千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『鑑定士と顔のない依頼人』

2013-12-23 15:08:19 | Movie
Muenchen中央駅からトラムで15分ほど行くと、映画「去年マリエンバートで」の舞台にもなった広大なニンフェンブルク城Schloß Nymphenburgがある。妖精の城にふさわしくシンメトリーな優雅な宮殿なのだが、中でも観光客の人気を集めているのが、美人画ギャラリーである。なんと、ルードヴィヒ1世が寵愛した美女36人もの肖像画が壁面一面に飾られている。それぞれに美しい女性たちにじっと見つめられるのは、男として何ものにもかえがたい至福の時間なのかもしれない。

さて、ご自慢の審美眼で美人画を収集したのはルードヴィヒ1世だけではない。天賦の鑑定目をもち美術品の鑑定士であるヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、端整で高級なスーツを完璧に着こなし、歯切れのよい美しい言葉で、今日も紳士淑女の集うオークション会場を鮮やかに支配している。美術業界では誰もがその手腕に敬服される彼だが、人を寄せ付けず愛するのは芸術品だけ。そんな彼は、密かに隠された部屋で美しい女性の肖像画をコレクションしていた。富を築き、瀟洒な邸宅に帰宅した彼を待っているのは、絵画の中の沈黙した女性たちだけ。彼女達に囲まれている時が、ヴァージルにとって最も幸福な時間だった。

ところが、1本の鑑定依頼の電話がヴァージルの運命の”歯車”を狂わせて行く。鑑定を依頼された屋敷で彼を待っていたのは、数々の骨董品と美術品。そして、その所有者である決して姿を見せようとしない依頼人クレア(シルヴィア・ホークス)だったのだが。。。

老いらくの恋。勤勉実直な孤独な老教師が、酒場の踊り子に恋をして人生を踏み外していく老いらくの恋を描いた名作『嘆きの天使』を、私は思い出した。美術品にしか興味がなかった孤独な老人が、生まれて初めて女性に興味をもち、とりこになっていく。まさしく、彼にとってすべての芸術品に勝るのが、クレアだった。しかし、そのミューズをこれまでのように所有したいという願いは、やがて、彼女を、そして自らを理解していこうという人間らしいめざめに変節していった。愛情の反対は、無関心と言ったのはマザー・テレサだった。髪の白髪を丁寧に染めて、すきなくスーツを着こなし、他者を拒絶するように手袋をはめていたヴァージルが、少しずつ滑稽さを交えて変わっていく。ネクタイの締め方、髪型、身のこなし方、表情・・・。ヴァージル役は、まさに名人芸のジェフリー・フラッシュのためにあるかのようにはまり役である。彼の演技が、作品の完成度を高めたと言っても過言ではないだろう。

又、もうひとつの主役は、やはり映画に登場する”美”である。
ヴァージルのクローゼットにずらりと等間隔で並ぶスーツは、どうやらアルマーニらしい。ジェフリー・ラッシュを見て、こんなに美しくネクタイを締めてスーツを着こなす紳士を見たことがない、と感嘆した。どうやら年齢がいくと、顔だちよりも品格がものをいうらしい。主人公の職業柄?、スーツ、手袋、室内装飾品、インテリアと、どのショットも芸術的である。最後のプラハでの場面でも息をのむような硬質の美しさがある。芸術的なミステリー映画のつもりで鑑賞したが、確かにこの映画は2つの顔を持つ。少なくとも入場前にリピーター割引のチラシをいただいた謎だけは、解けた。なるほど、鑑賞後にもう一度観たくなってしまう映画だった。

ところで、ニンフェンブルク城の美人画ギャラリーだが、36枚の絵の中で最も有名なのは、ルートヴィッヒ1世を退位に追い込んだローラ・モンテス嬢を描いた絵である。たとえどのように”歯車”を狂わせられても、愛を経験した者にとってはそれも本望であり間違いなく人生を生きたと言える。


原題:La migliore offerta(The Best Offer)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
2013年イタリア製作

