千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「ホロコーストからガザへ」サラ・ロイ著

2010-02-28 16:20:05 | Book
結婚式のその日、花嫁モナの純白のウエディングドレスは、誇らかな喜びよりも憂いがかげる悲しみにひっそりとしている。そんな妹を見つめる姉のアマルも複雑な表情である。なぜなら、花嫁モナが一度“境界線”(現在の軍事境界線の意)を越えて花婿のいるシリア側へ行ってしまうと、二度と家族のもとへ帰れることができないからだ。エラン・リクリス監督による映画『シリアの花嫁』の舞台は、ゴラン高原のマジュダルシャムス村。イスラムの少数派とされるドゥルーズ派の結婚式を迎えた一家族のその日の物語だが、この村はもともとはシリア領であったが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されてしまった。この地域の多くの住人たちは“無国籍者”となり、現在も“境界線”の向こう側にいる家族との行き来さえもできない。映画では分断された彼らが「叫びの丘」と呼ばれる場所で、拡声器を使いながらシリアにいる家族と、近況報告をしたりわずかな”交流”をする場面が流れる。

家族にも会えない境界線。世界は未だに多くの対立と混沌を抱えている。そんなパレスチナにおけるもうひとつの紛争の種であるガザ地区の問題を扱ったのが本書のサラ・ロイ著「ホロコーストからガザへ」(副題:パレスチナの政治経済学)である。
パレスチナのガザ地区と呼ばれる地域(英語ではガザ・ストリップ)は、現在イスラエルの占領下におかれている。幅10キロメートル、長さ40キロメートルの細長い長方形のわずか約360 km2ほど(東京23区の6割)の地域に150万人の住民が生活しているが、約7割の人々はイスラエル領地域から住居を追われて避難してきたパレスチナ難民である。このような事情で、ガザが抵抗の拠点として不幸な歴史がつくられてきたのは事実である。作家のサラ・ロイのご両親は、ホロコーストから奇跡に近いような確率で生き残ったポーランド系ユダヤ人の移民で、彼女自身は1955年に米国で生まれた。そのような事情を背負ったユダヤ人というバックボーンをもちながら、尚且つホロコーストの苦難の体験を両親から受け止めながら、著者はイスラエルのパレスチナ占領を痛烈に批判する研究者である。本書を読んで、私としては”信頼のおける”研究者とも言いたい。

彼女の優れているところは、なんといっても1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意されたオスロ合意(「暫定自治政府原則の宣言」)の巧妙なパレスチナ側の戦略と欺瞞を見事に喝破している点にある。

1.イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
2.イスラエルが入植した地域から暫定的に撤退し5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。

この和平合意とも語らえる握手は、結局、パレスチナ自治政府の樹立後、イスラエルの都合のよい時だけあたかも巧妙にガザ地区が占領下には置かれていないかのように、相手を独立した主権として扱い、恩知らずのパレスチナ人が平和を望む小さなイスラエルを攻撃する犯罪者というイスラエルの脚本どおりにプロバガンダを推進してきた。ハマース政権によるイスラエルへの攻撃は、殆どイスラエルの軍事行動への応酬なのだが、イスラエル軍の攻撃の報道はされずに、民間人を含む多くの犠牲者を伴うハマース側の幹部暗殺事件も正当な一方的措置と軽視され、事実解明に国連ものりだしてきたのはつい最近のことである。著者は、この「オスロ合意」がイスラエルにとって都合よく何度も使われてきたと具体的に指摘していく。また、ブッシュ政権の置き土産として07年開催された中東和平国際会議で決まった80億ドルもの口封じの援助金には、対テロ政策の費用が含まれている。これによってハマースなどの反イスラエル分子をテロ対象者として、パレスチナ人がパレスチナ人による占領への抵抗を取り締まるシナリオができた。スポンサーは、国際社会で新聞などの報道を文字通りに読み流す我々である。観客のチケット代、すなわちパレスチナへの経済援助は、輸入品の多くがイスラエル製品であることから、確実にイスラエルの経済(だけを)を予定どおり底上げしている。

ロイ自身が、イスラエルで暮らしてきた時に見た光景やエピソードが本書でつつましく紹介されているのだが、なかでも幼い孫とろばを連れたパレスチナの老人を愚弄したイスラエル軍兵士の行為には、心底怒りを感じた。ユダヤ人である著者が「あの老いたパレスチナ人の身に起きたことは、その原理、意図、衝撃においてアウシュビッツでドイツ人によって受けたユダヤ人への扱いと同等である」と述べている。つまり人間性を剥奪することにおいては、かってユダヤ人に行ったドイツ兵と現在のイスラエル兵に違いはないということだ。過去の歴史を熟知しながらも、出自を超えて公平な視点でパレスチナの政治経済を研究する著者の意見に、今こそ耳を傾けるべきだろう。多くの人々に読まれるべき一冊である。
本書を読んで思い出したのが、評論家のパレスチナ人であるエドワード・W・サイードとイスラエルに移住したピアニストのダニエル・バレンボイムとの対談「音楽と社会」である。多くの示唆を含んだこの本もお勧めしたい。

イスラエル側の手続き変更により境界線でじっと待たされる『シリアの花嫁』。最後に彼女は、勇気ある一歩を踏み出すという楽観的な展開で映画は終わっている。古い家父長制度をめぐる夫婦間の争い、アラビア語とヘブライ語の混在、イスラエル社会に同化して進学していく若者、ロシア人の妻をもつ異文化への拡散など、日本にもありそうな多くの”境界”が描かれていて、地味ながら作品の評価が高いのは当然だろう。しかし、優れた映画の感動が本質をそらすことにならないようにするためにも、「ホロコーストからガザへ」は参考になる。

■こんなアーカイヴも
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」A・グゼリアン編
音楽と和平を考える
「なぜアーレントが重要なのか」
**************************************************************

【イスラエル軍、准将ら将校2人を処罰 ガザの人口密集地攻撃で】
2010年2月2日エルサレム(CNN)より
イスラエル軍が2008年末から09年1月に実施したパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃で、同軍は1日、人口密集地域への砲撃を許可したとして将校2人を処罰したと発表した。国連への報告書で明らかにした。

