千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

法学者の小林直樹氏が死去

2020-03-03 21:54:56 | Book
憲法学者であり、法哲学者でもある東大名誉教授の小林直樹氏が亡くなった。
15年ほど前、Y新聞の書評にすっかり惚れ込んで読んだ小林氏の「法の人間学的考察」を思い出した。内容は忘却の彼方に消えてしまったが、確かにこの本に深く深く入り込んで“熟読”したことは、私の中に宝として静かに残っていると思う。
そんなわけで、以下当時のブログを再現。
訃報から検索して初めて拝んだ小林氏の在りし日の肖像は、元級友の伝えるとおり端正を絵に描いたようだった。

〈2005年7月26日〉弊ブログより
明日がいよいよ最後の検察審査会。この半年間の事件や事故の概要が走馬灯のようにめぐってくる。
前群の方達が任務をおえた日の、感慨深そうな、達成感に満ちて、それでいてちょっと寂しそうな表情を思い出す。当事者、被害者の方やご遺族の感情を考えると、感慨深いと自己満足におちてはいけないと戒めたりもするのだが。

或る日突然舞い込んだ、候補者に選ばれたという連絡。それからまもなく、さらに候補者に入り、ついに招集状がやってきた。その時から、最後の日はこの本の話をしたいと決めていた。一昨年の8月、読売新聞の1本の書評が目にとまった。その「法の人間学的考察」 という本の短い書評を読み終えた後、深い感動をおぼえ、地元の公立図書館にリクエストして、早速お買い上げいただいた。その本との出会いが、まるでこの仕事を導いたような不思議な気持ちがした。
この著書に関しては、あまりにも書評が素晴らしいので、私は何も感想を書かないでおこう。ただ、書評どおりの壮大な「知の饗宴」に圧倒され、感動させられ、「法」の哲学につかまったということだ。

昨年高校の同窓会の席で、W大学法学部に進学した(元?)男子と、著者の小林直樹さんの話題があがった。彼はさすがに小林氏の名前を知っていた。教わったことはないらしいが。。。
高名な法学者であること。顔立ちも整い、スタイルもよく、運動神経もよくてテニスも上手であること。あの時代は、そういう育ちのよい人がいた時代だ。
この言葉は、鮮烈だった。

評者・橋本五郎さんの書評↓

 ■「法の人間学的考察」 小林 直樹著------------------------------------------------

壮大な「知の饗宴」

 拝啓 小林直樹様
 今回のご著書に心から敬意を表したくペンをとりました。書名から、和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』や尾高朝雄の『法の窮極に在るもの』を意識されているとは推測していましたが、スケールの壮大さに圧倒されました。
 哲学や倫理学、歴史学、政治学だけでなく、物理学や生物学、天文学などの学問成果も駆使し、法の根底にあるものを導き出そうとされています。さながら「知の饗宴(きょうえん)」の趣があり、失礼ながら、まもなく82歳になる方の著作とは思われない若々しさに満ちています。
 法について、存在論、時間論、空間論、価値論、構造論、機能論、文明論などあらゆる角度から先人の業績を洗い直しておられます。その幅の広さに加え、最も心打たれたのは「なぜ法なのか」「なぜ人は正義を求めるのか」「なぜ人間だけが尊厳を主張できるのか」というように、根源的な問いを発しながら、すべてに自説を披瀝(ひれき)されていることです。
 歴史とは何か。「理性と反理性とが糾(あざな)える縄のごとく、正負・明暗の彩りをなして織りあげてきたものと見るのが、正確な認識に近い」
 死刑廃止論をどう考えるか。「法には正義の理念を実現すべき使命があり、正義の原則に従い、“問うべき責任を問う”結果として、死刑を科するのは、まさに『人間を人間らしく扱う』ゆえんではないだろうか」
 一つ一つ説得力をもって響きました。法には「当為の規範」としての性格と、強制力で当為を実現する「力のシステム」の両面があるが、その根底には矛盾に満ちた人間存在があると繰り返し説いておられます。そして天使と悪魔の「中間的な存在」である人間を常に複眼的に見つめ、立体的に全体として捉(とら)えて法を考え、行う必要を力説しておられますが、とても充実した気持ちで読み終えました。心から感謝し、ますますのご活躍をお祈り致します。   敬具

評者・橋本五郎(読売新聞本社編集委員) / 読売新聞 2003.08.31 -------------------------------

さすがに”種蒔く人”岩波である。売れる本より、知の財産になるような本を出版している。12000円は、決して高くない。電車の中で立ち読むするには、ちょっと腕が疲れるが、「ハリーポッター」よりずっとはらはらする。
橋本五郎氏は、インテリジェンスなお仕事をしているにもかかわらず?、その笑顔は2代めの商売人に見える方である。そしてともすれば、知性というシックな表彰に陥りがちな新聞書評から、いつも人の機微がさりげなくのぞく名編集委員である。文章、は人を語るのである

