千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

クラシック追っかけ隊現る

2006-07-31 00:19:38 | Classic
駄目じゃん・・・。覚悟をしていたとはいえ、電話が全然!繋がらずチケットとれず。サントリーホールの訳のわからないウェイティング・リストにエントリーしたけれど、無理だろうな。今年のアーノンクール&モーツァルトのウィーン・フィルこそはと、年初の管理目標にしていたのに。ぐっちーさんやromaniさまは、チケットをゲットできたのだろうか。

それは兎も角として、先週の「週刊朝日」にcalafさまの方が真相をご存知かもしれないが、ある美貌の女性指揮者のスキャンダルが掲載されていた。しかも記者の渾身の記事かと思われる紙面の量とロシアにまで及ぶ取材だった。この男装の麗人・指揮者とファンの48歳主婦の痴話喧嘩は、若者言葉の”ありえね~”の失笑しかでなかったのだが、指揮者としての世間での現れ方が、篠田節子さんの「讃歌」を彷彿させる。

数年前、東京文化会館で記事の主人公であるNさんのチャイコフスキーを聴く機会があった。女性指揮者は、本当に珍しい。それは、女性が燕尾服のかわりに着用する女性性を抑えた黒いスーツ姿が違和感を与えるのと同じくらい、女性と指揮者というお仕事はたとえ男女共同参加になってもなじまない。然し、偏見の曇りなく聴いたNさんの指揮は悪くなかった。長身をいかした指揮は、小柄な男性指揮者以上にダイナミックにチャイコフスキーのロシアを再現していたとも言える。一瞬おちかけた聴かせどころの間を、Nさんの長身と長い腕が描く優雅な指揮棒がなんとか破綻なくまとめた。チャイコフスキーの浪漫性に流されることもなく、うまく整えていたともいえる。たっぷり音楽に浸った高揚とともに席を離れ、驚いたのがロビーでの終演後のNさんのCD販売会である。行列してサインを待つ女性の多くが、まるで宝塚ファンのようだったからだ。クラシック音楽だけでなく、もしかしたらチャイコフスキーやNさんの指揮による音楽以上に、男装の麗人のようなNさんへの、少女のような憧れの気持ちに満たされた幸福な笑顔がそこには咲いていた。行儀のよい彼女、もしくはおばさまたちは、どうもNさんが指揮する演奏会には、かなり脚を運んでいるようだった。それがNさんの正しいファンであるための忠誠の証として。

このような現象をはじめて発見したのは、もう少し前、天満敦子さんの「望郷のバラード」のリサイタルだった。運よく良い席をとれた私のお隣のご年配の女性グループに、若い女性が挨拶にきた。どうもその会話を聞いていると、天満さんのファンクラブの会員たちのようだった。隣人は、そのファンクラブの有力者のもよう。当時、天満さんは人気絶頂期でもあり、またその人柄を好かれる方も多いので、そういうこともあるかと思っただけだったが、その後、所謂”追っかけ隊”を他のヴァイオリニストにも見かけるようになる。

対象になる音楽家のポイントは、テレビ出演で知名度をあげたことにある。先日聴いた五嶋龍くんのサントリーホールでのリサイタルは、普段は辛口の私も甘口にさせられるくらい充実していた内容だった。ところが、翌日も五嶋龍くんのリサイタルを川口まで聴きに行った友人によると、テレビの録画が入っていたサントリー・ホール後の演奏はあまりよくなかったらしい。音楽が途中で止まってしまうのは演奏家として絶対に許されないものでもないと私は思っているのだが、その時の彼の態度のプロ意識の欠如に、友人の大辛口批評が続く。彼女曰く、昨日で燃えつきちゃったみたい。。。にも関わらず、五嶋龍くんの”追っかけ隊”は、おそらくそんな彼の態度さえも18歳の青年らしく微笑ましいのかもしれないという話になった。オチは、あまりにも有名なアンコール曲の”チィゴイネルワイゼン”という曲目も知らない龍くんのファン。五嶋龍くんは大好きだけれど、彼のCDしか聴かないというファン。
クラシック音楽のパイの縮小を懸念するベルリン・フィルの音楽監督サイモン・ラトルは、こどもたち向けの教育プログラムを通して、裾野を広げる活動に熱心なことでも知られている。実際、昨年行ったベルリンフィルの本拠地では、こども向けの演奏会が多かった。音楽性よりもビジュアル的な容姿や、ドラマ性のあるエピソード、アイドルのような扱いの音楽家を好きになろうが気に入ろうが、今までクラシック音楽と縁のなかった方たちがサントリーホールにやってくるのは、大歓迎。けれども、せっかく入口に入ったならば、もっと奥の部屋までのぞいた方が楽しいのに・・・。如何なものか。

「毎日新聞社会部」山本祐司著

2006-07-29 23:20:41 | Book
「真実は一つ。真実は一つだけ」
轢死現場の線路脇にじっと立ち、山村聡扮する速水デスクがそっとつぶやく。
下山事件をテーマーにした井上靖原作「暗い潮」の映画を観ていた、当時早稲田の学生だった山本祐司氏は、卒業後、速水デスクのモデルとなった毎日新聞の平正一記者に私淑するとは、この時思いもよらなかった。

