千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

ファーストレディの掟。

2008-06-29 17:13:07 | Nonsense

カーラ仏大統領夫人、イスラエル訪問で「ディオール」着用。

ニコラ・サルコジ仏大統領のイスラエル訪問に同行し、22日にテルアビブ近郊のベングリオン国際空港に降り立ったカーラ・ブルーニ夫人が着ていたのは『クリスチャン ディオール』だった。
キャメル色のコットンドレスに、同じくディオールのゴールドのサンダル、品のいいシャンパンゴールドのバッグ「ベイブ」を合わせた。(2008/6/27 by Fashion Week Daily/MODE PRESS)

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さすがに、センスがよいと感じられる服装だが、少々カジュアルかもしれない。しかし、3月に英国を公式訪問した時の、セリーヌだろうか、あかるめグレーのドレス風コートにおそろいの帽子と手袋は、品があってよく似合っていた。独身のモデル時代の見事な裸体まで含めて、世界でもっとも有名ナファースト・レディと言えば、フランスのサルコジ大統領夫人、カーラ・ブルーニさんだろう。今のところは。

先日、「ファースト・レディはどちらに」を書いたのだが、米国においてはその象徴ともいうべきジャクリーン・ケネディ(私にとっては、ジャクリーヌ・オナシス夫人としての方がずっとなじんでいるのだが)の特集が、今月号の「VOGUE」に掲載されていた。アメリカ大統領夫人として、そのセンスと品格のスタンダートとなり、今も尚、希望に満ちていたアメリカの郷愁とともに愛されているのが、ジャクリーン・ケネディ。以下の掟は、従来のイブニング・ドレスの雰囲気損なわず、手袋と真珠のネックレスでクラシックな様式感をもちながら、ドレスの裾を膝丈にすることによって新鮮な溌剌さに好感をもたせたジャッキーを生まれながらのファースト・レディと尊敬するジーン・クレールさんの記事を要約。

1.裕福な家庭環境で備わったスタイル
1929年、ニューヨークで生まれたジャッキーは、10代で両親の離婚という不幸に直面するが、一貫して裕福な生活をおくり、早い時期からニューヨークのソーシャライトとして知られた。NY郊外イースト・ハンプトンで馬術競技に出場した時の写真が掲載されているが、私はおさげ髪の美しい少女に一目でひかれた。

2.夫にとって欠かせないパートナーであり続けた
外見の容姿は、実はケネディの好みではなかったと伝えられているが、彼女を妻に選択した大統領の目は正しかったと思う。1961年、わずか32歳で大統領夫人として国民の心をつかんだ。米ソ冷戦やベトナム戦争と社会の価値観がゆらぎ、激動の時代だった米国で、国民の求心力となり愛された女性だった。

3.社会に貢献する大切さを世界に広めた
日本のような皇室や王室をもたない米国では、ファーストレディがその役割を担う。重要なのは、常に人々の注目を集める存在だった彼女を通して、その活動の報道写真が世界中に発信されたことだろう。

4.アメリカ文化の歴史的価値を高め、記録した
ホワイト・ハウスの住人となったジャッキーは、大規模で大統領公邸の修復を行い、自ら案内役になってホワイト・ハウスを案内する映像を流し、米国文化を誇りに思う気持ちをアピールした。

5.母としての喜びと悲しみを乗り越えた
長女を出産した亡くし、また大統領就任中にも出産した息子を亡くしている。ケネディ暗殺後の幼いこどもふたりを連れて、葬儀に参列する姿は、当時、世界の人々の胸を痛めた。

6.国家を超越した存在として外交に精をだした
ウィーンで開かれたケネディ大統領とフルシチョフ・ソビエト連邦書記長との会談は失敗に終わったが、フルシチョフはジャッキーに魅了されて「秘密兵器」と呼び、ケネディよりも先にジャッキーと握手をしていたなど、歴史的逸話が多い。

7.時代を超えて、永遠ファッション・アイコン
この掟に関しては、私は、何よりも、ケネディ暗殺後に、当時副大統領だったリンドン・B・ジョンソンが、急遽、大統領に就任する時の宣誓式でジャッキーが着ていたスーツに、まだ惨劇の血がついていたこと以外に語ることはない。

米国民の心に今も強く残るジャッキー。巨万の富と名声、賞賛を受けながらも、彼女の人生は、凡人の想像つきがたい苦難の道だったのではないだろうか。米国の希望の光ともいえた亡きケネディの妻、元ファーストレディとして国民が期待する道のりは、彼女自身の本当の人生と言えたのだろうか。メディアに常にさらされていながら、後年、ジャーナリストに転進したのも皮肉は気がする。結局、記事を読んでいて、神格化されたような賞賛につつまれていて、ジャッキーの本質はベールに包まれてしまった。ジャクリーン・ケネディ・オナシスとは、いったいどういう女性だったのだろうか。