「ピアニストはおもしろい」仲道郁代著

2015-06-13 15:04:27 | Book
「なかみちいくよだが、まだまだ、わがみちいくよには到達できない」

ピアニスト・仲道郁代さんの、日本的な謙虚という美徳のオブラートに包まれたこんな言葉をうのみにしてはいけない。わが道を行くタフさと鍵盤の数ほど(←ちと大げさか)のバリエーションのある強さがなければ、音楽界というシビアな世界、需要も多いが層も厚いピアニストの世界では生き残れないのだから。

先日、テレビの対談番組で仲道郁代さん、川井郁子さん、吉田都さんの3人が登場して、芸術家の日常や娘のことなどたわいないお話をしていた。ゴージャスでお金をかけたつややかな川井さんの美貌に比較して、仲道さんの上品な変わらない可愛らしさは、人柄の良さが感じられた。そんな仲道さんの本を、気楽に、リラックスするため、と手に取ったのだが、これが実におもしろくって読み始めたらやめられないではないか。

私の中での仲道さんは、日本音楽コンクール優勝をきっかけに、誰からも”好感のもてる可愛らしさ”の魅力と運で生き残ってきたピアニストだった。確かに、日本で最も権威のあるコンクールの優勝歴は素晴らしいと思うが、グローバル化の昨今、その威光と輝きもうすれてきているのも事実。本書も、仲道さんの見た目どおりのプチ可愛らしく、誰にでも入りやすい、たわいないお話が綴られているかと予想したが、その語り口のうまさにどんどんひきこまれていってしまった。

ピアノやクラシック音楽にさして興味がなくても、彼女の専門的な話しも入りやすくてわかりやすい。しかし、これは実は難しい芸だと思う。専門用語を使用せずに、演奏家としての立場で、たわいないような語り口でショパンやベートヴェンの真髄にせまるような内容が、身近な単語で時にユーモラスに語られているのである。これは、お見事な芸と言ってもよいのではないだろうか。彼女のご自宅には、コンサート用のスタインウェイのフルサイズのピアノ、生徒用にヤマハ「S6」の合計2台がある。長年の友であり商売道具でもあるピアノが2台、はピアニストにとってはごく普通。しかし、その後なんと4台のピアノが次々とやってきて部屋を占拠してしまった、という顛末記はピアノの発達と作曲家の関係がよくわかり、目が開かれるようだ。

日頃の音楽観、こどもの頃やコンサートなどの思い出、予想外に多彩なお仕事、家族など、思いつくまま感じるまま続いていく。例えて言えば、テレビのゲストコメンターが大衆の胸の内を巧みに言葉で表現しているとすれば、仲道さんは、音楽好きの一般聴衆がなんとなく感じている領域から、実にセンスよく、ぴったりの単語を組み込んで、誰もが共感して楽しめる文章にしている。

ともすれば、プロフェッショナルなプライドや練習量などの努力を誇りがちなピアニストという職業だけれど、彼女の独白はもっと身近で親しめる。以前、ファッション雑誌で、ご自宅の靴の収納を公開していたけれど、同じ高さ、同じような太めのヒールの靴がずらっと後ろ向きにきちんと並んでいるのを拝見した時、いさぎよさと合理的な考え方をされる方という印象をもったが、本書でも大きなスーツケース4つを使いまわす技を披露していて、そうそう音楽家にはタフさも必要だったと納得した。

「真の美は、際立って孤独なものだと思う」

こう語る仲道さんは、上品でおっとりした佇まいな中に、美しくもタフな精神を持っている方なのだ。

ちなみにamazonの商品説明には、「ゴーイング・マイウエイ=「わがみちいくよ」、多事多端のピアノ人生」と紹介されているが、的をえていないと思う。”わがみちいくよ”は、協奏曲を演奏する際に強さがないと、時々舞台でへし折られるという背景からきた言葉であって、他人と我との違い、自分の信じる道をすすむという単純な話しではない。

■アンコール

「パリ左岸のピアノ工房」T.E.カーハート著
映画『ピアノマニア』

「アイネクライネな我が回想」茂木大輔著&「指揮者かたぎ」矢崎彦太郎著

2014-07-07 21:20:49 | Book
いよっっ、名人芸!
思わず、そうぶらぼぉの拍手ならぬかけ声をあげたくなるのが、もぎぎさんのMuenchen音楽留学時代に覚えたドイツ語にまつわるエッセイである。

ショートエッセイのタイトルはすべてドイツ語の単語。「NHKラジオ ドイツ語講座」に2003年10月から2007年3月まで連載されていたエッセイに加筆修正を加えて改めて出版した備忘録ではなく”忘備録”である。もぎぎさんが、Muenchenで学ばれたのは1981年のこと。携帯電話もパソコンもない、通貨がマルクの古式ゆかしき旧西ドイツ時代の話しであり、だからこその読物としてのおもしろさがあるのだが、これから留学する方への役に立つガイドブックは期待しないでほしい。

