千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

東京・春・音楽祭 川崎洋介 ヴァイオリン・リサイタル 

2013-03-30 15:49:46 | Classic
春だ、桜だ、音楽祭だ、、、という知る人ぞ知る企画が「東京・春・音楽祭」。
桜の季節に上野界隈の1200本の桜の蕾がほころぶ季節から桜吹雪となっていくまで、ひとつの季節をクラシク音楽で祝福しようという、ちょっと粋な音楽のお祭りとなって5年目を迎えることになった。何しろ明治時代に西洋文化が花開いた拠点の上野は原点。実行委員長の鈴木幸一氏と小澤征爾氏の酒席での話しからはじまったそうだが、何とか定着してほしい。

この音楽祭の特徴として、通常音楽会場ではない東京都美術館、国立西洋美術館、東京国立博物館や国立科学博物館でコンサートが開かれていることだ。先日も人気ヴァイオリニストの方が、自ら芸術監督を務めて、名画を前にチェロとヴァイオリンのデュオ演奏会という美術館コンサートを企画していたが、音楽専用ホールとは違った静寂で歴史のあるホールでの演奏会も素敵だ。日程の都合も考慮して、今回選んだのは川崎洋介さんによるヴァイオリン・リサイタル。会場は最近、よく出没している国立科学博物館。

さて、川崎洋介さんのお名前を存知あげていなくて失礼だったかと思ったのだが、それもそのはず、川崎さんは10歳からジュリアード音楽院予科に入学を認められ、ドロシー・デュレイに師事して98年に卒業。米国で育った米国人だと思う。その後は米国や日本で演奏活動を行い、現在はカナダのオタワ・ナショナル・アーツ・センター管弦楽団のコンサートマスターを務めているそうだ。プロフィールでお父様がジュリアード音楽院教授の川崎雅夫さんと知り、納得。

まずはやはり、この季節にもっともふさわしい「スプリング・ソナタ」。最近、テレビのコマーシャルソングでも耳にすることもあるのだが、ベートーベン自身がこの表題を「春」と名づけたわけではないのは周知されているが、これほど春を連想しふさわしい曲もないのではないだろうか。何回聞いても若々しく生気が溢れて心があかるくなり、又、そればかりでもない春の嵐も感じさせてくれる大好きな曲だ。ベートベンの全10曲のヴァイオリン・ソナナの中でも5番となっているが、ベートーベンの浪花節的ラインを感じさせてくれる1曲である。この曲の中で最も重要で尚且つ難しいのは、私は冒頭の弾き始めであると思っている。好みはひとそれぞれあれど、最初に人の心を引き寄せればすべてがうまくいく、というわけではないだろうが、当初はバッハを最初に演奏する予定が急遽「春」とスイッチした。この曲順変更は成功したと思う。バッハは好きだけれど、集中力を要するため、身も心も完全に音楽モードに入るには二曲目ぐらいがちょうどよい。柔らかく、節度がある川崎さんの音に心地よい。

次のバッハは2番。渋い。力強く、エネルギッシュな演奏がめくるめくように流れていく。ああ、これもちょっとして春の嵐だ。。。ステージ上での演奏なのだが、演奏者の息づかいが感じられる会場の雰囲気がよい。後半は、バルトークとブラームスのこれも2番。春らしい軽やかな装いというファッション雑誌の定番とは全く違うコーディネイトで挑む川崎さんのプログラムである。一般的に、休日の昼下がりは名曲のファミリー向けで初心者でもなじみのある聴きやすい曲を選びがちだが、しかも、祭りだし、川崎さんのプログラムはしっかり本格派。

聴き応えたっぷり、草食系ではなく肉食系の内容になかなかやるものだと、充実した音楽に神経も少々疲れはじめたところ、川崎さんがアンコールに弾いてくださった曲がオリヴィエ・メシアン!しかも「世の終わりのための四重奏曲」より第8楽章(終楽章)「イエスの不滅性への賛美」だとは。ところが、この曲は素晴らしく、川崎さんの演奏よくこの曲を研究されていると感じた。ちなみに、作曲家のメシアンは第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜になった時にこの曲を作曲したそうだ。そして、ゲルリッツにあった極寒の収容所で数千人の捕虜の前で初演された。どうしてこの曲をアンコールに選んだのか、川崎さんに聴いてみたい気もするのだが、一歩間違えると単調になってしまうこの曲を深遠で深い祈りの音楽として演奏された川崎さんに”ぶらぼぉ”だった。