「オーケストラ・ミューズ」第4回演奏会

2008-06-28 22:43:54 | Classic
毎年、初夏の恒例として私の中で定着したのが、オーケストラ・ミューズの演奏会。ここのところ、諸事に悩んだり、ともすればあれがちな心に滋養の優しい雨のような音楽を聴き、音楽を趣味としてよかったとしみじみと実感する今日この頃なのだが、今回は演奏内容にふれずにさらりと記録。

最近、すっかり気に入ってしまったのだが、オーボエ奏者の茂木大輔(芸名・もぎぎ)さんの著書であるが、それにならって季節ものの曲といえば、夏はシベリウスのVn協奏曲。ジャン・シベリウスは、フィンランドの作曲家で、1865年に生まれて1957年に亡くなった。と、言うことは、20世紀を生きた作曲家だったのだ。えっっ、、、恥ずかしながら、シベリウス唯一のヴァイオリン協奏曲が、1903年に作曲されていたなんて全然知らなかった。同時代のストラヴィンスキーや、シェーンベルクらの新しい芸術思想とはあまりにもかけ離れているからだ。
しかし、今夜あらためて聴いてみると、曲想はともかくテクニックはこれでもかっ、というくらい難所がいくつもあり、この山を制覇するのは、かなり厳しいことが素人なからも想像される。あんな重音を指板上でいったりきたりさせるテクニックにも関わらず、正確な音程でつややかな音色でうたえるソリストの演奏に、心があらわれるようだった。

「拍手のルール」ではないが、いつもながら背中で聴衆の拍手のタイミングまで指揮しちゃう小田野氏の指揮ぶりを、今回は特別に熱心に観察した。すると、指揮を見ながら曲の構成や意図もちょっとばかり、不遜にも”わかった気”になる。

続いて、ベートーベンの交響曲「英雄」。この曲に関しては、いつか別に感想を述べたい。
もぎぎさんの著書で血液型別音楽鑑賞教室なる文章を読んだ記憶があるが、もしもベートーベンのウィーンにある遺髪をDNA鑑定したら、私はこの方の血液型はB型だと信じている。(世間では、AB型と認定されているようだが・・・。)単純にして粗野な部分がありながら、純粋でナイーヴなこころ。年々、ベートーベンが好きになったのも、このオケと8月31日に「第九」のコンサートをひらく「メロス・フィル」のおかげであろうか。特に第二楽章の「葬送行進曲」がお気に入りである。
つくば市の夜は早い。都心の雑踏とは離れ、演奏後に静かな余韻にもひたれる。

---------08年6月28日 ノバホール ------------------------
シベリウス ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン : 三浦章広(東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
指揮
小田野宏之

やすらぎのピアノ王子

2008-06-26 23:13:21 | Classic
あれは、3年前のブログに書いたことだった。王子の条件とは⇒「王子とよばれるGackt」今最も”旬な”俳優の小栗旬くんが、TVドラマ『花より男子』で花沢類役を演じたことによって、時代は王子キャラを変えたと思う。

昨年、クラシック音楽界で、ちょっとした異変がおこった。日本一敷居の高いあのサントリーホールの大ホールで、新人のピアニストがいきなりデビューしちゃったのだ。しかも、演奏後のサイン会には、握手を求めて800人以上の行列ができたのだ。ほぼ2000人の収容力のあるホールを考えると、これは、もはや事件である。確かに、東京藝術大学大学中の20歳の時に、日本音楽コンクールで優勝した実績はある。しかし、そういう実力派の若者が、毎年輩出されるのが、日本の音楽事情。そんなひしめくライバルたちから抜け出て、リサイタルのチケットは完売、弱冠24歳でセカンド・アルバムをリリース、これから全国ツアーを控えている身長181センチの「耳も目も癒してくれるピアノ王子」が、外山啓介さんである。

昨日の読売新聞では、ピアノ王子、或いは「イケメンピアニスト」としてワイドショーの密着取材まで受けているらしい外山さんを大きくとりあげていた。記事を読む限りは、同じく王子キャラで大人気のゴーマンな「のだめカンタービレ」の千秋と違って、平均的なサラリーマン家庭に育ち、天才にありがちな変人ぶりは微塵もなく、あくまでも謙虚でおだやか。そこが、また王子的なのかもしれない。意外にも、大好きな音楽は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
「演奏して、拍手を頂き、お客様に喜んでもらえたとき、すべて報われます」
サントリーホールでのデビューの時は。ワケがわからなくなるくらい緊張したそうだ。手の届かない遠い王子というよりも、むしろ庶民的で親近感のある王子の方が、大衆受けするのも現代だ。唯一、千秋との共通点は、掃除が好きで清潔、電動ミルで豆をひき自分好みの珈琲をいれ、料理もなかなかの腕前らしい。ショパンを華麗に料理する「カレーの王子」でもある。