実際、今時の若者の留学生活は、”スマート”でおしゃれ、もぎぎさんのように極寒のドイツの早朝、地下室からバケツ一杯の石炭と着火用の薪をせっせと持ち運び暖炉にくべていた・・・が、実は方法を間違えていたというロマンチックでクラシックな笑えるエピソードはないだろう。そこはかとなく郷愁ただよう文脈の中に、音楽、ドイツ語、文化を入れて笑いをとるという芸術業は、この方しかできないかもしれない。特に、ドイツ語が殆どわかっていない状況で、オーボエのレッスンを受ける様子を、調教師と犬にたとえた「von vorne」は、まさに抱腹絶倒ものである。

そうだった!もぎぎさんの趣味は、私の記憶によると落語をが趣味で「古典亭盃呑」を名のっていた。

こんな名人芸の音楽家目、管楽器科、木管楽器属、オーボエ種のもぎぎさんの余技と対照的なのが、同じ音楽家にくくられるが、指揮者の矢崎彦太郎さんの「指揮者かたぎ」である。率直に一言、矢崎さんの文章はうまい。知性的でありながら、詩人のような静かな情感もあり、余韻が残る文章である。矢崎さんのお父様は、本の編集者で鎌倉で育った。思い出の中に、父親の知り合いとして川端康成や、やはり鎌倉在住の往年の女優との思い出が登場する。

改めて矢崎さんの経歴を調べてみたら、上智大学の数学科を中退して東京藝術大学の指揮科に再入学をされていた。数学と音楽。演奏者と違って、実際に音をださない指揮者は、楽譜を詳細に分析して大きな音楽観で積み立てていくという数学者にも通じるような作業だ。深い思索が、つい言葉として誕生してきたような新鮮さがある。

そして、お子さんがいないおとなだけの流れる時間が、馥郁としたフランスの香りのように伝わってくる。仕事柄、国から国へ、街から街へと、常に移動している心身ともにタフでないと続けられないこんな暮らしぶりもあるのだと。そして、矢崎さんは、久しぶりにパリの自宅に戻ると、朝7時に近所のパン屋でフランスパンに濃厚なバターをつけて召し上がることが楽しみだという。前述のもぎぎさんと共通しているのは、車の運転が嫌いでないことと、グルメなことだ。音楽を愛する人は、食べることも大好き。食べることは、生きること。そんなおふたりの対照的なエッセイに6月の心地よい夜を過ごした。

ちなみに、個人的にかなり気に入っている彦太郎さんの名前は、作家の大佛次さんが命名されたそうだ。

■アンコール
・もぎぎさんの「くわしっく名曲ガイド
・「拍手のルール

「深代惇郎の青春日記」深代惇郎著

2014-05-10 20:52:27 | Book
近頃、諸般の事情から更新が滞りがちなる我がブログ。
そんな中、4年も前の深代惇郎の「天声人語」にありがたくもコメントを寄せてくださった方がいた。返信のために久々にその記事を読み直し、彼の当代随一の名文を思い出して心が高鳴る夜を過ごした。幸福な時間だった。そうだった、生きている喜びと価値を知らせてくれる本や映画、音楽、驚きがどれほどか満ちていることだろうか。根が単純な私にとって、それらとの出会いは拙きブログを綴る原動力にもなっている。

さて、再びページをめくる深代惇郎の文章とことば。「青春日記」というタイトルだが、1949年~53年の大学時代、入社試験前後、53年に朝日新聞に入社したかけ出しのころ、59年に語学練習生としてロンドンに留学した時期、その頃の欧州旅行記、最後に60年頃の「再びロンドン」で幕を閉じる。1929年生まれの深代にとって、20歳からの30代に入る頃の10年あまりのまさに青春時代の日記である。

深代惇郎と言えば、朝日新聞の「天声人語」の最高の執筆者として知られているが、その期間はわずか3年にも満たない。その3年間のために、最高峰の山に登るため、日記とは言え人に読まれることを意識しているような文章は、将来の論説委員としての修行をはじめていたという印象もする。前半は、いかにも東大で政治学を学んだ青年らしく、20代の青年の日記とはいえ、そのまま「天声人語」につながるような記述が見つかるのに感心する。

「およそ政策とは縁のない政権争いの日本政党政治の姿」と皮肉をいい、バカヤロー解散については喜劇と表現して更に、「喜劇のギャグ・アクションは連続されると嫌気がさしてくる事は、二流喜劇を見た人の誰もが経験しているところである。国会芝居もやがてあきが来よう」と、思わずその名人芸に膝をたたきたくなった。又、海軍兵学校予科に在籍したこともある戦争体験者ということからも、ここでもヒトラーの名詞が何度も登場する。

一方で、後半の旅行記になると、アムステルダムではロンドンの女性の方が上等だなどと、けしからぬことも書いたりしているおおらかで率直な素顔も見受けられる。私の大好きなハイデルベルクは、深代も最も美しい品格のある街と、何時間も歩きまわり、かなり気に入ったようだ。ロンドンでの語学学校では、ヒヤリングは下だが英作文は優秀で、教師がよくみんなの前で披露したというエピソードがちょっと自慢げに書かれているのも微笑ましい。

