千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

マキシム・ヴェンゲーロフ with ポーランド室内管弦楽団

2014-05-26 22:11:43 | Classic
我が偏愛なるヴァイオリニストのマキシム・ヴェンゲーロフがやってくる。又、今年もやってくる!
前回おそるおそる聴いた時は、肩の故障から彼は完全に復活していた。(我が偏向的なブログを検索したが、記念すべきコンサートにも関わらずきちんと更新していなかった。残念)会場全体が、彼の復活を心から喜ぶ雰囲気に包まれていたのが嬉しい。しかしながら、汗をかくようような名演奏が気のせいか、ブランクを一気に縮めるかのように疾走気味で、少々慌しく感じて素敵な余韻がなかった記憶がある。

さて、今年の5月のヴェンゲーロフ・フェスティバル。東京での会場は、おなじみのサントリーホール。あいまに葉加瀬太郎さんとのジョイント・コンサートの突然の企画にはおろろいたが、主催者側の都合でどういうわけか中止となってしまったらしい。そんな情報をネットで気がついてしまったからのこの日までの数日間。まさか、もしや、という心配でいっぱいだった。握手会の最中にA×Bのメンバー約2名がファンからノコギリで襲れちゃったという事件が発生して、今後はもう握手会が開催されないかもしれないと本気で心配する30歳後半のファン心理とそれほど変わらないかもしれない。予定どおりの時刻に、サントリーホールの会場が華やかに客を迎え入れた時は、心底ほっとした。

ところで、今日のフェスティバルは、ポーランド室内管弦楽団の指揮者もかねている。(指揮者のギャラ分を節約しているためか、それほどまでは高くないチケットのお値段を、妙に納得した)前半のモーツァルトは、まさしくモーツァルトらしく、モーツァルトだった。美しい音はかわらず、優雅で、気品もあり、それでいてちょっとしたチャーミングな遊び心を感じさせる。才能と自信と貫禄がつけば、優れたヴァイオリニストはこんな演奏ができるのか。そうではない。レーピンや五嶋みどりさんとは違う個性の音楽家だから、マキシム・ヴェンゲーロフだからこんな美しくも魅力的なモーツァルトが生まれ変わったかのような演奏ができるのだ。モーツァルトを演奏するにあたり、誰がベストかというのではなく、それがまぎれもなく彼の個性なのである。

後半は当初の予定からプログラムに変更があり、マスネの「タイースの瞑想曲」がチャイコフスキーの「メロディ」と「瞑想曲」へ。たまたま職場の女性に、最近、彼女のイメージから「タイースの瞑想曲」をお薦めしていたこともあり、少々がっかりしたのだが、このプログラムの構成はツボをついていた。彼が、旧ソ連出身だったということを思い出させるような憂愁なメロディーをバランスのよい歌心で奏で、特に「憂鬱なセレナーデ」の演奏後に、聴衆の一部の拍手をすかさず制したかと思うと、流れるように続けて「懐かしい土地の思い出」の演奏をはじめた。とても贅沢なプログラムとなった。ただひとつ、惜しいかな、ポーランド室内管弦楽団の演奏がさえなかった。マキシム・ヴェンゲーロフのテクニックも音楽性があまりにも素晴らしいため、逆に伴奏の貧弱さがめだってしまった。

余談だが、”魔弓”と伝えられる彼の右手の薬指にきらりと光る指輪。彼は一昨年、ロシア出身のヴァイオリニストのイリア・グリンゴルツのお姉さまと結婚していた。しかも、あっというまに2児のオヤジになっていたのだった!現在、イスラエルでも英国でもなくモナコ在住。ま、それは兎も角、今年で40代を迎えるのだが、円く熟すよりも益々演奏が若々しくなっていると感じてもいる。

------------------------------- 5月26日 サントリーホール ---------------------------------

Maxim Vengerov with ポーランド室内管弦楽団 ヴェンゲーロフ・フェスティバル 2014

モーツァルト:
・ヴァイオリン協奏曲第3番
・ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」

チャイコフスキー:
・憂鬱なセレナード作品26
・「懐かしい土地の思い出」~スケルツォ作品42-2
・「懐かしい土地の思い出」~メロディ作品42-3
・「懐かしい土地の思い出」~瞑想曲作品42-1
・ワルツ・スケルツォ作品34

