千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

ラン・ランがホワイトハウスの晩餐会で演奏した曲が波紋に

2011-01-31 22:49:32 | Nonsense
日本列島各地で猛寒波。室内の温度計が5度、、、本当に寒い・・・。
ところで、ちょっと気になる話題がひとつ。↓

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【ホワイトハウスで反米ソング 米政権が大恥】
2011.1.25
中国の胡錦濤国家主席を招いて19日夜、ホワイトハウスで行われた公式晩餐会で、国際的な中国人男性ピアニスト、ラン・ラン(郎朗)氏(28)が演奏した曲が、反米宣伝映画の主題曲だったと分かり、米国内で波紋を広げている。

ラン・ラン氏は、中国生まれでニューヨーク在住。演奏したのは、朝鮮戦争(1950~53年)を舞台にした中国共産党の反米映画「上甘嶺(じょうかんれい)」(56年)の主題曲「わが祖国」だ。

「わが祖国」は中国人に広く知られており、共産党が数十年の間、反米宣伝曲として利用してきた。映画は、中国人民解放軍「義勇軍」と米軍の激戦の様子を残虐に描いている。
米CBSニュースによると、ラン・ラン氏は、この曲を選んだ理由について、晩餐会の前に収録した香港のフェニックステレビに、「この曲をホワイトハウスの晩餐会で演奏することは、中国人にとって大変な誇りになると思った」と語っていた。
だが、演奏後に波紋が広がると「子供のころから好きな曲の一つだった。メロディーが美しいという以外の選曲理由はない」とのコメントを出した。演目などは通常、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)のスタッフが事前にチェックするはずだが、ギブズ大統領報道官はコメントを避けている。
一方、米メディアによると、中国系ブログには「米国人は曲に酔っていた。本当に間抜けだ」といった書き込みがあふれている


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ラン・ランは中国が世界に誇るピアニスト。数年前、上海へ旅行に行ったときは、雑技団の興行をしている同じ建物にラン・ランの演奏会の巨大なポスターが何枚も張ってあったのを覚えている。

2011年1月19日胡錦濤国家主席を招いて行われた晩餐会で、彼がピアノを弾いたのは最もふさわしい人によるパフォーマンスだと思うのだが、弾いた曲が不適切だったということか。15歳で渡米して世界に飛躍した彼だが、欧米では上質の中国の民族衣装を着て演奏している姿を映像で見かけたり、中国の曲もよく演奏しているところから、彼が中国人であることに誇りを感じているのはわかる。偏見かもしれないが、彼のような自己陶酔型のタイプは、国粋主義者になりがちだとも思っている。ただ、あえてこのような席で反米宣伝曲を演奏するかと言うと、いくらなんでもそこまで非常識で礼を欠けるタイプの青年とも思えないのだが。ホワイトハウスの国家安全保障会議のスタッフのチェックが甘かったか・・・。

■こんなアーカイヴも
・ラン・ランという天才ピアニスト

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海著

2011-01-29 19:42:26 | Book
「今日企業が必要としているのは、個々人の力と責任に広い領域を与えると同時に、彼らの志や努力に共通の方向を与え、チームワークを打ち立て、個人的目標と共通の利益とを調和せしめるような「経営原理」である。
これらのことをよく成し遂げられるのは、目標設定と自己統制とによる経営しかないであろう。」

ご存知、経営の神様として絶大な人気を誇るピーター・ドラッカーの名言である。
下半期の目標チャレンジも、それほどのコトなき?を経て終わらせたのだが、多少の役にたったと思われるのが、事前に読んでいた本書の『もし 高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』だった。
発行部数推定130万部を超えるダイヤモンド社創立以来の大ヒット作ということだけでなく、社会的現象までまきおこした通称”もしドラ”を、とりあえずドラッカーものだからという理由で、我も読んでみた次第でもある。

■もし世の中の大多数の女性が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を読んだら・・・

難解でこれまで一般の女性にはあまりご縁のなかったドラッカーの哲学、経営学、マネジメントのエッセンスを、高校野球というきわめてわかりやすい題材を通して手軽にふれることで、マネジメントそのものに興味をもつようになる。話題になっていなければ、ビジネス書とはとうてい思えない女子高校生の漫画の表紙が画期的だったように、実は、一部のビジネスマンのものだったドラッカーを”もしドラ”のキーワードで人気者のおじいさんに一気に昇格させたことは革命的ですらある。

これまで漫然と過ごしていた女子高校生だけでなく、職場で組織の女王蜂予備軍の美しくもけなげな働き蜂たちだって、マネジメントに一旦、興味をもてば、何故自分が身を粉にしてカイシャで働かされるのか考えさせられ、自ら上司がのぞむように”真摯に”目標チャレンジを打ち上げて、更にみなみのように”マネジメント”という新鮮で旬なブランドを手に入れようと思っちゃたりもしないか。ある意味、どうせ働くのなら、この際、この本にのせられちゃってもよいかも、である。

毎年、感動をうむ高校野球の魅力にうなづきながら、後半のストーリーの展開には、予測はしてはいたが思わず涙し、胸があつくなる感動が本書にはある。ドラッカーの次の言葉が、心に響き、これは自分の苦しい時のアイデンティティにしたい。

「根本的な資質が必要である。真摯さである。」(17頁)
「人は最大の資産である。」(79頁)