そういえば、文章を書くのが大好きで小説も書いていた友人などは、深代を神様とあがめていたものだ。文才は、確かにもって生まれた才能で、深代は所謂”天才”だった。しかし、文才だけでは後世に残るような「天声人語」を書けない。反骨精神、豊かな感性、鋭い洞察力、市井の人々を思いやる心、人としての魅力と美質が多くバランスよく備わっていたのが、深代だったのではないだろうか。


■アーカイヴ
深代惇郎の「天声人語」

「スプートニクの落とし子たち」今野浩著

2014-03-25 22:22:01 | Book
1957年10月、世界初の人工衛星「スプートニク1号」が打ち上げられた。
この成功にショックを受けた米国が、科学技術予算を大幅に増額しただけでなく、その影響は軍事・科学面だけでなく教育編成にも及んだ。日本政府も科学技術立国として国立大学の理工系学部を拡充していくことになる。

「資源のない国において、日本が一流国になるための鍵は科学技術である。」

科学技術国日本!現代でもすっかりおなじみのキャッチフレーズに心をはずませたヒラノ教授基”コンノ青年”も、翌年の春、日比谷高校から東京大学に進学した180人のひとりとなる。駒場キャンパスにはりだされた理科1類の合格者は550人。(ちなみに今は、1000人を超える。)本書の主人公は、慶応高校から東大に進学した友人の後藤公彦氏。

コンノ青年は、工学部の学生や卒業生たちの親睦団体である「丁友会」の委員となり、この団体で委員長を務める後藤氏と出会うことになる。東大では珍しく眉目秀麗で、上品なツイードジャケットを来た彼は、吉永小百合のいとこだという。頭脳、容姿、人格まで極めて優秀な人材、それが後藤だった。そんなオールAの後藤が卒業後の進路に選択したのが、富士鉄(富士製鐵株式會社)への入社だった。理由は、20年後には社長になるつもりだからだ。

ちょっと危なくないか?確かに後藤は、東大工学部のベスト10に入るエリート中のエリートである。そんな優秀な頭脳を生かして社長になりたいというのも当然かもしれない。しかし、予定調和のように、当時社員1万人以上の大企業で、すでに社長になるのが既定路線のように考えているのは、私から考えても心配だよ、後藤くん。案の定、後藤氏は就職した会社で理系の技術者が社長になる道がないことを悟り、社内のMBA留学制度を利用してハーバード大学に留学し、やがて外資系の銀行に華麗なる転進をとげる。一気に高給取りの副社長となり、妻と豪華マンションに暮らすようになる。1978年のことであった。

その後、後藤氏はどのような人生をたどるのであろうか。タダノ人ではない。この日本において、東大工学部のベスト10に入る人物なのだ。とても美しい女性が、その容姿をいかしてその美しさにふさわしい人生をおくるかどうか。美しさもひとつの天賦の才である。しかし、恵まれた資質をもっているにもかかわらず、美しい女性が必ずしも美貌にそった人生が続くわけではないことを、私たちは女優の生き方を見て気がついている。

後藤氏は不幸だったのか、幸福だったのか。他人が推察しても仕方がない。彼は、彼なりに満足のいく人生だったのではないかと思うのだが、運を言えば、不運が重なったとはいえないか。そもそもが、スプートニク・ショックの時代の流れで理系にすすんだことが、彼の最初の不運のはじまりだったのかもしれない。そして、今も昔も、いや昔も今も、エンジニアだけでなく理系にすすんだ人は、その能力や貢献に見合う厚遇はない。

■おなじみの工学部ヒラノ教授シリーズ
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」
「すべて僕に任せてください 東工大天才助教授の悲劇」

「角栄のお庭番 朝賀昭」中澤雄大著

2014-03-18 22:15:05 | Book
その昔、、、大学サークルの一室で先輩たちの角栄論議に耳を傾けていた。
「いち国民として、金権選挙は許せない!」
とまだ選挙権もない私が口をはさむと、絶妙なタイミングで新潟県出身の某先輩が部室に入ってくるなり、
「オラが、角栄センセイの悪口を言うんでねえっっ!」
と一喝して、大爆笑に包まれた。

法学部で学ぶ優秀な先輩なのに、インテリジェンスがないのかも、そんなことをちらっと考えた自分は、本当に恥ずべき未熟者だった。それを自覚したのは、それから数年後、東京生まれで東京育ちの私が、地方で暮らすようになってからだ。その小さな地方土地でのささやかな生活経験が、新潟県民にとって、田中角栄が頼れる政治家だったのだということを実感させた。そして、愛される政治家だったということもむべなるかな。

閑話休題。
田中角栄は、1918年に新潟県刈羽郡二田村大字坂田に生まれる。72年に54歳で首相に就任して人気を得るものの、わずか2年後には金権選挙と批判され第二次田中内閣は総辞職。76年にはロッキード事件で逮捕、起訴される。その後、病に倒れるも最大派閥の田中派を率い、多くの政治家を育て93年に75歳で亡くなった。

