。そしてふたつの大戦を経験している昭和という時代性を感じさせられる作家の在り方は、同時に今という時代を問われているとも思える。

しかし、圧巻なのは昭和文壇を踊った文士たちの個性的なパフォーマンスと荒々しさである。その一部を記録。
久米正雄:昭和25年、「文藝春秋号」という列車を仕立てて作家と読者が小諸に行った時の写真。若き日に、夏目漱石の長女筆子に恋をしたが、失恋して松岡譲に敗れて生活が荒れたことがあった。(長編小説「破船」に描かれているそうだ。)そんな彼を厳しく諫めたのが、芥川龍之介と菊池寛だった。

佐佐木茂策:話らしい話のない小説を提唱した芥川龍之介が、最初の短編集「春の外套」を「ちゃんと仕上げを施した、たるみのない画面の美しさである」と評した。

尾崎士郎:宇野千代との結婚生活が破綻したのはよく知られているが、原因のひとつが梶井基次郎が宇野千代に惚れたことにあるという。この時、怒った尾崎が梶井基次郎を殴るという事件もあった。

大宅壮一:『マイ・バック・ページ』は、東大安田講堂事件の音声ではじまるが、この事件のテレビ中継に出演した時に、他の出演者が「大学紛争とは」と、真面目に論じているときに、彼は「あっ、いま石を投げている学生、いい肩をしているなあ」とのたまったそうだ。

今日出海:東大時代のエピソード。同級生の小林秀雄が卒業間際にどうしても単位がひとつたりないことがわかった。そこで、今日出海は一計を案じ、事務室に入り込み、事務員たちに面白い話しを聞かせて、彼らが笑いころげているあいだに印を盗みだして、小林秀雄のカードに修了の印を押してしまった。それにしても、小林秀雄も中原中也の恋人に「あなたは中原とは思想が合い、僕とは気が合うのだ」と囁いて奪った事件や、良寛の詩軸を買って偽物だとわかるや日本刀をもちだしてそれを斬り裂いた武勇伝といい、なかなかエピソードの多い文士である。

ちなみに豪邸を買った田村泰次郎は、足かけ7年間の戦争体験があり、「日本の女には、7年間の貸しがある」という名セリフを残したが、愛嬌がありどこへ行ってもみんなに好かれたそうだ。評論家の奥野健男とパリに行き、車にはねられ肋骨を3本折るという事故にあったのだが、大通りで大の字に横たわる田村は介抱する奥野にこう言った。「これで今年の文士劇にでられなくなった」と。かって、文壇というものが存在した。そして、小説というものかきにとりつかれたひとたちがいた。文壇の登竜門と言われた芥川賞は、文字通り作家として世間に認知され、食べていくため、生きていくため、作家を志す者にとっては必死にたどりつかなければいけない門だった。そういう時代に、こういう文士たちがいた。小さなエピソードも、川本さんの文章でその人となりの個性がうかびあがっていく。

最後にもうひとつ。井伏鱒二の阿佐ヶ谷の自宅には、人柄を慕って作家仲間が大勢集まってくる場でもあったそうだ。なかでも太宰治は不思議な嗅覚があり、酒席がはじまるとやってくると噂話をしたところ、本当に太宰がやってきて井伏は嬉しそうに笑ったという。昭和62年、そんな井伏の家に病み上がりの安岡章太郎が挨拶にくると先客とすでに楽しげに呑んでいる。いつもながらの光景に手洗いに立った安岡は、奥の部屋からの線香の匂いに気づき、夫人に尋ねると次男の大助が亡くなり、今日、葬儀を終えたばかりだという。息子を亡くすという悲運にも哀しみをこらえて、それを悟らせないよう客人と談笑する井伏の背中が大きくそびえたつような錯覚がした。井伏文学の魅力を飄々とした余裕にあるといわれるが、川本さんはその平穏な世界の背景に、43歳で陸軍に徴用されて報道班員として戦争を見つめてきた者の無常観を感じている。