-----------------------13年3月30日 国立科学博物館 日本館講堂 -----------------

■出演
ヴァイオリン:川崎洋介
ピアノ:ヴァディム・セレブリャーニ

■曲目
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24《春》
J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ 第2番
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100

[アンコール]
メシアン:世の終わりのための四重奏曲より第8楽章(終楽章)「イエスの不滅性への賛美」

■アンコール♪
東京・春・音楽祭 ジャスパー弦楽四重奏団

「ピアニストのノート」ヴァレリー・アファナシエフ著

2013-03-26 22:10:44 | Book
著者の名前は”Валерий Павлович Афанасьев”。
この読みにくい名前から察せられるとおり、1947年のロシア産。日本語では、ヴァレリー・アファナシエフと一般的に呼ばれるが、職業はコンサート・ピアニスト。ついでに、本書を読んでいくといかにも・・・と感じる詩人でもあり小説も書く作家でもある。それでは、ピアニストとしての音楽暦はというと、モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事し、69年のバッハ国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでも優勝するという正統派の王道を歩く。が、、、西側に亡命して現在はフランス在住。

以前、NHKの「ららら♪クラシック」でピアニストの中村紘子様が21世紀ピアニストガイドをされていたが、この方を登場させなかったのかは実におしいと思う。確かに、芸術の分野で鬼才というジャンルには、横綱クラスの凄腕?ピアニストがひしめいているが、哲学するヴァレリー・アファナシエフの個性はその演奏とともに際立っていると感じるのは、本書を読めば私だけではないだろう。

さて、本書は日本の編集者からの楽譜と演奏家の関係をもう少し知りたいというアンコールに応えて執筆されている。
音楽家の周辺、音楽と宗教、音楽の遠い思い出、最近の音楽事情、と自由な思索が次々と溢れ出てくる。確かに、音楽については永遠に書き続けることができると著者の言うとおりなのだろう。しかし、時にして著者のペン先はあまりにも鋭い。

半ズボンをはいたシューベルト

これはある若手ピアニストを「タイムズ」誌が評したのだが、彼は年々年をとっているにも関わらず、聴衆が若さを熱愛するあまり、彼の演奏はあいかわらず半ズボン姿。成功のための不可欠な原料、しかめっ面、スマイル、アンコールというサービス。小さな構造やフレーズさえも破壊して、こまぎれのエクスタシーで聴衆を陶酔さえ、エクスタシーがあればあるほど演奏は評価される。一歩間違えれば、キワモノ扱いになりそうだが、彼の強烈な毒舌と皮肉に私も共感している。かねがね疑問に思っていたのは、私たちは、真に音楽を聴いているのだろうか。それとも、”熱演”を鑑賞しているのだろうか。
悲しいくらいにヴァレリー・アファナシエフの指摘はクラシック音楽の問題点をついており、暗い未来を予感させる。

*セルゲイ・カスプロフは現代最高のピアニストと絶賛している。

『汚れなき祈り』

2013-03-24 15:46:14 | Movie
季節は冬。ルーマニア国内のとある駅に、 ヴォイキツァはドイツで暮らしていたアリーナを迎えにやってきた。喧騒の中の線路わきで、久しぶりに再会した彼女達は、まるで二度と離れることができないかのように、お互いを強く抱きしめあう。そんなふたりの若い娘たちのすぐ後ろを、たった今、アリーナを降ろした列車が人々をけちらすように音をたてて走り去って行った。

ドイツのバーで働いていて精神状態が不安定になったアリーナにとって唯一の希望は、 同じ孤児院で育ったヴォイキツァと一緒に暮らすこと。彼女を連れ戻すためにルーマニアに一時的に帰ってきた。しかし、 ヴォイキツァは修道院でお互いに支えあう仲間と出会い、やすらぎと神への信仰に満ち足りたおだやかな生活を変えるわけにはいかなかった。やがて、復活祭がやってくる。(以下、内容にふみこんでまする。)

本作は、2005年にルーマニアの小さな田舎町の修道院に友人を訪ねてきた当時23歳の女性が、「悪魔祓い」と称する行為によって命を落とした実際の事件をもとにしている。ブログなどで表示を見かける”ネタばれ”になってしまうのだが、要するに物語の発端から結末まではこれがすべてになる。”ネタばれ”と言えば、おおかたの人は、本作に関してはあらかじめ物語を知った上で、それでもわざわざ観に行ってるのではないだろうか。私は小説でも映画でも、展開から結末までをあかしている書評なり批評は、好きではないし、読まないようにしている。むしろルール違反だとも思っている。けれども、クリスティアン・ムンジウ監督の作品だったら、ストーリーの展開を追うことよりも、なにものかを考えさせてくれるという期待が、映画館に向かわせたのだろう。