角栄、死して20年。ところが、時代は角栄を忘れ去るどころか、最近、所謂「田中角栄本」が10冊も刊行されていたのだった。本書「角栄のお庭番 朝賀昭」は、新潟県長岡市出身の毎日新聞記者の著者による、「田中軍団」秘書会1000人を束ね、その情報収集力と交渉力から「GUP」(ゲーウーペー)と呼ばれた角栄の秘書・朝賀昭氏のインタビューで構成されている。

朝賀昭氏は1943年生まれ。きっかけは、政治に無関心だった朝賀氏が、日比谷高校時代に国会や自民党本部で雑用のアルバイトをしたことからはじまった。角栄の気さくさとオーラにひかれて中央大学進学後も佐藤昭子氏が切り盛りする事務所でアルバイトをしているうちに、角栄が大蔵大臣に就任した時の演説を聴いて鳥肌がたつほど感動し、生涯角栄の下で働くことを決意する。心から心酔している政治家の秘書として、青年時代からかけぬけてきた男がカリスマのような”オヤジ”について語るのだから、そのフィルターを通して読むことになる。そんな用心を忘れずに、一歩距離をおいて斜に構えた私だが、予想外の”オヤジ”の人間的魅力には頷かざるをえなかった。ちなみに「オヤジさん」とは小沢一郎などの周囲の者から慕われてつけられた、かって日本を支えた総理大臣のニックネームだ。金権選挙と批判した私まで、金まみれの角栄がこれまた金に頼る気持ちというのも同情すら覚えた。

朝賀氏曰く、福田赳夫、中曽根康弘、大平正芳は官僚出身のエスタブリッシュメント。財界主流派との繋がりは強く、ブレーンにも恵まれている。一方、クリーン三木武夫の妻の実家は森コンツェルンで素敵なバックボーンがある。ところが角栄は、越後の寒村から叩きあげてきたどこまでいっても所詮アウトサイダーだ。軍資金は自ら稼ぎ、ばらまき、その金庫番を愛人にまかせるという泥臭いやり方も角栄らしい、と今にして思う。もっとも、越山会の女王は単なる”愛人”という言葉を超える大きな存在だったようだ。愛人というよりも妻以上の天下をとるための戦友、或いは同志という表現の方がふさわしいのではないだろうか。だからこそ、角栄が倒れて、眞紀子さんによって一方的に事務所を閉鎖されることになったとも言える。Y新聞の書評には、ひとり5000円、1日50人もの国会議員の見舞客に出す弁当代25万円の負担をめぐる眞紀子さんと事務所の対立が引き金となったとされているが、元は金銭的な攻防以上の娘・眞紀子の母を泣かした愛人への積年のうらみの決算だったのではないかと想像する。突然、解雇されることになり放りだされた事務所の人たちには気の毒だが、それが眞紀子流なのだ。

なにしろ、角栄センセイは”永田町のカサノバ”と言われるくらい女性にとてももてたそうだ。
そして政界ほど、魑魅魍魎が跋扈する世界はない。

角栄の秘書と言っても、マスコミにも登場して華やかに活動されていた政治評論家の早坂茂三氏に比較し、「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子氏を陰で支えていたために、世間的にはこの方の名前は殆ど知られていないだろう。 朝賀氏ご本人も「お庭番」の仕事は墓場まで持っていくべきと考え沈黙していたが、あまりにも虚実ないまぜの誤った角栄像が流布するため、自分が知る真実のオヤジの姿を語るべきではと考えたことと、内政、外交など多くの転機に直面している今日、オヤジさんの生き様に国難を乗り越えるヒントがあるのではないか、という思いで実現した。人間、田中角栄にせまる男気の愛情のこもった一冊である。さすがに、軍団を束ねる熟練の秘書だ。

ところで、本書を読んでも実際のロッキード事件の真相はわからない。闇は尚暗いという言うべきか。それらしき記述もうっすらとあるのだが、それこそすべて墓場に持っていく覚悟なのだろう。

「地図と領土」ミシェル・ウエルベック著

2014-03-02 15:40:43 | Book
ジェドは、1976年生まれの美術家。
孤独を好むというわけではないが、美大出身の同級生たちとは疎遠気味。幼い頃に母を亡くしたが、建築家として世間的に成功して引退をした父は健在で、クリスマスをともに過ごす。そう言えば、クリスマスで父に会わせる女友達はいない。目下、恋人募集中、、、と言えるほど、女を必要とする青年でもない。クリスマスで同じベットで過ごす女性よりも、ボイラーの修理の方が彼にっては大問題だ。

そんなジェドだったが、ミシュランの地図に魅せられて、地図をモチーフに写真を撮り、大学時代の仲間の展覧会で発表したところ評判をよぶ。彼の作品に興味をもったロシア人の美貌の恋人もでき、続いてすすめられるままに開いた個展も大成功したのだが。。。

