千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

日比谷でオクトバーフェスト

2011-05-26 22:30:47 | Nonsense
よく体がもつな・・・、といつも感心している超多忙な激リーマンの物語三昧の管理人・ペトロニウスさまのブログで発見したのが、「日比谷オクトバーフェスト2011」
詳細は上記のリンク先をご参照いただければ。

オクトーバーフェストは、ドイツ、バイエルン州にあるミュンヘンで開催される世界最大のビール祭り。(以下は、Wikipedia)より参照。
会場の席は100、000席。およそサントリーホールの大ホール50個分。酔っ払いの胃袋に消えたソーセージは、219,443本。丸焼きにされた牛は、102頭で、照り焼きにされたチキンは459,279羽。シュパーテン(Spaten)、アウグスティナー(Augustiner)、パウラナー Paulaner、ハッカープショール:Hacker-Pschorr)、ホフブロイ:Hofbräu、レーヴェンブロイLöwenbräu)のビール醸造所からやってきたビールは、620万杯。その規模は半端ではない。巨大なテントでひたすらビールを呑むだけなのだが、私も一度は参加したいオクトバーフェスト。

昨年の7月に、私もヒトラーも演説をしたことのある会場(私の記憶違いかもしれないが)としても有名なミュンヘンの「Hofbräuhaus München」を訪問した。女性向けのレモネードをビールで割ったラドラーを注文したのだが、やってきたビールを見てびっくり仰天。ジョッキがでかい!!軽く1リットルは入っているぞ。どうしよう、か弱き乙女はこんなにビールを呑めない、しかし大学時代に先輩から「酒の一滴は血の一滴」と厳しくしつけられた大和撫子としましては、異国の地でビールを残して日本女性の恥もおいてくるわけにはいかない、と不安を感じつつ、気がついたらあっというまに呑み干していた・・・。ドイツに行くと、白ワインも美味しいが、すっかりビール党になってしまう。本当に、ドイツのビールはうまいっ。そんなドイツのビールがやってくる。ドイツの街は、どこも整然として美しかった。また、ドイツを訪問したいと願いつつ、今夜もビールを一杯・・・。Ein Prosit!

「科学コミュニケーション」岸田一徳著

2011-05-24 22:42:23 | Book
東電:福島原発2、3号機でメルトダウン確認
今朝の記者会見で、東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は、福島第一原子力発電所2、3号機でも炉心溶融(メルトダウン)があったとの解析結果を発表した。
・・・2・3号機もやっぱりメルトダウンしていたのかっ!と、叫んではみたものの、メルトダウンがどのような影響(被害)をもたらすのか、どこまで危険な状況なのか、騒いでみたところで、私はよくわかっていないのさ。そもそも、これまで原発に無関心だったのだからね。

東日本大地震のちょっと前、3月に三省堂主催のサイエンスカフェなるものに初参加してみた。その時の体験で感じたのだが、講師の方からお話を伺うというのではなく、講師はあくまでも話題提供者であり、本来のサイエンスカフェはもっと自由に研究者(科学者)と一般市民が話題をもとに議論や意見交換する”場”ではないだろうか、ということだ。最近は、”科学コミュニケーション”という分野が定着しつつあり、サイエンスカフェなどはその好事例だろうが、日本ではこれからが本格的に稼動していくという段階ではないだろうか。そんな近年の世界的な盛り上がりに、本書は、筆者のような科学者の立場からサイエンスコミニュケーションの必要性を提案し、人間と科学の関係性から科学とともに人類が歩いていくことの意味を考えるきっかけとなる好書である。

まず、科学コミュニケーションとは、”科学の側”と”一般市民”との間をつなぐコミュニケーションであるが、ここで大事なことは、科学は道具であって価値は別ものであり、その価値は科学者が一方的に決める(信じる)ことではなく、一般市民とともに合意のもとで創り上げていくものであるということだ。ところで、一般市民と科学との関わりで、コミュニケーションで必要な要素が、欧州では宗教や人文主義に根ざす反科学的思想があるため「対話」、米国では宗教による非科学主義が根強いことから「理解」、そして日本では「関心」が挙げられる。時々、民放のテレビ番組でも科学を題材としたバラエティ番組があるが、確かにちょっとした科学への関心のきっかけにはなるかもしれないが、内容的にはグルメ番組とそう大差はない感じがする。あれで本当に、科学への興味を育てられるのだろうか。マイケル・ファラデーの「ろうそくの科学」とまでは期待していないが。

