【救急外来「軽症者に加算金」拡大、夜間・休日医師の負担軽減】
緊急性がないのに夜間・休日に救急外来を受診する軽症患者から、全額自費の時間外加算金を徴収することを地方厚生局に届け出ている病院が、123施設に上ることが読売新聞の調査で分かった。制度は1992年に始まったが、最近5年間で76施設も増加。このうち最も多かった理由は軽症患者の抑制で、44施設と6割近くに上る。
医師不足などで患者の「たらい回し」が相次いでいるほか、軽症患者が安易に病院に行く「コンビニ受診」が問題になっているが、勤務医の負担を軽減するための“自衛策”が広まりつつある。(08/12/27読売新聞)
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タクシー代わりに気楽に救急車をよぶ族が増えているため、救急車利用料を請求するという現代人のモラルを問う報道があったが、こんどは「コンビニ受診」の自衛策か。10年ほど前の昔、おじいちゃん部長の息子が幼児の娘の発熱で救急車を呼んだところ救命隊員から緊急性がないと諭されたという笑い話しを消防士の従弟にしたことがある。従弟によると発熱で救急車を呼ぶのは構わないが、そのために本当に緊急性のある病人や怪我人が間に合わなくなってしまうのが問題だと指摘していた。
高熱だったら新米パパが気が動転してつい救急車を要請してしまうのもわからなくもないが、これからはペナルティを請求されるかもしれない。けれど、自衛策のつもりのペナルティも、それほど自衛にならないのではないかと疑うのが「行動経済学」の理論である。
「罰することが道徳心を弱らせてしまう。そのわけは、罰することで罪に償いは終わったと思わせるからだ。(中略)そして、罪を取引できる、計算できるものに変えてしまう。」
フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの処罰とモラルの関係性を示したこの言葉を実験した行動経済学者たちがいる。
こどもをあずかるディケア・センターでは、約束した時間にこどもを迎えるにくるルールになっているが、しばしば遅刻する者がいる。そのため、遅刻者を減らすために、遅刻時間に応じた少額の罰金を課すことにしたのだが、なんと遅刻者がこれまでの2倍に増えてしまった。この現象は、罰金が無い場合は、親は遅刻に対して罪悪感を感じて、その感情が遅刻を防いできたのだが、罰金制度ができると「時間をお金で買う」取引の一種と考え、やましさがうすれたために遅刻が逆に増えたと分析される。
今年も年末ジャンボの宝籤を買うために行列で待つ善良なる人々を見かけるが、合理的な経済人だったら宝籤は買わない。体の悪い煙草などもってのほか、コンビニで無駄使いもしないし、まだ乗れる車に飽きたからという理由で新車を買ったりなんてもってのほか、ヴィトンのバッグをいくつももたず、ダイエットにもちゃんと成功する。しかし、少年隊の”あの”東山君を超えるこんな人は現実にはいるわけがない。このような認知や判断に対して完全に合理的な意志決定を行い、自分の物理的利益のみ追求して生きるありえない人物像が合理的経済人。これまでの経済学は、この頭脳にコンピューターが仕組まれていて、矛盾なく常に自分の不変的な趣向にかなった最大の効用をもたらす選択をし、人との関わり方も最大限の効用をもたらすことを計算する”ありえない人間”を前提に発展してきた標準経済学である。
ひるがえって、人は不確実性下では合理的な判断をするとは限らないという前提で経済や金融を捉えようとした行動経済学で2002年度ノーベル経済学賞を受賞したのが、ダニエル・カーネマン。春先の暖かく感じる気温18度を秋では涼しく感じるように、人が変化に反応するプロスペクト理論の創始者でもある。心理学に経済学をあわせ技にしたててにわかに脚光を浴びた行動経済学を一般の人にわかりやすく解説したのが本書である。
たとえばゲームの理論で有名な例がある。当日券50ドルのチケットを会場で買おうとしたら50ドル札を失くしたことに気がついたが、あなたは50ドルをだしてチケットを買うか。或いは、前売り券で50ドル出して買ったコンサートのチケットを紛失してしまったが、50ドルを出して当日券を買うかという問題がある。同じ50ドルの価値あるものを失ったにも関わらず、前のケースではチケットを購入して、後のケースではコンサートをあきらめる人が多い。これは、後のケースでは娯楽費という勘定科目に100ドルを計上することから、娯楽費としては高いとあきらめるが、50ドル札の紛失は勘定科目の収支には影響しないからという理由で説明できる。
