千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「決壊」平野啓一郎著

2009-01-31 17:35:51 | Book
今年も芥川賞受賞者の発表があったばかりだが、いつの頃からかあまり関心がもてなくなってしまった。作品の完成度が高くても、ちょっと韓国映画のようにスケールが小さくてものたりない。そんな中で、平野啓一郎だけは別格。若くして老成とまで言えるほど、熟成した文章がプロ好みというのはこれまでの評価と「葬送」でも証明ずみ。その平野啓一郎が、京都大学在学中の1999年に「日蝕」でデビューしてはや10年。無差別殺人事件を扱った1500枚の大作「決壊」を昨年完成させた。(以下、内容にふれています)

沢野崇は、国会図書館に勤務するエリート調査官。端正なマスクで独身の彼には何人もの恋人がいて”優しい”が、誰とも結婚する気がなく、むしろ結婚そのものを否定している。一方、弟の良介は世間的には適齢期に適当な女性と結婚もして3歳の息子がいる、平凡だが堅実なサラリーマン。2002年10月、京都の三条大橋で犯行声明文つきのバラバラ遺体の”一部”が発見されるのだが、それが数日前に最後に会ってから行方不明になっている弟だったのだ。正確に言えば、猟奇的に殺害された弟の腐りかけた肉体の一部だった。
やがて、警察は犯人像と崇の人物像が一致しているという理由から、崇を拘留して自白を強要するのようになるのだが。。。

崇は本当に実の弟を殺害したのだろうか。

一風ミステリー仕立てにして読者の好奇心と興味本位を煽りながら、難解な哲学のスパイスで気位の高い読書人も満足させる、平野啓一郎は京大の学生というそれだけで脚光をあびる立場で颯爽とデビューした時から、日本を代表する作家への路線を独走していると言ったら褒めすぎだろうか。
これまでも、加害者側の視点、加害者の家族、被害者と被害者の遺族の観点から、フィクション、ノンフィクションの区別なく、この国では犯罪と罪と罰、被害者感情、死刑制度の是非など百花繚乱のごとく読み応えのある小説や作品がうまれてきた。それは、凶悪な犯罪があまりにも多くなった現代の風景と、悪が人間の根源に関わることだからであろうか。けれども、何故、「葬送」で芸術的な作品を書いたこの作家が、すでに何人もの作家たちに踏み荒らされたこの分野で今さら犯罪を扱う作品を、と読むまでは私は思っていた。幸か不幸か、彼の作品に関しては単なるバージョンアップだけでは読者は納得しない。だから、読んでみたい気持ちにもさせられるのではあるが。
「決壊」というタイトルが与えるように、単なる小さな現象をこえて、作家は「人を殺してはならない」という自明の善すら危うい神の不在の現代の混沌を、圧倒するようなスケールで描いた。洗練された文章を書く力量をおさえて読者に投げ出すような荒々しさが成功していて期待にかなう小説だった。

きっかけは小さなブログだった。良介は、優秀な兄へのコンプレックス、仕事がうまくいかない悩み、妻との関係を自分のブログで夜中にこっそり書き綴っていた。妻をとても大切にしているからこそ、妻には打ち明けられない悩み。匿名のネットで開かれた誰にも気づかれないような小さな小さな窓、だからそこに<悪魔>がねらいを定めて侵入してきたのだった。損壊した遺体を早速携帯電話で撮影して知人に送信してあっというまにネットで公表されるばかりか、全裸で残酷に殺されていく良介の画像もまたたちまち掲示板にはられて無数にさらされていく。作品が出版された後、秋葉原無差別殺人が発生するという皮肉なタイムリーでも注目をされた「決壊」。秋葉原殺人事件では、倒れている血まみれの被害者の姿を無言で携帯電話で撮影する不気味な人々の様子も週刊誌で告発されていたが、警察署や事件の現場で報道するアナウンサーの後ろで笑ってサインをする無節操な群集を見ている目からは、驚きながらもやはりそういう時代がきたのだと嘆くばかりである。

冤罪、格差社会、鬱病、円満な家庭を築きながらもセックスレスの良介夫婦と他者とつながれないままセックスだけの関係を女性に求める孤独な崇、いじめられ恥ずかしい写真を撮られ強迫される中学生、そして中学生同士の性交の場面がネットに流出し、最後は無差別殺人が連続していく。<悪魔>と名乗る人物は、無差別殺人の正当化を哲学的に語っていく。どこかで聞いた、見た現代の病巣が広がり、一気に決壊していくラストは、この世の光をすべて失ってしまい暗黒の闇に閉ざされたように衝撃的である。それでも、この腐臭の醸し出すカオスがいつかきた世界、あるいは我々がこれからたどり着く荒廃した世界のような奇妙な現実感をもたらすのは、作家の筆の力であろう。

「神がいない現代の赦しの問題を考えながら書き進める中で、和解のビジョンが見える度、僕は犯罪被害者の家族が犯罪者を赦すのはそんなに単純なことではないと思い、ハッピーエンドへの道筋は見えなかった。理解不能の他者の出現に社会が呆然としている時、やっぱり文学は、一番難しい問題に取り組むべきじゃないか」

本書はそう語る作家の前作「顔のない裸体たち」のいきつく最終章。「ストイシズムとは、たったひとつの秘蹟しかない宗教」とボードレールの言葉を引用したのは、崇の友人だった。物語は良介が帰省する場面からはじまる。山陽本線で人身事故があり、酷暑の中でホームで待たされることになった良介と妻と息子。三島由紀夫のように最後までカッチリ決めて書くタイプの作家らしく、冒頭の描写は最後につながっていく。もはや人身事故もうんざりとするありふれた日常の情景となってしまったのだが。

