千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

裏声で歌いたい「君が代」

2005-03-31 23:30:02 | Nonsense


君が代不起立で52人処分 卒業式めぐり都教委 (共同通信) - goo ニュース


以前は、卒業式で「君が代」を起立して唱和するもしないも、個人の選択にまかされていた。
しかし平成8年に当時の文部省の指導により、卒業式での国歌斉唱はなかば義務付けられた。都内でいえば2003年度都教委が通達で国旗・国歌の実施指針が出されてから、校長からの職務命令として完全に義務づけられるようになった。そしてこの”強制”に従わない教師は処分されるという事態にまで発展している。そんな担任教師を守るために胸のうちにわだかまりをもちながらも指導に従う生徒、大人社会の欺瞞と感じて抵抗する生徒、花吹雪とともにゆれる卒業式でもある。

そもそも「君が代」は歌集「古今和歌集」で読み人知らずとして歌われている、非常に歴史が古く長い歳月に渡り、謡われた詩である。そして明治13年、宮内賞雅楽課で作曲され、それが慣例的に歌われ今日の国歌になった。

様々な考え方があるが、やはり歌詞の「君が代は、千代に八千代に」をどう解釈するかで、卒業式で斉唱する気持ちになるか、抵抗感があるかに分かれるのではないだろうか。憲法第一条で「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」から、この場合の”君”は、日本国民全体の象徴と称えるものであり、天皇への忠誠を誓うものではないという考えもある。これは現在の民主主義の思想にもかなっている。

しかしかっての戦争では、確かに君は天皇であった。戦時下で国歌が戦士たちの胸にこだまするのはどこの国でも事情は同じであろう。ただ日本においては、国歌における”君”がより軍国主義、侵略と植民地主義の”象徴”ともなったといえまいか。だから強制されるのは反対という意見も当然だ。
また憲法19条「思想及び良心の自由」に違反しているのではないかという考えもある。
自分の高校時代をふりかえっても伝統ある自主自立の校風に育った身としては、このような義務と強制はなじまない。



「日銀券」

2005-03-30 23:35:03 | Book
日銀券とは-
日銀で発行する日銀券は、日銀の債務勘定に計上され兌換紙幣ではない。だから日銀のもっていってもお金には替えてくれない。そしてこれは日銀の借金になる。私たちが手にする紙幣は政府貨幣である。どちらも流通しているが、政府貨幣は借金にならない。

私たちは1万円札をもって、その金額に見合う買物ができることを疑ったことはないだろう。それも貨幣としての価値が万人共通の認識であり、尚且つ貨幣に対する信頼があるからだ。つまりその背景に国家の信頼があるからで破綻した国の紙幣をもったとしても、それは紙くず同然である。
幸田真音さんの小説「日銀券」は、いつものとおり妙齢の優秀な頭脳と、美貌と使命感(恋愛から市場・国家の使命感へうまく転換)をもつ女性を主人公に設定して、マーケットにあかるくない人にもわかりやすいように指南役に解説させながら、熱いストーリー展開になっている。(男性読者を意識してのことか、ベッドシーンはお約束である。)
この”熱い”のは、作者の投影図である、真剣に日本の将来を金融面から憂えるホリエモンをこえる度量の大きい勇者(登場人物)たちである。
そしてこの小説は、長いいつ抜けるとも知れないゼロ金利政策、日銀の量的緩和、国債大量買取に対して、著者が考え抜いた最適シナリオを読者向けにドラマチックに脚色した物語ともいえる。

有名なアダム・スミス『国富論』に「神の見えざる手」によって個人(民)が利益追求をするとき、社会(国)は神の見えざる手に導かれて利益を増進する。つまり人々の金儲けの欲望の集合体である市場を信頼して、あまり政府は規制するなというのが幸田さんの主張。
確かに市場というのは、複雑系の考えをもってしてもあたかもそれ自体生き物のようなものである。流れるままに、行き着く先へ行くしかないか。
次に日本は米国との蜜月状態から少し距離をおき、アジアの一員としてもっと自立せよ。そして中国との経済的関係を深めたほうがよい。
勿論、一般庶民や年金生活者に我慢をしいた超低金利時代からもそろそろ脱却すべきだ、日銀よGO!というサインをおくっているのである。