サン=サーンス:
・ハバネラ作品83
・序奏とロンド・カプリチオーソ作品28

■アンコール
・ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

「背信の科学者たち」ウィリアム・ブロード ニコラス・ウェイド著

2014-05-22 22:46:00 | Science
1981年、下院議員の若きアルバート・ゴア・ジュニアは、深い怒りをこめて「この種の問題が絶えないひとつの原因は、科学界において指導的地位にある人々が、これらの問題を深刻に受け止めない態度にある。」とざわめく法廷を制した。通称、ジョン・ロング事件でのできことだった。 論文の盗用、データーの捏造、改ざんをしていたのは、あのOさんだけではなかった。

「それでも地球が回っている」
あまりにも有名なこのセリフを後世に残し、科学者という肩書きを崇高に格上げしたガリレオ・ガリレイの実験結果は、再現不可能で今日では実験の信頼性に欠けているとみなされている。又、偉大な科学者であるアイザック・ニュートンは『プリンキピア』で研究をよりよく見せるため偽りのデータを見事なレトリックと組み合わせて並べていたし、グレゴール・メンデルの有名なエンドウ豆の統計は、あまりにも出来すぎていて改ざんが疑われる、というよりも本当に改ざんしていたようだ。しかし、いずれもこれらの行為は、ニュートンもメンデルも信頼性を高めるための作為であり、都合のよい真実を集めていたわけで、科学的真理の発見にはおおいに貢献していたとも言える。”悪意”もなかったようだし。

しかし、現代ではいかなる科学的な事実であろうとも、論文の捏造は許されるものではない。そもそも、”悪意”の定義を議論することすら見当違いであることを、本書を読んでつくづく実感する。仮に、もし仮にstap細胞が本当に存在していたとしても、論文のデータを改ざんしたり捏造したりする行為が水に流されて、最終的に結果オーライというわけにはいかない。それが、一般社会通念とは違う科学というグローバルスタンダードの戦場なのだ。

いつかはばれる。化石を捏造した犯人がいまだに謎である推理小説のようなピルトダウン事件、サンバガエルを使って嘘の実験データで強引にラマルク学説を支持したポール・カンメラー事件(余談だが、彼はアルマ・マーラーに恋をして結婚に応じないならば亡き夫・マーラーの墓前でピストル自殺をすると迫ったそうだ)、データを捏造して驚異的な論文を生産していたハーバード大学のダーシー事件、論文を盗用しまくって研究室を渡り歩いたアルサブティ事件。次々と背信の科学者たちが途絶えることがない。

本書に登場する事件を読む限りでは、いつかは偽造がばれるだろうと素人にも思えるのだ。結局、嘘に嘘を積み重ねることは、無理があり破綻せざるをえない。それにも関わらず、ミスコンダクトは繰り返されていく。何故なのだろうか。

たとえば、1960年代、全く新しい星がケンブリッジ大学の博士課程の大学院生ジョスリン・ベル・バーネルによって発見された。しかしながら、「ネイチャー」に掲載された論文の筆頭者は、最大の功労者である彼女ではなく、師匠のアントニー・ヒューイッシュだった。教え子の手柄をとった彼が、後にノーベル物理学賞を受賞すると”スキャンダル”と非難された。おりしも、金沢大学では教え子の大学院生が書いた論文を盗用していたという事件が発覚したが、ここまで悪質ではなくとも、それに近い話はそれほど珍しくない。科学の専門化、細分化がすすむにつれ、多額の助成金が必要となり、予算をとってくるベテラン科学者と、彼らの下でもくもくと実験作業を行う若手研究者。ベテランが予算をとってくるから研究できるのであり、逆に駒のように働いてくれるから研究者は真理に近づけるのである。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授と、当時大学院生だった高橋和利さんのようなよい師弟関係ばかりではない。

