小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られる20世紀米文学を代表する作家、J・D・サリンジャーさんが27日、米北東部ニューハンプシャー州コーニッシュの自宅で死去した。91歳だった。同作を書いて以降、ほとんど作品を発表せず、隠とん生活を送っていたため、生きながらにして伝説の作家になっていた。 同氏の長男で俳優のマット・サリンジャー氏が28日、声明を出した。自然死だったという。
サリンジャーさんはポーランド系ユダヤ人とアイルランド系の両親のもと、1919年、ニューヨーク・マンハッタンに生まれた。10代で執筆をはじめ、40年、ストーリー誌に掲載された「若者たち」でデビュー。42年に米軍に入隊し、ノルマンディー上陸作戦(44年)にも参加した。戦後、ニューヨーカー誌に発表した短編が評判になり、51年の「ライ麦畑でつかまえて」は大ベストセラーになった。成績が悪く高校を追い出された主人公の屈折した感情を、攻撃的な言葉で表現し話題になった。主人公の名「ホールデン・コールフィールド」は、戦後、悩める若者たちの代名詞になるなど社会現象を巻き起こした。
しかし、身辺が騒がしくなったことを嫌った同氏は53年、突然、ニューハンプシャー州の田舎町で隠とん生活に入り、メディアに登場することもなくなった。「ナイン・ストーリーズ」(53年)、「フラニーとゾーイー」(61年)を執筆、65年に同誌に出した「ハプワース16、1924」が発表された最後の作品になった。 「ライ麦畑でつかまえて」は多くの言語に翻訳され、これまで約6500万部以上を売り上げ、現在も毎年約25万部が売れるとされている。日本では、村上春樹さんの新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(03年)が話題になった。
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サリンジャーを知ったのは、大島弓子さんの作品からだったような記憶がある。今でも、ホールデンがライ麦畑でこどもたちを守っている絵が目にうかぶ。繊細で、悲しい美しさと慈愛のある絵だった。「ミモザ館でつかまえて」というタイトルの漫画もあったし。大学1年の時、サークルの会報誌で合宿のルポを書かされた時のタイトルは「キャベツ畑でつかまえて」だった。(長野県のキャベツ畑ばかりの民宿が合宿所だったから、懐かしい・・・)その後、庄司薫氏の「赤ずきんちゃん気をつけて」で薫君と出会い、彼を大好きになり、今でも薫君への片思いは続いている。思えば、オトナ社会の欺瞞におりあうことができず、自己のアイディンティを確立できずに悩む光が砕けるような青春像・・・。永遠の名作から、半世紀をへて青春文学は大きく変貌している。
サリンジャーさんはポーランド系ユダヤ人とアイルランド系の両親のもと、1919年、ニューヨーク・マンハッタンに生まれた。10代で執筆をはじめ、40年、ストーリー誌に掲載された「若者たち」でデビュー。42年に米軍に入隊し、ノルマンディー上陸作戦(44年)にも参加した。戦後、ニューヨーカー誌に発表した短編が評判になり、51年の「ライ麦畑でつかまえて」は大ベストセラーになった。成績が悪く高校を追い出された主人公の屈折した感情を、攻撃的な言葉で表現し話題になった。主人公の名「ホールデン・コールフィールド」は、戦後、悩める若者たちの代名詞になるなど社会現象を巻き起こした。
しかし、身辺が騒がしくなったことを嫌った同氏は53年、突然、ニューハンプシャー州の田舎町で隠とん生活に入り、メディアに登場することもなくなった。「ナイン・ストーリーズ」(53年)、「フラニーとゾーイー」(61年)を執筆、65年に同誌に出した「ハプワース16、1924」が発表された最後の作品になった。 「ライ麦畑でつかまえて」は多くの言語に翻訳され、これまで約6500万部以上を売り上げ、現在も毎年約25万部が売れるとされている。日本では、村上春樹さんの新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(03年)が話題になった。
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サリンジャーを知ったのは、大島弓子さんの作品からだったような記憶がある。今でも、ホールデンがライ麦畑でこどもたちを守っている絵が目にうかぶ。繊細で、悲しい美しさと慈愛のある絵だった。「ミモザ館でつかまえて」というタイトルの漫画もあったし。大学1年の時、サークルの会報誌で合宿のルポを書かされた時のタイトルは「キャベツ畑でつかまえて」だった。(長野県のキャベツ畑ばかりの民宿が合宿所だったから、懐かしい・・・)その後、庄司薫氏の「赤ずきんちゃん気をつけて」で薫君と出会い、彼を大好きになり、今でも薫君への片思いは続いている。思えば、オトナ社会の欺瞞におりあうことができず、自己のアイディンティを確立できずに悩む光が砕けるような青春像・・・。永遠の名作から、半世紀をへて青春文学は大きく変貌している。