千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「愛と青春の旅立ち」

2020-05-05 14:27:39 | Movie
タイトルや題名は、顔のようなもので大事である。顔は、その人を語る。
リチャード・ギアの出世作の映画「愛と青春の旅立ち」は、もはや古典的な若者の自立と恋愛映画の名作である。ところが、今回改めて鑑賞した映画の冒頭で流れる原題の「An Officer and a Gentleman」に思わず、へっ?となった。「士官と紳士」には、恋人役のデブラ・ウィンガーの最高級の美貌も、たくましいリチャード・ギアの海軍士官学校の栄えあるご卒業の気配もない。
※このタイトルの意味は、後述。とりあえず、脳内をリセットして別の切口で映画を観ると、印象が変わるほどはるかに奥行きが深い作品を楽しんだ。

清々しいような朝、ザック・メイヨ(リチャード・ギア)は、父親の元を旅立ち、シアトルにあるレーニエ海軍士官学校へ向かう。彼は、13歳の時に母親を自殺で亡くし、その母を捨てた父親は酒と売春婦に溺れる生活破綻者で、ひとりになって自分を頼ってきた少年の息子を育児放棄。水兵の父の赴任先ではいじめられ、貧しく、孤独に育ったザック。荒んだ過去からはいあがり、カレッジを卒業して自分高い位を超えるポジションをめざす息子を嘲笑い、所詮人種が違うから無理だと諭す父親。ザックが飛び込む社会が、厳密で確固たる階級社会の軍隊であることの意味に気が付いた。
父の階級を飛び越えることは、母を捨てた父への復讐であり、父の存在を乗り越えて、これからの自分自身の人生の航海をはじめるための重要な切符なのだ。
けれども、隠した入れ墨に象徴されるように育ちは育ち。禁じられている闇商売で養成学校の仲間の小銭を徴収し、自己中心的で人種に対する差別意識もあり、とても彼は人の上にたてるいうな“器”ではない。そんな人物が管理職になるのは世間でよくある事例だが、誰よりもザックの不適切な資質を見抜いたのが、海浜隊の彼らを指導する鬼軍曹のフォーリ軍曹(ルイス・ゴセット・Jr)。けれども、まさに鬼のような厳しい13週間の訓練のあいまに、少しずつ成長していくザック。そこに登場したのが、町の唯一の産業と思われる製紙工場で働く貧しいポーラ(デブラ・ウィンガー)。時代が違う。当時のこの町の娘にとって貧困から抜け出す道は、士官候補生をうまくつかまえて結婚というゴールインをすること。計算された愛情とベッドでのテクニックは、娘たちにとって別の、中流の暮らしに登る唯一の階段だった。しかし、打算ぬきで正攻法で一途にザックを愛するポーラだったのだが。

前置きが長くなったが、ここで原題の「An Officer and a Gentleman」の意味をもう一度考えてみる。(以下、飯森盛良様のコラムを参照させていただき大変たすかりました。)
このタイトルは、本来軍隊の統一軍事裁判法の133条からの次の文章からの抜粋とのことです。
「Conduct unbecoming an officer and a gentleman」
ザックの身のこなし、表情や言動は、どう見てもちょっとしたチンピラと変わらない。鬼軍曹にとっては、この条文を遵守し、将校にふさわしくない人物を排除して卒業させないことも重要なミッションなのだ。本作は、ひとりの孤独な青年が、初めて愛を獲得するというのは甘い副作用で、アメリカ的な階級闘争でもある。氏、生まれ、人種、そして育ちも努力で超えられるのが、やはり1982年のアメリカ社会なのだ。
最後に、卒業式の後、晴れて少尉になった元訓練生たちが、自分たちよりも地位の低い軍人、すなわち下の階層に位置することになった鬼軍曹にお礼とともに1ドルを渡し、鬼軍曹が敬礼する場面には、意味を理解してこそ感動する傑作である。