■アーカイブ
「顔のない裸体たち」
「ウェブ進化論」梅田望夫×平野啓一郎

チェコのこんな音楽家たち

2009-01-28 23:05:28 | Classic
『英国王 給仕人に乾杯!』は、主人公のヤンの小さな体を通して、大国に翻弄される小さな小さな国チェコを哀しくも滑稽に描いていた。
そんなチェコ人の気質を、音楽事務所のジャパン・アーツを設立した中藤泰雄さんは、他の人の気持ちを思いやる心があり日本人と通じるところがあると著書の「音楽を仕事にして」で書いている。そして彼らの人を思いやる深い気持ちは、長きに渡ってさまざまな国に占領されたり支配されることに耐えてきたチェコの歴史的背景からくると感じている。実際、この映画の監督であるイジー・メンツェルは、1968年にソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍による軍事介入「チェコ事件」で弾圧を受け、7年間も映画の撮影を許されなかった。それゆえ、1969年に制作された『つながれたヒバリ』は公開禁止となり、共産主義体制が崩壊した後1990年に公開されて、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞している。そういう国だったのだ。

そんなチェコのチェリストに、ブラダン・コチという男がいる。読売新聞に長野県諏訪中央病院長である鎌田博實の連載記事「見放さない」で紹介されていたのだが、彼もまたチェコの悲劇を体現した。
1988年、彼はチェコスロバキアの共産主義時代、兵役を拒否して2回も監獄に入れられた経験をもつ。国家にそむいたばかりか、その体制に弓をひいた事で多くの友人が去って行った。しかも、もう一生、音楽をさせないとも言われた。音楽家にとってこれは相当きつい仕打ちだと思えるのだが、彼は決してぶれずに自分の意志を貫いた。

「人を殺すための軍隊には入りたくないと思った。かつてこの国の軍隊は1968年『プラハの春』という民主化運動が起きたとき、自由を求める若者達に銃を向けた。そんな軍隊に入る気にはなれなかった」

もっともな理由ではあるが、全体主義の当時のチェコで最後までぶれずに抵抗した彼を、私はやはり鎌田さんと同様に「すごい男」だと思う。
そして、もうひとつ同じくチェコの音楽家たちの今度はなかなか粋な話。
ジャパン・アーツの中藤さんが銀行員から転進して、1971年に株式会社日本電波ニュース社に入社して、新規事業部として音楽マネジメントをたちあげたときの話である。
幸運にもスメタナ・カルテットを招聘することができ、一流の音楽家を呼ぶのだからとホテル・オークラに部屋をとったのだが、「こんな豪華なホテルではなく、どこか他のホテルに変わったらどうだだろう」と提案されたのだ。彼らは自分たちのステータスにこだわらずに、あまり経験のない事業部の懐具合を心配して、息の長い仕事をするためにはお金をよく考えて使って欲しかったそうだ。そればかりではなく、チェコスロバキアの優れた演奏家宛てに日本電波ニュースを一生懸命仕事をしている信頼のおける会社と紹介したり、逸材の新人を見つけるといちはやくおさえるように教えてくれた。そのおかげで新規事業部は一気に発展していった。そして何よりもうらやましいのが、公演中の彼らによる夜中まで続く音楽講義である。音楽に関しては素人の中藤さんに「ヤナーチェクの『内緒の手紙』は60歳の作曲家が20代の人妻に恋をした時に愛と嫉妬がテーマ」と実際にヴィオラで嫉妬を表現している部分を演奏するなど、音楽の中に人間の物語を見つけることに気がつかせた。中藤さんは音楽マネジメントの経験のなかった自分たちにとって、スメタナ・カルテットとの出会いは天から贈物だったと語っている。

ブラダン・コチさんは今ではプラハ音楽院の教授となり世界中で演奏活動するかたわら、遠い日本の地方の病院で、ボランティアのロビー・コンサートも行っている。

「私は人を愛したかった」

コチさんの音楽はどのように歌うのだろうか。
3月13日に津田ホールでチャリティ・コンサートが行われるそうだ。

「大使たち」ハンス・ホルバイン 『美の巨人たち』より

2009-01-25 21:41:48 | Art
ハンス・ホルバインのフランスの使節として渡英したダントヴィユと、彼の友人でラヴール司教のジョルジュ・ド・セルヴを描いた「大使たち」。肖像画家としてトップに登りつめたハンスの、円熟期の絵画としても名高い。繊細で緻密な描写で天才の名にふさわしい素晴らしいタッチなのだが、最も印象に残るのが肝心な”大使たち”よりも中央に描かれた髑髏トロンプ=ルイユである。この絵は、16世紀イングランドの国王、ヘンリー8世の命令によって描かれた作品である。昨日の「美の巨人たち」は、この1枚の絵にこめられた秘密にせまった。

ハンス・ホルバインは、1497年、南ドイツのアウブスブルグに生まれた。父、兄ともに歴史に名を残す画家であり、若い頃からハンスも宗教絵画なので優れた画家としての頭角を現していた。しかし、おりからの宗教改革によってこれまでの教会用の絵画の需要が減ることを懸念したハンスは、妻子を養うためにもトマス・モアをたよりに、新天地・英国に渡ることになった。優れたデッサン力と着衣や髪の質感や道具立ての繊細な描きかた、そして何よりも単なる肖像画をこえてその人の人間性まで描くハンスは、1536年、英国王のヘンシー8世により宮廷画家に迎えられる。画家としては最高の地位にのぼりつめたのだが、従がえた王は歴史上最悪の残忍非情な王だった。

王は、映画『ブーリン家の姉妹』にあるようにアンと結婚するために、ローマ教会と対立してイギリス国教会のもとに最初の后と離婚した。しかし、そこまでして愛情をそそぎ、後にエリザベス女王となる娘を産んだアンさえも処刑した。王の絶大な信頼をえながらも、自分のパトロンだった恩人、トマス・モアさえも処刑された事態を知り、異国からやってきたハンスの心はいかばかりだろうか。そしてこの「大使たち」。

