千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ミューズの晩餐」

2009-05-26 23:27:51 | Classic
昨夜のテレビ東京の「ミューズの晩餐」のゲストは、ピアニストの仲道郁代さん。
この番組では、都会の片隅にある小さな洋館の主人が寺脇康文さんがホスト、キャッチフレーズが「情熱のヴァイオリニスト」の川井郁子が相槌をうつ役で(なかなか名コンビ)、毎週いろいろなゲストの方をお招きして、音楽を中心に語り合う大人の良質エンターティメント。

仲道郁代さんと言えば、アイドル並の顔立ちに日本音楽コンクールだけでなく、ジュネーヴ国際コンクール最高位、メンデルスゾーン・コンクール第一位
エリザベート王妃国際コンクール5位の実力をもち、近年は演奏会、CD録音だけでなく「仲道郁代の音楽学校」(現在は「仲道郁代のゴメン!遊ばせクラシック」)の演劇と音楽をコラボした企画ものの舞台等、単なるピアニスト以上の活躍ぶりである。一昨年でデビュー20周年を迎えたのだからそれなりの御年のはずだが、今でも充分に可愛らしい方だ。何年か前にファッション雑誌で仲道さんのレッスン室や靴の収納の仕方まで撮った写真を見たことがあるが、仲道さんは几帳面ながら合理的な考え方というのがその時の感想。整然と靴が並んでいるのだが、どれも上品でヒールの高さが殆ど同じで靴は必要最低限(と言っても、平均よりも多いと思われる)だけそろえ、お仕事がらだろうか、どれも新品のようでいて流行ものや個性的な靴はなかった記憶がある。印象的だったのは、主婦によくありがちなセールの時のサランラップなどの在庫分の買いだめをいっさいしないということ。なくなりそうな時、またセールがあるはずだからその時買えばよいとのこと。それから外出から帰宅した時に、すぐに着ていた服をしまわないで一日風を通すことだった。

そんな仲道さんが、番組中ピアニストとして「My first music」がグリークのピアノ協奏曲をあげていた。なんでも、仲道さんのお母様が妊娠中にこの曲をよく聴いてらっしゃていて、だからおなかの中にいる時から彼女は聴いていたそうだ。実は、私もこの曲は、生まれた時からというよりも、この世に誕生する前から聴いて知っているような気がしてならない不思議な曲なのである。もしかしたら、誰でももの心ついた頃から、前世から?なじんでいる曲があるのだろうか。

またお話しの中で興味がひかれたのは、ピアノの調律だった。ヴァイオリンと違い、自分で音程をつくれないピアノは、それこそ調律が命のようだ。音楽をやっている者にとっては、調律のあっていないピアノはとても気持ち悪く不快とはよく聞くが、ビデオで調律師に指示を出している映像も紹介されたのだが、こんな抽象的な音質の注文を満足させなければいけない調律師ってすごいというか大変・・・。だからいつも懇意にしている調律師さんにお願いするそうだが、長年依頼していた調律師さんも方向性が違ってきたと感じると、別の人に替えるそうだ。「その点は、シビアです」とはっきりおっしゃっていた。不図、チャイコフスキー・コンクールで優勝した上原彩子さんのご結婚相手が、調律師だったことを思い出した。余計なことだが”婦唱夫随”というのも、なかなか難しいものがある。

最後に、この番組の特徴である川井郁子さんとのデュオの演奏。仲道さんが「My Life My music」に選んだ曲は、コンサートのアンコールで必ず弾くというエルガーの「愛の挨拶」だった。川井さんはとても緊張していたそうだが、素敵な共演だった。

『ランジェ公爵夫人』

2009-05-24 19:59:05 | Movie
思うに、この映画はフランスの文豪、オノレ・ド・バルザックを充分に読み込んでいる熱心な読者のための娯楽映画である。バルザックなんて一冊も読んだことのない私のような東洋の小娘なんぞ、ジャック・リヴェット監督にとっては最初から観客の想定外。ちょっとくやしくなるのだが、恋の駆け引きや恋愛ゲームなんぞとうていできそうにもないあかぬけない日本人でも、『めぐり逢う朝』」で本当にジェラール・ドパリュデューの息子かと疑った美青年、ギヨーム・ドパルデューがバルザックの作品で主役を演じるとなれば、思わず真剣そのものでスクリーンと対峙してしまった。

1823年、スペインのマヨルカ島にあるカルメル会修道院のミサ。ステッキを片手に座るアルマン・ド・モンリヴォー公爵(ギヨーム・ドパルデュー)に「タホ川の流れ」をアレンジしたミサ曲が聴こえてくる。思わず心が乱れて退出するモンリヴォーだったが、神父と裁判官との食事の席でフランス出身のテレーズ修道女と鉄格子の向こうで逢う交渉に成功する。修道服に身を包み、名前を変えたテレーズこそは、5年間の歳月をかけてモンリヴォーが探し尽くした恋人、ランジェ公爵夫人(ジャンヌ・バリバール)だった。
そう、5年前のパリの社交界の華だったランジェ公爵夫人とナポレオン軍の英雄にして社交界の寵児のモンリヴォーの恋バナは、人々の格好の話題だったのだが。。。