処罰されたのは准将と大佐の2人だが、処分の内容は不明。ガザ住民の生命を脅かす方法を命じたことは権限外の決定と処罰の理由を述べている。国連は、砲弾は国連パレスチナ難民救済事業機関の現地本部にも着弾したと主張している。同機関の敷地内には当時、600─700人の住民が避難していた。 国連は、砲撃には非人道兵器とされる白リン弾も使われたとしているが、イスラエル軍報道官は将校2人の処罰は白リン弾の使用とは無関係と地元紙に説明している。 ガザへの攻撃では、パレスチナ人約1400人、イスラエル人13人が死亡。国連人権理事会調査団は先に報告書を発表し、このガザ攻撃や同自治区を支配するイスラム強硬派ハマスによるイスラエルへのロケット弾攻撃も戦争犯罪に同等と結論付けていた。
イスラエルは、ガザでの作戦はハマスのロケット弾攻撃から国民を守るために必要で相応だったとし、国連人権理の報告書に反論していた。 10/2/2



「ローマで語る」塩野七生×アントニオ・シモーネ

2010-02-21 14:40:09 | Book
ある日のこと、新聞の片隅に掲載されている小さなカラー写真に私の目は釘付けになってしまった。
ミルクをたらしたようなこっくりとあたたかそうな栗色のコートに、淡いとても綺麗なラベンダーの皮の手袋をつけた女性。なんというエレガントな色の組み合わせだろうか!
完璧なイタリアン・マダムの貫禄のあるその女性は、作家の塩野七生さん。小柄な女性にも関わらず、男性軍、しかも御しがたい右翼で硬派の男どもを征服している唯一の日本女性である。古代ローマや中世のイタリア、地中海世界の歴史を語ったら右に出る者がなかなかいない作家が、今度は大好きで書物と同じ重きをおく映画をご子息と語った対談集が「ローマで語る」である。

ヴィスコンティ、キューブリック、フェリーニ、ゼフィレッリ、黒澤と塩野さんの趣味と評価は、まさに私の好みに重なる。こんなご母堂の傾向をご子息のアントニオさんは、「僕はいつも母の意見に耳を傾けます。でも大体が、美に対して敏感な、メンクイの女性の意見ですよ」との感想に、私は思わず笑ってしまった。
美しいものを役者から衣装、景色のすべてにスクリーンに求めてやまないのは、映画を愛する全女性の共通の期待ではないだろうか。かくいう私も、スクリーンで躍動する新人のイケ面のチェックは、彼らの肉体も含めて当然怠らない。余談だが、「かえるぴょこぴょこ」のかえるさんが映画『12人の怒れる男』の感想で、「1人くらい目の保養になるイケメン青年がいてもいいんじゃないかと」という建設的な意見を発見して、全く私も映画を観ている途中、同じような感想をもったことを思い出した。ニューヨークの貧民街で生まれ、こどもの頃は靴磨き、青年時代はサーカスの団員だったバート・ランカスターやフランスの孤児院育ちのアラン・ドロンが、ヴィスコンティの映画では見事に美しく品のある南イタリア貴族になりきっているから、私たち女性は上等なお酒をのんだ後のようにヴィスコンティ銘柄の美酒に酔えるのだ。しかも、何回でも。

このようなイケ面賛歌の女性たちと違って、アントニオさんのフィールドは実に広い。身近にもいたようなアニメとゴジラが大好きな少年が、そのまま映画産業に突入したようなアントニオさんは、アメリカのハリウッド映画からB級映画まで、製作者としての視点で変化球を塩野さんに投げる。『神々の崩壊』では、鉄鋼王の一族の若者たちが身にまとうナチの将校の服を単純に美的に決まっていると評価する。ナチのすべてを醜悪と決め付けるのは、僕らの世代ではもう納得しない。美しいものは美しい、ナチの将校服は、どの国のものよりも美的に優れているのは事実だから、それを認めたうえでナチズムと対決した方がよい、という映画産業で働く30代半ばのひとりのイタリア男性の意見には衝撃を受けた。言われてみれば、確かにそうだ。ヒットラーはともかく、アーリア人の軍服姿は美的には決まっている。逆にこんなタブーに近い一言を、そしてはっきり言ってしまうご子息に、やはりこの偉大なる母の息子だったとも感じる。人間にとって本当に危険な存在は、醜い悪魔よりも美しい悪魔であることは、キリスト教でも認められているそうだ。

また主演男優賞をとった映画『カポーティ』を、主人公のカポーティに他者を思いやる気持ちが感じられない利己主義者のために好きでないとするアントニオさんに、塩野さんは「作家は自分の作品をよくするためには悪魔にさえも魂を売る人種であることを知らないからで、観客の共感をよばない映画だからこそ観る価値があると伝えているのは、同感。苦味を知ってこそ人生も幅が広がる。

ところでアントニオさんは、今は失業中だが、『スパイダーマン』ではプロダクション・アシスタントという映画製作チームの最下位のお仕事に従事していた。別名”ジョーカー”と呼ばれる何でも屋でありながら、誰もがやりたくない仕事も押し付けられるのが、この肩書き。一方、『副王家の一族』ではプロデューサー・アシスタントを勤める。スポンサーとの交渉など人の嫌がる仕事を押しつけられるのも同じだが、プロダクション・アシスタントは映画製作のトップ会議では、部屋の外にいて誰も入れないように見張り、反対にプロデューサー・アシスタントは会議には出席しても発言を求められることはないので、ひたすらメモをとり、会議終了後に詳細で正確なレポートを提出するのが仕事。日本語で言えばどちらも”蚊帳の外”には変わらない。最初は延々と出てくるスタッフの中にも名前はのせてもらえない。フリーターであるアシスタントは、プロデューサーが書いてくれた証明書をもって次の職探し。そんなアシスタント残酷物語に、まるで解雇せざるえなくなった家政婦に渡す、人物と能力の保証書みたいという塩野さんの感想には、いい年をして無職になってしまった息子さんへの母親としての気遣いが感じられる。
なんたって、
「あなたはたぶん、いや確実に、多くの女を知るだろう。だけど母親は私一人ですからね」

こんなことを言っちゃう素敵なお母さんだが、本書の著者プロフィールで塩野さんがすでに70代の初老の女性と知った。田舎の女性が都会の大学に憧れて入学する感覚で、学習院大学を卒業してイタリアに留学した塩野さんは、かっての日本の若者たちに見られた行き当たりばったりの典型でそのままかの地に居ついてしまったそうだ。美意識の強い塩野さんにとって、イタリア男はさぞかし引きとめる魅力があったことだろう。読者としても塩野さんの旅がもっと長く続くことと、作品という別次元のこどもをこれからも残されることを願ってやまない。