小説の中のある短資会社勤務のベテラン運用担当者のことばには、説得力ある。
「市場はいつも正直で、そして、常に非情だということか・・・」

「カレンダー・ガールズ」

2005-03-29 22:57:15 | Movie
これは格式と伝統を重んじる英国、中高年の女性のパワー溢れる勇気ある行動なのか、はたまた暴走か己を知らない蛮行なのか。

映画を観ながら、いや正直に申し上げると1月から11月まで、次々と向日葵の花とともに写真におさまる百花繚乱の白人熟女の裸体を眺めながら、東洋の同じ女として感心するやら悩むやら。

1999年、英国ヨークシャ地方の小さな田舎町でおかたい婦人会で製作され、30万部も売れた「ヌードカレンダー」をめぐる実話である。
ガンで夫を亡くしたアニー(ジュリー・ウオルターズ)は、すっかり気持ちがふさぎ気味。親友のクリス(ヘレン・ミレン)は良妻賢母指数で女性を評価される良識ある婦人会の活動に、退屈と疑問をもちはじめている。ルースの夫は出張ばかりで、夫婦の会話すらない。のどかで平和で、英国らしいなだらかな丘が続く美しい田園地帯だからこそ、気持ちの中にはなんだかこんな毎日やってられない、そんな行き場のないエネルギーが、病院への寄付金集めの企画である自分たちのヌードカレンダー製作をきっかけに、一気に噴出する。

そんな彼女達の弾けぶりが実にユーモラスで笑える。夫たちはその暴走ぶりをとめるわけにはいかず、黙ってバーで心配しながらコトの成り行きを見守るしかない。当初の予想に反してカレンダーはどんどん売れる。意外だ。けれども大喜び。マスコミには追いかけられる人気ぶり。おまけに飛行機のファーストクラスに乗ってハリウッドにまで出稼ぎ、豪華スイートホテルに御一行さまは宿泊する。けれどもどこか当初の目的、慈善活動からずれていく。おまけに心に吹きま風も吹いてくる。やりすぎのかんも否めない。さて、この騒動の顛末は。。。

高校生の息子たちに、微妙で難しいお年頃と心配される乙女たちは、実に明るく快活だ。ごく普通の中高年主婦たちが、ヌードになるという発想がおもしろいといったら失礼になるだろうか。いずれも、ごりっぱな?裸体で欧米人の女性に対する好みもわかる。

監督:ナイジェル・コーン
製作:2003年

熟した柿の味がする映画である。一度はご賞味あれ。但し、殿方が病み付きになっても当方は責任もちかねる。

オーケストラにもリストラ ―寂しい上野の森

2005-03-28 23:23:37 | Classic
オーケストラにもリストラの波、都響が能力主義導入 (読売新聞) - goo ニュース

音楽の森も枯れてしまう。。。

私は政治家に好き、嫌いという感情をもったことがない。なぜなら政治的手腕をもち、政治家としてのお仕事をきちんとしてくれればそれでよし、そう考えている。感情をもてるほどの人間味ある政治家がなかなかいないというのもある。が、石原都知事だけは、かねてよりつまり知事になる以前よりその発言を聞いていると、その人格を疑ってしまうくらい嫌いな人物である。

そんなさなか、都響への2001年からの補助金削減が今度はリストラ策を導入。

能力主義というと聞こえがよいが、これはそもそも人件費削減が目的である。音楽の世界に於ける”能力主義”はイスのポジションによる。だいたい東京都響の現コンサートマスターの矢部達哉さんも、20歳そこそこで年長者をこえていきなり今のポストに就任したのだ。3年有期の契約社員が、それによって自らの音楽性を磨くことに繋がればよいが、同じオケの仲間との競争、足のひっぱりあいに終始しないだろうか。そんな懸念を抱く。言っておくが契約社員は内閣府の定義では、フリータになるのだ。家族を養なわなければならない演奏家、独身者だって経済的に自立しなきゃいけない。女性奏者だったらこどもを産んで育てるのも気おくれする。そんな不安定な雇用環境で、日常生活と対極にある芸術の高みをめざして欲しいという期待をもつのはあまりにも哀しい話だ。

小澤のオペラの森だって、東京都が抱えている東京都響を何故起用しなかったのか。それがスジというものではないか。オケにとっても経験を積むことも大事だ。

私たちにとって、音楽は生きるために必要なのだろうか。こんな時代だからこそ、音楽は必要なのだ。
音楽だけでなく、芸術全般にはお金がかかるものである。3大テノール歌手のような東京ドームでコンサートを開き、高額なチケットを売るなどという離れ業は、日本のピューリタンな音楽家にはできっこない。それでなくても、不景気でスポンサー離れ、クラシック音楽愛好家の世界的な減少で、どこのオーケストラでも最近は寂しい台所事情が現状だ。そこにすべて採算性、商業ベースという経済効果のものさしではかるのは、所詮は心が貧しいものの発想だ。

こんなことでは、将来の音楽家も育たない。


借金王1000兆円!