しかし、著者は科学者の視点で「科学はおもしろい」と一方的にうちあげるのではなく、そもそも物理は難解であり、受験は文転よりも理転の方がはるかに険しいことからも科学には累積性が伴い、それゆえにシュークスピアを研究するよりも素粒子論を理解することの方がはるかに敷居が高い。いっそのこと、科学は嫌い宣言をしてもよいのだと、著者も断言している。けれども、本書の重要な点の無関心というのはよくない、ということを私たちは今回の被災で学んだ気がする。

科学者にとっても、科学的世界観を獲得するのは果てしない道のりである。理解というゴールにたどりつけば、そこはまもなくあらたなスタート地点となり、その繰り返しとなる。この不安に耐えられなくなった者は、思考停止という甘美な神秘主義に陥り、理性による理解を放棄してひとりの人間に支配されやすくなる危険性が伴う。そこへ人間の理性の範囲をこえる領域について語る人が現れたら、その悪魔のような人の手に簡単に墜ちてしまう。
―これは宗教への批判を言っているのだろうか。気にかかっていたのだが、あとがきを読んで理解した。著者の岸田一隆氏の研究室での愛すべき人柄の後輩が、1995年の地下鉄サリン事件の加害者として被告席に立つことになった。しかし、その人物は全く異常な人物でもなく、岸田さんが人生で出会った中でも最高に素晴らしい人物であり、事件後に面会した時もそれは変わっていなかったそうだ。著者のその時の衝撃がしのばれ(私自身も衝撃を受けたが)、またその後の深い思索が想像される。

できるだけわかり易い言葉を使い、人類が更に成熟へと向かうためには科学への感性を養い、関心のともし火を絶やさないこと、科学への関心は他人や世界への無関心へも繋がる。そのための、科学コミュニケーションであるという訴えは、せつせつとせまってくる。被告席に立っていたのが自分かもしれないという実感が、16年の歳月でたどりついた一冊なのだろう。

最後に、松本氏は同会見で、福島第一原発の放射性物質の放出総量について「チェルノブイリ原発を下回る」との見方を示した。
それって、だから次々とメルトダウンしてもまだ大丈夫っていう意味なのか? 嗚呼、やっぱりわからないっ!

『ブラック・スワン』

2011-05-22 15:05:43 | Movie
5月16日に発表された14、15日の映画観客動員ランキングによると、11日に公開されたナタリー・ポートマン主演の映画『ブラック・スワン』が、2日間で約21万人を動員し、興行収入約2億7000万円で初登場首位を獲得したそうだ。かくいう私も先日鑑賞したのだが、確かに大ヒットするのもわかる作品だった。主人公のニナ(ナタリー・ポートマン)は、ニューヨークのバレエ団に在籍するバレエリーナ。念願だった古典的名作「白鳥の湖」の主役に抜擢されるのだが、清楚で純真な白鳥を完璧に踊れても、監督の期待する官能的でダークな黒鳥を踊ることが難しい。プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも懸命にレッスンに励むニナの前に現れたのが、奔放で黒鳥の化身のような新人ダンサー、妖艶なリリー(ミラ・クニス)。彼女の存在が不安なニナを心理的に追い詰めていき、やがてニナはもうひとりの自分を表層した妄想と幻覚の虚構の世界に囚われていくようになった。。。

興行成績が抜群なのも理由がある。
1.バレエを題材にしているが芸術とはあまり関係性のないサイコスリラー
私はバレエという芸術性を期待していったのだが、この映画はあくまでもハリウッド的なサイコ・スリラーである。芸術性というある意味ここでは必要のない部分には触れていないがために、本作は幅広く大衆受けしたともいえる。スリラーものは大の苦手な私なので、ニナが自傷行為で血が滲む場面では目をつぶってしまったのだが、最後の盛り上がるクライマックスの舞台シーンでは心底はらはらどきどきしまくり、緊張感でいっぱいいっぱいだった。母子一体化した母と娘の関係を描き、あるピアニストの女性の精神が崩壊していく過程を描いたミヒャエル・ハネケ監督の映画『ピアニスト』を思い出したのだが、本作はそれとはかなり趣が異なり、ハリウッド映画らしくジェットコースターに乗っている感覚の演出に富んだ娯楽映画として、とてもよくできている。ダーレン・アロノフスキー監督は頭がキレる方だと感じる。