監督:テイラー・ハックフォード

映画「小さいおうち」

2020-03-08 15:44:01 | Movie
吉岡秀隆さんが恋愛映画の相手役って、、、マジっすかっ?
確かに、彼が現代日本を代表する名優であることには全く異論はございませぬ。
しかし、しかしですよ、そうは言っても吉岡さんの名優の軌跡にうかぶ「北の国から」の純や「男はつらいよ」の満男。何となく優柔不断で頼りなくも情けない男子。いまひとつ、恋愛映画の男としての魅力に欠けてないか。しかも青年なのに、もう40代だよね。
そんなわけでいまひとつモチベーションにかけていた映画「小さいおうち」を鑑賞。
物語は、ひとりの老いた女性タキの葬儀と彼女の回想からはじまる。雪深い田舎から上京してきた布宮タキ(黒木華)は、郊外の赤い三角屋根の小さなおうちで女中として働くことになる。当時の中産階級では、自宅に住み込みの女中をおくのは一般的だった。主人は、玩具会社の役員の平井雅樹(片岡孝太郎)と妻の時子(松たか子)に息子の恭一。まだのどかで平和な日々だったが、昭和11年正月のこと。ひとりの新入社員の青年が、挨拶に赤い三角屋根のちいさなおうちを訪問する。商売ともうすぐ開幕する東京オリンピックに向けて勇ましい談笑が続く応接間の雰囲気から、ひとり浮いているその人は芸大出身のデザイナーの板倉正治(吉岡秀隆)。男たちの威勢の良い会話からぬけた板倉と時子は、指揮者ストコフスキーと彼が出演した映画「オーケストラの少女」で意気投合して心を通わせていくのだったが、戦争の軍靴の音ともに時世も変わっていき、やがて・・・。
しばらく恋愛映画にご無沙汰していた私の心を潤し、気が付けば遠く過ぎ去った想いに涙を流していたではないか。山田洋次監督の抜群のキャスティングに感嘆させられた。吉岡さんだけでなく、物語の登場人物の推測年齢よりはずっと年上の俳優ばかりがキャスティングされているのだが、違和感なく、それぞれがとても良い味を醸し出している。今時のテレビドラマとは別格の豊かな世界が映画にはある。女中タキの日々の丁寧な手仕事に平和であたたかい暮らしぶりを感じ、小さいおうちの、小さいながら、小さいからこそ、文化的で密やかながら情熱的な思いが、赤い三角屋根に象徴されている。
但し、この映画は万人向けではない。私にとっては、5つ★の映画なのだが、感性に合わない方には、本作の真価を理解できないかもしれない。

原作は未読だが、渡辺淳一さんの批評によると恋愛にはそれほど比重がないらしい。ただ、戦争がはじまり戦局の悪化とともに人々の心は変わっていく。いや、正確には変わっていく人が多勢で、なかにはお国の言うことに従うことが正義で他人に“正論”をふりかざし攻撃的になっていく人もいる。近頃の新型コロナウィルス騒動の世の中の風潮に、不図、この映画を製作した山田監督の反戦の思いに触れたような気がする。
果たしてサントリーホールでのコンサートまで中止にする必要があったのか、こんな時こそ文化や芸術が大事だと、けれども何となくそんなことを大きな声で言えない雰囲気を感じているのは私だけだろうか。
板倉の下宿先の階段を登る時子役の松たか子さんの、着物の裾からのぞく白い足に日本女性の色気を感じ、一瞬躊躇する彼女を自室に招きいれる板倉の腕がとても清潔で美しかった。誰が何と言っても、本作の重要な板垣役を演じられるのは、吉岡さんしかいないのである。顔よし!スタイルよし!、それで演技力抜群の若手俳優がめじろ押しの中で、この役を清潔感と存在感があり、こだわりの強い女子が入り込める“恋愛映画”にできるのは、やはり彼しかいないのである。

原作:「小さいおうち」中島京子著
監督:山田洋次
出演:松たか子 吉岡秀隆
2014年製作

『キャロル』

2016-09-25 16:59:24 | Movie
人類はいつから恋愛感情を知ったのか。
そんな素朴な疑問から、つい最近知ったのだが、変形菌に詳しい方によると、変形菌は雌雄が明確にわかれていないためにプラスとマイナスという表現を使うそうだが、プラスどうしでつながっていく同性愛のような行動をとる変形菌が必ず出現するとのこと。えっっ!あの単純な変形菌で、とかなり驚いたのだった。

1952年のニューヨーク。
クリスマスシーズンを迎えたハイクラスなデパートで働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、美しい女性に目を奪われる。ミンクのコートをはおった女性(ケイト・ブラシェット)、透明な肌に鮮やかな真紅の口紅、そして輝く金髪が映えるその人はキャロル。そのキャロルの娘へのクリスマスプレゼントとして鉄道の模型をすすめるテレーズは、写真家を夢見る平凡で貧しい娘。そんなテレーズの人生を変えたのは、キャロルが売り場に忘れていったまだぬくもりが残っているようなグレーの皮の手袋だった。。。

アメリカという国の代名詞は、いつの頃か「自由な国」というキャッチフレーズである。
しかし、1950年当時は同性愛者は、社会的に許されない存在だった。そんな社会で出会ったキャロルとテレーズ。一目でキャロルに心を奪われたテレーズが、その心の動きが初恋であり、又、忘れ物の手袋を自宅まで届ける情熱が、まぎれもない激しい恋なのだということすら気がついていない。しかし、社会に居場所を許されないふたりは、心を自ら葬るしかないのだろうか。

キャロルとテレーズ。すべてが対照的なふたりが、対極の軸となり物語が進行していく。それぞれの衣装や暮らしぶり、たたずまい、ふるまい、それらがお互いの魅力をひきたて美しく物語りはすすんでいく。しかも、車でふたりが逃避行のように南に向かって旅にでる場面は、まるでレトロな絵画のような美しさに少しずつ緊張感がはらんでいく。脚本、衣装、背景を含めてまぎれもなく名作であることを確信してくれる場面の数々は、『エデンの彼方に』を彷彿させて、同じ監督だったということを後で知った。そして何よりも主演を演じるケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの素晴らしい演技がいつまでも余韻を残す。