■アーカイヴ
映画『マイ・バック・ページ』

『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』

2011-06-13 22:49:49 | Movie
作家の井伏鱒二は「わたしは平凡な言葉を美しいと思ふやうになりたい」という言葉を残した。
この言葉には、43歳で陸軍に徴用されて報道班員として戦争を見つめてきた井伏の無常観が想像される。そんな平凡な言葉、平凡な日常、平凡な人生を拒絶した女がいた。

1907年、イタリア。洋品店を営むイーダ・ダルセル(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)は、政治集会でひとりの素晴らしい男に出会った。激しく、情熱的に、神を大胆にも否定する演説をする男にひかれ、偶然がもたらした男との再会には、心が燃え盛るようだった。その後、政治闘争にのめるこむ男と愛し合うようになった彼女は、過激な言動から党の機関紙の編集長を解任されて、自分で出版社を興すという男を支えるために、全財産を投げ打って貢いだ。それほどの価値がある男だった。その男の妻となることで、彼女は自分の”特別な人生”を見つけた。やがて、「統帥”(ドーチェ)」と呼ばれてイタリアに君臨する素晴らしい男、その男の名前は、ムッソリーニ。

映画のはじまりと同時に、私は、この作品が特別な作品だと感じた。”最高傑作”という賞賛は、それにふさわしい巨匠と呼ばれるような監督の作品の中でも、極めつけのような比類のない1本だろう。映像、音楽、演出、どれもが力強く、分厚く、どっしりとした濃厚なオペラを観ているような感覚にとらわれる。映画評論家、中条省平氏によると「うち震えるような力動感」になるが、多くの映画を鑑賞してきたつもりの私でも、こんなオペラを観ているような感覚を体験したことがなかった。前作『夜よ、こんにちは』で、鮮烈な存在感を私の脳裏にインプットしたマルコ・ベロッキオ監督の最新作は、まさしく最高傑作にふさわしいと確信する。(以下、内容にふれてまする。)

イーダとムッソリーニが初めて愛を交わす場面では、抱いている男の背中にしがみついて離さないかのように脚をからめる女、そんな女を抱きながら、野望に爛々と輝かせる瞳は現実の女よりも支配する未来を見つめている冷酷な男。家庭をもちながら、多くの愛人ももち、独裁者として歴史に残る人物にのしあがっていくムッソリーニと、彼との間に男児までもうけるが、すぐに疎んじられ蔑まれ、とうとう息子ともひきさかれて精神病院に幽閉されるイーダとの永遠にうずめようのない距離を予感させる。イーダは執拗に自分がムッソリーニの妻だと主張していく。彼女は、全財産だけでなく、自分の人生すらもムッソリーニのために投げ打ったのだった。

しかし、イーダを狂気の愛に執りつかれた女ではなく、彼女が対峙したのが統帥であり、ひいてはイタリアという国家だったという不条理を描いたのが、マルコ・ベロッキオ監督が社会派と言われる由縁だろう。実際、過激な行動をするイーダを偏執狂という病を抱えたひとりの女性に見えたとしたら、本作は失敗になる。狂気と理性のぎりぎりのラインで、鋭利な知性ものぞかせ、別の精神病院に隔離された息子を思う普遍的な母親としての愛情を訴えるイーダ役を演じたジョヴァンナ・メッゾジョルノの迫力ある演技に圧倒された。どんなに理不尽な非業に打ち捨てられようと、危険を承知しながらも、総統に自分のことを、そして息子のために訴え続けたことは、まさしく勝利をえるための闘争だった。彼女は、あの『ブラック・スワン』で最高の演技力をみせてナタリー・ポートマンを押さえて、全米批評家協会賞 主演女優賞を獲得している。ジョヴァンナ・メッゾジョルノの迫真の艶技をみせられたら、やはりナタリー・ポートマンのベットシーンはお嬢さん芸だったかも・・・。