■もし世の中のマイノリティな女性が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を読んだら・・・

人気作家の幸田真音さんや黒木亮さんの話題の本を読んでいつも思うのだが、経済と小説の融合は非常に難しい。まず、どうしても主役が”経済”や”経営”となるため、人物描写はご都合主義という以前に登場人物の人間性はどうでもよいかのように省略され(女性が登場すれば、とりあえず髪が長く、楚々とした美人であればよい)、物語の展開やプロットも実に甘くて適当!それでも、オトナのビジネスマンが好んで彼らの本を読むのは、彼らの小説が刺激となり、小説というスタイルをとることでわかりやすく金融のからくりを解き明かすヒントになっているからだ。
そして、やはり読めばおもしろいのである。そのおもしろさは、”ビジネス”という生産活動のおもしろさに直結している。

その点で、「もしドラ」も”マネジメント”を知るほんの一端となる役割を果たしている点で評価をしたい。何よりも、”マネジメント”と”女子高校生”や”高校野球”をかけあわせてプロデュースした思いつきは、敬服に値する。

しかし、それにしても内容がこども向けとはいえ、人物描写がお粗末で文章が稚拙ではないだろうか。ビジネス本に言葉の美しさや洗練さを求めないが、せっかく魅力的な素材を使って潜在的な消費者の需要をほりおこすという著者に優れたマネジメント能力がありながら、文章の表現力が情けないレベルでは、物語そのものもチープさがぬぐえない。みなみ、ピッチャーの慶一郎、加地監督といった登場人物のキャラクターの魅力が伝わってこない、というよりもいかしきれていない。もっとも著者が師事していたのが、作詞家の秋元康さんと聞けば、底がしれているか。結局、作家としての能力では小説という体裁ではNGだが、みなみのような若い女子を使ってマネジメントする才能は恩師に負けないくらい備わっていることだけは感じられる。

さて、私はその他大勢派とまれな少数派のどちらのスタンスをとろうか、と悩みつつ、本書を感動して涙を流したと薦めてくれた上司への感謝の気持ちとともに、私がもっともお伝えしたいドラッカーの哲学は、次の言葉になろうか。

「マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない。」(89頁)

成果を働く人たちが受取るべき”果実”と読み替えてもよいですか?

■この本よりおもしろい音楽界のマネジメント
「マエストロ、それは無理ですよ・・・」

日本の作曲家2011 第3夜 大谷康子プロデュース

2011-01-28 19:33:37 | Classic
日本ほど、巷に音楽が溢れて捨てられている国はないのではないだろうか。路上で、駅のホームで、にぎやかな休日のレストランで・・・。
それぞれの音楽が自己主張して、歌い、叫び、そして消えていく。音楽の価値は、映画の中で観客の満足度を高めるためや、CMで視聴者の消費意欲をほりおこしたり、客に楽しい気分を提供するためだけのものではない。本来の音楽をとり戻したいとそんなことを考える私は、しばしばコンサート会場にでかけたり、CDでバッハ、モーツァルト、ベートーベンたちが作曲したクラシック音楽を真摯に耳を傾けることを趣味のひとつにしている。しかし、最近、気になっているのは、誰でも名前だけは知っている過去の偉大な作曲家たちの音楽だけでなく、現代の、私と同じ時代に生きている人が作曲した音楽も聴く必要があるのではないか、ということだ。

今夜は、日本の現在、生きている作曲家たちによるコンサート「日本の作曲家2011」の第3夜で、ヴァイオリニストの大谷康子さんのプロデュースによる。ヴァイオリニストの大谷康子さんについては、好きなヴァイオリニストは何人もいるが、”ファン”という意味では、白状すると私は大谷康子さんの大大大ファンなのである。お久しぶりにお見かけした大谷さんは、少しおやせになられたようだが、舞台に登場しただけで人目をひくようなオーラがあり、その華やかさは年齢を重ねても衰えていない。伴奏のピアニストは、まるで実験に失敗した化学者のように髪が一年中爆発している、お気に入りの藤井一興さん。

主役は何といっても演奏された8つの曲にあるので、何故、私がこの方のファンになったのかという経緯など、大谷康子さんにふれるのはまたの機会に譲るとして、コンサートは最初の2曲の後、いずれも2010年に作曲された初演ばかりが続く。藤井さんがトークで「僕も大谷さんもとにかく超、超、超多忙で合わせる時間がとれなくて苦労した」とおっしゃっていたが、本当に多忙な大谷さんにプロデュースを依頼したのもヴァイオリニストとしての存在感だけでなく、そのお人柄への信頼もあるのだろうが、初演が6曲もあるいずれも個性的な現代曲ばかりを作曲家の意図をくんで演奏されたおふたりにまず拍手をおくりたい。

ところで、一口に現代曲と言っても、実に多種多彩。ロマン派風あり、無伴奏あり、生きたオブジェによる(←演奏会にこられた方はこの”生きたオブジェ”を存分に楽しまれただろうが)パフォーマンスもあり、電子音楽あり、、、と一曲一曲に作曲家の想いがこめられていて、大谷さんも「同じような曲がどれひとつなく、それぞれ個性的で弾いていて楽しかった」とおっしゃていたように、聴いている私も音楽の充実感で気力が溢れてくるようだった。

