千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

気がつけば・・・今年も年末

2015-12-12 09:35:18 | Nonsense
2004年12月にブログを開設して、はや11年。
日記は3日坊主の私だが、これだけは続けられると思っていたのに、今年はたった4本の掲載のみ。諸々の事情があり、日々仕事、家事、勉強に追われ、まだレポート提出もやっていない!と焦りまくる年末である。
こんな本、あんな本、ただいまマット・リドレーの「フランシス・クリック」を読書中、映画『黄金のアデーレ名画の帰還』もとてもおもしろかったが、考えること多々あり、、、と来年こそはもう少しブログを更新したい。


「十三億分の一の男」峰村健司著

2015-06-27 16:02:47 | Nonsense
世界最高峰のオーケストラのひとつであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の次期音楽監督が決まった。
音楽ファンにとっては一大事件の人事であるが、その栄誉あるポジションを獲得したのは、若いバイエルン州立歌劇場音楽総監督でロシア出身のキリル・ペトレンコ氏。予想外の結果に少し拍子抜けを感じたのは、私だけだろうか。

この感覚は、私の中では大本命だったできる李克強を超えて、ただの太子党のひとりだった習近平が2013年に中国の国家主席に選任された意外感を思い起こした。けれども、私の意外感が、そもそも中国や権力闘争や”力”に縁のない者の浅い感想だったことを知らせてくれたのが本書だ。朝日新聞の気鋭のシャーナリストが、ペンでなく足と汗でたどりついた、たった1回、日本人指揮者がベルリン・フィルを振る舞台にたっただけで大騒ぎしてくれる日本のマスコミには想像もつかないような、権力闘争の果てに13億分の1の中国皇帝になった男と、その闘争が描かれている。

愛人たちが暮らす村でのカーチェース、ハーバードに留学している習近平の一人娘の姿を卒業式でとらえ、といった出だしこそ、テレビの企画ものとさして変わらない印象であるが、後半になっていくとすさまじい中国の権力闘争に第一級のクライムサスペンスを見ているような勢いとおそろしさがある。

エリート中のエリートのオーラを放っていた李克強を追い落とし浮上したのも、長い長い院政で胡錦濤を支配して縛り付けてきた老獪な江沢民の壮絶な権力闘争の妥協の産物だったのだろうか。それも確かにある。しかし、国務院副総裁まで勤めた父の習仲勲が、文化大革命中に失脚し16年間も獄中で迫害され、自身も16歳であまりにも貧しい寒村の下放されて洞窟暮らし。辛苦をなめながらも村人たちと交流し、その後清華大学に進学し、指導者になるには軍人の関係も必要と教わり、人民解放軍専属に人気歌手と見合い結婚。

一方、李克強は北京大学時代から優等生ぶりを発揮し、猛勉強で常にトップ、留学を夢見て英語の辞書を手離さなかった彼が、最難関校の切符を手にした頃に、共青団の幹部に1万人をまとめられるのはあなただけとくどかれれて、迷った末に政治家となった。その後、次々と最年少で昇格し、胡錦濤とは兄弟のような関係だった。1997年の党大会では、李克強が中央委員会の候補となっていたにも関わらず、習近平は、151人の最下位の候補者だったという。

しかし、遅れてきたダークホースにもならなかった習近平が頂点にたったのも、虎視眈々と用意周到に地盤を固めていったこともあるが、やはりそれもすさまじき権力闘争が”妥協ではなく”、生まれるべくして生まれた第7代国家主席だったことが、本書から伝わってくる。市民、政界、権力者に近づいて生々しい中国ルポをものにした著者の「現場主義」には、私はやはり敬意を表したいと思う。

「李克強が優秀なのは確かだが、同じくらい頭脳明晰な党員は、我が党にはいくらでもいる。そのたくさんの優秀な党員をまとめる”団結力”が最高指導者にとって重要。」という党関係者の見方は、説得力がある。しかし、それにしてもこんな中国と中国人を相手にする日本の総理大臣のひ弱さと自己中心的な幼さには不安と情けなさを感じる。

さて、ベルリンフィルの音楽監督の選任は、実は5月に開催された123人の選挙資格を有する団員による選挙と長い議論では結果がでなかった。ドイツ出身のクリスティアン・ティーレマン、バイエルン放送交響楽団首席指揮者を務めるマリス・ヤンソンス、若手のアンドリス・ネルソンス、まさかのベネズエラ出身のグスターボ・ドゥダメルといった名だたる候補者が浮上したが、年齢、保守的、他の楽団との契約等、さまざまな理由や事情から決定打がなかったそうだ。政治には、時の女神もいるのかも。

背信の科学者たち 

2015-04-26 09:53:43 | Nonsense
諸般の事情により、というよりもお勉強?に時間をとられてブログを更新できない状況が続いています。
その間、あんな本、こんな映画、そして素敵な音楽と過ごした時間。
言葉や感情が溢れていますが、その前に60日間更新していなかったための広告がとうとう出没。
えっっ、、、化粧品や不動産など、それほど関心がないのに。

・・・というわけで以前のブログを再掲載。
続編として村松秀氏の「論文捏造」がお薦め!