2005-03-27 18:27:10 | Nonsense
国と地方の借金総額1000兆円超の見通し (読売新聞) - goo ニュース

お向かいのおじいちゃんは、近頃記憶がしじまになってきているらしい。まあ、年相応にぼけてきているらしい。何でもあのお年で借金が588万円。つつましく清貧に暮らしていたはずなのに、いつのまにそんなに借金が。お隣に元気な赤ちゃんが誕生した。おめでとう!えっ、なんと生まれたばかりなのに、もう588万円の借金があるって。どこのおうちも家計は大変、火の車。

・・・なんて人ごとではなかった。私も588万円の借金があった。こんなはずではない。家族4人だったら、一家で2,352万、6人家族だったら3,528万円の借金!借金を返すためにまた借金していたし。◎◎

これは、日本国民すべてにふりかかる現実の話だ。
だって、財務省25日の発表によると、国債、借入金、政府短期証券(FB)などの国の借金である政府債務残高が、過去最高751兆に達した。”達した”なんて、まるで目標額に到達したことを誇る営業マンのセリフではないか。
もっとこわいのは、隠れ借金、(家族に内緒でサラ金に走るおとーさんみたいだが)特殊法人が発行する債券である政府保証債務は57兆。
地方自治体(田舎のじいやか下宿している不良債権への仕送りみたいだが)の借金203兆。

合計で国と地方あわせて、1000兆。

これはもはや天文学的数字だ。すごいぞ、借金。100万円の束を1センチとすると、1000キロだ!長い長い旅である。
借金すべてが悪いと言っているのではない。ただ、問題は生活、入るお金を超える借金という今の金融政策を変えなければ、この先借金は増えつづける一方だ。20年前からずっと心配されていることなのにちっとも変わらない、国債の償還のために、また国債発行、こどもが考えても危ないよお父さんと、判る。
次に生活していくには、金がかかる。当り前だ。でも、無駄をはぶき、節約してなんとかやりくりしていかなければならない。放漫運営のツケは誰が償うのか。2世帯ローンで大きな家を建て、まだ小学生の娘に借金を引き継がせるつもりではないか。
それからお金が足りないなら、稼ぐ努力も必要だ。国債をばんばん発行して、米国債を買い続ける。ちょっとお金の流れが変ではないか。

サラ金のCMでの忠告を忘れないように。

  「ご利用は計画的に」




「バンジージャンプする」

2005-03-26 19:54:43 | Movie
「恋の虜になること、すなわちそれはつまりヤリタイってことだ」
友人はひとめ惚れをした女性を探し続けるオクテの主人公をそうからかう。魂をゆさぶられるような運命的な愛に翻弄されない友人は、不幸だろうか。いやむしろ穏やかでつつがない人生をおくれる幸運といえるかもしれない。

ニュージーランドの渓谷の空撮ショットに、まるで空を飛んでいるような心地よさを感じて、もっとこの感覚を楽しみたいと感じるはじめると本編ははじまる。(このオープニングは見事にクロージングにつながり完結する)
1983年。どしゃぶりの雨が降る日、大学から帰る途中ソ・インウ(イ・ビョンホン)は、突然傘に入ってきた女性にひとめ惚れしてしまう。傘を彼女に傾けたおかげでびしょぬれになった肩がすっかり乾いても、心の中では雨と彼女の記憶が乾かず、毎日出逢ったバス亭で探すインウ。けれどもキャンパスで彼女、テヒ(イ・ウンジュ)を見つけて、彫刻科に所属していると知ってからは、自分の授業そっちのけで彼女のもとに日参する。そんなばかのように一途なインウと気が強くてちょっとおとなびているテヒの愛は、テヒがリードして(←^^)日ごとに深まっていくかにみえたが、やがて兵役につかなければならない日がやってくる。その日、必ず行くと言ったのにテヒの姿はいつまでたってもあらわれない。テヒが煙草を吸う男が好きだから覚えた煙草もすっかりなじんで、駅のホームで何時間も待ちつづけるインウ。

