千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ダークレディと呼ばれて」ブレンダ・マックス著

2010-10-30 16:07:27 | Book
「『ロージー』はノーベル賞がとれたのか」。
1998年8月15日の「自由なオランダ」紙が投げかけた命題である。1953年にDNAの二重らせん構造をフランシス・クリックとともに解明して、62年にノーベル賞を受賞したJ・D・ワトソンの『二重らせん』を読んで、ワトソン-クリックの後に続くのは、”第3の男”のウィルキンズではなく、X線解析で彼らにヒントを与えて貢献したロザリンド・フランクリンではないかと、私は考えた。但し、もし彼女がその時、生きていたならば。

本書の著者のブレンダ・マックスはそのような仮定は無意味だと結論している。確かに、彼女が男性だったら、という”もしも”と同じように無意味だ。しかし、この質問を、彼女が生きていたらノーベル賞委員会はウィルキンズではなくロザリンドに与えたはずだ」という主張に変えたとしたらどうなるであろう。ストックホルムのノーベル賞委員会には、各国から推薦を受けて受賞者を選ぶのだが、推薦人にはその国の受賞者が含まれて、彼らは師弟関係を優遇する。「二重らせん」で序文を書いたローレンス・ブラック卿は、英国の候補者の決定に強い影響力をもち、彼がウィルキンズを推薦していたのは想像できる。37歳という若さで亡くなり、世界で最も権威のある賞には縁がなかったが、80年代以降、ロザリンド・エルシー・フランクリンが優秀な科学者だったことが再評価されている。副題に「二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実」がつけられた本書は、1920年7月25日、ユダヤ人の裕福な銀行家に生まれた彼女の家族の歴史からはじまり、生い立ちから熱心に研究生活に励み、最後の日まで取り乱すこともなく次の研究課題を考えておだやかに眠るように逝った彼女の生涯が綴られている。

読むのにあたり、私が心がけたことがふたつある。「二重らせん」が売れたのは、20世紀最高の生物学的発見者による本というだけでなく、真偽のほどはともかく、赤裸々な科学者の生態と、二重らせんの解明にある意味ルール違反ではないかと思われる過程があったことも人々の好奇心に作用したのではないだろうか。クリック以上に、この本の中で重要な役割を演じているのが、ダーク・レディと呼ばれた通称ロージー。ノーベル賞という権威の裏にある暴露的なことを期待したり、フェミニズムの視点で悲劇のヒロインの象徴を求めたら、科学とひとりの女性研究者の本質を見誤る、というのが私の考えだ。著者のブレンダ・マックスはサイエンス・ライターにふさわしく、ロザリンドの業績と人となりを曇りのない視点で客観的に書いていて、私は感動すら覚えた。

ワトソンが31歳のロザリンドに初めて会った時の印象として、顔立ちはよいのに、化粧もせずにイギリスの文学少女めいた衣服を着て、母親からつまらぬ男と結婚しないですむように、職業的技能を身につけさせるように強要した結果と評価している。後に教養も高い裕福な銀行家の娘と知るのだが、”ダークレディ”というニックネームとともに、ヒステリックで頑固、周囲との協調性に欠けるやぼったい女性というイメージが、本の売れ行きとともに、当の本人が亡くなったために反論の機会すらないまま、遺族が悲しむくらいにひろまってしまった。ここで、ワトソンの言葉にある”技能”と”強要”に、私にはひっかかるものがあるが、私も本書を読まなければ、そう感じたままで終わっていただろう。自らエピローグに言い訳めいて書いているが、科学者の世界では「女性は真剣な思考から救ってくれる気晴らしの存在」としてみる傾向があるということだ。栄冠をめざして競争社会で生きる彼ら男性群にとっては、ハーバード大学ですら女性に終身在職権を与えたのが1992年のことという社会的背景もあり、女性は気楽に遊べる女の子か、ワトソンの妹やクリックの妻のように恋人や妻にふさわしい美しい女神しかいなかったことも、あまりにも聡明で男以上に勤勉なロザリンドに対して愚かな対応だった原因はある。人は誰しも、その人のすべてを知ることは難しく、ワトソンの”ロージー像”もすべてが誤りだとも思えないが、あまりにも独断による一面しか伝わってこないのは、如何なものかと思われる。

確かに、ケンブリッジはロザリンドに、人生を変え、専門職と哲学を与えてくれたが、ロンドン大学キングスカレッジでの彼女への扱いは不遇としか言いようがなかった。また不運が同僚との対立をうみ、礼儀正しさが育ちの違いの印象を与え孤立を深め、慎重さが猜疑心の深さ、生真面目さが頑固と思われ、よい人間関係を築きことができなかった。女性に対する偏見や周囲の無理解だけでなく、彼女がフランスで初めて愛情をもった既婚の科学者のように、尊敬に値する優秀な頭脳を上司に期待し過ぎた失望が人間関係の躓きともなったと思える。しかし、頭のよい女性にありがちなそのような厳しさは、自分がチームのリーダーとなるや、次々と論文も発表するかたわら研究費獲得のために努力し、不治の病を自覚してからは部下の生活すら配慮して彼に遺産を与える遺言状を残す、という実に有能で頼れる理想の上司として慕われる面を発揮していくことになる。

また、ワトソンがもっと化粧をした方がよいと感じた全く色気のないロージー像は、世間に女性科学者への偏見すら与えていないだろうか。実際のロザリンドは、洗練されていてとてもおしゃれだった。夜、白衣を脱いで研究室の階段を下りる彼女が、別の星からやってきたように美しいイブニング・ドレスだったことを目撃した者もいる。人間関係を築けないどころか、友人の家庭を訪問するとこどもたちとたちまち仲良く遊び、気がきく贈物を選ぶ気配りもあり、料理も大好きで、自宅でのもてなしも得意だった。そして旅行が大好きで、裕福な家庭の娘にも関わらず、元祖バックパッカーだった。フランスでの研究生活、アメリカでの招待講演をかねた旅行、最後のバークベックカレッジでの暮らしでは、毎日、生き生きと充実した日々だった。残念ながら、恋をした男性は既婚者ばかりで、唯一結婚を考えられる男性と出会った時は遅し、すでに彼女は病に冒されていてあきらめるしかなかったのだが。

