千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

『アンナ・カレーニナ』

2013-05-22 22:30:59 | Movie
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」

何度もどこかでこんな引用文を読んだことがある。ロシアの文豪トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に登場するこの不幸な家庭の事情は、現代用語で言えば”不倫”となる。英国を代表する「チャタレー夫人」、フランスでは「ボヴァリー夫人」、(我が国では大岡昇平氏による「武蔵野夫人」になるか)、格調高き”姦通小説”はどこの国でも名作として長く愛されている。不倫ものといっても、ひとりの男を奪いあう女性の対立という三角関係ではない、ひとりの女性と夫と愛人、という関係性が共通である。物語の主人公になるための暇と着飾れる経済力のある夫は資産家で学者はだで教養があるが、いろいろな意味で妻の喜ばし方をしらない無粋な男。そして重要な共通点は、ヒロインのキャラクターはそれぞれあれど、人妻として誰もを魅了するくらいの美貌と気品がそなわっていることである。これがなければ、物語がはじまらない。

そんな「アンナ・カレーニナ」の何度目かの映画化で、情熱的だが最後に列車に飛び込む貴婦人のアンナを演じたのは、キーラ・ナイトレイ。大事なひとり息子を溺愛しているアンナにしては少々若く、母親としての色気がたりない気もするが、なかなか好演していると思う。けれども、映画としての「アンナ・カレーニナ」の鍵をにぎるのはアンナ役を誰がどう演じるかではない。アンナを演じるには、美しさがあれば、誰が演じても同じである。グレタ・ガルボ、ヴィヴィアン・リー、ソフィー・マルソー、そして今回のキーラ・ナイトレイ。いずれも美しく華があり、又、それだけでよし。これまでの作品の個性と雰囲気を決定づけたのは、恋人役アレクセイ・ヴロンスキーを演じる俳優である。

1997年製作の前作でアレクセイを演じていたのは、映画「チャタレー夫人の恋人」でも森番オリバー・メラーズを演じたことのあるショーン・ビーンだった。彼は、とても重厚で精悍な男としての色気があり、その点で軍服がとてもよく似合っていた。ひとりの人妻を愛したが為に、社会から居場所がなくなる悲劇を実によく体現していたと思う。「チャタレー夫人の恋人」とともに、私のお気に入りである。

ひるがえって、今度のアレクセイは水もしたたるような同性からも愛されそうな色白の美青年。アレクセイを演じたアーロン・テイラー=ジョンソンが絶品なのである。美貌でモテモテのチャラ男が、好奇心と美しさにひかれてアンナに言い寄り、ママからの干渉を拒絶できない優男なのだが、アンナの熱情に応えて真剣に恋におちていく。ショーン・ビーンのアレクセイとは全く別ものの男っぷりのアレクセイ役をしたたかに演じている。上流階級らしく美しく、又、ハイソ出身の美しいがゆえのありがちなだらしなさ、そして洒脱さと気品。この男は、本当に映画「アルバート氏の人生」で、貧しい下層階級のボイラー職人を演じた♂と同一人物かっ。まるで別人だ。大化けというのは、こういうことか、といたく感心したりする。表情、立ち居ふるまいと、ロシアの身分の高い青年将校になりきっている。ジュード・ロウが、さえないアンナの政府高官の夫役を演じているのも話題になっているようだが、それはそれで彼の”離れ業”にも目をひかれたが、私としては、アレクセイ役のキャスティングの方がより斬新で印象がつよい。

舞台で演じているような不思議なフェイクな枠組みの構成に貴族社会を象徴し、自然の中に背景を入れたりして開放感もとりいれたジョー・ライト監督の手法も古典をこえる大胆さがある。

ところで、映画の中で気になったのが、アレクセイの水色の端整な軍服である。映画「ライアンの娘」での英国将校ランドルフ(クリストファー・ジョーンズ)でもそうだったが、女は無意識のうちにこんな凛々しい軍服姿が気になっていたりする。そして、ネット検索をしていたら、英文学の先生のこんな言葉を見つけてしまった!

「青年将校こそが男の中の青い果実」

そして、美しい女は青い果実を見逃さないそうだ。。。

2012年イギリス製作
ジョー・ライト監督

■アンコール
・映画『プライドと偏見』
映画『つぐない』

ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル

2013-05-14 22:00:36 | Classic
ヒラリー・ハーンはどこへ向かおうとしているのだろうか。
1979年11月生まれの彼女は、現在、33歳。まだ33歳なのか、もう33歳なのか。
少女の頃から一流のヴァイオリニストととして世界中で活躍している彼女は、気さくなアメリカの少女という素顔の雰囲気から演奏している姿には、もはや巨匠候補の風格すらただよっている。ヴァイオリンを弾いている時の堂々たる雰囲気は、よく見るとそれほど整った容姿でもないにも関わらず、男女を問わず、彼女の演奏を聴く者に美しいと感じさせる”力”がある。今夜の演奏会終了後のサイン会は、またもや長蛇の列で、早々にあきらめて帰宅せざるをえなかった。人気、実力ともにトップを走る若手ヴァイオリニスト。それが、ヒラリー・ハーンだ。