このように豊富な実験結果やデーターで、読み進むうちにサブタイトルにあるようにいかに我々は感情で動いているか知らされる。また、私たちは日々生活をしながら無意識のうちに無数の選択と意志決定を行いながら、結局はフレーミング効果から逃れられない。そんな人間の営々とした営みこそは、100年に一度の大暴落を支えなければいけない経済活動につながっているのである。従来の標準経済学を否定するものではなく、新しい発想で考える行動経済学は、ノーベル賞を受賞するに価する独創的な経済学である。しかし、独創的ではありながら、いまだに画期的ではないのがこの分野の今後の課題ではなかろうか。多くの事例が、人間心理がいかに経済学に効用を与えているか示唆しながら、それではそれを発展させて人々の幸福につながる経済学にいまだになしえていない。
デパートやスーパーやコンビニにはあらゆる種類の品物が並び、あまりにも豊富なヴァリエーションのもとに様々な製品が開発されて市場をにぎわしている。こんな飽和状態の選択肢が与えられて、人は最適な選択ができるようでいて、実は逆に消費欲望は衰えてしまっている。著者は、「いまの経済学で絶対に出てこないのが”幸せ”という概念。合理性一辺倒の経済学ですっかりその考えはなくなってしまった。」と、蟹工船より寒い現代の職場を憂えている。国際的な調査で、ある所得水準をこえるとお金よりも健康・人間関係・仕事のおもしろさの方が大事になることが判明した。なにを今さら・・・。一定のお金は健康的で文化的な生活を実現するために必要ではあるが、幸福への切符にはなりえない。東証の大納会は、昨年末から6448円22銭(42.12%)下落し、まるで詐欺横領で逮捕された小室哲哉さん並に過去最大の下落率を記録した8859円56銭で取引を終えた。
今年最後のブログは、自分らしい内容で締めくくりたいと思い出したのが、最近読んだ「行動経済学」だった。自然科学が人類の叡智の軌跡である、芸術や文学が人の心を救い、スポーツが健康と感動もたらすなら、社会科学の女王の経済学はなんのためにあるのだろうか。。。
緊急性がないのに夜間・休日に救急外来を受診する軽症患者から、全額自費の時間外加算金を徴収することを地方厚生局に届け出ている病院が、123施設に上ることが読売新聞の調査で分かった。制度は1992年に始まったが、最近5年間で76施設も増加。このうち最も多かった理由は軽症患者の抑制で、44施設と6割近くに上る。
医師不足などで患者の「たらい回し」が相次いでいるほか、軽症患者が安易に病院に行く「コンビニ受診」が問題になっているが、勤務医の負担を軽減するための“自衛策”が広まりつつある。(08/12/27読売新聞)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a5/a7ec984e6c67f4160293d74a0e011f9e.jpg)
高熱だったら新米パパが気が動転してつい救急車を要請してしまうのもわからなくもないが、これからはペナルティを請求されるかもしれない。けれど、自衛策のつもりのペナルティも、それほど自衛にならないのではないかと疑うのが「行動経済学」の理論である。
「罰することが道徳心を弱らせてしまう。そのわけは、罰することで罪に償いは終わったと思わせるからだ。(中略)そして、罪を取引できる、計算できるものに変えてしまう。」
フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの処罰とモラルの関係性を示したこの言葉を実験した行動経済学者たちがいる。
こどもをあずかるディケア・センターでは、約束した時間にこどもを迎えるにくるルールになっているが、しばしば遅刻する者がいる。そのため、遅刻者を減らすために、遅刻時間に応じた少額の罰金を課すことにしたのだが、なんと遅刻者がこれまでの2倍に増えてしまった。この現象は、罰金が無い場合は、親は遅刻に対して罪悪感を感じて、その感情が遅刻を防いできたのだが、罰金制度ができると「時間をお金で買う」取引の一種と考え、やましさがうすれたために遅刻が逆に増えたと分析される。
