千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

地下鉄消えるはずだった!?50年目の未来像

2006-08-30 23:46:05 | Nonsense
1960年に科学技術庁(当時)が予測した21世紀初頭の技術135項目のうち、実現したのは携帯電話や高周波調理器(電子レンジ)、人工授精・精子の永久保存など54項目と4割にとどまることが、文部科学省系のシンクタンク、未来工学研究所などのまとめでわかり、28日、判定結果を公表した。
技術予測は当時の中曽根康弘・科技庁長官の提案で原子力、医学、宇宙など各分野の第一人者を集めて実施。『21世紀への階段』のタイトルで出版した。

実現しなかったのは、月への拠点となる「地球空港」の洋上設置や、主婦がテープレコーダーに吹き込むとその家事をこなす電子お手伝いさんなど。特に振るわなかったのが原子力関係で、7項目のうち実現はゼロ。増殖炉など4項目の「一部実現」にとどまった。
一方、5か月程度で子どもを産み、後は人工子宮に任せるといったアイデアや、老化防止のための人工冬眠など、現在の倫理観では受け入れにくい技術も当時は考えられていたが、すべて実現しなかった。
モノレールが都市の輸送手段の主流となり地下鉄は消滅、「21世紀には地下鉄通りの名前だけが残る」との予測も大はずれだった。

会見した大沢弘之・元科学技術事務次官(81)は、「高度成長期には国民生活の豊かさを支える科学技術に夢があり、とっぴな考えもあった。原子力時代も始まったばかりで希望に満ちていたが、反対運動などもあり、思ったほど伸びなかった」と分析している。

(2006年8月28日21時25分 読売新聞)********************************************************************************

6割外れたのか、4割当たったのか。長老中曽根元首相(当時の科学庁長官)の肝いりで、50年前の科学技術省がタイムマシンで占った未来像があったとは。
笑えるのは、「主婦がテープレコーダーに吹き込むとその家事をこなす電子お手伝いさん」。そもそも”主婦”と名のれる存在や”テープレコーダー”がかなり減少。でももしかしたら、このテープレコーダー=携帯電話と読み替えれば、ある部分では実現しているかもしれない。カイシャ帰りの夫に、携帯電話で牛乳を買って来いと命令しておくと”家事をこなす電子お手伝いさん”に変身している例は珍しくない。
「5か月程度で子どもを産み、後は人工子宮に任せる」これは良いアイデアだと思うが、確かに試験管で培養される我が子を想像するとぞっとする。地震や火事に備えた品質管理、完全なる子宮内の状態を再生することは困難だとは思うが、倫理面をクリアーできたら少子化防止策になるかもしれない。親のアイデンティティは、出産することよりも育てることにあるのは、昨今の産んでも育てない幼児虐待者を見ればわかる。
さて、それでは今から50年後の『21世紀への踊り場』を考えてみれば、いくつか浮かんでくる。

【実現可能】
①お手伝い&介護ロボット・・・筑波大学山海研究室では、ロボットスーツを着用して介護をする学生の写真が公表されていたが、これはほぼ確実に実現するだろう。できれば、お手伝いロボットはGacktコピーを注文したい。けれども、人工知能は如何なものか。
②120歳ぐらいまでの長寿・・・長生きが果たして幸福かという議論もあるが。
③精子バンク設立・・・米国並に審査は厳しいだろう。(高身長、高学歴など、まるで種馬の値段と同じ)
④自動車の製造・・・文字どおり運転までして現地まで運んでくれる”自動”車。
⑤テレビ画面・・・SF映画にあるような空間に浮かぶテレビ。素材は目に見えないナノテク粒子。
⑥火星への着陸・・・かなり熱そうだが。
⑦人工臓器移植によるサイボーク時代の到来・・・単なる豊胸手術ではない。また生まれつき目の見えない方も、神経回路にコンピューターをつなげてある程度見えるようになるかも。
⑧オーダーメイド治療・・・患者の遺伝子から最適な治療を行う
⑨ガンやアルツハイマー病の克服・・・できますよね、研究者のみなさま。期待しています。
⑩エネルギーの石油依存からの転換・・・次世代は水素だろうか。

【番外】
①ディズニーランドの独立国家宣言
②相撲がオリンピック正式競技に・・・まわしのかわりに水泳パンツ着用
③世界共通通貨の誕生・・・ドル、ユーロ、円にかわって共通通貨にきりかわることによって為替リスクがなくなる
④Gackt教・・・すでに布教活動に励む信者多数

いろいろ考えてみると、けっこう楽しいのだが、ちゃんと大真面目なHPを発見→21世紀ワールド

「独の良心」の罪と罰

2006-08-29 23:15:39 | Nonsense
2006/8/19東京新聞より↓
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『独の良心』 苦悩60年
小説「ブリキの太鼓」で知られるドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス氏(78)が、ナチスの武装親衛隊員だった過去を告白したことに、ドイツ社会が衝撃を受けている。ナチスを追及し続けながら、自らの過去には口を閉ざしていた六十余年という歳月は、歴史と向き合う重さそのものだった。 (ベルリン・三浦耕喜)

 ◆巨人

 「沈黙する者は有罪となるのです」

一九六一年に「ベルリンの壁」が出現した時、東側の作家に書き送ったこの言葉を、グラス氏は今、どんな思いでかみしめているのだろうか。
グラス氏は戦後ドイツ文学界の巨人だ。反ナチスを国是としたドイツの中でも、グラス氏は当時を生きた人々の視線にまで降り、その偽善を暴いた。代表作「ブリキの太鼓」では、三歳で成長を止めた子どもの目を通してナチスに染まりゆく空気を描き上げた。
歴史と真正面から向き合うことを訴え、「ナチスを心に刻む中心的役割を担った」(独紙)と評される。グラス氏の伝記を編んだミヒャエル・ユング氏が独紙で「彼は良心の番人だった」と語る理由だ。