「やっぱり、ある一定の確率で同性愛者って現れるのよねぇ~。」
そう微笑んで彼女は、変形菌の観察を続ける。そして、キャロルとテレーズの最後の決断は、映画を観る私たちに、自分の人生を歩むことの大切さを思い出させてくれた。

原作:キャロル『(CAROL)』
監督:トッド・ヘインズ
出演:ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ
原作:パトリシア・ハイスミス

■こんなアーカイブも
・『ブルージャスミン』


『私の、息子』

2014-09-11 23:31:21 | Movie
中年のふたりの女性の会話が流れる。少しざらつき乾いた映像が、きれいに化粧をされたデジタル映像に慣れてしまった目には、ドキュメンタリーのようなリアル感をもたらす。

コルネリア(ルミニツァ・ゲオルギウ)は、いらだちながら一人息子バルブ(ボクダン・トゥミトラケ)が同棲している恋人の不満を口にする。お相手のカルメンは、離婚暦があるだけでなく、別れた夫との間には娘もいるという。
私の職場には、偶然なのだが一人息子のママたちが多い。彼女たちの一人息子にかける情熱を思い出しながら、一心に育てた大事な一人息子が美しく若いお嬢さまならともかく、こんな女に奪われてしまうのかっ。と、つい、コルネリアの嘆きもわかるような気がしてくるのだが、そんな背が低いが華やかで金髪の母親を否定するかのように、息子が選んだ恋人は彼女と正反対の表情に乏しく黒髪でやせてひょろりとした容姿というのも意味深い。

しかし、ふたりの会話を聞いていると、どうやら息子は30歳過ぎてもまだ経済力もなく、親が所有している別宅にカルメンと同居していて、彼女の娘のために勝手に部屋の改装まで計画しているようだ。少しずつ、干渉して愛情という鎖で息子を支配しようとする母と、そんな母親から逃れるべく反抗しながらも自立できない息子の普遍的な問題がうきあがってくる。そして、予想どおり、夫であり父親は、温厚なのだが妻のいいなりで存在感が薄いタイプ。

そこへ届いた一本の電話。息子が交通事故を起こし、はねてしまった少年は亡くなったという。

人は、ルーマニアというと何を連想するのだろうか。世界遺産があって薔薇が美しい国。私にとってのルーマニアは、大崎善生さんの小説「ドナウよ、静かに流れよ」やノーベル文学賞を受賞したヘルター・ミュラーの「狙われたキツネ」、そして映画『4ヶ月、3週と2日』や『汚れなき祈り』からの印象が描く世界である。一言で言って、暗く貧しく、いつまでも悲しい国。

コルネリアが住むのは、首都ブカレスト。下品なくらいに大きくゴージャスな装飾品をつけたスーツ姿から、自分の誕生パーティには人気オペラ歌手や政府高官に祝福されて洗練された素敵なドレスで踊るコルネリア。派手でチープなおばさんのイメージだったコルネリアが、セレブで趣味のよいインテリアの豪邸に住むハイソな芸術家に変貌した場面だった。またたくまに、私の思い込んでいたルーマニアで暮らす人のイメージは、彼女達が運転するアウディの車の疾走とともに消えていった。国が貧しくとも、特権階級は生き残り、経済格差は広がり一握りの財力も人脈ももつ裕福なルーマニア人の暮らしぶりが、映画では実に効果的に生き生きと描かれている。これみよがしの金持ちオーラ服も、むしろコルネリアの職業の舞台芸術家にふさわしいのだった。

ところで、母親としてのふるまいの是非や子育て論を、この映画から展開するのは見当違いであろう。映画の核は、邦題のタイトルである「私の、息子」ただそれだけである。育て方が間違っていようが、子離れできない母親であろうが、母親にとっては永遠に「私の、息子」なのである。先日、身内の者に頼まれて彼女の一人息子を連れてドイツに行ってきたばかりなのだが、中学生の彼のスーツケースを開けると、滞在日数ごとに着る服が清潔にきちんとセットされているのを見て、母親の愛情を感じたばかりだ。彼がメールをすると、日本が真夜中だろうが母親から速攻で返信がかえってきた。かくも深き、大事な一人息子への愛。と話題にしたいところだが、今後、彼が親離れして寂しくなっても、決して「だから、こどもは2人作るべきだ」とは、たとえ身内でも言ってはいけないことだ。

どこの国でもみかける母と息子という何度も繰り返されるテーマーも、ルーマニアを舞台にするとかくも深遠で見ごたえのある作品にしあがるのか。地味で渋いこんな作品に、ベルリン国際映画祭は金熊賞を授与した。

監督:カリン・ペーター・ネッツアー
2013年ルーマニア製作

『ブルージャスミン』

2014-06-08 16:58:59 | Movie
眼鏡をかけたスーツ姿のA×KAさんが逮捕された時は、おろろいた。某週刊誌の記事に掲載されていた薬物中毒疑惑は、たちまち確信にかわっていった。そもそも、今回の逮捕のきっかけは妻の通報によるという。どういう経緯があったのかわからないが、妻が夫を警察に通報したのは、いろいろな意味での覚悟の”救済”方法を模索した結果なのかもしれない。

