千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「エフゲニー・オネーギン」チャイコフスキー

2005-11-30 13:34:08 | Classic
ドイツの冬は早い。夕方5時にベルガモン博物館を出てタクシーに乗った時は、すでに夜の帳がおりていた。ブランデンブルグ門をぬけ、6月17日通りを、戦勝記念塔の金色の像を眺めながら30分ほど走って、 Deutsche Oper Berin に到着する。このホールは、特別歴史があるホールではなく、外観も内装も重厚というよりも庶民的で収容人数も2000人弱という程度だろうか。今日は午後4時から5時半までは、こども対象のチャイコフスキーの演奏会もある。この企画の協賛はメルセデス・ベンツ。また平日午前中にもプロコフィエスなど、こうしたこどもたち対象の教育目的の演奏会が催されているのは、さすがにドイツといえよう。ほぼこの会場では、連日オペラかバレエの催しものがあり、一般的には、午後7時半開演が多い。

座席は内容(プログラム)によってD(高)~A(安)の4ランクあり、更にイエローゾーンから緑のゾーンまで価格が分かれている。日本と違うのは、1階最前列~5列、2階の前2列が最も高く、後に行くほど安くなっている。今回は二番めに安いBプログラムで前から13列めの14番。会場のほぼ中央でオペラを鑑賞するには、ベストな位置である。チケット代金は、わずか50ユーロ(約7250円)。あとひとつ後ろになれば40ユーロ、最も安価な席は17ユーロとかなり安く、気軽にオペラに脚を運べる環境を実感する。

さてオペラだが、原作がプーシキンの「エフゲニー・オネーギン」である。
1820年代、地主の館で繰りひろげられる恋愛劇である。タチヤーナは、妹オリガの婚約者レンスキーの友人であるエフゲニー・オネーギンに恋をする。つのる想いを手紙にしたためて告白するが、オネーギンは厭世家で家庭を持つ気などさらさらなく、すげなく断る。
やがて歳月が経ち、今やグレーミン公爵夫人となって再会した田舎娘だったタチヤーナが、美しい貴婦人となっていることに驚くのだが・・・。

舞台装置と演出は洗練されているはいるが、チャイコフスキーの素朴さを失うほど前衛的ではない。真っ白でなだらかな床が、雪原になったり、あるときは舞踏会の会場になったり、人物と衣装が映える。特に村娘たちの収穫をする場面では、民族衣装のロシア的な鮮やかな赤との対比が素晴らしい。歌手たちも声がよくなかなか値段の割には質が高いと感心した。原語のロシア語で歌っているため、ドイツ語の字幕がついていた。会場はほぼ満席で、比較的年齢層が高い。世界的な若者のクラシック離れをここで実感する。平服の方もいるが、ドレスやスーツ姿のドレスアップしている女性も多い。
休憩が30分なので、ワインと軽食を楽しむ独特の華やかさにホワイエは満ちている。さすがにツーリストらしき日本人は見かけなかった。来月は季節柄オペラ「ヘンデルとグレーテル」や「くるみ割人形」のバレエが多い。こうして音楽が、いつも身近に存在するのがベルリン、ドイツなのだ。

2005.11.27  Deutsche Oper Berin にて。指揮者:ミハイユ・ズロフスキ

オスタルジーを探しにベルリンへ

2005-11-22 22:40:45 | Nonsense
きっかけはサイモン・ラトル音楽監督が企画している教育プログラムのドキュメント映画「ベルイン・フィルと子供たち」だった。映画の最初のシーンで、寒々と荒廃しているベルリンの街が流れていく。移民問題、失業者の増加、不景気、欧州の大国ドイツはまた東西に分裂して漂流してしまいそうな、今や沈みゆく島である。
ドイツはどうなっているのだろうか。

その一方で経済的にはお荷物だった東側ではあるが、ベルリンは街としては実に魅力的なのである。オスタルジー。ドイツ語の東とノスタルジーを組み合わせたこの言葉が、ベルリンっ子のブームになっているらしい。当時としては未来をデザインした旧東ドイツのデザインやモチーフが、16年前に「壁」が崩壊してみると、逆にノスタルジーを感じさせられる新鮮さがあり、倉庫で眠っているような石鹸やアクセサリー、小物などが復活。また8つのホーフ(中庭)からなる迷路のようなミッテ地区は大人気。この地域は家賃も安く、工場と店舗を同時に構えることができるためにアートとビジネスが両立でき、しかもクリエイティブな雰囲気が漂うため、ファッションや音楽関係の人々が続々と移転してきているという。
代表的なのが、「ベルリンのフジヤマ」というニックネームをもつ総合ビジネス・エンターティメントビル「ソニーセンター」だろう。→そしてユニバーサル・ミュージックやMTVもベルインに移転した。ベルリンは音楽産業の拠点地にもなっている。