そんな彼女だから、インターネットで委嘱作品を公募すると世界中から400もの候補作品が集まったそうだ。今回は、その作品も含めてヒラリー・ハーンのための委嘱作品、つまり現代曲が並ぶ。作品自体は、ソナタ形式ではなく、近年彼女がとりくんでいるというアンコール・ピースを集めた「In 27 Pieces : The Hilary Hahn Encores」から抜粋している。率直に言って、聞いた事のない作曲家、作品。もともとがアンコールのために作曲されていることもあり、標題があることからもどの曲も比較的親しみやすく入りやすい。抜群のテクニックを誇る彼女ではあるが、一瞬一瞬、集中力高く真摯にとりくんでいるのが感じられる。世界的にクラシック音楽のマーケットが縮小しているなか、こうしたプロジェクトで、双方向に音楽の可能性を広げようと音楽界に貢献している姿には好感がもてる。やはり、ヒラリー・ハーンらしい。そして、今夜も彼女には私たちに美しいと感じさせる品格がそなわっていた。

しかし、しかし、である。。。
演奏会のチラシには、音楽ライターなる方による「有名な作曲家の作品を並べて演奏するだけで終わらないのが、ヒラリー・ハーンのクリエイティビティ」と書いてある。バッハ、モーツァルト、フォーレ、有名な作曲家である。ベートーベンの「運命」なんぞ、こどもですら名前だけは知っている。けれども、私は有名な作曲家の作品が並んでいるからといって、わざわざ演奏会に来ているわけではない。時代をこえて長く聴かれる名曲には、そして現代も残る作曲家には、人の心をとらえる高い音楽性と深遠さがある。何度同じを聴いても、別の演奏家、違う指揮者、他のオーケストラでの演奏を貪欲に聴いてみたくなる。音楽を生業とする仕事の中で、このような現代曲を演奏することはとても重要で尚且つ大切な機会だと考える。評価の定まった名曲ばかりの演奏では、クラシック音楽そのものが衰退していく。今回、生まれたばかりの曲の演奏にたちあえたことは光栄でもあり、しかも大好きなヒラリー・ハーンの名演奏である。けれども、演奏会全体を通して、私はどこか充実感がたりないものを感じた。新作の中に演奏されたバッハ、モーツァルトで、心がようやく満たされていくのがわかる。ピアニストの華やかな演奏を楽しみこそすれ、現代音楽のどの曲もなんだかイージーリスニングのようで、アンコール・ピースは、やはりアンコールで演奏されるものである。

最後に、フォーレの演奏はあまりにも独創的で、少々なじめなかったと白状しておこう。決して、保守的な私ではないのだが、なんだかあわただしく落ち着かない雰囲気で終わったしまった感がある。ところで、彼女は人気あるヴァイオリストとは言え、マスコミで大きくとりあげられた某ピアニストやヴァイオリニストとは違うので、演奏を聴きにきた会場の観客はそれなりに音楽を知っている方たちであろうに、第一楽章で拍手があったのは不思議な感じだった。ずっとソナタ形式ではなく、短く終わる曲が続いたためだろうか。

---------------- 2013年5月14日 オペラシティ --------------------

[出演]
ヒラリー・ハーン(Vn)、コリー・スマイス(Pf)
[曲目]
・アントン・ガルシア・アブリル:"First Sigh" Three Sighs より *
・デイヴィッド・ラング:"Light Moving" *
・モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 K.302
・大島ミチル:"Memories" *
・J.S.バッハ:《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》第2番ニ短調 BWV1004から「シャコンヌ」
・リチャード・バレット:"Shade" *
・エリオット・シャープ:"Storm of the Eye" *
・フォーレ:ヴァイオリンソナタ 第1番 イ長調 op.13
・ヴァレンティン・シルヴェストロフ:"Two Pieces" *
(*=ヒラリー・ハーンのための委嘱作品)

《アンコール》
・ジェームズ・ニュートン・ハワード:133...at least
・デヴィッド・デル・トレディッチ:Farewell

■アンコール!
2006年6月8日オペラシティ
2010年6月2日チャイコフスキーVn協奏曲

「時の終わりへ メシアン・カルテットの物語」レベッカ・リシン著

2013-05-12 15:10:58 | Book
今年の「東京・春・音楽祭」の川崎洋介さんによるヴァイオリン・リサイタルでは、演奏を聴きながら、音楽鑑賞の枠を超えて”音楽”という贈物について様々に考えさせられた。決して、演奏に集中できなかったわけではないのだが。
なかでも、アンコールで演奏されたメシアンによる、《世の終わりのための四重奏曲》より第8楽章(終楽章)「イエスの不滅性への賛美」は、単調なリズム、メロディのなかに強さと繊細さ、静謐と高揚といった人の心の複雑なひだにしみるような音楽で、特に記憶に残る名演奏だったことから、興味をもちはじめて調べたところ、《世の終わりのための四重奏曲」》の初演時のエピソードを知って、本書のページをめくることになった。