2.「白鳥の湖」の題材と女性
チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の有名な音楽の部分を知らない者はいないくらいおなじみだが、実際のストーリーはそれほど普及してはいないのではないだろうか。花を摘んでいたオデットは悪魔によって白鳥に変えられてしまうのだが、夜だけは人間に戻ることができる。月の光に照らされた湖で、美しいオデット姫を見た王子は彼女にたちまち恋をし、舞踏会に招待する。ところが、舞踏会に現れたのは、オデット姫になりすました悪魔の娘オディール・黒鳥だった。白鳥と黒鳥を別のダンサーが踊っていた頃もあったが、現代では、ひとりのバレエリーナが白鳥と黒鳥の両方を踊り、技術的にも難度が高いだけでなく、清純派オデットと邪悪なオディールと全く異なるタイプをひとりの女性が踊り分けるのはとても難しいそうだ。
しかし、先に米国でこの映画をご覧になっていた有閑マダムさまが「白鳥と黒鳥の象徴する要素は、誰の中にも共存するもの」とおっしゃっていたが、まさに100%善で清らかでもなく、また逆も然りと、誰の中にもありそうな両極端な資質に、「白鳥の湖」の物語を利用し、昔は別人が踊り分けていた白鳥と黒鳥が現代ではひとりの女性が演じ分けるところから映画をつくりだした監督の才能が伝わる。実に、よいところに目をつけたと思うし、またラストの白鳥の踊りとニナのセリフに至るまで、題材とニナの精神が破綻していくまで、とてもうまくかみあわせてできばえの優れた映画である。

3.ナタリー・ポートマンの演技力
本作の演技によって、オスカー賞をはじめとして数々の賞を受賞したナタリー・ポートマンだが、その受賞に値する迫真の演技力だった。ニナの部屋は、大きなウサギのぬいぐるみがあったりして12歳のバレエを習う少女そのもので、誰もが手に入れたい主役を踊れるほど精神面が成熟していないのがわかる。生真面目な優等生が、実は劣等感を抱えていてどんどんその生真面目さゆえに自分を追いつめていくという、マゾ的なヒロインにナタリー・ポートマンははまり役、という以上に、彼女しかニナを演じられないと思わせてくれる。ナタリーは、ある意味、この作品のニナ役で女優としての頂点をもう極めてしまったのではないだろうか。ダンスの代役を務めた女性が、殆ど自分が踊っていると発言して騒動になっているようだが、もし仮に事実だとしても、それほど騒ぐことではない。映画の中でいかにうまくバレエを踊れるか、ということで演技力を問うものではないと私は思う。迫真の黒鳥を観たかったら、本物のバレエを観ればよい。トーシューズをはくシーンや、レッスン風景もあったが、全身が映る場面でのプロフェッショナルな踊りに、ナタリーが本当に踊っているとは私は最初から考えていない。いくら4歳からバレエを習っていた経験に1年半の猛特訓を重ねたとはいえ、プロ並みに踊れるわけがないのは承知している。そもそもバレエとは、芸術なのだ。ピアニストを題材にした映画で、主人公が素晴らしい演奏をしている映像があったとしても、実際にその人が弾いた音楽が映画の場面で流れているとは誰も考えないはずだ。小さくめだたないように、パンフレットなどでピアノ演奏としてピアニストの名前がクレジットされているだけだ。ナタリーの踊りよりも、その複雑な内面の心理を表した表情と演技に、私は惜しみない拍手を送りたい。