飢えることもなくそれなりに生活が安定して、だっさい高校生も我も我もと恋愛をするニッポンの現代模様だが、「源氏物語」の時代から、本来は恋とは貴族という有産階級だけにゆるされた特権だったと私は思っている。しかも、ランジェ公爵夫人のように、子育てや家事からも解放されしかも夫は単身赴任中で時間をもてあまし、着飾ることと殿方の心をもて遊ぶことで人生の退屈さをまぎわらせるしかない美貌の貴婦人。つまり、金あり、時間あり、美貌ありの三拍子そろってはじめてプレーヤーとして参加できるのが恋愛遊戯なのである。私もこの時代のフランスに生まれたかった?自分の容姿が舞踏会の紳士・淑女の視線を集めることを充分に知っている彼女にとって、アフリカの戦地から帰還した英雄のモンリヴォーは、優しくきれいだが退屈な貴族とは違う珍獣の野性的な魅力をもつ男だった。美しい人は、えてしてゲテモノ食いでもある。しかも社交界の寵児をゲットすることは、自分の格を更にグレードアップすることにつながる。ちょっとしたお遊びのつもりで関心を示したのだが、武骨な将軍はいきなり本気モード。毎日毎日、彼女の自宅を直撃して好き好きオーラでくどくどころか、やがて「愛の証」と称してさすがに高貴な文芸作品なので”やらせろ”とまでは言わないが、私室にまで押し入り当然肉体関係までせまってくる。
対するランジェ公爵夫人は、貞操、宗教など、さまざまな理屈で鉄壁の守りで応戦するまでは、彼女は恋の勝者だった、のだが。

フランス文学者の鹿島茂センセイによると、恋の国フランスにおける恋の実態とは、城の攻防戦と同じで押したり引いたりしながら、攻撃側と守備側が秘術を尽くして城(女の貞操)の攻防を楽しむものだそうだ。米国のようにストレートに「アイシテル!」なんて叫んじゃ、一発で城は陥落してしまう。そうそう、もてる女性はそんなに簡単に「愛」だの「恋」だの言わずに、猪突猛進型の将軍の攻撃を赤いマントでひらりとかわし、単純な軍人を「ルール違反」・・・なんてお叱り飛ばす。けれども、ここで負けてられないと捲土重来、一発逆転の奇襲作戦にでたのが、たとえ恋は初戦でも本物の戦では百戦錬磨の武将モンリヴォー。ここでの、ギョーム・ドパリデューは最高に男の色気がある。ここでオチなければむしろ女でない、が、ここからがバルザックの香高き文学性を感じるのみどころなのである。さすがだ、、、バルザック。

この映画は眠くなるただの退屈を感じるか、息詰るようなセリフの応酬、役者の表情、演出にバルザックを堪能してわくわくするかのどちらかしかない。7割の観客を満足させるのではなく、30点以下の寝てしまう派か90点以上の絶賛派にわかれると思う。映画は、モンリヴォー公爵のいらだち憔悴した表情からはじまる。ギョーム・ドパリデューは、95年にバイクの事故にあい、その後感染を併発して片足を切断していたという。俳優にとって致命的ともいえる事故の後遺症なのだが、この映画では義足のコツコツという足音が心身ともに深い痛手をおった将軍として、マヨルカ島の青い空と海に陰影を与えている。やつれた彼も美しい。昨年、急死してしまったギョーム・ドパリュデューが、名優の父親を超えるくらいの素晴らしさだ。私はだから90点派。唯一惜しいのが、髪が黒いせいか、ジャンヌ・バリバールが演じたランジュ公爵夫人にそれほどの魅力が感じられなかった点である。フランスでは人気のある女優だそうだが。
最後の結末に、バルザックにすっかりとりこまれてしまい、これはやはり原作を読むしかないと決意。
そういえば、中国のポロレタリアート文化革命を背景に西欧の本が禁止されていた時代に、バルザックを読んで農村を旅立つ少女の物語、映画化もされた「バルザックと小さなお針子」では、最後にこう結ばれていたっけ。

「バルザックのおかげでわかったそうだ。女性の美しさは、値のつけようのない宝だってことが」

監督・脚本:ジャック・リヴェット
原作:オノレ・ド・バルザック
2006年フランス=イタリア合作映画

『ニューオリンズ・トライアル』

2009-05-22 23:15:32 | Movie
その事件は、月曜日の朝、たった2分間の間に発生した。月曜日、という点がいかにもと思える事件の現場は、ニューオリンズ市にある証券会社。リストラされた元社員が乱入していきなり銃を乱射して、11人を射殺、5人に重症を負わせたうえ自殺をした。被害者の妻であるセレステは、夫を失った悲しみを凶器に使用された銃の製造メーカーであるヴィックスバーグ社を相手に、地元の弁護士、ウェンドール・ローア(ダスティン・ホフマン)を雇って民事訴訟を起こす。全米中が見守る中、いよいよ裁判がはじまり、被告側のヴィックス社にとっては、絶対負けられない闘いになるのだが。。。(以下、内容にふれておりまする。)