「新・現代アフリカ入門」勝俣誠著

2013-12-15 15:25:24 | Book
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃闘争を率い、93年にノーベル平和賞を受賞した翌年に、同国で初の黒人大統領に就任したネルソン・マンデラ氏が5日に死去した。獄中で27年間暮らしたマンデラ氏は、この長い期間に思索を深め、91年6月のアパルトヘイト撤廃後も白人への報復に反対して、平和的な政権移行を主導し、多人種共存の「虹の国」を提唱したことで、更に世界中から尊敬されるようになった。

ところで、10日に行われたネルソン・マンデラ元大統領の追悼式で、弔辞をのべるオバマ大統領などの来賓者の後ろで手話通訳をしていた男性の映像も世界中に発信されたが、実は彼の手話は意味が通じない、一言で言うと”でたらめ”だったことが判明した。このことを私に伝えた身内の者に言わせると、

「要するに、この国はそういう国なんだよ」になる。唖然とした私は何も言い返せなかった。

さて、「新・現代アフリカ入門」は、開発経済学者で都内の大学で国際経済学を教えてらっしゃる勝俣誠氏の著書である。同氏は、1991年にすでに「現代アフリカ入門」という入門書を出版しており、22年後の今のアフリカ問題、地球の南北の差、南北問題を改めて問い直したのが本書になる。そもそも南北問題という言葉が認識されたのは、英国のロイズ銀行の会長・オリバー・フランクスが1959年に米国で行った講演「新しい国際均衡―西欧世界への挑戦」からだ。その後、半世紀に月日がたち、思い起こせば大学時代の先輩と友人が「南北問題」の同じゼミに所属していた。一昨年、背広を脱いで家業をついでいる先輩と南北問題の話をしたことがあったが、古くて新しいのが先進工業国の北と発展途上国の南の経済格差は減少するどころか、益々広がっているという南北問題だ。

かっての援助されるアフリカは、「資源のアフリカ」となり本来ならば豊富な資源を元に豊かな国へとステップアップできるはずが、豊富な資源ゆえに逆に貧しさがひろがっている。たとえば、コンゴ東部には、豊富な天然資源を巡り、今では40以上の美装勢力が割拠して内紛が続く。家族を殺害され、襲われる女性が20万人以上もいるという。こんな報道に接すると、身内のようにそういう国、”でたらめな国”と誰しもが思いがちである。しかし、私は本書から、多角的な視点でアフリカをとらえることの大切さを学び、そういう国と一言で言い切れない複雑さと多面性に驚かされた。アフリカに少しでも関心がある方には、お薦めしたい決定版である。

勝俣氏は、この分野に進む時、恩師からアフリカは地政学で考えないとわからないとアドバイスをされたそうだ。確かに、何度も、しかも様々なアフリカの諸国に通いつめたフィールドワークの土台を感じさせられる著者ならではの一冊である。2冊目の入門書が発刊されるいうのも、それだけアフリカの現実を日本人があまり知らないということになる。

「アパルトヘイトに対する私たちの長い闘いは、単に大多数を占める黒人を自由にすることだけではなく、それに加えて、マイノリティの白人をこの悪の体制のはらむ恒常的戦時体制とも言うべきメンタリティから自由にしてやることでもあったのです」

こんな言葉を残したネルソン・マンデラ元大統領の追悼式典が行われた会場となったサッカー競技場には、まるで別れを惜しむかのように雨が降りそそいでいたという。

■私のアフリカ入門
21世紀の潮流「アフリカ ゼロ年」
アフリカの遠い夜明け
アフリカの遠い夜明け2
「アフリカ ゼロ年」感染爆発が止まらない
「アフリカ ゼロ年」こども兵を生んだのは誰か
・「アフリカ ゼロ年」貧困を引き裂くのは誰か
アフリカを巧みに繰る非鉄メジャー「アングロ・アメリカン」
「アフリカ 苦悩する大陸」ロバート・ゲスト著映画『ホテル・ルワンダ』
映画『おいしいコーヒーの真実』
映画『尼僧物語』
「国際連合」明石康著
「エコノミック・ヒットマン」ジョン・バーキンス著