この絵は単なる肖像画ではなく、さまざまな画家の意図がこめられた寓意画である。
たとえば、ふたりが出会った日にち4月1日がわかるようになっている。また、楽譜は宗教音楽でローマ教会と英国教会の融合を意図し、それにも関わらず壊れかけたリュートが、両派の対立を示している。算術書は、割り算で”割る”というマイナスのイメージを残している。左の隅にわずかに開かれたカーテンからは、磔刑となったキリストがのぞいている。大使たちの若々しくりっぱな風貌と、ふさわしくない小道具だが、最も強烈なのがやはり髑髏だろう。正面からでは何を描いているのはわからないこの髑髏だが、部屋にかけた絵画の横をすりぬける時、はっきりと髑髏が見えてくる。

ハンス・ホルバインの絵画には、画家の冷静な目を感じる。磔刑されたキリストを描いても、そこには復活がありえない絶対の死が横たわる。なんと醒めた視点からのリアリズムであろうか。ヘンリー8世は、待望の男児を産んだばかりの3人目の妻を亡くした。早速次のお后を選ぶために、ハンスは王の任命により外国のお后候補の姫たちの肖像画を見合写真がわりに描いた。王がもっとも気に入ったのは、楚々とした美人の「アンナ・フォン・クレーフェの肖像」だった。彼女を4番めの后と迎えたのだが王の想像とは違っていたために、「フランドルの太った雌馬」と彼女を嫌いわずか6ヶ月で離婚した。この1件で、すっかり王の不興をかったハンスは処刑こそまぬがれたものの、その後めだった活躍をせずに、1543年にペストでロンドンでその生涯を閉じた。

絶対的な権力者になすがままに絵筆をとらされたハンス・ホルバイン。異国の地で散った、天才画家の胸中をしのぶ。
描かれた肖像画をよぎる時、髑髏は語る。「メメント・モリ 死を想え」と。

「着倒れ方丈記」文・写真 都築響一

2009-01-24 16:09:02 | Book
某高級ブランドの直営店に1年に一度おでましになり、100万円ぐらいのお買物をされるご夫婦がいる。日頃は贅沢をされずに、質素で堅実な平均的サラリーマンの生活ながら、それなりの財力と自宅、収入があるので、それもご夫婦のライフスタイルのこだわりだと考えられる。
ところが、全然お金持ちではなく庶民的というよりはむしろ少し貧しいかもしれない層をターゲットに、狭い部屋に住みながら、自分がほれたブランドの洋服を買いまくるフリークな人々の集合体が本書である。写真家で編集者の都築響一氏が「流行通信」に7年にわたり連載された、国内外の82ブランドと85人の”着倒れ”方の生態の結集である。狭い部屋という彼らの生活の生々しさを最も感じられる空間に、膨大な服が並ぶさまは、住人の不思議な偏愛で純な愛を感じさせるエネルギーに私は圧倒されたのである。

当然、限られた収入の中から被服費を捻出するのだから、それなりの覚悟と犠牲が伴う。エルメス男は、50万円の通勤カバンで特許事務所に勤務しながら、築30年の代々木八幡のアパートに住む。このアパートには風呂はない。今時、風呂なしのアパートがあるのか!すっかりひにやけた畳に小さな扇風機(エアコンもなさそうだ)とエルメスのオレンジの箱がなんともミス・マッチ。でもエルメスのシャツは、ちゃんと手洗いをして室内乾燥している。身体にあう服はあるけれど、自分にあう服はこれしかないと言い切るクリストファー・ネメス男は、16年間もの長い愛をそそぐ。何しろ今のアパートに引っ越した時も服が多すぎて収納できずに、ネメスの店の人に手伝ったもらったという強者。風合いが変わるのがイヤなので、洗濯もクリーニングにもださない。古くなっても、古着屋にはださない。何故ならば、「それは心を売ることと同じだから」。。。
その他にもコレクション発表時には、なじみの店員を通じて60万円ほどのお買物をしたコムデギャルソン男。家一軒分はつぎこんだゴルチエ妻。日本には入らない靴を求めて海外からもお取寄せするグッチ男。いつのまにかデザイナー本人と知り合いになり、「おもしろい生地が見つかったから君にスーツを仕立ててあげたよ」と電話がかかってくるトキト男。ポール・スミスに入社したが留学のために退社。帰国後、再就職活動をしていたところ、ロンドンのポール・スミス本人から「あいつを使え」と手紙が届き復帰した夫。(妻も同ブランドのファン)いずれも、そのデザイナーへの情熱ぶりと愛情のそそぎ方はハンパじゃない。

そんなけなげな彼らに世間の反応は予想どおり冷たい。勤務先でこの写真集の話しをしても、まわりはとまどうばかりで「そんなのヘン」とばかりに批判的。本来ブランドものは、それを身につけるクラス(階級)の人々がさりげなく身に付けるものであり、その価値もわからないでとにかくヴィトンのバックをもっている日本の庶民のおばちゃんや女子高校生は軽蔑される。それはわかっている。しかし、彼らはそのブランドのコンセプト、価値、個性と美を充分に理解している。むしろ財力がないのに喜んで犠牲を伴いながらひたすら買う彼らは、なんの打算もなく献身的にブランドに奉仕しているとも言える。その心情を思うと、もし自分がそのデザイナーだったら感動すら覚えるだろう。

しかし、そんな彼らに世間以上に冷たいブランドもある。著者によるとこの連載をはじめたら、露骨に文句を言われて「こういうのは自分たちのイメージではない」と、時には書面で抗議を受けたこともあるそうだ。広告や雑誌にあるように整然とした広い部屋で、リッチなモデルのような人たちにお買い上げしていただきたいとしても、彼らもブランドにりっぱに貢献しているのだから、ここは「流行通信」にも関わらず、流行よりも普遍的な愛に奉仕する彼らをオトナ的に受け入れて欲しい。外国の美術館で開催された「HAPPY VICTIMS」の展覧会は、現地のマスコミからも好評とのことだ。