レトロとモダン、過去と未来、東と西。私はベルリンに行かなければならなくなった。この目で見て、感じてこようと思う。それにクラシック音楽好きな者にとっては、ドイツは一度は訪問しなければならない国だ。「のだめカンタビーレ」の千秋も、本当はドイツの歌劇場で研鑚を積むべきだ。
というわけで明日、ルフトハンザ航空で旅立ちます。

ブログを開設して、もうすぐ一年。本日はご訪問ありがとうございました。辺境の地で細々ながら、開店しておりましたが、店主不在につき今月いっぱい閉店させていただきます。不在中のTBやコメントは、帰国後に返させていただいたいと存じます。
それでは、再見。
                         -店主”軽薄”

二つの戸籍をもつ中国

2005-11-20 16:22:29 | Nonsense
「小さな中国のお針子」という、1971年文化大革命の嵐で大きく揺れる中国で、医師を両親にもつふたりの青年が、”反革命分子”の子というレッテルをはられて再教育と称してとんでもない山奥に放り込まれた映画は、私のお気に入りの映画だ。奇跡のような大自然を背景にうまれた小さな恋と、単純で愚かな農民たちの姿に、何度も泣いた。映画の中ではその後30年の歳月を経て現代の中国の農村を映している。ダムに沈んでいく村、パラボナアンテナでテレビを観ることもでき、文字も読めるようになり、農民達の素朴な表情は変わらないけれど、ここにも近代化の波がおしよせているという感傷的で美しい場面でおわる。
あの純朴な中国の農民達は、今はどのような暮らしをしているのだろうか。幸福なのだろうか。

中国には戸籍がふたつあり、農民は死ぬまで農村戸籍で、都市出身者は「都市戸籍」である。父親が新都市戸籍をもっていても、母親が農村戸籍住民の場合は、そのこどもは農村戸籍になる。このような戸籍制度がはじまったのは、革命後の1958年。農村での食料生産維持と、都市へ人口集中回避のためだったが、開放政策がはじまると、多くの農民が職と豊かさを求めて、都市へ出稼ぎにやってくるようになった。80年代後半になると大挙しておしよせてくる農民による「盲流」と呼ばれる人口移動に伴い、都市部の治安の悪化やスラム化が問題となった。中央政府はそのため地方の政府に労務管理をまかせ、出稼ぎを組織化した。

都市戸籍の住民は、会社、工場といった職場が面倒をみてくれるので、ある程度の福利厚生も整い、医療保険にも入っている。ところが農民は、福利を担当していた人民公社が改革・開放制度によって解体されると、その受け皿がなくなってしまったのだ。医療保険制度にも殆どの農民が未加入で、市場経済化による医療診療費や薬価の自由化のおかげで、病気になって入院すると高額な医療費のために一家離散という悲劇も農村では珍しくない。単純な日本にもある都市部と農村の経済格差とはかなり異なる現象だ。

政府もこうした事態を無視していたわけでなく、都市部での戸籍取得も認められつつある。しかし大学に合格した若者や都市部に投資した者と限定されている。そもそも農村から大学に進学する子弟が、どれほどいるのだろうか。また逆に農村に小さな都市をつくり農民を吸収するという戸籍改革も推進している。これも世界に名だたる汚職・横領天国の中国の役人のすることだから、農地を強制収用して開発業者に売り払う輩が跋扈する始末。これで暴動が起きないわけがない。

河南省の修武県馬坊村では、正式な審議をふまずに鉛の電解工場を誘致し、農民の土地を強制的に収容した。ところが、工場が稼働をはじめるとまもなく周辺住民に、吐き気や下痢の異変が起こった。児童の9割に鉛中毒の症状があることが判明。原因はいうまでもなく工場排水だった。怒れる農民がキレタ。暴徒と化した農民が工場を破壊するという実力行使にでて、約2000人の警官が出動する騒ぎとなる。

先月中国共産党は、中央委員会で「調和のとれた社会」を提唱している。その柱は、「都市と農村の格差の縮小」「環境問題」「役人の腐敗防止」である。問題を正しく捉えながらも、何年も手をこまねていてのは軍事面増大、国家としての経済力強化などと国の威信への多忙ゆえだろうか。こうした不発弾防止のために、農村の出稼ぎ労働者の不満の捌け口を日本に向けられても迷惑なのだが。

あの青年たちをとりこにした可憐なお針子は、バルザックを知って都会をめざして村を出ていく。たったひとりの肉親であるおじいさんを残して。それは文字を知り、知性の力と自由な感情を知った少女の愚かさなのだろうか。彼女のその後のゆくえを誰も知らない。
「小さな中国のお針子」は、中国検閲機関及び北京政府の許可はえて現地での撮影はできたが、いまだに中国で上映される予定はない。

