千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

保護司はおじいちゃん

2005-05-31 23:10:18 | Nonsense
マスコミが飛びつきそうな先日の少女監禁事件、永遠の16歳を自認する?私としては、たとえちょっとでもGacktに似ているからといって、知らない男には絶対についていってはいけないと警鐘を鳴らされたようなものだ。ただ、良識ある一部新聞は、K容疑者が保護観察の対象者で、住居を移転していたのを保護司のFAX送信ミスで連絡が充分にとれていなかったということで、保護司の責任を問う報道もあった。

確かに個人情報保護法も施行されたことも含めて、このようなケースでは相手にFAXが届いたかどうかを確認する義務はある。けれども、保護司の負担を考えたらそこまで責めるのは、お気の毒というものだ。だいたいこのK容疑者の住所を把握し、面談を継続的に行っていたとしても、性犯罪の再犯比率、彼の性癖を考えると再犯防止できたのか、やはり今回の事件を起こした可能性は高いと思う。

そもそも保護司制度は、社会的な信望、時間的余裕と生活の安定が必要とされた専門家でない方達の”善意”で成り立っている。殺人罪、暴力団関係者というこのような御仁とはいっさい関わりたくないのが一般人の本音だろうが、彼らの更生を手助けするために、自宅で面談したり、被害者の方の墓参りも一緒にいったり、その仕事ぶりには頭がさがる。非常勤の国家公務員である保護司には対象者ひとりにつき、支給額は月5620円。高潔なやりがいと家族の理解、広いこころをもっていなければとても務まる仕事ではない。

けれども人間関係も希薄になり、社会情勢の変化に伴い後継者不足におちているという。現在4人にひとりが70歳以上のおじいちゃん。裕福でわがまま、自堕落な今回のK容疑者には、どのように対応したらよいのか、戦後の復興期を支えたこういう世代の方達とは隔世の感もあるだろう。
行方不明の保護観察中の執行猶予者は増加している。専門的な知識と仕事にみあった報酬で保護観察官を育てて増やす方向へ転換すべきなのかもしれない。

「保護司制度は宝のような存在」
野沢元法務大臣はそう称えるが、老いた善意におまかせする時代ではなくなった。

金融政策はアートか

2005-05-30 22:54:22 | Nonsense
「金融政策はアートだ」
そんな華麗なる発言をされる日銀の福井俊彦総裁の真意は、どこにあるのか。
海外でも優秀な総裁として評価の高い福井総裁の大いなる自負なのか。金融政策が、単に景気指標の数字だけで判断できるほど、単純ではないことは誰でも承知している。生き物のような予測のつきにくいマーケット、そこに関わる機関投資家や様々な個人投資家の心理や行動、そして政治や世界情勢までも加味して、微妙で絶妙な舵をとる船頭としての役割が総裁には求められる。

それとも余剰資金がだぶついているため、「日銀当座預金の残高」を一時的に目標の下限割れを認める決定をしたことへの言い訳だろうか。
この国の経済が、もはや重態に落ちていることは、無視できないところまできていると思う。まるで風邪から肺炎になってしまったこどものようだ。つよい薬と注射で体力の回復をうかがいながらなんとかもたせている。ほんのわずかな快復のきざしがみえはじめた2000年8月、当時の主治医である速見優(前総裁)氏は、少々ベッドから患者を起こすのをせいて投薬をひかえ、「ゼロ金利解除」を行ったが再び重態に陥り、政界、経済界からさんざんの批判を浴びた。ここまで患者を悪くした責任は誰にあるのかと、言いたいが。

だからバトンタッチした今度の主治医は、慎重だ。政界からのお目付け役までいるし。デフレから脱却し、自立できそうなのは来年との診断。たとえ世間から嫌われようが、その日まで芸術家で医師である福井総裁は、繊細なアートを懸命に描き続けるのであろう。