いつもの小さな映画館とは勝手が違い、日劇の大スクリーンの迫力に、いろいろな意味でおののいた私でした。。。

監督:ダーレン・アロノフスキー
2010年米国製作

■もうひとつのブラック・スワン
「黒鳥 ブラック・スワン」山岸凉子著

『私の可愛い人―シェリ』

2011-05-18 23:14:21 | Movie
読売新聞の「時代の証言者」に連載中の、国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏の愛妻物語がなかなかよい。奥様の昭子夫人と知り合ったのは、垣添氏の研修医時代で医師と患者としての関係からはじまったのだが、話しがはずんで尽きず、とうとう結婚を決意するようになった。ある時、両親に結婚をしたい女性がいると切り出し、ふたりが身をのりだしたところで「12歳年上で、これから離婚することになっている」とうちあけると「何を言っているの、冗談はよしてちょうだい」と悲鳴のような声をあげ、家中が凍りついたそうだ。垣添氏26歳、昭子夫人は38歳の離婚調停中のことだった。今だったら、一回りも年上の離婚暦ある女性との結婚もありうるかと思うのだが、何しろ40年前の時代のこと、お母様は結婚するなら自分は自殺するとまで言い出す始末で、とうとう垣添氏はこうもり傘1本手に家出をして彼女の家にころがりこんだそうだ。その後、お二人は、とても幸福な結婚を送ったようだが、自殺するとまで猛反対したお母様の心情もわからなくもない、、、。日ごろは理性的に大きな心で対処していても、いざ、大事な息子の女性関係とあっては母としての感情に理性など吹き飛ぶこともあるだろう。

ところが、19歳の大切な大切な1人息子の奔放で自堕落な生活ぶりを改めようと、なんと息子と一回り年上の40代後半の友人との仲を取り持った母親がいた。但し、その友人の女性とは引退したココット(高級娼婦)で、かって自分ともしのぎを削ったライバルである。つまり、男性の心をつかみ、うまく操作することについてはりっぱなプロで専門職。舞台は、ベル・エポック時代のパリ、レア(ミッシェル・ファイファー)は使用人がいる素敵なお屋敷に住んでいる元高級娼婦。面倒な係累もなく、資産運用しながらロシア人の貴族とは別れて今では優雅なひとり暮らし。そこへ、かっての同業仲間のマダム・ブルー(キャシー・ベイツ)からお茶会の声がかかり、息子のシェリ(ルパート・フレンド)の教育について相談を受ける。こども時代からレアを慕っていたシェリとレアはすぐに別れるつもりで同棲するのだが、いつのまにか6年もたってしまったのだが。。。

いくらココットとは言え、あんなに豪華な生活ができるのか、とも思ったのだが、おつきあいする相手の資産がはんぱではなかったようだ。その辺の事情がわかるような映画の冒頭のナレーションがお茶目でお洒落にはじまるである。レア役は、いくつになっても無駄な贅肉がないスタイルで知性を体現しているかのようなミシェル・ファイファーはどこからみても適役。対する自己中心的で、なかなかの策略家のマダム・ブルーを演じたキャシー・ベイツの怪演ぶりは実に出色の出来栄えである、というよりも彼女はやはり女ジャック・ニコルソンだ。彼女のドレスの中から溢れんばかりの無駄で余分な贅肉の肉体(塊!)は、レアよりもさらに大きな屋敷をもち、白い基調で洗練されたレアの室内とは異なり、装飾品を過剰なまでに飾り立てている趣味とマッチし、マダム・ブルーがココットというビジネスでは大成功したやり手で、すべてにおいて貪欲な性格であることが想像される。キャシー・ベイツは、今ではすっかり、あんな風に(あんな風にってどんな風だ?)なってしまったが、若い頃は魔性のように魅力的な女性で、莫大な資産のある殿方を次々と手玉にとっていた娼婦という設定がおおいに頷ける。莫大な富を築きながらも、これまでたいして省みてこなかった息子の存在が気にかかり、勝手ながら孫を望むようになる初老の女性。レアは、そんなマダム・ブルーの思惑を承知して利用されながら、生涯ただ一度の、禁止していた恋に墜ちてしまったのだった。しかも、なんと美しくも残酷な恋だろうか。

毒舌と本音、たわごとの応酬が交わされる中、熟女のレアとマダムブルーの間にたつ美青年シュリのルパート君も演じる以上に、何かと大変だったのではないかとお察しする。彼が、綺麗な顔とスタイル、そして何よりも綺麗な臀部の持ち主であるところが、本作の抜擢理由かと私なんぞ思ってしまった。しかし、こんな恋愛はチーズと女は古ければ古い方が美味しいということわざがあるフランスらしい。フランス文学者の鹿島茂氏によると映画の見所は「恋の決着は自分でつける」というフランス風高等な恋の落とし前にある。どうやら原作で読んだ方が味わいは深そうな気がする。

ところで、垣添さんの奥様は亡くなる大晦日の日、夫の手をつかみ「ありがとう」という声にならない声で感謝したそうだ。「ありがとう」最後のこの一言で、その後の妻のいない人生が救われたそうだ。