「ジャン・ジャック=カントロフ」ヴァイオリン・リサイタル

2005-11-19 22:11:23 | Classic
油断していた。オール・ベートーベン・プログラムのヴァイオリン・リサイタル、などというかなり渋いプログラムだから簡単にチケットは売れないだろう、甘く考えていた。発売1週間後王子ホールに電話をしたら、すでに完売。運よくキャンセルがでて、無事にチケットを入手でき、半年前からこの日を楽しみに生きてきた・・・といっても過言ではない。(そういう今日も元気だ、とりあえず生きているという楽しみはいろえろ多いが)
思考を変えてみれば、①オール・ベートーベン・プログラムも、②ジャン=ジャク・カントロフも、尚且つ会場が③王子ホールであることも、これはヴァイオリン好きのものにとっては垂涎の一夜になるとの観測もたつ。地味系60歳のおじさん、ジャンの人気と実力をいまだ知らなかったうかつさを、反省したコンサートだった。

ベートーベンについて。とても語り尽くせない作曲家である。あまり興味のない世間の人々に、ベートーベンと彼の音楽はどのように映っているのだろうか。おりしも、師走もすぐそこ。今年も全国津々浦々で、薄給のオーケストラに正月の餅代を献呈すべく、老若男女善良なるにわかクラシック音楽ファンが、第9「合唱つき」を聴きに華やかなホールに押し寄せる。こどもたちにとっては、「運命」のあまりにも有名な数小節のみ知っている作曲家。そして音楽室でいかめしい顔が肖像画として、クラッシックへの興味を失わすかのように学生たちを睥睨しているベートーベン。音楽を必要としない人種に座っているベートーベン像は正しい。けれども音楽を必要とする楽徒には、世間的なイメージとは全然違う魂と音楽の真髄をみせてくれるのもベートーベンだ。クラシック音楽を聴き始めて、かってのイメージと異なるベートーベン発見は、私にとっての音楽の大きな収穫のひとつである。

そこでジャン=ジャック・カントロフのオール・ベートーベン・プログラムのヴァイオリン・リサイタルとあれば、是非とも行かなければならないのだ。
ジャン=ジャック・カントロフの最初の語り口は静かで品がよいというよりもおとなしく、その後にくる成熟した情念と叙情をイメージしにくい。声楽のように最初の声ですべてが決まるような瞬間一発芸の恐怖はないものの、ヴァイオリン・ソナタにとっても冒頭の出だしは重要である。その点、彼の音のたちあがりに関しては、少々ものたりなさを感じる。「春」はもっとゆくよかでのどかな音を、「クロイツェル」はたっぷりとドラマチックに劇的に始まって欲しい。それがベートーベンの音楽性を好むものの、素人のどろくさい趣味だということはわかってはいるが、それが自分の中のベートーベンなのだ。

そうはいっても、ロシアの大地を連想するD・オイストラフやヴィルトォーゾのイツァーク・パールマンのような豊かで艶やかな音とは異質のジャン=ジャック・カントロフの音色は、全体的に細くて金色の絹糸のような繊細さというよりも、シックでつよさをひめた銀色のトーンである。現代的でスマートな硬質の音といってもいいだろうか。ところが、アンコールで弾いたドビュッシーでは、一転してフランスの印象派の絵画を見ているような繊細で多彩なタッチに驚き、その名人芸に観客は陶酔していくのである。だからやっぱりチケットが完売するのだ。サントリーホールで演奏する故アイザック・スターンのような大家や巨匠とは違う道ではあるが、比類のないヴァイオリニスト、ジャン=ジャック・カントロフの音楽の道も素晴らしいと感動した。まるでヨーロッパの古い歴史のある都市にいるような錯覚がするような、親密でセンスのよい演奏会だ。なんと幸福な夜だったことか。

伴奏のピアニストのジャック・リヴィエの演奏は、ベートーベンの時代性の解釈に説得力をもたせる素晴らしいピアニズムだった。ヴァイオリンとピアノのバランスが絶妙で、アンサンブルの魅力をたっぷりと聴かせてくれた。またCDを購入してサインをしていただいたのだが、至近距離で拝見したジャック・リヴィエは、画家か学者のようなジャン=ジャック・カントロフと並ぶと、チャーミングできさくな笑顔が似合うおっさん風な方だった。
アンコールが、一般的なアンコールピースでなく、すべてソナタの1楽章。この選択は、感動ものである。しかも誰ひとり帰らずに最後の最後までふたりのジャックを堪能した事実が、彼らのレベルの高さを証明する。会場で、補聴器をつけられたご年配の男性を見かけた。きっと若い頃からクラシック音楽が大好きで、彼がデビューした頃からの長い歳月をともにしたファンなのだろう。私は年齢を忘れるタイプなので今まであまり想像したことがないのだが、年をとってもし耳が遠くなったらどんなにか寂しいことだろうか。もはや音楽のない生活は考えられない。だからきっと私も老後は、補聴器をつけてコンサートに行くお婆ちゃんになる。。。その方の補聴器が性能が非常に優れていて、私たちと同じように音楽が鳴っていることを願うばかりだが。