オリヴィエ=ウジェーヌ=プロスペール=シャルル・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen)
この長い名前の現代作曲家は、1908年にフランス、アヴィニヨンに英語教師の父と詩人の母とのあいだに生まれた。彼はこどもの頃から神秘的なもの、不思議なもの、そして詩に夢中だったと伝えられる。パリ国立高等音楽院で研鑽を積むやたちまち頭角を表し、トリエステ教会の最年少のオルガン奏者に選ばれるが、1939年8月25日、召集されて、翌年夏、ドイツ軍に捕われて捕虜収容所に送られたのだった。そのあまりにも厳しい環境の収容所で3人の音楽家たちに出会い、極寒のゲルリッツ第8A捕虜収容所で大勢の様々な階層の捕虜たちの前で初演されたのが「世の終わりのための四重奏曲」である。

収容所での初演についてメシアン自身が語ったエピソードが、この優れた現代曲をいわば伝説化して脚色していった。四重奏曲が作曲され、尚且つ演奏された歴史は他に類をみない。そればかりか、音楽家たちは彼らそれぞれのやり方で、狂気と波乱な時代を音楽を創造してお互いに関わり合い、収容所を生き抜いていった。クラリネット奏者である著者は、彼らや家族に会い、《世の(時の)終わりへの四重奏曲》誕生の歴史を訪問していく。

エチエンヌ・パスキエは、彼を訪ねた著者に「一生の宝物です」と財布の中から一枚の色褪せたカードをとりだした。
「ゲルリッツ第8A収容所
《時の終わりへの四重奏曲》初演
1941年1月15日
オリヴィエ・メシエン作曲」
そして演奏者が書かれた招待状のカードだった。裏には、作曲家からの感謝の言葉が綴られていた。演奏者は、ピアノがメシアン、ジャン・ル・ブーレールがヴァイオリン、クラリネットはアンリ・アコカ、そしてチェロを戦争当時からチェロ奏者として活躍していたカードの持ち主のエチエンヌ・パスキエだった。

彼らが出会い、収容所でどう過ごし、初演に至ったのか、又、その後、そのような人生を歩いたのか。貴重な写真や図解、彼ら自身や遺族の証言によると事実は、メシアンのつくった”伝説”とは多少違っている。楽器については、それほど良いピアノではなかったが弦が切れていることはなく、チェロの弦もちゃんと4本あったそうだ。聴衆もせいぜい200~300人程度で、鑑賞希望者は殺到したが、残念ながら会場の収容力からいって数千人規模ではなかった。敬虔なカトリック教徒であるメシアンが、何故、こんな大風呂敷で演出したのか謎ではあるが、たった3個じゃがいもを盗んだだけで処刑された青年がいたという環境、厳しい寒さ、貧しい食事事情で、音楽家ということでプロバガンダの意味もあって比較的優遇されていたメシアンですらぼろぼろの服をまとい、凍傷で膨れた指をしていたという戦争から、何かをこの曲に意味をこめたかったのではないかと想像する。

戦争が終わり、メシアンが20世紀を代表する偉大な現代音楽の作曲家として活躍したのは周知のとおり。ル・ブーレールによると「メシアンはとらえどころがなく、彼だけの天体に住んでいた。だからこそ、彼に敬服していた。」と。しかし、そう語る彼自身は、長く収容所にいたためにヴァイオリニストになるという夢を、音楽という夢を失った。戦後は、魅力的な容姿をいかして「ジャン・ラニエ」という名前で俳優として活躍したが、「第八楽章は私のための曲です。これは、私の宝石であり、誰のものでもない。これほど美しい曲はほかにありません」

サン・サーンスと会ったこともあるパスキエは、名演奏としておよそ100年にわたるフランス室内楽を見つめて、97年に92歳で亡くなった。ユーモラスで果敢な性格で誰もを魅了したアンリ・アコカはユダヤ人だったことから、収容所を何度も脱走したり、パスキエ夫妻にたすけられたりしながら戦争を生き延び、53歳で早世するまでオーケストラ奏者として活躍した。

《世の(時の)終わりへの四重奏曲》は、次の8つの楽章で構成される。
1. 水晶の典礼 Liturgie de cristal(quartet)
2. 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ Vocalise, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)
3. 鳥たちの深淵 Abîme des oiseaux(cl.)
4. 間奏曲 Intermède(vln, cl, cello)
5. イエスの永遠性への賛歌 Louange à l'Éternité de Jésus(cello, piano)
6. 7つのトランペットのための狂乱の踊り Danse de la fureur, pour les sept trompettes(quartet)
7. 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱 Fouillis d'arcs-en-ciel, pour l'Ange qui annonce la fin du Temps(quartet)
8. イエスの不滅性への賛歌 Louange à l'Immortalité de Jésus (vln, piano)


メシアンは、これらの楽章を単独で演奏されることを嫌っていたそうだが、本書を読むと単独でも演奏される機会が増えれば本書をそれでもよいと思えてくる。
パスキエがずっとお財布にしのばせて大切にもっていたカードには、メシアンの次の言葉で結ばれていた。
「ありがとう、心より愛をこめて」