東京クヮルテット創立40周年記念コンサート ~Journey~

2010-02-19 22:55:09 | Classic
室内楽は、食事の時や恋人たちの語らいの雰囲気を盛り上げるBGMでもなければ、哲学的に瞑想世界に入る難解な音楽でもない。
この感想は、誰よりも自分への手紙である。なんというアグレッシブな演奏なのか。さすが、東京クヮルテット。
2009年9月に結成40周年を迎えた東京クヮルテットが、「Journey旅」と題した3日間の公演を王子ホールで開催。その二日目の今夜は、聴衆と一緒に音楽をつくるというコンセプトのもと、業界初?のリクエストによるプログラムという企画ものの演奏会。
東京クヮルテットのメンバーの方々の予想では、ダントツ1位であの曲だったそうだ。あの曲?私はすぐにピンときた。それは、私が最も好きな曲、何度も何度も繰り返して東京クヮルテットのCDを聴いてきたあの曲だ。
「死と処女」
ところが、意外にも1位になったのは、ベートーヴェンの 「ラズモフスキー第3番」だった。結果、以下のプログラムになったのだが、実にバランスもよく堂々たるプログラムになった。素晴らしくも贅沢な時間だ。

ハイドン:弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 Op.76-3, Hob.III-77 「皇帝」
ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op.59-3 「ラズモフスキー第3番」

人気と実力を兼ね備えた不朽の名曲の中で、ヤナーチェク、武満徹、細川俊夫などの曲もなかなかの健闘ぶりで、日本の音楽界とそれを支える聴衆の成熟ぶりがこんあところでもうかがえる。今回、初めて知ったのだが、69年に結成、東洋人にクラシック音楽がわかるのかと言われたこの時代に、翌年出場したミュンヘン国際音楽コンクールでは、最終試験を待たに圧倒的な優勝を勝ち取ったそうだ。そんな成功による名声に安住することもなく、彼らは常に音楽を模索してきた。年長組の池田菊衛氏によると、当時はみんなが同じ方向を目指す音楽をつくると思っていたが、そうではなく近年はそれぞれの個性をぶつけ合うことによってより音楽が深まってきたそうだ。家族よりも長い時間を共有することもあり、そこで個性をぶつけあうことができるのも、お互いの信頼関係がなければ成立しない音楽だ。「旅」というタイトルからもわかるように、世界中を一緒に旅を続けてきたクヮルテット。

確かに貸与されている「パガニーニ・クヮルテット」のストラディバリウスセットの音も豊麗で輝かしい。しかし、丁寧に紡がれた音の流れが、せせらぎからやがて奔流にかわり、彼らのめざす音楽がはっきり感じ取れる。クラシック音楽をまだ敷居が高いとか高尚だと尻込みされる方には、一度「東京クワルテット」を体験していただきたい。映画『アバター』に負けないくらいの3D体験ができることは保障する。

------------- 2010年2月19日(金) 19:00開演 王子ホール  --------------------
<第2日> ~Transit 現在地~

ハイドン:弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 Op.76-3, Hob.III-77 「皇帝」
ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op.59-3 「ラズモフスキー第3番」

*アンコール
シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 「死と処女」 より 第3楽章
ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調 Op.10 より 第3楽章

マーティン・ビーヴァー(第1ヴァイオリン)
池田菊衛(第2ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
クライヴ・グリーンスミス(チェロ)

■こちらのブログもアンコール
東京クヮルテットの室内楽 Vol.3
東京クヮルテットの室内楽
「東京クヮルテット」リクエスト・プログラム発表

『バリー・リンドン』

2010-02-14 16:10:06 | Movie
185分の映画は長くて途中で退屈するか。
フェデリコ・フェリーニ監督などは、なんとその昔に前半をニューヨークで、後半をロンドンで観たそうだが、この映画の場合は185分もかかるのも納得する内容であり、また二回に分けて観る事にも充分耐えられる。監督は、あの鬼才スタンリー・キューブリック。

18世紀半ば、アイルランドの農民、レイモンド・バリー(ライアン・オニール)は、父亡き後、叔父の世話になりながら母とふたり暮らし。誘惑された初恋の従姉の婚約者相手の決闘事件で故郷を逃れ、ダビリンをめざすも途中追いはぎにあい無一文になる。食べるために英国の志願兵になる大陸に渡り7年戦争に参加するも、親友の死を見取り脱走を決意。旅を続けながら、バリーは社交界でいかさまをしながらも大活躍、ハンサムな顔を活用してとうとう病弱なチャールズ・リンドン卿の若い妻レディー・リンドン(マリサ・ベレンソン)の籠絡にもわずか6時間で成功する。「第1部 レイモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮しと称号をわがものとするに至ったか。」そして「第2部 バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々」では、究極の逆玉婚という手段で莫大な富みと財産を手にしたにも関わらず、彼の晩年は落ちぶれてホームレスとなり孤独のうちに死ぬ。いかにして、彼はなりあがり、落ちぶれていってのか。

ウィリアム・メークピース・サッカレーの18世紀後半のヨーロッパを舞台にしたひとりの青年のピカレスク小説を、映像で再現したキューブリック。
最近の映画を観てつくづく感嘆するのだが、どの映画も文句のつけようもなく本当に完成度が高くよくできている。きれいにうまくまとめていると言ってもよいだろうか。けれども、キューブリックの『バリー・リンドン』を観て感じるのは、完璧の一言なのだ。まったく完璧。それは、完璧なる185分なのである。その秘密を解き明かすヒントが、塩野七生さんとご子息の映画制作の助手経験のある(現在は不況のあおりで失業中とのこと)アントニオ・シモーネ氏との映画を語った「ローマを語る」の対談集に掲載されている。

昨年、ローマではキューブリックに関する展覧会が若者の間で静かなブームとなったそうだ。その展覧会に偶然足を運んだアントニオ氏は、キューブリックが自分の費用でカメラを買い求め、しかも彼独自のやり方で組み立てていたことに気がついた。しかも、レンズまでも。彼は、いかに熟練のレンズ職人が磨いてもわずかな欠陥を見のがさなかったそうだ。その会場に展示されていたレンズのひとつが、NASAで宇宙を写すのに使用していたレンズである。そんなすごいレンズを使用できたのも、カメラマン出身でカメラとレンズを知り尽くしたキューブリックだったから。それは、レイモンドがシュバリエ(パトリック・マギー)の忠実な部下となってくんだ貴族相手のいかさまのカード・ゲームの場面で、芸術作品としても鑑賞できる。ゆらめく蝋燭のあかりは、照らされた貴族の愚かさとそれゆえの美しさを表現し、大金を投じたギャンブルに身をまかせた胸中が響きよせ人間の本性を暴きながら、それにも関わらず一服の絵画のような芸術品となっている。彼の映画は、カメラで作られている。最高の写真を次々とつなげていったのがキューブリックの映画と絶賛するアントニオ氏の意見が、最もわかりやすいのも『バリー・リンドン』であろう。

