千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「魔笛」@Bayerische Staatsoper

2012-11-24 23:16:26 | Classic

その昔、音楽がらみでバイエルンの話をしていたら、ウィンナーの名前しか知らなかった某女が「バイエルンってドイツの地名だったの」と驚かれたことがあった。君のパパはドイツによく出張に行っていたと聞いていたのに、憧れのバイエルン国立歌劇場の世間知ってそんなものか?
バイエルン国立歌劇場(Bayerische Staatsoper)は、遠くドイツはバイエルン州のミュンヘンにある。日本人指揮者ケント・ナガノさんが2013年まで音楽監督に就任されているように、堅牢なドイツの門は近年グローバル化しているが、その名声とドイツを代表する歌劇場であることにはゆるぎがない。

ミュンヘン中央駅München Hauptbahnhofからはトラム19番に乗って、Nationaltheaterで下車すれば目の前。ちなみに短距離券Kurzstreckeの1.2€で行けるぎりぎりの範囲内だが、ここは歩いて劇場まで行けるホテルを予約しておこうか。

つまり、、、今年はかの地でオペラ、モーツァルトの「魔笛」を鑑賞してきたのだ。日にちは11月24日。
許光俊様の「最高に贅沢なクラシック:都市と劇場の味わい方」に刺激されたわけではなく、海外で音楽を聴くのは清貧で生きようと言い聞かせている私にとって、ブランドもののバックよりも宝石よりも何よりの最高の贅沢なのだ。以下は、全く芸術から離れた私の感想記。

チケットは公演日の2ヶ月前からネットで購入できるので、事前にシュミレーションをして準備万端、時差がある日本は有利とふんでいたが、なんと現地時間の昼頃には殆ど完売で残るのは立見席とパルケット1枚のみ。学生だったらよいが、7時開演10時15分終演予定のドイツ初オペラ体験を立ち見で過ごすのは悲しい・・・すべてにおいて見通しが楽観的で、いつも最後のつめが甘い自分を反省するが、立ち直りも早い。速攻でチケット予約代行サービスのサイトからキャンセル待ちのオーダーを出す。ラッキーなことに、1週間もたたずにキャンセルでパルケット2枚がとれたと連絡をいただいた。(サイトのMさんには大変お世話になりました)

バイエルン歌劇場はウィーンのようなゴージャスな華やかさには欠けるが、合理的で清潔なたたずまい。座椅子の真紅の色は軽めで伝統の中にもあかるさと意外にも気安さを感じられる。それも、オペラにしてチケット代がバイエルン州とミュンヘンの補助金で運営されているためか、最も高くても135€と日本に比べれば身近な価格設定ということもあるかもしれない。

開演前にはお決まりのシャンパンとおしゃれで美味しい前菜でご機嫌。古いエルメスのバッグをもった定年引退後とおぼしきご夫婦から相席しても良いかと尋ねられたが、無論、大歓迎。観客は彼らのようにカップル単位が基本で男性は殆どの方がダークスーツにネクタイを着用されていて、女性も地味目とは言えオペラ鑑賞にふさわしい服装だった。当日は、家族連れのこどもの姿が多く、女の子はドレスやワンピース、男の子もジャケットを着用しているのが微笑ましい。成人すると人それぞれなのだが、ドイツの小さなこどもたちは兎に角みなとても可愛らしく、美少年コレクションをしてみたいくらいだった。感心するのは、演奏中、どのこどもたちもお行儀よく鑑賞していることだった。「魔笛」の魅力のひとつは、ちょっぴりとりようによってはセクシーな下世話な部分があるところなのだが、こども時代のオペラ鑑賞は情操教育にもよいと考える私はうらやましいところがあるのだが、もともとの語源が母国語のドイツ語で歌われることを考えると、そもそも日本ではお子ちゃまのオペラ鑑賞のハードルは高過ぎる。

さて、指揮者は許先生が注目されているアッシャー・フィッシュ(Ascher Fisch)。見た目からもわかるようにイスラエル生まれのユダヤ人。
彼の無難な指揮に前衛というよりも伝統を継承しつつもお茶目な演出が進行し、軽めでスマートな音楽づくりが歌っていく。イケ面王子タミーノ役は、声、容姿ともに限定されるが、パパゲーノは歌手によってかなり印象がかわり、私はむしろパパゲーノを歌う歌手が「魔笛」のイメージを決めていると思う。Alex Espositoは素朴ながっしりとした農夫というよりも、今時の嫁不足に悩む農村の青年で、あかるく溌剌とした声が舞台に躍動感をもたらしている。ちょっとたよりない若者が、13人のこどものパパになるのも笑える。フルートの独奏が透明であかるく思わずひきこまれていく。観客と演奏者が一体となって「魔笛」を楽しもうという雰囲気で、”贅沢なる”時間を思う存分堪能した。チケットが即日完売されるのもしかり。6€でプログラムを販売していたが、過去の「魔笛」の資料が掲載されていて内容が充実している。

余談だが、結局26日も当日券を購入してブルックナーとシュニトケを当日券を鑑賞した。

2012.11.24
”Die Zauberflöte”  at Bayerische Staatsoper
Wolfgang Amadeus Mozart

Emanuel Schikaneder

Papageno wants Papagena - Tamino his Pamina. But the pathway to love is not a simple one! Everyone has to undergo difficult trials. They even have to decide against murder and suicide, and do without food and drink and sometimes even without speech and song. The things that help them survive danger are a flute and a set of magic bells. The most world-renowned opera in a classically beautiful production, the legacy of stage director August Everding. The snake still breathes "real" fire, the Queen of the Night is still really a "star-flaming" monarch. The stage portrait (by Jürgen Rose) is wondrous fair. The magic of this opera really works here.