昨年末に、柴田哲孝氏の「下山事件 最後の証言」を読んだ。丹念に歳月をかけて下山事件を追った柴田氏の中では、当時下山国鉄総裁の轢死体を唯一自殺と報じた毎日新聞の記事は”誤報”となっている。おそらく日本人の大半は、私も含めて下山総裁は謀殺されたと信じているだろう。しかし、山本が入社する12年前、毎日新聞で下山事件のデスク平正一が指揮をとった取材班は、自殺に傾く。平デスクは、予断を持たず、冷静に事実を積み上げて報道する姿勢に徹底していた。
「事件は事件に聞け」
毎日新聞は、足で集めた末広旅館の有力な目撃者の証言をはじめ、東大法医学の古畑種基教授の”権威”ある死後轢断よりも、東京都監察医務院の監察医・八十島信之助博士の「他殺の容疑なし」を選択し、下山総裁自殺のスクープにうってでる。毎日新聞社会部では、事件を追う時1本線だけをたどることはしない。複数の線を調べながら進む。そして、証拠を積み重ねて1本線になった時、勝負に出る。それが鉄則だった。自殺、他殺と二本線ではじまった下山事件は確実に一本線になったからだ。そして1949年8月3日、警視庁の合同捜査会議が朝からはじまり、下山総裁は「生体轢断」「自殺」と断定することになった。
真実の勝利にはずむ記者たちは知らなかった。午後3時頃、坂本刑事部長に田中栄一警視総監から電話がかかった。「自殺断定の発表はできない」その瞬間に、毎日新聞社会部が報道したスクープはもろくも崩れた。背後に見えるのは、自殺にできないあまりにも大きな力だった。政府、GHQの幹部が、警視庁、毎日社会部の「自殺説」を押し潰した。
大スクープが、大誤報に一気に転落し、待っていたのが懲戒人事。社会部の面々は、散っていくことになった。沈む送別会の宴の半ば、ひとりの客が来訪する。警視総監の田中栄一だった。彼は制服のまま、次の間に頭を畳にすりつけ「どうか、お察しください」と平伏して動かなかったという。
「オレたちは真実の報道に徹した誇りを胸に人生を送ろうではないか」と、平は悔しさに泣く若い記者に言った。
著者は、この時に毎日新聞社会部の反骨、反権力主義ができたと思っている。

その後、平は「下山総裁は自殺だった」と、記者の真実をかけてライフワークとして取り組んだ。
85年、アメリカ国立公文書館に存在する遺体を撮影した6枚の写真が実在することが明るみになり、下山が立ったまま列車にひかれたことがはっきり判明した。事件後、38年経て、ひとつの真実に光があたったのだが、平はすでに他界していた。なんという真実を報道することの潔さと厳しさ。

報道を仕事とする記者たちの「喜び」「怒り」「悲しみ」「希望」、そして報道した時の誇り。戦後を代表する数々の事件を軸に展開するこの物語、今では絶滅種となった無頼派・猛者たちのドキュメントは、今年の欧州の猛暑以上に熱い。そしてエピローグとして紹介された彼らの凄絶とまで言える最終章に、著者の流れるかのようなオマージュが漂う。
山本祐司氏は、早稲田大学法学部に在籍していた頃まで、児童文学作家をめざしていた。一時の生活費稼ぎの避難場所として建設会社の就職も内定していた。ところが、1965年東大女子学生の樺美智子さんが安保闘争の国会デモ中に亡くなるという事件が起きる。血だらけのデモ隊、うなる警察官の警棒。強い衝撃を国民に与えた彼女の死、大学4年生の彼も同じデモに参加していたのだ。翌日、各新聞をむさぼるように読んだ。大学図書館には、多くの学生がいたが彼らが群がっていたのは毎日新聞だった。ガスの抜かれた他紙に比較し、現場キャップの吉野正弘による幹部の激怒をやりこして、警察の暴力行為を見逃さなかった記事が、ひときわ精彩を放っていたからだ。山本は、毎日新聞社会部記者に感動して涙を流す。今まで、こんな新聞はなかった。そして頭に電流が走り、「ボクは毎日新聞に入ろう。社会部へ行こう」と言い聞かせた。
入社した毎日新聞で、社会部記者は真実を求める仕事で必死だった。東京オリンピックの取材の時には、なんと失踪して行方不明だった父と偶然再会する。(突然表れて消えていく父は、オリンピック組織委員になっていた。)数々のスクープをものにし、そして社会部長在任中に、脳溢血で昏倒した山本は、半身不随、失語症になる。
1992年5月31日、定年で毎日新聞を去る時の最後のコラムが「人間万歳」。再起して書いた『最高裁物語』が、日本記者クラブを受賞する。自分を含め、身傷者3人で児童文学サークルを創め、後回しにしていた児童文学にようやく着手しはじめた最中に、今度は脳梗塞が加わり車椅子が不可欠となった。
朝日新聞論説委員の河谷史夫氏は、新聞記者志望の学生に本書を読んでごらんと渡しているという。
山本祐司、元記者は、今年70歳にして本書を世におくる。まるで駆け足で振り返ったかのような印象の文章だ。
「面白い生涯だった。生まれ変わったら無頼派の特ダネ記者になって国家の謀略とたたかいたい」
最後に、そう語って本書はしめくくられている。