都響プロムナードコンサートNo.313

2005-05-29 22:20:17 | Classic
まるで東京ディズニーランドに来ているみたい。
本日、都響の定演でのアンコール曲であるコープランドの「ロデオ」より、ホームタウンを聴いている時の率直な感想だ。
楽しいとは思うが、このような曲は私が求める音楽ではない。
隣席の中年ご夫婦は、どうも招待券をいただいていらしたような気配で、終始いねむりをしていた奥様が挨拶に行こうと提案した夫を制して、(もう)いいでしょうという感じで、演奏が終了するととっととお帰りになった。けれどもそのような方達も充分楽しめる演奏会。

実績は勿論あり、年齢的にもベテランではあるがアフリカ系アメリカ人、ジェイムズ・デプリースト氏を常任指揮者に迎えた、このたびの都響の人事を少々意外な感をもって聞いたのは私だけだろうか。そして25日の「作曲家の肖像」ではバーバー、今日のコープランドと、おそらくデプリーストさんのお得意の直球で勝負にでた感のある就任お披露目プログラム構成と、都響の演奏に接して音楽をとりまく環境も考えた。

以前、ブログでもお伝えしたが都響は石原都知事によるあまりにもといえばあまりにもなリストラがあり、オケの存続のために団員たちは厳しい条件で演奏活動をしている。(東京都職員よりも低い待遇なのでは?)世界的にクラシック人口の減少化がすすみ、そのような寒々とした状況で音楽と社会との関わり、オケとしての存在価値を問われている今、聴衆を育てること、若い世代への教育、そしてオケとしての独自性をうちだす模索が感じられる。

海外から一流の指揮者を次々と招き、知識階級のセンスを満足させるようなプログラムで、多くの固定客をつかんでいるN響は別格だ。どこかの市町村ではないが、平成の大合併をした東京フィルのように、携帯電話の着メロまで売っている商売上手なオケもある。聴き易くなじみやすく、しかもわかりやすい!聴衆のツボをおさえた曲を並べ、矢崎彦太郎氏をシェフにむかえて、フランスのエッセンスをまぶしたおいしいプログラムを提供するシティフィルもある。
そんなせつない日本のオケの事情を充分にくみとり、今後のベクトルを感じさた今日の都響の演奏会だったともいえよう。

デブリートさんは、その出自からの想像と違って明晰にくっきりと音楽を表現するタイプではないような印象を受けた。新しい指揮者を迎え、前半としめをコープランドの曲でまとめたオケの意気込みと指揮者の音楽観が意気投合、とまではいっていなかったようなもどかしさもなきにしもあらずの感だ。今後、多くの演奏を通じ蜜月時代を築いていけるのか、都響ならではの音と個性でその存在をきらめかせることができるのか、ひとりのこよなくクラシック音楽を愛好する者としては祈りたい気分である。

---------プログラム-------指揮  ジェイムズ・デプリースト  ---------------------------------

コープランド 組曲「ビリー・ザ・キット」
コープランド クラリネット協奏曲

ドボルジャーク  交響曲第9番「新世界より」

アンコール
コープランド 「ロデオ」よりホーダウン

「轟きは夢をのせて」

2005-05-28 22:24:11 | Book
-「宇宙への志」と「宇宙教育」の流れが合流して一つの大河になったとき、宇宙は真の『未来への投資』となる

「轟きは夢をのせて」的川 泰宣著、他著書多数。
全く知らなかった。東京大学宇宙航空研究所、宇宙科学研究所を経て、宇宙航空研究開発機構(JAXA)執行役、同研究本部の対外協力室長で国内はもとより、海外出張を次々とこなし、年間200日も自分の布団でやすむことなく大活躍をされている的川氏のお仕事をこの本に出あうまで知らなかった。しかもご専門の宇宙関係だけでなく、青春時代情熱をかけたお得意芸?テニスに関する本もあり、出版されている著書は40冊を軽くこえる。

