千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「生命の逆襲」「生命と記憶のパラドクス」福岡伸一著

2013-10-29 22:28:56 | Science
毎度おなじみの福岡ハカセのエッセイを続けて2冊読んでみた。
「生命と記憶のパラドクス」は一般週刊誌で最も売れている「週刊文春」連載のエッセイをまとめた本、一方「生命の逆襲」は「週刊AERA」に連載中の「ドリトル先生の憂鬱」をまとめた一冊である。(「遺伝子はダメなあなたを愛している」の続編)

毎週やってくる締切、テーマーも同じ”生命”、活字も殆ど同じ量の連載エッセイを、福岡ハカセはどうやって脳内で整理して、すみ分けているのか不思議である。フェルメール、動的平衡、レーウェンフック、昆虫・・・と、福岡ハカセ自身を分析するおなじみのキーワードがここでも頻出しているのだが、内容が全くかぶっていない。だから、何冊読んでも鮮度が落ちずに日々発見になる。そのうえ、驚異的なのはすべてにおいて質が高いことだ。文章力、表現力は勿論だが、身近な話題から生命科学の扉が開き、最後には鮮烈なオチが待っている。

考えてみれば、科学もののエッセイとして、米国のスティーヴン・ジェイ・グールドが有名であるが、日本でも過去には寺田寅彦や中谷宇吉郎のような物理学者にして情緒があり本質をついている名文筆家がいて、現代でも愛読されている。福岡ハカセの文章には、生物学者らしくセンス・オブ・ワンダーに満ちている。世界は、こんなにも美しく不思議なあり方だったことに気づかされる。

ところで、これだけ次々と書く本、書く本のすべてが売れまくっている福岡ハカセの著作物の中で、初版3000部で終わり、そのまま消えて絶版となった本がある。化学同人という小さいが化学・生物系にはおなじみの出版社から上梓された「ヒューマン・ボディ・ショップ」である。思い出すのも悲しいがハカセがとても好きだというその本を、私は偶然4年前に図書館から借りて読んでいたのだが、今日的な生命倫理の問題を含むとても読み応えのある本だった。それが、最近、リニューアルをして「すばらしい人間部品産業」として再出版されたとのこと。今度こそ、広く読まれることを期待したい。

そして現在、福岡ハカセはNYロックフェラー大学に客員教授として赴任している。彼にとって最も売れなかった本は、しかし生命は動的平衡であるという彼の主張の原点となった。そして、ハカセは理系を”卒業”して、マウスを使ったりする分子生物学者から文化や社会とのかかわりの中で生命観を深める生物学者になることを決意したそうだ!新生ハカセの登場を乞うご期待。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
「フェルメール 光の王国」
「遺伝子はダメなあなたを愛している」

□ハカセにお薦めしたい記憶にまつわる本
「暗いブティック通り」パトリック・モディアノ著
「奪われた記憶」ジョナサン・コットン著

「起業家」藤田晋著

2013-10-27 15:28:59 | Book
起業家。
カイシャを設立して起業しても、10年生存率は70%。3割のカイシャが廃業もしくは倒産していることになる。しかし、この数字は、創設時にデーター収録をされている企業から算出されているので、実際は登記してから3年以内に5割のカイシャが活動していないともきく。起業するのは比較的簡単だが、その後、カイシャを継続して成長させて”起業家”になるのは実に困難な道でもある。

藤田晋さんは、利用者が多いアメーバーブログで知られる株式会社サーバーエージェントの代表取締役。2000年に当時26歳で史上最年少で東証マザーズに上場。5億4000万年前のカンブリア紀は、生物の爆発的進化がはじまった。この頃の海には、不思議な形の生物たちで溢れていて、当時の生物の化石はまるで「進化の試行錯誤」を物語るようだという。ネットバブルの時代は、まさにIT進化の試行錯誤を見ているのようだった。

現在、1973年生まれの彼は、40歳になるという。その間、10年以上、ネットバブル崩壊、業界の低迷からようやく光がさし再びネットバブルが盛り上がると、同じ六本木ヒルズ族で隣人だった村上世彰の村上ファンドは終焉。そして、朋友の堀江貴文によるライブドア事件、逮捕。私生活でもとびきり美しい女優と結婚し、結婚式の模様を報じるテレビのレポーターは、まるで小さな王国に嫁いだお姫様のようだと伝えていた。すぐに離婚してしまったが、相手の女優にとってはIT王国という一国の王妃になるような夜だったのかもしれない。