リストラされた証券マンによる元の職場の社員を対象とした無差別殺人、銃社会と訴訟社会という米国の病理をうきあがらせた法廷サスペンス劇なのだが、この映画で最も米国らしいと感じたのは、被告側に雇われた、あらゆる手段を駆使して陪審員の評決を勝ち取ることで知られる伝説の陪審コンサルタントの存在である。フィッチ(ジーン・ハックマン)は、倉庫にハイテク機器を入れて司令室を設営する。彼にとって最初にして最も重要である仕事は、勝敗を左右する陪審員の選出である。事前に陪審員候補をリサーチする彼らは、ニック・イースター(ジョン・キューザック)に注目する。ゲーム販売店員であるニックは、フィッチがスパイとして送り込んだ客の、過激なシューティング・ゲームを熱心にすすめる。その映像を見た司令室のメンバーは、彼こそ「理想の陪審員」と支持するが、フィッチはニックに胡散臭さを感じとる。

いよいよ陪審員選出の日。被告側弁護人のダーウッドは、無線でフィッチたちの指図を受けて自分たちに不利な陪審員候補をはずしていく。ところが、予定外のニックも陪審員になってしまった。フィッチたちの目論見は、次々とはずれ形勢が不利になっていくと陪審員に圧力をかける必要が生じてきた。そして冒頭陳述の日、なんと原告・被告側双方に「陪審員売ります」というメモが12人の陪審員の写真とともに封筒に入れられて配られたのだった。メモの差出人であるマーリー(レイチェル・ワイズ)は、「値段次第で、評決は決まる」と微笑む。陪審がはじまるとニックは、被告側に有利な陪審員がアルコールを手離せないことを暴き、マーリーとともに駆け引きをはじめる。彼らが提示した「評決」のお値段は、1000万ドル!さすがにアメリカだよ。

そもそも陪審コンサルタントってどんな稼業か。訴訟社会の米国で、活況ビジネスが被告の弁護士などの陪審対策のノウハウを提供するのが陪審コンサルタント業。1970年代に誕生して、フィッチのような営みをする会社は、現在700社以上だそうだ。陪審員の選定は、裁判官、検察官、弁護士らの質疑を通して、数十人ほどの候補者から最終的に12人に選定される。事件を科学的に分析して候補者への質問内容を考えることからはじまり、教養の有無、学歴、性別、人種を考慮して自分たちに不利な候補者をはずしていく。O・J・シンプソン事件で、他のコンサルタント会社3社と協力して無罪を勝ち取った陪審コンサルタント会社「ディシション・アナリシス」の社長、リチャード・ガブリエル氏によると「裁判は心理作戦。弁護士や検事は、法律や証拠に基づいて判断するが、陪審員は”独自の感覚”で判断するから、我々の助言が必要」と言う。確かに、日本でも先日の裁判員制度に向けての鬱病の男性を被告にした模擬裁判では、精神科医の鑑定結果よりも見た目の印象が重視されるという報告があった。

裁判では、陪審員を退屈させず、しかも心に響く証人尋問や被告人質問を準備して、リハーサルまで行い弁護側をきちんと訓練してから裁判に送り込む。「本番」の法廷では、弁護士の隣に座りアドバイスもする。料金は、1時間150~500ドル。大事件では、およそ1000万円近い。評決も金次第か!?
彼らは今日から裁判員制度がスタートした日本にも進出する可能性もあるが、陪審員制度の専門家のニューヨーク法科大学院のランドルフ・ジョナカイト教授によると「コンサル業界が潤っているのは事実だが、大半の裁判は証拠で決まり、彼らの影響は限定的」と指摘している。いずれにしても、それだけ事件や訴訟も多いということか。依頼も弁護側だけでなく、1割が検察側と知っては、このコンサルタント業も軽視できない。
そんな彼らの生業を逆手にとったニックたちの活躍には、拍手を贈りたい気持ちにもなるさ。

監督:ゲイリー・フレダー
2003年米国製作

■こんなアーカイブも
大丈夫か?裁判員制度

「アゲ嬢」に変身!!