2009年英・仏・独製作

『ライアンの娘』

2011-05-14 23:27:33 | Movie
死ぬ前にもう一度観たい映画があるとしたら、真っ先に私はデイヴィッド・リーン監督の『ライアンの娘』を観るだろう。
一度だけ観て、小さな世界に生き、小さな人間関係で安穏と何も考えずに暮らしていた私は、この映画に完全にうちのめされたのだった。そして、恋というものを自分は本当には知らない、ということを自覚した。長らくDVD化されていなくてなかばあきらめていたのが、何と特典映像尽きでT●T●Y●で発見!その時の驚きと喜びが大きいばかりに、オトナになってしまった今の私には物足りないかも(?!)と思いつつ鑑賞したのだが、映像美、ストーリー、俳優の演技、奥の深さとすべてが素晴らしく、前よりももっと深い感動に包まれ、そしてやはりまたもや完全に打ちのめされたのだった。(以下、内容にふれてまする。)

1916年、英国からの独立運動の高まるアイルランドの寒村。ダブリンでの研修を終えて帰ってきた教師のチャールズ(ロバート・ミッチャム)を迎えたのは、居酒屋の店主・ライアンの娘ロージー(サラ・マイルズ)だった。都会の娘に負けないように、この日のために精一杯お洒落をして海岸を散歩するロージーは、チャールズに恋をしていた。チャールズは、ハンサムなだけなく、村で一番、というよりも唯一、教養のある紳士。しかし、ロージーの感情に気がつきながらも、彼はロージーのまぶしいくらいの若い肉体と溌剌とした美しさの前に、自分が一回り年上のやもめであることを気にして彼女を受け容れることを躊躇する。それはまた、チャールズの誠実さの表れでもあったのだが。妻の墓参りをすると告げて、彼女を牽制してしまうのだが、教室で待っていた彼女の覚悟を前にとうとう愛していると告白して彼女を抱きしめてしまう。そして、にぎやかな結婚式を挙げ、初夜を迎えるふたりだったが・・・。。。

まず、アイルランドのディングル半島、アラン島の対岸にあるモハーの断崖、映画の舞台の自然を撮った映像の美しさに心が奪われる。海外で長期間ロケをしてこだわりの映像をうんできたデヴィッド・リーン監督らしい。しかし、人間によって荒されていない処女のような地形が暗示しているように、村の若者はたいした産業もないまま仕事もなく鬱屈しているものを抱えている。映画のはじまりでは、少々わがままで甘やかされているロージーが、父から買ってもらったフランス製の日傘をモハーの断崖から落としてしまう場面からはじまるのだが、この女らしい日傘がゆらゆらと落ちていく描写はロージーを象徴しているような気がしてくる。貧しい村の娘たちは、生活必需品でもない日傘など、買えるお金もなければ必要もないので誰ももっていない。ロージーの日傘は、村の若者たちからすれば、寒村に不似合いな美しさと彼女への距離感を表している。また、ベートーベンの音楽を好むチャールズは、ロージーからすれば村人たちとは全くタイプが異なる知性と教養がある人物で、夢を見るタイプの彼女にとって、彼との結婚でこことは違う場所へ行くことをも期待している。そんなふたりは、小さなコミュニティからははずれたところにいる。結婚式の喧騒の中で、婚礼を挙げたふたりが周囲から浮いている様子が、最後につながっていく。

念願の夫を手に入れたロージーを待っていたのは、静かだが退屈な新婚生活。チャールズ役のロバート・ミッチャムは野生的でタフ・ガイ型の俳優だそうだが、本作では押し花が趣味の平凡な教師、新妻を性的に満足させることができないさえない中年男性そのものである。そこへ登場したのが、英軍守備隊の指揮官として赴任してきたランドルフ(クリストファー・ジョーンズ)だった。貧しく野卑な村人たちと対極にあるのが、この英国からやってきた青年将校だ。彼は裕福な生まれで育ちもよく、赴任していきなり小さな寒村と守備隊の頂点に立つ。美しい軍服に、高貴で端整な顔立ちが村人たちとの身分の差をはっきり示している。しかし、そんな彼が、何故、人口1000人にも満たない寒村へやってきたのか。完璧な容姿のランドルフは、戦争の後遺症で左脚をひきずるという軍人としては致命的な傷を負ってしまったのだった。将来を嘱望された彼の今般の異動は、半分は静養であり、また左遷でもあった。村人たちにとっては、すべてにおいて敵わない少佐だったが、”跛行する姿”を揶揄して見下すことで鬱憤を晴らしている節もあるのだが、その底にはアイルランドを支配する敵国の英国への憎しみと恵まれた少佐への羨望と嫉妬を抱えている。このランドルフを演じたクリストファー・ジョーンズが、最高にいい男だ。甘く気品のある顔立ちに、心に傷を負った放心状態の表情に恋をしない女性はいないだろう。私は決して、軍服フェチではないが、あの軍服姿にはほれてしまった。