現代は、大衆による消費社会である。芸術の分野も資本主義とは無縁ではいられない。ジェドが気ままに転向した油絵の作品も、仕掛ける者のプロデュースと、著名な評論家や批評家の解説で飾られれば、大金のお値段がつき、作品を購入できる財力のある者の手に落ちていく。かくして、市場主義社会に生きる現代のジェドは、一気にアーティストという豪華な肩書きとともに、その職業がもたらす金のなる振り子を手にした。ついこの間まで、ボイラーの修理にやきもきしていた無趣味で小心者のジェドが!ところが、作品の解説を隠遁生活を送る世界的な人気作家のミシェル・ウエルベック(著者本人)に依頼したところ、とんでもない猟奇的な事件にまきこまれてしまう。

発表する作品がいつも論議をよぶミシェル・ウエルベックの待望の新作が、本作の「地図と領土」である。
今回も各国で本格的に論じられ、2012年には作家本人も参加した国際学会では、50名の研究者たちが集結したそうだ。芸術、消費社会、情報社会、産業社会、父と息子の関係、孤独といくつもの投げかけが本書にはしかけられており、なるほど、ウエルベックの挑発にのって様々な論議の価値がある一冊だ。さぞかし、その学会は熱気に包まれただろうと推測する。

ビル・ゲイツや亡くなったスティーヴ・ジョブズだけでなく、フランス人だったらよく知っているであろうマスコミ人やシェフなどが実名で登場してくる。内容の辛辣さと深さとは別に、ユーモラスでお茶目な文章がさえている。ジェドがある複数の写真から、フラクタル理論を芸術作品に結実させたジャクソン・ポロックの作品を思い出す場面など、これ以上ないくらいグロテスクでありながら、まさにウエルベックの真骨頂をみた気がする。

ところで、主人公のジェドが開いた最初の個展のタイトルは、「地図は領土よりも興味深い」。
その後、ジェドは年齢を重ねて2046年まで生き、天寿を全うする。果たして、死して彼が残したものは何だったのか。読者は、ウエルベックの凝った技巧のしかけの謎とともに、フェルメールの「天文学者」の表紙を改めて眺めることになる

■ミシェル・ウエルベック原作の映画『素粒子』・・・こちらもお薦め

「火葬人」ラジスラフ・フクス著

2014-02-02 15:33:15 | Book
何かを警戒しているかのように、後ろを振り返りながら、髪の長い娘の背中をそっと押す紳士。
なすままに前にすすむ娘の黒いワンピースに純白のレースに、彼女の若さと清楚さが匂うようだが、ひとつにまとめた髪は、何故かぞんざいだ・・・。
この表紙は、本作が映画化された時のスチール写真だという。これほど人の想像力をかきたて、不安にさせる怪しげな写真もそうそうないだろう。映画は、本書のグロテスクな世界を見事に映像化させていて、チェコを代表する傑作映画だそうだ。

さて、この実直そうな中年男性は、1930年代末にプラハに住むコップフルキングル氏だ。優美なる妻、思春期を迎える闊達な娘と少々放浪癖のある14歳の息子と平穏に暮らしている。煙草も酒も嗜まず、浮気とも全くご縁がないのに、念のため友人のユダヤ人医師のところでこっそり性病の検査を受ける細心なところもあるが、家族を思いやり、礼儀ただしい非のうちどころがないような紳士である。職業は火葬人。彼は、自分の職業を誇りにもち、人を使ってサイドビジネスまでもくろんでいる。

時は、ナチスドイツが、スロバキアとともにポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。コップフルキングル氏の日常は、そんなチェコの歴史の夜からはじまる。次々と迫害されていくユダヤ人の友人をもつ彼は、温厚な紳士らしく、親切で愛情にも犠牲心にも満ちたユダヤ人を、何故、ヒットラーが迫害するのだろうかと常々思っていた。ところが、そんな彼に擦り寄ってきたのが、ズデーデン・ドイツ党に入党している友人のヴィリだった。ある日、コップフルキングル氏は、その友人から思いがけないクリスマスプレゼントとともに、ひとつのミッションを依頼されたのだったが。。。

コップフルキングル氏は、間違いなく善良なる一般市民である。初めて出会った時から、毎日ずっと、妻を優しく愛し、仕事に誇りをもって決して怠けることなく真面目に働き、礼儀正しくふるまい、信仰心ももちあわせている。けれども、彼の言動には、不思議な奇妙さがロンドのようについてまわる。マダム・タッソーの蝋人形館で、ボクジングの試合会場で、展望台で、パリッとした白襟に赤い蝶ネクタイをした年配の太った男や、黒いドレスを身にまとった頬の赤い娘、長い羽根のついた帽子をかぶり、ビーズのネックレスをした女などが、コップフルキングル氏の行く場所、場所で踊ってまわる。やがて、悪趣味で不快なロンドは、衝撃的な結末でいきなり終止符がうたれる。