ご登場されたこだわりのマニアは、もともとお洋服大好きで服飾系の専門学校を卒業して、一般サラリーマンと違う時間帯に働く人が多い。「そんなに買って、着れるのか!」という帯が笑えるのだが、彼らはもともと蒐集癖があるのだろう、実際に着ることよりも所有すること眺めることでも満足をする。買物依存症と違うのは、そのブランドのすみずみまでチェックして納得して購入する確信犯。フランチェスコ・クレメンテの絵画と同じくらいに好きで、日常的なイザベル・マランの服を着る女。むしろ彼らは、一般の人よりも美意識が強い人種であり、ほれるのは超ストイックなヨウジヤマモトなどや、逆に過剰なまでに個性的なブランドの両極端に見受けられる。平均的なブランドは、アニエス・ベーかナイキぐらいだろうか。扱いは丁寧で、夜着た服のお手入れをしてから就寝する几帳面な方も。そして愛がうつり、他のブランドに突然キターーッとなる可能性はあっても浮気はしないし二又をかけない純情派。だから古着になって価値があがっても、絶対にやっちゃいけないことだからと売ることはしない本物だ。

豊饒と、逆に豊饒がゆえに失われた部分と相反するこんな世界も、現代日本の風景である。見開き2ページで、右に被写体(服とご本人がいない場合も)が写る写真と、左に編集者のコメントと部屋の主の簡単な一日のスケジュール。予想外に楽しい写真集で、じっくり眺めつつ登場人物の多様な思い入れが熱い。あっぱれ!、着倒れだった。

■こんな着倒れ方をする人も
「着るものがない!」中野香織著

エルメスのエコ・バックは960ドル~環境コンシャスもファッション

2009-01-23 23:01:33 | Nonsense
2009年1月20日、米国初の黒人大統領として歴史にその名を刻むバラク・オバマ新大統領の就任式が行われた。世界中が注目する名演説家のオバマ氏は「成長のため新しい基盤を作らねばならない」と公共投資を代替エネルギー開発などに重点配分する「グリーン・ニューディール」で、環境・エネルギー問題への対応と400万人雇用の創出を打ち出した。とにかく、エコ。米国でもエコ。エコは、これからのキーワードだ。

ところで女性にとって身近なエコと言えば、スーパーで配布されるレジ袋を断り、持参のバックに買物を入れることだろうか。
パリでも同様で、2010年までにはフランス全土で禁止される。厳しいが、ある意味ではこの方法もよいかもしれないのがアイルランド。プラスチック袋には税金がかかり、英国では買物袋を持参すればちょっとした割引きを受けられるというプチ経済的制裁やメリットを打ち出している。このような運動はむしろこれまでは欧州がリードしていて、米国ではマイ・バック持参は従来ファーマーズ・マーケットか健康食品店の客にしか見られなかったのだが、昨年秋、米国のサンフランシスコ市では、大手スーパーを対象に分解されないプラスチック製レジ袋の配布を禁止し、各地でも同様の条例案が提出された。カルフォルニアだけでも、年間190億枚ものプラスチック袋がごみとなっていることから、環境保護意識が高まるにつれ資源節約が期待される。

そんな風潮を後押しするかのように高級ブランドが、エコ・バックを販売するようになった。
昨年秋のロンドン・タイムスによると、エルメスのシルク製トートバッグ「シルキーポップ」は960ドル!マルニの新しい買い物用トートは843ドル。6月にはステラ・マッカートニーから、オーガニックコットンのバッグ(495ドル)が販売されると言う。そう言えば、一昨年の秋に2万円程度のアニヤ・ハインドマーチが日本で初めて発売された時は、前夜から泊まりこみの長蛇の買物客が殺到してニュースにもなっていた記憶がある。当時、このエコ・バックがこれほど人気が殺到したのはマドンナやキーラ・ナイトレイなどのセレブな人種が使用していたという理由もある。ま、要するに有名人が愛用しているルイ・ヴィトンのバックを見て欲しいと思うのとかわらない。たまたまおしゃれに感じるバックがエコ・バックだったという流行感覚だ。しかも、2万円はヴィトンより手頃な値段。あの騒動からほぼ1年半。あの大人気だったエコ・バックはどうなったのだろうか、最近は全然見かけないと思っていたところ、今度はエルメスでもとうとうエコ・バック販売。
しかし、さすがはエルメス。素材はシルクで柄は好みがあるかと思うが、折りたたむと皮のお財布のようになりチャックでコンパクトに締めることもでき、しかも皮の部分がバックの底になるデザイン。お値段はちっともエコではないが、よくできていると感心する。

マイ・箸を持参してエコを自慢しながら、他のところで実は普通の人よりもずっと資源の無駄遣いをしている芸能人を、正直底が浅い奴・・・と軽蔑していたが、むしろ高級なエコ・バックを買うことは経済活性化になるかもしれないと考えている。

但し、オバマ氏は就任演説でこんなことも訴えている。
「豊かな者のみを優遇する国は長く繁栄することはできない」

ところで、私のエコ・バックは1000円だが、けっこうおしゃれ。まだ一度も使ったことがないのが、自慢?しかも景品やらいただきもので気がついたらいくつも持っていた!

■エコバックを買うよりこの本を読もう!
「ほんとうの環境問題」池田清彦×養老猛司

手作りのお菓子は迷惑?