指揮:Asher Fisch
演出:August Everding
出演者: Pavol Breslik, G.Zeppenfeld,H.E.Müller,E. Miklosa,,A.Esposito,I.Maria Dan

■こんな「魔笛」もアンコール!
映画『魔笛』イングマル・ベルイマン監督
映画「魔笛」ケネス・ブラナー監督
バレエ「魔笛」カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団
オペラ「魔笛」

『危険なメソッド』

2012-11-03 16:51:55 | Movie
考えてみれば、久々の、実に久々の18禁映画。
おまけに”スキャンダル”という言葉から麗しき毒気の香りがしなくなった昨今だが、この映画はりっぱにスキャンダラスな内容だと思う。そりゃあ、デヴィッド・クローネンバーグが監督だから期待どおりに妖しくもみだら・・・だが、『旋律の絆』に比べれば毒がなく端整である。

1904年、チューリッヒのブルクヘルツリ病院の精神科医カール・グスタフ・ユング(マイケル・ファスベンダー)のもとに、美しい女性患者が馬車で運ばれてくる。ロシア系ユダヤ人のザビーナ・シュピールライン(キーラ・ナイトレイ)。29歳のユングは、精神分析学の大家であるフロイトが提唱する斬新な”談話療法”を彼女にこころみ、やがて彼女の激しいヒステリー症状が幼少時代の体験にあることがあきらかになっていく。そして、私生活では資産家の妻と裕福で安定した暮らしをおくりながら、尊敬するフロイトの信頼をも勝ち得ていくようになる。

瀟洒な屋敷に暮らす清楚で美しい妻、可愛いこどもたち。妻から贈られたシックな赤い帆のヨット。仕事での成功。すべてが、澄んだ湖面を渡るヨットのように順風満帆に人生が満ち足りていくのに、”談話療法”によって患者のザビーネの深層心理を探索していくうちに、彼女の心の奥深くに秘められていた性的衝動や倒錯的な快楽にいつしかすいこまれていくユング。ユングとザビーネ。しかし、ふたりの関係は1通の匿名の手紙によって、フロイトの知るところになる。性によって心を解明していく科学者フロイトに、オカルトまでに領域をひろげていこうとするユングは対立していき、ザビーネの存在が拍車をかけて師弟は決裂していった。。。

本作は史実に基づく舞台劇をクローネンバーグが熱望して映画化したそうだ。
今だに解明されていない人間の心理学。フロイトの「夢判断」を大学の一般教養の授業で学んだ当時は、納得よりも疑問の方が多かったのだが、歴史の流れで考えていけば、彼のお仕事は心理学を科学分野に導いたノーベル賞級の業績だったのではないだろうか。そのフロイトとペアで登場するセカンド・バッターのような若く少しつっぱしるユング。そんな彼が、最初に談話療法で一定の成果をあげる聡明な女性と不倫関係におちるのもまた人間心理の不可解さだ。

ところで、冒頭に”スキャンダラス”と感じた自分の深層心理をたどってみると、どこがスキャンダラスなのだろうか。
1.妻子ある男性との恋愛
一夫一婦制の社会からみればあってはならないこと。結婚する前に神の前で誓ったことからすれば宗教的にも罪は高し。けれども、同時に複数の女性を好きになってしまうこと、出会いが遅かったために結果的に妻子ある男性を好きになってしまうことも自然の摂理である。世間的には受け容れられないが、それほどスキャンダルでもないか。

2.医師と患者との恋愛
先日、新聞の身の上相談で英語教師と恋愛関係になった男子高校生の悩みが掲載されていたが、やはり立場が上下関係で異なる場合の恋愛は難しい。医師、或いは教師という特権を有利につかって未成年の相手の心を弄んだ、、、という解釈もできなくもない。本作のユングは自己中心的な人物として描かれている。フロイト家に初めて訪問した夕食時、人数分にわかれた料理を盛られた皿を給仕されると、フロイトの6人のこどもたちの人数を考慮せずに、とりたいだけの料理を盛り付けてさっさと自分だけ食べ始めるところなどは、彼の性格分析をしてみたいところだ。ザビーネから誘われたとはいえ、医師としてはやっぱりまずいだろうが、彼にとってはか弱き患者ではなくクライアントなのだからスキャンダルでもない。

3.性的倒錯
何故か、これが一番スキャンダラスさぷんぷん、、、だと感ジル。
ザニーネ演じるキーラ・ナイトレイは、少女時代のヒステリー症状を起こす演技でも圧倒されるのだが、鞭で打たれて恍惚としユングにとりすがる場面では華奢で全く肉感的ではないのに驚くほどエロチックである。きれいな人形のような印象があったキーラだったが渾身の体当たりの演技が、映画をひきしめる。ザビーネを愛するために、ユングも倒錯していくのか。それとも、彼本来の眠っていた趣向が一時的にあずかっていた患者の医師の”自由になれ”というささやきに誘発されてめざめてのだろうか。いずれにせよ、ユングとザビーネのベッドシーンはスキャンダラスな関係につきすすむ。
ここで精神科医としてのありかたに悩むユングに、「治療の過程で、自ら病まなくてはいけないのか」と尋ねられる「自分自身が傷ついてこそ治癒の可能性がある」とこたえる。

きわどいグロテスクな映像で表現できたかもしれないが、クローネンバーグ監督は予想外にも言葉の力で知性的にアピールしていく。3人の俳優の演技が緊張感をもたらし、やっぱりこの監督らしく忘れられない作品となっている。

監督: デヴィッド・クローネンバーグ