何故か、外山啓介さんは、数年前から知名度抜群。人の印象に残る華のある方なのだろうか。私は、芥川賞作家の平野啓一郎さんが、文壇にデビューした時に雰囲気が似ていると感じた。ロン・ティボー国際コンクールで優勝した田村響さんよりも、おそらく女性のこころをつかんでいると思われるのが、サイン会に並んだのが、殆どが女性だったことだ。あのエイベックスからCDをだしていることを考えると、これまでのミュージシャンのセールスを応用して、髪型・服装も含めての戦略も考えられているはずだ。もしかしたら、近いうちに株主総会でショパンを弾いてくれるかもしれない。しかし、今の人気に甘んじることもなく、今秋からドイツ・ハノーバー音楽演劇学校に留学して国際コンクールにも挑戦する予定である。

「世界に名を残したい」
ラフマニノフ並の長く美しい指の持主、やすらぎの王子は、本気でピアノに向かっている。
そう言えば、Gacktさんはルーマニアに行っているらしいが。

ファーストレディはどちらに

2008-06-24 23:10:58 | Nonsense
新聞などの報道で、今秋決まる米国ファーストレディ候補?のふたりの分析表が紹介され始めた。
ヒラリー候補の敗北によって、結局、米国の女性にとっては「ファーストレディ」としての古典的な立場と役割が活躍するフィールドとなってしまったのだが、シンディ・マケインさんもミシェル・オバマさんもなかなか個性的な人物(女傑)らしい。まずは、おふたりのデーターを。

シンディ・マケインさん(54歳)
アリゾナ州出身
父親は大手ビール卸業「ヘンズレー」の創業者
こどもは養子も含めて4人
推定年収600万ドル

ミシェル・オバマさん(44歳)
イリノイ州出身
父は元シカゴ氏水道局勤務
娘がふたり
推定年収27万ドル

ファッション誌「ヴォーグ」6月号に写真入りの特集記事が掲載されたシンディ・マケインさんは、身長165センチと小柄で、はいている高級ジーンズのサイズは、0号。0号は、けっこう細いぞ。写真で見る限りは、さすがに一部、中年体型になりつつも、手足はかなり細くてスリム。多分、体重が50キロを肥えることはないと判断する。洗練されている雰囲気が、裕福な資産家の令嬢の面影を残す。対象が女性となると、まず容姿とセンスになってしまうのだが、この元お嬢様はなかなかの行動派で、24歳の時にハワイで18歳年上の既婚のマケイン氏と出会い、略奪結婚している。また、1991年に訪問したバングラデシュの孤児院から、孤児ふたりをつれて帰り、ひとりを養女にすると宣言して、年長の夫を仰天させた。単独では、演説を行わないが、ミシェルさんへの対抗意識はあるようだ。
一方、ミシェル・オバマさんは、身長180センチで体格がよい。ハイヒールをはくとオバマ氏と並ぶように、夫婦の関係は対等のパートナー。さすがに、民主党員らしく、友達夫婦。貧しい黒人街で育ち、ハーバード大法科大学院から有名法律事務所に入り、2歳年上のオバマ氏と出会った。つまり、弁護士であり、夫が大統領選挙に出馬するまで大学病院の役員としても活躍していた。米国の歴史にも残るくらいの熾烈な選挙戦を闘ってきたオバマ氏だが、日本にはあまり知られていないが、ちゃんとあいまに休暇はとっていたのだ。なんたって、ミシェルさんのモットーは家庭第一。選挙活動よりも娘のバレエの発表会などの行事優先を要求するワーキングマザーである。夫顔負けの弁舌は頭脳の優秀さの表れだが、率直な物言いが、時には誤解を招くのが選挙戦だ。私は、薬物依存症だったシンディさんよりも、そんなはっきり言っちゃうミシェルさんの方に好感をもつが、「強い女性」から万人向けの「好かれる女性」への転進中とのことらしい。スーツ姿から優しい印象のワンピースに真珠のネックレスの登場回数が増えている。愛煙家の夫を「大統領か、愛煙家のどちらかにはなれる」と痛烈に皮肉を言って、バラク氏を煙にまいた猛女でもある。噂によると、バラク氏はミシェルさんには頭があがらないそうだ。ホントか?

やはりおふたりとも、大和撫子にはなかなか発掘できない個性をお持ちであることはわかった。こんな強い?妻と結婚生活を維持できるマケイン氏もオバマ氏も、見た目以上にタフである。なにやら、お互いに君もなかなか大変だね、、、といたわりあっているように見えるのは、私だけだろうか。↑

■この頃は、勝利を予測できなかったアーカイブ
・人種差別をこえたオバマ氏

『おいしいコーヒーの真実』

2008-06-22 15:17:48 | Movie
コーヒー党の方には、ほろ苦い話。けれども、おいしいコーヒーを一杯飲む前に、お耳をかしていただきたい。コーヒーは世界でも日常的な飲物として、全世界で1日あたりの消費量は約20億杯分にもなる。年間売上は、800億ドル。それでは、私たちが、喫茶店でコーヒー1杯を飲むと、生産者の農家にいったいいくらのお金が渡るのだろうか。