華やかな業界で、私生活はいろいろありそうだが、ずっと順調だったようにみえていた株式会社サーバーエージェントと経営してきたその社長。しかし、実際は、実にきわどい道をスリリングに歩いていたことがわかる。業界自体の低迷もさることながら、買収話もされるお誘いから、する持込案件まで。会社の黎明期からライバルでありながら尊敬もしていた親友の逮捕。危険な誘惑も甘いお誘いもあり、そんな混迷な若過ぎるカイシャの中でいらだち、怒り、そして自身の社長の退任までかけたアメーバーブログへの傾斜。

平凡なサラリーマンの息子として福井県で育ち、実直で温厚そうな風貌からは想像できなかった強靭なタフさが伝わってくる。又、謙虚ながらアグレッシブに果敢にせめる人。そして狂おしいほどの情熱。経営者というよりも「起業家」を名乗る彼の情熱は、周囲の人をも熱狂にまきこんでいくのだろう。しかも、自慢めいた印象はないのだが、、成功者への報酬のようなトロフィー妻、最高級のマンション、高級車、芸能人との交際や財界人とのつながりも魅力的に待っている。起業をめざす人にとっては、彼はカリスマでありながらも言葉使いも普通の青年のようで身近に感じるかもしれない。

本書を手に取ったのは、実は興味の対象が藤田晋さん個人でもなければ会社でもなかった。実力主義で社員の入れ替わりが早いと聞くIT業界の中で、株式会社サイバーエージョエントは終身雇用制をうちだした。これまで、優秀な人材をヘッドハンティングしても、企業風土になじむのに時間がかかり、又そういう人は育てば会社を離れていくのを見ていて、自社で育てて長く勤めてもらった方が会社にとってもよいことに気がついたからだ。そして、IT業界の会社自体が昔の高度成長期の会社のようなものだから、終身雇用制がふさわしいという。従来の会社への忠誠心を求めるわけでも、社員を家族と感じている度量もないのが今時だと思うが、その結果、社内結婚が増えたという思わぬ効果?もあったそうだ。

今、株式会社サーバーエージェントには、おしゃれで公私ともに全方向に手を抜かない「キラキラ女子」がその中核を占めていると日経新聞でもとりあげられている。藤田社長は「顔採用」とよく言われているそうだが、勿論こんな噂は否定している。こういった情熱的な社長のもとでやりがいのある仕事、仕事を楽しめる女子が集まり会社を支えているのだろう。公私ともに充実している女子はキラキラしている。
ちなみ、「10年以上生き残る会社」の条件として、

1.先駆者として早く参入していること
2.自社のコアコンピタンスを認識して資源を集中投下していること

そして最後に経営者が明確にヴィジョンを打ち出していることだそうだ。

「東山魁夷と旅するドイツ・オーストリア」松本猛著

2013-10-23 22:45:56 | Book
今年も所要をかねて南ドイツを訪問して、先月帰国したばかり。
と言っても、カイシャ生活の中のほんの6泊8日のつかのまの短い旅だったのだが、今回は長年の友人を道連れ?にしたために行動範囲もひろがり、かなり充実したドイツ物語となった。本当に、とてもとても楽しかったのだが、、、いろいろあったのだ・・・。

閑話休題。
私の今回のドイツ旅行の目的はいくつもあったのだが、そのひとつが大好きな東山魁夷の絵画「静かな町」を訪問することだった。Heidelbergから小さな列車に乗って45分ほどのところに「Bad Wimpfen」という小さな町がある。ガイドブックにもあまり載っていなくてまず日本人観光客の行かない町なのだが、近年では可愛らしい木組みの家が並んだドイツで最もシルエットの美しい町として知られつつあり、特にクリスマスマーケットの時季は地元の住人だけでなくドイツ人観光客で華やかににぎわうようになってきた。

1969年、還暦を迎えた東山魁夷は入念に準備を整えて、すみ夫人とともに4ヶ月をかけてドイツ・オーストリアを巡り、何枚もの彼の作風を代表するような絵画を製作した。この町も訪問し32メートルの高さの「青の塔」に登った位置から描いたのが、1971年製作の「静かな町」(右の画像)である。