-------   2005年11月18日   王子ホール-------------------

ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調 Op.30-3

ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調「春」Op.24

ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」Op.47

■アンコール曲

ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」Op.47 1楽章のみ

ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ 1楽章

プーランク:ヴァイオリン・ソナタ 1楽章


トルコを迎えるEUのプライド

2005-11-17 23:08:03 | Nonsense
1922年、オスマントルコが瓦解し、政教分離世俗国家へと共和国を建設した当時、時の将軍ケマルは、「西洋に負けるな、西洋に匹敵する国家であれ」と国民を激励した。いよいよトルコにとっては、EU加盟という勲章をつけて「オリエント的遅れを克服しヨーロッパの近代性を獲得する努力」(スイス「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング」紙)が、実るかどうかの正念場を迎えるに至った。

トルコのEU加盟は新次元をもたらすだろうと、友好的な発言をするブレア首相を除いて、「トルコの加盟はEUの終りを意味する」というフランス元大統領でジスカールデスタンEU制憲会議議長のように、感情的に拒絶する者が多い。

その理由として、パウル2世の「EUはキリスト者の同盟であるべき」というように、ヨーロッパ人の共通的価値観であるキリスト教と違うイスラム教への感情からくる。しかしこれに反論するのが、M・ロカール仏元首相である。

①EUは、条約と機構への共通理解によって生まれたので、宗教色とは関係がない
②すでにヨーロッパには1000万人のイスラム教徒市民が存在している。トルコをイスラム教ゆえに加盟を許さないなら、彼ら市民に対する侮辱になる。

このような正論にあえば、加盟に反対する理由は消滅する。しかし本音を言ってしまえば、高賃金・高待遇を求めて押し寄せてくるトルコ労働者の予兆が憂鬱の種であろう。フランスでの移民によるいまだに鎮火していない暴動が記憶をとどめている。
トルコの人口は6800万人。EUに加盟したらドイツの次に人口大国になる。しかも2600億ドルの対外債務という大きなお荷物まで背負っている。これを受けとめるには、EUにとってもかなりのタフさが必要になる。加盟してきたあかつきには、年額200億ユーロも予算を増やすことになり、その1/4はドイツに支出増でまかなわなければならない。病める大国に凋落したドイツにとって、ワシントンに頼まれたからといって歓迎ムードの笑顔もどこかぎこちないのは当然である。

トルコははたしてヨーロッパなのか。トルコがきたら、次はモロッコあたりもやってくるのではないか、まるで遠い遠い貧しい縁戚が頼ってくるような恐れを抱くのが、”洗練された”ヨーロッパ人の流儀だ。

『キャッチ22』

2005-11-16 23:07:21 | Movie
不思議な後味の残る1971年マイク・ニコルズ監督制作の映画を観た。
「キャッチ-22」(原題:CATCH-22)
言語としての意味は、軍規22項目にある、狂気に陥った兵士は自ら請願すれば除隊できるが、それを申告できるのであれば、まだまだホンモノの狂人の域には達していないという不可思議なパラドックスを、皮肉な笑いでくくった慣用句に該当する。

第二次大戦、パイロットのヨサリアン(アラン・アーキン)の脳裏に浮かぶのは、いかにして危険いっぱいの戦場から回避するか、ということである。戦争の大義名分も勇気も軍人としての名誉もない。とうとう精神を病んでいるという理由で、ダニーカ軍医に除隊を交渉するのだが、それもうまくいかない。それどころか、出世欲の深いキャスカート大佐は、どんどん出撃ノルマを増やしていく。彼にとっては、兵士は代替え可能な使い捨てのコマに過ぎない。常に人の生死がとなりあっている戦場で、徐々にヨサリアンの部下達は、精神の均衡を失っていう。現地イタリアの小さな島の年上の娼婦とお金を使って逢瀬を重ねているにも関わらず、本気で婚約してアメリカに連れて帰ることを信じている19歳のネイトリー(アーサー・ガーファンクル)、軍事物資を横流ししてM・M興業なるいかがわしい企業を”営業”し、おまけにエジプト綿の在庫を大量にかかえて証拠隠滅のために敵のドイツ軍に、爆撃誘導までしているマインダーバインダー中尉(ジョン・ボイド)。誰もがちょっとおかしい。別な言い方をすれば、まともな人間らしい人間はここにはいない。

彼等の行動のおかしさ、ばかばかしさ、そして虚しさに、いつしかヨサリアンも本当に精神を病んでいく。そして機関銃庫で瀕死状態の若い兵士の救助にあたるのだが、その血まみれの痛ましい姿を見ているうちに、脳裏に過去のイメージが次々とフラッシュバックして現れては消えていく。