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1981年、下院議員の若きアルバート・ゴア・ジュニアは、深い怒りをこめて「この種の問題が絶えないひとつの原因は、科学界において指導的地位にある人々が、これらの問題を深刻に受け止めない態度にある。」とざわめく法廷を制した。通称、ジョン・ロング事件でのできことだった。 論文の盗用、データーの捏造、改ざんをしていたのは、あのOさんだけではなかった。

「それでも地球が回っている」
あまりにも有名なこのセリフを後世に残し、科学者という肩書きを崇高に格上げしたガリレオ・ガリレイの実験結果は、再現不可能で今日では実験の信頼性に欠けているとみなされている。又、偉大な科学者であるアイザック・ニュートンは『プリンキピア』で研究をよりよく見せるため偽りのデータを見事なレトリックと組み合わせて並べていたし、グレゴール・メンデルの有名なエンドウ豆の統計は、あまりにも出来すぎていて改ざんが疑われる、というよりも本当に改ざんしていたようだ。しかし、いずれもこれらの行為は、ニュートンもメンデルも信頼性を高めるための作為であり、都合のよい真実を集めていたわけで、科学的真理の発見にはおおいに貢献していたとも言える。”悪意”もなかったようだし。

しかし、現代ではいかなる科学的な事実であろうとも、論文の捏造は許されるものではない。そもそも、”悪意”の定義を議論することすら見当違いであることを、本書を読んでつくづく実感する。仮に、もし仮にstap細胞が本当に存在していたとしても、論文のデータを改ざんしたり捏造したりする行為が水に流されて、最終的に結果オーライというわけにはいかない。それが、一般社会通念とは違う科学というグローバルスタンダードの戦場なのだ。

いつかはばれる。化石を捏造した犯人がいまだに謎である推理小説のようなピルトダウン事件、サンバガエルを使って嘘の実験データで強引にラマルク学説を支持したポール・カンメラー事件(余談だが、彼はアルマ・マーラーに恋をして結婚に応じないならば亡き夫・マーラーの墓前でピストル自殺をすると迫ったそうだ)、データを捏造して驚異的な論文を生産していたハーバード大学のダーシー事件、論文を盗用しまくって研究室を渡り歩いたアルサブティ事件。次々と背信の科学者たちが途絶えることがない。

本書に登場する事件を読む限りでは、いつかは偽造がばれるだろうと素人にも思えるのだ。結局、嘘に嘘を積み重ねることは、無理があり破綻せざるをえない。それにも関わらず、ミスコンダクトは繰り返されていく。何故なのだろうか。

たとえば、1960年代、全く新しい星がケンブリッジ大学の博士課程の大学院生ジョスリン・ベル・バーネルによって発見された。しかしながら、「ネイチャー」に掲載された論文の筆頭者は、最大の功労者である彼女ではなく、師匠のアントニー・ヒューイッシュだった。教え子の手柄をとった彼が、後にノーベル物理学賞を受賞すると”スキャンダル”と非難された。おりしも、金沢大学では教え子の大学院生が書いた論文を盗用していたという事件が発覚したが、ここまで悪質ではなくとも、それに近い話はそれほど珍しくない。科学の専門化、細分化がすすむにつれ、多額の助成金が必要となり、予算をとってくるベテラン科学者と、彼らの下でもくもくと実験作業を行う若手研究者。ベテランが予算をとってくるから研究できるのであり、逆に駒のように働いてくれるから研究者は真理に近づけるのである。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授と、当時大学院生だった高橋和利さんのようなよい師弟関係ばかりではない。

実は、本書は1983年に米国で出版された科学ジャーナリストによる本である。そんな昔の本なのに、登場する実際の捏造事件は、今回のstap細胞問題に重なる点が多いことに驚いた。優れた研究室で、次々と画期的な論文を連発するが、本人しか再現できないマーク・スペクター事件。stap細胞作成には、ちょっとしたコツとレシピが必要だと微笑んだ方を思い出してしまった。「リアル・クローン」の中でも、著者が再現性が重要と何度も繰り返していた。大物実力者のサイモン・フレクスナー教授の支持を受けて、充分な審査を受けることなく次々と論文を発表してもてはやされていたが、今ではすっかり価値をなくしてしまったがらくたのような研究ばかりで科学史から消えていった野口英世。

ところで、気になるのが、次の記述である。

「若手の研究者がデータをいいかげんに取り扱ったことが明るみに出ると、そのような逸脱行為によって信用を傷つけられた研究機関は、事態を調査するための特別委員会を組織することが責務であると考える。しかし、そうした委員会は結局、予定された筋書きに従って行動するのである。委員会の基本的な役割はその科学機関のメカニズムに問題があるわけではないことを外部の人びとに認めさせることにあり、形式的な非難は研究室の責任者に向けられるが、責任の大部分は誤ちを犯した若い研究者に帰されるのが常である。」