コーヒーの価格変動は激しく、また生産国、品質・銘柄、消費国、喫茶店やコーヒーの種類によって、価格は大きく異なりそうだ。1998~99年、喫茶店(東京)のコーヒー1杯の平均価格が419円の時のコーヒーの生産者価格から焙煎豆価格のデーターによると次のとおりになる。

タンザニアのコーヒー農家 0.4%(1.7円)
タンザニアの流通業者・輸出業者 0.5%(2.1円)
日本の輸入業者・焙煎業者・小売業者 8.2%(34.4円)
日本の喫茶店 90.9%(381円)
現在は、コーヒー農家の取分がさらに下落し、なんと喫茶店コーヒ価格の0.1%である。
エチオピア連邦民主共和国の国民は、5人に1人がコーヒーで生計をたてている。しかし、2002年末、エチオピアのコーヒー農家は再び困窮し、飢餓に陥った。たった1杯のコーヒーを通して、生存のために戦っている何百万人という人々と自分たちが避けがたく結びついていることから、マーク、ニック・フランシス兄弟は、ドキュメンタリー映画を製作した。
これまでの映画と視点が違うのは、アフリカの貧困と悲惨さに先進国の哀れみの「かわいそうね」という映画鑑賞後の満足感を与えるものではない。

「精力的に働いている大柄な男性の名前は、タデッサ・メスケラ氏。高い教育を受けたエチオピア人の彼は、74000人以上のコーヒー農家をたばねているオロミア州コーヒー農協連合会の代表である。映画は、彼の行動を通して、次々とエチオピアの現状と矛盾をうきぼりにしていく。メッセージ性を強くうちださずに、事実を淡々と紹介して映画を観る我々に考えさせる。タデッサが、生産者に君達が生産しているコーヒーが、一杯いくらで飲まれているかという質問に答えられない彼ら。その価格差に驚き、あきれて怒る彼らの姿を通して、コーヒー豆が生産者から消費者に届くまで、非常に複雑なルートをたどり、世界市場において、石油に次ぐ巨大な国際的貿易商品であることを紹介している。彼らの無知は、かなしいかな、そもそもコーヒー価格は、ロンドン、ニューヨーク市場の商品取引において、生産者の関係のないところで決められている。懸命にどんなに働いても生活できない彼らは、最近では、コーヒー栽培から「チャット」という欧米では違法とされている大麻に生産をきりかえている。
「チャットの葉を噛むと、元気がでてくる」
「そう笑う青年の無知を笑えない。彼らは、最低限の教育すら受けられないくらい困窮しているのだから。教育の必要性を訴えて、農協連合会でえた利益を学校建設に提供しようという提案に賛同する人々の真剣な表情には、心底胸をうたれる場面である。
そして、1杯のエスプレッソに必要なコーヒー豆は50粒。ハイセンスなオフィスで極上のコーヒー豆からつくられたエスプレッソをご自慢しているイタリアのコーヒー・メーカーの老社長なのだが、そのコーヒー豆をすべて人の手で選り分ける仕事に従事する女性たちが受け取れる賃金は、8時間働いても、わずか0.5ドルという現実。

こうした状況を打破し、複雑な流通経路を簡略化し、生産者が直接焙煎業者と交渉して適正価格で取引できるように奮闘しているのが、タデッサ・メスケラ氏である。映画では紹介されていなかったが、メスケラ氏は、日本の農協で2ヶ月間共同運営の研修を受け、中間業者や輸入業者に支払われている金額を生産者が受け取れる協同組合のシステムに感銘を受けて、1999年故郷でコーヒー農協連合会を設立したのだ。(ちなみに、こうした発展途上国の原料や製品を適性な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す取り組みが、フェア・トレードである。)しかし、彼の運動は、まだまだ小さな力でしかない。だから、この映画の問いかけを考えなければならないだろう。メスケラ氏の言うように、「知ることは変革への最初のステップ」なのだから。

エチオピアでは、毎年700万人が緊急食糧援助を受けており、緊急支援に依存せざるを得ない状況に陥っている。しかし、アフリカの輸出シェアが1%増えれば、年間700億ドル創出できる。これは、アフリカ全体が受け取る援助額の5倍に相当する。途上国の人々に必要なのは、お金や食料をめぐんでやることだろうか。

映画の中で、最も印象に残ったのが、食料援助を受ける父親の理路整然とした言葉だ。
「こどもたちの前で、食料を恵んでもらう。そんな姿を見て育つ彼らが、果たしてこの国に夢をもてるのだろうか。施しはいらない。必要なのは、自立することだ」

監督:マーク&ニック・フランシス
2006年米国・英国制作


「拍手のルール」茂木大輔著

2008-06-21 11:35:22 | Book
「お客さんが満足したかどうかは拍手の仕方ですぐわかる。そりゃ気になります」
著者は、オーボエ奏者としてオケマンとなって21年。中村紘子さんも演奏後の観客からの拍手をあびると、病みつきになるとおっしゃていた。演奏家にとって、終演後のビールや恋人との逢瀬に劣らず気になるのが、拍手だとか。ぱちぱち・・・。
ところが、最近、その「拍手」事情に緊急事態が発生中!
私もずっと気になっていたのだが、演奏後の余韻を一瞬にして破壊する拍手である。音楽の感動に圧倒されているさなか、いきなり渋谷駅の雑踏の中で「え~、傘をおもちのお客様は~、車内にお忘れものをされないように~」というアナウンスで雑多な現実に戻されるかのような”タイミング”での拍手。えっっ?!こんなタイミングで拍手できるの、みんなちゃんと聴いていたのかっ。