2000年3月。国語の高校教師となったインウは、新しい受け持ちのクラスで一人の男子学生に出会う。バスケットが得意で、可愛い女の子が好きだからわざと意地悪したりからかったりする、ごく普通のどこにでもいそうな高校生ヒョンビン。しかしそんな彼の姿や発言をきいていると、次々とテヒの姿が重なり、テヒの思い出が鮮やかによみがえってくるインウ。「おまえは誰なんだ!」それまで自信に満ちた教職に従事する良識ある社会人、家庭を大事にするよき夫であり父親であるインウだったのに、どんどん膨らむ熱情が奔流のように体をつきぬけそう叫んでしまう。彼らの関係はとうとう学校中の興味本位と嘲笑的な噂になり、インウは退職処分に追い込まれる。

テヒが自分の自画像を彫ったライターをにぎりしめながら、ヒョンビンは少しずつ、すべての意味を悟り失った愛の記憶を取り戻していく。そして自転車を走らせる。必死に走らせて自分を長い日々を待っていた相手に、全速力で向かっていく。17年前のあの日と同じ想いのままに。

「JSA」でその演技力から不動のスターの座を獲得したイ・ビョンホンが、30歳で40本以上の脚本から即座に選択したのがこの「バンジージャンプする」
同性愛に対する偏見が強い韓国にもかかわらず、そんなことは意に介せずこの役柄を演じた彼にとっては、最も気にいっている映画でもある。あの「誰にでも秘密がある」は彼でなくてもよい。むしろ清潔な美しさでペ・ヨンジュンの方が適役かもしれない。しかし前半、純朴で真摯ないじらしい大学生役をユーモラスに演じて、一転高校教師になって黒板に線をひいて振り向いた彼の姿ににじみ出てくる、その後の歳月の流れと成熟したオトナの色気に、観る者を驚かせるほどの卓抜した演技力。この映画はイ・ビョンホン、彼以上の俳優は考えられない。

私は輪廻や転生という非科学的なお話しは嫌いである。そんなものは幻想に過ぎない。けれど、輪廻・転生を扱った「豊饒の海」を、三島由紀夫の最高傑作であると評価している。緻密で底知れないスケール感のある作品の前には、宗教観の相違など簡単にこえてしまう。「バンジージャンプする」もそうした作品といえよう。テヒとは正反対の大柄で、美少年でもない男子高校生を設定したところが、この映画の独創性を高めて深みを与えていると言えよう。
そしてすべての会話も、場面もよく練られたモザイクで、一瞬も気をそらすことができない。それらのパーツが最後に集約して1本のピュアな映画を観終わった時、本物の愛のありかたに触れた感動でしばし幸福感に酔えるのである。

この映画から「愛の本質」、「愛のかたち」、「愛のゆくえ」、「愛の重み」や「愛の永遠性」・・・なにを感じなにを考えるかは監督の希望どおり、人それぞれに委ねられる。

監督:キム・デスン
脚本:コ・ウンニム


「ひとめ惚れは単に顔や体つきが自分の好みだってことに過ぎない。でも恋はひとめ見た瞬間に、落ちるんじゃなくて、知ることだ。やっと出逢えた相手だということを」

原題は”A Bungee Jumping of Their Own”

音楽家の現れかた

2005-03-26 00:18:38 | Classic
今日家路をたどる路上、地下鉄銀座駅のコンコースからヴァイオリンとストリングスの生の音楽が流れてきて思わず足をとめた。
どうやら5月に某所でリサイタルを開く、お名前を知らなかったのだがドラマにもヴァイオリニスト役として出演したことのある方の地下鉄メトロ企画のコンサート。けれどCDが発売されているせいか、クラシックというよりも芸能人の売り出し方のような宣伝だ。

芸大や桐朋音大出身、留学して海外で研鑚を積んだ優秀な音楽家でもなかなかソロリサイタルを開いたり、演奏活動するのは難しい。それが日本の音楽界、いや音楽の世界で演奏活動で食べていくのは厳しいのが現状だ。音楽家になるためには、昔は日本音楽コンクールが登竜門だったらしい。しかし高度成長期をへて経済的にも裕福になるにつれ音楽を学ぶ者もふえ、日本の音楽教育も成熟期に入り、うれしいことに技術的に優れた音楽家の卵は百花繚乱状態。毎年繰り返される優勝者も1年たてば過去の人。勿論それをきっかけにオファーがきて演奏活動を積み重ねて実にいい音楽家になる人材も多い。