そして改ざんの予防策として、「論文の執筆者は署名する論文に全責任を負うべきである」とも。今回の茶番も、Oさんひとりの責任ではなく、そもそも科学者としての資質も能力も欠けている人を採用し、バックアップしたブラックSさんの責任も重いのではないだろうか。

「リアル・クローン」若山三千彦著
ミッシング・リンクのわな

ヴァイツゼッカー氏逝く

2015-02-13 19:28:38 | Nonsense
東西ドイツ統一時の大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が1月31日に死去した。94歳だった。
「ドイツ中が、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏の死を悼んでいる。」と、フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外務大臣は、2月1日に発表した。

2010年9月20日の弊ブログを再掲↓
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先日、来日したマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が、9月26日(日)22時より「ハーバード白熱教室@東京大学」として放映されるそうだ。
これは観逃してはいけないと思っちゃっているのだが、私としては一番関心があるお題は、、、

「オバマ大統領は広島・長崎の原爆投下について謝罪すべきか?」

私の回答はYES!歴史的な背景やら倫理からこの回答の理由を述べたらとてつもなく長くなるのだが、マイケル教授の教室ではそれよりも政治哲学上の考え方を学ぶべきだと思う。立場を逆にして、我々は生まれる前の先人達の過去について謝罪すべきだろうか。歴史を繰り返さないためにも、忘れてはいけない。
さて、今から25年前の1985年5月8日、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が敗戦40周年にあたるこの日、ドイツ連邦議会で演説を行った。

「ご臨席の皆さん、そして同胞の皆さん」
ではじまるドイツ終戦40周年記念演説のために、ヴァイツゼッカー大統領は各階各層の人々と会話を続け、数ヶ月に渡る準備のうえ推敲を重ね、心からの和解を求めて歴史を直視しようと語った。画像は発行された当時の岩波ブックレットNo.55だが、私が読んだのは、新版の767。版を重ねるくらいの名演説として名高いのが「荒れ野の40年」である。それはまた、時代が過ぎて、世代が変わっても、演説に、今後も読み続けられるべく多くの示唆を私たちが感じていることを示している。

1920年に生まれたリヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker)は、指揮者のカラヤンと同じ「フォン」がつくように、男爵の一族出身。外交官だった父の転勤により、スイスのバーゼル、デンマークのコペンハーゲン、ノルウエーのオスロ、再びスイスのベルンで過ごし、ベルリンに戻ってからはギナジウムを卒業してからオックスフォード大学で学んだ。兵役でドイツ国防軍に入営し、同じ連隊に所属していた次兄の少将ハインリヒの戦死を見ることになった。(長兄のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーは物理学者、哲学者である。)終戦後は、学業に復帰して歴史学と法学を学び、ナチス・ドイツの外務次官としてニュルンベルク裁判で裁かれていた父の担当弁護事務所で研修生として、父の弁護を手伝った。この経歴は、その後も何かと論議をよぶのだが、1954年キリスト教民主同盟(CDU)に入党。1984年から94年までドイツ連邦共和国の第6代大統領を務めたが、その間、国民から敬愛され、またその演説の格調の高さでも有名である。

ホロコーストについて、一民族全体に罪がある、もしくは無実であるという考え方ではなく、「罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分には異論があるかと思うが、敗戦後の瓦礫の山で呆然自失となり苦難の道を歩くドイツ国民を思いやるヴァイツゼッカー大統領に言葉には、日本人として共鳴するものがある。また「荒れ野の40年」には「出エジプト記 民数記」で古代イスラエルの民が約束の地に入って新しい歴史の段階を迎えるまで荒れ野で過ごしたとされる40年に、ひとつの国が東西に分裂された40年を重ねている。ヴァイゼッカー大統領はドイツ国民の民族へ、また世界の人々に次のように語りかける。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」


ナチスの犯した罪によって、ドイツ人であることだけで悩み続ける若者に、たがいに敵対することではなく、和解と寛容を説き、勇気を与えたそうだ。まさに「die Rede」ザ・演説である。
「解説」の訳者による「若い君への手紙」も理解をたすけてくれる好テキストである。
「政治とは、道徳的な目的のためのプラグマティックな行為」というのは、元首相のヘルムート・シュミットの言葉だが、この演説を読んでその意味を深く考えさせられる。

■こんなアーカイヴも
映画『二十四時間の情事』
映画『白バラの祈り』
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
映画『愛を読むひと』
「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」A・グセリアン編