それから40年の歳月が流れた。こどもの頃から好きだった「静かな町」がいまでもそのまま残っていることを知り、今年こそはどうしても魁夷が眺めた景色をこの目で見てみたいとこだわった。その日の夜の便でフランクフルト空港から帰国しなければならない慌しい日程で、しかも道中とんでもないアクシデントにも遭遇してなかばあきらめかけていたのだが、「青の塔」を運よく発見し、その塔に一気に登ってすっかりご機嫌で絵のことも後回しに一周しようとした。

天候も素晴らしく気持ちよい光の中で、不図、町を眺めると青空の下に記憶のある赤い屋根とリズミカルでグリム童話の世界のような木組みが並んでいる。まさに一瞬にしてひらめき、印刷して持参していた絵を並べると全くと言ってよいほど同じ景色が本当にそこに佇んでいる!やはり、さすがにドイツである。古い町を大切にし、第二次世界大戦で壊滅した町を、戦後忠実に再現していったそんな国なのである。そして、そこに住む人々の整然として窓辺に小さな花を飾り、日々の暮らしを大切にするドイツ人気質も感じた。

そして、帰国後に思い出とともにめくったのが、松本猛さんの本書である。著者は絵本画家のいわさきちひろの長男として生まれ、「ちひろ美術館」を設立し、2002年に長野県信濃美術館・東山魁夷館の館長を務めたことをきっかけに、彼のたくさんの作品を間近に観る機会が増えた。魁夷の絵の中の美しく整理された構図のリアリティさに興味をもち、自身も2009年春から2011年秋にかけて3回に渡り彼の地を訪問した。

松本さんは地道に名画を描いたポイントを探しあて、同じアングルの当時とかわらない写真を並べるだけでも興味深く、一冊手元におきたいくらいの素敵な本となっているのだが、著者はここで魁夷の作品の創作の基点として、自然、町、建物を彼の感性で写真で切り取り、それを後に絵にしていたのではないだろうかと推察している。(左の写真は友人が撮影した一枚)

しかし、魁夷がこの旅だけでなく写真を撮っていたのか否かも今となっては不明である。あくまでも仮説だが、画壇の頂点にまでのぼった魁夷が、写真を使って絵を描いていたことを公表するのははばかれたのではないだろうか、とその理由まで著者は推測する。ローテンブルクでの「赤い屋根」「塔の影」(1971年)の絵と殆ど重なるような今の著者が撮影した写真を並べて、望遠レンズというのは風景を圧縮させて見せるという解説には軽い衝撃を受けた。確かにマラソン中継をテレビで見ていると、選手どうしの距離が実際よりもかなり短く見えることに不思議な感覚がしていたのだが、そういうことだったのだ。あの折り紙のように連なる建物の屋根には、そんな秘密がくされていたのだ。

「風景は心の鏡である」

後年に魁夷がよく語っていたこの言葉は、画家が写真を撮影する時にいかされ、そして絵画にも反映されていたのではないだろうか。この言葉の意味を考えると、写真を使ったからといって決して絵の価値がそこなわれるわけではないと私は思う。又、むしろ日本画に写真の要素を組みこんだことを革新的と評価してよいのでは、という著者の説にも賛同したい。

それにしても4ヶ月の長期間とはいえ、殆ど知られていないBad Wimpfenのような小さな町を訪問して作品を残していた、画家としての眼と感性にあらためて感服する。HeidelbergからBad Wimpfenへ向かう途中、Bad Rappenau、Bad Wimpfen-Hohenstadtと似たような名前の無人駅が続き、うっかりひとつ手前のBad Wimpfen-Hohenstadtで降りてしまったら大変!何もない!閑静な住宅地で目的地のBad Wimpfenではなかった。そもそもこの駅で列車が止まるのは上りも下りも含めて1日4本ぐらいしかないのだった。Heidelbergに戻り、東山魁夷も宿泊していたホテル・ツムリッターに置いてあるスーツケースをとって、今夜はフランクフルト空港から帰国する飛行機に乗らなきゃならない。唖然呆然。天気は絶好でBad Wimpfen-Hohenstadtはのどかで「静かな町」そのもの。さて、この旅の後の顛末記はいつかまた。。。