2009-01-22 22:48:16 | Nonsense
「高校生の息子は、私が友人からいただいた手製のお菓子を『手作りは嫌』と言って食べません。これって普通?」
             -30代主婦より

読売新聞のサイトにさまざまなテーマでトビをたてて、不特定多数の人の意見を聞いたり、議論する場「発言小町」があるのだが、そこで最近話題になったのが、「お手製のお菓子」を歓迎するか敬遠するかである。正直、これまで”お手製は心がこもっていいるから一番いい”神話に呪縛されていた私としては、お手製そのものをいただく立場として敬遠する派がいることに少なからぬショックを受けた。男であろうと女であろうと生まれついた性別とは関係なく、人それぞれ好きなことや興味の対象が異なるのに、これまでお手製のお菓子を焼いたり、料理上手、こども好き、家庭的というキーワードで「女」のランク付けをされてきたことに(当然、私は圏外!笑)、密かに反旗を翻したいとずーーーっと思っていたのに。しかも、手作り派歓迎はわずか3割強で、敬遠派の方が多数を占めている。世の中いつのまにか変わっている!?

手作りはノーサンキューの理由として、「褒めなきゃいけないのが面倒」「衛生面が不安」ときた。そんな理由かいな。1年中おなかをすかしている私に、わざわざ桜の葉を塩漬けしてお手製の桜餅を作ってくれる年上の友人は、決して褒めてもらうことを期待しているわけではない。高校時代、クラブ活動のかわりに家業の農作業を手伝ってきた彼女にしてみれば、桜餅をつくることはごく日常生活の一部で特別なことではない。甘いもの好きで自分も食べたいから、たくさんつくっているだけと言ってくれるので、遠慮や余計な気使い、お返しなどが不要なのがありがたい。敬遠派の方の多くは、諸々精神的負担を感じてしまうそうだが、好きでもない女の子から手編みのマフラーをいただいたらドンビケだろうが、そこまで負担になるのだろうか。

そして、マナーとしてお礼は言うが、また作ってねとは言わない自衛策も。お礼が心のこもっていない単なるマナーなんだ。確かに、インテリアに凝る人にとっては、例えただでも「銀ダコ」の卓上カレンダーはNGというのはありだし、空腹を満たすためのお菓子ではないのだから、お口にあわないお菓子をいただいても困るかもしれない。しかし、「清潔感が大事。外食も入りたい店と遠慮したい店がある」「仲の良さに関わらず、部屋が汚い人の手作りは嫌」というのもなかなか厳しいご意見かと。。。

学生時代、狭い汚い居酒屋で安酒を呑んでいた私としては、むしろそこまで言ったら世の中世知辛いぞと感じてしまう。それに、一見、清潔そうに見えるお店でも、食材自体が本当に清潔なところで作られたかどうかも別な次元で不明ではないだろうか。そこまで神経質になったら、選択肢が狭まり人生楽しみが減るのではと余計な心配もする。一時、栗原はるみさんがブームになった時、その現象が全然理解できなかった私ではあるが、ここは従来どおり手作りを歓迎したい。お願いしまっす。だって、自分ではつくる気ないし、つくれないも~ん。

「脱DNA宣言」武村政春著

2009-01-21 23:09:00 | Book
最近、よく見かける言葉に「企業DNA」や「ものづくりのDNA」なるものがある。それから我が国の3期続いたダメな2世・縁故あり総理大臣も、もう少しまともだったらさしずめ「政治家としてのDNA」うんぬんなる好評価もついたかもしれない。本来、生物学用語だったDNAは、このように文化の聖像(イコン)としてすっかり定着してしまっているようだ。そんな華やかに活躍する「DNA」の文字に隠れて、まるで隠遁生活をおくっているようなのがRNA。私の中の認識では、DNAがさしずめシンデレラ姫だとしたら、RNAはかぼちゃの馬車か、着物の裾を尻にはしより走る飛脚便ぐらいの地味でマイナーな存在だった。ところが、近頃にわかに下克上のように、その存在価値と地位をいっきに高めているのがこの「RNA」である。

そもそものおさらいだが、RNAの御三家と言えば次のようになる。
①メッセンジャーRNA(mRNA)
②トランスファーRNA(tRNA)
③リボソームRNA(rRNA)

これまでは、DNAの遺伝情報(塩基配列)をRNAが転写して(①)、それをもとにたんぱく質が合成されていた(②~③)。ところが、RNAはDNAから写し取った情報をきっちりコピーなんかしない。無駄な部分を切り取ったり新たに書き込みなどの編集をしたりと、”さすが”RNAと感嘆するくらいの活躍ぶりなのである。DNAうを頭が固い年寄りとすると、RNAは融通の利くフレッシュマン。DNAが遺伝子の設計図であることに間違いないが、RNAの役割はある時はコピーであり、また材料の配送業者であるし、さらに工場のラインのもとであり、その働きぶりは変幻自在、多種多様の色彩ぶりである。

ここで著者をはじめとして近年盛り上がる大胆な仮説が、遺伝子の中心はDNAではなく実はRNAだった!
そもそもはるか昔はRNAの世界であり、RNAゲノムが次世代への遺伝情報の役割を担っていた。ところが、このRNA君、実はちょっと繊細で不安定な難点がある。賢いけれどもね。そこで、何らかの理由で途中から出現した丈夫で壊れにくい安定したDNAゲノムに、複製、つまり遺伝子の維持のお仕事をしてもらうことになった。要するにDNAは、データーRNAのバックアップ用のCD-ROMのような存在だというのだ。

アインシュタインは、常識は10代までに身についた偏見のコレクションと言ったそうだが、これまでの常識、DNA神話を疑う天邪鬼精神は研究活動における大事な資質だと私は思う。何かと生命現象にくりこまれたDNAを意識して、不図、自分の才能のなさの影を凡人の両親に見て納得する?(あきらめる)時があるが、DNAは絶対の存在ではなかったのだから、これまでの概念は意味をなさないことになる。便利に使えて一見かっこよさげなDNAという単語も単なるRNAのバックアップ用のコピー、DNAの存在状態すらもRNAが決めているとしたら、すでにちょい流行遅れかもしれないぞ。分子生物学の分野では、RNAの復権に向けて「RNAルネッサンス」とも呼ばれるくらいRNA研究に勢いづいているそうだ。しかし、RNAに関してはまだまだ未知数がいっぱい。ということは、今後驚くべき新発見も可能かもしれない。そして、今世紀は生命科学が政治課題としての重要になることもあわせて、むしろ私は本書を読んでこれからは「RNA宣言」!