衣装を担当したのは、イタリアが誇る女帝ミレーナ・カノネロ。前作の『時計じかけのオレンジ』でキューブリックの信頼をえたミレーナは、前作とは180度異なるコスチューム・プレイの大作でもオスカー賞を受賞する実力を見せ、完全に一本立ちをした。彼女も完璧主義者で、他人の意見など聞き入れない絶対君主。衣装とは合わないという理由で卓上の青い林檎を捨ててしまったという武勇伝も残る。すさまじい仕事人間だそうだが、映画の衣装を見れば才能と実力はこの分野で第一級のプロであることは証明されているから彼女だけは許されるのだろう。結婚をしたバリーと妻が馬車にゆられて別荘に行く場面の毛皮と宝石が飾られたドレスは、ゴージャスさの中の空虚な愛をうまく表現していると思う。尚、彼女はアントニオ氏が制作助手をされた『副王家の一族』でも衣装を担当している。何故、ギャラの安いイタリア映画に参加したのかという塩野さんの疑問は、カメラを理解している監督の作品は衣装が映えるから、自分の仕事を大切にしているという意味でもミレーナ氏も徹底した自己中心主義者だそうだ。そしてキューブリックの映画には、観客を心地よくするわかりやすさや、サービスはいっさいない。

「富める者も貧しい者も、美しい者も醜い者も今はもういない」
最後のナレーションも、キューブリックの本質が感じられる。それは遺作『アイズ・ワイド・シャット』の結末にもつながる。やはり、私も塩野母子にならい「キューブリックに脱帽!」

監督:スタンリー・キューブリック
1975年米国製作

ここまできたらカード依存ライフ・アメリカ

2010-02-13 22:24:35 | Nonsense
あなたは、カード派、それとも現金派?
支払い方に対するそれぞれのポリシーやお得な見返りの理由があるかもしれないが、成人した日本人の平均的なカードの保有枚数は3.2枚。日本クレジット協会による09年3月末のクレジットカード発行枚数は3億1783万枚だった。お買物でレジに並んでいる時、前のお客が広げる財布を見ていると実際は、もっと日本人はカードを持ち歩いているのではと思えるのだが。
カード社会の米国では、中底流層で保有しているのが平均10枚。ガソリンスタンドでの支払いからスタバでのカフェラテ一杯もクレジットカードで払える米国。便利なのか、むしろカードがないと不便なのか。ホテルや航空券の予約、レンタカーを利用するにも信用の履歴として提示を求められるカード。カードがなければ、担保として高額な保証金を求められるそうだ。そんなカード社会から、逆にカードに依存する国民を紹介しているジャーナリストの堤未果さんのレポートを読んだ。

カードの総負債額は、95兆円!実に日本の一般会計予算をはるかに超えている。一回払いの利息なしだったらOKだろうが、問題はリボ払いという要するに利息のつく月賦払いである。私がもっているカードも、どういうわけかボーナスシーズンの頃になると支払いをリボ払いにしませんか、という悪魔のささやきのようなおはがきが届くが、その手にはのりたくない。10~15%のサラ金並みのけっこうな金利がつくのである。車や住宅を購入するわけではない。ところが、米国では無収入な学生や主婦も簡単にカードを作れ、しかもミニマムペイシステムのおかげで毎月最低額を払えば残高を繰越できる。永遠に。。。

「毎月たった30ドルの支払いでOK!」
と言う宣伝につられて3200ドルのエクササイズマシンと2400ドルのソファーを購入した専業主婦マリー・ブルーム。支払いではない、正確には”返済”だと思うのだが、たった30ドルの返済金額にはなんと18%の金利がのせられている。そんなこんなで持っているマリーの持っているカードは12枚で負債は約2万ドル。彼女は、国民の3分の2の人々と同様に、負債は毎月繰り越せばよいと考えている。堤さんの元金が永遠に減らないのではと心配しても、金利の安いカードに借り替えるから大丈夫ととりあわないが、実は安いのは最初の数ヶ月で、その後には20%以上に跳ね上がり、一気に火達磨になるそうだ。それに、個人破産した人用に「個人破産者用クレジットカード」が存在する。破産しても心配ない。二年たてば住宅ローンも組めるし、過去の汚点もそのうち消えていく。個人破産の別名は「リフレッシュスタート」。それというのもカードが餓死しないための最後のセイフティネットの役割を果たしているという米国ならではの事情もある。

こんな状況にオバマ大統領はカード業界の規制強化法に署名したが、業界の圧力は強くローンの審査は益々ゆるくなっている。サブプライム・ローンの土壌を育んだきて米国らしい。クリスマス・シーズンでにぎわう米国の映画館では、こんなマリー向けにFRBが45秒のCMを流した。
<クレジットカード利用の4大原則>
支払い期日を守る、限度以上利用しない、不要な手数料を支払わない、請求書の額より多く返済を。
映画を観たマリーは、その足でクリスマスのお買物。購入したプレゼント用の品物の金額はしめて1850ドルだったそうだ。

■この人もカード依存症だった
映画『お買いもの中毒な私!』

『惑星ソラリス Солярис』

2010-02-12 21:18:49 | Movie
宇宙に漂う未知の惑星ソラリス。
観測・研究の結果、ソラリスを覆うプラズマ状の”海”全体が有機体であり高度な知的生命体であることが判明した。ところが、その”海”に接触を試みるもいずれも失敗。それどころか軌道上のソラリス・ステーションでは奇妙な現象や事件が発生して混乱状態に陥ってしまった。心理学者のクリス(ドナタス・バニオニス)に、ソラリス・ステーションに赴任して原因究明と解決の任務がくだる。
いよいよ明日は、ソラリスに旅立つ日。両親と美しい郊外に住むクリスを訪問したのは、その昔ソラリス観測隊に参加して行方不明になった同僚を捜索したパイロットのバートンだった。彼は、科学アカデミーでその時に体験した実に奇怪な現象を証言したビデオをみせることで、クリスとクリスの父に警告を与えた。バートンの奇妙な体験をアカデミーの科学者たちは、”幻覚”と結論付けたのだが、ただひとり「海がなにか働きかけたのでは」と意義をとなえたのがクリスの父だった。何か、心に鬱屈したものを抱えているらしいクリスには、バートンの不安も耳の届かず予定通りに旅たつ。すっかり荒れ果てて静寂が包むソラリス・ステーションで待っていたのは、友人でもある物理学者ギバリャンの謎の自殺と何やら秘密を抱えているらしいふたりの科学者だった。そして、当惑するクリスの前に現れたのが、10年前に亡くなった妻のハリー(ナタリヤ・ボンダルチュク)だったのだが。。。