その中でも、特に今回とりあげたいのが、中野稔さんの「ロンド」。
このコンサートの特徴として、作曲家の方たちもいらしていて舞台で簡単なご挨拶とコメントをされていたのだが、中野さんだけは出席されることが叶わなかった。
中野稔さんは1961年生まれ。9歳の時に筋ジストロフィーと診断されてから、ずっと療養生活をされている。中野さんは病院内でバンドを結成するくらいの音楽好き。その一方で、独学でクラシック音楽を学び、パガニーニのヴァイオリン協奏曲に出会って大変な感銘を受けて、その5ヵ月後に完成させた18歳の時の作品が処女作の「ロンド」である。大谷さんは多忙な日々の中でも、以前からずっと病院などでボランティア活動をされていたが、国立長良病院に演奏に行かれた時に中野さんとこの曲に出会ったそうだ。
このコンサートは、社団法人日本作曲家協議会が主催しているところから、本来は会員でない中野さんの作品は対象外なのだと思うが、大谷さんによると司会をされていた作曲家の菅野さんのご提案で「ロンド」も演奏されることになったようだ。

「ロンド」はパガニーニの協奏曲の最終楽章のロンド形式にあやかって作られているので、ちょっと聴いただけではまさに”パガニーニ風”なのだが、曲全体を通して、中野さんがこの曲を作曲されたのが18歳という年齢を彷彿させる若々しい躍動感に満ちている。輝かしく瑞々しい生命感に溢れ、その素晴らしさに私も深い感銘を受けた。しかも、チャーミングで夢を見るような愛らしさもあり、大谷さんの雰囲気によくあっている。このような残酷な病を抱えても尚、むしろだからこそなのだろうか、憧れるような美しい曲を創作した中野さんの心情を想像すると、今夜の演奏会は私の人生にとっても貴重な一夜だったことを感じた。

先日読んだ小説「シューマンの指」では、はからずも天才ピアニストの永嶺修人が”音楽は演奏される前にすでに存在している”との言葉を残していたが、プログラムには小林亜星さんの挨拶でこんなことが語られている。

「作曲家により創られた音楽は、優れた演奏家により実際の響きとして発表されることで、初めて聴き手との具体的な触れ合いが生まれます。」


------------------------ 2011年1月28日 サントリーホール ブルーローズ -----------------------------

<日本の作曲家2011 第3夜>

八木下茂:ヴァイオリンソナタ第5番
中野稔:「ロンド」作品1
吉川和夫:無伴奏ヴァイオリンのための<3つの短編>(初演)
鈴木絵理恵子:アーモンド プラリネ ムーン(初演)
高原宏文:ヴァイオリンとピアノのためのコミュニオンⅦ 情景(初演)
大政直人:遅咲きの薔薇Ⅱーヴァイオリンとピアノのための―(初演)
中川俊郎:ヴァイオリン独奏と生きたオブジェのための“協奏曲”(初演)
菅野由弘:星曲線―ヴァイオリン、ピアノとコンピューターのための(初演)

Vn:大谷康子/p:藤井一興

チェロと歩んだ60年~ 堤剛のドボルザーク ~

2011-01-23 22:54:11 | Classic
今夜のN響アワーのゲストは、8歳でデビューして演奏暦60年になられるというチェリストの堤剛さん。
堤さんは、1942年生まれ。お父様からチェロを学び、桐朋学園の「子どものための音楽教室」では2歳年下のピアニストの中村紘子さんもお仲間だったという記憶があるが、その後、桐朋学園に進学して指揮者の斎藤秀雄に師事、インディアナ大学に留学してヤーノシュ・シュタルケルのもとで研鑽を積む。1963年ミュンヘン国際音楽コンクールで第二位、ブタペスト国際音楽コンクールで優勝して国際的なキャリアをスタートさせる一方、イリノイ大学教授、インディアナ大学教授を歴任して、指導者としても知られている。日本のチェロ界の草分け的存在ながら、第一線での旺盛な演奏活動を行っている。

堤氏の現在のプロフィールは、チェリストの肩書きだけでなく、桐朋学園大学の学長、財団法人サントリー音楽財団理事長、サントリーホール館長、霧島国際音楽祭音楽監督と音楽業界の要職も兼務されている。1960年にNHK交響楽団は初めて海外に演奏旅行に出かけたのだが、その時、弱冠18歳の堤青年がソリストとして共演したのが、記念すべきN響との初共演。番組では当時の白黒の映像が放映されたのだが、飛行機は気にせいかプロペラ機ではないだろうか。タラップをのぼる団員の顔がとても嬉しそうで、堤青年は体重が今の半分ではなかろうかと思えるくらいスマート。堤さんはニューデリーからローマまで参加して、ドボルザークの故郷チェコや、ポーランドで演奏したのが、ドボルザーク作曲のチェロ協奏曲ロ短調。

特にチェコで国民的作曲家のドボルザークの協奏曲を弾くときは、受容れてもらえるかさすがに緊張したそうだが、一度、音をだしたらそんな懸念はいっさい忘れて演奏に集中でき、観客からは拍手喝采をもらったそうだ。弓を持ちながら穏やかにお話される堤さんは、大御所、重鎮の威圧感がなく温厚な紳士の雰囲気。以前、北欧に旅行した時に空港の搭乗口でチェロを抱えている堤さんをお見かけしたのだが、スーツを着ている堤さんは本当にチェロがなかったら格別エリートのような気合やキレもない、ごく普通のサラリーマンのおじさんそのものにみえた。席も私たちと同じエコノミーだったような気がする。サントリー元会長のあの佐治敬三氏の娘婿という華麗なるバックグランドは、サントリーホールの開館記念日のガラコンサートの出場者にそのお名前を見る時に思い出すだけである。