(ちなみに、科学において本来なら擬人化したような表現は誤解を招きやすいと感じているが、著者の執筆の動機を理解すれば、それもわかりやすい解説として受け入れようと考えている。)

■おさらいアーカイブ
「タンパク質の一生」永田和宏著

「パーネ・アモーレ」田丸公美子著

2009-01-19 22:45:41 | Book
シモネッタの西の女王、田丸公美子さんの文字どおり”処女作”が、パンと恋を意味するタイトル「パーネ・アモーレ」の本書である。ここで、通常だったら処女作と書くにあたり格別な趣を感じないのだが、何しろ著者が田丸さんになるといやでも清純派の私の脳内でエロ・パワーが充満するという次第である。

さて、田丸さんの職業はイタリア語の通訳業。かのシモネッタの東の女王というよりも、東太后の米原万里さまが、「不実な美女か貞淑な醜女か」で通訳=売春婦論なる(←そんなこと言っちゃっていいのか!)持論を唱えていたのだが、著者によると通訳者も顧客の言語によって多少性格がわかれるようである。ロシア語が暗くて頑固、すぐ請求書がくるのに比較し、フランス語は驕りやで理屈っぽく、英語は実用一点ばりで帝国主義的、そして服装が派手で性格が軽薄なのが、イタリア言語圏だそうだ。服装の派手さは、田丸さんが常々万里東太后から男選びと同様、趣味が悪いとけなされていることからも証明できるが、性格のあ・かるさはこんな楽しい1冊に実を結んだともいえる。

ローマ法王のクリスマス・メッセージを、本番の20分前に突然依頼されて通訳することになった夜、ファション・デザイナーの通訳をする時は必ずその方のデザインをした服もしくはバックなどを身につけたり、イタリア男性のあのてこのての誘惑から貞操を守るスリリングな体験など、余人にはなかなか想像できないサービスを提供する側の苦労と笑い話しは、やっぱりおもしろいのである。イタリア語の通訳者は、勿論田丸さんだけではない。新顔からベテランまで、相当数いると思われる通訳者から選ばれて執筆の依頼をされたのも納得の表現力とパフォーマンス!そして、一介の通訳を通して人生に笑いと光と影の奥行きをもたらすのもご本人の人間味に関わることだ。

ある日のこと。田丸さんは、地味なグレーのスーツを着て高級店でおみやげを買っていると、人品骨柄いやしからぬ紳士に「50万リラで私と寝てください」と声をかけられたそうだ。当時、社長秘書の給料1か月分のお値段をつけられた彼女は、初めてのお誘いにショックを受けた。その3ヶ月後、ミラノで高級靴ショップのウィンドーを眺めていたら、今度は「20万リラ」とささやかれて交渉された。わずか、3ヶ月でのこの価格の下落!もうすでに賞味期限キレか?しかし、その日の装いが胸元のあいたミニの赤いワンピースだったことから、田丸さんは”服装は地味できちんとしている方が高値で売れる”という教訓をえた。そうだったのか!でも、その男性心理もとてもよくわかる。ハードルが高そうな方が希少価値がありお値段も高いのか。

「誰でも初めての瞬間がくる。初めて女になる時、初めて女を売る時、初めて男に払う時」
こんなジョークに爆笑できるか、眉をひそめるかで田丸ファンになれるかどうかの分水嶺。
やがて、女の値段の相関関係を知った田丸さんは、或る日小走りに田原町の駅前で止めたタクシーに乗るやいなや「吉原ですね」と運転手になれなれしく声をかけられた。女性としてショックを受けても彼女は立ち直りが早い。いかにも高級そうなソープランドの前で車を止めで降りた彼女は運転手に声をかけた。
「あけみって言うの。指名してね。サービスするわ」
「ほんと、うわあ、嬉しいな。今日にでもあがったら行くよ」
客を勝手に誤解した罰として、その運転手はけっこうな散財をして罪をつぐなうハメになったであろう。お気の毒さま・・・。
ところで、この時のあけみ、いや田丸さんの服装はシルバーフォックスの毛皮をまとってハイ・ヒール。派手目の化粧とこの服装だったら、誰もがあ(え)っちのサービス業と誤解を受けやすいのか?私はたとえ通訳=売春婦といえども、運転手が間違えてしまった決定打は、むしろ彼女ご自慢の豊かな胸にあると感じているのだが。(爆)

■シモネッタ女王のアーカイブ
「シモネッタのデカメロン」

「指揮台の神々」ルーペルト・シェトレ著

2009-01-18 16:29:10 | Book
バロック時代のこと。音楽家のリュリは、指揮をする指揮棒を誤って自分の足に突き刺してしまった。その怪我に苦しむリュリに医師は切断をすすめるのだが、彼は「王(ルイ14世)と踊った脚は切れない」と拒み、息をひきとった。生涯に渡り自分に愛情を捧げた音楽家の訃報を知ったルイは、ベルサイユ宮殿で「今夜は音楽が聴こえない」とつぶやいた。