「暗いブティック通り」パトリック・モディアノ著

2014-10-12 16:49:42 | Nonsense
10月9日、恒例のノーベル文学賞が発表された。今年のスウェーデン・アカデミーはフランス人作家のパトリック・モディアノ氏(69)に授与すると発表した。授賞理由は「記憶の芸術で、最もつかみ難い人間の運命を想起させ、占領時の生活世界を明らかにした」ことによる。
 モディアノ氏は、パリ近郊ブローニュ・ビヤンクール出身。1968年、「エトワール広場」で小説家としてデビュー。ミステリアスな作風で自らのアイデンティティーを探求する作品が多い。これまで、72年に「パリ環状通り」で仏アカデミー・フランセーズ賞、78年に「暗いブティック通り」で仏ゴンクール賞を受賞した。75年に発表した「イヴォンヌの香り」は、パトリス・ルコント監督によって映画化もされている。2011年に発表した「失われた時のカフェで」はフランス国立図書館賞を受賞した。

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というわけで、以前読んでいた「暗いブティック通り」のブログを”記憶”をたどりなから再掲載。

自分探しの旅、そんな旅があるようだが、女性がパリに短期留学するのといったいどこが違うのだろうか。
人がみな人生という旅の旅人だとしたら、記憶を失ってしまった主人公≪ギー・ロラン≫の自分探しの旅は、文字通り「自分探しの旅」である。

本書は、78年ゴングール賞を受賞した、モディアノ34歳の時の作品である。
主人公の≪私≫を記憶喪失症患者で、自分を探すという物語は、人間の存在が、氏名という固有名詞をもった絶対的な存在であることを否定した小説という見方もできる。訳者の平岡篤頼氏の言葉を引用すると、記憶喪失症患者とは「結局仮象に過ぎない現実への足がかりをも失った裸の人間」になる。
他者とのつながり、無数の過去の体験の記憶の糸、社会生活の痕跡、人は、実に多くの”関わり”によって、自分という表層をカタチづくってきたか、ということを考えさせられた。現在の≪私≫の唯一の友人である老いて擦り切れたオーバーをはおる探偵事務所所長、その昔は、テニスの選手で、美青年で知られたコンスタンチン・フォン・フッテ男爵自身も記憶喪失だった。この記憶をなくす、というミステリアスで甘美さすら伴う恐怖が、不思議な雰囲気をかもし出していて、あのペ・ヨンジュン主演の大ヒットした韓国ドラマ『冬のソナタ』の下地にもなっている。私たちが、漂流していく日々の暮らしで自分を見失わないのも、家族や友人、職場の人々との関わりよって生じる記憶の繋索によって、自分の位置を確認しているのかもしれない。

舞台は、65年のパリの街にある≪私≫が勤めていた探偵事務所からはじまる。記憶を喪失していたのは、さらにそれよりも10~20年前というクラシックな道具立てを読者に想像することを求められる。ここで、それを匂いをかぐように雰囲気を官能的に感じられるか否かで、本書を楽しめるか退屈に感じるかがわかれる。
戦争があり、革命によって亡命してきたロシアの貴族、偽造されたパスポート、胡椒のきいた香水の匂い、セピア色の写真、アパートの階段にあるミニュットリー、木蔦でかこわれた蔓棚のあるホテル・カスティーユ、象牙や硬玉製の置物を載せた黒い漆塗りの小円卓、、、物語の活字を追いながら、私が主人公の≪私≫となり、一緒にセピア色の、行ったこともない、この世に存在すらしていなかった時代のパリの街を、≪私≫以前の私を求めてさながら映画の中に入りこんだような旅をしていた。よるべない不安と孤独な魂を抱きしめながら。華やかな貴族の社交があり、退廃していく憂愁もそっとしのびより、最後に≪私≫がえたのは、スタイルもよく綺麗な恋人をスイスの不法越境の時に見失った深い哀しみの追憶だけだった。
すべてが曖昧で霞の中に永遠に眠っている。深い余韻を残す小説である。

自分の名前があり、学歴も、勤務先も家族もいる私。然し、記憶は日々うすれ、ベールのむこうに遠ざかっていく。記憶という不確かな糸を精一杯握り締めて、私は自分探しの旅として、今夜もブログの更新にはげんでいるのだろうか。(2008年11月8日

■こんなアーカイブも

編集者と作家
3年後に村上春樹氏のノーベル賞受賞なるか・・・2009年11月2日
村上春樹氏、ノーベル文学賞受賞ならず・・・2012年10月11日の2年前にも騒がれていました。。。

とうとうノーベル賞が中村さんの手に

2014-10-08 17:14:01 | Nonsense
ノーベル賞の選考委員会は3人の受賞理由について、「3人の発明は革命的で、20世紀は白熱電球の時代だったが、21世紀はLEDによって照らされる時代になった。誰もが失敗してきたなか、3人は成功した。世界の消費電力のおよそ4分の1が照明に使われるなか、LEDは地球環境の保護にも貢献している。LEDは電力の供給を受けにくい環境にある世界の15億人の生活の質を高める大きな可能性を秘めている」とコメントしています。