さて、21年ぶりのN響との共演に選んだ曲も、ドボルザークのチェロ協奏曲ロ短調。
以前、堤さんの演奏を聴いた友人によると、楽器のイメージからくる芯の太い響きのある演奏というよりも、むしろ繊細でねばりのある音だそうだが、テレビではよくわからないながらも、音のひとつひとつに渾身に向かっていくのが感じられる。さすがに年齢のせいか、多少、音はやせているような気もするが、円熟ななかにもむしろ若々しさがある。その演奏に対する真摯な姿勢は、堤さんのお人柄を表しているようにも感じられた。そして、指揮者のネルロ・サンティさんは、あいかわらず素晴らしい。この方の関取のような巨体を見るだけで安心感と期待感がある。

「明治のお嬢さま」黒岩比佐子著

2011-01-22 16:18:03 | Book
銀座の一角に、「天賞堂」という貴金属や時計を扱うお店がある。店舗の角にこっそり愛の矢をはなとうとしている可愛らしいキューピッドの像が飾られていると言えば、現代のお嬢さまにもおわかりになるだろうか。銀座を睥睨するような外資のブランド・ショップにうずもれそうな、この一見、地味で小さな店は実は明治のハイソなお嬢さまたちが、海外から輸入された紅宝石(るびい)や夜光珠(だいらもんど)などの高価な宝石をお買い求めになられるお気に入りのショップだった。明治の時代では、ほんのごく一部の皇族、華族や新興資産階級のご令嬢の、三越やこのような貴金属店で売っている流行の着物や装飾品によせる多大なる関心が、現代では幅広く庶民層にまでひろがり、ヴィトンやグッチの新作バックへの購入意欲につながってきているのではないだろうか。

こう言ってしまうといつの時代も女は女だということになってしまうかもしれないが、広大な屋敷で部屋数が60以上、70人から100人近い使用人に囲まれ、厨房から食事室まで1町(109㍍)の距離を渡ってくるスープもすっかりさめてしまうような莫大な富に恵まれながらも、家に束縛され結婚相手も家の格式や釣り合いで20歳前に決められてしまう明治のお嬢さま、そんな彼女たちの最大の武器が”美貌”だったとは。本書は、古書めぐりが趣味の著者による1880~90年代に生まれ、明治末期までに結婚した華族を中心にした上流階級のお嬢さまの姿や生活を紹介した本である。

象(笑)徴的なのが、最初にある1911年1月1日発行の雑誌『女学世界』の附録「現代流行双六」である。
振出しは自動車、毛皮のショールをお召しになった令嬢が車に乗り、行き先は別荘生活、運動会、かるた会、音楽会、親菊、夜会、おさらい、美顔術、洋行と楽しくもハイソな暮らしぶりが伺えるのだが、最後の上りが帝国ホテルが会場、フランス料理のフルコースでの結婚披露宴!。現代だったら、旅行、コンサート、聞こえのよい趣味をきわめる教室、エステ、語学留学、ゴルフと行動パターンにそれほどの差はないように思えるのだが、決定的に違うのが今では誰も結婚がゴールとは考えられない、考えていないことだ。しかし、明治の時代は、爵位がある家に生まれても継承できるのは男児だけ、平成・平民の就職活動などありえなかった当時、セレブリティであるがゆえに逆に選択肢はせばめられ、25歳を過ぎて老嬢(オールドミス)と陰口をささやかれる前に、民法上の家長制度により、戸主が決めた一度も顔を見た事もない相手の元に嫁ぐことが生きる道だった。

理想が良妻賢母の女性ならば、当時の上流階級のママたちの息子の嫁探しの場所は、同じようなクラスの令嬢たちが学ぶ華族学校で、学び舎は嫁候補の器量の格好の品評会にもなった。地位と権力、資産のある男性は結婚相手の女性に美しさを求めれば、自ら生活の糧をえることができないお嬢さまが安定したハイソなクラスの維持していこうと、地位、権力、資産のある男性を得ることために、お金をかけて衣装を整え、美しさに磨きをかけるのは生き物の自然な流れ。華族には美しい娘が多いという評判も、お嬢さまたちが、美貌が勝負と充分にご認識だったことでもあろう。その一方で、経済的に困窮している公家華族は、ルキノ・ヴィスコンティの映画『山猫』のように財閥家の娘を息子の嫁に迎え、成り上がった財閥は名声欲しさに華族の娘と高額な結納金を積んで縁組をする。美と権力が結びつく両家WINWINの関係も、時には乙女心を悩ませ哀しませもする。

男爵九条良政は、華族の側室の娘の武子と結婚し、欧州に新婚旅行にでかけたのだが、ロンドンに着くや天文学を学ぶと留学宣言をして新妻だけを先に帰国させ、その後10年間、一度も日本に帰ってこなかった。その間、妻に届いた手紙はたったの2通だけ。世間は「孤閨を10年守った貞女」と讃えたそうだが、今だったら屈辱もので確実に離婚だろう。しかし、武子は歌を詠むことで自らをなぐさめ、福祉事業や婦人運動に積極的に関わっていく。彼女の賢明さは、親しい友人の娘の縁談の手紙への返信で
「結婚は勧業債券ぢやございませんもの」
というユーモアを交えた表現でも感じられるのだが、その彼女とも親しかったもうひとりの美貌の歌人、柳原白蓮の結婚はあまりにも不幸だった。名門の公家華族だが経済的に恵まれなかった生家からお金で買われて嫁いだ先が25歳も年上の福岡の炭鉱王、伊藤伝右衛門だった。、炭鉱王は結婚後も女道楽を繰り返して、美しい妻は飾るための所有物とばかりに機嫌が悪くなれば暴力をふるった。白蓮が美貌を若き帝大生と奔走して命がけの恋のために使ったのも無理からぬこと。明治維新後、西欧に負けまいと富国列強をめざして近代化、西欧化を驀進しながら、旧来の社会的価値観や文明の軋みのようになったのも明治のお嬢さまだった。10代半ばから20歳までに、恋をするときめきも知らずに家が決めた男性と結婚していた彼女たち。まことに”花の命は短くて”・・・である。