映画の後半から、現実のムッソリーニは記録映像でしか登場しなくなり、かわりに若きムッソリーニを演じたフィリッポ・ティーミが、成人した息子のベニート・アルビノ役を演じる構成となっている。ベニートが大学生の時に、同級生に請われてムッソリーニの演説を真似して再現する場面は、衝撃的だった。父親によって自分の存在を否定され続け、14歳の頃から自らも精神病院に入れられたベニートが、自分自身を独裁者に入れ替えて、ムッソリーニになりきって演説する姿は、鬼気迫るものがあり、彼が1942年に精神病院でわずか26歳の若さで亡くなっている事実を思うと、映画上の脚色があるとはいえあまりにも痛ましい。演じたフィリッポ・ティーミはムッソリーニ役では独裁者のカリスマ性と押し出しの強い冷酷さをにじませたかと思うと、息子ベニートでは、不幸な青年の狂気を哀しみをもって演じた。

映像の世界だけは、淡々とした日常を拒否したい私としては、今年はこの1本で 終わってもよいとまで思わせてくれた作品だった。

監督・脚本:マルコ・ベロッキオ
2009年イタリア製作

■これまでのアーカイブ
『夜よ、こんにちは』
・ジョヴァンナ・メッゾジョルド出演作『向かいの窓』『コレラの時代の愛』
・ラケーレ・グィディ出演作『13歳の夏に僕は生まれた』

「スクリーンの中に英国が見える」狩野良規著

2011-06-08 23:47:16 | Book
今日、世界中の人々が観る映画の8割が、ハリウッド映画だそうである。マイケル・ダグラスではないが、映画は航空産業に次ぐアメリカ第二の輸出産業。ハリウッド映画を意識的に避けている私ですら、もしかして鑑賞本数の半分は米国産!?ハリウッド映画は、何も考えなくてもよい娯楽映画としてはよくできているし、アメリカという国を考えさせてくれるのでやはり好きな映画も多く、お疲れモードの時はついつい私もハリウッドになびくのだろう。しかし、本書の著者、狩野良規氏は、ハリウッド映画のやばいところは、映画がアメリカ的価値観の発露の場となり、難しいことなしに映画を楽しみながらいつのまにか米国流世界観とイデオロギーの価値観がすりこまれてしまうところだと主張している。確かに、やばいっす。本書は、映画産業においては残りの2割のなかで、巨大な資本もなくマイノリティにおしやられながらも、すぐれたイギリスからやってきた銀幕の中にあるイギリス的なるものの考察で成り立っている。

前置きはさておき、開幕は、
「イギリスは暗い」になる。映画も暗い。。。
その昔、夏目漱石がロンドンに留学してノイローゼ気味になったのは、かの地のくらあ~~い気候のせいだという説があった。そう、イギリス映画は、この国の一年中どんよりとした低い雲が垂れ込めてしょっちゅう雨が降る暗い気候を反映して、暗いのである。しかし、暗くて何が悪いのか。暗いからこそ、イギリスは愛すべき国であり、イギリス映画は楽しいのである。実に、私も同感である!それに人生は、ハリウッドのように単純でもなく、「正義」が勝利するとも限らない。そしてハッピーエンドとはいかずに、「人生は続く」・・・。だから、無邪気な大衆に迎合したようなアメリカンドリーム映画よりも、暗くて落ち込んで元気がでる。

そして、イギリス映画の特徴は、人間の本音の心情を、美化せず、安易な救いでごまかさずに正直に対峙していて、観客が過度に感情移入しないように対象と常に一定の距離を保っているところにある。予算の差よりも現実との向き合い方、描く対象との距離のとり方にハリウッド映画との違いがある。

イギリス的なるもの、歴史と文学、大英帝国ー地方そして植民地、現代イギリスの4部構成で、各10章建て、とりあげた映画は100本以上。次々とイギリス映画のあらすじを紹介しながら、熱く語るその語り口は、イギリス映画の暗さに反し、軽妙洒脱、テンポよくユーモラスという意表をつく。このセンセイの講義だったら、さぞかし楽しいだろうなと思わせてくれるが、実は一番楽しんでいるのが、センセイかも。妙に、英国の舞台と役者に詳しい方だと思ったのだが、『わが命つきるとも』の主人公、トマス・モアが断頭台の露と消える運命の最後の法廷シーンでは、ハリウッド映画がかなわない脚本の差、演技力の差をみ、観客の夢や願望は満たされないが、真実を描ききって心をゆさぶられ、狩野先生はこの場面を観るたびに「イギリス演劇を生涯の研究テーマにしてよかった」と幸せな気分に浸るそうだ。イギリスの演劇が専門とは、詳しいはずである。演劇が大好き、イギリス映画も大好き、暗いから・・・というのが読者に伝わってきて、目からうろこのようにイギリス映画を再発見した次第である。ちょっとしたイギリス映画の資料ともなる力作でもある。