研究者としてロザリンドが用心したのは、産業界から一定の距離をおくこと。自分の研究が営利目的のみの道具となることを憂慮してのことだが、これには戦争体験や裕福なユダヤ人の一族という出自にもある。そんな思慮深く人生哲学をもつ彼女が亡くなった後、研究成果が認められると、ワトソンの”職業的技能”という言葉にもあるように「地道」で「腕の良い実験者」という”ほめ言葉”で再び知性を貶められることになった。しかし、ロザリンドは炭素、タバコ・モザイク・ウィルスの研究で世界的評価をえて、数々の論文は短い人生ながらも、科学者の一生分のキャリアに並ぶものだった。そしてDNA構造の解析に決定打のヒントを与えたのは、ロザリンドの撮った51番のX線写真だ。本書の監訳をした福岡伸一氏によると、彼女はデーターをひたすら地道に積み上げていく「帰納的」アプローチでDNAの構造を解明することをめざしていたことになる。そこには野心も気負いもなく、ひらめきやセレンディピティは必要なく、クロスワードパズルをひとつひとつ緻密にうめて、その果ての全体像としておのずと立ち上がってくるものとしてDNAの構造があった。一方ワトソンとクリックは、典型的な演繹的アプローチによってDNA構造に迫ろうとした。直感やひらめきによって、先に図式を考えて正解に近づこうとする思考だ。その思考に貢献するデーターが、ウィルキンズが偶然もたらした切り札、フランクリンの撮影したDNAの三次形態を示すx写真だった。このX線写真に数学的な変換と解析をしたのは、”準備した心をもった”クリックだった。この写真のおかげでふたりは一番に正解に達したが、ロザリンドも真実のすぐ間近まで上っていたということだ。ワトソンの「二重らせん」は、帰納型よりも演繹型の方が競争には有利という意味でも功罪を残したことになる。

ロザリンドはノーベル賞をとれたかという質問を「ノーベル賞受賞者にふさわしい業績だったか」と問われたら、間違いなくYESと答えたい。しかし、ノーベル賞をとれたかという議論は、彼女にとっては瑣末なこと。ロザリンドにとって奪われた賞とは、著者のいうように結局、生命そのものだったのだろう。科学に熱中するケンブリッジ大学で学ぶ娘の行く末を案じた父に宛てた手紙には、「科学と日常生活を切り離すことは不可能ですし、そうすべきではないのです。科学は私にとっては、人生を解釈する材料を与えてくれるものともいえます。それは事実と経験、実験に基づいているのです。」と記されていた。本書を読むと、そんなロザリンドの人生観も伝わってくる。

4月19日付けの『ロンドンタイムズ』紙に、J・D・バナールによるロザリンドへの敬愛の気持ちがあらわれた学者らしい気品のある追悼文が掲載された。そこには、「彼女の人生は科学研究に一意専心に身を捧げた見本である」と結ばれていたそうだ。

■あわせて読みたいアーカイヴ
「二重らせん」J・D・ワトソン著

映画『張込み』に見る日本の原風景

2010-10-29 00:02:22 | Movie
昭和33年に製作された映画『張込み』を観ていると、まるで遠い未開の異国のように思われてくる。確かに半世紀経たとはいえ、こんなに日本は発展して大きく変貌を遂げたのかと、今さらながら驚ろかせられた。映画の物語とは別に、古いアルバムをめくるような感情を思い出しながら、当時の生活様式を想像してみる。
柚木刑事たちは、22時間もかけて冷房もない特急列車で九州まで逃亡している犯人の元恋人を追いかけていく。それでは、いったい新幹線が開通したのはいつの時代かと調べたら、昭和39年10月1日のことだった。この特急列車と新幹線では隔世の感がある。暑さのため、車中では下着のランニング・シャツになっている男性すらいる。(さすがに、ステテコ姿は見かけなかったが)

ところで、私が最も関心がいったのは、刑事が張込みをした木賃宿と犯人の石井と恋人のさだ子が投宿する予定だった旅館の建築様式である。部屋の周囲が渡り廊下で囲まれ、部屋と廊下の間には障子があり、戸外に向いた廊下には一面ガラスがはりめぐらされていて、完全に独立した部屋としてのプライバシーは守れないが、とても風情がある。現代では、このような日本建築の建物は京都などの観光地以外に観ることができなくなってしまった。

また、さだ子が内職で使う足踏み式ミシンは若い頃の母もよく使っていたが、いつの間にか消えていて、あれはいったいどこへ行ったのだろうか。同じようなタイプのミシンを、装飾品としてブティックにおいてあるのを見かけたことがあるが、今から考えると、年期が入るほどに美しくなる機械だった。最近は、電動式のミシンすら我家から消えてしまったが、特に不自由も感じていないから、女性の生活様式も変化した。蛇の目ミシン工業のサイトでミシンの歴史をふりかえると、昭和24年で23000円。昭和29年製作のものでも24000円。サダ子が亭主からもらう生活費が1日100円だったので、240日分である。けっこうな金額だと思ったが、なんと刺繍でもできる最新式の家庭用ミシンでも「セシオ11000」は427000円もする。

サダ子を監視する刑事には、20歳も年上の銀行員の後妻になった彼女の暮らしぶりがうかがえる。お風呂も薪でわかし、湯加減も夫の希望どおりに調節しなければならない。テレビは勿論ない。(木賃宿では、客と従業員が一緒にラヂオを楽しんでいる。)傘は、修理をする人がやってくるところから、大切に使用しているのがわかる。そういえば、こどもの頃は老夫婦が営んでいる傘やさんが商店街にあり、母とその店で赤い傘を選んだ思い出がある。コンビニで買う安い500円のビニール傘を買うのとは異なり、1本1本広げて、サイズや顔写りまでお店の人と検討して買った傘を気に入っていた。雨の日に、傘を夫が勤務する銀行まで届ける場面があるが、それも車で駅まで迎えに行く平成妻に変わった。おでかけは着物。こどもたちのおやつは、スナック菓子ではなく果物の林檎。銭湯の番台には、柚木刑事の見合い相手が未婚の若い娘が座っていて、婚約するかもしれない彼がステテコ姿で体重計に乗っていると、「この頃太ったんじゃないの」と声をかける。露天の混浴風呂以上におおらかだ。
しかし、根本的に変わったと思えるのが、恋人との連絡方法である。最後に柚木刑事が、恋人の弓子との結婚を決意して佐賀駅でプロポーズの電報を打つのだが、今だったら携帯電話かメールだろう。便利さとひきかえに浪漫がなくなったな・・・。