2009-05-20 23:00:39 | Gackt
そう言えば、三浦展氏主宰の民間シンクタンク「カルチャースタディーズ研究所」が、バブル崩壊期に誕生し、小学生のころから携帯電話や携帯音楽プレーヤーが日常の生活用品だった15~22歳(07年時点)の所謂「ジェネレーションZ」(Z世代)に「なりたい職業」のアンケートをとったところ、1位ミュージシャン、2位音楽関係、3位が雑貨屋だった。上位に女の子らしいわかりやすい職業が並んだのだが、なんと11位にキャバクラ嬢が名誉ある?ランクイン!
先日も20歳ぐらいのちょい睫毛と目元がケバイ女子が電車の中で熱心に読んでいたファッション雑誌が、あの「小悪魔ageha」だった。私も斜めから失礼させていただき、ちらりと噂の雑誌を眺めさせていただいたが、掲載されている情報量がはんぱではない。たとえて言えば、青山のブティックで静かな中でゆったりとお洋服を選ぶというよりも、広いホールの中で大量に積まれたバーゲンセールのヤマを眺めているような気分である。若さのパワーが一方向に向かっていっせいに全開して、とにかく活気と熱気が満載状態。・・・どれを見てもみんな同じ顔、髪型、化粧と服装に見えてきてきた。「小悪魔ageha」が公称で35万部も売れ、賞味期間の短命なキャバ嬢が憧れの職業になるのも、夜の職業に対する抵抗感がなく、一目をひくタレントと変わらない”ドレス”のような可愛い服装とプロっぽい濃いめのメイク、年齢のわりには収入が高給になるからだろうか。誰でもこんなメイクと服装をすれば、可愛くなれる!(ヴァイオリニストの神尾真由子さんがよいお手本)そういう意味では、ハードルの低いちょっとしたプチ・タレント気取りも人気の秘訣かと思われる。

だったら、私も「アゲ嬢」に変身、、、ではなくこの「アゲ嬢」はGacktさんである!!

久々にやってくれちゃいました。ライブであまり可愛くない白衣の天使を見たことがあるが、今回は 6月にソロデビュー10周年を迎える新シングル「小悪魔ヘブン」のジャケットで「アゲ嬢」に変身。Gacktさんは「僕も壊れちゃいました! だいぶイっちゃってる主人公の女の子はとにかく一生懸命なんデス、ハイっ!」と話している・・・そうだ。なんだか、このコメントは本当にGacktさんらしくなく支離滅裂。。。マリス・ミゼル時代も艶やかな花魁姿を披露したことがあったから、けっこう女装は好きみたい。この写真だけを見たらGacktさんとはすぐにわからない。というのも、「アゲ嬢」はあかたも宝塚のメイクのように、みな同じ手法のメイクで同じような顔をつくっているからだ。同じ蝶が群れをなして飛んでいる中では、同種の一羽の蝶は溶け込んでしまう。見事な変身ぶりも難なくできそうだ。
でもよ~~く見るとやっぱりGacktさんだ。^^もっとも明後日からはじまるドラマ『MR.MRAIN』の死刑囚役の方がはるかに似合いそうで期待をしているのだが。

大丈夫か?裁判員制度

2009-05-19 22:39:02 | Nonsense
【「裁判員制度には反対」 島田事件で冤罪の赤堀さん】 (2009/05/16 共同通信)

静岡県島田市で1954年に起きた「島田事件」で、再審無罪となった赤堀政夫さん(79)が16日、静岡県新居町で記者会見し、今月21日からスタートする裁判員制度について「一般の人に正しい判断ができるか分からず、反対だ」と訴えた。
赤堀さんはこの日、裁判の支援者らが18日の誕生日を祝う会合に出席。会合に先立って行われた記者会見で「解放されてからの20年は早かった。(無罪確定前は)何もしていないのに犯人扱いされてつらかった」と厳しい表情で当時を振り返った。
一般の人々が刑事裁判に加わる制度については「裁判官ではなく、法律を知らない人に正しい判断ができるか分からない」と述べ、冤罪防止の観点から批判した。

赤堀さんは54年、島田市で女児が連れ去られ殺害された事件で逮捕され、60年に最高裁で死刑判決が確定したが、89年の再審で一転して無罪となった。

****************************************


今日、帰宅途中の駅構内で、明後日21日からはじまる裁判員制度の広報のポスターを見かけた。人気女性タレントが笑顔でよびかけるような官公庁にありがちな定番ポスターとも思えるのだが、彼女自身は実際に裁判員になったら本当に正しい判断ができるという自信があるのだろうか。
昨年の11月26日、東京地裁で裁判員制度に向けた模擬裁判が行われた。

題材は、鬱病の男(54歳)が自宅で母親(84歳)の首を絞めて殺害した。弁護側は被告は鬱病により「責任能力が大きく減退した心神耗弱」を訴えたが、検察側は「責任能力あり」を主張。心神耗弱の場合は、刑法の規定で刑を軽減しなければならいことから、被告が「鬱病による心神耗弱」が裁判結果を左右する。前日の25日、鑑定役を務めた精神科医が出廷してパソコンで図表を使いながら被告の精神鑑定についての説明をした。
「鬱病によって、被告はささいなことで感情が爆発する『激越発作』を起こした。犯行には、鬱病の症状が大きく影響している」と解説をした。つまり、鑑定結果は被告の責任能力の欠如を示していたのだった。