■Archiv
「ドイツの黒い森の現在形」
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著
「ドイツ病に学べ」熊谷徹著
映画『THE WEVE ウエイヴ』
「ナチスのキッチン」藤原辰史著

フランク・ペーター・ツィンマーマン ヴァイオリン・リサイタル

2013-10-06 21:56:52 | Classic
世間ではアベノミクスともてはやしてはいるが、一般庶民の給与はあがらず生活は苦しくなるばかり。 カザルスホールもなくなり、 王子ホールのコンサートカレンダーもなぜか寂しいここ数年。そんななかで、頑張っている感があるのがトッパンホールかもしれない。「トッパンの弦」と“弦に最もこだわるホール”という独自路線を築きつつある新興勢力のホールである。ところが、弦にこだわる私なのだが、弦にこだわるホールになかなか足が向かないのは、地の利ならぬ地の不利?。なんたって、この「トッパンの弦」は、最寄の飯田橋駅からも後楽園駅からも歩いて10分以上かかる本当に何もない場所にあるからなのだ。

歩くのはそれほど嫌いではないが、コンサートという晴れの時間に詣でるからにはそれなりの正装感のスタイルでのぞみたい、という自分なりの決め事を守ることを考えると、要するに普段ははかないハイヒールで10分以上も場合によっては傘をさして歩くのか・・・と躊躇してしまうのである。近場にレストランもないし、タクシーなんか走っていない。働く女にとっては、仕事帰りのコンサート会場はどこにあるかも選択のポイントとなってしまう。だから、弦のトッパンは遠いのだ。

が、しかし、フランク・ペーター・ツィンマーマンがやってくる。実に久々のこんな朗報には、比較的便利な東京文化会館の大ホールよりも向かうべきはやはりトッパンの弦になる。

すがすがしい青年のようにいつもの詰襟の学生服を連想するスーツで登場したツィンマーマンを、初めてまじかで拝見したら、ドイツ人にしては意外と小柄な方だった。プログラムは最近CDをリリースしたヴァイオリンとピアノのためのソナタ全6曲という珍しい構成。CDの宣伝をかねてのコンサート行脚なのだろうか、こんな地味なプログラムでも満員の集客力に、一般的には知名度抜群でもないが知る人ぞ知る、というよりもクラシック音楽好きには充分に知られている彼の実力と人気の高さを改めて実感する。熱狂でもなく、静かに集中力高く、音の一粒一粒に耳を傾け、ツィンマーマンを迎える聴衆のあたたかさに、僭越ながら日本のクラシック音楽愛好家の成熟を感じて嬉しくもあり心がなごんだ。

さて、ツィンマーマンは1965年生まれ。ご子息がヴァイオリストとして演奏活動のスタートをきったお父さん、りっぱなおじさんでもある。それでも彼の音の美しさと清潔感は、くもらず全く変わらない。CDで聴いてきた青年時代のモーツァルトの演奏に感じられる純粋で清らかなきらめきと、N響との共演でもはや伝説ともなったベートベンのヴァイオリン協奏曲で魅了したおおらかで懐あつくチャーミングな音も健在である。そして、彼を紹介するのに最もふさわしい表現は、現代ドイツの最高峰にして正統派ヴァイオリニスト。そんな彼が奏でるバッハは、極上の至福の音楽でもあった。ピアニストのエンリコ・バーチェも、息のあったパートナーぶりを発揮して長年のおしどり夫婦のような安定感がある。

ちなみに、忘れてはいけないのが、ドイツを代表する双璧ともいえるもう一人のヴァイオリニストのアンネ・ゾフィー・ムターがいる。カラヤンお気に入りの彼女に対する、彼の次のコメントを見つけて笑ってしまった。

「カラヤンとは、個人的にお知り合いになる機会はありませんでした。幸か不幸か、私の2年前にアンネ・ゾフィー・ムターがベルリン・フィルでデビューして、彼のヴァイオリニストと言えばムターだったからです」

----------------------------- 2013年10月6日 トッパンホール -----------------------------------------------

ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン
ピアノ:エンリコ・パーチェ
J.S.バッハ: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 全6曲
第1番 ロ短調 BWV1014
第2番 イ長調 BWV1015
第3番 ホ長調 BWV1016
第4番 ハ短調 BWV1017
第5番 ヘ短調 BWV1018
第6番 ト長調 BWV1019