■こんなアーカイヴも
「明治の女子留学生」
「迷路」野上弥生著

「シューマンの指」奥泉光著

2011-01-19 23:18:29 | Book
昨年は、ショパン生誕200周年のイベントに隅に追いやられてしまった感があるが、ドイツの作曲家ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann)も生誕200周年だった。
けっこう毎年、毎年、なんらかの音楽家の没後、生誕メモリアルイヤーが続くのだが、「N響アワー」に蝶ネクタイをして登場しシューマンへの偏愛ぶりを嬉しそうに披露していた奥泉光さんにとって、2010年という年は長年ずっと構想をあたためて狙いを定めていた年だったに違いない。これまでも篠田節子さんや森雅裕さんなどによってクラシック音楽を題材にしたミステリー小説は数々産まれてきたのだが、100年に一度しかめぐってこない生誕記念日にあわせて書き下ろしでうちあげた奥泉さんの「シューマンの指」は、これまでの作品がクラシック音楽が”題材”レベルだったのをこえて、クラシックとミステリーが”融合”されたかって誰も書いたことのない本格的な音楽ミステリー小説となっている。

物語は、音大を中退して医師となりすでに中年となった主人公の私の回想という形式をとりながら、30年前の高校の同級生である天才美少年ピアニスト、永嶺修人が”私”に向かって語るシューマンの音楽理論が中心となって展開していく。”私”は、修人のシューマンと音楽理論を映す鏡の役割を果たしている。読みすすみながら、修人は熱心なシューマン党の作者の偶像、分身だと感じていくのだが、ここで作者のたくらみに気がつかなかったのは惜しい!

まず、物語の提示部分が秀逸である。もうひとりの同級生の友人・鹿内堅一郎から届いた手紙ではじまるのだが、指を切断して再起不能となりピアニストになるのを断念して渡米したはずの永嶺の演奏を、堅一郎が留学先のドイツで聞いたというまさにミステリーなのだが、それが同じように薬指の不調によりピアニストになることをあきらめたシューマンそのものにリンクして、物語の幕があがるのである。

「驚いただろう!しかし、間違いなく、ピアノの前には本物の永嶺まさと―修人と書いた方がいいかな―が座って、 Schumannを弾いていたんだ!」
友人の手紙は無邪気に綴られているのだが、その無邪気さゆえに、謎が深まっていく。幻想的で、しかも定石どおりに怜悧な頭脳と才能をもちあわせた天才ピアニストの修人は、色白の美少年だが生意気で人を寄せ付けず自己中心的。彼は悪魔のような少年であり、また天使のようなピアニストでもある。そんな修人にひたすら憧れる平凡な高校生と道化師のような友人。こんなありふれたベタな人物設定にも関わらず、いやむしろ定番を望む読者が作品に期待するとおりに、妖しくも耽美的な雰囲気に仕上げていく作者の蝶ネクタイが似合う得意げな顔が見えるようでもある。中でも物語のハイライトとなる事件の春の夜の描写は、美しくも圧巻である。流れる曲は、《幻想曲ハ長調》。

奥泉氏のレトリックは、端麗で優雅、感嘆する美しい文章がまるで音楽を奏でるように流れていく。音楽をここまで美しい日本語で表現できる可能性に、私は目が開かれるようだった。しかも、それだけでなく修人の意見にかえて「音楽は演奏される前にすでに存在している」という哲学にまでせまっている。深いな・・・。

ショパンが社交界のサロンを渡り歩き、美しい音楽の上澄みを繊細なレースでつなげるように綴っていたのに、シューマンは苦しみの底から作曲していた、そんなようなことをピアニストの小川典子さんが言っていたような記憶がする。本書でシューマンの魅力を再発見。大寒の今夜、我家にあったケンプの「こどもの情景」でも聴いてみるとするか。

■こんなアーカイヴも
映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲』
『僕のピアノ・コンチェルト』

「小説のように」アリス・マンロー著

2011-01-15 20:27:53 | Book
我家の爺さんは、ご近所のイタリアンのファミリー・レストランがお気に入り。チェーン店なのだから、ファスト・ファッションならぬファスト・フードどおりの早くて味もそこそこレベルなのだが、爺さん的なポイントは、安価なお値段にある。ところがそのお店の最大のネックは、彼によると”ひとりでは行けないお店”ということにある。理由は、みんな家族や友人・知人と来ていて、ひとり客は見たことないからだそうだ。休日のランチのお伴をする度に、爺さんは必ず広い店内の客を見回して「ほら、一人客はいないだろ」と、私に同意を求める始末である。確かに、郊外の住宅地にあるそのファミレスでは、これまでおひとり様をたまたま見たことはなかったのだが、今年の正月休暇のある日のこと、いつも以上ににぎわっている店内で、ひとりで来て食事をしている青年を見かけた。
「ほら、ちゃんとひとりで来ている人だっているでしょ」
と爺さんに声をかけようとして、私は口を閉ざした。食事中のその青年と目があった瞬間、私は思わず気まずくなり顔をそらしたのだった。そっと、まるで自分が非礼なことをしたような罪悪感を感じて。