いったい、善良なる人々の心は美しく澄んでいるのか。そして強靭な魂をもちあわせているのか。
コップフルキングル氏は、完璧なほど紳士で善良なる人間である。その顔の一方で、彼の心の中を開いてみるとぞっとするほどの空虚さに、私はふるえてしまった。本書は、平凡で瑣末な日常の繰り返しの中に、妻を愛する夫も、こどもを思いやる父親も、優しく親切な友人も、いかようにもきりかわり、崩壊していくのか、という恐怖をグロテスクに描いていく。単純にナチスに感化されていく男とは言い切れない、現代人にも彼の幻影が見えてくるのではないだろうか。

著者のラジスラフ・フクスは、1923年にプラハに生まれる。父親は厳格な警察官で、母親は育児にあまり関心がなかったそうだ。1939年3月15日、ドイツ軍はプラハを掌握し、チェコはこの日以降ドイツの支配下に入った。当時、ギナジウムに通っていたフクスは、次々とユダヤ人の同級生が消えていくという喪失感を体験した。まず、彼らの父親が拘束され、医師、弁護士といった職業も奪われ、公的な場へ入ることを禁止され、ユダヤ系の同級生たちは、強制収容所で生涯を終えた。それのみならず、同性愛者だったフクス自身も、いつか自分も連行されるのではないか、と恐怖に怯えていたであろうことを想像する。

フクスの自伝の中の次の言葉を考えると、日本に紹介されるチェコ作品の水準の高さと芸術性に感服するしかない。

「本当の良質の文学作品の第一の源泉は作者自身の体験と経験」と言い切っている。そして、歓喜であろうと、悲劇的な哀しみであろうと、魂から迸り出るものを心のなかから執筆しなければいけない、と。
上っ面の体験が本質にたどりつくことがない。」

■チェコのアーカイブ
映画『英国王 給仕人に乾杯!』
映画『厳重に監視された列車』
「あまりにも騒がしい孤独」ボフミル・フラバル著

「アップル帝国の正体」後藤直義・森川潤著

2014-01-14 17:30:45 | Book
1999年10月5日、アップルの新製品発表会でのことだった。
いつものイッセイ・ミヤケの黒のハイネックにGパンではなく、その日のスティーブン・ジョブズはタキシード風のスーツを着て登場したそうだ。理由は、大型スクリーンに映し出された、3日前に亡くなったばかりのウォークマンを片手に微笑むソニーの創業者、盛田昭夫氏のありし日の姿だった。

「アップルはコンピューター業界のソニーになりたい」

ジョブズが盛田氏を尊敬していたのは有名な話である。私もソニーという企業が大好きであり信頼している。だから、昨年もウォークマンを購入した。ipodはマニュアルがないけれど、ウォークマンにはきちんとわかりやすいマニュアルが合理的に仕切られたケースに収められている。便利だ。けれども、不図、電車の中を見渡すといまだに黒いイヤホンをつけている者は少数派。ipadの純白のイヤホンに比べて、この黒のイヤホンはちょっとおじさんくさくないか。それに、メタルブルーの色もはっきり言ってださいっ。しかし、それもつかのま、あっというまに次々とiPhone 5sに機種変更をする輩を見ていると、そもそもipadももう必要ないのかも・・・と思ってしまう。iPhone1台あれば、マルチに役に立つ。

新製品が発売される度に熱狂的に行列をするファンのお祭り気分を理解できず、iPhoneにもなんら興味がわかないのだが、そのiPhoneに搭載された超優れもののカメラ機能がソニー製と聞いて驚いた。それだけではない、液晶画面は日本が世界に誇るシャープの亀山工場製作だったとは。我家のテレビと同じ液晶画面の技術が、iPhoneにもちゃっかり利用されていたのだ。技術大国日本、と日本の頭脳と大金を投じた技術と伝統的なお家芸に至るまで、名門企業から地方の小さな研磨作業をする零細企業まで、今ではアップル帝国の製品の単なるパーツづくりの下請け工場になり、尚且つ支配されていたのだった。

私が本書を読むきっかけになったのは、日本人がiPodに使用されている技術で特許を侵害されたとしてアップルに訴訟を起こし、東京地裁が約3億3600万円の支払いを命じるという判決がくだされたからだ。私が予想したように、日本の様々な技術の結晶がアップル製品に反映されていた。しかも、彼らはその事実をいっさい公表していない。そして、提供している日本企業側も巨額な違約金を含む「NDA(秘密保持契約)」で封印されているから公表できないのだ。

著者はふたりとも1981年生まれの「週刊ダイヤモンド」の記者である。秘密主義のジョブズの方針を守るアップル社の取材には、困難がつきまとい、取材に応じた人も殆ど匿名だ。それでも、「アップル帝国」という妥協を許さず、美しさに徹底的にこだわり、利益追求には猛獣のような巨大企業を通して本書から見えてくるのが、ガリバーに呑み込まれつつある哀れな日本の家電企業、通信事業、音楽業界の姿である。

ジョブズが愛したソニー。
2001年度の売上は7兆5783億円で純利益が153億円。対するアップル社は売上高6330億円に29億円の赤字。それが、今では(2.012年度)、ソニーの売上高6兆8000億円、純利益がわずか430億円にも関わらず、アップル社は12兆3393億円で純利益はなんと3兆2902億円にものぼる。世界中で爆発的に売れ続けるアップル製品。それにしても高い収益率には驚く。いったい、日本の高い技術力がどうしてアメリカの企業のこれほどまでの繁栄に貢献するようになったのか。本書は、その謎と秘密をあきらかにしていく。経済の本は旬が大事である。私は国粋主義者ではないが、日本の未来を憂うところがある。日本経済の行く末を考えるとき、この本を読むべきは、まさに今でしょ!