ところが、裁判員役のアルバイト女性は、「被告は犯行後にすぐ後悔して通報しているのだから、善悪の判断がわかっていた」と述べた。(私だったら、それが「激越発作」という鬱病の症状の特徴だと思うのだが。)ちなみに、このアルバイト女性によると、鬱病になった後、努力して社会復帰した知人がいたことから、病気のせいで罪が軽くなることに納得できないそうだ。また、会社員Aさんは、法廷での被告を見るとそんなに重い鬱病には見えないと判断した。専門医の鑑定結果よりも、自分の印象、見た目を優先している。君は医者か?勿論、模擬裁判なのだから、鬱病の被告人役になった方は、年齢は54歳でも健康な方がそれらしく見せているだけである。けれどもこの場合、重要なことは裁判員制度の主旨から一般市民の常識や感情をもちながらも、刑法の規定の範囲の中で合理的に判断する必要がある。

そして、裁判員役の6人のうち、5人が「責任能力あり」と判断。裁判員役1人と裁判官3人は鑑定結果を重視して「心神耗弱」。「裁判官が1人も賛成しない意見は被告に不利は方向では採用できない」という裁判員法の規定に基づき、この模擬裁判では心神耗弱が認められ、懲役13年の求刑に対し、懲役6年の判決が言い渡された。医師の診察結果、鑑定結果よりも、人の精神の病は自分の印象の方が正しい?
これまでの各地の模擬裁判でも、鑑定結果はほとんど参考にされてこなかったそうだ。これって、実はおそろしいことだと私は考える。鑑定結果を参考にしないということは、証拠に基づく裁判が行われないことに近い。心や精神は、表面からではわかりにくいことが多い。だからこそ、専門医の鑑定に耳を傾けることも大切では。しかし、そもそもそれ以前にわかりやすく説明しても、鑑定結果を理解できないような方が裁判員になってしまうこともあるだろう。
ポスターに起用されたタレントの方は、「鬱病」って読めるだろうか。私だってえらそうなことを言えないが、本当の「ウツ」って誰もが理解できるのだろうか。
人相が悪い人は、刑罰が実際の罪よりも重くなる・・・な~^^んてことにならないように。

裁判員制度、反対。

■そういえばこんなアーカイブも
「裁判に参加したくない 7割」裁判員制度調査
映画『十二人の怒れる男』

「戦争と芸術 クレー 失われた絵」日曜美術館

2009-05-18 22:39:12 | Art
ドイツを代表する色彩画家、パウル・クレー。「クレー」と聞くと、どんなイメージがうかぶだろうか。
両親ともに音楽家という環境に育ち、21歳でミュンヘン美術学校に入学する前は、ヴァイオリニストとしてベルン市立管弦楽団にも入団していたことがある。恵まれた音楽的環境で育ったというわけではないが、私はクレーの絵画を観ると「音楽」を見ているような心地よさを感じる。リズムを感じる色彩と旋律を幾何学模様にしたような線。ところが、躍動感を感じるあかるさの中に、ユダヤ人として迫害を受け続け不遇だったクレーの人生のもうひとつの旋律がこめられていた。昨夜のNHK教育テレビでは、日本パウル・クレー協会事務局長の新藤信さんと彫刻家の坂口紀代美さんをゲストに「戦争と芸術 クレー 失われた絵」という興味深いテーマでパウル・クレーの画家になってからの生涯をとりあげていた。

クレーは、ピアニストのリリー・シュトゥンプフと結婚し、職業画家をめざす。ようやく世間に描く絵を認められるようになると第一次世界大戦が勃発して、兵隊として従軍するようになる。大戦中も各地で展覧会を開催し、画家クレーとしての名前も知られるようになり、終戦後はドイツに設立された総合造形学校バウハウスで絵画の指導を行い、やがてデュッセルドルフ美術学校の教授として迎えられるまでになる。しかし、安定して充実した創作活動もつかのま、1933年には、アドルフ・ヒトラーがドイツの政権を掌握するようになる。自身画家を志していたヒトラーの嫉妬もあるのだろうか、クレーをはじめとした画家が危険な表現者・退廃芸術家の烙印を押され迫害を受け始める。こんなヒトラー政権は長く続かないと予想したクレーだったが、ユダヤ人が次々と職を追われ、クリスマスの前日、クレーもとうとうデュッセルドルフ美術学校を解雇されて、スイスに亡命する。

この間、多くの絵画作品は、スイスのルツェルンの画商「フィッシャー画廊」の主催で、ホテルのオークション会場で売却されて散逸した。クレーの1919年「R荘」や1926年「修道院の庭」もこの時に売られた作品である。この時にオークション会場に参加していた美術史家が取材に応じて、当時の作品リストの予想価格に実際にオークションで決められた価格をメモをした貴重な「一覧表」を見せた。スイスも大国ドイツのナチス政権と足並みをそろえなければいけない苦しい事情があったというのが、フィッシャー画廊の三代目の画商の弁である。そして、スイスの生まれ故郷であるベルンに逃れたクレーだったが、平和な時は最後まで訪れることがなかった。ドイツ国内の銀行預金は封鎖され経済的にも困窮し、さらに皮膚硬化症という難病に苦しみ、この国でも迫害されて市民権を望んだクレーだったが、60歳で生涯を閉じるまでスイス国籍は与えられなかった。ドイツ人として彼は、ショスハルデン墓地に眠っている。番組では、晩年にクレーが少女のモデルにしていた親交のあった農家の女性が登場して、思い出話を語っていた。当時、国で配給していた穀物を入れる麻袋があったのだが、破けたりして不用になった麻袋をクレーがモデルの少女の家からもらって、それをキャンバスにして絵を描いていたという生活の苦しさが伝わるようなエピソードである。