さて、こんなビッグニュースが飛びこんだけれど、ほぼ10年前の我が拙いブログから再掲載。

***************** 2005年1月11日 「スレイブ中村さんは勝ったのか」  ********************************************

本日、一番ホットな話題はこれでしょう。

<青色発光ダイオード>和解成立 日亜化学が中村修二さんに8億4000万円の支払い

発明の対価はその発明者か、給料をあげて生活の保障と研究の場を与えた企業にあるのか、さまざまな議論をよび、また次々と報われなかった発明者の訴訟を起こすきっかけとなった裁判が今日決着した。

【中村さんのコメント】和解額には全く納得していないが、弁護士の助言に従って勧告を受け入れることにした。問題のバトンを後続のランナーに引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻る

【日亜化学】当社の主張をほぼ裁判所に理解して頂けた。特に青色LED発明が1人ではなく、多くの人々の努力・工夫の賜物(たまもの)とご理解頂けた点は大きな成果と考える


中村さんにとっては、和解金額としては当初の200億円を大きく下回るということを正当な評価と受け入れにくく納得はしていない。しかし、そもそもは売られたケンカで自身の発明まで封じ込めようとした日亜化学の行為に端をなしたわけで、和解を受け入れて今後は研究活動に専念したいというのはもっともだろう。
ひるがえって日亜化学は、発明が多くの人々の努力の成果という理解が判決に反映されたといっているがどうであろうか。東京高裁の指摘は、日亜化学の経営を考慮した日本的な財界人たちもほっと胸をなでおろせるラインにソフトランディングしたという見方もできるのではないか。

【弁護側】当初の2万円のご褒美からすると国内史上の最高額を支払われることから成功した

弁護士としては、中村さんの胸中はともかくとして、これだけの話題性充分、金額も大きい訴訟でこのような結果に至ったことは充分成果があったと満足できるだろう。知名度もあがり、知的所有権を争う訴訟依頼も増えるかもしれない。もしかしたら一番の勝利者は行列ができるかもしれない弁護軍団だったのだろうか。

ノーベル賞に近い研究者と言われる中村修二さんの発明した青色発光ダイオードが、半永久的な光源をもたらすということで画期的で莫大な利益をもたらすことは事実。
そして大企業の優秀なチームが見向きもしなかった別の方法で、たった一人で、会社の行事も欠席し、変人扱いされ、装置から手作りして生み出したブレイクスルー。それは報奨金のあつさだけでは量れない素晴らしい研究の成果である。

【北城恪太郎経済同友会代表幹事】発明対価は、企業と従業員の間の合理性を持った事前の合意によって決められるべきだ

今後は企業も研究者との事前のお約束は必要だ。まるで結婚するときに離婚したときの条件をかわすハリウッドのように。

********************** 2005年1月13日「続報:スレイブ中村さん怒る」**************************************************

~日々是好日~の管理人さまより

>当初の報奨金である「社長賞」が2万円。これはいかがなものでしょう
と私のコメントへの上記のレスがついていたが。「社長賞」2万円。まさにスレイブな金額だ。

日亜化学というところは、今でこそ全国区の仲間入りをしているが、元々の出自は四国の田舎の中小企業。それに当時の日本社会においては、ソニーなどの一流企業でも、社員の優れた発明に対する報奨金はアッパー100万円程度だったような記憶がある。今回の訴訟で慌てて報奨金制度を見直しして金額をひきあげた企業も多いが、日本的な企業と従業員の関係は欧米諸国ほどスマートととはいえない。
それに、そもそも熱心で集中力はあるが、変人で扱いにくい社員が掘り起こした成果がノーベル賞に近くとてつもない金鉱だったと、理解できる役員もいなかったのではないか。

江崎玲於奈さんのお話しであったが、たとえば米国というのは、優れた成果をだしたとしても、乗ったタクシーの運転手よりもお客の研究者の報酬が低かったら運転手よりも評価されない社会だと。
これは、大リーグの野球選手の契約金と実力が比例するという簡単な図式をあてはめるとわかりやすい。それもどうなのかと、清貧を尊しとする日本人には疑問に感じる部分もあるが、(実際、選手への高額な年棒のために経営難になった野球チームもあるから)かの国でそういう感性が肌にあった中村修二さんにとっては、本来あるべき社会と映るのも納得する。

「実力にある研究者はアメリカへ来い!」

自分に自信があり、野望と大志を抱く若者は太平洋を渡れ、、、と私も応援したい。

それにしても中村さん、全くの無名のいち社員時代から、言いたいことを言い、やりたいことをやり、スレイブナカムラと揶揄されても魂までは決してスレイブではなかった!