 ◆失墜

 だが、「ドイツの良心」は、実は元ナチスの武装親衛隊員で、しかもその経歴を六十年も秘してきた。ユング氏も「番人は終わりだ」と嘆じる。

 ヒトラー研究で著名なヨアヒム・フェスト氏は「どうやって一人二役を長年演じたのか」と絶句する。
グラス氏を評価してきた文芸評論の大御所マルセル・ライヒラニツキ氏に至っては、本紙の取材に事務所を通じて「コメントするつもりはない」と声もない。
ドイツのユダヤ中央評議会クノプロホ会長は、告白を記した自伝が出版されることから「本のPR」を疑う。事実、出版社は発売を二週間前倒しし、告白五日目には書店で平積みになった。

 グラス氏が政治にも積極的に発言し、社会民主党(SPD)を熱心に支持したことも批判に拍車をかける。キリスト教民主同盟(CDU)からはノーベル賞を返上すべきだとの声が上がった。
現ポーランド・グダニスク市がグラス氏に贈った名誉市民にも返還要求が上がる。「同じ市の名誉市民だなんて気分が悪い」と言う同国のワレサ元大統領は、グラス氏が返上しなければ、自分の方が返すと十八日の同国テレビで宣言した。

 ◆一石

 だが、告白に意義を見いだす声もある。以前にナチス党員の過去を指摘された文学者ワルター・イェンス氏は独誌に「老境に入って、なお自分のテーブルをきれいにしたいとは感動的だ」と告白の勇気をたたえる。

 同様に、鋭い社会時評で知られる作家のマルティン・ワルサー氏は「同時代で最も成熟した者ですら、六十年も自分の過去を語れなかった。このこと自体、思考も言葉も型にはめようとする歴史清算をめぐる雰囲気を強烈に照らし出している」と、投じた一石の大きさを指摘する。
独テレビの世論調査でも、68%が「グラス氏への信頼は損なわれていない」と回答した。

 十七日夜、告白後初めてグラス氏の言葉がテレビで流れた。「犯罪行為にはかかわっていない。いつか、このことを報告する必要を感じていた」-。過去と対決してきた大家が最後まで残した闘いの相手は、自分自身だった。

 (メモ)武装親衛隊 ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の軍事部門。第二次世界大戦の開戦後、ヒトラーの身辺警護を担当した親衛隊を改編して発足した。最大で約90万人を数え、国軍に匹敵する戦力を持った。親衛隊はナチス直属部隊として、ユダヤ人迫害を実行している。
ギュンター・グラス 1927年10月16日、ダンチヒ自由市(現ポーランド・グダニスク)生まれ。59年「ブリキの太鼓」で注目され、99年ノーベル文学賞受賞。今月12日の独紙フランクフルター・アルゲマイネで、15歳でドイツ軍の潜水艦部隊を志願したが採用されず、17歳になってナチスの武装親衛隊の戦車隊に参加した過去を告白した。

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「東京新聞」はローカルな新聞だが、テレビ東京が地味ながらクリーンヒットを飛ばすように、小粒でもきらりと光る三浦記者の記事だった。
映画「ブリキの太鼓」を絶賛する友人もいたが、あのグロテスクさときっかいなエロティシズムは、どうしてもなじめなかった。もう一度観なおしすれば、またもっと深い解釈ができるのかもしれないが・・・。

閑話休題。
フォルカー・シュレンドルフ 監督の「ブリキの太鼓」は、ノーベル賞を受賞したギュンター・グラス氏の小説が原作だ。本作品を通じて、一般大衆がナチズムを育てた狂気と恐怖、人間の愚かさを世に説いた作家が、17歳にナチ親衛隊に入隊していたという秘めたる過去の事実のなんたる皮肉なことだろうか。しかしそれ以上に、「良心の番人」と称えられた作家が、ナチ親衛隊員だった事実を60年間隠し続けたことに、ドイツ人は衝撃を受けているのだと思う。この高名な作家は、たまたまあえて”過去を言わずがもな”というのではなく、嘘をついていたという認識が良心をもつドイツ人や、子だくさんでも国家に貢献しているワレサ元大統領の「裏切られた」という厳しい怒りへと転化しているのだろう。これまでの作家の作品は、ドイツ国民の過去への浄化や鎮魂ではなく、彼自身のアイディンティをゆさぶる根源的な問いだったわけだ。
犯罪行為には加担していない、だから78歳になって、自分自身の罪を認めることで誰よりも自分の魂を救済する必要があった。「ドイツの良心」というきれいな看板を作家に掲げることによって、国民はナチスを育てた犯罪行為からの罪の意識を軽減させ、その分の重荷を作家は背負わなければならなかった。

ウッディ・アレン監督による舞台をロンドンにうつした近作「マッチ・ポイント」の主人公クリスは、ほんの偶然のもたらす運のよさによって犯罪行為の隠蔽に成功した。一方「陽にあたる場所」での主人公ジョージは、獄中で自問自答をくりかえしながらある決断をする。クリスが社会的な罰からうまく逃れたことに比較して、ジョージはあえて死刑という罰を受けいれる。その瞬間、彼の魂は罰からのがれられ神から救済されていった。今後も、クリスの方は出世の階段をのぼりつめ、いずれは大企業の頂点にたち、優雅な暮らしをおくるだろうが、死がやすらぎをもたらすまで一生罪の意識から逃れることはないだろう。それがクリスに課せられた、見えない重い重い罰である。

ギュンター・グラス氏が今になって告白するのは、発売される自伝の宣伝という皮肉な報道もあるが、告白するまで要した60年というかくも長き歳月が、逆に作家が日々苛まれていただろうこれまでの罰の重さを感じさせられる。彼は、たとえノーベル賞剥奪というような社会的な罰を与えられても、己の精神の罰から救済される選択を最後にしたのではないだろうか。「罪と罰」を考えさせられた騒動ではある。

NHKスペシャル「イラク それぞれの戦い」

2006-08-27 23:21:36 | Nonsense
7/30放映されたNHKスペシャル「同時3点ドキュメント第6回『イラク それぞれの闘い』は、テキサス州にある米軍基地、脱走兵が生活するカナダの島、そしてカリフォルニア州の町、エルカホンで暮らす亡命イラク人の家族を6月8日から数日間にかけて同時に取材したドキュメンタリーは、それぞれの立場から正義、平和、戦争、民主主義を考えさせられた。

