「恋の虜になること、すなわちそれはつまりヤリタイってことだ」
友人はひとめ惚れをした女性を探し続けるオクテの主人公をそうからかう。魂をゆさぶられるような運命的な愛に翻弄されない友人は、不幸だろうか。いやむしろ穏やかでつつがない人生をおくれる幸運といえるかもしれない。
ニュージーランドの渓谷の空撮ショットに、まるで空を飛んでいるような心地よさを感じて、もっとこの感覚を楽しみたいと感じるはじめると本編ははじまる。(このオープニングは見事にクロージングにつながり完結する)
1983年。どしゃぶりの雨が降る日、大学から帰る途中ソ・インウ(イ・ビョンホン)は、突然傘に入ってきた女性にひとめ惚れしてしまう。傘を彼女に傾けたおかげでびしょぬれになった肩がすっかり乾いても、心の中では雨と彼女の記憶が乾かず、毎日出逢ったバス亭で探すインウ。けれどもキャンパスで彼女、テヒ(イ・ウンジュ)を見つけて、彫刻科に所属していると知ってからは、自分の授業そっちのけで彼女のもとに日参する。そんなばかのように一途なインウと気が強くてちょっとおとなびているテヒの愛は、テヒがリードして(←^^)日ごとに深まっていくかにみえたが、やがて兵役につかなければならない日がやってくる。その日、必ず行くと言ったのにテヒの姿はいつまでたってもあらわれない。テヒが煙草を吸う男が好きだから覚えた煙草もすっかりなじんで、駅のホームで何時間も待ちつづけるインウ。
2000年3月。国語の高校教師となったインウは、新しい受け持ちのクラスで一人の男子学生に出会う。バスケットが得意で、可愛い女の子が好きだからわざと意地悪したりからかったりする、ごく普通のどこにでもいそうな高校生ヒョンビン。しかしそんな彼の姿や発言をきいていると、次々とテヒの姿が重なり、テヒの思い出が鮮やかによみがえってくるインウ。「おまえは誰なんだ!」それまで自信に満ちた教職に従事する良識ある社会人、家庭を大事にするよき夫であり父親であるインウだったのに、どんどん膨らむ熱情が奔流のように体をつきぬけそう叫んでしまう。彼らの関係はとうとう学校中の興味本位と嘲笑的な噂になり、インウは退職処分に追い込まれる。
テヒが自分の自画像を彫ったライターをにぎりしめながら、ヒョンビンは少しずつ、すべての意味を悟り失った愛の記憶を取り戻していく。そして自転車を走らせる。必死に走らせて自分を長い日々を待っていた相手に、全速力で向かっていく。17年前のあの日と同じ想いのままに。
「JSA」でその演技力から不動のスターの座を獲得したイ・ビョンホンが、30歳で40本以上の脚本から即座に選択したのがこの「バンジージャンプする」
同性愛に対する偏見が強い韓国にもかかわらず、そんなことは意に介せずこの役柄を演じた彼にとっては、最も気にいっている映画でもある。あの「誰にでも秘密がある」は彼でなくてもよい。むしろ清潔な美しさでペ・ヨンジュンの方が適役かもしれない。しかし前半、純朴で真摯ないじらしい大学生役をユーモラスに演じて、一転高校教師になって黒板に線をひいて振り向いた彼の姿ににじみ出てくる、その後の歳月の流れと成熟したオトナの色気に、観る者を驚かせるほどの卓抜した演技力。この映画はイ・ビョンホン、彼以上の俳優は考えられない。
私は輪廻や転生という非科学的なお話しは嫌いである。そんなものは幻想に過ぎない。けれど、輪廻・転生を扱った「豊饒の海」を、三島由紀夫の最高傑作であると評価している。緻密で底知れないスケール感のある作品の前には、宗教観の相違など簡単にこえてしまう。「バンジージャンプする」もそうした作品といえよう。テヒとは正反対の大柄で、美少年でもない男子高校生を設定したところが、この映画の独創性を高めて深みを与えていると言えよう。
そしてすべての会話も、場面もよく練られたモザイクで、一瞬も気をそらすことができない。それらのパーツが最後に集約して1本のピュアな映画を観終わった時、本物の愛のありかたに触れた感動でしばし幸福感に酔えるのである。
この映画から「愛の本質」、「愛のかたち」、「愛のゆくえ」、「愛の重み」や「愛の永遠性」・・・なにを感じなにを考えるかは監督の希望どおり、人それぞれに委ねられる。
監督:キム・デスン
脚本:コ・ウンニム
「ひとめ惚れは単に顔や体つきが自分の好みだってことに過ぎない。でも恋はひとめ見た瞬間に、落ちるんじゃなくて、知ることだ。やっと出逢えた相手だということを」
原題は”A Bungee Jumping of Their Own”