冒頭の駅の再会シーンだけで、今後のふたりの波乱を予感させ、緊張感をよび、よくしかけられた映像だ。そして、ヴォイキツァが身を寄せている修道院の暮らしぶりが紹介されていく。電気が通じてなく、井戸水をくんで自炊する生活。私物は人に譲り、快楽とはほど遠く、貧しく、ぎりぎりの暮らしぶり。信仰に支えられ、神に捧げる人生。日本人からみると、彼らは遠い異国の特殊な社会集団にみえてくるのだが、孤児だったヴォイキツァがこの修道院以外に生きていく場所がないという孤独を抱えていることが伝わってくるようになると、「無縁社会」が浸透してきた日本からみても、それほど特殊な状況ではないと思えてくる。

又、孤児院にいる少女が、卒業したら行く場所がないため、何とか修道院に入れないかと修道女にお願いする場面があるのだが、前作『4ヶ月、3週間と2日』にも通じるルーマニアを見つめる監督の視点は厳しい。治療費や薬代が払えないと入院もできない。ある年齢に達すると、行き場所がなくてもこどもを放り出す孤児院。養子を労働力とみなす里親。壁画がないからと認められない修道院。息のつまるような閉塞感とともに、現実は、世間は、車の窓に容赦なくかかる泥水のようなものかもしれない。

そして、当初の神父や修道女たちの科学的な無知という私の見方も、少し違ってくる。いかがわしいと予想していた神父だが、理論的で高潔な人物だったり、単純だと思っていた修道女長は限りなく善意の人だったり、「悪魔祓い」という行為を科学的な無知による暴走と一言でくくれない複雑さがある。ヴォイキツァにとっては、信仰などそれほど重要ではない。修道院は自分の居場所を確保する屋根であり、生きる場所だから固執しているだけだ。自分の生きる場所確保と、精神状態が不安定になり暴力的になったアリーナをとどめるための窮余のひとつとして選択肢にあがったのが「悪魔祓い」だった。そして、修道院も人々も、本来のキリストの愛を見失っていく。閉ざされた組織の中で、個人はどこまで理性的にふるまえるのだろうか。

高い密度の映像、人物描写、多くの事を考えさせてくる映画、寒々とした風景とともに、こんな映画が私は好きだ。
尚、亡くなった女性は医師により統合失調症の診断がされていたが、悪魔祓いの儀式によって急性心肺不全により命を落としたそうだ。神父と4人の修道女は不法監禁致死罪で逮捕され、実刑がくだされた。現在は、出所しているが、再び僧衣を着る事は認められていない。
原題は、「丘をこえて」という意味だそうだ。何と意味しんな言葉だろうか。

製作・脚本・監督:クリスティアン・ムンジウ
原題:Dupa dealuri
2012年ルーマニア・フランス・ベルギー合作

■アーカイヴ
『4ヶ月、3週間と2日』

「イヴの七人の娘たち」ブライアン・サイクス著

2013-03-17 14:25:54 | Book
現在、国立科学博物館で「グレートジャーニー 人類の旅」という特別企画展を開催している。
この展覧会のタイトル「グレートジャーニ」は、アフリカで誕生した人類が、世界中にひろがっていった人類最大の旅路を英国の考古学者ブライアン・M・フェイガンが名づけたところから由来している。それでは、私たちの遥かなる母はどこにいたのだろうか。

1991年9月19日、アルプス山脈でひとりの男性の遺体が発見された。やがて「アイスマン」と名づけられるその遺体は、なんと5000年前のヒトの死体だったのだ。 オックスフォード大学で人類遺伝学を研究している著者、ブライアン・サイクスのチームにその化石からDNAを採取する依頼がまいこんだ。彼は、その採取したDNAからアイスマンがヨーロッパ人であることを証明し、ラボに提供されている現代ヨーロッパ人のDNAのサンプルの中からぴったり一致する人物をも見つける。”彼女”は、アイスマンの親戚だったのだ。

それをきっかけに、著者はとぎれることのない遺伝的つながりをさかのぼっていくとたった7人の女性につながることにたどりついた。現代の6億5千万人のヨーロッパ人の共通祖先は、約4万5千年前から1万年前のある地域と時代に生まれた7人の母親からなる。

著者が彼女たちにたどりつくための重要な役割を果たしたのが、ミトコンドリアDNA。
その1.核遺伝子が父親と母親の両方から均等に受け継ぐが、ミトコンドリアDNAは母親のものしか受け継がない。
その2.娘をふたり以上出産している。(少々わかりにくいが、母系系列をつくってたどっていくと、5世代前の母親がふたりの娘を生んでいることが条件となっていく。)