この本は、1999年に日本惑星協会の発足時から昨年末までのメールマガジンに書き綴られた週いちペースの日記をまとめたものである。そこには的川さんの若かりし頃(体重が60キロ)から、60代の今日(体重100キロ)まで情熱とエネルギーと酒量をそそいだ日本の宇宙開発の現場の声と夢が溢れている。

今年2月26日、無事に打ちあげられたときの鮮やかなオレンジ色に包まれたH2Aロケット7号機の勇姿?をご記憶の方も多いだろう。当日、友人たちとのランチの席でその話題に及んだ時、「日本での有人飛行はもうやめた方がよい」という意見を聞かされた。
本当にそうなのだろうか。莫大なお金がかかるから?私もこのような巨大なプロジェクトは多国間で競争するのでなく、開発力のある国の資金と頭脳を集約して共同で宇宙開発にしていくべきかもしれないという考えをもっていた。国際宇宙ステーションのような。

しかし、コトはそんなに簡単で単純ではない。何故日本でも独自に宇宙開発をしなければならないのか、黎明期から現在にいたるまでの宇宙開発にたずさわる人々の物語、こどもたちへの宇宙教育の提唱、失敗すればここぞとばかりに記事にするマスコミへやリーダーシップのとれない政府の苦言を含めて、笑いと人情に満ちた的川氏の体重と同じくらい重い思いを受け取った者は、きっと彼らとともに宇宙への夢を、小さくても共感できる喜びを感じるであろう。

未来を担うこどもたちの宇宙への興味と関心をのばしたい、その必要性を終始といていた的川さんは、今月相模原市に19日から開設された「宇宙教育センター」のセンター長に就任された。スーパーサイエンスハイスクールなどを対象に、授業計画の作成や教材提供し、合宿形式で小・中・高校生に独自プログラムを教える活動も実施する。

「こどもはロケットや星は大好き。センターを宇宙教育の中核に育て社会貢献したい」
現役をしりぞき、のんびりと趣味の生活を送る友人も多いなか、若かりし頃の夢をずっと変わらず追いかけ、そして実行する方でもある。

左手のピアニスト

2005-05-28 00:04:30 | Classic
ラベルの「左手のための協奏曲ニ長調」をサントリーホールで聴いたことがある。この曲は哲学者ウィトゲンシュタインのピアノを弾く兄Paul Wittgensteinが、第一次世界大戦のポーランドの戦場で負傷したために左手だけでオーケストラと共演する曲を、委嘱されたラベルが作曲したものである。
ピアノ協奏曲、それはどの楽器との共演よりも華やかで色彩と豊かな情景がある。ステージの中央でシャンデリアの輝きを吸い込む漆黒のピアノは、堂々たる風格もある。しかし左手だけで弾ける協奏曲は、ラベルらしい鮮やかさをもちながら、不思議な”寂しさ”を感じた記憶がある。その時の印象が、もしかしたら抒情性という表現がふさわしかったのかもしれないという考えにいたる番組が放映された。

以前も紹介したが、TBをしてくださった方から知った「奇跡のピアニスト」という番組が、関東圏でも放送された。
東京出身の館野泉さんという現在はフィンランドに住み、主に北欧音楽を中心に演奏活動しているピアニストがいる。そう”いる”のである。
館野さんは、2002年1月リサイタルのステージ上で、突然の脳溢血により倒れてしまい、その後遺症としてピアニストとして致命傷ともいうべき右半身不随が残った。懸命なリハビリも続けたが、ピアニストとしての右手の回復は困難で、友人ののんびりしたらというなぐさめも絶望の淵においやられる日々だった。
そんな館野さんに届けられたのが、ヴァイオリニストの息子ヤンネから贈られた「左手で弾く曲」の楽譜だった。そこには、かって想像もしたことがなかった左手だけれども、ピアノという楽器の魅力をひきだした豊かな音楽が鳴っていたのである。