実は、本書は1983年に米国で出版された科学ジャーナリストによる本である。そんな昔の本なのに、登場する実際の捏造事件は、今回のstap細胞問題に重なる点が多いことに驚いた。優れた研究室で、次々と画期的な論文を連発するが、本人しか再現できないマーク・スペクター事件。stap細胞作成には、ちょっとしたコツとレシピが必要だと微笑んだ方を思い出してしまった。「リアル・クローン」の中でも、著者が再現性が重要と何度も繰り返していた。大物実力者のサイモン・フレクスナー教授の支持を受けて、充分な審査を受けることなく次々と論文を発表してもてはやされていたが、今ではすっかり価値をなくしてしまったがらくたのような研究ばかりで科学史から消えていった野口英世。

ところで、気になるのが、次の記述である。

「若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、事態を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。しかし、そうした委員会は結局、予定された筋書きに従って行動するのである。委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤ちを犯した若い研究者に帰されるのが常である。」

そして改ざんの予防策として、「論文の執筆者は署名する論文に全責任を負うべきである」とも。今回の茶番も、Oさんひとりの責任ではなく、そもそも科学者としての資質も能力も欠けている人を採用し、バックアップしたブラックSさんの責任も重いのではないだろうか。

「リアル・クローン」若山三千彦著
ミッシング・リンクのわな

「リアル・クローン」若山三千彦著

2014-05-14 22:33:50 | Science
4月16日、 理研の笹井芳樹副センター長によるstap細胞の論文問題に関する会見を見た小保方さんは、尊敬する笹井さんにご迷惑をかけたと泣いたそうだ。男だったら泣くか、それをご丁寧に発信する有能な弁護集団の世間の同情を誘うかのような意図もしらじらしいのだが、なんだかお2人が水面下で結託して、山梨大学の若山照彦教授に微妙に罪をなすりつけようとしているのを感じたのは、私だけではなかったのではないだろうか。

さて、ブラック笹井氏が、「世界的な若山」ともちあげつつ、彼の所属大学を”山形大学”などとうっかり間違えて言ってしまった若山照彦さんだが、最終学歴は東京大学大学院で博士課程を修了。30歳前のポスドク時代に、ハワイ大学で世界初の体細胞クローンマウスを誕生させて、研究者として一躍脚光を浴びた。そんな若山さんだが、幼い頃は山から山へ駆け巡り、小学生時代の成績は1と2ばかりの問題児だったそうだ。本書は、若山さんの元高校の理科の教師だったお兄様が執筆したクローンマウス誕生と「ネイチャー」に論文が掲載されるまでの若き研究者のドキュメンタリーである。

1997年2月、英国のロスリン研究所でクローン羊ドリーが誕生した時は、全世界に衝撃が走った。しかし、その後、わずか半年後に同じ哺乳類のマウスで体細胞クローンを誕生させた成果については、国内ではそれほど大きく報道されていなかったような記憶がある。しかし、ドリーよりも画期的だったのが、若山さんが様々な革新的な核移植方法の工夫で誕生させたマウスのクローンであり、そのためにリアル・クローン(学会では、通称ホノルルテクニック)と呼んでいる。しかも、ロスリン研究所ではドリーの後に次ぐ二番目の誕生は成功していないが、若山さんのクローン・マウスは次々と成功し、2年ほどでクローン・マウスが200匹を超え、第6世代のマウスも誕生し、当初の雌のみという定説をひるがえし、雄でもクローン・マウスの作成に成功、尻尾の細胞からもクローンを作っている。やはり、”世界の若山”という言葉は決して皮肉ではなかった。

クローンそのものは、農学部出身の若山さんが興味をもったように、発生工学の分野の研究になるが、細胞分化や初期化に関わる化学物質の解明にも期待された。その後、山中さんがiPS細胞を作成してノーベル賞を受賞したのは周知のとおりだが、クローン作成も何らかの貢献をしているであろう。

ところで、研究者でありながら名人芸の職人さんのような若山さんにとっては、クローン・マウスの成功よりも難しかったのが、あの「Nature」への論文掲載だった。有力な論文掲載紙に投稿した論文が掲載されることは、非常に重要だ。慎重に、細心に、執拗に、何度も追加資料、新しい研究結果を要求してくる「Nature」サイド。その一方で、突き放すことなく、論文掲載に期待をもたせてくる。そんなさなか、お調子のよい同僚との指導権争い、論文審査のさなかに先を越されるのではないかという不安、掲載されていないのに論文の内容も知られるようになり、ポスドクという身分も様々な不安に拍車をかける。