本書の3分の2は、アイスマンの化石から採取したDNAから、7人のイヴにたどりつくまでの科学者としての、まさに”グレートジャーニ”の軌跡である。科学者たちとの熾烈にてシビアな戦いも伝わってくる。そして、ユーモラスな文章には、著者の科学者だけでなくなかなかの文才を感じさせられ、本書が世界中でベストセラーとなったことも頷ける。特に、後半の具体的に名前をつけられたアースラをはじめとした娘たちの暮らしぶり、キャラクターをおりこんだ物語はハリウッド映画風でもある。気になるのは、すでにこんな大昔から夫や男性に、今とそれほど変わらない恋愛感情をイヴたちがもちあわせていたということで物語が語られる点だ。異性への恋や愛は、高度な?テクニックだと思っていたけれど。

それは兎も角、誤解しやすいのは、イヴたちが人類最古の母というのではなく、ミトコンドリアDNAの追跡で現時点でたどれる祖先であることだ。ちなみに、瀬名秀明さんと太田成男さんの著書「ミトコンドリアのちから」によると、すべての現代人は約14万3000年前のアフリカに存在した祖先集団に由来するという説が主流だそうだ。

『有りがたうさん』

2013-03-11 22:16:25 | Movie
あの溝口健二や小津安二郎らが”天才”と賞賛した映画監督がいた。私も初めて聞いたその監督の名前は清水宏監督。
その清水宏監督が川端康成の小説を原作として撮り、1936年2月27日、実にニ・ニ六事件の翌日に上映されていたのが映画『有りがたうさん』である。

南伊豆にある港町。天城峠を越えて北に向かう1台の乗り合いバスが待合室から出発しようとしている。
酌婦なのだろうか、いなせなお姐さん(桑野通子)はイケ面の運転手のすぐ後ろに席を陣取り、お隣には髭をたくわえた裕福そうな中年紳士、後ろの席には行商人やさまざまな人々がバスにゆられ、そして、一番後ろに小さくなって座っている老母と一緒の可憐な娘は、借金返済のかわりに町に売られていくという。そんな彼らを乗せてバスを走らせる青年(上原謙)は、道を譲ってくれた人、馬にも律儀に「ありがとう~」と声をかけるので、街道の人々からは「有難うさん」と慕われている。

今にも泣きそうな娘は、実はひそかに「有難うさん」に想いを寄せていたのだったが・・・。

バスは乗客たちの会話を乗せて、狭く曲がりくねった街道を次々と馬車や歩いている人々を追い越していく。薪をかついだ人、太鼓を背負った伊豆の踊り子たち、学校に通う児童たち、そして日本の道を作るために働いている朝鮮人の一行。チョゴリを着たひとりの少女が、一度でよいから、日本の着物を着て「有難うさん」のバスに乗りたかったと、次は長野でトンネルを掘るために別れを告げにやってくる。このように在日朝鮮人の強制労働が映画の中で描かれているのは、貴重である。

さて、繰り返すが、映画が製作されたのは昭和11年。ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦がはじまったのが、昭和14年。乗客の会話からは、当時の不景気と時代の暗さが伝わってくる。乗合バスに乗車している娘の身売り話だけでなく、街道を彷徨する女性も娘が身売りをしてから気がふれたとか、男はルンペンになるしかないなどと、次々と続く乗客たちの暗く悲惨な会話に、軽快で楽しげな音楽に乗る美しい車窓と有難うさんの「ありがとー」という朗らかなかけ声が重なり、絶妙なコントラストとなって街道を走っていく。映像がバスの前を行く馬車や人にせまっていき、危ないと思うまもなく抜き去っていき、それらが土煙とともに後ろへと遠ざかっていく。このちょっとハラハラするタイミングと発想が、天才と言われる由縁か。

原作は、わずか5ページほどのとても短い小説。それを川端康成の美しき日本的情緒を残しつつ、情景や人物描写をふくらませて76分の映画に仕上げた監督の手腕に驚かされた。日本映画の実力再発見!