一方、ジャスミン(ケイト・ブランシェット)が夫の悪事をFBIに通報して破滅させたのは、女好きで浮気から本気へと離婚をきりだしてきた夫への復讐心からだった。アメリカの妻は情け容赦ない。確かに、ジャスミンは、経済的にも夫がいなければ生きていけない女だった。彼女が大学時代に出会ってたちまち恋に落ち、あげくの果てに退学してまで結婚した夫ハル(アレック・ボールドウィン)は、まさに最高の理想の男。ハンサム、女に優しい、そしてスーパーリッチ。しかし、ハンサムでリッチな男は、多少肥えても女性からの誘惑が多いものである。そして、用心しなければいけないのは、サプライズのような演出をして妻に高価な宝飾品をプレゼントする気がきくマメな男は、他の女性にもマメであり浮気性であるケースがままあるということだ。

映画は、現在の破産したジャスミンが、サンフランシスコの貧しい妹宅に居候するところからはじまる。ヴィトンのふたつのトランクを運び入れる彼女は、シャネルのスーツにエルメスのケリーバック。落ちぶれてもセンスがよく上品でお金もちのオーラが残るジャスミンに、入れ墨を入れて下品な服装でスーパーに勤め、”愛”という言葉を勝ち誇るかのように簡単に口にするジンジャー。血はつながっていないが、過去と現在の姉と妹の姿から格差社会のアメリカの風景がみえてくる。女性が自立している国というイメージのアメリカだが、意外にも学歴も職歴もないが夫次第で貧しい生活から王侯貴族のような暮らしも夢でない。

ウッディ・アレンはアメリカという国、ニューヨークという都会を抜群に描いてきた監督だが、本作でも久々のアメリカをきりとった映画となっている。豪邸だけでなく、素敵な別荘まで所有するハルの職業が、実業家ではなく単なる詐欺まがいの虚業だったこと。うまい投資話という勧誘でつって富豪になれる国、優秀な頭脳をそんな怪しいスキームを構築することに使うブレーンがいて、又、安易に投資でもうけられると思う人々がいる国。莫大な寄付金でハーバード大学に息子を入学させる親がいる一方で、テレビとゲーム三昧にふけるジンジャーの息子たち。耐え難いくらい短気で粗野な妹の恋人。一方で、パーティ三昧でハイクラスな生活を送る友人たちの虚栄と無関心ぶり。彼らの身なり、言動、笑えるくらい悲しい今日的なアメリカとアメリカ人である。

そしてウッディ・アレンらしい痛烈な皮肉を感じたのは、大学を中退して一切連絡が途絶えていた血のつながらない息子ダニーにジャスミンがようやく再会した時に、「犯罪に手を染めた父親は嫌いだけれど、こんな目にあわせたあんたは絶対に許せない」と激しい憎しみの感情で拒絶されたことだ。そもそも、ダニーの素晴らしい裕福な生活は、すべて人々をだました父親の嘘の金融ビジネスのお金の上に成り立っていたのだ。彼を裏切ったのは、父親の悪事を通報した継母ではなく、父親ではないか。こんな展開に現代版の罪と罰を描いた映画『マッチポイント』を思い出していた。

ウッディ・アレンは女を描くのがうまい。夫の浮気に遅まきながら気がついて、精神が崩壊していく女性役を演じた ケイト・ブランシェットの演技は、さすがにいつもながらさえている。そう、彼女はハルがいなければ生きていけない女だったのだ。ジャスミンの上品なセンスも楽しみながら、映画の冒頭での飛行機の中でのシーンで、あの素晴らしい身なりにエコノミークラスは似合わないと感じたのだが、妹にファースト・クラスできたと嘘をついた彼女の危うさは、現代がもたらす病巣をも感じさせる。ちなみに、余談だが、高価なブランドものは、やはりそれだけの価値はある。

原題:Blue Jasmine
ウッディ・アレン監督
2013年アメリカ製作

■アーカイヴ
『マッチポイント』
『ハンナとその姉妹』
『タロットカード殺人事件』
『メリンダとメリンダ』
『インテリア』
・『ローマでアモーレ

『ヒステリア』

2014-01-21 22:27:25 | Movie
この映画の主人公は、もしかしたら実はオトナのオモチャ、、、あの電動バイ×レーターかもしれない。
思わず赤面しそうな「世界初!女性のための”大人のおもちゃ”誕生秘話!!」という文字が躍るチラシに、女子的には、正直、興味しんしんで誘われたのだが、近頃益々多忙の身の上ゆえに、すっかりみのがしていたではないか。レンタルビデオ店で偶然、新作コーナーで「ヒステリア」のDVDを発掘した時は嬉しかった。早速鑑賞したところ、最高におもしろく拍手喝采!脚本、キャスティング、音楽、衣装、すべてにおいてお茶目で、しかも可愛らしくセンスがよく、感動ものだ。(以下、内容にかなりふれてまする)