あの温厚なromaniさまですら、あるオペラの演奏会で起こった演奏中の拍手、しかも俗に言うフライング拍手がおさまった後、まだ音の余韻が残っているのに鳴り出した拍手が、「感動的なトリスタンを見事にぶち壊してくれた」とお怒りになられていたっけ。ご同情申し上げまする。。。
「猛省を促したい」
そんなromaniさまのセツジツなお声が、NHK放送交響楽団にも届いたのでしょうか。広報部長のようなもぎぎさんが、フライング拍手、フライングばぼー、「ええと、これはもう、立派な犯罪である」と断言してご登場されたのが、本書の「拍手のルール」。

拍手を音量、音程、密度から分析し、作品別の見取図、拍手の常識、海外事情など、もぎぎ氏の実にりっぱな研究成果が披露されている。といっても、なにかと敷居が高いと敬遠されがちなクラシック音楽業界からのお小言ではない。マニアックな落語ファンとして磨かれた著者の名人の域に達するくらいの話術に、儀礼的でもいい、「でも曲の最後の音が消える前に拍手するのはやめてくださいね」という演奏者と聴衆が協調して音楽を楽しむ作法が伝授されている。あんまんで言えば、中身のあんこが拍手のルールであるが、話題は豊富、指揮者式手記、名曲の個人情報など、もぎぎ亭の落語は続く。

私の名曲個人情報の拍手と言えば、忘れられないのが故朝比奈隆氏がふる大阪フィルの「ブルックナー」である。
演奏終了後、拍手が続く、続く。当時、90歳をこえた老巨匠が、再び呼び戻される。オケ、ビール呑みたいし、、、帰る。熱心なファンが、舞台下までつめかけて、拍手鳴り止まず。延々と続く拍手。。。もぎぎ氏は、指揮者としてこのような老巨匠への拍手は冥利につきると言いつつ、「これでお別れかも・・・」との思いがおじいさんを離さないとせつなく説明されている。やっぱり、ビールは生よりも「黒」の私ではあるが、どんなに完成された名演奏よりも一期一会の生演奏こそ音楽の本質だと思っている。この演奏会も、一生の思い出になった。

最後に、calafさまにお伝えしたいのが、もぎぎ氏の次の言葉であろうか。

「自分の子供や恋人の演奏は、あらゆる名演の感動をしのぐ。感動とは、そういうものなのである」

■アーカイブ
・「くわっしく名曲ガイド」茂木大輔著

『突然炎のごとく』

2008-06-18 23:04:22 | Movie
そもそも論だが、日本の婚姻制度は一夫一婦制になっているが、それで男も女も、いや女も男も、本当に納得しているのだろうか。長年疑問に思っていたのだが、ここでは加賀乙彦氏著書の「雲の都」の主人公、フランス留学の経験もある精神科医の小暮悠太の意見を拝聴してみよう。

「一夫一婦制という制度に無理があると思うんだ。フランスの小説を読むと、あの国じゃ不倫が普通に思える。バルザック、スタンダール、フローベル、みんなそうだ。ああいう小説家たちは人間の本能の幅が一夫一婦制からはみだすことに気づいていた。日本は維新で一夫一婦制度をとりいれたけど、徳川時代は自由奔放だものね」
そうすっか、だったら篤姫でなく腰元でもいいから、徳川時代に生まれてかった・・・。

オーストリア出身の青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)とフランス人のジム(アンリ・セール)は、パリ、モンパルナスで出会い、共通の趣味である文学を通して親友になる。ある日、アドリア海の島にある美術公園の彫像の女の顔にひかれる。やがて、ふたりはカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)に恋をする。あの女にそっくりだったからだ。ジュールは彼女に求婚し、結婚した。第一次世界大戦が勃発すると、ふたりは兵士として戦い、カトリーヌを思いながら、なんとか戦渦をまぬがれて生き延びた。夫婦の山小屋で再会する3人。6歳の娘がいながら、男と女という意味ではジュールとカトリーヌの夫婦関係は終わっていた。
そして、話し合いの結果、3人は共同生活をはじめることになったのだが。。。