「小説のように」の著者、アリス・マンローは2005年に、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ、2009年に国際ブッカー賞を受賞して、ノーベル文学賞候補者でもある。「短編小説の女王」とまで賞される彼女は、1931年カナダ・オンタリオ州生まれで、今年80歳になる。閉鎖的な人間関係の小さな田舎町に生まれたこと、結婚後、図書館に勤務したり書店経営の経験ももつ本好き、そして女性であることが、彼女の作家としての資質をひきだして女王にまで育てたと考えられる。

若くして結婚し、夫とふたりの愛児に恵まれながらも、これ以上ない悲劇を迎えて今はただ生きているだけのドーリーだったが、乗車していたバスの交通事故に遭遇して、たったひとつの行動からかすかな再生を感じる「次元 Dimensions」。家族でピクニックに行き、穴に落ちた息子を救出する地質学者の父と母。信じてはいなかった神に感謝すらした母だったが、九死に一生を得て成長した長男ケントは、大学を中退して失踪する。数年後、家族に届いた便りには、家族への気遣いもなく自分自身の人生を語り、最後に「僕が捨て去ることを学んだひとつが、知的高慢さなのです-」と結ばれていた。やがて夫も亡くなり、次男と娘もそれぞれりっぱに成長し、不自由なく老後を送る母が最後に再会したケントの姿は・・・。「深い穴 Deep-Holes」や、19世紀ヨーロッパで女性が学者として生きる困難な時代に、その才能を枯らすことなくロシア史上初の女性数学者として生きた実在の人物、可憐な人柄ながらも向上心を燃やすソフィア・コワレフスカの死に至るまでの数日間に人生をフラッシュバックのように振り替える形式の「あまりに幸せ Too Much Happiness」 など、いずれも珠玉のような短編が10作並ぶ。

ここには、家族の死、毒、残酷さや、意外な愛情、深い哀しみや絶望がありながら、生きることのいとおしさ、そして人生の秘密が隠されている。確かに”小説”である。アリス・マンローの作品の特徴を知るエピソードととして、訳者が最初のイギリス版を読んだ後、後発のアメリカ版を見直ししたら、何度か修正された後、再度、数行削られていて最後の景色が微妙に変わっていたりもしたそうだ。このように、マンローは推敲を重ねてそぎ落としていくタイプの作家だが、本書でもまるでジル・サンダーがデザインした白いシャツのように、シンプルで素っ気ないが、芸術性がある。80年の人生を生きた熟練の作品は、本物のオトナ向け。

「顔 Face」は、社交クラブにも入っていて、大学でも町でも人気があり社交的な父と平凡な母の間に生まれた主人公の話。彼は生まれた時から顔に痣があり、そのひとり息子の顔が家庭不和の原因を引き起こしたのだったが、むしろ本来の夫婦のすれ違いに向き合わないで過ごせる皮肉な幸運にもなった。そんな家族の離れの家に、未亡人となった寡婦が娘を連れて間借りするようになり、主人公と少女は親しくなり庭で一緒に遊ぶようになったのだが。。。マンローはかって「天才的な筆で描かれた醜聞」と評されたこともあったそうだが、作家の想像には立ち入り禁止区域はない。

家族連れでにぎわう正月休暇のファミリー・レストラン。寒くて落ち着かない入口の一番近い席で、たったひとりで急いで食事をしている青年のその顔が、目があった瞬間の表情とともに、何度も私の心に浮かんでくる。

我が偏愛のヴァイオリニスト/マキシム・ヴェンゲーロフ

2011-01-12 22:52:35 | Classic
青柳いづみこさんにならって「我が偏愛のヴァイオリニスト」を思い浮かべるとしたら、まず1974年生まれ、シベリアのノヴォシビルスク出身のマキシム・ヴェンゲーロフ!(Максим Александрович Венгеров)。5歳からヴァイオリンを学び、名伯楽の誉れの高いザハール・ブロンに師事して、わずか10歳で1985年開催の第二回ヴィエニャフスキー国際コンクールのジュニア部門で優勝。(ちなみに、庄司紗矢香さんは1997年に14歳で日本人として初めて優勝。現在、ザハール・ブロン氏に師事している。)記念すべき第一回でも同じ門下生のヴァディム・レーピンが優勝していて、91年に3位になった樫本大進とあわせてザハール・ブロン門下生の3兄弟と呼ばれていた時期もある。

今年四十路を迎え、髪に白いものが目立ち始め渋い中年男性とヴァイオリニストの貫禄がでてきたレーピンは、世界のトップランナーとして堅実に活躍をしている。特にラロのスペイン交響曲の演奏については、今のレーピンに並ぶヴァイオリニストはいないのではないだろうか。以前、彼のリサイタルでソナタを聴いた時は内容に乏しく、アンコールで弾いた超絶技巧のワックスマンのカルメン幻想曲でようやく初めて会場がわいた思い出もあるのだが、それも今では昔のこと。
旧ソ連時代、国家の威信を担って国が用意した車の中でも課題曲を練習してエリザベート王妃国際コンクールに挑んで優勝した、かっての太った早熟な天才少年も今ではベテランの域に達し、大家の風貌すら漂わせている。

3男の樫本大進さんについては、先日、正式にベルリン・フィルのコンサートマスターに就任されたという報道があったように、当初はオケのコンマスになることについて驚きもしたのだが、活動の幅が広がりつつある彼なりの考えと将来設計のひとつが一流オケのコンマスだったということだろう。多少、ソロ活動も以前よりは減ってはいるようだが、今後、益々の活躍が期待できる。

そして次男のマキシム・ヴェンゲーロフはどこへ?!