しかしインパクトでいえば、諏訪内晶子さんや庄司さやかさんのように海外の大きなコンクールで優勝することが望まれる。しかも諏訪内さんのような美貌とモデル並のスタイルをかねそなえていれば、踏む舞台は多い。

次に、川畠成道さんのように英国王立音楽院で史上二人目となるスペシャル・アーティスト・ステータスの称号を東洋人として与えられるという業績に加え、「徹子の部屋」などでその生い立ちや誠実で清々しい人格を紹介され、それに感激したマダム層のファンをつかむ方もいる。(ちなみに川畠さんの音楽は瑞々しく感受性豊かで素晴らしい。)

然しなんといってもこの道の王道は海外でも高い人気を誇る五嶋みどりさん、これから売り出す佐藤俊介君のようなジュリアード音楽院で故ドレシー・デュレイ女史に認められ、バックアップされて子役からいきなり大舞台でデビューする。
きっかけはどうであれ、彼らがぬきんでて技術的にも音楽性にも卓越していることには間違いない。

ただ、わからないのは銀座で演奏会に出演したり、いきなり映画に出たり、テレビや雑誌の表紙になっちゃったりもする女性ヴァイオリニストたちである。ヴァイオリンを弾ける芸能人なのか、芸能活動でギャラを稼ぐ音楽家なのか。しかもどういう経緯でこのような活動をされているのか、謎である。

それから今日遭遇したコンコースでの演奏会の企画は”伊勢正三”さんらしい。←へっ?あの伊勢正三さんか。

検察審査会レポート6

2005-03-24 23:08:20 | Nonsense
私が所属する検察審査会は、全国の検察審査会の中でも代々1、2を争うくらいの高い出席率だそうだ。確かに特段の事情がない限り義務とはいえ、みなさん時間厳守で参集する。しかも任期中に他府県に引越ししても、通える範囲であれば時間をかけて出席する。現在そういう方が2名いるが元々、真面目で誠実な好青年という印象もあるが、やはりこの検察審査会の意義にやりがいを感じているからこそできる努力だとも思う。
最近気がついたが、人は仕事の大きな価値と社会的意義を感じると、より真剣にうちこめるというものだ。日頃の勤務先での態度とはちと違うぞ自分。

昨日は4件めの議号の決議を行った。はじめて決議が分かれた。人それぞれ培われた経験則による考えや感覚が違うから当然ではあるが、少々意外な感じがあった。そこに自分の考えこそ正しいという、いつのまにか宿る独善性に気がついた。事務局の方が人事異動により3月いっぱいでこの仕事から離れるというご挨拶があった。その中で「みなさんのお話しを聞いていると、知らないうちに自分は公務員の考え方が身についていたことが感じられた」というお話しがあった。確かに、社会で働いているとはいえ、おおかたの人はその会社、業界、職場環境の狭い社会で生きていて、職場特有の体質が身にしみるものである。けっこう狭い枠の中で、これこそ正しいと思い込んでいるところに、もしかしたら発想の貧困があるかもしれない。検察審査会では、いわば世代も幅広く異業種交流のような部分もあり、そういった意味でもなかなか女性は他業種の方と接する機会がないので、貴重な体験にもなっている。

まだまだ続く、審議だがひとつひとつ大事に考えていきたい。

やっぱり有罪なのか、植草先生

2005-03-23 22:49:32 | Nonsense
植草元教授、罰金50万円 東京地裁判決 (産経新聞) - goo ニュース

ミラーマン

人気エコノミストから、そんな嘲笑的なニックネームが冠になってからコトの成り行きを見守っていた。いずれ事実は裁判で明らかになる。けれども内心、植草先生、あえて植草先生と呼ぼう、あなたが裁判で負けるだろうという予測はあった。あなどれない警察官の職人としての鋭い嗅覚がマークした不審者を追跡したら、そうだった。現行犯で逮捕したら著名なエコノミストで驚いたという警察官の証言には、やっぱり信憑性があるのだ。近頃、痴漢の冤罪に泣く人も多いと聞く。予断による偏見と自意識過剰な女性が訴えたとしたらともかく、こうした一歩間違えたら名誉毀損にもなりかねないこともふまえて、客観的に観察していたプロの警察官が誤認逮捕をするとは考えにくい。疑わしい、のではなく痴漢行為を確信したから逮捕できたのだ。まさかこの後に及んで、手鏡で景気の先行きを見ていたなんてことは言わないでしょっ。