ES細胞の光と影

2006-07-28 00:58:00 | Nonsense
両親のいない迷える子羊ドリーは、平均寿命のわずか半分を生きて病死した。今では、博物館でその画期的なる”偉業”を証明すべく、標本となって静かに眠っている。
アトム好きの科学万能主義とまではいかないが、幸運にもニーチェのように神は死んだとつぶやく者にとって、いつも生命倫理に関わる科学研究において謎なのが、科学者の信仰と科学とのおりあいである。

ES細胞の研究に関して、米国欧州では異なる決断をした。ES細胞の研究は、生物界において金の鉱脈であると感じている私にとって、今回のブッシュ米大統領の拒否権発動は、番狂わせの感がある。それだけ、かなりの政治献金が保守的な宗教団体から大統領に流れて、身動きできないのだろうか。それでは、我が国においては、どうであろうか。
すでに旧聞になっているが、一昨年7月23日総合科学技術会議において、「ヒトクローン胚研究」を条件つきで解禁している。

今から10年前の7月、英国ロスリン研究所でクローン羊「ドリー」が誕生した。受精というプロセスとは無関係に生まれたドリーに、世界は驚嘆した。その後98年に、ウィスコンシン大学で、ヒトES細胞(万能細胞)を、ヒト受精胚の中から取り出すことに成功。これが、人間の身体のあらゆる組織や器官に文化する能力をもち、尚且つ未分化のまま増殖できることを証明した。例えば、Gacktさんの体細胞からクローン胚をつくり、これからES細胞を得れば、Gacktさんの組織・器官を拒否反応なしで製造することができる。誕生日、クリスマスにはワインを大量に浴びる彼ではあるが、呑み過ぎで肝不全を患って瀕死状態になっても、ES細胞から製造した新品の自分の部品と交換できるようになる。このテクノロジーには当然細かく特許がぶらさがり、自分の部品交換を希望する者は、その発明の対価への高額の医療費を支払うことになる。だから日本政府では、賛否両論の討議を中断して、多数決という異例の採択を宣言して強行採決にうってでも「ヒトクローン胚研究」解禁に走らざるをえなかったのだ。

日本の優秀な技術の成果として、人口皮膚、人口血管、人口骨などを活用した再生技術も着々と浸透している。脳死状態の患者からの移植とは別ルートのこの再生医療は、倫理上からも比較的広く受け入れやすい。また、生きた細胞を素材として質の高い組織・器官を提供する組織生体工学や、ヒト遺伝子を動物の臓器に組み込んで移植用臓器をつくるトランスジェニックという手法もあり、熊本市の大学発ベンチャー企業のトランスジェニック社は東証マザーズに上場している。
しかし、このような移植臓器の究極は、やはり体細胞クローンからつくられたES細胞による臓器であろう。なにしろ自分の肉体の一部ゆえ、拒否反応がないのだから。

ブッシュ米国大統領のような敬虔な信仰心をあいにくもちあわせていない不埒な私であるが、難病患者にとっては今回の拒否は延命の拒否にも聞こえただろう。ジョン・ケリー米上院議員は、この度のブッシュ米大統領の就任以来初の拒否権発動に関し、「11月には国民が大統領に拒否権を行使する」と、中間選挙にからめて厳しく批判した。
その一方で、高額な研究費や創薬の経費の回収のため、医療費も高額にのぼることが予測される。国民健康保険制度でカバーするには限界がある。そのため貧しい者がうける医療と富める者の医療との間に格差が生じるという懸念もある。医療の質の経済的格差社会の到来だ。ES細胞に関しては、難病治療への福音や生命倫理からの可否という哲学や宗教観だけでなく、聞き逃せないのが現実的な国家レベルでのビジネス・チャンス。
いずれにせよ、たとえ米国が今回の対応でバスに乗り遅れたとしても、バスは走り始めている。しかも、そのバスをもはや誰にもとめることができない。それが、世界の流れだ。

EU加盟国、ES細胞研究支援継続で合意

2006-07-27 23:44:28 | Nonsense
ブッシュ米大統領の”まっとうな社会が尊重すべきモラル””まっとうな社会が尊重すべきモラルがそれでは、EU加盟国にはないのだろうか。EUは、ES細胞研究の支援を継続する”反まっとうな社会”へ。
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【ブリュッセル=下田敏】
欧州連合(EU)加盟国は24日に閣僚理事会を開き、ヒトの胚(はい)性幹細胞(ES細胞)の研究支援を継続することで合意した。生命倫理上の観点から一部の加盟国が反対していたが、厳しい研究指針を設けることで多数の加盟国から承認を得た。米国では先週、ブッシュ大統領がES細胞法案に拒否権を発動し、研究の是非が議論を呼んでいた。

ES細胞はさまざまな臓器や器官に成長する能力を持つ。拒絶反応がない移植用の臓器への利用などが見込まれているが、ヒトの受精卵を破壊して作製するため、生命倫理の観点から強い反対が出ている。

閣僚理事会での合意を受け、EUは向こう7年間の中期予算(2007―13年)でES細胞の研究への財政支援を続ける。独伊などの慎重論を踏まえ、EUは支援対象を既存のES細胞の研究などに限定。新たな受精卵の破壊を伴う研究は基本的に対象外とした。さらに倫理上の指針に沿って研究活動の内容を個別に点検し、支援を実施するかどうかを判断するとした。
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<続く>