【6/8 ケキサス州フォート・フッド基地】
現在、4万人の陸軍兵士を抱え、2万人の兵士をイラクに送り込んでいるフォート・フッド基地では、正午、イラクに支援物資を提供した企業や市民によるパーティがたけなわである。フセイン大統領を拘束し、ザルカフィを殺害したのが、この基地から旅立った兵士たちの”業績”であることは、市民の誇り。「アメリカは平和のために戦っている。そしてイラクに民主主義を確立しようと必死なのです。今こそ、市民は兵士を支えていかなければなりません。」とアメリカ陸軍協会会長のラルフ・ガウアー氏は語る。

【6/8 カナダ バンクーバーのガブリオラ島】
イラク戦争開始以来、米軍脱走兵は8000人にのぼると言われている。そのうちのひとり、ジョシュア・キー(27)さんは、元陸軍兵。イラクでの激しい戦いの最前線で8ヶ月戦ったが、戦争を拒否して妻と4人のこどもたちとともに、一時帰国を利用してカナダの反戦団体の保護を受け脱走した。「今も毎日イラクの戦場の悪夢をみる。私はまだイラクの悪夢から逃れられないでいる。」まだ若い彼だが、その表情は暗く精彩がない。彼のような脱走兵を支援し、励ます会が反戦団体によって度々催されるが、そうした会も寄付金も重ねるごとに縮小傾向にあるという。

【6/8 カリフォリニア州エルカホン】
この町では、旧フセイン大統領の弾圧から逃れてきた2万人の亡命イラク人が暮らしている。彼らが集う集会場では、イラク・バクダットの荒廃した様子が放映されている報道番組をじっとかたずをのんで見守る姿がある。「新政府のおかげで平和が戻る」と希望を抱く人もいれば、「人々の心は荒れ、経済や治安も悪化してあらゆるものが失われている」と感じる人もいる。

【6/9 フォート・フッド基地】
ラルフ・ガウアー氏は、陸軍博物館に入る。館内で最もスペースを設けているのがイラク戦争のコーナー。拘束された時のフセイン大統領の蝋人形のそばには、ピースサインをして笑うイラクの人々の写真がアメリカ正義の証拠として飾られている。「確かに大量破壊兵器はなかったが、平和は戻りつつある」とガウアー氏は自信をもっている。

【6/9 ガブリオラ島】
現在、日雇いの肉体労働で生活をしているジョシュア・キーさんは、家族を食べさせることすら困難だ。彼ははかって、時給800円の溶接工だったが、妻の妊娠をきっかけに大学への奨学金、安定した生活の保障を求めて軍の広告をみて志願した。転戦中、仲間のひとりが女の子を銃撃するのを目撃する。彼は単に銃を撃ちたくてうずうずしただけだあった。またある時は、切り落とされて地面に落ちていたイラク人の頭をサッカーボールのように蹴って遊ぶ兵士も見る。
1968年ベトナムのソンミ村虐殺事件は、その後の激しい反戦運動からベトナム撤退へとつながった。しかしベトナム戦争時、多くの脱走兵を難民として受け入れてきたカナダ難民委員会に、イラク戦争の非人道を訴えるが、難民として認められない。却下されれば、いずれ本国への強制送還が待っている。時代は移り変わり、大国アメリカと向き合う国で、彼だけでなく、難民として認定された脱走兵はひとりもいない。

【6/9 エルカホン】
イラクではテロはあいつぎ、宗派間の対立も激化。あるひとつのイラク人一家の家族会議がはじまっている。イラクで技術者として働いていた父のアリさんは、今こそ国家再建に尽くすために帰国すべきだと考えている。「祖国はかけがえない。」しかし米軍の通訳として現地に入ったことのある息子と娘は反対する。「イラクは、最悪だ」

【6/11 フォート・フッド基地】
基地の近くの協会では、イラクからの帰還兵を祝福する会が催されている。人々から祝福される一時帰還している兵士の顔立ちがあまりにも若い。日本の大学生なみの年齢だ。こうした会が毎週開催されるが、2498人の兵士が死亡している。

【6/11 ガブリオラ島】
ジョシュアさんに、島の知人の名前を借りて輸送した家財道具がようやく届いた。そして心臓病で余命数ヶ月と宣告されている母からのビデオ・メッセージも。「あなたの行いを正しいと信じている」という息子への母の言葉を聞き、彼は正義とはなにかを考える。イラクでの非道を訴える戦いは、決してやめないと決意する。

*6月13日、ブッシュ大統領はイラクを電撃訪問し「アメリカ軍は今後もイラクに駐留して戦い続けていきます」と宣言*

6月14日は、Army Birthday。大きなバースディ・ケーキを見守る兵士達。彼らの表情からは、その心は全く伺え知れない。
「正義のために戦おう!強い国家を築くために 戦いに勝利するまで 陸軍は突き進む!」
歌いながらグラウンドを走る兵士達を見つめるラルフ・ガウアー氏は、かって同期の元国務長官コリン・パウエル氏とともにベトナムで戦った経験をもつ。しかし撃たれて、前線から帰国。おりからの反戦運動から、軍服を着て街を歩くと「人殺し」とののしられ、また親戚からは臆病者と蔑まれた。この時のつらい経験がよみがえったのか、目に涙をうかべた。「ハディーサ村虐殺事件も、イラクに駐在している13万人の軍人のわずか10~20人の蛮行で、戦争が間違っているとは絶対に言わせない。兵士達には、時間を無駄にしたと絶対に思って欲しくない」と主張する。彼のお気に入りの音楽は、「アメリカン・ソルジャー」

-俺はアメリカ生まれのアメリカ兵士 誇りを胸に仲間とともに立ち上がる 自由が危うくなった時 正義のために行動するのさ

イラク民間人のうち、4万人もの人々が亡くなっている。

『マッチポイント』

2006-08-26 23:56:19 | Movie
のるか、そるか、人生のマッチポイントは、なにも受験だけではない。

往年のオペラ歌手の音楽にのせて、テニスボールがゆるやかにコートを左右する。そのボールの軌跡が描く優雅な流線形が、ネットにあたって一瞬のうちに崩れ、ボールは跳ね上がる。さて、そのボールはいったいどちらに落ちるのか。”マッチポイント”における運が、試合の勝負を決める。
ウッディ・アレン監督らしい知的でクールな幕開けは、スタイリッシュだ。