原作は、ポーレンドのスタニスラフ・レムによるSF小説「ソラリスの陽のもとに」。いつもだったら、これから映画を鑑賞される方のために「ネタバレ注意」の注釈などの配慮をするのがブログを公開する際の流儀だが、ロシアに生まれた映像詩人アンドレイ・タルコフスキーの5作目の作品『惑星ソラリス』(1972年製作)は、そのような注意書きは不要だろう。というのも、ストーリーそのものがあまりにも有名で、原作の読書体験の有無に関わらず、内容と結末をおおかたの人はご存知だろう。だから、映画化にあたり原作者と映画監督の対立という事件があったそうだが、あらゆる意味で本作は一篇の優れた金字塔のような小説をベースにしてはいるが、完全にA・タルコフスキーによる彼が表現した「惑星ソラリス」の世界観にしかならない。映画の冒頭では、クリスが娘、初老の両親と暮らす山小屋風の家と小さな湖の景色が映される。翠色の湖面に映る誘うかのような草の流れ。このそよそよと流れるような水のせせらぎの音を映像で表現したタルコフスキーの抒情は、映画の最後の衝撃的な映像に見事に完結されるのだが、原作を読んでいても、結末を知っているからこそこの映画を観たいとずっと思っていた私ですら、やはり圧倒されて映画館の椅子で身じろぎもできなかった。

そうだった。この映画の存在を知ったのは、まだ高校生の頃だったか。やがて幸運にも『サクリファイス』を観るきっかけを得てその哲学的な難しさにおそれをなし、ビデオ時代に観た『僕の村は戦場だった』で詩情豊かな映像とテーマーに目を開かれて、完全にタルコフスキーという監督にひれ伏したところ、最近レンタルビデオ屋で発見したのが『ローラーとバイオリン』の中篇作品。でも、長年ずーーっと観ることを熱望していたのが、この『惑星ソラリス』。この映画をちゃんと観るまではあの世に行けない映画のひとつ。今回、渋谷のイメージフォーラムで開催されている「タルコフスキー映画祭2010」は、そんな私にとっては不況を忘れさせてくれる?僥倖だった。なんと言っても、知的生命体の”海”が、人間の深層意識にある記憶に侵食してきてそれを”幻想”化させるという現象には、ちょっと記憶に関心をもつ私としては絶対見のがせないものがあるぞ。ここで”幻想”と誤った言葉を使ったのだが、”あれ”が記憶を再現するのは物質の伴わない幻想と思い込んでいたのだが、幻想ではなく物体そのものだったことが映画を観てわかる。これは、もっとインパクトがある。妻のハリーの物体をだましてロケットにのせて打ち上げてサヨナラしたクリス。とてつもなく苦しい思いがおしよせるが、これでとりあえず彼女の存在を消えたと考えたのだが、部屋に戻ると待っていたのが、ふたりめのハリーだった。クリスは理解する。意識下の記憶が完全になくならない限り、傷を負っても命を失っても回復して何度も再生、複製されて蘇るハリー。愛する妻、ハリー。

ハリーは、今時の言葉で言えば、クール・ビューティ。かの仏サルコジ大統領の奥さん、カーラさんをはるかに上回る美人。しかも亡くなった時のまま、永遠にトシをとらない。食事を与えたり、衣装を買ったりする世話も必要のない経費ゼロの絶世の美人妻。そんな世の殿方の理想の妻と宇宙船のベットの中で怠惰に暮らすクリス。男として幸福の波に乗っていると思いきや、クリスは妻の姿を見るにつれ罪の意識にさいなまれて精神的に追い詰められ行く。地球上のハリーは、自殺していたのだった。だから、幻影よりも実在化したハリーの存在そのものに、夫は科学者としての倫理と個人的な愛情とのせめぎあいにゆれていく。そして、ハリーはクリスにとって狂おしいほどの愛情の対象でありながら、同時に彼の罪を告発する罰を与えるための物質でもあった。

本作は、SF映画でありながら、人の精神を扱った哲学的な作品である。現代の技術が表現しうるCGを駆使して、ジェット・コースターに乗っているようなリアル感を楽しむSF映画とは趣の異なる考える映画だった。バッハのオルガン曲 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』が奏でられ、他人のために自らの命を犠牲にする人物を描いた核の時代の黙示録のような遺作『サクリファイス』(1986年)にもつながるようなラスト。まるでメビウスの輪のような永久に解き放たれない迷宮に入り込んだような衝撃を受ける。人類を凌駕する知的生命体の”海”に征服されたほんのわずかなあの緑のオアシスは、地球そのものなのかもしれない。そして、あまりにも不確かな自らの存在。
水、鏡、美しい若かりし頃の母。丹念に推敲を重ねた完成度の高い映画は、当初165分を長く感じるのではという懸念もほんの数分で消えていく。近未来の道路として使われた当時の日本の高速道路の映像、繰り返し映されるピーテル・ブリューゲルの「雪景色の狩人たち」も含めてほんの1秒も気をゆるませてくれない無駄のない映像が続く。2002年に製作されたスティーブン・ソダバーグ監督による『ソラリス』(Solaris)も観ているのだが、その出来の違いは気の毒だがあきらか。(この監督の『セックスと嘘とビデオテープ』は傑作だけれどね。)