とうとうクローン・マウスが「Nature」の表紙を飾る日がやってきたのだが、その後に、ハワイ大学が契約していたベンチャー企業との裁判というおまけまでついてきた。若き研究者の奮闘する日々、それはまさしく”リアル・ポスドク”の世界だった。

本書は大変読みやすく、誤解を招きやすいクローンの解説もついている。多少、研究者を真理の探究者と理想化している感はするのだが、写真から誰もが感じる若山さんの朴訥で誠実な風貌に、本書からは粘り強さという芯の強さもかいまみられる。

今月8日、理化学研究所は、調査委員会により、慎重に検討を重ねた結果、stap細胞論文問題で再調査を行わないことを決定した。記者会見は3時間にも及び、きっちりと科学者らしく理論的に説明と報告があったそうだ。その決めてのひとつとして、以前に「サイエンス」の査読者から「切り貼りをする場合は、(それとわかるように)間に白いレーンを入れるように」などの指摘をすでに受けていたことが、共著者である若山照彦教授によってもたらされたからだ。

■いろいろありますリアル・科学者の世界
「二重らせん」ジェームズ・D・ワトソン著
・昨年は、ロザリンド・フランクリン生誕93周年だった

「深代惇郎の青春日記」深代惇郎著

2014-05-10 20:52:27 | Book
近頃、諸般の事情から更新が滞りがちなる我がブログ。
そんな中、4年も前の深代惇郎の「天声人語」にありがたくもコメントを寄せてくださった方がいた。返信のために久々にその記事を読み直し、彼の当代随一の名文を思い出して心が高鳴る夜を過ごした。幸福な時間だった。そうだった、生きている喜びと価値を知らせてくれる本や映画、音楽、驚きがどれほどか満ちていることだろうか。根が単純な私にとって、それらとの出会いは拙きブログを綴る原動力にもなっている。

さて、再びページをめくる深代惇郎の文章とことば。「青春日記」というタイトルだが、1949年~53年の大学時代、入社試験前後、53年に朝日新聞に入社したかけ出しのころ、59年に語学練習生としてロンドンに留学した時期、その頃の欧州旅行記、最後に60年頃の「再びロンドン」で幕を閉じる。1929年生まれの深代にとって、20歳からの30代に入る頃の10年あまりのまさに青春時代の日記である。

深代惇郎と言えば、朝日新聞の「天声人語」の最高の執筆者として知られているが、その期間はわずか3年にも満たない。その3年間のために、最高峰の山に登るため、日記とは言え人に読まれることを意識しているような文章は、将来の論説委員としての修行をはじめていたという印象もする。前半は、いかにも東大で政治学を学んだ青年らしく、20代の青年の日記とはいえ、そのまま「天声人語」につながるような記述が見つかるのに感心する。

「およそ政策とは縁のない政権争いの日本政党政治の姿」と皮肉をいい、バカヤロー解散については喜劇と表現して更に、「喜劇のギャグ・アクションは連続されると嫌気がさしてくる事は、二流喜劇を見た人の誰もが経験しているところである。国会芝居もやがてあきが来よう」と、思わずその名人芸に膝をたたきたくなった。又、海軍兵学校予科に在籍したこともある戦争体験者ということからも、ここでもヒトラーの名詞が何度も登場する。

一方で、後半の旅行記になると、アムステルダムではロンドンの女性の方が上等だなどと、けしからぬことも書いたりしているおおらかで率直な素顔も見受けられる。私の大好きなハイデルベルクは、深代も最も美しい品格のある街と、何時間も歩きまわり、かなり気に入ったようだ。ロンドンでの語学学校では、ヒヤリングは下だが英作文は優秀で、教師がよくみんなの前で披露したというエピソードがちょっと自慢げに書かれているのも微笑ましい。