アイルランド出身のテニスプレイヤーだったクリス(J・R・マイヤーズ)は、ロンドンの特別会員制のテニスクラブのコーチに採用された。働くために借りた狭いアパートは、週200ポンドもする。如才なく、礼儀正しく、頭の回転の速いクリスは、そこで英国のセレブの一員であるトムにたちまち気に入られる。クリスがオペラ好きと知って、トムは父親が後援しているオペラに早速彼を招待する。そこで出会ったトムの妹のクロエは、ひとめでクリスに恋心を抱き、彼は週末の別荘にも招かれた。首尾よく、兄妹だけでなく、両親にも気に入られ、クリスは上流階級への階段をのぼる足がかりをつかんでいく。彼に夢中なクロエの薦めもあり、父親の経営する大企業に転職するやたちまち重役ポストを与えられ、運転手つきの高級車に乗れる身分に昇進する頃には、家族として迎え入れたいと父親にくどかれるようにもなった。

資産家のお嬢様との結婚という切り札は、東西を問わず、貧しい青年が上流階級へ仲間入りするプレミアチケット。自分を一途に愛し、芸術への造詣も深い妻、テムズ河を見下ろすおしゃれで高級なアパート、将来の幹部を約束された社会的な地位、広大で手入れの行き届いた広壮な別荘、美しい馬まで彼のために用意した新しい家族。クリスは、男だったら誰もが憧れ羨望するすべてを手に入れた。それなのに彼は、未来の義父から娘との結婚をあたたかくすすめられた時、華やかな別荘での宴から逃げるようにひどく暗く重い絶望的な表情で階段を降りていく。まるで、階段を一気にかけのぼる人生に反比例するかのように、彼の気持ちは救いようのないくらいどんどん落ちていく。その先には、女優になるためにアメリカからきていたトムの婚約者のノラ(S・ヨハンソン)の姿があった。クリスは、グラマラスで魅惑的なノラの容姿に惹かれていた。トムの婚約者であるノラと関係をもつことは、彼ら兄妹への二重の裏切りであり、セレブからの転落を自覚してはいるが、ノラへの激しい愛欲を制御することはできなかった。このように人生を自分でコントロールしているようで、ほんの運やめぐりあわせに翻弄されることはしばしばあるものだ。
なかば強引に、クリスはノラと性的な関係をもってしまうのだったが。。。

クリスは野心家で上昇志向が強い青年だが、本来はスポーツ選手だったことから、計算して人を利用し、それを踏み台にのしあがり平然と裏切るタイプではない。上流社会の人々に取り入ったのか単に気に入られたのか、はたして故意か偶然か釈然としないまま、ともかくこれ以上にないくらいの強運がクリスに味方して得たポジションだった。しかし、まるでそれに帳尻をあわせるかのように、ノラとの出会いは運の尽き。外的には、”運”が彼をおしあげ、内面的には小さなほんの気まぐれのような”運”が、彼をどん底に落とし、最後のマッチポイントに向けて、物語は一気に進む。従順な妻と奔放なノラの間を、まるでテニスボールのようにいったりきたり追い詰められてたどり着いたクリスの驚くべき行動。この間の緊迫感は、観ていて息苦しくなるくらいだ。このはらはらどきどき感は、映画「リプリー」を思い出す。主人公はあくまでもクリス。クリスの立場で描かれていくと、恐ろしいことに次第にクリスに同情しなくもない。
そして河に投げられた老女の結婚指輪のゆくえは、物議を醸して当然、ウッディ・アレンが映画を通して描いた現代版「罪と罰」である。

モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テーラーが主演した映画「陽のあたる場所」は、往年のハリウッド映画の名作である。主人公のジョージは叔父の営む工場で働くうちに、着々と出世の階段をのぼっていく。同僚の恋人と楽しい夜を過すこともあった。そんな充実した日々に突然表れたのが、エリザベス・テーラー扮する眩しいばかりの美しい令嬢だった。しかも自分と住む世界の違う上流階級の彼女に気に入られ、婚約にまでこぎついた絶頂の時にもたらされたのが、捨てた恋人の妊娠・・・。ジョージは、獄中で自問自答する。この「罪と罰」を彷彿させる彼の内面の葛藤と、導き出された思想は、それに至るまでの彼の人生と交錯して厳かで素晴らしい。そしてなんの未練もなく、あんなに惚れていたジョージを忘れ、彼と関わったことになんら傷つくこともなく、陽のあたる場所に戻っていく美貌の令嬢を演じたエリザベス・テーラーが、見事にはまり役だ。大好きな映画である。
1952年製作されたこの映画から、ほぼ半世紀。現代版の「罪と罰」は、全く異なる結論に終わる。ウッディ・アレンらしいスノッブな皮肉に満ちた結末が、本作品の評価を高いものにしている。最初にクリスが狭いアパートで読んでいた本が「罪と罰」。新しいミューズとなりおじいさん(アレン)を眩惑させるスカーレット・ヨハンセンの役名が、”ノラ”。そして良心や神への忠誠ではなく、運は誰に微笑むか。

この青年は、最後の最後まで運に裏切られることはなかった。それは、本当にラッキーとしか言いようがない。しかし社会的な罰から逃れられたとしても、罪がクリスの心を永遠に罰を与え続ける。可愛い息子の誕生を祝う家族に背を向けて、高層マンションから流れるテムズ河を眺めるクリスの瞳は、人生の死を象徴するかのような暗い空洞だった。