大きな瞳、意志的に結ばれた唇。『ぼくを葬る 』で毅然として魅力的なおばあちゃん役を演じたジャンヌ・モローは、若いときからジャンヌ・モローだった。3人の恋愛の主導権を握っているのは、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌ。自由奔放で、世間の道徳ではなく、自分の感情、情愛のままに生きる情熱的な女性は、古今東西、殿方たちにもたまらなく魅惑的なキャラクターなのだろう。親友の恋人、妻と寝る行為、また逆に親友にもっとも大切な女を譲ること。男性にとっては、心から信頼できる親友だからこそ可能なこのような関係、女性からすれば、異なるタイプのふたりの男性をそれぞれに愛する関係。こんな世間をはばかるようなときめく関係は、恋の国フランスだけでなく日本だって、その昔、負けずに存在していた。

夭折の詩人、中原中也は17歳で美貌の女優志望の女性、長谷川泰子と同棲した。その後、東大生の小林秀雄を紹介されると、泰子は小林のもとに奔走した。同じ文学の世界に生きている中也と小林秀雄だが、かたや詩人で、もうひとりはそれらの作品を批評する人。完全なる人間が存在しないのであれば、ふたりの男性を愛する、恋したことで成就できる「恋愛」があるのかもしれない。
当時の泰子の気持ちがいかばかりか推測できないが、泰子にとっては恋の対象が変わったけれど、ふたりの男性のこころを同時に奪っていたことは、中也の詩からも想像できる。
カトリーヌも3人の共同生活をおくりながら、夫への愛情は情愛に変節し、ベットをともにする男性としてジム、また別の男を選んでいった。1962年制作のアンリ=ピエール・ロシェの小説を映画化した本作は、今観てもスタイリッシュな新鮮さにめまいがしそうである。彼らの服装、研ぎ澄まされた小説のようなナレーション、そして生き生きとした映像。観終って数週間たったのだが、いくつものシーンが不意にうかんでくることから、想像以上に鮮明な印象が残ったのだろう。あくまでも淡々とした物語の運び方が、エキセントリックで奔放なカトリーヌのキャラクターをシックにおさめているのが成功している。激発する感情をコントロールできない素養も、男性からすれば逃れられないファム・ファタールの要件である。
劇中で歌われる「つむじ風」というシャンソンもとても素敵。

明治政府時代に制定された「姦通罪」が廃止されたのは、実に1947年10月26日のことだった。

監督:フランソワ・トリュフォー
1962制作 フランス映画

「雲の都 城砦」第三部 加賀乙彦著

2008-06-17 23:24:01 | Book
昭和44年、東京大学全共闘の砦だった安田講堂が陥落した。何年か前に、当時の記録写真を交えた特集番組を観たのだが、中でもひときわ精彩を放ち、際立った存在感にひかれた青年がいた。「週刊AERA」の書評で、その方の「磁力と重力の発見」がとりあげられていて、私は初めてかって素粒子理論分野での将来のノーベル賞候補と期待されつつも、今ではひげをはやして還暦に近いそのいち予備校講師の経歴を知った。医学生の不当処分に端をなし、共闘組織された全共闘で、満場一致で代表に選ばれた、すなわち、全共闘の代表、山本義隆氏である。

これまで、ずっと見てきたり、聞いてきたり、読んできたのは、学生運動における理想をめざす感傷的な学生の立場だけであった。しかし、本書の小暮悠太は、I医科大学の医局に勤務する精神科医という立場で、ヘルメットを被り若く乱暴狼藉にふるまう学生と対峙することになる。ひとつの社会的現象も、対立する異なる立場で眺めるとこれほど違うのだろうか、と覚醒する部分もある。悠太が、ずっと精神病理学研究室で机を並べ、調査のコツを教えて犯罪学者として期待していた後輩が、拡声器をもって教授、助教授、講師といった体制側を反革命分子と糾弾するようになる。レインの「反精神医学」を実証しようとする彼らは、精神病者の症状を反体制の精神として革命的に正しいと主張する。とうとう犯罪精神医学会のシンポジウムでは、厳しく学生から批判され暴行までうけるはめになった。
大切な14年間分の研究資料が、研究室を占拠した学生たちによって焼却されたことを知った悠太は、学者としてたつ未来の夢も消え、野心も消え、過去の時間の廃墟に自分が残されたことを知る。

著者の加賀乙彦氏は、東京医科大学助教授から、40歳で上智大学文学部心理学科の教授に赴任している経歴の理由を本書で知りえた気持ちがする。長年憧れていた千束も、離婚して40歳になった。敗戦当時、若かった彼らは、日本の高度成長期とともに中年にさしかかっている。

前作では、医学生から医師として歩みはじめた悠太の内面世界と脳研究に主題がおかれていたが、第三部城砦では学生運動を物語の劇的なヤマバとしながら、研究者から作家としての道を歩みはじめる転機が中心になっている。さらに、登場人物それぞれの心情が次々と語られ、テーマーが拡散されつつ緩慢な気がしなくもないが、小暮家の大きな運命の流れを感じとれる。
ただ、あの時代はなんだったのだろうか、という体験していない者にとって不思議な感触も残る。悠太ではないが、学生たちの真の意味での精神病は存在しない、という理論武装は、どう考えても通用しない。しかし、最高学府で学ぶ多くの若者を熱狂させた風は、学生たちにも、また体制側の教授たちにも、さまざまな痛みの伴う傷を残した。