今年も年末ジャンボの宝籤を買うために行列で待つ善良なる人々を見かけるが、合理的な経済人だったら宝籤は買わない。体の悪い煙草などもってのほか、コンビニで無駄使いもしないし、まだ乗れる車に飽きたからという理由で新車を買ったりなんてもってのほか、ヴィトンのバッグをいくつももたず、ダイエットにもちゃんと成功する。しかし、少年隊の”あの”東山君を超えるこんな人は現実にはいるわけがない。このような認知や判断に対して完全に合理的な意志決定を行い、自分の物理的利益のみ追求して生きるありえない人物像が合理的経済人。これまでの経済学は、この頭脳にコンピューターが仕組まれていて、矛盾なく常に自分の不変的な趣向にかなった最大の効用をもたらす選択をし、人との関わり方も最大限の効用をもたらすことを計算する”ありえない人間”を前提に発展してきた標準経済学である。
ひるがえって、人は不確実性下では合理的な判断をするとは限らないという前提で経済や金融を捉えようとした行動経済学で2002年度ノーベル経済学賞を受賞したのが、ダニエル・カーネマン。春先の暖かく感じる気温18度を秋では涼しく感じるように、人が変化に反応するプロスペクト理論の創始者でもある。心理学に経済学をあわせ技にしたててにわかに脚光を浴びた行動経済学を一般の人にわかりやすく解説したのが本書である。
たとえばゲームの理論で有名な例がある。当日券50ドルのチケットを会場で買おうとしたら50ドル札を失くしたことに気がついたが、あなたは50ドルをだしてチケットを買うか。或いは、前売り券で50ドル出して買ったコンサートのチケットを紛失してしまったが、50ドルを出して当日券を買うかという問題がある。同じ50ドルの価値あるものを失ったにも関わらず、前のケースではチケットを購入して、後のケースではコンサートをあきらめる人が多い。これは、後のケースでは娯楽費という勘定科目に100ドルを計上することから、娯楽費としては高いとあきらめるが、50ドル札の紛失は勘定科目の収支には影響しないからという理由で説明できる。
このように豊富な実験結果やデーターで、読み進むうちにサブタイトルにあるようにいかに我々は感情で動いているか知らされる。また、私たちは日々生活をしながら無意識のうちに無数の選択と意志決定を行いながら、結局はフレーミング効果から逃れられない。そんな人間の営々とした営みこそは、100年に一度の大暴落を支えなければいけない経済活動につながっているのである。従来の標準経済学を否定するものではなく、新しい発想で考える行動経済学は、ノーベル賞を受賞するに価する独創的な経済学である。しかし、独創的ではありながら、いまだに画期的ではないのがこの分野の今後の課題ではなかろうか。多くの事例が、人間心理がいかに経済学に効用を与えているか示唆しながら、それではそれを発展させて人々の幸福につながる経済学にいまだになしえていない。
デパートやスーパーやコンビニにはあらゆる種類の品物が並び、あまりにも豊富なヴァリエーションのもとに様々な製品が開発されて市場をにぎわしている。こんな飽和状態の選択肢が与えられて、人は最適な選択ができるようでいて、実は逆に消費欲望は衰えてしまっている。著者は、「いまの経済学で絶対に出てこないのが”幸せ”という概念。合理性一辺倒の経済学ですっかりその考えはなくなってしまった。」と、蟹工船より寒い現代の職場を憂えている。国際的な調査で、ある所得水準をこえるとお金よりも健康・人間関係・仕事のおもしろさの方が大事になることが判明した。なにを今さら・・・。一定のお金は健康的で文化的な生活を実現するために必要ではあるが、幸福への切符にはなりえない。東証の大納会は、昨年末から6448円22銭(42.12%)下落し、まるで詐欺横領で逮捕された小室哲哉さん並に過去最大の下落率を記録した8859円56銭で取引を終えた。
今年最後のブログは、自分らしい内容で締めくくりたいと思い出したのが、最近読んだ「行動経済学」だった。自然科学が人類の叡智の軌跡である、芸術や文学が人の心を救い、スポーツが健康と感動もたらすなら、社会科学の女王の経済学はなんのためにあるのだろうか。。。