「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ著

2006-08-23 23:34:06 | Book
なみへいへ

例年どおり残暑厳しく、また仕事も質量ともにボリュームアップしているため、連日の残業続きでさぞかしお疲れのことと思います。

そんなさなか、いえむしろだからこそ、あなたに是非読んでいただきたいお薦め本があります。
きっかけは、脳科学者で文章の達人、茂木健一郎さんの書評でした。本書の内容を考慮すると、通常の感想にあたる簡単なあらすじにふれるといういつものスタイルをとれないし、また茂木氏の書評もいつもながら素晴らしいので、以下に添付しましたのでよかったら一読ください。
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「平穏さに潜む恐怖感」
 カズオ・イシグロと言えば、英国文学における最高の栄誉であるブッカー賞を受け、後に映画化もされた『日の名残り』の印象が強い。日本生まれであるにもかかわらず、英国人以上にかの国の本質がわかっている。そう思えるほど、かつての栄華を回想する老執事の人物造型は見事だった。

 『わたしを離さないで』は、『日の名残り』に通じる抑制の利いた文体で、ごくありきたりの日常を描いているように見える。ところが、読み進めるにつれ、その一見平穏な生活の背後から、次第に奇妙な感触が伝わり始めるのだ。
 やがて、語り手のキャシーや、友人のルース、トミーの人生には、何かとてつもなく恐ろしい秘密があるらしいということに読者は気付かされていく。事態の全貌(ぜんぼう)が明らかになった時、読者は血も凍るような恐怖感を覚えることになる。イシグロの文章が平穏なだけに、かえって魂の奥底にまで届くような衝撃があるのである。
 キャシーやその周囲の人たちが「介護人」や「提供者」といった言葉の背後に隠しているある戦慄(せんりつ)すべき真実とは何か? 未来がもしこの小説のようになってしまったら、世界はもはや悪夢でしかない。しかし、私たちの社会は確実に『わたしを離さないで』が描くような世界に向かっているのかもしれない。
 多くの論議を呼ばざるを得ない危険なテーマを敢えて取り上げることで、この小説はすぐれた同時代性を獲得している。
 それにしても、「ヘールシャム」に学ぶキャシーたちは、なぜ自分たちの運命に対してこれほど従順なのか。時々爆発するトミーは困りものではなく、むしろ人間本来の姿なのではないのか。キャシーたちの置かれた境遇が、全てがシステム化されていく現代に生きる私たち一人ひとりの寓話(ぐうわ)なのだと思い至った時、この希有な小説の恐ろしさは底知れないものとなる。土屋政雄訳。

 ◇カズオ・イシグロ=1954年、長崎県生まれ。作家。5歳で渡英、帰化。

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最近の科学の発達には、目をみはるものがあります。しかしながら、戦争が科学の発達を促進したという側面があるように、本書の登場人物であるマダムの「科学が発展して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。」という告白は、単なる小説の中のできごととやり過すことはできません。科学の発達には、光ばかりでなく、悲しいことに、時に人類の愚かな失敗としての影を落とすこともあります。
そしてこの本をミステリーやSF小説というカテゴリーで読むのは、誤りです。語り手のキャシー、友人のルース、そして最初から愛し合っていたはずのトミーに、そして、「ヘールシャム」に学ぶすべての”生徒”に共感することで、はじめてこの本を読んだ価値が生まれます。キャシーは、彼らは、ただひとつの目的のために、生まれながらにして”教育”というもっともらしい美しい言葉のもとに、優しい先生たちに閉鎖された社会で飼育されて育ちます。集団生活のなかでまわりとうまく協調し、共通の楽しみや遊び、ある時は架空の道具を見つけて共有することでコミュニケーションをとり、大笑いし、語り合い、うっすらと感じている真実からあえて遠ざかったところにひっそりと存在しています。彼らはそれが置かれた立場において、最も賢明な方法と無意識のうちに自覚しているからです。茂木氏も言及しているように、彼らは何故従順なのか。自分たちの存在理由を考えると、なにを、どう考えても、どうやっても、レールがすでに生まれる前からしかれているので、、、すべてが無駄だからです。ただ、人類の叡智という言葉に、わたしは人間の本来もっている力を信じます。それは、科学や科学技術の発達とともに、決して失われない賢明で純粋であたたかい志しをもつ力です。

忘れないで欲しいのは、わたしたちの人生は、わたしたちのものだということです。

カズオ・イシグロ氏の本書は、『タイム』誌において文学史上オールタイムベスト100に選ばれています。将来、未来のこどもたちがこの本を手に取った時に、幸い荒唐無稽な設定と感じるような時がくるかもしれません。また、著者をはじめとして多くの人のある種の研究成果に関しては、科学的な誤解もあるとも感じています。それでも、生きる意味を投げかけている普遍的なテーマーに貫かれた本書は、後年長く読み続かれるでしょう。
作家に対しては、全寮制のエリート教育、科学教育に力をいれている英国で育った影響も感じます。さらに”I”を”私”でなく、”わたし”と約した訳者の力量の功績も称えたいですね。

それでは、これ以上は本をお読みになった後ということにして、次のカズオ・イシグロ氏のメッセージをお伝えすることで送信します。体調を崩されないようくれぐれもご自愛のほどを。では、いずれまた。。。

「人の一生は私たちが思っているよりずっと短く、限られた短い時間の中で愛や友情について学ばなければならない。いつ終わるかも知れない時間の中でいかに経験するか。このテーマは、私の小説の根幹に一貫して流れています」

ES細胞のあらたなる研究成果
  


ES細胞のあらたなる研究成果

2006-08-21 23:05:23 | Nonsense
遅ればせながら、非常に驚いた画期的な研究ニュースを。
詳細はここで→

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「皮膚細胞から万能幹細胞の誘導に成功」
 JST(理事長 沖村憲樹)は、卵子や受精卵を用いることなく、マウス皮膚細胞から胚性幹(ES)細胞に類似した万能幹細胞(多能性幹細胞)を誘導することに成功しました。
 本研究チームは、ES細胞に含まれる4つの因子を組み合わせてマウスの成体や胎児に由来する線維芽細胞に導入することにより、ES細胞と同様に高い増殖能と様々な細胞へと分化できる万能性(分化多能性)をもつ万能幹細胞を樹立することに成功しました。同チームはこの細胞を誘導多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell, iPS 細胞)と命名しました。
 ヒトES細胞は再生医学における資源として期待されていますが、倫理的観点から慎重な運用が求められています。今回の成果により、ヒト皮膚細胞からもiPS細胞が樹立できるようになれば、倫理的問題を克服することができ、脊髄損傷、若年型糖尿病など多くの疾患に対する細胞移植療法につながることが期待されます。また患者自身の体細胞からiPS細胞を誘導すると、移植後の免疫拒絶反応も克服できると期待されます。
 本成果は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「免疫難病・感染症等の先進医療技術」研究領域(研究総括:山西弘一(独立行政法人医薬基盤研究所 理事長))の研究テーマ「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」の研究代表者・山中伸弥(京都大学再生医科学研究所 教授)と高橋和利(同 特任助手)らによって得られたもので、米国科学雑誌「Cell」オンライン版に2006年8月10日(米国東部時間)に公開されます。