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この間、アメリカに飛び立った中村さんは国籍も米国となっていたのは、ちょっとした衝撃だった。理由として、米国籍でないと軍から予算がおりないからとのこの方にとってはごく当たり前のことだった。

「技術立国日本」

こんな某首相の聞こえだけのよい音頭が聞こえてくるが、その掛け声の虚しさを背中に、研究者たちは活躍の場を海外に求めていくのだろうか。

・・・とりあえず、おめでとう中村さん。

■番外の小話
クラシックを聴く人は紅茶党

『ブリンジ・ヌガグ 食うものをくれ』コリン・M・ターンブル著

2014-04-27 16:42:16 | Nonsense
人類学の目的のひとつは、社会組織の基本的な原理を発見すること。
それには、研究対象となる社会ができるだけ小規模で、孤立していることが望ましいそうだ。現代では、そのような研究対象になりそうな社会は存在しないだろう。しかし、1960年代なかば、東アフリカのウガンダ北東部にイク族(別名:テウソ族)という2000人ほどの小部族が暮らしていた。英国出身の人類学者であるコリン・M・ターンブルは、当時、アメリカを専門分野とする人類学者にも殆ど知られていなかった彼らと2年ほどともに暮らし、生活を記録した。

コリン氏は、イク族と出会う前に、ピグミー族を研究しており、慈悲、寛大さ、情愛、正直、思いやりなどが生き抜くために必要な社会を形成していることを体験した。未開の地であればこそ素朴で善良な人々、今度もそのような想像をしていた著者を迎えたのは、様々な”衝撃”だった。

イク族においては、社会の最小単位である「家族」すら消滅し、そもそも生物学的な意味の夫婦ですらその形態が不要となっていた。イク族がそこに至るまでの経緯がわかりにくいのだが、きっかけは1962年のウガンダ独立の年、彼らの狩や植物などの食料の供給源であったキデポ渓谷が国立公園に指定され、狩猟と採集が禁止されたことにはじまる。イク族は、不慣れな農耕生活に移行せざるをえなくなったが、旱魃にもみまわれ農耕の知識も経験も浅く、深刻な飢餓状態に陥った。著者がイク族と暮らしたのは、幻想的で美しい慣習も失われ、老いた弱者を笑い、食べ物を奪い、こどもは3歳で家から閉め出され、運がよければ生き延びるという生活を余儀なくされていった65年頃のことだった。

美しさがなければ醜さもない、そもそも愛というものがなければ憎しみも生まれようもなく、イク族においては人々は単に存在しているだけで、かっては生き生きとしていたひとつの世界は無感動な世界に変容していった。そして、悲しいことに、その後、作物が潤っても、たとえ満腹になっても、他人に食べ物を譲ることすら忘れて、吐くまで食べ物を口に押し込む彼らの姿だった。

本書は、まるで近未来のSF小説を読んでいるようなドキュメンタリーである。
屋根を虫が這いずり回り、排泄物の始末もしない不潔きまわりのない暮らしをおくるイク族。汚れた毛皮や布を肩からさげているのに、全裸で歩き回る彼らを想像すると、当初は滑稽すら感じた。もう50年前の昔の話だし、教育も受ける機会もない、未開の土地に自分とは遠い世界の民族のこと。そんな風に考えたくなる。けれども、読み進めるうちに”衝撃”が異次元のこととも思えなくなる。もし、あくまでも自分たちの生活とは無縁の民族のことと切り捨てられる人は、筆者によるときれいに印刷されたページを満ち足りたお腹の上で楽しめる人だからということになるが、まさにその通り。

イク族は特別に不幸な民族なのだろうか。
タイトルの「ブリンジ・ヌガグ」は、「食うものをくれ」という意味である。まるで挨拶のように、この言葉からはじまる。喰う物を、”money”に変えるとイク族とあまり変わらない人がいるようにも思える。ようやく食べ物にありついた年寄りから、すんでのところで奪い取って嘲笑する社会、それは自分たちに待っている社会、もうはじまりつつある世界かもしれない。

そんなイク族にも、かって思いやりのある生活を記憶している人々もいる。又、他人への優しさを持っている青年もいた。彼らは、その優しさゆえに命の炎が静かに消えていった。

本書を読むきっかけとなったのは、「科学者の本棚」で、人類学者の篠田謙一さんが人生の一冊に「ブリンジ・ヌガグ」をあげていたことからはじまる。篠田さんの文章には、深い感銘を受け、最も読みたくなった本がこの「ブリンジ・ヌガグ」だった。篠田さんが大学生の時に、この本を読みながら何度も途中でやめた理由もわかるが、一方で、私は著者の洞察力やアフリカの自然の美しさの描写とあわせて、ひとりの人類学者の体験物語としてのおもしろさも感じた。余談だが、国立科学博物館に研究者の方たちのこだわりのミニコーナーがあり、篠田さん企画の展示品もある。私は、縄文時代のある少女の骨格の標本を展示する”こだわり”が、気に入っていたのだが、本書を通じてその”こだわり”に敬意を表したいと思った。原題は"the Mountain People"。