『張込み』

2010-10-26 22:26:49 | Movie
東京、江東区で質屋が殺された。逮捕された主犯の自供によると、凶行に使用された拳銃は、逃亡中の共犯の石井(田村高廣)が持っているということだった。その石井が、3年前に上京する際に別れた女、さだ子(高峰秀子)に会いたがっていたという情報を手に入れた若手の柚木刑事(大木実)は、必ず犯人が女を訪ねてやってくると考え、その意見に同意したベテラン刑事の下岡刑事(宮口精二)とともに、女の嫁ぎ先の佐賀県に向かう。さだ子は、3人の子持ちの20歳も年上の銀行員の後妻に入っていた。
横浜駅から取材にくる新聞記者をまき、特急鹿児島行き列車に乗り込み、22時間蒸気機関車にゆられてようやく佐賀駅に到着。ふたりは目的の家の前までたどりついた。
女の住む家の前にある木賃宿、備前屋の女将(浦辺粂子)と交渉し、セールスマンと身分を偽り二階の部屋を安く借りることができた。窓の向こうからは、さだ子の暮らしぶりを監視できる。
「さあ、張込みだ!」
夏の暑さに汗だくになって意気込む柚木刑事だったが。。。(以下、内容にふれています。)

本作は、松本清張が「小説新潮」に掲載した短編小説を、1958年に映画化した作品である。昔の白黒時代のイタリア映画が、非常によくできていて素晴らしいように、本作も映画の原点のように完成度が高い。まず、列車に乗り込む時から緊迫感があり、走る蒸気機関車の窓からの景色や車内の様子の変化、駅の名前が次々と現れては去っていく描写から、いかにも長い旅路であることかが感じられる。その距離の長さと駅にたどりついた時の疲弊感に、若い柚木刑事の野心と犯人逮捕への執念があらわれている。

ようやく木賃宿の二階の窓という絶好の場所を占めるや、「さあ、張込みだ!」と、はやる気持ちの柚木刑事役の大木実のかっと見開いた目のクローズアップに、「張り込み」の大きなタイトルの文字が重なる。このあたりの流れは、今観ても洗練されている。しかも、音楽は黛敏郎。吝嗇家の夫から毎日わずか100円だけ生活費として預かる、堅実な主婦となったさだ子が買物籠をさげて市場に行くと、尾行する柚木は、ひっきりなしに流れる汗をハンカチでぬぐう。その仕草は、今夏のような猛暑と柚木の熱気がただよい、また同時に刑事の仕事の苦労がにじみでてくるような演出である。

しかし、さだ子の生活はあまりにも地味で単調。毎日、同じことの繰り返しで、独身の柚木は彼女の表情に生気がなく、実年齢よりもふけてみえると感じる。さだ子を監視しながら、柚木は、肉体関係がありながら、彼女の家庭の事情で結婚を躊躇している恋人、弓子(高千穂ひづる)のことを思いだしていた。そうとは知らない下岡刑事の妻のすすめで、銭湯の娘との条件のよい見合い話しもすすんでいる。ここから、追う刑事たちよりも、監視されていることに全く気がつかず、毎日貞淑に夫につくす女のさだ子が物語の中心になっていく。掃除をして洗濯物を干し、ミシンかけの内職をし、こどもたちの世話をやき、お風呂をわかすさだ子の平板な日常は、さだ子自身のパーソナリティにも見えてくる。この女に、恋愛感情があり、恋人がいたなんて信じられないような不思議な印象を彼らはもちはじめる。

張込みを開始して1週間。なんの実りもなく、明日には撤退する日、いつもの服装ながら買い物籠でなくハンドバックを持って外出するさだ子を見かけて、ぴんときた柚木は必死に彼女を追いかける。おりしも夏祭りの真っ最中で、笛や太鼓の音の洪水と人ごみの中でさだ子を見失い焦燥とつのらせる場面は、後の映画製作でも何度も踏習されている。その後、タクシーに乗ってさだ子の乗ったバスを追いかけながらどこまでも続くたんぼの中、山間を列車と競争する場面は、実に手に汗をにぎるような緊迫感と迫力がある。九州の大自然を背景とした構図も見事。物語の展開、巧みな構成、時代を感じさせる情緒、そして柚木と犯人・石井、さだ子の情感がそれぞれに流れる結末も物語の完結としてうまい。殺人を犯した石井が、それとは知らないさだ子と昔話をしている時に、通りがかった小学生たちの唱歌がかぶさる場面は日本人らしい繊細な演出である。こんな昔に、これほどレベルの高い日本映画が製作されていたとは。

調べてみたら、作家、監督をはじめとして、柚木刑事、下岡刑事、さだ子、石井、備前屋の女将、演じた俳優の殆どがすでに物故者となっている。懐かしい記憶にかすかに残る俳優陣の名前や顔を発見しながらも、日本映画の歴史の歳月の流れに感慨すらわいきた。そして、さだ子が、石井と再会した時の日傘がくるくると楽しげに回っていた情景を思い出した。(続くかも)

1958年製作
監督:野村芳太郎
松竹配給

■こんなアーカイヴも
『ゼロの焦点』

「船に乗れ! Ⅰ合奏と協奏」藤谷治著

2010-10-23 22:02:46 | Book
全国書店員が選んだ一番売りたい本!「本屋大賞」なんて、私の読書の森散策には、全く参考にならないと思っていた。おもしろくって感動して泣ける!それで何かっ???
という私が、2010年度惜しくも7位だったが、入賞して話題となった本「船に乗れ!」を読んでしまったのだ。しかもヤングアダルト向け!(・・・でもえっちじゃないよ。)どうもとても評判がいいらしい、というよりも、主人公が音楽高校でチェロを習っている男子高校生という設定にひかれて手にとった本。そもそも女子ならまだしも、高校の音楽科もしくは音楽高校に通学する男子はきわめて少ない。生物学的多様性で言えば、永遠の絶滅種に近い生き物だからだ。読んでいるうちにわかったのは、この本が単なる青春ものでもなければ、私が期待した音楽小説でもなかったことだ。期待をはるかにこえて、こんなに熱くなって、ページをくるのが惜しく、眠るが惜しい本に出会ったのは、本当に何年ぶりだろうか。