1932年に生まれて86年に亡命先のパリで客死するまでのアンドレイ・タルコフスキーの作品は、学生時代の秀作19分の『殺し屋』も含めてもわずかに9本だった。

監督:アンドレイ・タルコフスキー
1972年ソ連製作

■こんなアーカイヴも
『ローラーとバイオリン』

「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著

2010-02-11 11:30:43 | Book
今では、ご両親以上に人気作家になってしまった藤原正彦さん。
数学者が本業の藤原さんの著作の中で、私のイチオシの本は「国家の品格」ではなく断然「天才の栄光と挫折ー数学者列伝」である。ニュートン、関孝和、ガロワ、ハミルトン、コワレフスカヤ、ラマヌジャン、チューリング、ワイル、ワイルズ。選ばれし9人の数学者の輝かしい業績とひきかえにえた深い孤独と苦悩には、ぼんくらの我が頭脳でも理解できる数学という学問の魅力と人として共感できる悲しみがある。そして、もし藤原さんがこの列伝に10人めの数学者を迎えるとしたら、グリーシャ・ペレルマン。今世紀最高の天才数学者と言われたペレルマン以外の人物はいないだろう。

米国の実業家が設立したクレイ数学研究所では、00年5月に新しい千年紀を象徴する「21世紀を象徴する難問7題」(通称、「ミレニアム問題」)を発表して100万ドルの賞金をかけた。その中のひとつ、今世紀の解決は無理と言われていた*)ポアンカレ予想の証明が、02年にインターネット上でアップされた。当然、数学会の活況は想像されるが、この時は一般のマスコミまで高い関心をよせた。だが、世紀の難問を解いた天才は、フィールズ賞を拒否、研究所も辞職して、数学界だけでなく世間からも連絡をたち、森の中に消えていった。それが、旧ソ連に1966年に生まれた、ユダヤ系ロシア人のグリーシャ・ペレルマン(Grigory Yakovlevich Perelman)である。「天才の栄光と挫折」が、同じ数学者の藤原さんだからこそ書きえた優れた作品だったのと同様に、ペレルマンの評伝「完全なる証明 100万ドルを拒否した男」も、同時代にソ連で彼と同じように数学のエリート教育を受けたユダヤ人(ちなみに著者は女性)というバックグランドが書かせた本書も、文句なしの傑作評伝ノンフィクション。

世紀の発表が、何故、学会や学術誌ではなくインターネット上だったのか。私自身のペレルマン探索の出発点はこれかもしれない。そして、何故、ミレニアム問題に100万ドルもの高額の賞金を。賞金を拒否した事実よりも、学問の中で最も美しく、エレガントで芸術に近い数学に高額な賞金をかけられることに興味がひかれた。私の素朴な疑問と好奇心は、なかなかペレルマン解析経路としては悪くなかったと思うが、本書を読み進めるうちに、ペレルマンその人だけでなく、旧ソ連の数学の文化、エリート数学専門学校の歴史、あのスターリン体制の粛清時代に奇跡的に翻弄された過去の数学者たちのきわめて魅力的な物語に私は夢中になった。

旧ソ連の中等教育制度は、画一性にこそあった。わずかな差異すらも均し、若者たちを均質にしようとする全体主義体制。そしてアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ローラとバイオリン』に見られるようなプロレタリアート賛歌。ところが皮肉にも、戦争がソ連の首脳部に物理学者と数学者の頭脳だけは、国家に必要な存在だと認識させる。今年も冬季オリンピックが開催されるが、旧ソ連時代の選手たちが国家の威信をかけて小さい頃からその才能を見出されて英才教育を受けてきたのと同様に、数学の天才予備軍のこどもたちも数学クラブに、やがてはレニングラード第239学校に集められた。国家の思惑とは別に、イデオロギーに従属せざるをえなかった科学も、このクラブや学校ではスポーツと芸術に時間を充実させ、論理的な思考力、公正に真実と対峙するセンスが必要な数学者の卵たち、著者のいう”黒い羊”たちにとっては、絶好の避難所にもなったことは想像がつく。数学クラブで天才と狂気の守護神になったセルゲイ・ルクシンに導かれて16歳で国際数学オリンピックで優勝、高校ではヴァレリー・リジクに大切に世話をされ、レニングラード大学ではヴィクトール・ザルガラーが能力を育て環境を整え、後に出会った数学者たちユーリ・グラコやミハイル・グロモフによって世界のひのき舞台にたつまでになった。こんな時代のこんな国で、しかもユダヤ人にも関わらず、よき指導者、よき数学者に出会ったのも運がよかったからか、いや、天才は天才を知るで、ペレルマンのとてつもない才能が自分を引き上げる人脈を引き寄せたのだろう。そしてアンラッキーな時代に生まれた人々の中で、ペレルマンのような奇跡に近い天才は、むしろこんな国がもたらしたエリート教育はラッキーだった。

一般的に人の行動を駆り立てるものは、野心、競争心、専門家としてのプライドであり、数学の利益貢献などを目標にしない心の理論が必要だと著者は言う。ペレルマンは、そのような理論をもちあわせていなかった。ソ連の崩壊に伴い、新天地を米国、カルフォルニア大学に求めたが、そこでも数学者たちが息をのむような美しいやり方で「ソウル定理」の証明をした。変わり者と評判だった彼も、運転免許書とクレジットカードも所有した。この頃が、ペレルマンのひとりの青年として人生がもっともあかるかった頃ではないだろうか。何かを発見する科学者にとって、既成の事実にとらわれない感性が必要だと私には思われる。ところが、この柔軟な思考は、一歩間違えれば日常生活の学習で身につく生活力などの”現実”を習得できないことになる。ルクシンの世話もなくなった今、ペレルマンは髪や髭が伸び放題で毎日同じ好物の黒パンを食べ、次の難問に取り組んだいった。彼にとって数学の真理は、ゆるぎない絶対的なものだった。その道をたどれる者だけが進む、孤独な道程だった。

ペレルマンよりも独創的な持ち主や、ひらめき型の数学者はいる。こういったタイプの数学者は発見による予想をたてるが、ペレルマンはその予想を証明する数学者のタイプ。シンプルで定式化された問題を解答するには、複雑きわまるプロセスが必要でその全貌を把握できる知の体力がなければならない。数学クラブでの運動も役にたったのか、ペレルマンの頭脳の耐久力が、ポアンカレ予想を征服した。しかし、その体力を養った頭脳も、あまりにも矛盾に満ちた社会や複雑な人間生活とおりあっていくことができなかったのだろうか。クレイ家の思い描く数学の勝利と栄光のおとぎ話を拒否し、数学そのものから立ち去って行こうとしている。