ブッシュ大統領、ES細胞研究促進法に拒否権

2006-07-26 23:31:34 | Nonsense
今最も話題のドラマは「不信のとき」らしい。”正しい妻””愛の人”がドラマのマッチポイントらしいのだが、米国だったらキリスト教福音派から猛攻撃を受けるかもしれない。
ドラマより、興味のある話題が次のニュースである。
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【ワシントン=山本秀也】
再生医療の「切り札」とされるヒト胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究の促進法案に対し、ブッシュ米大統領は19日、就任以来初めての拒否権発動に踏み切った。「基本的モラルを捨てるべきでない」とした大統領の判断は、中間選挙を11月に控えて、宗教界など保守層から支持が表明される一方、難病治療を待つ患者や研究団体からは、世界がしのぎを削る先端分野で米国が立ち遅れる懸念が出ている。
同性婚に対する強い拒絶姿勢など、キリスト教福音派の価値観を重視するブッシュ大統領は、生命倫理の重視を理由に、ヒト・クローン技術につながるES細胞の研究を規制する政策をとっていた。

今回の法案は、米国内の研究機関が行う臓器再生などES細胞を使った研究に対する助成金に関して、連邦予算の支出規制を緩和する内容。ブッシュ政権の規制方針を覆す法案で、昨年5月に下院で可決されたのに続き、上院本会議も18日、賛成多数で可決した。

しかし、昨年の下院可決から拒否権の行使を予告していたブッシュ大統領は19日、「法案は罪もないヒトの生命を他人の医療的な利益に供するものだ。まっとうな社会が尊重すべきモラルの限界を踏み越えるものであり、私はこれを拒否する」と宣言した。

上下両院の賛成票が3分の2を上回っていた場合には、大統領の拒否権を押し返して法案を成立させることが可能だが、今回は賛成票がこのラインに達せず、廃案が決まった。
大統領の拒否権行使に対し、生命倫理の重視を掲げる「全米生命協会」のジュディ・ブラウン会長は、「大統領の決断を称賛する」とする声明を発表した。
これに対し、学術界などからは「科学や医療の分野で、米国が指導的な地位を占めることへの期待を大統領は打ち砕いた」(医学研究促進協会)など、非難や失望感の表明が相次いだ。

ES細胞の研究は、血管や内臓などの臓器を再生することで、難病の再生医療に道を開くものとして期待が高く、世界の研究機関が成果を競っている。 (07/20 21:24)

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<続く>

「今井澂のマネー・ドット・カム・カム」より-映画「天国と地獄」と波乱相場の前途

2006-07-25 00:17:59 | Nonsense
「週刊エコノミスト」で最も愛読していたのが、国際エコノミストの「今井澂のマネー・ドット・カム・カム」
なにしろ、毎週経済の相場観を映画にからめてご案内する芸当は、国宝級。
ブックマークにもリンクしたのだが、今週号の黒澤明監督の映画「天国と地獄」は、まさに300回にふさわしい傑作である。特に黒澤監督は音楽の使い方が、非常に上手い。犯行後、”山手”の三船演ずる製靴会社重役宅から、カメラは犯人役、山崎努が住む”下町”のアパートの狭く暗い部屋にゆっくりと移動する。犯人は、事件を報道した新聞を余裕で読んでいるのだが、バックに流れるのがシューベルトの「鱒」。
そしてラストで、太陽を浴びながら捕まる犯人の絶望的な顔にかぶさるのが、「オー・ソーレ・ミオ」だった。この音楽の使い方は、映画とともに強烈な印象を残した。
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映画「天国と地獄」と波乱相場の前途
映画「天国と地獄」は黒澤明監督のサスペンス。このコラムの300回目にふさわしい傑作だ。

 誘拐犯が製靴会社重役の息子を誘拐しようとして、間違って住み込みの運転手の子をさらう。それでも犯人は身代金を重役に要求する。三船敏郎演じる重役・権藤は、会社内で腹黒い連中と争っている最中で、身代金を支払えば争いに負けるため、当初は支払いを拒否。だが結局、人道的な立場から支払う。縁もゆかりもない権藤に異常な執念を燃やす山崎努演じる誘拐犯は、純度の高いヘロインを使って共犯の2人を殺し、必要となるとさらに殺人を繰り返す。

 ミサイル発射直後の南北閣僚会談で北朝鮮は、核とミサイルで韓国を守るからコメ50万トンを出せ、と主張した。あきれた話だが、韓国の盧武鉉大統領は北を批判するどころか、対日批判を繰り返している。来年末までこの困った政権は続く。支持率はわずか7%だから政権交代の希望はあるが、映画の誘拐犯のような異常者と、その同調者が隣に住む地政学リスクは変わりようがない。

 これに加えてトヨタ自動車のリコール問題など市場には売り材料が充満している。イラン制裁問題がこじれて原油の異常高というリスクシナリオもある。米国中間選挙の年の夏場は必ず株安というジンクスも気になる。国内景気も、スクラップ鉄の価格は下がりはしないがせいぜい強含み程度と、「中だるみ」状態。