ところで、狩野センセイが教鞭をとってらっしゃる大学のサイトでこんな掲示板を発見!↓
ハリウッドとは似て非なるイギリス映画を通して、イギリスが抱える問題をブラックにえぐりだす画期的な映画評論である。550頁、一カ月で読破した人には狩野がランチをおごります!
おもしろくって、550頁ニ段組を2週間ほどで読破しちゃいましたっ!

『炎のランナー』

2011-06-07 22:40:08 | Movie
イギリス文学、演劇学、映画論の専門家の狩野良規さんの熱~い大作!「スクリーンの中に英国が見える」という本の最後、”永遠にイギリス的なるものについて”でとりあげられた映画がこの『炎のランナー』である。(もう一作は『日の名残り』)今回この映画を初めて観て、これまで1924年のパリ・オリンピックの陸上競技で金メダルをめざす、ただのスポ根ものと勝手に思い込んで敬遠していたのは、私の失策だったとおおいに反省した次第である。狩野センセイによると、そんな風に勘違いする現象こと、ハリウッド映画に毒されていることになるかもしれないが・・・。

映画の冒頭は、「ロンドン 1978年」、ハロルド・エイブラハムズの葬儀ではじまる。早くも、主人がこの名前からわかるようにユダヤ人だと察せられる。そのハロルドとはどういう人物かと言うと、すぐに映像は海辺を走る若者達を映し、クラシックなホテルの窓辺で母親に手紙を書く青年にかわり、、彼の母親にあてた手紙の内容から1924年のオリンピック出場選手の強化合宿だと気がついていく。但し、この青年はハロルドではなく、生涯の親友となる人物オーブリーである。やがて、ホテルでクリケットに興じる青年たちの中で、ひときわ負けず嫌いで判定に文句を言う気性の激しい青年がいるのだが、彼が本作の主人公のハロルドである。そしてもうひとりの重要な人物が、聖職者をめざすスコットランド人のエリック・リデル(イアン・チャールストン)。まずは「ケンブリッジ大学キーズ・カレッジ 1919年」と字幕がでて、ハロルド(ベン・クロス)が入学した日の初日に更に時計の針を戻し、プロローグからいよいよ本編がはじまるのだが。。。

さて、それではどこが英国的なるものか、専門家ではないので、あくまでも16歳の乙女心にきゅんと映った英国を早速見てみたい。

1.1919年10月1日の新入生歓迎の晩餐会
古色蒼然たる歴史的な建築物の中で、タキシードに正装した新入生を歓迎する蝋燭の明かりにゆれる晩餐会の場面が実に美しくも端整である。勿論、女性はひとりもいない。そして学寮長の歓迎スピーチが素晴らしく、英国的エリート教育の仕上げをみるようである。

2.ノーブレス・オブリージュ
その晩餐会が催されたホールには、第一次世界大戦で戦没して犠牲となった多くの卒業生たちの名前が刻まれている。学寮長の歓迎スピーチも彼らの追悼からはじまり、第一次世界大戦では、大卒の上流階級のエリートの多くが出征して亡くなったことが、ノーブレス・オブリージュを果たした戦争とも言える。

3.アングロ・サクソンの国
弁護士をめざすハロルドは、オーブリーに「この国はアングロ・サクソンの国だ。僕は偏見に挑戦して、彼らをひざまづかせてみせる」と意気込む場面がある。随所にユダヤ人であることが、ハロルドの生き方におおいなる影響を与えていることが表現されている。