「すべて僕に任せてください 東工大モーレツ天才助教授の悲劇」今野浩著

2013-12-08 19:49:08 | Nonsense
お金をおろすのに、電車賃代を節約して5駅先の銀行まで自転車で30分かけて行く。真冬でもYシャツ1枚で、猛烈に働き、内緒話を廊下中に聞こえるような大声で話す。新調160センチ程度だが、体重は70キロの男性。こんな男が結婚したいと見合いを繰り返しているうちに、勿論、断れまくり、解くのが難解な「NP困難」とまで言われるようになった。

けれども、この男性、白川浩さんは確かにお見合い市場では不人気だったのかもしれないが、数学の才能が抜群で教授の講義の誤りを指摘する天才くんと呼ばれる男だった。博士課程を修了して東工大のヒラノ教授の助手になると、年間4000時間も勉強に没頭するばけものだった。やがて、彼の傑出した頭脳と才能、そして猛研究の成果が花を咲き、金融工学の分野で世界をリードすると期待されるまでの研究者になっていった。「ヒラノ教授と七人の天才」で最後に登場した研究者が白川ハカセ。しかし、そんな国際級のエース白川さんは、11年前に42歳の誕生日を病床で迎えてまもなく亡くなっていた。

そして、ヒラノ教授が、数理工学的な方法を利用して金融・財務の先端技術の共同研究するために設立し、白川さんが心血をそそいだ東工大の「理財工学研究センター」も、独立行政法人化の流れを受けて廃止に追い込まれていった。世界的研究拠点をめざし設立した当時は、多くの論文、解説記事、学会発表やシンポジウムを開き、学外の専門家による業績評価では最高ランクの格付けを獲得したのにもかかわらず。そこには、所詮、大学は文部科学省の管理下にあることから、ヒラノ教授の”戦略”が甘かったということは否めないのだが、著者の悔しさや無念さと白川ハカセへの配慮への”もし”という後悔もにじみでている。

本書の構成は、二重構造となっている。10年にひとりとうたわれた天才助教授・白川浩氏の行動と天才ぶり、そして彼とやがてパートナーとなる著者の蜜月時代の研究生活と離れていった大学での仕事や研究者としての方針やあり方。そして、もうひとつは金融工学の黎明期と歩んだヒラノ教授の業績から学ぶ日本のこの分野の歴史と、さらにさまざまな戦略も必要とする象牙の塔の大学の表と裏”事情”である。

ヒラノ教授と白川ハカセは、つまるところドン・キホーテだったのだろうか。

少々変わっているかもしれないヒラノ教授と、つきぬけたエンジニアで誰もが変人と認定する白川ハカセのコンビは、読み物としてもおもしろくどんどんひきこまれていくのだが、かっての白川少年が、業績を築き時代の脚光をあびて助手から助教授へと階段をのぼるにつれ、学生の指導、会議、大学職員としての雑務など、次々とさまざまな仕事を背負い込み命を摩滅していった鎮魂歌となっている。背景をあやどるのは、学部間の領土問題、予算どり、ポストの奪い合いややりくり、東大京大とのせめぎあい、おカミのおふれ、、、実に名作映画「仁義なき戦い」をみるようだった。

ファイナンス理論、ポートフォリオ分析、クオンツ。すっかりなじみのある単語に、理系出身の大学生が金融機関に就職するのも今では一般的といっても差し支えないだろう。半沢直樹の融資の仕事は銀行業務の主流だろうが、世界の金融業界で日本の銀行の存在感をアピールするためには、数学にさえた理系の金融マンも必須のはず。本書を読んで、ひとりの大学助教授の命とともに、私は日本が失ったものの重さをはかりかねている。

最後に、白川ハカセは「NP困難」を無事に解決し、後輩に希望を与えたばかりか、妻との間にふたりのお子さんも生まれたそうだ。

■読み始めたらとまらないシリーズ
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」
「工学部ヒラノ教授と七人の天才」

「今のピアノでショパンは弾けない」高木裕著&「スタインウェイ戦争」高木裕・大山真人著

2013-09-30 21:11:00 | Nonsense
今年の夏も猛暑、酷暑でただ生きて呼吸をしているだけのような日々だった。(不思議と、食欲だけは衰えないのがせめてもの救い?)この炎天下、チェロをかついでいる人、ヴァイオリンを背負っている方をみかけると、本気で行き倒れにならないかと余計な心配をしてしまう。こんな光景にいつも思うのは、ピアニストは楽器を持たなくてすむから荷物が少なくて、なんて身軽なのだろう、、、ということだ。地方のホールに行っても、スタインウエイさまがお待ちしているではないか。

そんなことを長年考えていた私は、調律師の著者からすればピアノという楽器を全く!わかっていないクラシック音楽圏外のヒトになるのではないだろうか。ヴァイオリンが百人(丁)に百の色があるとしたら、あのスタインウエイも楽器ごとに独自の個性があったとは、知らなかった。逆に自分の楽器をもち歩けないピアニストが、会場に用意されたピアノを弾かざるをえない難儀さやそんなピアニストを支える(時にはご機嫌とりまでも)調律師の責任の重さが、ずっしりと、明確に、しかも痛いくらい切れ味鋭く書かれている。

