千の天使がバスケットボールする

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「動的平衡」福岡伸一著

2010-06-05 23:48:11 | Book
精神科医の斎藤環氏が、本書の書評で福岡伸一をまぎれもなく一流のサイエンスライター、「白衣を着た詩人」と評した。座布団1枚!
20世紀は物理の時代だったが、今世紀は生物、中でも分子生物学の時代だと私は思う。注目されているips細胞関連だけでなく、毎日生命科学の新しい発見のニュースに接している。このようなダイナミックな科学の進展に、ともすればインパクトのある記事に好奇心こそかりたてられるが、大きな視野での生命への意味を問うことを忘れがちになってしまう。そんな中で、白衣を着た詩人は静かに語るのが「生命はなぜそこに宿るのか」。

生命、自然、環境をキーワードに請われるまま書いてきた科学エッセイをまとめたのが、本書の「動的平衡」という一般の者にはあまりなじみのないタイトルだが、この動的平衡(dynamic equilibrium)とは、間断なく流れるなかで、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っていて、その流れ自体が「生きている」ことをあらわしている。(名づけ親は米国の研究者、ルドルフ・シェーンハイマー)

本書の成り立ちから、散文的になるのだが、ここでも福岡ハカセ・ワールドの底流にあるのは、科学者でありながら詩人であり、また哲学者のような深い思考である。ところで、門外漢の私でも「ノックアウト・マウス」を用いた実験は、よく新聞記事や科学書で目にする。しかし、このノックアウト・マウスを生みだしたマリオ・カペッキ教授とオリバー・スミシーズ教授がノーベル医学生理学賞を受賞したのは、2007年とつい最近のことだったのだ。あまりにもなじみのあるノックアウト・マウス君たちの存在で彼らの研究成果がわかるのだが、同時にノックアウト・マウス創出の基礎やES細胞樹立に貢献したマーチン・エバンス教授も受賞した。

ご存知のように精子と卵子の出会いは、受精卵を誕生させる。ここで生命という時計が動きはじめ、発生プログラムを進行させ、二細胞、四細胞と細胞分裂を繰り返し、中空のボール構造となった初期胚となり、それぞれの細胞はその核の中に受精卵と同じDNAをもちどんな細胞にでもなりうる万能性(多機能)をもっている。ここから驚きなのだが、それぞれの細胞は将来何になるか知っているわけでもなく、また知らないまま運命づけられているわけでもない。まして細胞群全体と鳥瞰的な視座から見渡し指揮するマエストロがいるわけでもない。格細胞は、やがてある細胞は脳細胞、また別の細胞は筋肉へと”専門化”の道を歩きはじめる。ここで福岡ハカセの文章表現がさえているのだが、細胞を擬人化したストーリーで、お互いに”空気を読み”タンパク質を介した情報交換をして話し合いによってそれぞれの分化に向かって互いに他を律しながら立ち止まることなく分化を進めていく。

それでは、どんな細胞になりうる能力をもつ細胞を一時停止させることができたら、またその時になんらかの処置をしてある方向にプログラムを再開させることができたら、それは長年の研究者たちの夢だった。81年、とうとうエバンス博士は、一旦細胞群をバラバラにしながらもなお生き続ける細胞を見つけ出したのだ。つまり、空気が読めないKYな細胞だが、増え続ける細胞である。そこで膵臓の働きの研究をしていた福岡ハカセは、GP2というタンパク質の機能を調べるために設計図を消去したノックアウト・マウスをつくる。えびす丸1号と名づけられた赤ちゃんマウスは、消化酵素をうまく分泌できない膵臓のために栄養失調になるとの予想とは全く異なり、何事もなく元気に育った。ちゃんと次世代の赤ちゃんも残しているそうだ。最近、資生堂など動物実験を廃止した研究所もあるくらいだが、人類に貢献しそうな歳月と多くの金をかけた研究は、残念なことにこれでは失敗だ。

しかし、ここに生命の本質があるのではないか。

生命とは機械ではない。パーツの単なる組み合わせではない。ハカセが訳した「ヒューマン ボディ ショップ」も原点の一冊になると思われるのだが、機械とは全く異なるダイナミックスさを備え、生命のもつやわらかさ、可変性やバランスが動的な平衡である。福岡伸一の擬人化してわかりやすい巧みなストーリーに仕立てあげ、そこに「ノーベル賞よりも億万長者」のようなウェットな人生の機微をも用意する気配りを忘れない。文章力が際だっているため、科学書がうっかりすると似非科学との境界線が不明瞭になるくらい心配すらある。分子生物学者にして深い考察ができる文章家は感動品質ものだとは言えるだろう。文豪のゲーテも詩人でありながら自然科学者だった。ゲーテは「自然科学と詩歌が一体化しうることを誰もが認めようとしなかった」と嘆いたそうだが、科学を一般人にもわかりやすく橋渡しをしてくれる白衣を着た詩人の登場は我々にとって幸運だ。


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2 コメント

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Unknown (こころとからだな日々)
2013-05-20 03:01:52
福岡正信さんのことを調べていて、こちらに寄せていただきました。「千の天使…」という言葉にも惹かれます。心地よい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。
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心地 (樹衣子*店主)
2013-05-22 22:36:51
返信が遅くなり申し訳ございません。

福岡さんの著書はだいたい読んでおりますが、とてもおもしろいですね。

>心地よい時間を過ごすことができました。

そう感じていただけて嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます。
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