著者のマーシャ・ガッセンは、67年生まれ。11歳の時、数学教師がふたりの男性をがらんとした日曜日の教室に連れてきて、「ご検討に値するのはこのふたりです」と伝えた。
「私はかすかに胸が高鳴るのを感じた。」はじめて希望を感じた数学者になることを夢見た少女は、数学専門学校に進学してわずかな自由をえたにも関わらず、大学進学をまたずに81年に一家で米国に移住した。

 *)ポアンカレ予想〉:フランスの数学者、哲学者であるアンリ・ポアンカレ(1854~1912)が1904年に出した幾何学に関する予想。図形の、連続的な変形によって不変な性質を研究する幾何学の分野をトポロジーという。多様体が主な研究対象。多様体上に縄をかけ、その両端を持っていつでも縄を手繰り寄せられるとき、その多様体は単連結であるという。1904年、ポアンカレ(H.Poincar(e))は「単連結な3次元閉多様体は連続変形によって3次元球面になる」と予想した。

■こんなアーカイヴも
「心は孤独な数学者」藤原正彦著
「心は孤独な数学者」続
「世にも美しい数学入門」藤原正彦著
映画『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ著

「アメリカの小さな町」トニー・パーカー著

2010-02-09 23:00:10 | Book
今から50年ほど前、カンザス州ホルコムの農場で起こった事件は、ひとりの作家の名声を不動のものにしたが、結局は、彼の人生すらも翻弄したのだろうか。映画『カポーティ』では、トルーマン・カポーティその人をよく描いた傑作だったが、その原作「冷血」の舞台となったカンザス州、人口わずか2000人の小さな町バードの住民100人に、トニー・パーカーがインタビューしたのが本書である。私が住んでいる町には、町会活動に忙しい我が家の爺さん情報によると、約13000人の人生とおおかた3500世帯ほどの暮らしがあるそうだ。
そんなに人が住んでいるのーーっ!
梨畑が消えて分譲住宅地になり、林が伐採されてここも分譲住宅地か、麦畑もいつのまにか分譲住宅地。
幸運にもたいした事件など何一つないロックスターや貴族もいない平凡な町の中に、多くの人生が息づいている。こんな住民にインタビューしたら、どんな感じだろうか。もっともインタビューアーの相手が私だったら、開襟を開いてという訳にはいかないだろうが、通りすがりの英国人であり、稀代の名インタビューアーのトニー・パーカーを前にしてこのバートの市民たち、教師、酒屋、画家、郵便局長、高校生、葬儀屋、石油長者、ウェートレス、無職、障碍者、町のならず者まで、100人の人々が語る語る。

バードという町、配偶者、元配偶者、前々配偶者、そして自分自身と自分の人生を。

ここにあるのは、確かなアメリカのコミュニティ。誰もがお互いに顔と名前を知っている窮屈さもありながら、犯罪もなく安心しておおらかな気持ちで暮らせる町。最近、住民が心配したことと言えば、昨年女子高校生が3人とも妊娠して出産したことだ。一昔前の日本の農村地帯と同じような気さくさとおおらかさがある。それにしても、「ロシアの声」でも感じたのだが、誰もが率直に本音を語っている。よいことも悪いことも。彼らの多くは早婚で、お決まりかのようなバツイチ、中にはバツ2の人も。女性の側から言えば、恋をして一緒に暮らし、こどももできたが、男は別の女性を見つけて去っていった、ということになる。日本人からすれば、あまりにも無責任で不誠実に写る男たちなのだが、彼女たちは淡々としたものである。これも米国流なのか。そんな日常の嵐も、この小さな町では流れる川の小さな渦ぐらいにも見えてくる。
巻末の付録に鶴見俊輔と長田弘両氏の対談があるのだが、アメリカ人はアメリカという国家が生まれる前からいる、最初に国ありきではなく、人生ありきが日本との違いと語っている。

そんな愛がなくなればキリンとサントりーのように早々に破談する彼らだが、その思想は意外と保守的でもある。女子高校生妊娠も一歩間違えれば、町を揺るがす大事件になりそうでもあった。そんなことどもも、そっと耳を傾けると、日常の堆積にも、ありふれた暮らしにも、比類のない個性があり、人生の喜びと悲しみもある。トニー・パーカーは、ここでも人間の心を映す鏡の役割に徹し、多くの人々が交錯する群像劇を見ているような著作である。

■アーカイヴ
「ロシアの声」
「殺人者たちの午後」
「アメリカン・コミュニティ」渡辺靖著

今時のモスクワっ子住宅事情

2010-02-06 11:49:22 | Nonsense
「毎朝8時、週に6日、同じ制服を着た少年少女は、ソビエト連邦全域で、同じ間取りの家を出て同じ形をした学校に向かった。8時半になるとソ連全土にある同じ作りの教室で生徒たちは席につく。」

数学の難問の「ポアンカレ予想」を証明した天才数学者グリゴーリー・ペレルマンの評伝「完全なる証明」を書いたマーシャ・ガッセンは、ペレルマンと同時代に旧ソ連で数学のエリート教育を受けた。その「完全なる証明」から抜粋した上記の文章は、著者が選抜されてエリート校に転入する前の一般的なこどもたちの登校の様子である。当時のモスクワ郊外には、灰色のコンクリートでできた全く同じ形をした9階建ての住宅群があり、その全く同じ建物の中の、全く同じ間取りのアパートにこどもたちは暮らしていた。40代に入ったばかりの著者の年齢から推測すると、30年ほど前の旧ソ連の無機質で寒々とした住宅事情が目にうかぶようだ。

やがてソ連はミハイル・ゴルバチョフを指導者に迎えてペレストロイカの波にのりロシア連邦と変わり、その頃の住宅事情はトニー・パーカーの「ロシアの声」を読むと多少伺えるものがある。結婚しても住む家がなくて親戚のアパートの間借りする新婚さんもいたり、またアパート建設作業に毎日数時間従事することで、完成後には優先的に入居する権利をえる予定の看護師さんもいた。アパートは所有するものではなく、国から支給されるものだった。それでは、現在のモスクワの住宅事情は。読売新聞の「世界の家」シリーズに、モスクワから郊外へ22キロ、不動産デベロッパーのアレクサンドルさん(52)の自宅が紹介されていた。