当時話題をよんだというこの映画には、さえない将軍役のオーソン・ウエールズ、牧師役のアンソニー・パーキンスや変わったところではアート・ガーファンクルなど、今にしてみればなかなかの役者をそろえている。何度もくりかえされるフラッシュ・バックによるゆがんだ時間軸と、全編見終わったあとの整合性を観客にしいる手法が、およそ35年の年月を経ても、斬新さを全く失わせない。さらに、戦争の狂気、愚かさという優等生的な常套手段を用いずに、あくまでも”ばかばかしさ”を群像劇として描いているところが出色である。そこには「華氏911」にも共通する”ヤンキー”の風が流れている。

ついでながらDVDの特典映像は、映画の全編を流しながら監督が撮影当時の思い出や解説をしているのだが、まるで映画つくりの講義を聞いているようで興味深い。そして最後のシーン、不条理な閉塞感を一気につきぬけるような、青い空に踊り出る主人公ヨサリアンの跳躍と行動がこの映画の最大の魅力になっている。

一度味わっただけでは味わい尽くせない、アメリカの料理だ。

トルコEU加盟の勝利者

2005-11-15 23:24:34 | Nonsense
身長2メートル近いトルコのカリスマ首相、エイドリン氏が指導者として豪腕をもっているのは、イスラム圏ではじめて自国を、キリスト教世界のEU加盟への道づくりをしたことで証明されている。「保守的な民主主義者」、そう自らを分析しているエイドリアン首相の強さは、政治的に都市部の資産階級にも、地方の農民や大衆にも媚びないところだという。エイドリアン首相が政治的基盤として選択したのは、「スリム・ブルジョワジー」と呼ばれる保守的中道層であり、彼等は国際的な視野をもつ裕福な商工業の階層である。そしてこの階層の特色は、米国との親密なる関係である。ビジネスだけでなく、子女の留学先は殆ど米国である。実際、エイドリアン首相のふたりの娘も、スリム・ブルジョワジーの側近グループからの支援によって、現在米国に留学している。

ユーラシア大陸西方に位置するトルコは、米国にとっても自国の安全にとって、重要な防波堤になる拠点である。イラク戦争中に、米軍機の領空通過の権利を与えただけで、フランス・ドイツのように非協力的でつれない国だったにも関わらず、戦争への協力見返りとしてトルコに10億ドルの無償援助を議会で可決している。この大甘とも思える高待遇は、すべてトルコを西側の安定した同盟国として鎖につなげておきたい思惑による。元々トルコは87年にEU加盟申請するまでは、それほどEUに対して秋波をおくってきたわけではない。結局、西独元首相のH・シュミット氏の「米国の戦略的勝利」とみなすように、ずっと陰から米国が見守ってきたのである。大切なパートナーとしてEUにトルコを送り込むことによって拡大化すると同時に、イスラム教との異種混在は米国の長期覇権に役立つからである。
その一方でEU側にとっては、トルコ加盟は逆に仲間を増やすことによって、米国一国主義の現状を打破するためにも、世界的な力を増長できるという思惑もある。

昨年4月、イスタンブールで開かれたNATO首脳会議でブッシュ大統領が、エイドリアン首相にささやいた。
「私があなたの国を思うように動かせたら、このすばらしいイスタンブールを首都にするでしょうね」
それは、内心計算高く思うところがある男性が、女性の容姿をほめ称える姿に似ている。たとえその姿が滑稽にうつろうとも、トルコをキャッチボールのように、欧米の覇権争いは続くのだろう。

『青い棘』

2005-11-14 22:55:24 | Movie
ベルリンが呼んでいる、というわけではないが「青い棘」は、萩尾望都や倉橋由美子に心酔する永遠の16歳にとっては、やはりはずすことのできない作品だ。

ほの暗い階段を容疑者の青年が、取調室に向かって登っていく。検察官に何が起こったのか、自殺クラブとはなんなのか、そう問われても口を閉ざす。鋭いまなざしとやつれた表情からのぞくのは、お前たちになにがわかるのか、といううつろで投げやりな刃である。

1927年6月28日早朝、ベルリンの屋敷の一室からピストルの銃声がこだまする。19歳のギュンター・シュラーが、同じ年の見習シェフのハンス・ステファンを射殺した後、自分の頭部に銃弾を打ち込んで死亡した。目撃者は、同じギナジウムの最上級生であり同級生のパウル・クランツ。締められたドアをあけようと廊下にたたずんでいたのが、ギュンターの妹のヒルデ(16歳)と友人のエリだった。


ギュンター・シュラー(アウグスト・ディール):上流階級出身だが、不勉強により成績は芳しくない。度々の無断欠席により、学校から保護者に手紙がくるが、両親は不在がちである。潔癖でデカダンスな彼は、湖畔の別荘でパーティを主催する。ダンス、音楽、アブサン、それらのすべてを享受するが、最もこころが魅了されているのが、拳銃である。狂乱めいた宴もたけなわ、そこへ妹と共有の恋人、招かざるハンスがパーティにやってくる。