時は、1880年の英国。これは、あの保守的な英国が舞台でなければならない。
第二次産業革命が起こり、新しい時代が感じられる頃、女性の半分は、すぐに泣く、不感症、逆に異常な性欲などのヒステリー症状を抱えていた。(ちなみに、この時代のご婦人には、参政権もなければ、所有権もなく、父親や夫の支配下にいるのだから、私だって重症のヒステリーを起こしそうだ。)婦人科医の権威であるダリンプル医師は、特殊な”マッサージ療法”を考案して病院は繁盛していた。
そこへ迷い込んできたのが、医療の近代化をすすめるハンサムな青年医師グランヴィル(ヒュー・ダンシー)だった。

裕福なマダムたちは、あの”マッサージ療法”を施していただけるなら、断然じいさんセンセイよりも若くイケ面のグランヴィルとばかりに、次々とやってきて病院は大繁盛する。一方、活発な長女のシャーロット(マギー・ギレンホール)は、そんな治療方法で女性をなぐさめることに猛反対し、真に女性の解放をこころみて家を出て、養護院を運営している。

すっかり病院長に気に入られ、従順で可愛らしい次女(フェリシティ・ジョーンズ)を娶り跡継ぎに、とまで順風満帆だったグランヴィルなのだが、例のスペシャル・マッサージをやり過ぎて、とうとう腱鞘炎になりあっさり解雇されてしまう。失意のうちに友人の発明家(ルパート・エヴェレット)の家に居候しつつ考えたのが、電動マッサージ器の開発だったのだが。。。

少々あらすじを暴露してしまったが、この映画のおもしろさをどうやって伝えたらよいだろうか。
女性の自立、性の解放といった内容もからめてあるが、基本はあくまでもラブコメの王道だ。ちょっとエッチ系の場面も、舞台の英国らしく、あくまでも品よくお茶目にユーモラスに描いたところが、ポイント。全然美人ではないが魅力的なマギー・ギレンホールと、正統派英国紳士の医師役ヒュー・ダンシーのキャスティングもよかったが、次々と登場する上流階級の患者さまたちと、なんといっても”ぺろぺろ”という特技がご自慢の天真爛漫な女中が最高にはまり役で演出もしゃれている。主役の電動マッサージ器は勿論だが、小道具、衣装も本格的で最盛期を迎えたヴィクトリア王朝の雰囲気も堪能できる。演技もセリフもしゃれていて笑ってしまう。

ちょっときわどいかも、なんていう予想は大はずれ。楽しく、鑑賞後は、ほんのり幸福感で満たされるからカップルにもお薦め。
それから、最後の最後まで映画を観るべし。次々と登場してくる・・・・爆笑。あの日本製は、さぞ芸が細かく優秀だろう、なんて。
ところで、映画を観ている途中から気になったのが、監督の性別だが、やはり女性だった。男性がこういう映画を撮るのは、いろいろな意味で難しいかも。それにしても、電動マッサージ器が初めて特許をとった医療電気製品のひとつだったという事実から、女性をとりまく社会問題からラブコメまで瑞々しい1本の作品にまとめたターニャ・ウェクスラー監督。その才能にはおそれいった。


ヒステリア(原題) / Hysteria
ターニャ・ウェクスラー監督
イギリス/フランス/ドイツ/ルクセンブルク製作

『鑑定士と顔のない依頼人』

2013-12-23 15:08:19 | Movie
Muenchen中央駅からトラムで15分ほど行くと、映画「去年マリエンバートで」の舞台にもなった広大なニンフェンブルク城Schloß Nymphenburgがある。妖精の城にふさわしくシンメトリーな優雅な宮殿なのだが、中でも観光客の人気を集めているのが、美人画ギャラリーである。なんと、ルードヴィヒ1世が寵愛した美女36人もの肖像画が壁面一面に飾られている。それぞれに美しい女性たちにじっと見つめられるのは、男として何ものにもかえがたい至福の時間なのかもしれない。

さて、ご自慢の審美眼で美人画を収集したのはルードヴィヒ1世だけではない。天賦の鑑定目をもち美術品の鑑定士であるヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、端整で高級なスーツを完璧に着こなし、歯切れのよい美しい言葉で、今日も紳士淑女の集うオークション会場を鮮やかに支配している。美術業界では誰もがその手腕に敬服される彼だが、人を寄せ付けず愛するのは芸術品だけ。そんな彼は、密かに隠された部屋で美しい女性の肖像画をコレクションしていた。富を築き、瀟洒な邸宅に帰宅した彼を待っているのは、絵画の中の沈黙した女性たちだけ。彼女達に囲まれている時が、ヴァージルにとって最も幸福な時間だった。

ところが、1本の鑑定依頼の電話がヴァージルの運命の”歯車”を狂わせて行く。鑑定を依頼された屋敷で彼を待っていたのは、数々の骨董品と美術品。そして、その所有者である決して姿を見せようとしない依頼人クレア(シルヴィア・ホークス)だったのだが。。。