◇好材料が出始めた

 しかし、いい材料も出てきている。「バーナンキFRB議長が最も注目するTIPSスプレッドは市場の期待インフレ率低下を示唆」というリポートが投信情報会社リッパーから出た。米国の物価連動国債TIPSと10年物国債のスプレッド(利回り差)が昨年3月にピークをつけ、最近も低下傾向。リッパーは、8月の利上げの可能性は80%から60%に下落したとみる。

 長期の強気材料も出ている。投信募集の好調と外国人投資家の買い越し姿勢継続だ。株数ベースでは売り越しだが、金額ベースでは1週間2000億円台の流入が続いている。信用取引の取り組みもやや改善されている。戻り相場の迫力がイマイチなのは、まだ信用買いの評価損が大きく、個人投資家が戦意喪失状態だからだろう。

 しかし、相場の柱となる業種ができれば、買い気は出てくるものだ。ミタル・スチールのアルセロール買収は鉄鋼株の評価を根本的に変えた。世界の鉄鋼生産量の10%、1億トンの巨大メーカーが誕生。しかも来年からは国内でも株式交換による企業買収が認められる。技術と高品質鋼材のシェアを考えれば、日本の鉄鋼株は居所が違うはずだ。

 映画のセリフから。身代金を払ったために会社を追われ、破産した権藤を、誘拐犯があざ笑おうとする。「何をしていらっしゃるんですか」「相変わらず靴を作っている。小さな会社だが、それを私に任せてくれるという人がいてね」。結末は明るい。確信を持とう。

 2006年7月25日

『金色の嘘』

2006-07-24 23:54:37 | Movie
嘘にもさまざまなカタチがある。誠意のない嘘、その場かぎりの嘘、たわいのない嘘、計算高い嘘と無邪気な嘘、そして”秘すれば花”のような芸達者で意外性のある嘘。

生まれながらにして美貌と賢さを授かったシャーロット(ユマ・サーマン)は、恋人アメリーゴ公爵から彼の所有するイタリアの古城で婚約を知らされる。19世紀初頭、没落貴族の末裔である彼は、城と家名を守るためにシャーロットの友人である米国の大富豪の愛娘マギー(ケイト・ベッケンセール)の資産と結婚するという。卑小な打算というよりも、正しく合理的な選択と考える彼は、シャーロットに別れを告げ、新妻マギーと新しい家庭、新しい愛情を育てる決意をした。
シャーロットにとっては、衝撃だった。アメリーゴ公爵への愛情は、彼の結婚後もなんらあせることもなく、つらく苦しい日々が続く。しかも、こともあろうことか、アメリカ人のマギーは彼女と夫が恋人だったことを全く知らないのである。ふたりの関係を知っているのは、社交界でも殆どいない。

そしてマギーといえば優しく容姿の端整な夫と幸福な結婚生活を送るが、ただひとつ気がかりなのは早くに妻を失った父のことだった。これまで父と娘は、お互いに相手を思いやり、それぞれの妻、母を失った空虚感をうずめるかのように絆が深かった。ところが、父アダム・ヴァーヴァーは、シャーロットの落ち着いた品格のある美貌に興味をひかれていく。そして彼の生涯の夢である母国での美術館建設に、彼女の美貌と聡明さをパートナーとして求めていくようになる。それぞれの、計算と嘘と不確かな愛情で、シャーロットとヴァーヴァー氏は結婚する。

ロンドンの大きな屋敷の中で、夫とその娘である友人を欺き、妻と名誉と富をえたシャーロット。妻と産まれた長男に愛情をそそぎながらも彼女の愛を拒みきれないアメリーゴ公爵、友人と夫の関係に疑惑を感じ始めながらも真実を見つめることにおびえるマギー。そして、有り余る財産で美術品収集に情熱を傾けながらも、若い妻を見守るヴァーヴァー氏。不安、疑惑、愛情、憎悪、嫉妬、悲しみがそれぞれの胸にさかまく頃、シャーロットがマギーとアメリーゴの結婚祝いに購入した金色の盃が屋敷に届けられる。その輝くばかりの素晴らしい金色の盃には、ほとんど気がつかれない小さな嘘が隠されていた。しかし、その小さな嘘はたとえどんなにめだたなくとも嘘であるがゆえに、金色の杯の輝きは曇る。

ヘンリー・ジェイムズ原作「金色の盃」を、「眺めのよい部屋」を製作したジェームズ・アイボリー監督が映画化。
4人の家族の関係をつきつめれば、昼メロや韓国ドラマ以上のドロドロとした人間関係なのだが、あくまで品よく、感情をおさえた良質の室内劇になっている。貴族階級では、不倫や情事も繊細なレースをほどこした美しい衣装ほどの装飾なのだ。しかし、シャーロットとアメリーゴには、昔々彼の古城で実際に起こった義母と息子の情事をつきとめ処刑した凄惨な史実から、不倫の罪と罰の恐怖から逃れられない。そして父と娘の他人の入る隙がないくらいの、親子の愛情の排他性。開放的なアメリカ人である彼らの、逆に閉鎖的な構成が奥ゆきを与えている。また新興のアメリカが、ヨーロッパの美術品を経済力にまかせて買いあさる図も、後のヨーロッパと米国の未来の関係を暗示している。素朴でおひとよしの米国人の親子という類型的な人物に、結局恋人たちはその素直で正直な愛情と懐の深さに屈するのである。
徹底的に細部まで当時の貴族階級や新興米国の大富豪の家の調度品、絵画、衣装を忠実に再現している本作は、それだけでも一見の価値あり。
嘘が支えた家族、夫と妻の関係。その嘘は、果たして金色の盃だったのか。