・・・国王ルイ14世を輝かせるために、生涯に渡り3000曲以上ものの舞踏曲を作曲したリュリは、作曲家であると同時に現代風に言えば指揮者も兼務していたと言えよう。元祖、指揮者はなんてことない単なる音頭とり、と交通整理係りだったのだ。ところが、楽譜が複雑になりオーケストラがふくらむにつれ、単なる音頭とり以上の能力が楽長に求められるに伴い、指揮者の権威と大衆からの脚光は肥大化していった。本来は、詩を朗読する俳優や名画を模写する画家とさしてかわらない芸術の再現者なのに、自分自身が限りなく芸術的になり作曲家をおしのけて聴衆のご愛顧を賜っている指揮者。そんな指揮者の在り方にウィーン国立歌劇場などで活躍する現役チェリストの著者がハンス・フォン・ビューローから、ハンス・リヒター、アルトゥール・ニキシュ—、グスタフ・マーラー、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ハンス・クナッパーツブッシュ、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインからサー・サイモン・ラトルまで13人の指揮者を俎上に料理したのが本書。(おそらく音楽ファンだったら、名前をあげなくても表紙の顔を見ただけで著者がしぼりこんだ指揮者がわかると思われる。)

久々にページをめくるのが惜しいような充実感!いずれも永世星として輝く巨匠のマエストロ群。ところが、彼らがくりひろげる人間ドラマはとんでもなくディープで濃いのである。ワーグナーに妻を寝取られたビューローがいるかと思えば、カリスマ的なイケ面で当時の高名な指揮者の妻と愛人関係になったために演奏会でくだんの指揮者に鞭で打たれたつわものもいる。哀れ、この色男クレンペラーは腫瘍の摘出手術の後遺症のため、本物の色情狂になってしまい奇行をくりかえすようになる。しかし、こんなシモネタはほんの余興。著者流の毒舌は、あくまでも品のよいユーモラスを失わずに知的に指揮者の人間性にまでせまる。おまけに、ひとたび音楽に関わることとなると尋常ではないふるまいをするのも彼らである。世間的な良識など、指揮棒の前にはなんの意味もない。ベルリン・フィルの指揮台をめぐって繰り広げられる不倶戴天の敵を追いやる謀略や駆け引きなど、その劇的な人柄に彩どられた彼らひとりひとりの生涯が、まったく自分が映画監督だったら充分1本の映画にしたいくらいにあまりにもドラマティックである。

指揮者という存在は、著者によるとビューローの活躍と影響によって単なる音頭とりから楽譜が聴衆に近づける作曲家と同格の「再創造者」の地位を得て、この特殊な職業はニキシュ以降、本来の意味を失い、音楽作品よりも指揮者に聴衆の関心がうつった。偉大な指揮者がいるというそれだけで、オケの響きを変えたクレンペラーの登場をまつまでもなかった。そんな指揮者がお金になる木になれば、そこに商業主義がいつのまにやらはびこるのも世の流れ。フルトヴェングラーが詩人で夢想家に対し、数学者で技術者とウィーンの批評家ヴィクトル・ライマンにたとえられたカラヤンは、多数の録音によってオケマンに音楽に専念できる環境を整えるだけでなく自らも巨万の富を築き名実ともの帝王とよばれた。個別の指揮者の音楽をとらえるのだったらもっと専門的な本がいくらでもあるだろうが、本書の特徴は単なる指揮者の人物像紹介にとどまらず、指揮者を側面にクラシック音楽の近代史となり、また音楽そのもののゆくえを考えるきっかけともなる。過去の音楽だけで演奏会を最初に催したのは、かのフェーリクス・メンデルスゾーンだった。それでも才能のある作曲家は、オリジナルのままではなく曲を編曲したりして新装して披露したそうだ。やがて職業指揮者の台頭によって、自分の作曲を披露するかわりに過去の作品の解釈が前面にでることで、新しい時代の作品は次第に演奏会場から姿を消していった。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、、、あまたの偉大なる作家のすぐれた曲が、最高クラスの音響設備にハコの中で毎晩の如く演奏される東京。優れたオケや有名な指揮者の参加する音楽祭の演奏会を訪れる聴衆は、純粋に芸術を享受する喜びよりも自分の裕福さへの自己満足への鏡像を求めているという著者の指摘に反論できない。このような単純な音楽祭の巡礼者は、保養かわりに耳に心地よくメロディの美しい音楽を求めて高額なチケット代を払う。

そこで、颯爽と登場したのがリバプール人のサイモン・ラトル。彼はCD市場が飽和状態であり、クラシック音楽業界が衰退期に入っていることをよく理解している。近年、積極的にベルリン・フィルが映画に出演したり映画音楽を演奏したりと新しい風を感じさせるのもラトル効果であろうか。本書をお薦めいただいたcalafさまに感謝。音楽ファンだったらとても興味深く読むだけでなく、内容がとても充実しているので、必見の1冊だった。文庫化されたら、必ず買うのに。。。

さてさて、もし叶うのであればどうしても、一度生で演奏を聴きたい指揮者がいる。
意中のそのお方はバイエルン訛りで、言いたい放題。ウィーン歌劇場で最高の指揮者にも関わらず、芸術上の信念と熱狂的な民族主義についていけず総統をコケにして、第三帝国の公職から追放されてしまったという戦歴もある。生命の危機にある楽団員の面倒もよくみた。歌劇団が財政的に厳しい時は、自ら賃金カットを申し入れ。(まったく推定年棒数億円を噂される日産やソニーのCEOに聞かせてやりたい。)彼のやり方は痛快である。彼ほど絶対的な権威をもちながら、彼ほど謙虚な光を放つ指揮者はいない。抜群の記憶力をもちながらそれを誇示することを嫌い、これみよがしに楽譜なしに指揮台にたった指揮者に「おれは君と違って楽譜を読めるんだよ」と声をかけたという。楽員を同僚のように扱い、演奏旅行の際には、どうしても楽員たちとトランプをやりたいときかず、忙しい彼らのために列車乗務のボーイ役をこなし、車室から車室を渡り歩きそのたびにワインを1本ずつおごる。酒豪で多彩な罵り言葉を駆使しながら、いつもつばの広いフェルト帽に散歩用のステッキ、襟には白いくちなしの花。繊細な思いやりとやさしさを内に秘め、万事控えめな本物の粋な紳士。それは、ハンス・クナッパーツブッシュ。
彼ほど聴衆に愛された指揮者はいない。