4.ケンブリッジ大学の伝統
ハロルドは、トリニティ・カレッジの中庭を正午の鐘がなり終わるまでに一周する"カレッジ・ダッシュ"に挑戦して、見事成功する。 この記録は「700年間達成者がいなかった」そうだが、同時に大学の歴史と伝統を感じさせられ、またハロルドとアンドルー・リンゼイの足の速さを説明したよくできた場面である。

5.貴族の国
ハロルドと一緒にカレッジ・ダッシュに挑戦してほんのわずかな差で達成できなかったのが、貴族の御曹司アンドルー。アンドルーは、広大な緑の領地にハードルを並べて、執事にその上に次々とシャンパンを満たしたグラスを置かせるのだった。そして「シャンパンがこぼれたら言ってくれ」と、美しく優雅にハードルをこえて競技の練習をする。彼はイートン校からケンブリッジ大学に進むという典型的なエリート・コースをすすむ、銀のスプーンをくわえて生まれてきた貴族。

6.紳士とアマチュアリズム
エリックに敗退したハロルドは、イタリアとアラブ人の血がまじったマサビーニを金銭を支払ってプロのコーチとして雇うのだが、ケンブリッジのふたりの学寮長から食事に呼び出され、品格に欠けてアマチュアリズムに反すると忠告を受ける。しかし、ハロルドは、こどもの運動会ではないと、忠告を偽善であると一蹴して席を立つのだった。英国では、欧州の上流階級が尊んだ精神のアマチュアリズムにジェントルマンを重ねて考えているが、そもそもアマチュアリズムというのは、労働する必要のない階級がうみだした理屈で、労働者階級をスポーツ競技から締め出そうとした事実がある。

しかし、この映画のポイントは、偏見と差別をはねつけるユダヤ人と神を称えるために走るピューリタンのスコットランド人という、純正イングランド人ではない彼らが、英国を代表してオリンピックに出場し、英国の美徳を体現し母国に栄光をもたらすところにある。そして、もうひとり、忘れてはいけないのが青年貴族のアンドルー。勝利に固執するハロルドや、信仰のために走るエリックとはことなり、走ることを遊びとし、銀メダルに甘んじてエリックに機会をゆずる彼は、”足るを知る”の美徳をもつ余裕がある。物語の展開は早く次々とすすみ、本当に深い意味で理解するには、一度の鑑賞ではなかなか難しい。私はDVDを借りて二晩続けて鑑賞して、ようやくここまでたどりついた。しかし、ハリウッド映画と違いいかにもイギリス映画らしいのは、金メダルをとった後のハロルドの表情である。音楽や映像の力を借りて盛り上げるのではなく、淡々と空しさを感じているハロルドを映す”暗さ”が私には好みである。そして、もうひとつ、地味でめだたない演技ながら過不足なくエリック役を演じたイアン・チャールストン。狩野さんはこの役者を気に入り、英国滞在中に彼が出演する舞台をずいぶんと探したが、すでに亡くなっていたそうだ。端整な青年が、40歳でエイズで他界したというのも悲しくも英国らしい・・・。

ついでながら、”永遠にイギリス的なるものについて”のもう一作が、イシグロ・カズオ原作の「日の名残り」
原題:CHARIOTS OF FIRE
監督: ヒュー・ハドソン
1981年イギリス製作

「愛の情景」小倉孝誠著

2011-06-05 16:05:39 | Book
なにやら気になる表紙の絵画は、エヴァ・ゴンザレスEva Gonzalèsの「イタリア人座の桟敷席」1874年。
マネの絵によく似ていると思っていたら、それもそのはず、彼女はブルジョワ階級出身でシャルル・シャプランのアトリエで上流階級の習い事として絵画を学んでいたが、父の紹介でエドゥアール・マネに会うや彼に心酔し、マネのモデルを務めながら彼の忠実な生徒になり、惜しくも31歳の若さで早世してしまったが、マネが唯一認めた弟子だった。