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先日「誰もが十字架を背負っている」のblueさまと映画「アイランド」から、ES細胞の是非についてお話したやさきのこと、京都大学再生医科学研究所で上記のような画期的な研究成果が発表された。どのように画期的な研究なのかということと、一般的な疑問等はblueさまのブログに詳細にのっているのでご参考まで。

今ちょうど英国在住の日本人作家のカズオ・イシグロの最高傑作にして衝撃の話題作と巷間すこぶる評価の高い小説「わたしを離さないで」を読みはじめている。本作品の優秀な介護人である主人公(女性)の抑制された平易な独白ではじまる文体から、なんともいえない奇妙な感触がじわじわと効いてくる。しかもこの奇妙な感触は、おぞましいほどの恐怖と驚愕する全貌があきらかになっていく予兆がただよっている。これ以上の内容はあかせないが・・・。

「ES細胞の光と影」

『ブラウン夫人のひめごと』

2006-08-20 23:25:41 | Movie
Je t’aime,le Cinema!
愛と官能の世界へようこそ-

愛は世界に溢れている。けれども、”官能”といえば、ここ日本では道端にいくらでも落ちているというわけでもない。新宿K’s cinema でそんなタイトルによるセンシュアルなフランス映画を3本上映という企画の第1章、シュテファン・ツヴァイクの「女の二十四時間」を映画化した『ブラウン夫人のひめごと』を堪能する。

チェロの重くリズミカルな音楽にのって、一台のスポーツカーが夏の夜、バカンスに向けて疾走する。目的地は、ニース。2組の恋人たちを乗せた車は、無法図に、開放的にばかばかしく彼らを海辺に運んでいく。すると舞台は一転、最高級ホテルの地中海のあかるさを集めたかのようなバスルームで考え事をしている老人を映す。やがて彼は、ゆっくりとクローゼットから仕立ての良いスーツを選んでそれに着替えてカジノにおもむく。そこで偶然彼らと遭遇して、1組の恋人の痴話げんかにまきこまれて仲たがいしたオリビア(ベレニス・ベジョ)と、同じ時間を過ごすことになってしまう。19歳の彼女は、悩んでいた。暴力的な男と別れるべきだと感じながらも、性的に惹かれて離れられない自分をもてあましてもいた。

やがてふたりは夜の海辺にでかけ、大使を引退したルイ(ミシェル・セロー)は、問わずがたりにオリビアに10代の頃、この地ニースで過した日々を語り始める。
それは1936年のことだった。独善的だが事業に成功した父と美しい母。夏の避暑地ニースは、似たような家族の社交場にもなっていた。美しい母の輪郭を受け継いだルイは、少年と青年に狭間で揺れ動くような年頃だった。彼は、ドイツの少女オリヴィアに恋をした。彼女の名前をそっと教えてくれたのが、ひとりでやってきていつも黒い服を着ている平凡な容姿の中年の婦人、マリー・コリンズ・ブラウン(アニエス・ジャウィ)だった。

やがて、母はルイのテニスのコーチと失踪した。失意のどん底に陥る父と傷つくルイ。そんな彼らへの同情と駆け落ちした母とテニスコーチへの批判という、ごく常識的な意見と噂話にさく優雅な人々。そこでマリーは、もっともらしく麗しい話の底に潜む、退屈しのぎの格好の話題に飛びつく彼らの欺瞞を毅然と暴く。ルイは、美徳の裏にひそむ人間の悪意にさらに傷つくが、そんな彼をマリーはなぐさめ、ある秘密の話をはじめるのだった。

1913年当時、3年前に戦争で夫を失ったマリーは、ぬけがらのようになり毎日ふさぎこむ日々だった。そんな彼女を心配して、義妹のペギーがなかば強引に彼女をニースに気分転換に連れ出す。新しい豪華なドレスで身を飾った女ふたりは、重厚な扉をあけて生まれて初めてカジノに脚を踏み入れる。そこでマリーは、カジノに興じる人々の無数の手からある男性の手を見いだしてひかれていく。その両手は、堅く強く結ばれていて獣のようだった。その手はなによりも雄弁に、持ち主の勝負にかける意気込み、緊張、失望、喜び、そして絶望を語っていた。最初は、美しい手だったのだ。彼女が、感じたのは。そして、マリーはその手の持ち主、貴族出身でポーランドの軍人・中佐でありながらも、人生に絶望してギャンブルに明け暮れていた青年アントンから、視線をはずすことができなくなっていた。
タキシードを身につけた青年のすべてが完璧な美しさだけだったら、彼女の興味をひかなかっただろう。有り金をすべて賭ける青年のほの暗く輝く瞳、勝負の行方を祈るあまりにもはりつめた表情、そしてすべてを失った時の失意と絶望の後姿。思わず彼女は、青年にかけよりバッグからありったけのお金をさしだす。彼女にとっては、無意識のあふれんばかりの善意からの行為だった。しかし、青年にとっては捨てた残酷な運命としかいいようがなかった。自らの自堕落な生活が引き寄せた運命だとはいえ。。。