老いらくの恋。勤勉実直な孤独な老教師が、酒場の踊り子に恋をして人生を踏み外していく老いらくの恋を描いた名作『嘆きの天使』を、私は思い出した。美術品にしか興味がなかった孤独な老人が、生まれて初めて女性に興味をもち、とりこになっていく。まさしく、彼にとってすべての芸術品に勝るのが、クレアだった。しかし、そのミューズをこれまでのように所有したいという願いは、やがて、彼女を、そして自らを理解していこうという人間らしいめざめに変節していった。愛情の反対は、無関心と言ったのはマザー・テレサだった。髪の白髪を丁寧に染めて、すきなくスーツを着こなし、他者を拒絶するように手袋をはめていたヴァージルが、少しずつ滑稽さを交えて変わっていく。ネクタイの締め方、髪型、身のこなし方、表情・・・。ヴァージル役は、まさに名人芸のジェフリー・フラッシュのためにあるかのようにはまり役である。彼の演技が、作品の完成度を高めたと言っても過言ではないだろう。

又、もうひとつの主役は、やはり映画に登場する”美”である。
ヴァージルのクローゼットにずらりと等間隔で並ぶスーツは、どうやらアルマーニらしい。ジェフリー・ラッシュを見て、こんなに美しくネクタイを締めてスーツを着こなす紳士を見たことがない、と感嘆した。どうやら年齢がいくと、顔だちよりも品格がものをいうらしい。主人公の職業柄?、スーツ、手袋、室内装飾品、インテリアと、どのショットも芸術的である。最後のプラハでの場面でも息をのむような硬質の美しさがある。芸術的なミステリー映画のつもりで鑑賞したが、確かにこの映画は2つの顔を持つ。少なくとも入場前にリピーター割引のチラシをいただいた謎だけは、解けた。なるほど、鑑賞後にもう一度観たくなってしまう映画だった。

ところで、ニンフェンブルク城の美人画ギャラリーだが、36枚の絵の中で最も有名なのは、ルートヴィッヒ1世を退位に追い込んだローラ・モンテス嬢を描いた絵である。たとえどのように”歯車”を狂わせられても、愛を経験した者にとってはそれも本望であり間違いなく人生を生きたと言える。


原題:La migliore offerta(The Best Offer)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
2013年イタリア製作

『ハンア・アーレント』

2013-11-17 15:58:40 | Movie
なぜ、今アーレントなのか。

岩波ホールの階段で、次の上映を待つ長い行列に並びながら考えた。岩波映画なのに、いや岩波映画だからなのか、この大盛況ぶりはいったいなんなんだ。そもそも、いろいろな意味で難解なあのアーレントを主人公にして映画になるのか。しかも、私の周囲には世代の違いもあるかもしれないが、「ハンナ・アーレント」など誰も知らないからだ。

もっとも、私も比較的最近アーレントに出会ったので大きなことは言えないのだが、その時以来、彼女は自分にとって特別な人になってしまった。だから、商業主義映画には背を向けて、行列覚悟で「ハンナ・アーレント」なのだ。

アルゼンチンの暗い田舎道。ほこりをたてて一台のバスが止まったかと思うと、懐中電灯を片手にひとりの中年の男性が降りてきたらしい。すると、反対方向からやってきた貨物車から飛び降りた男たちが、あっというまにその男を拉致して走り去って行った。彼こそは、歴史にその名を残した”スペシャリスト”のアドルフ・アイヒマンその人である。

1932年ナチ親衛隊に入隊して、3年後にユダヤ人担当課に配属されるや、アイヒマンは指揮する立場として、実に効率よくユダヤ人を強制収容所に移送して有能さを発揮した。そんな男が裁かれる。イェルサレム裁判でのアイヒマンは、世界一セレブな男となった。

ニューヨークに住むドイツから亡命したユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)は「ザ・ニューヨーカー」に裁判を傍聴して記事を書きたいと伝える。自らも、パリに亡命したにも関わらず、フランスのギリュス強制収容所に連行されて脱出するという過去があるだけに、友人たちにも心配されるが、彼女の意志は固く、1961年イスラエルに飛ぶ。アイヒマン=”巨悪な怪物”という世界中の世論の想像のおしよせる渦の中で、裁判を傍聴するアーレントは考える。

「わたしにとって最も重要なことは理解すること」

彼女の理解力は、アイヒマンを巨悪な怪物ではなく職務に忠実で無自覚な平凡な役人ととらえた。しかし、「ザ・ニューヨーカー」に連載されたレポートは、全米で激しい論争を呼び、ユダヤ人だけでなく世界中から非難をあびることとなった。しかも、教授として勤務している大学から辞職を勧告され、イスラエル政府からも記事の出版停止の警告も受けるのだったが。。。

映画は、タイトルどおりにアーレントその人を映していく。
ヘビースモーカーだったのは知っていたが、次々と煙草に火をつけて考えているアーレント。こどもはいなかったが二番目の夫を喪ったとき、かなりやつれたというくらい愛情が深かったことを思い出させるアーレントの夫への会話やしぐさ。そして支援者や友人とのあたたかい交流。女性らしく、美しく、魅力的なアーレント。意外な印象にとまどううちに、そんな彼女を飾るエピソードのように、既婚者のハイデガーと恋愛関係におちる若く純粋な女学生のアーレントが映像にたたずむ。