また植草先生の最初容疑を認めながらも、その後一転して言い訳じみて否認する成り行きも、経済予測をしていたエコノミストらしからぬ展開だ。誘導尋問などとマーケットへの為替介入とは違う。母校の後輩へのアドバイスは「何が起きてもたじろがないよう自分の技術をもつことは大切」だったはず。しかも被害者との示談も検察側が起訴する前に成立しているではないか。リスク・ヘッジは怠らない。

そうはいっても、社会的制裁はすでに充分、むしろ罪の重さ以上の罰は受けている。かって在籍していた研究所での高い地位と人気は、エコノミストとしての実力が示すものだったと思う。今後は本来の優れたエコノミストとしての話題で再起していただきたい。

「百術不如一誠」


「永遠の片想い」

2005-03-22 22:23:31 | Movie


1965年に日韓基本条約ですでに解決済みになっている日本統治時代の補償問題をもちだすことで、外交知識に欠ける底の浅さを暴露した韓国盧武鉉大統領の反日路線とは別の韓流ブーム路線にのって、続々とイケ面俳優が我が国に出稼ぎにやってくる。そんなイケ面俳優ラッシュの中、ちょっと忘れがちな美形とはいえない癒し系のチャ・テヒョン主演の「永遠の片想い」を観た。彼は常にカラダを鍛えてたくましい肉体美を維持する韓国俳優としての自覚に欠けたような、愛嬌のあるハダカを「猟奇的な彼女」で披露した俳優といえばご記憶の方もあるだろう。

さえない日々をおくるジファン(チャ・テヒョン)のもとに、差出人不明の「逢いたい」と書かれただけの写真が届く。ジファンは差出人を探し、苦しさからつとめて忘れようとしていた5年前の夏に時計をもどしていく。心の時計を戻すのは勇気が必要だが、そこには懐かしくも輝かしい3人のかけがえのない日々があったのだ。

ひとめぼれというのを信じるか。恋とは或る日突然なんの前ぶれもなく落ちるものだ。ジファンにとっては、まさにスイン(ソン・イェジン)との出会いがそうだった。愛らしく清楚な彼女がジファンが手伝っている先輩の喫茶店に現れた時から、一瞬のうち恋に落ち夢中になってしまった。彼女を追いかけて重そうな肉体を駆使して自転車で坂道を登る笑える必死な姿は、恋の病に落ちた若者の切実な症状だ。そんな彼の求愛にスインは「迷惑です」とつつましやかに断りながらも、親友の元気で明るいギョンヒ(イ・ウンジュ)も交えて3人の”友人”としての交流がはじまる。

映画を観にいったり、旅にでかけたり、笑い騒ぎ、まぶしいような3人の日々が続くが、それぞれの友情とは別に苦しいくらいの別の感情が押し寄せてきて、三角形はバランスを失っていく。そして或る日をさかいにスインとギョンヒからの連絡が途絶える。その日から、ひとつずつ、ひとつずつジファンは感情とともに思い出を忘れようとしていく。

「永遠の片想い」そんなできあいのデコレーションケーキのようなタイトルが、実は重要な意味をもち、これ以上のタイトルはないと納得いくのはラスト、涙で彼らの姿が滲むときだ。スインの想いも、ギョンヒのとった行動も、手紙のわけもすべては瑞々しい彼らの姿を涙にうつすとき理解する。そしてひとめぼれが本物の恋に育つときもあれば、別の人に移るときもある。
時計を戻すことはできない。けれども一葉の写真に永遠の時を人はみいだす。

なんといってもキャスティングが素晴らしいのでる。。ジファン、スイン、ギョンヒのトリオが絶妙なハーモニーとなって瑞々しい音楽を奏でている。
監督・脚本はイ・ハンで本作がデビュー作になる。

早朝、少々早い摘んだばかりの小粒のいちごをほおばっている味。

*映画を観終わった後、ギョンヒ役のイ・ウンジュが亡くなったことを知る。映画のストーリーと重なって、よりいっそう鮮明にその姿が心に残る。