主人公の津島サトルの母方のお祖父様は、音大の学長でお祖母さまは海外への留学経験もあるえらいピアノ講師。叔父さんは、ドイツを本拠地に活躍するピアニスト、と音楽一家の中で唯一ふつうに丸の内でタイピストをしていた母親と、そこで知り合ったサラリーマンと結婚して生まれたのが、サトルだった。幼い頃になんとなくピアノを習っていたサトルだが、チェロと出会って音楽家をめざすようになる。しかし、受験した藝高は、実技では合格したのに学力検査であえなく敗退。そのサトルが進学したのは、おじいさまが学長を務める三流の新生学園大学附属高校音楽科だった。そこで出会ったのが、ヴァイオリン専攻の元気のよい女子、鮎川やフルートを吹く色白の美少年の伊藤、哲学を論じる金窪先生。そして、ヴァイオリンでは学年の首席をめざすちょっと性格きつめのきれいな南枝里子に、サトルは初めて恋をする。高校生活は、夏休みのオーケストラの合宿、文化祭、南とピアノの先生の北島先生とトリオをくんでホームコンサートとあっというまに過ぎていくのだったが。。。

本書は作者の自叙伝にも近いと思われる現代のサトルによる回想録という形式になっている。現在進行形の青春ものではなく、今ではすっかりオトナになってしまった僕が、過去の自分と決着するために書かれているという設定が、考えればとてもさえていて重みを与えている。著者の藤田治氏は、1963年生まれで、洗足学園高校音楽家から日大芸術学部、但し、映画学科を卒業されている。はるかかなた遠くまで歩いて人生の折り返し地点を過ぎたサトルが、おそらく今は音楽家にはなっていないと思われる彼が、振り返る音楽とともに生きた我が青春時代!

音楽一家に育ちながら、音楽家にならなかったサトルのお母さんが素敵だ。彼女は音楽が人生を豊かにし、楽しく、幸福にするものであることを知っている。そのうえお母さんは、川上監督のジャイアンツも愛しているようだ。カラヤンが秋のシーズンで指揮をする曲と、ジャイアンツの選手のことをよく知っている人間に対して、人は驚嘆の念をもつ。現代では、野球とクラシック音楽の両方に詳しい女子は、自分の身内にもいる。さすがに珍しがられるようだが、驚嘆するほどではない。しかし、30年ほど昔のお母さんだったら、それはやっぱりサトルのいうように驚きものの自慢ママだろう。音楽的な環境にはとても恵まれた一族のお坊ちゃまでありながら、この母とやっぱりふつうのサラリーマンのお父さんに育てられた絶妙な家庭環境というバックボーンは、サトルに哲学書を読むような少々自意識過剰で傲慢だが、主役にふさわしい魅力をそなえた男の子にしている。おまけにチェロもうまければ、美人の南にも気に入られるわけだ。そして、音楽とともに仲間と交流して、サトルが人間としても成長していく点も読みどころである。

私がとりわけ気に入ったのは、失恋したかもしれない失意のサトルの前で、伊藤がバッハのロ短調のフルート・ソナタを吹く場面だ。その美しい音の美しさ、音楽そのものを聴きながら、サトルは僕たちの人生の主役は音楽で、音楽の絶対的な美しさの前では、喜怒哀楽もほとんど意味がないことを悟っていく。だいたい、普通の中学で対等に音楽の話ができる相手にめぐりあうことは、まずない。おとなになって、カイシャに入って、職場でもまず出会えない。実際、100人ほど同じフロアに勤務している人がいる中で、韓流ファン、熱心なジャニーズ・ファンはいるが、クラシックになるとゼロである。音楽を愛する者は、その点でけっこう孤独だったりする。だから、音高に行って同じ道をめざす仲間やライバルに出会ったサトルの高揚感がよくわかる。けれども、romaniさまのように楽器演奏ができると、高校や大学で学生オケに入って生涯の音友ができる。それこそ、大酒呑みながら、野球の話とブラームスやカラヤン、イツァーク・パールマンの話がいくらでもできる仲間に出会える。本書を読んで、何か楽器をちゃんと学んでおけばよかったと、おそろしく後悔してしまった。

そんな個人的な感想はともかく、軽快なテンポで、ユーモラスに溌剌と展開する物語には、何故か暗い雲がただよっているのが、とても気になる。今のオトナになったサトルは、昔のあのサトルから逃げていたらしい。それはいったいどういうことなのか。このあたり、読者の関心のひっぱり方もうまい。オルハン・パムク氏によると小説は西洋文明最大の発明品でおもちゃとなるが、このおもちゃは”ヤングアダルト”ながらも、むしろいい年をしてもおもちゃを一生手離せないオトナ向け。続きとなる「2」が待ち遠しい。

*後半、サトル(Vc)は南(Vn)、北島先生(P)とピアノ・トリオを組んで、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を演奏する。サトルによるとこの音楽は互いの音に競り合っていくような、緊迫した音の劇なのだそうだ。今夜は、久しぶりにこの曲を聴きたくなった。我家にあるCDは「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」で、アルゲリッチとカプソン兄弟による生きのよい演奏。

ブラームス:2つのピアノのためのソナタ へ短調
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番二短調*
(ライヴ・フロム・ルガノ・フェスティヴァル)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、リリア・ジルバースタイン(ピアノ)
*ルノー・カプソン(ヴァイオリン)、ゴーティエ・カプソン(チェロ)


『17歳の肖像』

2010-10-22 23:43:58 | Movie
美人だ、、、もしくは可愛い顔にも関わらず?オックスフォード大学を目指すくらい頭脳もデキがよく、チェロまで弾けちゃう16歳の女の子、ジェニー。
本作は、英国の女性ジャーナリストの回想を脚色して映画化されている。現代では、ジェニーのような3種の神器を兼ね備えた女子は、さすがにどこにでもころがっているなんてわけはないが、けっこうそこそこいたりする。50年も前の大昔、ふた昔くらいの前の女性の社会進出度を考えるが、現代の女子の能力が格別に飛躍したわけではなく、この映画は、私にとっては、時代を経た娘の教育に対する親の意識の違いを感じた映画だった。原題を「「AN EDUCATION」とした製作側の趣旨とはとは違った意味での教育だが。(以下、内容にふれています。)