敗戦から15年後、ノルトライン=ヴェストファーレン州政府はクレーへの償いの思いから、海外に流失した作品88点をを6億円もかけて買い戻したが、戦争という嵐に、現在も400点近くもの作品が行方不明になっている。オークションで売られていった「R荘」はバーゼル美術館で所蔵されているが、「修道院の庭」も、私たちは写真でしか観ることができない。第二次世界大戦が勃発した年、代表作となる「天使」などの線描画の含めて、クレーはなんと1254点もの作品を残した。やさしさとそこはかとないさびしさをたたえた「天使」たち。軍靴の足音を聞きながら筆をとり、「線を引かない日はなし」と語っていたクレーの心情を思いやると胸につまるものもある。なかには、ヒトラーと思われる人物像もある。翌年、病のために生涯を閉じたクレー。この時の膨大な作品は、売れるあてのない絵だった。

■モーツァルトが好きだったパウル・クレーにちなんでこんなアーカイブも
モーツァルト:オペラ『魔笛』

音楽と和平を考える

2009-05-17 11:06:37 | Classic
「パレスチナと共生可能」 イスラエル首相エジプト訪問 (05/12 北海道新聞)
 【カイロ11日】イスラエルのネタニヤフ首相は十一日、エジプトの保養地シャルムエルシェイクを訪れ、同国のムバラク大統領と会談した。同首相の外国訪問は三月末の就任以来初めて。中東和平で重要な役割を果たすエジプトとの協調姿勢を示し、和平重視の立場をアピールした。
会談後の共同会見でネタニヤフ氏は「イスラエルとパレスチナの共生は可能」と述べ、パレスチナ自治政府との和平交渉を近く再開する意向を表明した。ただ、自治政府や国際社会が求めるパレスチナとの二国家共存の実現までは踏み込まなかった。
和平に慎重なネタニヤフ政権の発足後、米国などは和平停滞を懸念している。同氏は十八日に訪米しオバマ大統領と会談予定。このため事前に親米アラブ国家エジプトとの結束を示すことで、オバマ政権との対立を回避する狙いがありそうだ。
十一日の会談では、核開発を続けるイランや、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラなど、両国がともに警戒する勢力への対応についても意見を交換したもようだ。


********************************************

先日、イスラエルのネタニヤフ首相がエジプトを訪問して、今年81歳の誕生日を迎えたムバラク大統領と会談した。私はまだ残念なことに観ていないのだが、エジプト人警察官とイスラエル人女性の淡い交流を描いて、一昨年のカンヌ国際映画祭で高い評価を受けた映画『迷子の警察音楽隊』は、エジプトでは上映が禁止されている。理由は、イスラエル映画というだけだ。反イスラエル感情の強い国民を28年間独裁政治で統治してきたムバラク大統領だが、4度の中東戦争のうち3回も従事した体験が、イスラエルとの和平だけは頑なに守ってきたと評価されている。平和条約締結30年を迎えた両国だが、和解への小さな動きも、エジプトではいつも敵対的反応にのみこまれ、結局「30年の冷たい和平」は本物にはつながらなかった。

一方、イスラエルでは、第2党リクード党首のベンヤミン・ネタニヤフ首相が率いる右派主導の連立内閣が、国会承認を受けて発足した。タカ派政権の新外相には、「我が家イスラエル」のリーベルマン党首が就任し、彼はイスラエルを訪問しようとしないエジプトのムバラク大統領を「地獄に行けばいい」と放言している。中東和平プロセスは、パレスチナ自治区の分裂支配と、イスラエルのタカ派政権の誕生で、文字どおり袋小路に陥っている。そんなさなか、ベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めるイスラエル人指揮者、ダニエル・バレンボイム氏が、4月16日夜、カイロ・オペラハウスでベートーベンの「運命」を振った。

読売新聞の「ワールド ビュー」によると無名のカイロ交響楽団をわずか48時間で変身させる棒さばきだけでなく、ユダヤ人とアラブ人の相互理解まで振るような見事なパフォーマンスだったそうだ。彼がイスラエル人だというだけで、不快に思うエジプト人は大勢いただろう。バレンボイム氏は、演奏後舞台を歩き回って楽団員ひとりひとりと握手を交わし、聴衆に訴えた。
「私がここに来たことを不快に思う人もいるのは知っています。でも、私はイスラエルを体現する者ではない。我が国の占領の実態に、私はいつも心が痛んでいるのです」