実際テレビで館野さんの演奏を聴いたとき、とても左手だけで弾いているとは思えない自由で、広がりの感じる音に誰もが驚くだろう。館野さんは、左手だけだとむしろ音楽のカタチがよく見えてくるという。旋律と和声がひとつの手でつむぎだされるために、まとめて音楽を見渡せる。右手が自由なときは、日常生活では右手が主役のように感じるが、実は右手は左手に踊らされているに過ぎない。音楽の強迫は常に左からはじまる、つまり音楽のイニシアティブは左手が握っている。
こうして館野さんは、ピアニストとしての致命傷をおいながらも見事に復帰して演奏活動を再開しているのである。

「奇跡のピアニスト」番組のタイトルは善良な視聴者をひきつけそうな、もしくはキャッチなタイトルである。私はむしろ奇跡とは思わない。館野さんは、その笑顔から想像できるとおりに、北欧独特の雪の結晶のように美しく、また厳しい自然を彷彿させる音楽を長年演奏し、CDも100枚ほどリリースされてきた円熟期にはいった人気ピアニストである。(比較的最近、プロフィール写真が若いときのアイドル系の顔から現在の60代にいっきに飛んで驚かされたが)病気でたまたま右手の機能を失ったが、気力と素晴らしい曲に出あえればまだ充分に活躍できる方なのである。ピアノは両手で弾くものという概念をかえれば。
そこに求めらるのは、曲としての魅力と演奏家としての技量である。両手を使えるか否かは関係ない。

現在、左手のためのピアノ曲はなんと1000曲も存在している。
だから館野さんもこう語れるのである。
「そこで出会ったまったく新しい世界…まるで私は2人のピアニストの人生を生きているよう」

男の家事

2005-05-27 00:01:01 | Nonsense
夫の家事はゴミ出し・食後片付け…分担意識で男女差 (読売新聞) - goo ニュース

家事分担、これほど夫と妻、男女の思惑が一致しないカテゴリーはないであろう。

男の幸福とは、英国式の家に住み、アメリカ並の賃金で働き、中国人の料理人を雇い、日本女性を妻にすること。では男の不幸とは、日本の家に住み、中国レベルの賃金で働き、英国人のコックを雇い、アメリカ女性と結婚すること。そんなことわざがある。

かってのソ連では、共産主義社会だから当然専業主婦という地位は実質なかった。プラハに旅行に行ったとき、明治大学に留学経験もあり太宰治を研究しているチェコの女性が、現地のガイドを勤めてくれたことがある。ゆっくりだったら日本語での会話には不自由をしなかったので、彼女といろいろな話題を楽しんだが、ご両親の職業を尋ねたら「父は弁護士、母は専業主婦」と誇らしげに明確な回答がかえってきた。共産圏の女性は仕事もしつつ、夫は家事に非協力的なので結局多くの家事もこなしつつ大変であるという話を思い出した。

女性の自己実現、社会参加という側面でだけでなく、今の日本では家計の負担を夫ひとりがすべてを担うことに伴うリスクをさけるために、女性も働いて収入をえる必要性が益々増えてきた。けれども旧来の家事は女性が行うものという固定概念からなかなかぬけない。また家事の分担にせよ、ごみ出しは夫、料理は女性という性別による仕分けもあまり変化がない。
いや、仕事も忙しい、上司にはこきつかわれるという状況下で、男性軍はへろへろでめんどうなことから逃げまくっているのかもしれない。ちょっと妻や恋人に甘えているのかもしれない。なにしろいざとなったら女性は強い、少々の労働量ではへこたれない。その生命力のたくましさは、寿命が証明している。
栄養ドリンクのCMの影響ではないが、ごみだしなどの頭を使わない単純作業は男性、料理など工夫と創造も要求される高等な家事は主に女性。赤ちゃんのお世話も主に母。そんな日常生活の積み重ねで、女性は日々たくましく夫を牛耳るようになっていくのだろうか。