最後に象徴的なエピソードとして紹介したいのは、ジョブズの背後のスクリーンの中に微笑む盛田氏の遺影には
Think different
という文字がうかんでいたそうだ。

「実録 ドイツで決闘した日本人」菅野瑞治也著

2014-01-06 23:10:41 | Book
古くは文豪ゲーテ、新しきは経済学者マルクスや哲学者ニーチェ、ビスマルク首相まで真剣で決闘をしていた!
え~~~っっ、、、ほんまかいな!
本書をめくると、まず飛び込んでくるのが、女子的には思わずのけぞりそうな次の文章。しかも太字だ。

驚くべきことに、
ドイツでは今日もなお、
刃渡り約90センチの切れ味鋭い真剣を用いた
「決闘」が一部の学生の間でごく普通に行われている


”ごく普通”ってなにさ。更に、気弱な乙女が本当にのけぞってしまったのが、プロローグからはじまる著者の実際の決闘の場面!ザ・実録である。

―1982年6月26日、ドイツのハイデルベルク。・・・中世や江戸時代の話ではない。ほんの30年前の話ではないか。
「なぜ、再びここにいるのだろう?」と、右手に真剣を握りしめ、恐怖心と緊張感でふるえながら著者は考えたそうだ。当たり前だ。帰国を間近に控えた日本人留学生で、しかも二回目の決闘に挑んでしまうとは!

著者が、無謀なのか野蛮なのか、それともおおいなる勇気なのか、カラダをはって体験した決闘は、ドイツ国内に400ほど存在する学生結社からの代表者が闘う決闘で、Mensurと呼ばれるそうだ。日本の反社会的勢力やお子様達の族の抗争とははるかに次元が違うこのメンズーアは、厳格なルールというよりも掟のもとに、正装したOB紳士たちを観客に実行される。勿論、女こどもたちには見学できる資格はない。相手との距離が1メートルしかない中で直立したままで90センチ程度の真剣を上から振り回し、上体、頭部を相手の攻撃をかわすために前後左右にわずかでも動かすことが禁じられている。人間には本能というものがある。思わず、わずかにでも真剣を目の前に顔や体が後退しようものなら、「臆病で卑怯な態度Mucken」とみなされ即刻失格となる。げっ。

つまり、この決闘は剣の腕を競うこと以上に、ヨーロッパの騎士道をベースにした精神性の高さと強さ、誇りを試される、男になるための厳しい鍛錬であり、試金石でもある。それ故に、真剣勝負の本当に闘う相手は、必然的に自分自身となる。恐怖心を克服して見事に闘いぬいた者は、たとえ顔に傷が残り倒れても、学生結社の正式メンバーとして認められ、結社のハウスの鍵とともに生涯にわたる会員同士の絆を得ることができるのである。

こんなことが法律で認められているのか。驚くなかれ、ドイツ連邦最高裁判所でお互いに合意に基づく場合は処罰の対象にならないという判決がくだされている。但し、若き数学者エヴァリスト・ガロアのようにいくつも命があっても足りなくならないように、特殊なゴーグルのような鼻付き眼鏡や鎧の着用、決闘専門医の存在などで一定の安全対策はとられている。そうは言っても、頭や頬に刀傷が残ることがあるのだが、このような傷をシュミスといってエリートである男の勲章にもなる。

ドイツの文化をそれなりに知っていたつもりであるが、本書には驚かされっぱなしである。もし仮に、自分が男でドイツの大学に留学したとしても、決闘をしなければならない学生結社のメンバーになるのは無理っ!実に男の美学にこだわったマッチョな世界なのだが、学生結社なるものの成立ちと歴史、活動や日常といったドイツの社会学が本書の主眼である。新年早々のブログが血なまぐさい本の感想となってしまったが、ゲルマン騎士の「高貴なる野蛮さ」を書いた稀な本のお薦め度は★★★★★

昨年の秋、Muenchenの交差点を渡った時に、すれ違った美青年の頬に見事な切り傷が残っていてぎょっとしたのだが、もしかしたらシュミスだったのかもしれない。もしシュミスだったら、あの傷は麻酔なしで縫合されていたはずだ。それから著者の菅野氏、通称ミーチーが決闘をした場所は、Heidelbergのあの場所ではないかという心あたりがある。こっそり確かめてみたい気もするのだが。

■Archiv
「ドイツの黒い森の現在形」
ドイツ雑感
ベルリン・ドイツ交響楽団
メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著
「ドイツ病に学べ」熊谷徹著
映画『THE WEVE ウエイヴ』
「ナチスのキッチン」藤原辰史著