1961年、ロンドン郊外。ジェニー(キャリー・マリガン)は学業優秀で、オックスフォード大学をめざしている。一応、ヴァイオリンを弾くハンサムなボーイフレンドもいるのだが、なんとなくものたりない。ある雨の日、ジェニーは学校からの帰り道、高級車に乗っている男性に声をかけられた。彼女が抱えているチェロが雨にぬれるのを心配したためという誘い方が実に紳士的で、しかも下心を微塵にも感じさせず、実際、この時点では単なる親切心だけだったのだが、10代の女子の防波堤をあっけなくのりこえてしまった。その後、偶然にも彼と再会するや、ジェニーは、彼、デイヴィット(ピーター・サースガード)のりっぱな身なりと洗練された身のこなし、洒落た話術にたちまち夢中になっていった。正装で集う本物の音楽会、素敵なレストランでの食事や、センスのよい友人たちとの気の利いた会話。やぼったい制服に身を固める同級生たちやこどもっぽいBFとはありえないシチュエーションに、胸がわくわくするジェニー。

煙草を吸って、生意気な会話をするジェニーを見ていて、何故そんなに背伸びをするのか。ゆっくり熟成していけばよいのに。今からおとなの楽しみを知って人生をつまらなくしてもよいのか。もうオトナになってしまった私は、映画を観ながら、かっこつけるジェニーに昔の自分を重ねてみたりもした。16歳、そうか、私もちょっと背伸びをしたいジェニーだったよ。。。
けれども、オックスフォード大学に進学するという野望はどこへ消えたのか。

ここからが、”AN EDUCATION”の核心をつくと私は思っている。ジェニーの父親は、所謂吝嗇家だ。娘にせっかくチェロを買い与えているのに、ジェニーが本物の音楽を聴くためにコンサートに行きたいと訴えても、お金がかかるし必要ないと却下。なぜならば、父親は、娘の教養と趣味のためにチェロを習わせているわけではなく、大学進学に有利になるようにはかってのことだった。やいのやいのと成績のよい娘にオックスフォード大学進学を口うるさく話題にする父親に、ひとり娘への教育の熱心さを感じたのだが、やがて裕福そうなデイヴィットの登場によて、娘の能力を伸ばしてやりたいとか、賢明な女性に育てたいという願いではなく、父親にとっては、名門大学への進学が少しでも条件のよい結婚相手を見つけるための手段だということが判明していく。もっともこんなにいつもお金の心配ばかりしている父親だけを責められない社会背景もあった。この時代では、知性もあり美しくもある女性教師スタッブス先生のような女性が活躍できる社会の受け皿はとても限られていたという事情もある。ジェニーの平凡な母親が、娘の遅い帰宅を待つ間、薄暗い台所でひとりで鍋を磨いている場面は、当時の女性の象徴のようなものだ。それに、つましい暮らしぶりがうかがえるジェニーの家庭から、お金の心配をしない暮らしへのステップは、勤勉や努力よりも、娘の結婚が唯一のチャンスかもしれないという英国の階級社会も感じさせられる。

しかし、本当にそれでよいのか。何のために、女の子は難しい数学や科学やラテン語を勉強するのか。
ジェニーの両親の教育は、だから簡単にわなにはまってしまったのもある意味当然かもしれない。窮地にたったジェニーが、その生き方を否定したスタッブス先生の部屋を訪問する場面がとてもよい。つらい経験もしたが成長したジェニーは、先生の内面を表したような室内に心を打たれ、ようやくなんのために自分が勉強するのか、目的を見出していく。日本でも、女の子の大卒の学歴は花嫁道具のひとつと言われた時代もあったが、それも遠い昔のこと。先日の「ハーバード白熱教室@東京大学」を観ても、優秀なこどもに期待する近頃の親の願いに、男女の区別はないと思われる。先生を演じた、本当にケンブリッジ大学出身の女優オリヴィア・ウィリアムズの雰囲気がとても素敵だ。忠実に再現した60年代の雰囲気と、絶妙なキャスティング、確かな俳優陣の演技で、小品だがぴりりとしまった粒のよい作品になっている。

監督:ロネ・シェルフィグ
2009年英国製作

そう言えば、有閑マダムさま情報によるとキャリー・マリガンは、『わたしを離さないで』の主人公のキャシーを演じていたとのこと。もっと太ってやぼったくすると確かにキャシーになるな・・・。

第468回定期演奏会「恍惚のベートーヴェン・ナイト」

2010-10-22 22:51:17 | Classic
コンサートに行くと、特に秋のコンサートシーズンに向かう時など、どっさりと大量にコンサートの案内のチラシをいただく。私は、けっこうこのチラシを楽しみにしていて、コンサートの予定の参考にしたりして、毎回、ありがたくいただいている。座席表やスケジュール・カレンダーなどもあって便利でもある。ところで、その大量のチラシの中でも、その眉目秀麗なルックスで、けっして埋もれず人目をひくのがこの方、ウィーン生まれのすらりとした長身の指揮者、クリスティアン・アルミンク氏である。(この方の燕尾服姿と広上淳一氏のそれとは決して比較してはならない・・・)東京の下町と金髪のアルミンク氏 の組み合わせが、いまひとつ不思議な感じもしなくもないが、新日本フィルもなかなかがんばっている。演奏前に、アルミンク氏のレクチャーもあり、チケット・マイプランなどの特典あり、サポーターズ・パーティなども主催して寄付金を募る。以前、チケットを申し込んだら休日の昼間の時間帯だったせいか、完売だった。・・・ところが、今日は7割程度の入りで、ちょっと空席が気になる。

最初の曲は、ドイツの作曲家ヴルフガング・リーム(1952年~)による日本初演の「変化2」。「変化」はオーケストラのための連作で、「2」は05年に作曲、現在まで「4」までが発表されている。曲は単一楽章からなり、20分程度と最初に演奏されるのにちょうどよい現代曲である。私にはブラームスを彷彿させるような音ではじまるのだが、”変化”というタイトルが示すように、次から次へとダイナミックにしかも緻密に変容していく。ほっと気持ちがやすまるまもなく、リズミカルに音楽が疾走するような印象である。最近思うのだが、やはり現代曲も積極的にとりいれていかないと、音楽も活性化しないだろう。この点でも、新日本フィルは地道にがんばっていると思う。

次のピアノ協奏曲は、独奏者として予定していたラドゥ・ルプー氏の急病により、旧東ドイツのドレスデン出身、ペーター・レーゼル氏が代役を務める。幸運にもベートヴェン弾きとしても評価の高いピアニストである。今夜も、格別な新鮮味はないが、上品で晴朗でいてドイツ音楽の奥の深さが感じられる。アンコールにこたえての”スケルツォ”は、一転チャーミングな弾きぶりで、それもまたベートーヴェンの本質である。

交響曲第8番は、「のだめカンタービレ」効果ですっかり有名になってしまった第7番と「第九」にはさまり、近頃はすっかり地味目。ベートーベン自身も「小さな交響曲」と呼んではいたが、古典的な雰囲気がありながら、小粋な曲想が踊っている楽しい曲でもある。「恍惚のベートーヴェン・ナイト」という大上段のタイトルにしては不完全燃焼だが、ソリストのペーター・レーゼルの演奏も含めて、ベートーヴェンの美しさを理解できる演奏だったことが何よりだった。そして、下町の灯りに、ベートーヴェンがよく似合うことを大発見した!