手あれがしたらハンドクリーム「桃の花」をぬればよい。いざ離婚されても困らないように、料理の基本はマスターすべし。おむつをかえるのも慣れておいたほうが、高齢社会で介護するときに役にたつ。掃除は「三葉虫」にお願いしてもよいけれど、お風呂洗いはちょうどよいカロリー消費量、呑み過ぎた酒をぬく運動になると思う。
妻への愛はなくともよい、家庭を築くという一大事業の共同パートナーとしての義務感だけあればよいのである。だから、もうちょっと家事をしようね。でないとゴミだしする前に、自分がゴミとともに追い出されてしまうかも・・・。


日系人強制収容の不当性を訴えた日系米国人

2005-05-24 23:40:52 | Nonsense
今日のY新聞の「追悼抄」に、不屈の闘士「フレッド・コレマツ」さんの訃報記事が掲載されていた。

1942年、当時のフランクリン・D・ルーズベルト大統領はわずかな手荷物のみを手にした12万人もの日系人を、有刺鉄線で囲まれた収容所に送った。米国市民権をもつ自分がなぜ収容所に行かなければならないのか、そんな素朴な疑問が、日系2世のフレッド・コレマツさんを整形手術まで施しての逃亡にかりたてた。しかし逮捕され、不当を訴えるも44年米最高裁は、これを却下し敗訴した。

その後のコレマツさんは、製図工として黙々と働いたが「前科者」として大企業や公職に就くことはかなわず、日系社会からの疎外感も味わった。こどもたちも高校の授業で習うまでコレマツ事件を知らなかった。それでも捲土重来を期したのは、82年強制収容所の根拠が日系人スパイ説だったが「スパイの恐れなし」との米軍の報告書が発見され、再審理の要求を決意する。翌年サンフランシスコ連邦地裁で40年ぶりに無罪を勝ち取った。

そして88年、彼の闘争は米政府の日系人への謝罪と補償、クリンントン大統領からは米市民最高の栄誉とされる「大統領自由勲章」に結びついた。フレッド・コレマツ氏は第2次世界大戦期のローザ・バークス(米国公民権運動の母)とも称される。

長い歳月を経て、無罪を勝ち取ったときは「よかった、よかった」と繰り返すだけで、呆然と法廷に立ち尽くすだけだったという。どのような思いが彼の胸を去来したのか、私には想像の域をでない。しかしこのような時代、状況において自分の信念を貫くことがどんなにか厳しく困難であったか。けれども彼の闘いは、米国の公民権運動のひとこまでもある。この大国は、このようにひとつひとつ過ちを認め、正し歩んできた国でもある。コレマツ氏が後世に残した足跡は大きい。

検察審査会辛口レポート11

2005-05-23 23:11:29 | Nonsense
最近ちょっと怒っているかもしれない。

日本銀行が政策委員会・政策決定会合で、引き続き当座預金残高の目標を「30~35兆円程度」に据え置く一方で、残高目標の下限を一時的に割り込むことを容認した。一度ついた傷の回復に何年かかるのだろうか。高級マンションかと間違えるような某銀行の社宅がここにもあそこにも。庶民や年金生活者は、低金利に泣いているというのに。

東京ディズニーリゾート運営会社「オリエンタルランド」が、右翼団体と関係の深い会社に清掃業務を委託していた。この会社はさらに下請けに業務を発注していたので、なにも働かず多大な資金を中間搾取していたのだ。TDLの入場料は高い。小市民の平均的家族4人が丸一日楽しむにはけっこうなお金がかかる。けれども納得のいくスタッフのパフォーマンスと内容にいつも幸せな満足感をえられる。それなのに入場料の一部が、別の軍資金に流用されていたなんて、ミッキーマウスも怒りたくなる。