地下1階、地上2階、約600平方メートルのりっぱな家は、土地代こみで約100万ドル(9000万円)。アレクサンドルさんのこだわりで1階はイタリアの建築様式をとりいれて床にはイタリア風モザイクを敷いて明るく洗練されている。一方、2階部分は田舎生まれのルーツを忘れないために太い木材を組んだ山小屋風にしてスキーリゾート地に来たような雰囲気でペチカもある。サウナもあれば、室内に卓球台もあり、地下にはワインセラー。車は二台とも日本製のレクサス!とグランディス。豹柄のブラウスを着たちょい派手めの二番目の妻の隣で微笑むアレクサンドルさんは、45という数字のロゴが入ったTシャツにGパンとまるで大昔のアメカジ・ルック。勿論、収入は多い。
月収約90万円+モスクワに所有するアパートの家賃収入が約22万円。家賃収入に、旧ソ連時代とは隔世の感がある。支出部門では、食費9万円に光熱費9万円とさほど日本と隔たりはなさそうだが、11歳と9歳のこどもふたりの教育費が36万円。小学生に、何故そんなにお金がかかるのか・・・、と思ったら家政婦さんふたり分の給与はたったの18万円。家政婦ひとりの賃金よりも二倍もかける教育費か。伝統的に田舎暮らしを好むロシア人にとって、財をなして郊外の自然の中に一軒家を構えるのは成功の証だそうだが、暮らし方も米国流と感じたのが、この自宅がアレクサンドルさんが共同経営する会社が開発した湖のほとりにある高級住宅地「緑の村」にあることだ。村には、学校、ロシアでもテニス場、そしてロシアらしくスケート場、スポーツセンターにおまけにヨットハーバーまで備わっている。クリーム色のとてもおしゃれでりっぱな「緑の岬」への門には、ちゃんと警備員が常駐して”関係者以外入れない”。

こんな成功者アレクサンドルさんの成功の秘訣は。
「完全なる証明」によると、1931年、モスクワ大学で数学会の長であり20世紀初頭のロシア数学の泰斗だったドミトリー・エゴロフが追放されたと記されている。理由は、信仰の篤かったエゴロフが、プロバガンダに不都合な人物だったために宗教的セクト主義者として逮捕する必要があったからだ。ソ連のイデオロギーと相容れない遺伝子学などの多くの研究がいっせいに潰されたのもこの国らしい。かってソビエトの科学は国家に奉仕するために、そして偉大なる指導者スターリンに奉仕するために存在した。アレクサンドルさんもその中のひとりで、国家に奉仕するためのソ連海軍の研究所に勤務する物理研究者だった。ところがソ連崩壊で給与は激減。食事にも困る窮乏状態の時は、同時に不動産の個人所有を認められたばかりの不動産業がなりたちはじめたばかり。代行の手数料が1件で5000ドル。5000ドルは彼の給料10年分で即決したのが、今日の成功への第一歩だった。

~美の巨人たち~熊谷守一「雨滴」

2010-02-03 22:30:33 | Art
今日はとても寒い一日だった。
立春を過ぎても厳しい日々が続くが、ネオヤナギの冬芽を見かけると自然は春の準備をはじめていることに気がつく。一粒一粒の小さな紅い芽は、青い澄んだ冬の空に向かってきりっとした表情だ。よく見ると、同じような色、同じような形の冬芽は、同じようであって当たり前だが実はどれひとつ同じものはない。1分眺め、5分見つめ、1時間観察したらそれぞれの冬芽はどういう表情で、どんな風におしゃべりをはじめるのだろうか。見ること、じっと観察すること、感じることがひろい宇宙を感じさせられるということを教えられたのが、美の巨人たちの一枚の絵、熊谷守一の1961年作「雨滴」だった。テーマーは「見る」こと。

明治13年、熊谷守一は岐阜県の片田舎で生まれた。小学生の時は、肝心の授業よりも窓から一枚一枚落葉する葉を観察することに熱中するこどもだった。画家となって見ることにこだわった守一らしいエピソードだ。先日亡くなった動物行動学者の日高敏隆氏は、小学生時代に軍事訓練になじめず毎日蝶を追いかけては教官から死ねとまで言われて自殺まで考えたが、理解ある担任の教師の熱心の親へ説得で昆虫学者への道をすすむことができた。守一は、市長の息子として学校では優遇されたが、画家への志は商人にしたいという両親の反対にあう。それでも上京して、東京美術学校に進学する。

ネコヤナギの冬芽ではないが、早くから守一の才能の芽は周囲からも認められて画家への成功の道が開かれていたにも関わらず、見ることに厳格にこだわるあまりにどう見てよいのか、どう描けばよいのか混迷して故郷で6年間肉体労働をして過ごす。やがて大正6年、秀子と結婚して再び上京。次々と生まれてくる子供たちに囲まれて家庭的には幸福だが、生活は困窮する。彼は稼ぐために絵筆をとるタイプの画家ではなかったのだ。不幸にも再び絵筆をとったのは、次男の死に接してこの世に何も残せなかった息子を思って、せめてもの死顔をとキャンパスに向かった。やがて絵を描くことに夢中になって失った尊い命よりも対象として次男、陽の姿をとらえている自分に気がつき、筆をおいたという。昭和7年、豊島区に広い手入れのされていない森のような庭のある家に引っ越しする頃になると、ずっと植物や草木を見つめ続け自然や生物と対峙してきた画家の絵に、赤い輪郭線が表れ、のっぺりとした画風にかわっていく。学生時代は、まるでドラクロワのような自画像「蝋燭」を描いていた守一だったが、リズミカルでまるで唄うようなおなじみの絵に。

終戦直後に、今度は長女を失うと、守一は簡潔した線と色彩、そして表情のない家族の顔でその悲しみを表現した。晩年は、殆ど外出せずに、小さな庭が彼の見る対象のすべてとなった。精一杯生きている小さな昆虫、草花、小動物たちの生命の輝きを絵筆ですくいとってキャンバスに表現する守一の絵。そんな日々の中で生まれたのが、雨滴だった。木の板にぬられた黄土色の泥水。決して美しい景色ではないのに、そこに落ちて花の冠のように広がる雨滴。番組では、この雨粒が泥の中に落ちて広がる様子をハイテクな処理方法で映したのだが、人間の視覚でとらえることが不可能な様子を守一は見事に再現していたことに驚かされる。が、しかし、私はそんな彼の超人的な観察眼よりも、その観察が感性の湖に滴のように落としてのびやかに広がった、雨滴がまるでそれ自体生き物のような動的で音楽を感じさせるユーモラスさで選んだのが、今夜の一枚。笑っているような、泣いているような、おしゃべりをしているような滴たち。シンプルさの中に、聞こえる楽しい歌だった。