さて、こんな無知な私でもショパンは大好きでござりまする。
「今のピアノではショパンは弾けない」というタイトルに興味しんしん。私もうっすらと気になっていたことだが、そもそもショパンは某ピアニストによると、社交界のサロンを渡り歩き、美しい音楽の上澄みを繊細なレースのように綴った作曲家。 あの音響効果抜群とはいえ、サントリーホールのような大きなハコで演奏される音楽ではない。アメリカ人は、伝統あるヨーロッパ諸国のピアノを他の追随を許さないくらいの高い技術を完成させ、ホロビッツ、ルービンシュタインらの黄金の巨匠時代をつくり、100人を超える規模のオーケストラの奏でる音楽で大ホールを満たすスタイルに変えてしまった。3000人の収容人数がある有名なカーネギーホールがその象徴で、スタインウエイ社のフルコンサート用グランドピアノもおおいに貢献した。

しかし、現代の均一化されたピアノではなく、ベートベン、リスト、ショパンの時代の音色でサロンのような小さなホールで演奏されてもよいのではないだろうか。

又、スタンウエイと言えば、あのホロヴィッツ。彼が来日した時は、専用の調理師だけでなく、愛用のピアノと調律師まで抱えて飛行機でやってきたそうだ。何というスケール。ホロヴィッツ愛用のピアノはスタインウエイのCD75だが、この楽器は彼が購入したのではなく、スタインウエイ社が彼だけ当別待遇で専用に貸し出ししていたのだった。当時は様々な話題をふりまいたであろうこんな彼のふるまいだが、本書を読むとMYピアノと信頼している調律師を一緒にテイクアウトしていくのも、それもある意味当然かもしれないと思えてくる。要するにピアノというのも、他の楽器と同じで個性があり、それぞれ音色が違い、又、同じピアノでも調律によって美少女にも堂々たる紳士やまろやかな熟女にも変身しうる楽器なのだということだ。

さて、著者はNYにあるそのスタインウェイ本社コンサート部にのりこんで、実際に技術を学んだ実績がある。本場での修業は、知識、技術だけでなく、調律師としてのセンスや何よりもスタンウェイにつながる人脈という財産もえた、というところが最大の強みだろう。「スタインウェイ戦争」は、当時の若かりし頃の彼の武勇伝からはじまる。しかし、当時の日本ではこのピアノを輸入する専属代理店が存在して、バブルで次々とできたハコに納入されるスタインウェイのメンテナンスや調律をする人もそこから派遣される社員か契約のある調律師だったそうだ。そんな一企業と高木氏の戦いが、二冊目の「スタインウェイ戦争」である。

にわかには信じがたい某楽器商により行状が次々と暴かれていて、まさに悪代官による弱いものいじめの構図なのだが、結局、芸術系は良い仕事をする人が残っていき人々に感謝されるものだと思う。実際、高木さんは運命の女神が微笑むような幸運をひきよせホロヴィッツ愛用のピアノを購入し、ピアノをコンサートホールに運び貸しだしを行っている。彼に全幅の信頼をおくピアニストや音楽関係者も多いだろう。私はテレビドラマの「半澤直樹」が好きだが、実社会での「倍返し!」というのは難しい。本書は、様々な嫌がらせをした某企業への「倍返し」のようなものだと言ってしまえば、辛口批評だろうか。

そんなスタインウェイにまつわる次の経済ニュースが伝わってきた。

高級ピアノメーカー「スタインウェイ・アンド・サンズ」を傘下に持つ総合楽器製造会社、米スタインウェイ・ミュージカル・インスツルメンツは8月14日、米国の著名投資家ジョン・ポールソン氏のファンドに総額約5億1200万ドル(約500億円)で身売りすることに合意した。  スタインウェイは7月に別のファンドへの売却を決めていたが、ポールソン氏側の提案額が上回ったために売却先を変更した。同氏のファンドは、スタインウェイ株1株あたり現金40ドルを株主に払う。先に買収提案していたコールバーグ・アンド・カンパニーの案は、1株あたり35ドルだった。
ポールソン氏は買収理由について「創業160年で培った製品の質と職人技は、今後、業績が伸びる基盤」と説明。手続きは9月下旬の完了を目指す。その後、同社は非上場企業となる。

グローバル化時代というのも残酷だ。優れた楽器として君臨してきたピアノメーカーも、実際の商品、作品の品質、芸術性よりも、経営効率、利益追求が優先され、投資家の間で転がされている。現在、楽器業界は持続して売上を伸ばすのが難しい状況にあり、既存株主の圧力を避けて大胆な経営改革に踏み切ると予測されている。むしろ「スタインウェイ戦争」というタイトルをつけるなら、このような事情を本にしていただいてもよいのではないだろうか。