ニースを舞台に3つの時代にわかれて、それぞれの時代背景にそった衣装と様式で物語は進行していく。しかしタイトルが示すように、物語の核をなすのはブラウン夫人と彼女と一夜を過すアントンだ。ブラウン夫人は、翌日彼をフランス行きの汽車に送り出すまで気がつかない。彼を救済したい行為が、自己満足のためでもなく、まして年下の男への母性愛でもなく、実はほんの一日という短い時間にも関わらず、一生の恋になることを。外は激しい雨が降っている。その雨が小さな部屋の窓をたたきつける音を聞きながら、アントンは絶望から逃れるかのように、現実から逃避するかのように、何度も何度も年上のマリーを求めていく。マイケル・ナイマンの音楽が奏でるこの愛の行為は、充分に官能的であり魅力をたたえる場面だ。マリーの自分の予想外の大胆な行動を驚きながらも、必死にアントンを見つめて求める大きな瞳が、強烈な印象を与える。
アントン役のデンマーク出身のニコライ・コスター=ワルドウが、これ以上ないくらい重要な役割を果たしている。マッチョな韓流俳優と一線を画すタキシードを着た本物の美しさの官能に圧倒される。品のよさを感じさせるうなじと目、そして端整な手。その一方で精神の荒廃を漂わせるあごの輪郭と高い鼻。
外交官として世界中をまわり最高の出世をし、富と名誉をえ、お金を遣い、女性と遊んできたルイは、最後につぶやく。アントンにはかなわない。すべてを手に入れた彼は、すべてを捨てたアントンに比較して深い喪失感に疲れ、たどり着き、戻ってきた地はここニースしかありえない。

映画全編、物語は観客をじらすかのようにゆっくりと余韻を与えながら丹念にすすんでいく。ひとつひとつの場面、衣装、風にはためく景色の色、人々の表情。目をこらし、息をひそめて静かにオトナの官能を味わうもまた楽し。K’cinemaには初めて入ったのだが、最近できたのだろうか明るくて清潔感がある。本当に良い映画を上映する小さな映画館が、東京には数多くある。

米国の遺体売買市場

2006-08-19 22:54:56 | Nonsense
蒸し暑い夜のおやつは、「怪談」。高校1年生時の夏休みの英語の宿題のほんの一部は、小泉八雲の「KAIDAN」がテキストだった。
ホラー映画を観ることができない小心ものの私が、もっとも恐い小説は夏目漱石の「夢十夜」だ。「こんな夢をみた・・・」ではじまる語りに、身が凍りつくような恐怖を味わった。
さてさて、こんな話を聞いた。
それは、アメリカのお買物の話である。

頭を購入したかったら、500~900ドルを用意しよう。米国での遺体取引現場では、500~900ドル。オプションで脳を追加すれば、さらに50ドル。胴体部分は、体積が多いためだろうか、市場原理なのだろうか、ちょっとお高め3000ドル。片脚だけなら、650ドルでOK。米国では、この程度の価格帯で遺体売買が急増しているという。購入者は、大学、葬儀社、医療関連企業。ぞっとする話だが、遺体の利用方法を知るとなるほどと思わぬわけでもない。

ジャーナリストのアニー・チェイニー氏は「人体ブローカー」(米国における遺体取引の現場)』(Body Brokers: Inside America's Underground Trade in Human Remains)の新書で、遺体を追った現場の目撃談からそのショッピングの内幕をあかしている。(この手首は4割引のバーゲンセール品?→)

①医療技術の実験台・・・胴を切開して腎臓を摘出する方法を学ぶ泌尿器科の外科医たち
②砕かれた人骨を精密機械で加工して、整形外科用の”部品”になる
③対地雷防護具のテストにも利用される

どれもこれも、冷静に考えれば、ある意味では献体と同じように崇高な?目的に使われていると言えなくもない。但し、大方の日本人は私も含めて、亡くなっても死者(遺体、もしくは死体)への畏敬の念と尊厳の気持ちをもつべきだという日本的な情緒教育をうけているから、このようなビジネスに顔をしかめるだろう。対地雷防護具の精度をあげることがある地域の人々を救うことを理解していても、人体の一部を実験台に利用することの不整合さには、感情的になかなか受け入れられるものではない。
売買される遺体は、医療研究目的の献体や遺体安置所で引き取り手がなかった者(物?)も含めるが、ドナーによる提供もある。
しかし、つい最近もドナーから提供された素材から汚染された人体組織を移植した数100もの患者が、米国でニュースになった。著者が知るところによると、遺体から摘出した骨を移植手術を受けた青年が、細菌感染によって亡くなった原因が、ドナーの銃自殺をした若い男性の遺体の発見が遅れたことによる人体組織の管理の杜撰さであったという。

国内では、実際のところこのような人体ブローカーは存在するのだろうか。米国では、このような取引に対する取締りがないのも同然で、そのため遺体の盗難や不正取引も横行しているという。
「この市場でどれだけ多くの遺体が取り引きされ、それらの遺体にどんなことが起きるのか、誰も知らない」
こう語る著者の遺体のリサーチは、誰もが遺体を、そして死者が大切に扱われるべきだ、というしごくまっとうな動機であろう。
それにしても、科学テクノロジーがすすめばすすむほど、人間の肉体もビジネスに親密になるということはどこの国でも変わらないかもしれない。
そして、遺体からの顔面移植手術という記事も。

提供者、手術者ともども考えさせられる真夏の夜の怪談。。。

終わらない「ヒルズ黙示録」

2006-08-18 23:58:42 | Nonsense
「ヒルズ黙示録」が刊行されたのが、今年の4月。その頃、村上世彰氏は親しい知人に「オレ逮捕されちゃうのかな」と冗談めかして言っていたそうだ。
本書でも明らかにされているように、堀江貴史氏にニッポン放送株の買占めをそそのかしながらも最後に高値で売り抜けていたという話が事実だとしたら、6月5日にインサイダー取引規制違反嫌疑で逮捕されたことに、本書の影響をあげる読者もいる。

しかし上記の嫌疑は、事件の闇のほんの入り口に過ぎないというのが、捜査関係者の意気込みである。40億円でスタートした通称「村上ファンド」も、”儲け過ぎちゃった”成果の果実の甘い蜜に誘われるかのように、現在はスタンフォード財団、ハワード・ヒューズ財団、そして我が国では日銀の福井総裁の可愛いお小遣いも投資され、運用資産も100倍に成長。なかには、海外から迂回した様々な資金がケイマン諸島籍のファンドに流れていることから、検察はさらにマンデーロータリングや脱税という次のシナリオも準備している。