パウル・クランツ(ダニエル・ブリュール):下層の労働者階級出身の彼が、唯一はいあがれるチャンスは、ギナジウムでの抜群の成績で大学に進学すること。両親の期待を担い、優等生で詩を愛する。内気な彼だが、気があうギュンターの妹、金髪で魅力的なヒルデに夢中になり、彼女に詩を捧げる。「想像の中だけの愛で何を得られるの」と奔放な恋愛経験をもつヒルデにとっては、友人以上にはならない。

ハンス・ステファン:自由な彼は、求められ、相手が美しければ、男性であろうと女性であろうと寝る。彼にとっては、情事は楽しい営みにすぎない。そこには魂も精神もなく、肉体の遊びがあるだけだが、ギュンターとヒルデの兄妹に愛される。ギュンターの「人には愛するタイプと、愛されるタイプがいる」という言葉どおりに、彼は常に愛される対象として存在している。

ヒルデ:裕福な娘につきまといがちな自堕落さと美しさをもっている。両親が不在がちなことをいいことに、放埓な生活を送っている。彼女は「自由きままに生きるの、両手いっぱいの男が欲しい」と簡単にいう。すべてをもっているヒルデは他者を思いやる気持ちに欠けるが、現在は身分違いのハンスがお気に入り。

エリ:「生涯ひとりの人だけに愛を捧げるの」輝くヒルデのかげでめだたなく大人しいエリだが、一途にパウルに想いを寄せているその気持ちは、16歳らしい純粋さに満ちている。パウルの気持ちには、ヒルデしか眼中にないことはわかっているが、パーティの途中で彼を森の奥へ誘う。結局、彼女は事件の後、生涯独身を貫くことになる。

「シュテークリッツ校の悲劇」として、世界中に衝撃を与えた実際の事件を、アヒム・フォン・ポリエス監督が裁判記録を読んで、3日間の出来事を映画化した。事件に対する饒舌さも行き過ぎた美化もなく、5人それぞれの輝く生の瞬間の記録である。若さとはあまりにも儚い生命だったことか。初夏の森の別荘に満ちている光り、蜂や虫たちの羽音、鳥のさえずり、草をわたる風の音、夜の森のざわめき、ふくろうの鳴き声、宴を楽しむ若者達のこだま・・・そのあまりにも美しく、限りある生命の小さな息遣いが、この映画ではもっとも重要な小道具といえよう。ギュンターが黄昏ていく部屋で、手にもっているピストルにとまった黒いアゲハ蝶の優美な羽のはばたきを、恍惚と眺めるシーンは映画史屈指の名場面であろう。
そして巨額な出演料が話題になるハリウッド映画では、決して味わえないキャスティングの妙。(ダニエル・ブリュール君の「グッバイ・レーニン」からの体重の上昇率が気にもなるが。)兄妹から愛される”象徴”であるハンスを主役にした、また別の作品も観たい。

「真の幸福は、一生に一度しかない。後は一生この思い出に縛られるのだ。僕等は一番美しい瞬間にこの世を去るべきではないか。」
ギュンターとパウルのこの若さゆえの完ぺき主義の誓いを、どこかで聴いた懐かしさに、思わず胸がしめつけられるような、ふとふりかえる秋の一日である。

「サイボーグ技術が人類を変える」NHK立花隆 最前線報道

2005-11-13 12:33:06 | Nonsense


この画像を見て、また実際NHK番組でこの肉体の一部に組み込まれた機械が機能するのを確認して、驚きの声をあげるのは、レポーターの立花隆さんだけではないだろう。以前、弊ブログでもとりあげた池谷裕二さんの「進化しすぎた脳」を読んでいる者としては、科学への驚きよりも既に人間に応用されて実用化されているリアルな現場報告に、科学のスピードの速さに不安ととまどいになるのだが。

5年前から技術者と科学者を結んだ神経工学の分野が、急成長している。その最前線をレポートしたこの番組は、活字よりもわかりやすく、立花隆さんらしい選択と率直な感想をおりまぜた必見の番組であろう。

①脳の信号を利用するサイボーグ技術

電気技師であるジュシー・サリバン(58歳・画像左上)さんは、4年前に高圧電気ボルトに感電して、両腕をなくすという事故にあった。その後世界初のサイボーグ手術をシカゴのリハビリテーション研究所で受け、脳から腕に伝わる信号を大胸筋に誘導して、コンピューターが読み取り、考えるだけで義手が動くようになった。立花さんがサリバンさんのチップの埋められた胸を軽く押すと、腕時計をはめている部分をさわられた感触がするといい、さらに少し上の部分をさわると、そこはひじをさわられた感じと笑顔で応える。サリバンさんの腕は人工の機械だが、自分の腕が甦ってきた感じがするそうだ。