「すべて僕に任せてください 東工大モーレツ天才助教授の悲劇」今野浩著

2013-12-08 19:49:08 | Nonsense
お金をおろすのに、電車賃代を節約して5駅先の銀行まで自転車で30分かけて行く。真冬でもYシャツ1枚で、猛烈に働き、内緒話を廊下中に聞こえるような大声で話す。新調160センチ程度だが、体重は70キロの男性。こんな男が結婚したいと見合いを繰り返しているうちに、勿論、断れまくり、解くのが難解な「NP困難」とまで言われるようになった。

けれども、この男性、白川浩さんは確かにお見合い市場では不人気だったのかもしれないが、数学の才能が抜群で教授の講義の誤りを指摘する天才くんと呼ばれる男だった。博士課程を修了して東工大のヒラノ教授の助手になると、年間4000時間も勉強に没頭するばけものだった。やがて、彼の傑出した頭脳と才能、そして猛研究の成果が花を咲き、金融工学の分野で世界をリードすると期待されるまでの研究者になっていった。「ヒラノ教授と七人の天才」で最後に登場した研究者が白川ハカセ。しかし、そんな国際級のエース白川さんは、11年前に42歳の誕生日を病床で迎えてまもなく亡くなっていた。

そして、ヒラノ教授が、数理工学的な方法を利用して金融・財務の先端技術の共同研究するために設立し、白川さんが心血をそそいだ東工大の「理財工学研究センター」も、独立行政法人化の流れを受けて廃止に追い込まれていった。世界的研究拠点をめざし設立した当時は、多くの論文、解説記事、学会発表やシンポジウムを開き、学外の専門家による業績評価では最高ランクの格付けを獲得したのにもかかわらず。そこには、所詮、大学は文部科学省の管理下にあることから、ヒラノ教授の”戦略”が甘かったということは否めないのだが、著者の悔しさや無念さと白川ハカセへの配慮への”もし”という後悔もにじみでている。

本書の構成は、二重構造となっている。10年にひとりとうたわれた天才助教授・白川浩氏の行動と天才ぶり、そして彼とやがてパートナーとなる著者の蜜月時代の研究生活と離れていった大学での仕事や研究者としての方針やあり方。そして、もうひとつは金融工学の黎明期と歩んだヒラノ教授の業績から学ぶ日本のこの分野の歴史と、さらにさまざまな戦略も必要とする象牙の塔の大学の表と裏”事情”である。

ヒラノ教授と白川ハカセは、つまるところドン・キホーテだったのだろうか。

少々変わっているかもしれないヒラノ教授と、つきぬけたエンジニアで誰もが変人と認定する白川ハカセのコンビは、読み物としてもおもしろくどんどんひきこまれていくのだが、かっての白川少年が、業績を築き時代の脚光をあびて助手から助教授へと階段をのぼるにつれ、学生の指導、会議、大学職員としての雑務など、次々とさまざまな仕事を背負い込み命を摩滅していった鎮魂歌となっている。背景をあやどるのは、学部間の領土問題、予算どり、ポストの奪い合いややりくり、東大京大とのせめぎあい、おカミのおふれ、、、実に名作映画「仁義なき戦い」をみるようだった。

ファイナンス理論、ポートフォリオ分析、クオンツ。すっかりなじみのある単語に、理系出身の大学生が金融機関に就職するのも今では一般的といっても差し支えないだろう。半沢直樹の融資の仕事は銀行業務の主流だろうが、世界の金融業界で日本の銀行の存在感をアピールするためには、数学にさえた理系の金融マンも必須のはず。本書を読んで、ひとりの大学助教授の命とともに、私は日本が失ったものの重さをはかりかねている。

最後に、白川ハカセは「NP困難」を無事に解決し、後輩に希望を与えたばかりか、妻との間にふたりのお子さんも生まれたそうだ。

■読み始めたらとまらないシリーズ
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」
「工学部ヒラノ教授と七人の天才」