ミタル・スチールがアルセロールを買収

2006-07-23 22:02:00 | Nonsense
日本鉄鋼連盟の馬田一会長(JFEスチール社長)は21日の定例会見で、鉄鋼世界最大手のミタル・スチール<MT>がアルセロール<CELA>を買収することについて、日本の鉄鋼業も大規模なM&A(合併・買収)が起こり得ることを念頭に置いて対応を考えるべき、との見解を示した。
ミタル・スチールは、アルセロールの買収に必要な株式を確保したことを明らかにしている。実際の取得株式数は7月26日に発表される予定だが、馬田会長は、合併会社「アルセロール・ミタル」の発足が確実となったことを受けて「最後は、合意の上で(の合併)ということになったが、やはり敵対的な部分が多かった」との見方を示した。
そのうえで、巨額の資金を使う敵対的M&Aに対して「日本の鉄鋼業としても、各社はこうした事態が起こり得ることを念頭において、各経営レベルでどういう手を打つべきかを考えていくべきだ」との認識を示した。馬田会長は「日本(の鉄鋼業)が脅かされる可能性があることをわれわれは前提に考えているし、各社も考えているだろう」と述べた。(06/7/21東京ロイター)

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最近よく聞くこの名前、ラクシュミ・ミタル会長(一部”ミッタル”と呼ぶ記事もあり)とこのお顔。⇒
ミタルって知ッテル?ミタルって何だろう、と調べたら世界で5番目の大富豪(総資産235億㌦)で「にわか成金」と伝えられるこの方の半生は、グレイな謎に包まれていた。
グループ粗鋼生産6300万㌧を誇る鉄鉱業界世界最大手のミタル・スチール。豊富な個人資産による買収を繰り返し、30年で規模が100倍に成長。起源はインドネシアだが、父から譲り受けた「イスパット・インターナショナル」はロッテルダムに本社をおいてNY証券取引所などで株式上場。(”イスパット”とは、ヒンズー語で”鋼”を意味する。)一方では、LNMホールディングスという非上場会社をロンドンに設立。法律が甘いオランダと、ブレア首相と親しい英国とふたつの拠点を並行させていたが、昨年米国3位の大手鉄鋼メーカーのISGを45億ドルで買収したことをきっかけに、二社を統合させて、現在のミタル・スチールが誕生した。

ラクシュミー・ナーラヤン・ミタル氏は、1950年6月15日、インド北部の砂漠地帯の小さな農村に生まれた。商人として名高いマールワーリー・アグルワール集団を出自とするが、カースト制度で卑しい身分とされ、幼少時代は厳しい生活を送ったと巷間伝えられる。聖ザビエル・カレッジを優秀な成績で卒業後、父親の経営する鉄鋼会社に入る。当時のインドは、厳しい社会主義的な国家統制経済下にあり、76年インドネシアに移る。そこで、経営不振のトリニダード・トバゴの国営企業の再建を果たし、買収&再建という後の快進撃の手法をかたちづくる。この頃、旧ソ連崩壊により放出された武器などを大量にスクラップしていた。

ところが、国内部門を担当する堅実な父や弟と、マネーゲーム的なミタル氏は対立するようになり、国際部門を「のれん分け」というカタチで分離していく。以後、彼らの交流はない。家族内対立をタブーとするアグルワール集団の出自にも関わらず、父と弟との絶縁による反動であろうか、ミタル氏はふたりのこどもを溺愛している。同社の取締役である娘のバニシャ・ミタルさんが一昨年結婚した時は、ベルサイユ宮殿を借りきり、披露パーティに6000万㌦をつぎこんだ。まさに成金の結婚式だ。大学生にしかみえない息子のアディチャ・ミタル君は、アルセロール買収の発表時も父親と並んで記者会見におさまる。なにしろ、彼はパパから社長兼CFOに任命された。

ロンドンの豪邸に住むミテル氏が、親しいブレア首相の労働党へ12万5千ユーロの政治献金をした後に、首相がルーマニア政府に買収に関する好意的な手紙を送ったことが判明して、最初のスキャンダル「ミタルゲート事件」がまきおこる。また夫人とこどもたちで88%の株式を保有するファミリー経営に対する経営の不透明さの不審もまぬがれない。そしてミタル氏は個人資産をタックス・ヘブンのカリブ海にあるオランダ領アンチル列島に移転済み。やっぱりダーティなイメージがただよう。
ミタル・スチールのクズ鉄を集めてスクラップする直接還元製鉄法による生産と同様、クズ同然だった会社を買収して再建する辣腕が、今度は日本の優良企業である新日鉄にまでのびる可能性もないではない。ミタルは世界規模だが、所詮クズの会社の寄せ集めにより設備は老朽化して、1トンあたりの平均単科は450㌦と品質が劣る。新日鉄の680㌦とは、そもそも品質が違う。だから高級分野に強いアルセロールの株式を買い占めているのだ。