これまでのバレンボイム氏の活躍ぶりを知っている者としては、この発言を素直に肯けるのだが、エジプトの人々はバレンボイム氏が自国の占領政策を非難し、イスラエルとアラブの若い音楽家たちが一緒に音楽を学ぶ「ウエスト・イースタン・ディヴァン」などの活動を認めようとしない。野党系の新聞は「強要された関係正常化」と公演そのものを批判し、テレビ司会者は「絶対実現させてはならない」とまでも訴えたそうだ。この事実に、私は遠いよその国のこととはいえ、一抹の虚しさを禁じえない。ダニエル・バレンボイムは優れたピアニストにして、後世に名を残す偉大な指揮者である。音楽の美しく絶対的な存在の中での活動の枠をこえて、あえて泥をかぶってまでも行動を起こす信念の人でもある。
そして、彼は、政治家ではなく、音楽家である。ただ、音楽の可能性を信じる音楽家である。

■アーカイブ
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」

『後悔なんてしない』

2009-05-16 20:56:54 | Movie
「後悔なんてしない」
これほど魅力的なタイトルはないではないだろうか。すべてを失っても、多くの反対や障害をはねのけて身も心もはりさけても、、、「後悔なんてしない」。そう言いきれるひとつの恋。
そう、これは純愛を描いたラブ・ストーリー。

主人公のスミン(イ・ヨンフン)は、地方の養護施設出身。アートデザイナーを志して、都会にやってきた。昼間は工場で派遣社員として働き、生活のために夜もバイトもするが素朴で勤勉なタイプ。そんなスミンはバイトの仕事で、いかにも育ちのよい青年ジェミン(イ・ハン)と出会う。彼があきらかに自分に興味と関心を寄せていることを意識するが、かたくなな態度をとって彼の好意を断る。
やがて多忙だがそれなりに安定したスミンの生活も、突然の理不尽な解雇で工場の仕事を失ってしまうのだが、派遣切りをされた日に工場の中でジェミンとすれ違い、彼が自分が切られた大企業の社長の御曹司だったことを知るのだった。突然、スミンの解雇は取り消され、代わりに別の工員が解雇宣告される。要するに切るのは誰でもよかったのだから。スミンは怒り、とうとう工場をやめてしまうのだった。一方、ジェミンの方は、彼にふさわしい容姿もきれいなお嬢様の婚約者との結婚準備がすすめられていくのだったが。。。

このラブ・ストーリーの主役のひとりは、いずれ大企業の後継者の椅子を約束された青年。長身で端正な甘い顔立ちに仕立てのよいスーツがよく似合う。人柄もおだやかそうだ。かたや、この映画の主人公にふさわしいキャラの青年の心をいとめて夢中にさせる相手は、養護施設出身で生活を守ってくれる親も資産も学歴も、なにもないのである。帰る家のない者にとって、失職はすなわち生活の困窮に直結する。しかし、この設定で予想されるのは、これまでもくりかえし製作されてきた数々ある”よくある韓流ドラマ”にそっくりではないか。そうなのである。御曹司と養護施設出身の育った環境や身分違いに加えて、男には男にふさわしいすべてにおいてまさっている婚約者の存在というお決まりの三角関係もすでに用意されている。
この作品は、韓国のインディペンメント映画としては、2006年に最も注目された映画である。1週間で観客動員1万人突破という最短記録をだし、ロングランで5万人もの人々が観たそうだ。しかも社会現象まで巻き起こし主演のふたりを演じた俳優には取材が殺到した。こんな使い古された大昔のメロドラマそのものの設定で?”よくある韓流ドラマ”から飛躍して、本作が成功した秘訣は。何故、そこまで韓国の人々が熱心に観たのか。ふたりの”俳優”と書いたが、この場合俳優と女優ではない。韓国人の名前はわかりにくいが、主役を演じたスミンもジェミンも若い男性である。

つまり、『後悔なんてしない』は、自らゲイであることを公表し、ゲイの人生と悲哀を描いた短編映画で評価されてきたイ=ソン・ヒル監督の、初の長編映画にして同性愛の純愛物語である。先日の『ミルク』では、ゲイにして初めて公職についた政治家ハーヴェイ・ミルクの弱者の権利のために闘った亡くなるまでの8年間の映画を観たが、本作では社会性やメッセージ性とは無関係な純粋な個人の恋愛に焦点をあてているのは、韓国ではいまだにゲイそのものがタブーであり、各個人のパーソンリティの中の秘められた事実として社会に影響を与えるような連帯性をもちえないからではないだろうか。物語は、”同性愛”というテーマーをのぞけば、スミンの先輩ホストや後輩ホスト、同僚などの人間模様を描きながら、むしろ古典的パターンをなぞった青春映画で、多くのエポック・シーンは気持ちのよいくらいに観客をのせていく。あかぬけない地方出身の労働者だったスミンが、男娼に身を落とす衝撃的な場面に続き、純白の犬を抱き、サングラスをかけて「ゲイの美しい男娼」に変貌して街を軽やかに歩く姿は、もっとショッキングである。文字通り体あたりの熱演は、ゲイの監督の立場にたって考えると、肉体関係を描かずして恋愛は成就せずになるのだろう。男女の間でも、プラトニック・ラブは空虚だ。キスで終わったら、恋ではない。ここでのイ・ヨンフンの裸の熱演は、今後の役者としてステップアップにつながるであろうが、あまりにも強烈過ぎて俳優として役柄を限定されるではないかという杞憂も残す。

