千の天使がバスケットボールする

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「ヒューマン ボディ ショップ」A・キンブレル著

2009-10-15 23:18:04 | Book
「11歳のM君は、サッカーが大好きな少年。将来の夢としてプロのサッカー選手になった自分を想像することもあるが、その前に『ぼくはあれが大嫌い』とはっきり言う。
”あれ”って何?
M君の身長は123センチで体重は22キロ。平均身長よりも1.3センチも(!?)低いことを気にした両親の決断は、毎週日曜日にヒト成長ホルモンの注射を息子に打つことだった。注射はこれまで6年間続けたが、あと4年は続けなければならない。一旦成長ホルモンの注射を打ち始めると、余分な成長ホルモンの投与によって思春期に自分自身で自然なホルモンをつくる機能が一時的に停止されるために、合計10年間は投与を続けなければ逆に成長が遅滞する可能性があるからだ。注射の負担金は15万ドルを超えるが、銀行の副頭取であるパパは『どんな方法であれ、最高の治療法を子どもに施してこしてやりたい』そうだ。競争は早いうちからはじまるから」

育ち盛りの息子の身長が、平均よりもたったの1.3センチ低いだけで、副作用のある成長ホルモンの注射を10年間も投与するだろうか。問題はいくつもある。こども自身にはなんの情報も与えられず投与(強制)されていることや、逆に自分は身長が低いというコンプレックスをもたらす可能性があり心理的にはむしろ有害、高額な薬代にも関わらず効果は実は不明、しかも白血病の発病率の上昇などの副作用の危険性すらある。だったら、病気で脳下垂体に異常がないのであれば、大事な我が子にこんな薬を10年間も投与することは考えにくいのが日本人の発想。しかし、これは米国では事実であり、この薬の市場は2億ドルをこえる。1991年、ジェネンテック社では成長ホルモン製剤を1億8500万ドル売上、3年間で60%以上も売上増加のドル箱である。製薬カイシャの主張によると身長の下位3%にあたるこどもには”治療”が必要であり、これは100億ドルの市場に相当する。しかも、データーをとれば常に下位3%のこどもは永遠にいるわけで、無限に成長ホルモンが売られていく。単に身長が多少平均よりも低いことは病気なのだろうか。私にはそう考えられない。高名な指揮者の方の中には小柄な方もけっこういるが、身長と指揮者としての才能は全く関係ないし、小柄なスポーツ選手もいる。かってのナチスが行った政治的、人種的な優生学とは異なる”商業的”優生学がひそかにひろがっているとも考えられる。やがてM君のご両親のような発想はよりパーフェクトな赤ちゃん、遺伝子操作をしたデザイン・ベビーへと希望と欲望が肥大していくことだろう。こどもの幸福よりも自分の充実感や満足のために。

本書は、弁護士の資格をもつ米国の著者アンドリュー・キンブレル氏による人間のからだの一部、血、臓器、精子、卵子、胎児、細胞、遺伝子が商品化されて「部品」として売買されている現実、そして生命操作のダークサイドの驚愕すべきレポートである。M君の例などほんの一例。作家の五木寛之氏は若く貧しかった頃、売血をして飢えをしのいだそうだが、現在でも95%は買い上げた血液で血液製剤を売る営利目的の血液企業は米国だけでも400社以上にものぼり、輸出にまわされた余剰分の市場は20億ドルにも達する。日本でも米国製の輸入血液製剤にはだいぶお世話になっているはずである。30年ほど前、RHマイナスのAB型の血液をもっている夫人は、売血によって年間7000ドル以上の収入をえていた。ちょっとしたバイトの感覚の彼女は売血のための交通費や食事などを必要経費として税金の控除を訴えたら、法的には彼女のボディは生産物である血液の”工場”であり、採血のために生産物を売りに行く”貨物”となったのだった。

1980年代、ロサンゼルス・タイムズなどの新聞に「ひとつ5万ドルで移植用の目を売ります」という広告が掲載された。しかし、これは特殊な例ではなかった。その後、臓器売買の商業化の試みもあり、アルバート・ゴア氏が中心となり移植用の臓器売買を禁止するアメリカ臓器移植法(NOTA)が通過した。しかし、何万もの臓器が世界中で売買されているのは、誰もが気づいている。エジプトでは臓器1万5千ドル、インドでは生きた提供者からの腎臓は1500ドル、角膜は4000ドル、皮膚一切れ50ドルが相場である。パキスタンでは、最高4300ドルの買値で”求腎”広告を出すことが許されている。本来の臓器提供の崇高な精神とモラルとは異なり、経済的に困窮している人々を利用した臓器を部品として商品化した臓器売買の市場はひろがっている。中絶した胎児すら売上に大きく貢献している。臓器を売ることが人をおとしめることは自明の理である。しかし、生命科学の進歩が市場原理と商品化の力によって人工的な進化を我々にもたらした。このような本来素晴らしいはずの生命科学の技術は、いつのまにか我々自身の生命観すらも変えようとしている。人体の商品化は、果たして著者の示すように経済的生物としての最後の到達点になるのだろうか。

大野和基氏の著書「代理出産」でこの本を知り読んだのだが、豊富な事例と裁判などのレポートもあり哲学的にも非常に内容が濃い。出版されたのが15年ほど前なので、ES細胞やips細胞の記述がないのが残念だが、臓器売買のルーツをアダム・スミスの市場原理のイデオロギーから、また産業革命によって労働が商品化された経緯からも解説されているのが興味深い。訳者は真理をほりさげた巧みな文章で私がほれているあの福岡伸一氏である。
私が書店員だったら、お薦め度は★★★★★!

■アーカイブ
「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」


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