これまで政治献金、個人資産の利殖のお手伝い等、政治家とのお付き合いに気をつかってきた村上氏のことだから、村上ファンドへの出資者は国会で糾弾されてなんだかかっこ悪い福井総裁だけではない。
日本振興銀行への出資で大株主になったり、多くのスポンサーをこれまで紹介するなど濃密な日々をともに過ごして来た木村剛氏。
本書でもとりあげられていたが、村上氏に甘くささやかれTBSを攻略中の楽天の三木谷浩史氏は、精神的に追い詰められているという噂もある。なにしろ1000億円が張り付き、家族会議まで開いたそうだから。
そして理工系学生アルバイトの人材派遣業、ドリームキャリアの社長、植島幹九郎氏はヒルズ族たちと美人?女子大生との合コンを取り仕切るという夜の斡旋業にも励んでいた。
そして最後の大物俳優は、勿論オリックス会長の宮内義彦氏。福井総裁が出資していた匿名性の高いファンド「第一回統合アクティビスト投資事業組合」の出資募集者や運用報告書の作成をオリックス投資銀行本部が代行するかわりに、年1%の管理手数料を受け取っていた。しかもオリックスに特化した特別ファンドすら存在していた。オリックスでは村上ファンドの詳細な取引情報を入手して、オリックス自身が運営しているファンドの投資先選定の参考資料にしていたという疑いも浮上している。

「オリックスから離れ、独り立ちしようとする村上さんに追いすがるように拘束して、好成績をしいていたのが宮内さん」
そう説明する村上ファンドの関係者もいる。さすがに、純投資しているファンドのひとつに過ぎないという、オリックス側社長室の木で鼻をくくったようなコメントは通用しないだろう。「時代」のけじめをつけ、象徴的な事件を断罪するのが国策だとしたら、規制緩和を存分に利用してビジネスに直結させたのが宮内氏だった。
Xデーは9月。まことしやかな噂が流れている。
なんとも、この愉快なオペレッタの幕は降りていない。

「ジャスミン」辻原登著

2006-08-17 23:32:38 | Book
いい長編小説は読み終えるのが惜しい。
物語の最終ページまで残されたのは、あとほんの数葉。いみじくも「ジャスミン」の主人公である脇坂彬彦が、幼い頃中国へ渡った父を捜して会う旅路の最後でつぶやく言葉に、我が身から思わずもれたため息が重なる。清楚でありながらもそこはかとなく色気も漂う馥郁たるジャスミンの香りを胸いっぱいに酔わせながら、中国という大陸と日本の神戸という街を舞台にしたこの美しい物語を閉じることになる。

脇坂彬彦は、外資系の日本特別研究グループのチーフディレクターとしてODAの中国向けのプロジェクトのリサーチに携わってきた。神戸出身で京都の大学院で経済を修め、大学に残ることを奨められながらも経済学に限界を感じ、シンクタンクに就職する。デザイン事務所に勤務する異父妹のみつると、介護つきの施設で暮らす母がいる。最愛の妻を31歳で病気で失って7年経つが、彼はいまも妻を愛している。-ふたりで夢みたこと、楽しかったこと、ふたりがみるはずだった美しいことども、すべて彼女があの世にもっていってしまったという悲しみに閉ざされる時もある。

そんな時、中国大陸に消えた父が生きているという情報が入る。戦後帰国して彬彦をもうけながらも、かの地での戦後処刑されたはずの恋人から呼び寄せられるように再び大陸に渡った父は、二重スパイだったのだ。1987年、黄土高原のどこかにいまだ捕らえられているという父を捜しに、彼は船で上海に渡った。そこで喜劇俳優として映画出演していた父の友人である映画監督、謝寒と出会う。謝寒はかってのプロレタリア革命時、ふたりの少年といってもいい紅衛兵になった息子たちのひとりを内部抗争の果てに殺され、弟の方はリンチによって心を破壊された。
「政治の世界は野蛮な人間が勝つ。蒋介石も毛沢東も野蛮で狂暴で、田舎者だった」と彼は感じている。
彬彦が上海の撮影現場で父の足跡を辿る調査を開始したまさにその時、中国では天安門事件が勃発し、大きく揺れた。政府がやっきになって捜している事件の首謀者である民主活動家のひとり、彼の恋人で謝が撮影中の映画に女優として出演している李杏(リーシン)に彬彦はひとめで惹かれていく。
ジャーナリストとして活躍する友人の「圧政下にある外国で無事に過すには、当地の女と深い関係にならないこと」
そんな忠告が胸によぎるが、彬彦と李杏は事件の緊張の高まるなか、運命に導かれるようにお互いに求め始める。

ひとりで机に向かい手紙を書き綴る彼女に
「ほんとうは何をしていたのですか」と尋ねると、
「恋をしていたの。あなたと」と応える彼女を思わず抱きしめると、李杏の目が彼の近くに滑り寄り、たゆたい、まるで桟橋の小舟のように揺れている。

つかの間のひそやかで濃密な時間も、せまりくる時局の変化にふたりは霧の闇をついて江南のクリークを遡りながら逃亡するが、ついにひきさかれてしまう。早朝、残されたのは、ジャスミンの香りの余韻だけだった。中国政府に逮捕され、彬彦は失意のうちに帰国する。そして、5年の歳月が流れていった。

本書の作家、辻原登を体験してみようと思ったきっかけは、氏の短い書評にふれたことだった。ロシアのノーベル賞作家の小さな恋愛小説の書評の、辻邦夫氏を彷彿させるような深い教養と端整な文章に、この作家の小説を読んでみたいという思わせる魅力を湛えていたからだ。むしょうにモーツァルトのピアノ協奏曲を聴きたくなるように、ただひたすら美しい物語をたどりたい時もある。そんな夜更けに、本書ほど最適な本もなかなかないだろう。しかもただ甘く軽い恋愛小説ではない。作家の中国という大国の歴史観を背景に、政治、国家を大木にすえて瑞々しくはらせた幹を鑑賞するがごとく趣がある。

最後の結末を含めて、彬彦のように戦慄して贅沢なため息をつくのだった。
「文学」が、健在だったことを喜ぶ。