あれは2007年のことだった。
久々にやってくるヴェンゲーロフを楽しみに早速無事にチケットを手配したのだが、肩の故障で公演がキャンセルとなり、非常にがっかりした。その後、待てど暮らせど彼は日本にやってこない・・・。便りが届かないのが気にはなりつつも、いつかそのうち再来日、と期待しつつ待っていたら、なんと2008年に右肩の故障のために演奏活動休止宣言をしていたのだった!音楽評論家の伊熊よし子さんが”百年にひとりのヴァイオリニスト”とまで絶賛していた方なのに。(詳細は2008年4月5日の「TIMES」誌の記事を参考されたし。)驚異的なテクニックだけでなく、聴く者の心をとらえて離さない音楽性、美しく強靭でありながらやわらかく繊細な音、まさに奇跡のようなヴァイオリニストだったのに、わずか34歳で引退とは・・・。
これからはCDを買って聴いていくしかないとは本当にショックを受けた。

'Maxim Vengerov says he is putting down the violin, his 'mother tongue'

「我が偏愛のピアニスト」青柳いづみこ著

2011-01-10 19:37:02 | Book
ピアノは好きですか?

弦楽器が大好きでヴァイオリン党の私が、遅まきながらピアノという楽器の魅力にめざめたのは、この方のおかげ。ピアノの聴き方、ピアノの美しさ、ピアノの深い芸術性、実際の音楽演奏に接して感動するよりも前、というのがピアニストの方たちには申し訳ないのだが、みんなすべて青柳いづみこ氏の著書から教わってきたと言っても過言ではない。

そんな青柳さんが、何度か演奏を聴いて深い感銘を受けてお会いしたという10人の”日本人”ピアニストとの、ピアニストによる対談をまとめた貴重な一冊が「我が偏愛のピアニスト」である。

幸運にも青柳さんから偏愛されてご指名を受けたピアニストは、次の方たちである。

・ドラえもんも好きです―岡田博美さん
・日本人アイデンティティ―小川典子さん
・指先談義でわかったレガートの秘密―小山実稚恵さん
・モーツァルトを弾くのは、魚をつかまえるようなもの―坂上博子さん
・音楽に対して、絶対に自由でありたい―廻由美子さん
・健全な耽美的精神―花房晴美さん
・魂をゆさぶられるピアニスト―柳川守さん
・テクニックにしばられず、音楽を楽しむ―藤井快哉さん
・人が見ていなくても咲く花もある―海老彰子さん
・対談 練木繁夫×青柳いづみこ 同級生の来し方、行く末

日本よりも欧州で活躍されている方、華やかな人気ピアニスト、知る人ぞ知る玄人好みのピアニスト、と一般社会では名前が通っていないかもしれないが著者によると錚々たる「メンバー」だそうだ。本書の中の偏愛ピアニストへの青柳さんの演奏批評は、いつものとおり、ピアノ、音楽、演奏者への愛情がほのかに灯り、細部の技術面から音楽観まで含めて、まるで自分もその場で演奏を聴いているような錯覚すら覚える。どんな著名な評論家の鋭い批評よりも、彼女の感想の方が一般人には心に届くと思える。そのほんのさわりを紹介してみると、岡田博美さんといえば正確無比の超絶技巧の鉄板ピアニストという印象があったのだが、彼女によると音楽史的な興味と洗練された美意識による類まれなプログラミングが美質のひとつ、チャーミングな容貌を裏切るような男前な演奏をされる小川典子さんは私も好きなピアニストなのだが、多くの女性ピアニストが時系列にそって「道なり」に音楽を解釈するのに、小川さんは構築性に優れ規模の大きな音楽で大伽藍を打ち立ててみせるタイプで、そこが英国人に愛されているのではないかという感想には、思わず膝をうってしまいたくなる。

また若い藤井快哉さんは、殆どのピアニストが幼少の頃から目標を定めて訓練を積んで育つのに、この方は15歳でピアニストをめざして大阪音大になんとか入学できた遅咲きタイプ。せっかく入学しても学食で友人とはべったりとぱっとしなかったのだが、インディアナ州立大学に留学して練木繁夫氏に師事する頃から転機が訪れ、コンクールで技術を競うよりもひとりの音楽家としてコンサートで弾けるようにとアドヴァイスを受ける。帰国後は、リサイタルのオーディションに受かりコンサートも開くが、音大の講師に応募しても書類審査で落とされ定職にありつけない苦しい3年間が続いた。しかし、その小さなリサイタルが評価されて兵庫県芸術文化協会から賞を受賞し、短大の幼児教育のポストをえてから好転していく。現在の藤井さんは年間40~50回の舞台が待っている売れっ子でもあり、本格的なソロ活動も欠かせない。幼い頃からエリート教育を受けた訳でもない高校生が20年かけてピアニストになったという事実に、音楽教育に手遅れはないかもしれないと考えさせられた。

ご登場されたピアニストの方たちのお話からは、一年のうち1ヶ月は演奏旅行の移動による飛行機の中で過ごしているというタフガイの小川さんや、国際コンクールで賞をとり華やかな演奏活動をスタートさせるも不眠症になり長期入院をした海老沢さんなど、その人柄や音楽性、生い立ちからピアニストになった道のりを含めて、想像以上にピアニストの人生から多彩な音がたちあがってくる。それだけでなく、本書からは音楽教育のあり方、キャリアにおけるコンクールの位置付けと弊害、音楽界の今後の展望まで広がり、それはまた海老沢さんの「それぞれ花が咲く時期があるし、人が見ていなくても咲いている花がある」という最後の言葉にもつながっていく。