そんな話の流れではないが、検察審査会に出席していて女性像を考えることがある。
日本人は、米国のようにディベートや人前で自分の意見を主張することに慣れてはいない。というよりも人との和、協調性を大事とする独特の美徳が支配する国である。それはそれで、戦後の高度成長をみんなで築き上げた成果もある。しかし、女性は特に自己主張や個人の見解を述べることよりも、”慎ましさ、控えめ”を古風な女性らしさとして喜ばれてきた。そのような旧世代の方達は、娘のときは親に従い、結婚しては夫に従い、よくいえば夫をたて家庭を支えてきた功労者でもある。夫になんでも相談し、大きな決断は夫に任せて責任をとってもらっていた可愛い妻でもある。
けれども、家庭から離れてひとりの社会人として、或いは国民として、思考し自らの考えのもとに決断しなければならない局面にたたされた時、自己の確立が弱いために深くほりさげて考えることができない場合もある。もちろんそうでない自立した目標となる旧世代の人口の方がずっと多いのだが。
家庭での指針が夫だとしたら、別の場ではなんとなくりっぱな意見を言えるもの、或いは好ましい印象のものの意見を充分に吟味して賛成することなしに、単に追随しているという安易な道にすすんでいるのではないか。

4年後の裁判員制度導入に向けて、ちょっと今日は辛口意見。

『スカーレット・レター』

2005-05-22 22:29:41 | Movie
晴天の陽射しを受け新しい白いセダンが、ヴェルディのオペラ「神よ、平和を与えたまえ」をボリュームいっぱいに鳴らして疾走していく。窓を全開にして、自信溢れる表情の刑事ギフン(ハン・ソッキュ)が軽く指揮をする左手の薬指には、従順で美しいチェリストの妻スヒョン(ソン・ヒョンア)と胎内に宿る二人の子ども、エリート刑事としての将来を約束された満ち足りた生活を象徴するかのように、ひときわ輝いている。
得意の絶頂のギフンだったが、携帯電話に事件の連絡が入り、殺人現場に向かわなければならなくなった。舌打ちし不機嫌な顔にも、課長という地位の男としての自信がのぞく。ハンドルをきりながら現場に車を走らせるところで、音楽は転調して悲劇的に変わっていく。
彼には、秘密にしておきたい愛人がいるのだ。彼女の名前は、カヒ(イ・ウンジュ)。ジャズシンガーでこのうえなく魅力的で、しかもギフンを情熱的にカラダもこころも愛してくれるのだ。

愛人カヒと妻のスヒョンは、なにもかも正反対だ。カヒはアイス・コーヒー、妻はトマトジュース。カヒはクラブでジャズ「Only When I Sleep」を歌い、妻はドレスアップして近代的な大ホールでショスタコービッチの「チェロ協奏曲」を弾く。カヒは感情のままにギフンにぶつかっていくが、妻は二人の情事に気づきながらも動揺をおさえて、静かに暮らす。
標準的な間取りだが、上品な趣味の家具をおき清潔でシンプルに整えられた部屋。ベッドにかかる羽毛布団のカバーはおろしたてで、まだ張りがある。このベッドでゆっくり眠ったら気持ちがよいだろう。もう一方の部屋は、個性的でモダン、屋上には小さなプールもあり、赤い電話機、いくつも吊り下げられたドレスや置かれた調度品がこの部屋の主の性格を語る。おしゃれで刺激的、生活を楽しめための部屋だ。
それでは、どちらの部屋を選ぶか。簡単に答えられるひとは意思が強いのかもしれない。私には、すぐに選択できない。どちらの部屋にも魅力を感じるから。

ギフンは、殺人事件の真相を解明していくうちに、被害者である写真館の太って醜い夫の、不思議な雰囲気をもつ美しい妻ギョンヒ(オム・ジウォン)に容疑をもち始める。
「刑事さんは、奥さんを怖いと思ったことはないですか」
そんな容疑者の問いかけに、少しずつ、妻と愛人との完璧だったはずの生活は軋んでいく。そしてカヒの誕生日に、二人はドライブにでかけるのだが。