これらの驚異的な技術は、人間の脳からでる電気信号を読み取る技術が進歩したために、可能になった。
もう一人、22年前視力を失ったイエンス・ナウマンさん(画像左下)は、3年前にドーベル研究所で人工眼の手術を受けた。めがねにつけられたビデオカメラからの画像を直接脳に変換して送り込むのである。電圧をたちあげ、脳を振っているとやがて光りの点が見えてくるようになる。現在、この装置の開発者が亡くなったために機械の老朽化のメンテナンスができず、以前は100あった光りの窓が、6つしかないそうだ。私たちが見えている風景に比較にならないくらい乏しい窓にも関わらず、こどもの顔が見たくて手術を受けたナウマンさんは、光りが見えるのは喜びであると明確に語る。彼はまた、ピアノでショパン演奏を楽しむ。

現在、世界で20以上の機関で研究され、医療福祉から産業への応用もされている。筑波大学システム情報工学の研究室では、ロボットースーツが来年実用化される見込みである。このスーツを着用すれば、私だって軽々とGacktさんを持ち上げることができる。「取材すればするほど不思議」と立花さんはとまどいをみせる。

②脳は機械に合わせて進化する

やはり7年前、事故にあい腕を失ったKさん(画像右上)が、義手を使うようになった。最初に義手をつけた時は、脳もとまどいを見せ様々な場所で活動をしていたのだが、一ヶ月自分の手である感触の訓練をしたら、脳はピンポイントで手を動かす部分だけを活動するようになった。MRIで検査をしているKさんと電磁波で故障の恐れがあるために離れた位置にある腕が、研究者の指を動かしてくださいという指示どおりに動くのは、理屈ではわかっていてもやはり奇妙な感覚を覚える。いずれ考えるだけで、遠方にある自分の義手やロボットのからだを動かすようになるかもしれない。

次に9歳の人工内耳をつけた少年Y君が紹介された。音がコンピューターで電気信号に変換された後、聴覚神経に直接流れて聴こえるようになる。はじめは、ギシギシと不快な音もしたようだが、現在は人工内耳によって殆ど健康な人と同じように聴きとれるようだ。3人に1人が人工内耳をうめこんでいるが、ひとりひとりのコンピューターの調節と長期間の訓練が欠かせない。自ら進んでヴァイオリンを習いはじめて「きらきら星」を演奏するこの少年に、私はやはり感動せざるをえない。

③脳が機械で調整される

パーキンソン病やジストニア病に苦しむ人たちへの対処療法としての、脳深部刺激療法(DBS)。これは、脳に電極を刺して電気刺激を持続的に加える治療法である。病気の原因である脳の必要な対象部分のみに電気信号で刺激を与えて、症状を抑える療法だ。ドナルド・リトルドさん(51歳)が実践してくれたのだが、電気をきると、その時点での症状が5分後には顕著に表れる。これは鬱病患者にも応用されていて、悲しみを感じる中枢であるCg25の部分を刺激すると、患者は明るく前向きで積極性がでてくる。人間の精神に幻想をみたい立花さんは、「こんな療法で精神がかわるとは、人間について考え直さなければならない。」

④脳が全ての機械と直結した

「進化しすぎた脳」で最も私が興味をもった実験が、ラットを使った実験の映像で確認できた。脳とコンピューターを直結して考えるだけで動かすという「脳コンピューターサイエンス」その先に見えるのは、薔薇色の世の中なのか。この番組の最後をしめくくるにふさわしい内容は、医療福祉でも産業への応用でもなく、軍事利用であろう。米国国防総省(DARPA)では、考えるだけで動く兵器やより優秀な兵士を視野にいれ、こうしたサイボーグ開発をする研究所に高額な研究資金を援助している。科学の進歩に、人類の真の叡智が結びつくのが困難であることを、私たちは知っている。だからこそ「この技術をどう利用するのか、話し合える時間はあと数年しかない」と、グリーリー教授は警鐘を鳴らしている。

「この技術の可能性は、悪用されたらとんでもないことになる。人類に進化をもたらす究極的な科学なのか、許されざる人体改造なのか」
そう番組の冒頭で語る立花さんと同様に、ヒトは何処へ向かっているのか、私たちもその先をともに考える必要があるのではないだろうか。