青柳さんは、クラシックのピアニストを華やかな衣装を身につけ優雅に舞っているようだが、水中では必死に水をかいているシンクロナイズド・スイミングの選手にたとえている。水をかかなければあっというまに沈んでしまうのが、ピアニスト。沈んでしまうという意味にはふたとおりある。常に練習を続けて鍛錬しておかないと、読譜力、筋力、勘が鈍り、長い努力の末ようやく身につけた腕前もまたたくまに崩壊していく。そして、キャリアが沈むこともある。ステージ活動を続けていないと、いや続けていてすらもあっという間に忘れ去られ、後からデビューしたきらびやかな新しい才能にとって替わられる。決して恵まれてはいない環境でも、自らを厳しく律し、演奏を深めているピアニストたちに対する敬愛の念に突き動かされるように誕生したのが、本書である。だから、これまでピアノをあまり聴いてこなかった未来の聴衆にこそ、この本を手にとっていただきたいと願う。本を閉じたら、間違いなく10人のピアニストのCDを聴いて、そしてコンサートに出かけたくなるはずだ。

■こんなアーカイヴも
「ピアニストが見たピアニスト」
「六本指のゴルトベルク」
「ピアニストは指先で考える」
「ボクたちクラシックつながり」
クラシック音楽家の台所事情

「はやぶさの大冒険」山根一眞著

2011-01-05 22:28:26 | Book
 昨年の東京証券取引所で大納会の最後の鐘を鳴らしたのは、はやぶさプロジェクトチーム・マネージャーの川口淳一郎氏だった。すっかり顔なじみとなった川口さんだったが、ある意味では平成22年の主人公、話題の顔は「はやぶさ」君だったのではないだろうか、と個人的には思っている。地球帰還時の大気圏突入によって満身創痍のカラダが燃え尽きなければ、あの鐘を鳴らすのは、はやぶさ、君だったよ。

昨年、日本人に明るい希望をもたらしたニュースのひとつが、小惑星探査機「はやぶさ」である。地球外の微粒子を持ち帰ったカプセルの展示には、長い長い行列ができて、宇宙開発におけるこのような異例のブームになった要因のひとつに、様々な困難にもあきらめずに立ち向かう探査機を擬人化して「はやぶさ君」と呼びかけたことにもある。思わず、人の人生に重ねて「頑張れ、はやぶさ」と応援した人も多かったのではないだろうか。本来、人格をもたない探査機のこのようなキャラクターづけを私は違和感を感じる方なので、はやぶさ君の弟の開発費獲得につなげるための話題と人気つくりにも貢献したこともあり、JAXAの産みの親たちによる思惑を含んだ計略かとよこしまな?推測をしてしまったが、本書を読むとそんな小さなつまらないことではなかったことを感じる。

日本のGDPは米国の3分の1だが、宇宙予算はなんと米国の10分の1しかない。科学技術立国という政府の看板が嘘のがらんどうのような寒い予算で、しかも年々削られていき語るも涙、聞くも涙の状況で、人類史上発の月以外の惑星の物質を持ち帰るという難関ミッションを担ったはやぶさが、送信した電波が届くまで16分もかかるという3億キロも離れた小惑星「イトカワ」をめざして旅立ったのは、2003年5月のことだった。何度もトラブルに遭遇しながら、その都度、試練を乗り越える姿には、開発者たちの熱い心も伝わってきて、私ですら次第に手塩にかけたわが子のような存在の感覚になっていくのだから、実際、プロジェクトに関わってきた人々にとっては、はやぶさはやはりいとおしいこどもと同じなのであろう。「はやぶさ君」という呼びかけが、計算でもなく人気取りのためでもなく、わが子のような気持ちから自然に生じたことだったと感じる。

また、新聞の片隅で報道された打ち上げ時から、7年間もプロジェクトチームに単独で取材を続けてきた著者ならではのはやぶさに寄せる想いは、本書の宇宙工学の解説や技術開発者とのインタビューからもわかるように、単なる仕事以上のものがある。中学生でも理解しやすい内容でというコンセプトが、これまでのきわめて優秀な頭脳が関わる凡人には理解できない特殊なお仕事というイメージの宇宙開発が、ぐっと親しみやすく、何よりもとても楽しい世界だということがわかってくる。はからずも、本書において、山根氏は作家兼宇宙開発の伝道師という役割を充分に果たしている。
それにしても、起死回生の帰還作戦に向けて「人事を尽くして天命を待つ」ではないが、最後には神頼みとばかりに神社に参拝までした川口さんの姿には、まるでドラマをみているようである。今回のプロジェクトの成功は、米国の初の人類による月面着陸に並ぶレベルでの快挙だそうだが、乏しい予算で、本当によくここまで粘り強く最後まであきらめずに頑張った。おかげで、日本の宇宙技術力は世界に誇れる。ありがとう、はやぶさ君。

川口氏は「未来を拓くのは投資という果敢な挑戦。2011年が投資に対し再認識する年であるように」と述べ、取引終了を知らせる打鐘を行ったそうだ。これまで宇宙開発は役に立たないと散々言われ続けてきたが、効率のみ追求する世界に未来への希望がもてるわけではない。はやぶさの健闘によって後継機には無事に満額の30億円の予算がおりたが、閉塞感がただよう日本に必要なのは、むしろ未来への挑戦だと思う。

■アーカイヴ
「満身創痍のはやぶさが帰ってくる」
『宇宙へ。』
「宇宙137億年の歴史」佐藤勝彦著
「世界でいちばん美しい物語」