そういえば、文章を書くのが大好きで小説も書いていた友人などは、深代を神様とあがめていたものだ。文才は、確かにもって生まれた才能で、深代は所謂”天才”だった。しかし、文才だけでは後世に残るような「天声人語」を書けない。反骨精神、豊かな感性、鋭い洞察力、市井の人々を思いやる心、人としての魅力と美質が多くバランスよく備わっていたのが、深代だったのではないだろうか。


■アーカイヴ
深代惇郎の「天声人語」

「やわらかな生命」福岡伸一著

2014-05-01 18:04:43 | Science
野球に例えたら、打率は何割になるのであろうか。私にとっては、5割を超える打率で快調にヒットを飛ばしている、いやルーキーの時から飛ばし続けているのが福岡ハカセのエッセイである。本1冊単位ではなく短いエッセイものの1本1本を、その内容の充実度とレベルの高さで測ると、ページをめくる度に、心が躍り、清冽に目を開かれる。某ノーベル賞候補作家の新作が出版される度に、特別に駅の構内で店員さんが声をはりあげて宣伝して売っているイベントを横目に、新作を切望して待っている作家のひとりが福岡ハカセである。

「やわらかな生命」。
つよく、しなやかで、やわらかい生命のありようを語ろうとするいかにもハカセらしいタイトルの本書は、「週刊文春」の2011年9月15日号~13年4月18日号掲載されたエッセイを6つ章に集約したものである。いい感じの仕上がりのよいものだけを集めた抜粋ではないのに、どのページも興味深く、じっくりと読まされる。現代人の日常生活の風景になりつつある携帯電話や端末機の充電の儀式から、教科書でおなじみのルイジ・ガルバーニのカエルの実験による電気生理学の発見、リチウムイオン電池の日本人技術者の貢献に至るまでの最初のお話。日常から科学まで、取り扱う分野が広く、その活字は、意外性に富んだ知の発見の旅でもあった。

それから、すっかり忘却の彼方にあった「アルミや亜鉛のように水の溶けやすい金属は電子を放出してイオン化する」現象、、、個人的に、これはちょっと使える話だ。もうひとつ、ハカセのおなじみの友人、顕微鏡を製作したレーウェンフックを、知識階級の象徴であるラテン語の読み書きができないオタクと言い切っていることも使えそうなネタだ。そんな彼の心を解きほぐし、翻訳して出版までプロデュースしたのがロンドンのヘンリー・オルデンバーグだったそうだ。その後、レーウェンフックがスケッチを専門家に依頼して(ハカセ説によると専門家はフェルメール)、次々の投稿し続けた。なんと、その精密な手記は亡くなる90歳まで続いたそうだ。同じ素材で、ここまでリサイクルして使いまわして、尚且つその都度鮮度が落ちずに鮮明。ハカセの変幻自在な手法も、私には謎でもある。

科学者として研究の最先端で走る池谷裕二さんが、研究者のメディア活動についてご自身のサイトでコーナーを設置していて、アウトリーチ活動の是非を公開している。そこには、研究とアウトリーチ活動の両立の厳しさと悩みが伺えるのだが、私は科学者のアウトリーチ活動推進派である。コトが単純ではないのはわかるのだけれど。

さて、最近、ハカセは有名人となり、その活動範囲も広がりつつあるようだ。「生物と無生物のあいだ」出版当時の、白衣を着た素朴で繊細な詩人から、スタイリッシュな都会人にすっかり変貌しつつある。失礼ながら、その見事な変身ぶりにある種の生き物の変態を観察している気すらしてくるのだが、増えたその人脈を生かし、研究者時代とは異なる場所もフィールドワークに加え、益々観察力と考察力に深みを増している。次回作も乞うご期待だ。

尚、表紙の写真は、細胞性粘菌の子実体。

■アーカイヴ
「動的平衡」福岡伸一
「ノーベル賞よりも億万長者」
「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一著
「ダークレディとよばれて」ブレンダ・マックス著
「フェルメール 光の王国」
「遺伝子はダメなあなたを愛している」
「生命の逆襲」「生命と記憶のパラドクス」
ミッシングリンクのわな