■詳細はここへ NHK サイ

ちなみに、再放送もあるそうです。百聞は一見にしかず。見逃した方は、是非ご覧になって感じてください。

「メディアの支配者」中川一徳著

2005-11-12 20:23:40 | Book
東京臨海副都心、お台場でもひときわめをひくのが丹下健三設計による巨大な建築物、フジサンケイグループの建物であろう。このメディア・コングロマリットの象徴であり、執念の集大成ともいえる城をみることもなく90年78歳で息をひきとったのが、フジサンケイグループの議長として君臨した鹿内信隆だった。1911年北海道の小さな寒村に生まれ、出自もよくわからない男が、早稲田大学を卒業して倉敷衣織(クラレ)に就職し、戦後のどさくさと高度成長期に乗じてやがてメディア三冠王となり、司馬遼太郎に「ハイジャッカー」と呼ばれたように、世襲制度をしいたのは、まさに日本経済の空前のバブルの頂点と時を重ねる。ライブドアの堀江貴史にすれば彼のやり方も、「歴史を調べてみると鹿内信隆さんも乗っ取ったんだよなあ、なるほどなと思った。うまくやりましたよね、鹿内一族。」
しかし92年7月21日に開催された、産経新聞の役員会で娘婿の鹿内宏明の会長解任が突然議決されることによって、世襲制度をしいた鹿内一族の野望もあっけなく潰えた。首謀者である日枝久のその後の宏明追放は、まるで鹿内の亡霊におびえるかのように、情け容赦なく徹底していた。

そもそもニッポン放送の成りたちが1954年、左翼に流れる当時の風潮に危機感を抱いた財界人が主導して設立されたところに、メディアの使命感、公器などというきれいなお題目は似合わない。社長は経団連副会長の植村甲午郎がつき、専務には左翼つぶしで活躍をしていた鹿内信隆が経団連から送り込まれた。そして59年にフジテレビ開局。推進母体がニッポン放送と文化放送で、会長に植村、社長に財界人、水野成夫、専務に鹿内が座った。こうして産経新聞を含む新聞、ラジオ、テレビのフジサンケイグループの基盤ができあがる。やがて68年、水野が病気療養で引退をするとフジテレビの資金力を利用して、鹿内が後釜にいすわり、オーナー企業のような絶大な権力をもつようになる。フジテレビの親会社をニッポン放送にすえ、さらに箱根の彫刻の森美術館が実行支配するという逆さまのシステムのよって可能にしたのだ。そして開局当時の功労者、企業にひきいれた友人も含めて、次々と放逐していく。その冷徹さと手腕は、かの堀江のような”うまくやりましたよね”という表現も凍る。そしてグループ内の要職を次々と経験させる帝王学をほどこした、弱冠40歳の長男春雄を後継者として85年6月に議長職を世襲させた。

しかしその2年後、春雄が急逝する。こどもの頃から病弱だった春雄は、西洋医学を信じずに年間1億円もの漢方薬を買い込む母英子のいいなりに、その短い生涯を終えることになる。家庭をこころみず、複数の愛人をもつのが権力者としての証と信じる信隆にとっては、早すぎる後継ぎの死は、まさに妻からの復讐に近い。しかし落胆と失意の底に、東京大学を卒業して、次女と見合い結婚をした日本興業銀行に勤務するエリートビジネスマンの佐藤(旧姓)宏明の姿に、世襲制度の執念は復活する。銀行員として将来を嘱望され、その手腕を高く評価されて着々とエリートコースを歩む宏明にとっては、義父のフジサイグループ入りの要望は驚き以外のなにものでもない。必死にすがる義父の願いを聞き入れ、養子縁組をして突然降臨してきた彼を見て、日枝らはひと言も発せずに沈黙が支配する。そして、或る日突然の解任劇がおこるのである。

人間としての資質に問題あり、横領容疑、脱税と解任道義の理由を述べながらも法的根拠はなにもなく、国際金融畑を歩んだ経験をいかし、日本人離れの政策能力を発揮していたにも関わらず、興銀マンとしての人生をあきらめてまでグループを世襲した宏明は、この時点でビジネスマンとしての人生も失ったのだ。その後8%のニッポン放送株を保有してしこりを残していたが、今年の1月4日にロンドン移住を機に、フジテレビのTOBを代行している大和証券SMBCに売却。名誉回復の機会も与えられず、これで50年に及ぶ鹿内一族の支配は完全に幕を降ろした。17日に日枝がしかけたニッポン放送へのTOBは一気に100%子会社化するものであった。勝利の凱旋は目前だった。ところが、各メディアが盛んに報じたように、突如堀江貴史が時間外取引という奇襲作戦を使って、35%ものニッポン放送株を取得して踊り出る。結局ニッポン放送を完全子会社化するために、1400億円あまりもの巨費を堀江に支払うことになった。

まるで戦国時代さながらの権力闘争に、「歴史はくりかえす」ということばが甦る。因果応報。メディアの光芒に埋もる累々とした屍に次々とたつ権力者には、本当の勝利者は存在しない。ただうるさく、軽薄で空虚なメディアにふさわしい簒奪の歴史を背負うお台場のフジサンケイグループの建物には、さぞかし乾いた虚しい風が吹くのだろう。その巨大な中身は、いつ観ても私にはがらんどうに見える。

このようなテーマーを扱うには、売れ筋ねらいで露悪的になりがちだが、詳細に史実を調べた上下二冊の厚さが、それらを救っている。会社は誰の者か、そんなことも改めて考える。著者初の単行本。