さてさて、この「イタリア人座の桟敷席」の絵画であるが、若く美しい女性がドレスで着飾り、オペラグラスを片手にパリの劇場イタリア人座の馬蹄形の桟敷席から、身を乗りだすように熱心に舞台を見つめている。ところが、同席している紳士の方は、心ここにあらずという様子で、他の席に座っている人、恐らく魅力的な女性を眺めているのである。近頃、よく耳にするのが「出会いの場がない」という嘆き、つぶやきである。ネットで簡単に未知の人と会話ができる一方で、年頃の男女が下心なく?出会って自然に恋を育む”出会いの場”は減少傾向にある。印象派時代のオペラ座や劇場は、年齢、既婚か未婚かは問わず、男女が出会う格好の場でもあった。馬蹄形の客席と平土間という構造は、舞台だけでなく観客同士が互いの姿を鑑賞しやすい空間ともなった。胸をのふくらみを強調したかのようなドレスの女性は、自分の美しさと色気であやどられた姿態を、他の観客の視線で鑑賞されるということも甘受しなければならない。ヴィリエ・ド・リラダンの短編集『残酷物語』(1883年)に収められている「謎の女」では、主人公の若い田舎貴族の青年がパリのイタリア人座でオペラを鑑賞している時に、桟敷席の前列にいた絶世の美女に心を奪われてしまい、終演後、馬車でその女性を追跡するという今で言うストーカー行為に及ぶ物語である。

そうだった、恋愛においてどんなに美しく装っても、節電のために肌を露出したとしても、異性を釣るには出会いの場というのは必須である。恋愛におけるその出会いから別れまでを、古今東西の主に小説を素材にして、読み解く恋バナの紹介から解説をものしたちょっとお洒落な本が、本書である。著者の小倉孝誠氏は、ソルボンヌ大学で博士号を取得した近代フランス文学と文化史を専門とるフランス文学者。フランス文学にはご縁のない私だが、”恋の国フランス”という通説はかの国の先ごろセクハラで訴えられたストロスカーン前国際通貨基金(IMF)専務理事にみる率直な?国民性だけでなく、こうして綿々と語り続けられたフランス文学という背景と支えがあってのこと。好きだ、愛している、言葉に出せば一言で終わる人間の感情が、多くの膨大な書物や音楽、絵画を通して、優雅に、残酷に、喜びや悲しみとともに歌われてきた。それは、恋愛が、(同姓の間でも)普遍的な現象にあるからである。著者によると、愛は本能であり、もっとも自由で自発的な感情であり、時代や社会によってもっとも束縛されない感情になる。そして、愛は経済構造や物質生活の条件は変われども、万人によって評価され理解される感情であり、その点では愛というものの本質は変わらない。

本書の構成は、出会いからはじまり、接近、再会、告白、手紙、誘惑、嫉妬、別れ、そして最終章は死。
一目ぼれというのは理性的にコントロールしなければ、持続した絆に移行しない。
こんな一言にドキッとしたかと思えば、人妻と未婚の青年が近代ブルジョワ階級で発生するのを社会の仕組みで説明している。つまり良家の子女として俗世間から隔離された修道院で育ち、恋愛経験もなく処女のままお見合いで嫁ぐが、無粋な夫との小説とは違う家庭生活に失望する。しかし、結婚によって、彼女たちは親の監視から離れて、読書の娯楽も社交も自由度が増しているため、恋愛市場に参加できるようになる。一方、未婚の青年はそれなりに欲望を満足させる機会や場は用意されているが、恋愛空間という意味での市場に流通する女性は人妻ばかりということになる。
なるほど、バルザックが「結婚の生理学」で
「愛の領域では、女は竪琴のようなものであり、うまく演奏できる者にしかその秘密を明かしてくれない」
というのは、「ボヴァリー夫人」のように、妻に無関心な夫への警句である。
恋というものは、昔から女性にとっては情熱(passion)ととともに受難(passion)な体験でもあった。愛をとりまく環境もまた多様であり、普遍性をもちながらも特定の社会という空間で営まれるという点で、歴史性や文化の産物でもある。それらをわかりやすく解説しながら、恋愛を丁寧にときあかされていく。

*採り上げられた主な作品をコラムで粗筋を紹介されているのが、わかりやすい。

■こんなアーカイヴも
映画『ランジェ侯爵夫人』