初期の著者の作品は、登場人物の心理をまるで人体解剖をみるようにさらりと描写していたような気がする。書いている内容の重さにも関わらず、文体は洗練されていて静謐な印象の記憶がある。加賀氏は、来年80歳になる。流れるように、かっての怜悧な小説から肩の力を抜いたような文章を読んでいると、この作家に影響された読者としては、円熟を味わう心境にもなる。おりしも、今日は、20年前の犯罪で死刑を確定されていた死刑囚の執行が行われた。もしも、悠太が犯罪学者の道をそのまますすんでいたら、このおぞましい死刑囚に対してどのような分析をしていたのだろう。学問の砦を去り、野のひととなってから徹底的に沈黙を守ってきた伝説の山本氏に、「もしも」がありえないことは、悠太にも同様にいえるのだが。

ちなみに、福井良之助さんの装画がによる表紙が素晴らしい。

■アーカイヴ
「雲の都 広場」
「雲の都 時計台」

ヒラリー氏と「女」の大統領選

2008-06-15 22:05:09 | Nonsense
アメリカの選択:大統領選予備選 クリントン氏「女性初」意義を強調 撤退を正式表明

米大統領選の民主党候補指名争いに敗れたヒラリー・クリントン上院議員(60)は7日、ワシントンでの集会で演説し、選挙戦からの撤退と、指名を確定させたバラク・オバマ上院議員(46)への支持を正式に表明した。クリントン氏は11月の本選挙で民主党として団結して政権奪還に臨む重要性を訴える一方、「いつの日か、私たちはホワイトハウスに女性(大統領)を送り込むだろう」と悔しさをにじませた。

「女性に最高司令官が務まるのか。私たちはその疑問に答えた。黒人が本当に大統領になれるのか。オバマ氏はそれに答えた」。クリントン氏は指名競争をそう振り返り、「女性初」「黒人初」の挑戦者として、有権者の戸惑いや不安と向き合いながら、「大きな進歩を成し遂げた」と歴史的意義を強調した。

米国では女性の昇進を阻む、目に見えない壁「ガラスの天井」があると言われる。クリントン氏は自身に投じられた1800万票について、「一番高く、最も硬いガラスの天井を打ち砕くことはできなかったが、1800万のひびを入れた」と評価した。
一方で、「私は最善の大統領だと思って出馬したが、女性であり、まだそこには障壁や偏見がある」と指摘。選挙戦で受けた女性差別的な報道や撤退圧力などを暗に批判した。クリントン氏はこれまで「女性候補」としての思いを強調しておらず、今回初めて詳しく触れた。
今後の去就については、12年の次期大統領選への出馬が取りざたされる中、「(女性が大統領を目指す)道は、次の機会では少し容易になる」と述べ、漠然とした「次回」への期待もにじませた。(毎日新聞 2008年6月9日)

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ヒラリー・クリントン氏は、昨年1月に出馬宣言をして敗北した16ヶ月の間、「女」という武器を使ってこなかった。
なぜならば「女としてではなく、大統領にもっともふさわしいから戦っている」と繰り返してきた。勝てば、”女を使った”と言われるであろうが、女性らしく美しく上品に化粧をしているが、むしろ全体の印象をあたえる髪型・服装では女としての色気を封印しているようにも見えていた。実際、ウーマンリブ発祥の地で、米国の女=世界一強い(最悪)女と揶揄されながら、ガラスの天井はとてもあつく硬かった。

「家でアイロンをかけてろ!」

集会での無名の馬鹿な男性のやじは、軽蔑して笑えばよい。しかし、テレビやラジオで著名な批評家が、「国民は女性(大統領)が毎日、年老いていくのを見たいのか」というコメントを繰り返してきたことには、日本の女性としておおいなる失望を感じた。賢い女性を敬遠する大衆を意識して幅広い層から票が集められるように、これまで彼女は、女性蔑視や差別発言を「別の機会に話しましょう」とやり過ごし、事実上沈黙を守ってきた。しかし、大統領選から撤退宣言をした7日、初めて「女」として、最後に女性支持者を意識して選挙戦を語った。

「私が目標を達成できなかったせいで、若い人たちまで落胆させるのは悲しい。」とし、障壁や偏見を認めながらも「つまづいたら自分を信じ、打ちのめされたらすぐに立ち上がりなさい。人生は短い。もしあの時、と立ち止まらないで」と励ました演説は、これまでのクリントン氏の演説で最高と評価されている。ワシントンの建築博物館に集まった多くの女性たちは、共感の涙を流したという。会場には、母ドロシーさんと娘のチェルシーさんも同席していた。

「母が夢にも思わなかった機会に恵まれたひとりの女性として戦った。娘の将来を憂えるひとりの母親として戦った」
そうだった、、、私が何よりも好きなのは、ひとりの娘であり、ひとりの母親としてのヒラリー・ロダム・クリントンだった。