-------------------------------------10月22日 すみだトリフォニーホール -----------------------------

指揮:クリスティアン・アルミンク
ピアノ:ペーター・レーゼル
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団

リーム作曲:変化 2 (2005) *日本初演
ベートーヴェン作曲:ピアノ協奏曲第4番ト長調 op.58
ベートーヴェン作曲:交響曲第8番ヘ長調 op.93

*アンコール
ベートーヴェンの「ソナタ第18番」から”スケルツォ”


「新しい人生」オルハン・パムク著

2010-10-20 23:04:49 | Book
「ある日、一冊の本を読んで、ぼくの全人生が変わってしまった。」

平凡な大学生だった主人公は、美しい女子学生ジャーナンに魅せられた。彼女が持っていた本を古本市で手に入れて読み始めたら、主人公のぼくはその本のとりことなってしまう。やがてジャーナンの恋人の医学生メフメットが射殺されるや、彼はふたりの行方を追って長距離バスを乗り次ぎながら旅にでる。町から町へ。何度もまぶしい天使に出会い、何度もトラックと衝突したバスの交通事故で多くの死体を眺めながら、ジャーナンと本に記された「新しい人生」を求めて。。。

トルコを代表するオルハン・パムクによる本書がトルコで出版されたのは、1994年。決してわかりやすくもなければ、受け入れやすい小説ではないのだが、トルコでは2年間に20万部も売れて社会現象にもなったそうだ。パムクは1990年に出版された「白い城」が米国で賞をとってからたちまち人気作家となり、訳者のあとがきによると、彼の本を読むことはインテリの証となっていたらしい。本書を読んで、思い出したのがノーベル賞受賞を期待されている日本の作家、村上春樹氏である。彼の近著「1Q84」も異例のベストセラーとなり、同じように話題となりひとつの社会現象とまでなった。「新しい人生」のひとりの若い青年が美しい恋人ともに”新しい人生”を求めて未知の旅にでるという唐突なストーリー展開を読みながら、私は人気作家、村上春樹氏の初期の作品「羊をめぐる冒険」の展開の不思議な感覚を思い出した。

さて、本書は、最初こそ、美しくはかなくきらめくような不思議な物語の中に、非常に凝ったレトリックや繊細な描写といった文章力をまぶしいくらいに感じて、感覚的な綴りに思えたセンスのよい文章がきちんと繋がっていき、やがてつくりこまれ磨かれた作品の構成力に圧倒されるような思いである。但し、残念なことには、トルコに関する知識というバックボーンがあるか、もしくは実際に同時代のトルコを経験していないと、本当の意味では充分に小説を堪能するのは難しい。というのも、作中、何度も登場する<新生>印のキャラメルや洋品店<スメルバンク>、主人公と著者が通っていたイスタンブル工科大学の雰囲気、食料雑貨店、テレビのついた2ステップの長距離バスなど、これらトルコのローカル性の感覚を共有できれば、もっと内容に深く入り込み、”ぼく”がさまよう旅路のお伴ができたのに。

オルハン・パムクのノーベル賞受賞理由として「生まれ故郷の町に漂う憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための境地をみいだした」とされている。1998年 「私の名は紅」(Benim Adim Kirmizi)では16世紀末オスマン・トルコ帝国の細密画師の閉ざされた濃密な関係を背景に、東西文明が交錯する葛藤をかき、2002年 「雪」(Kar)は、イスラム過激派に対抗するクーデター事件の渦中で、Kという詩人が宗教と暴力にまきこまれていく政治的な小説だった。本書でも、ぼくは、”西”へ伝えたチェスが宰相をクイーンに、象をビショップに変わった、それよりも、チェスを自分達の理性の、世界観の合理主義の勝利として我々に返した、と嘆く。
「今日、我々は、彼らの頭で自分たちの感受性を理解しようとし、それを文明的だと思っているのだ」
文明の衝突を預言したような成り立ちに、あらためてオルハン・パムク氏の作品は、スウェーデン・アカデミー好みだと感じる。
ぼくの人生は、一冊の本からすべてがかわった。ぼくだけでなく、何人もの若者がその本にとりつかれて本の中の世界を求めて家を出た。まるでハーメルンの笛吹き男の笛の音に魅せられたかのように。その本には何が書かれていたのか。しかし、だいたい小説といわれるモダンなおもちゃは、西洋文明最大の発明は彼らのものではなかった。単なる失われた文明の郷愁を否定し、パムク氏は西からの津波にのみこまれていくトルコという複雑な国をいつも主役に、モダンなおもちゃを生み出している。
本書を読んだ満足感を、一度はお試しあれ。

■アーカイヴ
 「雪」(Kar)
「私の名は紅」(Benim Adim Kirmizi)

『ジョンとメリー』

2010-10-18 22:33:10 | Movie
ニューヨークはマンハッタンの朝、目覚めたら全く見覚えのない部屋のベットの中で、昨夜のバーでの出会いが初対面の男性と、あろうことかポンで寝ていた。現代でも個人史的には大事件だと思う出来事だが、今から40年ほど前の1969年の”自由の国アメリカ”だって、社会的には充分まずい状況だろう。どんなに酔っても未婚の乙女としては、あってはいけない事態だ!主演のダスティ・ホフマンだって、大学卒業後、人妻のロビンソン夫人の誘惑に負けて童貞を失ったのは2年ほど前の映画『卒業』だったではないか。あれからわずか2年で、出会い系のバーのような場所で女の子と出会ってすぐにコトの及ぶとは。