監督:清水宏
原作:川端康成
1936年松竹製作

「想いの軌跡」塩野七生著

2013-03-09 15:50:22 | Book
塩野七生さんは、1937年生まれ。その時代に生まれた女性が、東京に憧れて都内の大学に進学するように、63年に渡欧したそうだ。大学時代、塩野さんの著作物を愛読しつつ、そんな彼女のインタビューが記憶に残っている。本書のプロフィールによると、その後、68年までイタリアに遊びつつ学んだと紹介されている。おそらく、この”遊びつつ”には、恩師のアドヴァイスにしたがって外国語は異性に学ぶことを早速実践していた時期にもあたるだろう。1年間だけ欧州を歴訪したら帰国してしかるべき相手とお見合い結婚をするという両親との約束を守ることがなかったのは、読者としては幸いだった。なんといっても、日本から旅立って初めて着いた10月のローマに、すっかり心を奪われてしまったからだそうだ。

秋のローマくらい、美しい都市もない。

この一言を何度も読んで、何故、学生時代にイタリアに遊学しなかったのか、と後悔。その後、医師であるイタリア人男性と結婚し、すべての著作物よりも最高傑作と語るアントニオ・シモーネさんを育て、40年の歳月がたった。作家として活躍をはじまた頃の1975年からの小さなエッセイを集めたのが本書である。

某ファッション雑誌で時々掲載されるのが、ミラノのマダム特集。サングラス、オープンな胸の谷間、生脚の貫禄(迫力?)たっぷりの中年女性のパワーには、異文化を感じる日本人の私だが、塩野さんによると、年を重ねても出場権を認めるイタリア男が堂々たる女を育てることになる。日本の男よ、めざめよ!しかし、姿勢が悪いと何を着ても貧相に見えるというご指摘もごもっとも、と反省。イタリア在住の日本が誇るマダムは、辛口で切れ味が鋭い。それでいて、地中海の歴史や古代ローマ時代の戦略やサッカーに詳しいので、男のフィールドで”男を語れる”彼女が男性軍に圧倒的にもてるのも当然だ。ちょっと話題になったアルマーニかと思われるパンツスーツで出席した防衛大学校の卒業式の祝辞まで掲載されている。

最も興味深かったのは、映画監督のヴィスコンティとの交流。初対面ですっかりヴィスコンティに魅了された塩野さんは、これほどすべての点で洗練された男を見たことがなかったそうだ。これこそ、ヨーロッパの男だと。そんなヴィスコンティを30年たって振り返って追記には、ただの一行も書き換える必要が全くないと記されている。亡くなった時、共産党が葬儀をあげた芸術家は、20世紀後半に生きた知識人がもった社会改造という夢に生きた人でもあった。美しい人々を愛したヴィスコンティは、俳優のその美しさゆえに悲劇がドラマティックに盛り上がることを知っていたのだろうか。1929年生まれでイタリアで暮らしていた須賀敦子さんとはかなり雰囲気が異なるのも、階級社会のヨーロッパでの結婚相手が鉄道員の息子と医師の家系の違いからもくるのではないだろうか。

さて、一方、私のような女性読者としては、塩野さんの美意識と映画に捧げる深き愛情、マダムな生活はやはり興味深い。1988年という25年前の時代に、年間家賃300万円、光熱費15万円、電話代30万円、お手伝いさんへの給料70万円、衣食で200万円の暮らしをおくっている。日本に滞在している時はいつもこどもの頃からのなじみの「帝国ホテル」を利用しているそうだ。いつのまにか、離婚していたそうで、当時合計1000万円の母子ふたり暮らし。しかし、それらを自分の文筆業で稼いで支えているところが、タイカクでは敵わない日本人マダムの貫禄だと思う。ちなみに、コラムのタイトルが「清貧のすすめ」というのが笑える。

ついでながら、塩野さんはとてもお洒落でいくつになっても素敵な女性なのだが、それもイタリア人の美意識にまかせて、お店に飾ってあるコーディネイトどおりに上から下まで、靴や時には帽子まで一式そろえて買ってしまう流儀による。最近の私も同様で、結局、着まわしだの、組み合わせなど考えても、最終的に最適な組み合わせはひとつに集約することに気がついたからだ。ひとつのお店でコーデネイトしてオトナ買いした、その年のコンセプトに基づいたさり気なく流行を意識したコーディネイトが一番活躍している。

「地中海に生きる」、「日本人を外から見ると」、「ローマ、わが愛」、「忘れえぬ人々」、「仕事の周辺」と5部構成の本書は、1980年生まれの若い編集者がひとりで国会図書館に通って集めたことから実現した。若者の上司の役職者が、そんな「彼をオトコにしてください」というセリフで塩野さんに出版をせまり、印税率も低くして安価にすることを条件にOKしたというエピソードが、塩野さんらしく粋である。やはり「清貧のすすめ」のマダムなのである。

■こんな想いの軌跡も
「ローマで語る」・・・アントニオさんとの母子対談集