■歴史に残る大統領選だった
・オバマ氏は民主主義の勝利か
・「クリントン氏の敗北 女性支持者に残った落胆と高揚感」
・「アフター・アメリカ」渡辺靖著
・ヒラリー、オバマ氏互角で歴史的激戦に
・ヒラリー候補が狙う健保改革
・人種差別をこえたオバマ氏
・クリントン前大統領の「マイライフ」

オバマ氏は民主主義の勝利なのか

2008-06-14 11:40:30 | Nonsense
読売新聞の書評者としてもすっかりおなじみの顔になったが、本業のアメリカ文化とコミュニティに関し、最近私が注目している気鋭の学者が渡辺靖さんである。
6月13日の読売新聞に、米大統領選の民主党候補者の指名レースのオバマ氏勝利に対して、文化人類学者としての視点から論じている記事が掲載されていた。

渡辺氏は、緒戦のアイオワ州から最終戦のサウスダコタ・モンタナ両州に至るまで、地図をとりだして調査で訪問したコミュニティの投票結果を追っていった。その結果、オバマ氏は黒人が多く住む居住地では圧倒的に強いものの、隣接する白人”労働者”やヒスパニック系移民が暮らす地区では苦戦していた。貧しい労働者たちによるクリントン政権時代からのヒラリー氏への支持と信頼は語られていたが、渡辺氏によると黒人と労働市場における競合関係、生活空間のおいては緊張関係が、オバマ氏の「希望」と「変革」が容易に届くことはなかった、という分析になる。しかも、オバマ氏が師と仰ぐ黒人牧師ジェレミア・ライト牧師による白人敵視発言が、警戒心を煽ったため、所属するトリニティー統合キリスト教会(シカゴ)の脱会宣言をした。
シカゴを政治活動の拠点としてきたオバマ氏が、貧困地区で受け入れられるためには、同師との関係が必要だったが、人種の壁を乗り越えてきた超克ではなく、私はむしろ”人種の融合・統合”としての象徴を印象づけられた彼が、今回の選挙戦では”黒人”であることを前面にださなかった戦略に、この国の「人種」問題の複雑さを実感させられた。おりしも「教会の演壇で白人を差別語で呼んだ」という妻のミッシェル夫人への中傷まで流布されては我慢も限界、「中傷と戦う」サイトを開設した。
素人の感想だが、米国は米国市民の半分を占める性の女性を大統領に迎える準備はできているが、まだ黒人大統領を受け入れる土壌ではないと考える。このような人種に関わる中傷は、ずっと続くだろう。
そして100年ほど前の伝説の黒人指導者W・E・B・デュボイスの「白人との”融和”は黒人にとっての”宥和”に過ぎない」という言葉が、いまだに黒人たちの血に生きているのだろうか。

さて、オバマ氏を紹介する言葉に必ずあるのが、”エリート”である。ケニア出身の父をもち、経済的にも恵まれなかったオバマ氏の経歴を考えると、決して”エリート”ではないにも関わらず、彼は優れた”エリート教育”を受けてきた。その教育がホワイト・ハウスの門を開くのかどうかは、いまだに予測つかないが、渡辺氏によると米国の民主主義の底力の証明である。資金力・知名度・組織力で万全の準備を整えて、誰もが勝利を予想したクリントン氏を破った要因としてあげられるのが、わずか5ドルの小口の寄付で選挙資金の9割で調達した驚異的な事実は、日本と米国の民主主義の歴史とあつさを感じさせられる。この現象を渡辺氏は、「既存の体制へのカウンター・ディスコース(対抗言説)を可能にする米社会のダイナミズムの証明こそ、オバマ旋風の本質的意義」と述べている。
そして、フロリダ・ミシガン両州の代議員の処遇をめぐって開催された民主党の党規委員会の審議・投票のテレビ中継で繰り広げられた厳しい議論に、密室政治ではない民主主義の勝利を渡辺氏は見た。
民主主義が、最良の、あるいは望ましい政治形態だとは決して私は考えない。
おりしも秋葉原の無差別殺傷事件にふれて、橋本五郎氏は、自分が福田康夫首相だったら、事件の強い憤りと原因の徹底糾明への断固たる意思を会見を述べると苦言を呈している。我が国の首相にたりないのは、橋本氏のようなほとばしる情熱なのか。視聴率をかせげる人気タレントを主人公にして、亡き政治家の父の看板と地盤を継いで総理大臣までのぼりつけるというストーリーを楽しめる国民の意識もあるのか。

オバマ氏は若者の絶大なる人気を誇り、初めて投票所に足を運んだ若者が記録的に多かった。ケネディ大統領の影響を受けて大統領にまでなったクリントン氏のように、オバマ氏に憧れて政治家を志す若者がでるだろう。
「そんな政治家を抱ける米国が羨ましい」
という渡辺氏の言葉で記事は結ばれていたが、クリントン派の私ではあるが、全く氏の感想に同調する。
”心底”羨ましい。

■アーカイブ
・「クリントン氏の敗北 女性支持者に残った落胆と高揚感」