「工学部ヒラノ教授と七人の天才」今野浩著

2013-12-02 22:40:41 | Book
稀な人、というのは、日本では少し不幸かもしれない。空気をよみながら、団体行動がよしとされる日本の風土で、ある種の際立った才能や頭脳に突出した天才は、何となくここでは生きにくいのではないだろうか。天賦の才能を与えられた数学者の列伝を書いた藤原正彦氏の「天才の栄光と挫折―数学者列伝―」は、まばゆい才能とそれがもたらしたかのような天才たちの悲劇を格調高い抒情性で書かれ、評伝ものとしては特別に素晴らしい一冊だった。

さて、ところかわり、大岡山(東京工業大学)を縄張りとした同じく天才たちの素顔?実像をあますことなく紹介した、ヒラノ教授の本書「工学部ヒラノ教授と七人の天才」も”格調高く”・・・なんていうことはない。同じ天才ものを書いて、この差、いや違いは何なんだ。やはり、作者の”品格”の差か、なんて言ったら失礼。私は、象牙の塔に住んでいるとはとても!思えない、親しみやすいお隣の少々変人のおじさまタイプのヒラノ教授を大好きである。それは兎も角、次々といつのまにか刊行されていたヒラノ教授シリーズものだが、今度はヒラノ教授がめでたく筑波大学を脱出してソフトライディングした東工大で出会った、驚くべき7人の天才たちのお話である。

文理両道の大教授、三階級特進のロールズ助手、NP完全問題と闘った男、ベトナムから来た形状記憶人間、研究の鬼、谷崎潤一郎に次ぐ才能、突き抜けたエンジニア。

本書を読んで感じた彼らの共通項は、勿論、傑出したスーパーな特製の頭脳。そしてエネルギッシュなたくましさ、というよりも世間の目をものともしないずぶとさ、あつかましさ(あっ、文理両道の大教授の吉田夏彦氏はタイプが違う)、唯我独尊、怒涛のごとく邁進する研究生活、等々、彼らの生態は実に興味深いのだが、他方でその精神構造は本書を読んでもいまだに謎に包まれて解明されていない。ある者は、後輩をこきつかった御礼に晩飯をおごると連れ出し、道端で買った菓子パンを食えと強要した難問にとりこまれた数学者、艶聞の絶えなかった日比谷高校で谷崎潤一郎に告ぐ才能と評された著名な文学者、廊下中に響き渡る大声で内緒話をして、お金をおろすのに5駅先の銀行まで自転車で行くエンジニア。金融工学の第一線者とは思えない合理的ではない行動が、笑える。

それぞれに破天荒なエピソードが、ヒラノ教授によってひそやかに語られている、というよりも暴露されているのだが。しかし、そんな天才たちを一言で言い切ると、本当に「すごい人」になる。いろいろな意味で、やはり「すごい人」たちなのだ。ヒラノ教授がたとえ”はしたない奴”と仲間からそしられても読者に伝えたかったのは、この天才たちの”すごさ”になるのではないだろうか。「すごい」という言葉には、確かに人の心を魅了する感動が含まれている、と私は思うのだ。

他方で、研究というものがいみじくもヒラノ教授によるとある研究者を「ウインブルトン選手権」のチャンピオンという表現で語られているように、熾烈な競争であり、勝者をめざして戦わなければいけないということだ。

そしてシリーズもので、毎度訴え続けているのも日本の大学の行く末と問題点である。ロンドン・タイムズ紙や中国の勝手格付けの世界の大学ランキングはあまり意味がないと私は考えるが、2005年に実施された国立大学の独立法人化は、研究環境を益々劣化させているのは事実であろう。研究費、給与の削減、事務処理の増大に反比例して事務職員の削減等。それにも関わらず博士課程を取得する者に応えることのできない環境や制度。こうなったら、怖いものなしの定年を迎えヒマのあるヒラノ教授の語りは、まだまだ続けていただけなければならない。

■まさかのシリーズ化
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」