何故、ここでこんな若かりし頃の情事をさりげないしおりのようにはさむのか。
しかし、練られた脚本を読むと、彼との恋愛が、アーレントその人自身をつくる基盤のひとつとなったことがわかる。ハイデガーは思考することで自分の存在を説いてきた哲学者だった。戦後再会したハイデガーは、アーレントが博士論文で「アウグスティヌスの愛の概念」を書いたことから、アウグスティヌスの「相手より先に愛すことほど、愛の世界へいざなう偉大な招待状はない」という言葉を武器に関係修復を誘う。嗚呼、アーレントは愛情に包まれた人だったのだ。

こういったアーレントは、後半、嵐のような誹謗中傷に負けず、思考を重ねて真実を語り、学生の前で圧巻の講義する、それもアーレントらしい彼女を見事にうきあがらせていく。。特別な人間ではない者すらも、状況により、思考することを放棄すればどんな”悪”にも手をかけるのか。やはり原題のタイトルどおりに、この映画は「ハンナ・アーレント」だ。

私が育ったときは、アイヒマンは悪魔などではなく、「悪の陳腐さ」という言葉とともに凡庸な人という見方がスタンダードだった。そのため、アーレントがこんな風に批判されていたなど全く知らなかった。アーレントは、私にとっては特別な人であるのも、おりにふれ、悩む時、私は彼女の次の言葉を思い出しては気をひきしめていたからなのだが、本作を観終わるとこの言葉の深層がうかびあがって心にきざまれてくる。

「わたしは自分自身について忠実でなければならない。わたしは、自分と折り合いがつかないようなこと、思い出したくないようなことを行ってはいけない。わたしがある事柄を行動できないのは、それを行うとわたし自身と共に生きていくことができない。」

彼女の信念は、アイヒマンの”悪の陳腐さ”と対極にある。何故、今アーレントなのか。それは、今でも「なぜアーレントが重要なのか」と同じである。

監督・脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ
原題:"Hannah Arendt"
2012年ドイツ・フランス・ルクセンブルク製作

■アーカイヴ
・「なぜアーレントが重要なのか」E・ヤング=ブルーエル著
映画「ハンナ・アーレント」が上映される
「われらはみな、アイヒマンの息子」ギュンター・アンダース著

『25年目の弦楽四重奏』

2013-07-11 22:47:18 | Movie
その卓抜したテクニックと優美な音楽性で世界最高峰の弦楽四重奏団として人々を魅了してきた「東京クヮルテット」Tokyo String Quartetが、今年7月で44年間の輝かしい活動に終止符をうつことになった。

きっかけは、第2ヴァイオリンの池田菊衛さんとヴィオラの磯村和英さんが身を引くことになったことからはじまった。第1ヴァイオリンのマーティン・ビーヴァー氏とチェロ奏者のクライヴ・グリーンスミス氏は、引き続き活動をするために、後任としてカルテットの名前に適した日本人もしくは日本のバックグラウンドをもつ演奏者たちを探していたそうだが、そこがカルテットの難しさで、卒業されるおふたりもアメリカ生活が長く純日本人とは感覚が少し違っていることもあり、そんなおふたりの空席をうめる人材発掘はそもそも至極困難で、最終的に潔く解散することになったそうだ。たったひとりがぬけても、音楽性が大きく変わるカルテット。至宝のようなカルテットの解散については、長年のファンとしてはとても寂しい限りだが、それもやむなしと思える。カルテットを長く続けるのは、なにかと大変なのだ。

さて、プレリュードが長くなったが、結成25周年を迎える「フーガ弦楽四重奏団」もチェロ奏者のピーター(クリストファー・ウォーケン)の突然の引退宣言から存亡の危機に陥る。完璧主義者で極限まで音楽を追求する第1ヴァイオリンのダニエル(マーク・イヴァニール)、色彩豊かに奏でる人間味ある第2ヴァイオリンのロバート(フィリップ・シーモア・ホフマン)、彼の妻でもあり、深みを与えるヴィオラ奏者のジュリエット(キャサリン・キーナー)、そして威厳と愛情で父親のような存在のピーター。素晴らしいカルテットを奏でてていた彼らは、ピーターの病に動揺し、それまで抑えていた不協和音が一気に鳴りはじまる。

嫉妬、疑い、ライバル意識、家庭問題、母と娘の関係。誰もがもっている感情、誰にもありそうで、誰もが体験するようなことが次々と喧騒曲となってアレグロで奏でられる。この四重奏曲は、実にスリリングだ!