■アーカイブのB面も!
「舞台裏の神々」

『醜聞』(すきゃんだる)

2009-01-17 16:35:18 | Movie
終戦後、大衆向けの娯楽として「カストリ」雑誌なる粗雑な雑誌が次々と出版されたそうだ。
娯楽といっても、内容が性風俗、猟奇的事件などのグロテスクな興味本位で無責任な記事が中心で、紙質の粗雑さそのもののお粗末な内容でその殆どが3号で廃刊した短命な雑誌である。常々マスコミの強引な取材に不快感を感じていた天下の映画監督の黒澤明は、或る日、電車の中吊り広告の見出しに着想をえて製作されたのが『醜聞』(すきゃんだる)である。(以下、内容にふれております。)

伊豆にスケッチにでかけた新進画家の青江一郎(三船敏郎)は、人気声楽家の西條美也子(山口淑子)と偶然遭遇する。男らしく気性のさっぱりした青江は、親切心からバスを待ちきれない美也子を愛用のバイクで宿まで送っていくことになった。戦争が終わってまだまもない時代、美男と美女のふたり乗りのバイクは、人々の視線を無視できないくらい華やかなオーラーを飛ばしながら颯爽と疾走していく。そこに目をつけたのが、「アムール」なるカストリ雑誌の記者である。宿で改めて挨拶をする浴衣姿のふたりの写真(ツーショット)を盗み撮りをして、「恋はバイクに乗って」とあたかも恋人同志のお忍び旅行の如く大々的に宣伝して雑誌を売りまくった。怒ったのが熱血漢の青江で、ひたすら困惑する西條令嬢。告訴を宣言する青木のアトリエに自己推薦でやってきたのが、蛭田と名乗る弁護士(志村喬)だった。弁護士のわりには卑しさを感じさせる蛭田に、友人のモデルのすみえ(千石規子)は反対するのだったが、蛭田の自宅を訪問した青木は、結核で寝たきりの娘の正子(桂木洋子)の純真さに心をうたれて、結局は依頼することになったのだが。。。

本作における黒澤監督の製作動機を考えれば、マスコミというにはあまりにもお粗末な対象だが、報道し活字化する側のモラルを問う社会派映画、と期待するではないか。雨後の筍のように次々と世におくられたカストリ雑誌も、性交描写への規制がはじまっただけでなく、その後の良質な雑誌の台頭にあっけなく淘汰されてしまい一過性のブームで終わったそうだ。しかし、社会派と思いきや一気に人の感情の琴線にふれてくるのが、やはり黒澤映画なのである。
蛭田の娘、正子の存在は物語の中で小さいながらひときわ輝く星のような存在である。正子は、訪問してきた青江に自分が結核病で5年間寝たきりであることを告げる。そんな娘にどうこたえていいのかとまどう人のよい青江に、正子は「同情しないでね。こうして寝たきりでも、空想することで私はいつも自由なのよ」と微笑みながらけなげに語る。ここで青江は、正子の天使のような清らかな純粋さに圧倒されるのである。彼女こそが、隠れた主役である。
病にふせる正子は、清濁あわせもつ世間から隔離された、やがて生命の灯びが失われるガラスのケースの中に横たわる乙女であろう。そんな非現実的な正子に息を与えるのが、ギャンブル好きでだらしない悪徳弁護士の父。アトリエに自分を売り込みに来た時の蛭田を演じる志村喬は、初対面の青江を見上げる視線に、この弁護士の品格の卑しさをたっぷりとにじませている。志村は弁護士でありながら、訴訟相手の手腕にまかれていく心の弱さと哀しみをとつとつと演じていき、主役の三船をうわまわる演技に映画は真骨頂をむかえる。

世間体を気にする自分の器の小ささを悩む美也子、率直なものいいながら青江を信じると言い切るすみえ、被告人を弁護する立場ながら真実を探ろうとする片岡博士(青山杉作)、卑劣な手段をつかって裁判で勝とうとする記者の堀(小沢栄)。たったひとつの記事から、登場人物が自らの分身のごとくその誰にでもある善と悪、強さと弱さの人間性をかいまみせる。また、裁判が進み敗訴模様になりながらも、どんな結果がでようとも真実は真実だとほえる青江には、法と裁判の限界すら訴えているようにも思える。黒澤映画の中でも殆ど話題にすらのぼらないこの映画。しかし、随所に黒澤らしい人間みと際立った才能がうかがえる。やっぱりすごい。クリスマスの夜に悪事を働き酔って帰宅した蛭田が、廊下の窓から妻、青江、美也子、そして最後に最も大切な正子と順番にのぞく場面は、あまりの展開のうまさとその情景の美しさだけで本作に満点をあげたいくらいだ。

カストリ雑誌が、その内容にふさわしい末路を迎えたように、一時は400万部も売れていた写真週刊誌「フォーカス」も廃刊された。廃刊時の編集長は、政府は「個人情報保護法案」という法律を作り、美名のその法律の下、真の狙いは週刊誌やフリージャーナリストを圧殺することにあるとのたまっている。そして、その法律をまるで戦前の独裁主義国家のような法律とまで言い切り、フォーカスが廃刊になって本当に喜んでいるのは、スキャンダル芸能人でなくこの国の権力者だとまで。字は読めるかもしれないが人の心は読めない編集長なのだろうか。権力者の裏の顔を暴くまではよかったのだが、一般市民がまきこまれた不運な事故までえげつなくさらすようになっては、紙質はともかく中身はカストリ雑誌とたいして変わらない。

「スキャンダル」という言葉にはむしろ妖しい匂いがすると言うのは、自分がGacktファンだからだろうか。スキャンダルは、もはや本来の意味では死んだ言葉である。蛭田の最終弁護に青江は「星が生まれた」と感動を表現しているが、この星を象徴する正子はもういない。

監督:黒澤明