今から40年ほど前の映画がこんなシチュエーションではじまるのだが、当時としては画期的だったのではないだろうかと思われる。都市生活者はともかく、保守的な人間も多いアメリカだ。ジョン(ダスティ・ホフマン)は、インエリア・デザイナーの独身男性。以前は美人のモデルと同棲したこともあるが、今は寂しくも気楽な一人暮らし。職業柄、ウエストサイドのリバードライブの部屋には、螺旋階段であがる屋根裏部屋もあり、白で統一したインテリアはモダンでおしゃれ。朝はゆで卵にトースト、珈琲を淹れて、ランチタイムにはオーガニック店で購入した卵を使って、彼女にチーズパイの手料理もふるまう。音楽は、朝はブラスバンド、昼はクラッシク、夜はジャズとなかなかの趣味人。家具、服装、行動パターンと驚くばかりに今時のお洒落な男の子と同じだ。

一方、メリー(ミア・ファロー)の方は画廊勤務。女の友達とイーストサイドでルームシェア。実は、最近、不倫の関係にあった政治家と別れたばかり。そんなふたりが、初対面のバーですっかり意気投合してその勢いでベットイン。しかし、目覚めて冷静になれば、相手のことをよく知らないじゃないか。お互いに緊張しつつ、防衛線をはりながら相手の素性を伺いながら様子をさぐっていく様子がおかしくもキュートだ。さり気ない会話の中に、男と女のそれぞれの本音のひとりごとが入るのだが、気になりつつもなかなか率直に心を開いて・・・とまではいかない。相手を知ること、その最終系にSEXがあるのだが、ここではある意味、相手の肉体上のすべてを知ったのだが、肝心なことを何ひとつ知らない。本作は、従来の恋愛映画がプラトニックな感情からはじまるのとは逆に、SEXからはじまる恋愛映画である。そして、映画の最後で、初めてお互いの名前を知る。

いかにも不倫の恋でもしそうな危うさとちょっと人がよさそうな魅力が、ミア・ファローの持ち味。いけないことをしちゃっても、ショートカットの金髪とキュートな雰囲気が行動のダーティさをふりはらう瑞々しさに溢れている。実生活でも、この方は、あのフランク・シナトラと結婚⇒離婚、速攻であの指揮者のアンドレ・プレヴィンと結婚⇒離婚、(若い時のアンドレ・プレヴィンを先日NHKで観たのだが、とってもかっこよかった!!)、お次はこのあたりからはゴシップネタとしてリアルタイムで知っていたあの映画監督のウッディ・アレンと同棲⇒別離。その間、ローズマリーはこどもを胎内に宿す恐怖なんかなんのそのとばかりに4人のこどもを次々と出産。全くタイプが異なりながら、才能がありそれぞれの分野で知名度抜群のトップにたつ男性と恋をする。非常にもてる女性のようだ。本作でも、ショートカットのボーイッシュな髪型に少女っぽいフリルがついたミニのワンピースが妖精のような雰囲気をかもしだしている。男はこんなファニーフェースの弱いのか?彼女のワンピースと全く同じようなフリルのついたワンピースを私も持っていて、かなりお気に入りだったことや高校時代の早熟な友人がこの映画を好きだったことを思い出した。
それはともかく、ふたりが出会ってから24時間の物語。しかも、男女の機微を巧みに描いた室内劇のようでもあり、現代でも充分にスノッヴでおしゃれな「名作」として色あせていない。友人が気に入るわけだ。

監督: ピーター・イエーツ
1969年米国製作

『しあわせの隠れ場所』

2010-10-17 12:57:00 | Movie
女優のサンドラ・ブロックは、米国の映画館経営者の投票による2009年の「最も興行的に稼げるスター」に選ばれた。彼らの見込みどおりに「フォーブス」誌によると2009年6月~10年6月までの収入が48億円とハリウッド女優の中でも一番の稼ぎ頭。そんな彼女の出世作は、1994年のアクション映画の「スピード」ヒロイン役。それほど美人でもなく、米国人好みのグラマラスなスタイルでもないと思われた彼女についたニックネームが、”Next door girl"(隣のお姉さん)。インタビューを読んでも、彼女の気さくで気風もよく頭の回転も速い賢さが感じられるが、自分の親しみやすいキャラの売り出し方もよくわかっているのもサンドラだ。それにも関わらず、失敗作を“bomb(爆弾)”と呼ぶハリウッドで「ブロックは軍需工場よりも多くの爆弾を製造した」というありがたい?定評までいただいている。しかし、本作は公開3週目にして興行成績全米1位を獲得。これまで1億9000万ドルを超える興行成績を上げた。もう爆弾製造機なんて呼ばせない?

隣のお姐さんが結婚した。ミシシッピ大学の同級生だっただんなは、やり手のビジネスマン。結婚後、飲食店を次々と店舗を増やして、今や85店のオーナー。インテリアデザイナーとしても活躍する隣のお姐さんは、ふたりのこどもにも恵まれて、歳月とともに豪華で邸宅と素敵な家庭を運営する貫禄のある肝っ玉母さんになった。

リー・アン(サンドラ・ブロック)は、ここ南部でも冬の凍てつくように寒い夜、半袖シャツでとぼとぼとひとりで歩いている黒人の高校生マイケルに声をかけた。正義感が強く、親切な女性。そんな印象のアンは、最初は一晩だけと思っていたのだが、彼のおかれている状況に同情するうちに、服を買い与え、ベットを提供し、部屋と机も与え、とうとうひとりの家族として迎えるようになった。アンが用意してくれたベットは、彼にとっては生まれて初めての自分専用の自分のためのベットだった。そして、巨漢の体を活かしてアメリカン・フットボール部に入部したマイケルは、家族の助けをえて自分の人生を切り開いていくようになっていく。

本作は、実話である。アメフト全米代表のスター選手だというマイケル・オアーの生い立ちが書かれた本がベストセラーとなり、映画化された。映画の中で最初に気になったのが、裕福な資産家の自己満足のための慈善事業に近いのではないだろうか、白人の偽善ではという懸念である。アンと同じようなクラスの、最新ファッションで着飾りエステで磨いたママ友たちとの高級レストランのランチでの会話である。アンは、彼女達に原題にもつながるある質問をする。美食を楽しむ彼女達から返ってくるのは、常識的で傷つくことを恐れる上品な会話の退屈さと空しさである。こういう付き合いは私には苦痛とも思ったのだが、考えれば職場でのランチの仲間とも似たようなものだ。女性には、どうでもよい日常会話の相手が必要なのだが、最初のランチでの場面でアン自身も気がついているのだが、気楽な会話をする友人たちを失うことはできなかった。ところが、ランチの二回目の場面では、映画の要となる会話がある。

You're changing that boys life.
こう感想を述べる友人に、アンはきっぱりと答えたのが次のセリフである。
No, he's changing mine.