ひと昔前だったら「身分違い」の言葉でおわるところだが、お隣のお国も固定された「格差社会」がふたりを隔てている。本来は出会うはずのないふたりは、車の運転代行の依頼者と請負者として映画のはじまりに深夜のバーで出会う。ゲイの人たちは、会った瞬間にお互いの趣味を理解すると聞くが、彼らも一目でお互いに相手にひかれる。『ブロークバック・マウンテン』の監督による『ウエディング・バンケット』の中で、主人公がゲイである人間がお互いに愛し合える相手を見つけるのはすごく難しいと訴えていたことを思い出す。それにしても、アン・リー監督の最新作もゲイを扱っているとは。純粋な恋愛場は、もはやそこにしか残されていないのかも。

「愛とは決して後悔しないこと」
そうだった。

監督・脚本:イ=ソン・ヒイル
2006年韓国

■こんなアーカイブも
『ブロークバック・マウンテン』雑感
映画『情熱の嵐(藍宇)』
映画『ミルク』

「風吹く良き日を求めて」

2009-05-13 23:13:00 | Movie
一時の韓流ブームは終息したかのように思えるが、私にとっては韓国映画は単なる一過性のブームではなく、邦画よりも新作は気になる。
韓国映画には日本が失った善もあればぎらぎらした悪もあり、時代遅れの暴力もある。草食系ではない生々しい人間の業を見せ付けられる韓国映画にひかれる。NHK教育テレビの「知る楽」では、そんな韓流シネマの隆盛をブームの仕掛け人ともいえる映画プロデューサー・リ・ボンウさんのナビゲーターで「あらゆる事象は歴史軸でとらえてこそ本物が見えてくる」という番組のコンセプトからとらえている。昨日はその3回目で「風吹く良き日を求めて」だった。

『風吹く良き日』は、1980年にイ・チャンホ監督が製作、後に韓国を代表する俳優となったアン・ソンギ主演の映画である。時は、ソウルオリンピックを控えた建設ラッシュの現場。地方からそれぞれに夢を抱いてやってきた労働者の若者3人の、希望と挫折を笑いとペーソス溢れて描いた青春映画である。しかし、単純な青春映画を装って実は監督には隠された意図がある作品である。この年5月18日から27日にかけて韓国では民主化を求める活動家と学生や市民が軍隊と衝突して、多数の死者を出した光州事件のあった年である。私は韓国の歴史を知らない。当時の運動の果て、路上で殺された若者の痛ましい遺体の報道も放映された。映画の検閲も厳しく制約のある中、当局を刺激せずに遠まわしな表現で、自由と民主化への希望を巧みに描いて国民の圧倒的な支持をえたのが、この映画だった。イ・チャンホ監督のもとに大学生や作家たちが集まり、映画という文化芸術を通してわきおこった民主化への胎動を育てていった。そもそもの土台が近年の邦画と違うのである。ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が検閲を逃れるために、当時の社会主義体制下の教科書のような原作の主役と悪役を逆に描いて、映画史に残る名作『灰とダイヤモンド』を製作したことを思い出した。民衆を縛り付けても、自由を求める創作の芽を潰すことはできないのだ。

イ・チャンホ監督・主演による実験映画の一部も紹介されていたのだが、ランニングシャツのトランクス一枚の主人公がビルの屋上から飛び降りを考えているようである。何度も何度もこころみているのだが、なかなか飛び降りられない。そのうちに、新聞がひらりとビルの上からゆっくりと舞い降りてくる。その新聞は、事実を報道しないマスコミへの批判を象徴している。最後に、彼は飛びおりてしまいその肉体は路上に叩きつけられる。ほんの数分の映像だったが、インパクトは抜群。日本がバブルに浮かれる前夜のような時代に、韓国はこんな表現の自由が奪われた時代だったのだ。
イ・チャンホ監督が育てた韓国映画のニュー・ウェーブは、やがて軍事政権下で統制された暗い世相の中で起こった連続殺人事件のポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』や、時間軸をさかのぼりながら気弱な青年が人生を見失うまでを描いたこれも名作のイ・チャンドン 監督の『ペパーミント・キャンディー』につながっていく。また『JSA』の映画の一部も紹介されていたが、まさに歴史軸で映画をとらえなければ本物は見えてこない!次回は「映画は国境を超える」

■本当にすごい映画だった
ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』
イ・チャンドン 監督の『ペパーミント・キャンディー』