ミタル氏の出自、アグルワール集団は家族の絆を誇り、インド文化や言語を大切にする敬虔なヒンドゥー教徒が多い。
またミタル氏の名”ラクシュミー”とは、ヒンドゥー教最高神であるヴィシュヌ神の妃の名であり、富と幸福の女神として広く信仰されているという。

「海にきらめく珠玉のチャリティガラコンサートⅣ」

2006-07-22 23:32:55 | Classic
いつのまにか、ホームレスのパラダイスになってしまったが、上野の森は大好きな場所だ。久しぶりに雨にあらわれた森をぬけて向かう殿堂は、新築された東京藝術大学奏楽堂。旧奏楽堂は行ったことがあるが、さすがに国立大学。営利目的のホールに負けない外観とキャパシティに感心する。

演目は「海にきらめく珠玉のチャリティガラコンサートⅣ」という、日本声楽家協会及びNPO法人日本の音芸術を創る会が主催するオール歌のチャリティー・コンサート。
日頃、殆ど聴かない歌曲、しかも休憩をはさんで3時間かかるというプログラムに、寝不足気味の我が脳が心地よい子守唄として聴くのではないかと、少々心配する。
「寝るなよ、寝てもいびきだけはかくなよ」と、不肖な自分に言い聞かせる。
しかし、そんな懸念は全く不要だった。あっというまに過ぎた楽しい時間。考えてみれば楽器演奏というのは抽象的な表現で複雑だが、歌は人間の喜び、悲しみ、怒り、恋心・・・、誰にでもある感情や、裏切り、勝利、恋の成就などの場面を言葉にのせて率直に歌う表現行為である。勿論、一般的な歌と異なり、クラシックの本格的な歌曲を歌うのは大変難しいのだが、聴く側としては具体的で単純でわかりやすい。しかもピアノやヴァイオリンのように弾けるか弾けないかというレベルよりも、高いテクニック、類稀なる美声のプロからは離れているが、とりあえず歌うことはできるかもしれない素人との立場の違いによる垣根は低いかもしれない。

そしてチャリティ目的のコンサートだったために、まるで年末のNHK紅白歌合戦のように第一線でご活躍されている声楽家たちによる、オプラなどのハイライト、最も美味しい部分だけを抜粋したプログラム。私のように音楽的教養がなくても、原語の意味がわからなくても、充分に楽しめる。どの曲も、どの歌手も、それぞれに華やかで、ある時はドラマチックに、またある時は悲嘆にくれ、そして別世界に誘う素晴らしい声を聴かせてくれた。会場は熱気溢れる大盛況だったので、普段はまず選ばないかなり前の方の席に座っていたため、歌手の表情やカラダのサイズ、ドレスの素材まで鑑賞できるという、別のひそかな女性ならではのエレガントなお楽しみもあった。

そこで、音楽的な中身よりも番外編の感想を。

■イケ面で賞
出演者の中で、イケ面といえばM本M光さん。そのルックスのよさは、当演奏会の出演者の中でも群をぬき、ナンバーワンでもあり、オンリーワン。かろやかな容姿をうらぎるバリトン。その声もバリトンらしからぬかろやかさで、自由闊達な伸びやかさがある。「フィガロの結婚」の”もう訴訟に勝っただと”を歌うが、その持ち味が充分にいかされていて、うまいっ。第二の錦織健になれると思う。すでにデビューアルバム「おやすみ」をリリース。

■貫禄勝ちで賞
金色のマントのような衣装に身をつつみ、ステージに登場した時から貫禄たっぷりのオーラを放つ日本を代表するアルト歌手のI原N子さん。復讐のために伯爵の弟を誘拐し、火に投げ入れたのだが、灰になっていたのは我が子だったという過激「トロヴァトーレ」より、自分の母が火あぶりにされた光景を思い出しながら歌う”炎は燃えて”。その存在感とドラマチックなアルトは、娘と母という相対的な立場の女の情念を見事歌う。姿をあらわした時から、ジプシー女の娘アズチェーナになりきっている。さすがだ。

■長老の若いで賞
白髪のオペラ界重鎮ともいえるK・J氏が歌うのは、なんとゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』を原作にして、マスネが作曲した「ウェルテル」より”春風よ、何故に私を目覚めさせるのか”。若きウェルテルは、恋するいとこのシャルロットの結婚後、自殺を決意する。彼女の家で、詩集「オシアンの詩」にシャルロットへの溢れる想いをのせてせつせつと歌う。お人柄もよいと聞くとK氏の、青春の苦悩の若々しいはりのある声に、私も目覚めるかのようだった。感慨深い。

■ダイエットの効果ありで賞か?
最近かなり体重をしぼったという噂のあったN野Kさん。その姿に驚く。胴回りが一般人並になっているではないかっ。マリア・カラスが海運王オナシスのために、過激なダイエットをしたのは有名な話だが、N野さんの声はやせても全然衰えず美しい。ニューイヤー・コンサートで親しまれる”春の声”をコロラトゥーラ技巧を軽々とあかるく歌いきる。声量もあり、テクニックもあり、声もよし。今、声楽家としては旬なのかもしれない。