主役を務めたハン・ソッキュは、「八月にクリスマス」「カル」で私を韓国映画に導いてくれた俳優でもある。男前でもなく、肉体派でもない俳優だが、どんな役を演じても、印象に残る不思議な存在感がある。彼は韓国ではめったにインタビューに応じず、マネージャーをつけず、自分でスケジュール管理、すべての映画の脚本が彼を通過するといわれるくらいのオファーから仕事を選んでいく。結婚をし、3人の子どもに恵まれ妻との関係は完璧と言い切るハン・ソッキュ。不倫に真実の愛はないとこの映画出演を決めたそんな彼には、ふたつの部屋の選択に迷うことはないのだろう。

ひとは弱く、脆い存在だ。そして愚かでもある。私はそう思うのだが。

愛人役を演じたイ・ウンジュが可憐で光っている。また楚々としたソン・ヒョンア、妖しい雰囲気をもつオム・ジウォン、いずれも適役。

「愛していれば許されるのか」
最後の問いかけは、食後酒のように闇へ誘う。


「望郷のバラード」天満敦子

2005-05-20 23:46:01 | Classic
久しぶりにヴァイオリニスト天満敦子さんのCD「望郷のバラード」を聴く。
クラシック音楽の曲としては、異例の”一世を風靡した”感のあるこの曲にまつわるある話を中野雄さんの解説を読んで思い出す。

1977年、冬のドイツを旅行中の外交官、岡田眞樹氏はひとりの亡命音楽家に巡り合った。
イアン・ヴェレシュと名のるルーマニア人のヴァイオリニストは、チャウシェスク政権に疎まれ西欧の逃れ、祖国を偲びルーマニアの曲を弾いていると語った。その8年後の晩秋、スイスで約束どおり二人が再会したとき、岡田氏はヴァイオリニストから1枚の楽譜を受け取った。
それは100年くらい前に書かれた<バラード>だった。「いつか見ることのかなわぬ祖国ルーマニアで、この曲を弾くのに相応しいヴァイオリニストが演奏してくれると嬉しい。」それがその後音信が途絶えてしまったイアンの最後のことばだった。

その彼の願いをかなえるために、岡田氏が白羽の矢をたてたのが当時30代半ばの天満敦子さんだった。
以前、偶然ある音楽ホールで天満さんを見かけたことがある。あまり手入れをしていない長いストレートの髪をゆらし、寛いでいる姿にすぐ天満さんとわかった。ステージ衣装で時々ドレスを着られるが、選んだというよりもとりあえずこれを着たという印象のする方どおりの風貌だった。そんなところにファンはつくものである。

天満さんの音楽の特徴は、その人間性がにじみ出ているのだろうか、スケールが大きいという評価が常につく。確かに比較的きちんと丁寧にまとめられた演奏家の多い日本人音楽家のなかでは、実にのびやかでおおらかな音を奏でる方である。音も大きいのだ。それは日本音楽コンクールで優勝したときのエピソードにも表れているが、私はなによりもその音楽の天真爛漫さが最も好きである。
このCDには、古典のヘンデルから近代に近い曲まで、おそらくご本人の好きな曲を”売れる計算”も”芸術性の追求”もなく、収録したような印象がある。だから全体としての統一感はない。けれども、1曲1曲、その曲によっては2分にも満たない時間は、思う存分天満さんがその音楽を、おそらくこどもの頃から心から楽しんでいる様子、音が伝わる。

なかでも秀逸なのがベートーヴェン「メヌエット」。
そして何回聴いても、きもちがあかるくなるゴセックの「ガボット」。ヴァイオリンという楽器を、こんなにも愛らしく弾いてしまうのが、やはり天満さんである。