そして実際にマイケルに会ったこともない友人が、失礼な心配をするとアンは憤然と席をたち彼女たちに絶交宣言をする。潔く、エネルギッシュで、善意の人、男前のアンの魅力を見事に演じたサンドラ・ブロックの演技と、脇を固める家族や家庭教師のキャラクターとユーモラスな場面が、ともすれば金持ちの道楽に流されかねない安易なアメリカン・ドリームという見方をばっさりはねのけた。最後の大学選びの理由を明快に答えるマイケルのセリフは、心にせまってくる。孤独で貧しくホームレス同然の黒人の少年のサクセスストーリーではなく、家族というチームの結束の強さに視点をもっていったからこの映画は成功したのだろう。

原題:The Blind Side
監督・脚本:ジョン・リー・ハンコック
2009年米国製作

■これも”爆弾”にならなかったサンドラ姐さんの映画
『あなたは私の婿になる』

「二重らせん」ジェームズ・D・ワトソン著

2010-10-16 18:11:04 | Book
今年もノーベル賞発表の季節がやってきて、そして去っていった。予想オッズでは先頭を走っていた山中教授にメダルはまだ届かなかったが、ips細胞が画期的な発明であることには間違いない。

さてそれでは、生命科学分野で20世紀最高の発見はと問われたら、私は1953年のDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の“解明”を推奨したい。「ネイチャー」の1953年4月25日号に掲載されたわずか1000語からなる短い論文。短くシンプルだからこそ美しさがある発見。この発見によって、分子生物学の分野はまさにビッグバンのような発展を遂げ、遺伝子治療やバイオテクノロジーの分野でも様々に貢献している。最近は、社会や経済学でも、何気ない日常会話でもよく使用されるDNA。ここで私はいみじくも、何よりも”大いなる発見”に関心がいくのだが、本書はその重要な発見を成し遂げた”誰が”が意味をもつ。

著者は、英国ケンッブリッジ大学の研究室でポスドクとして働き、仲間のフランシス・クリックとともに二重らせん構造を解明した米国人生物学者ジュームス・D・ワトソンである。弱冠25歳で偉業を成し遂げたのだが、それまで殆ど無名だった彼は、62年に相棒のクリック、またDNA研究に長く貢献をしてきたモーリス・ウィルキンスとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞後の67年、今や世界的な著名研究者となったワトソン自身がふりかえり、米国からやってきた一人の若者が、伝統ある英国のカレッジの落ち着いた雰囲気の中でDNAに魅せられて、素敵な女の子たちのとのパーティを楽しみながらも、猛然と研究に励み、輝かしい成果を勝ち取った彼の主眼で書いたドキュメンタリーである。だから、歴史的事実よりも、彼個人の印象や感想によるひとつの青春日記に近い。

本書からは、訳者の中村桂子さんのあとがきにもあるように、日本人の好みそうな「科学の体系を世界の科学者が力をあわせて発展させることが大切」というような尊敬されるようなタイプの科学者とは少し違う科学者像に考えさせられるものがある。未知であるから知りたい、謎だから解明していという熱烈な探究心には、人類に貢献したいといった大義名分など念頭にない。また後年、人種差別発言で問題となるような彼の資質の萌芽が、モーリス・ウィルキンスの元で助手として働いていた優秀な女性研究者、ロザリンド・フランクリンへの印象を述べた記述からも伺われる。彼女、通称ロージィのX線回析から二重らせんの解析の手がかりをもらったことへの深謀があるのかもしれないが。後年、多くのの論議をよぶロージィのデーターを無断で閲覧した行動は兎も角として、彼女を含めて、ライバルを想定し激しい競争を楽しむ様子は、まるでオリンピックで金メダルをとったアストリートの英雄の回顧録さながらである。それぞれの研究者のその時の勝ちっぷり、負けっぷりが悪意なくいきいきと書かれていて、言葉をかえると繊細な相手への思いやりに欠けていて、ちょっと私のような凡人の感性とはどうも違うようだ。それに功名心もなかなかの人である。DNA構造の解明という栄冠をめざして、熾烈な闘いに挑む研究者たちの嫉妬、焦燥、不安が無邪気に書かれた内容は、皮肉にも暴露本としても話題をよんだ。それにも関わらず、読書後は不思議な爽快感が残ったのも率直な感想。そして半世紀も経った今日も尚、現代的な生命観は色あせていない。

米国に戻ってからは若くしてあまりにも大きな成功をえたために、研究者としては燃え尽きてニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所の所長、後に会長など、研究環境を整え、研究者を育てる方向に行ったのは、最後まで科学者としての道を歩くクリックとは対照的である。クリックは元々物理学者だからものすごく頭がよいと言った少女がいたが、DNAとアミノ酸配列をつなぐためのアダプターが必要であると思考実験ですでに予言もしていた。余談だが、当時36歳だったクリックについては口数が多くておしゃべりという記述が何度も登場するが、晩年、ソーク研究所のカフェテラスで珈琲を飲んでいる彼を見かけた福岡伸一氏によると、著名な研究者に声をかける人もないのがこの研究所の流儀なのか、談笑の輪から離れてひとりでいる物静かな紳士というのが印象だったそうだ。

序文にローレンス・ブラッグ卿が寄稿しているのだが、彼によるとそこにたまたまデータを見た同僚が決めてとなる新しいアイデアを思いついた時として、競争が二ヶ所以上で起こるとなればある程度の遠慮はいらないのは、科学者の不文律だそうだ。本書は、1986年に出版されて何度も重版され、現在でも生物学を学ぼうとする高校生向けの本として紹介されている。今年のノーベル賞化学賞に鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授というふたりの日本人が選ばれたが、これもスウェーデン王立アカデミーに名前をアピールする北大の運動が実を結んだという報道を読んだ。1番でなければ、やっぱりいけないのも本書から伝わってくる。
ケンブリッジにあるイーグル・パブという店には、2003年からある青い銘板がはられているそうだ。1953年2月28日の昼、この店の常連だったジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが飛び込んできて、生命の秘密を発見したと宣言した。そう、このパブは、DNAの二重らせん構造にまつわるエピソードの記念すべき50周年を迎えたのだった。

■もうひとつの二重らせん
「ダークレディと呼ばれて」ブレンダ・マックス著

■こんなアーカイブも
「動的平衡」福岡伸一著
ノーベル賞よりも億万長者