■年齢不賞
I井R花さん。プログラムのプロフィールによると、”リリコ・スピントの美声と舞台映えする容姿で、数々の舞台を成功に導いた”とある。音楽家は、特に女性の場合、年齢は非公開である。音楽暦によると、どう考えても40代に突入しているはずなのだが、若くて美人。花柄のドレスが、ドニゼッティ作曲「アンナ・ボレーナ」の”私の生まれたあの古城”の王妃アンナの清楚な気品によく似合っている。美しい人に、悲劇の王妃はふさわしい。

■番外編
Jソロイスツのメンバー。音大を卒業して、プロの声楽家をめざす女性合唱団。指揮者の高橋大海氏の愛弟子たちで構成されている模様。なんとなく「モーニング娘。」クラシック編という印象だった。日本唱歌四季のメドレーは、台東区という立地にふさわしく癒された方も多いだろう。

その他、実力派、学者風、演技派ととても書ききれないくらい、ひとくちに声楽家といっても個性は、人それぞれ。来年も行く予定で、楽しみ。

*プログラムはここで   06/7/17 東京藝術大学奏楽堂

『ワイルド・ブルー・ヨンダー』

2006-07-20 23:19:38 | Movie
はるかかなた48億年ほど前、この銀河系でひとつの星が命をおえ、超新星が爆発した。やがて宇宙空間の散った残骸から新しい恒星、太陽がつくられ、その太陽の周囲を物質が回転するうちに、密度の高い原子を中心に惑星が誕生した。そのひとつの最も美しい惑星が地球である。このように生命が宿る条件の整った星が存在することは、まさに奇跡だという。だから地球外に生命が存在する星は、もしかしたらないのかもしれない。そして太陽があるから、生命体として地球が暗黒の宇宙で輝いているのだが、その我々の宇宙船、太陽の寿命はあと50億年ほどと言われている。つまり、地球は50億年たったら冷たい星になるであろう。人類の運命やいかに。。。

近未来、地球を出発した有人探査船「ガリレオ」は、宇宙を彷徨っている。目的は、地球の危機により人類の新たな移住先を発見するためだ。しかし、人類が移住するに適当な惑星はどんなに探しても存在しない。宇宙飛行士たちは、地球に帰還することもままならず、無重力状態で宙に浮いている。
そして地上では、すっかり荒れ果てた劇場の前で、ひとりのロン毛のエイリアンが話し始める。
彼?は、自分たち祖先が地球に降り立った頃の話から、人類の宇宙進出とその運命について、そしてエイリアンの故郷である星に思いを馳せながら、その悲しみの滲んだ語りは尽きない。
やがて「ガリレオ」は、表面を氷に覆われた惑星に到着する。なんとかここだったら、人類も移住できるかもしれない。かすかな希望をもち、地球への帰還をはじめる飛行士達。しかし彼らは、知らない。その星が、かってエイリアンが旅立って捨てた死に行く星であることを。そして彼らは、15年ほどの旅から帰ってきたつもりだったのに、地球では800年あまりの歳月が過ぎていたことを。地上におりたった時、彼らは驚くべき事実を発見する。

今年も行ってきた、ドイツ映画祭。どれもこれも観たい映画だったが、時間の都合で「ワイルド・ブルー・ヨンダー」を選ぶ。こんなマニアックな映画なのに、有楽町朝日ホールは、ほぼ満員。
最初から最後まで、SFファンタジー映画というよりもドキュメンタリー映画を観ているような映像が続く。それもしごく当然である。無重力状態で食事したり、カラダを鍛えたり、寝袋で寝る宇宙船内の映像は、NASAから提供されている。笑顔でいきいきと船内生活を楽しむ飛行士たちと、フィクションとして示される人類の末期をつなげると、エイリアンの語る人類の宇宙開発の寂しさは、なんとも荒涼とした感じである。人類が住める惑星は、地球以外にないと覚悟を決めるべきだろうか。
それとは別に、たどり着いたエイリアンの氷に覆われた故郷の星は、美しい。ヴェルナー・ヘルツォーク監督独特のこだわりの映像世界に、宣伝文句ぬきに確かに感動した。人なつっこい生きもの、そしてその不可思議な生き物の感情表現、どこまでも続く水中の幻想的な世界。そこは地球ではないのに、「人類が誕生する前の原始の世界」に通じる。ゆるやかに死を迎える星と誕生する地球とのつながりは、メビウスの輪のような永遠さえも感じる。詩的でファンタジー溢れる本作品は、ヴェネツィア映画祭で絶賛され、国際批評家連盟賞を受賞する。
物語は、あくまでもひとつの寓話である。楽しむべきは、ドキュメントのリアリズムにまぶした夢幻の花の儚さであろう。
但し、音楽に関しては好き嫌いがわかれるかもしれない。アフリカ人歌手やサルディニアのコーラスは、あまりこの映画にふさわしいと思えなかったのが非常に残念だ。やはり、ここは、J・S・BACHではないだろうか。

原題:The Wild Blue Yonder (Werner Herzog)
監督/脚本: ヴェルナー・ヘルツォーク/Werner Herzog
エイリアン:ブラッド・ドゥーリフ/Brad Dourif as The Alien