ところで、驚いたのは脚本も監督のヤーロン・ジルバーマンが書いているのだが、ベートーベンの弦楽四重奏第14番にインスパイアされてこの作品を製作したことだ。なんと着想が豊かなのだろう。一般的にベートーベンの四重奏曲は、後期に入ると哲学的になると言われている。なかでも14番は、定番の4楽章構成ではなく7楽章から成り、しかもアタッカ(休みなく演奏)で演奏される。(評論家の吉田秀和さんも生前大好きな曲だと書いている。)楽章の切れ目で調弦をしないまま長く演奏を続けていくと、音程が狂っていく可能性がある。梅雨時の日本など特にそうだ。長い人生も、時々調弦しながら人間関係を軌道修正していった方がよいのではないだろうか、というのが監督からの投げかけだ。

映画を観ながら感じたのは、監督はカルテット事情を熟知していることだ。映画の監督業に学歴は関係ないが、ヤーロン・ジルバーマン監督がMITで物理学で学士号を取得していたことを知った時は、思わず心の中で、”Einsatz”とつぶやていてしまった。弓の毛を自分で張り替える独身の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンのキャラクターの違い、ヴィオラの役目やどっしりとしたチェロ奏者と楽器にあわせた実に適格な役回りとキャスティングだと思う。東京クヮルテットの第2を務める池田氏も厳しさのなかにも社交的であかるい印象の方である。NYという格好の舞台上でくりひろげられる知的な映画を最後まで存分に鑑賞できた。個人的にかなり好みの映画だ。

そして、「東京クヮルテット」が最後の演奏会に選んだ曲も、彼らのこだわりの「ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131」。単なる偶然ではない。この曲のもつ深遠さであろう。

原題:A Late Quartet
監督:ヤーロン・ジルバーマン
2012年米国製作

■アンコール劇場
「東京クヮルテットの室内楽」
「東京クヮルテットの室内楽vol.3」
「東京クヮルテット」リクエスト・プログラム発表
「東京クヮルテット」創立40周年記念コンサート
「東京クヮルテットの室内楽vol.6」

『ローマでアモーレ』

2013-06-18 22:27:56 | Movie
作家の塩野七生さんがはじめてヨーロッパに発ったのは、今から50年前のことだった。季節は10月のローマ。
一年間だけ、欧州を歴訪したら帰国してちゃんとお見合い結婚をするという両親との約束は、とうとう果たせなかった。初めてのローマに心を奪われてしまったからだ。

「ただ散歩しているだけでも驚くような街だ」

ここにもローマにすっかり心を奪われた男がいる。彼は、映画監督だったので、おかげで愉快で、ちょっとエッチな素敵な映画が仕上がった。その監督は、生粋のNYっ子で陽気なイタリア人とはタイプが異なるウッディ・アレン。
「映画を作っていなければ、家に引きこもってずっと自分の死について考えてしまうだろうからね」
そんな彼だから、こんな映画がつくれちゃうのだろうか。映画館の中で、声をだして何度も笑ってしまった。

カンピドリオ広場で偶然出会って恋におちたアメリカ娘のヘイリー(アリソン・ピル)とミケランジェロ(フラビオ・パレンティ)。彼らの婚約にかけつける元オペラ演出家の父ジェリー(ウッディ・アレン)と母親(ジュディ・デイビス)。そして、有名な建築家ジョン(アレック・ボールドウィン)に青年時代の分身の建築家の卵ジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)と彼が夢中になる女優志望の娘(エレン・ペイジ)。そうかと思えば、田舎からローマに新婚旅行でやってきたアントニオ(アレッサンドロ・チベ)とミリー(アレッサンドラ・マストロナルディ)夫妻とセクシー爆弾娘のコールガール(ペネロペ・クルス)。ある日、突然セレブになってしまった平凡な中年男(ロベルト・ベニーニ)。なんと、本物の世界的テノール歌手のファビオ・アルミリアートまで、ミケランジェロの父親役としてシャワーを浴びながら、その朗々たる歌声を聴かせてくれるではないか。

NHKの大河ドラマかN響の指揮者の贅沢なラインアップのように、ベテランから今が旬な新鮮俳優までが次々と魅力的に登場するキャスティング。これもアレンの監督としての吸引力なのだろうか。圧巻なのは、クラシック界のテノール歌手のファビオまでが、シャワーを片手に泡だらけの裸体をさらけだして大真面目に演じている?ことだ。舞台がドイツだったら無理では?、あのローマだから陽気に笑ってはじけたのかも。あのベルルスコーニが首相として統治していた陽気なお国柄だ。

しかし、一番の役者は、久々にスクリーンに現れたウッディ・アレンだろう。引退したちょっと情けないオペラの演出家という役どころも意味しんである。せっかくのシャワー・オペラの演出も批評家からは超激辛の非難をいただいたところには、映画監督の喜劇と悲劇がこもごもしのばれる。気がつけば、ジェリーだけでなく、ジャック、ジョン、セレブになってしまった平凡な中年男、彼らにはみなこれまでのアレン自身とその作品が投影されている。ユーモアを散りばめ肩の力を抜いた脱力系の映画にみせつつ、観客の笑いをとって、かろやかに、けれども人生をちらりとかいまみせる。まるで、映画もオペラのようだ。やはり、アレンは一流の監督だった。
どうしよう、猛烈にローマに行きたくなってしまった!

監督:ウッディ・アレン
原題:To Rome with Love
2012年アメリカ=イタリア=スペイン製作

■アンコール
『マッチポイント』
『インテリア』
『ハンナとその姉妹』
『タロットカード殺人事件』