物語は、このロージー、チャールズ、そしてランドルフの関係性が中心となり、居酒屋を営み調子のよい父親のライアン、コリンズ神父(トレバー・ハワード)がロージーに説教をしながらも彼らを優しく見守る村の重鎮役として物語をおさえ、ロージーに憧れる知恵遅れのマイケル(ジョン・ミルズ)は狂言回し役(この俳優の演技がすごい)、そして村の人々の人間像を描いた格調高い芸術作品である。人間の愚かさ、おぞましさ、残酷さ、哀しさ、たくましさと弱さ、醜さと美しさ、すべてをアイルランドの明媚な風景に包みこみながらリーン監督は、丁寧に質高く描いている。本作の特徴として、人間の負の性質をあますことなく暴きながらも、ユーモラスさがそれらをかわすところにある。悲劇もユーモラスにあかるく軽く、という作風に今回は気がつき、それは驚異だった。206分のすべての場面に意味があり何ひとつ散漫な場面はなく、それらは物語の展開で伏線となって、監督の意図を想像するだけで楽しい。デイヴィッド・リーン監督と言ったら『ドクトル・ジバコ』『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』でも評価が高いが、私にはこの映画は生涯のベスト10に入る。

死ぬ前にもう一度観たい映画をもう一度観たら、今では何度も観たい映画である。そして、もう一度観ても思ったのは、やはり自分は恋というものを今だに本当には知らないと。。。

監督:デイヴィッド・リーン
1970年英国製作

「海炭市叙景」佐藤泰志著

2011-05-11 22:56:05 | Book
長らく失ってしまった小説らしい小説、私が探し求めていた純文学の小説を、取り戻したような気がする、そんな懐かしいような邂逅を感じさせられる一冊。
本書は、第一章”物語のはじまった崖”、第二章”物語りは何も語らず”で登場する海炭市という架空の街に住む主人公たち、18人からなる短編集である。北の海炭市には、閉山された炭鉱があり、港があり、国鉄があり、路面電車があり、、、けれども、それしかないさびれた街である。炭鉱を解雇された兄と失業中の妹、義理の息子を折檻する妻に途方にくれるプロパンガス店の店主、出産間近の娘を気遣う定年まじかの路面電車の運転手、そんな彼らの小さな息づかいやたたずまい、そして必死に生きている命の輝きといとおしさが、静謐な文体からほのかなぬくもりとしてたちあがってくる。

簡潔な文章、さりげない描写、そこにはいかにも作家らしく胸をはるような隠された意図や凝った技巧も読者をひきつけるようなレトリックもない。素朴な人々と同様に質素で簡素な文章が並んでいるだけなのに、何故、こころがひかれてしんと静まるのだろうか。それが、佐藤泰志という作家の個性であり才能なのだろう。(この本は、小泉今日子さんの好みだと思うのだが、キョンキョンだったら彼女らしい素敵な書評を書けるのではないだろうか。)特に、人間の微妙な心のゆれと情景のつながりが抒情的に奏でられている。海炭市は作者の故郷である函館がモデルとなっているが、時代背景は1990年にさしかかる頃、当時はこの言葉はなかったがバブル経済時代を向かえ、お決まりのように海炭市でも産業道路ができ、ファミリーレストランやアパート、マンションが建ち並び、デパートが進出してくる噂に、人々が浮き足立っている時代である。しかし、ここで登場している彼らはそんな景気のよい”リッチ”な光からもれた、時代の転換期から取り残されたような、むしろ貧しい市井の人々である。そして、後に”負け組み”と世間から揶揄されようと懸命に生きている人々。あれから20年もの歳月が経ったが、ここで描かれている地方都市は今でも親しい。

佐藤泰志は、今や世界的な作家となった村上春樹と並び評され、その才能を高く評価されたそうだ。私は新聞の片隅に小さく掲載されていた映画の評判がよいようなので、はじめて原作を読んでみたのだが、地味で名作がまとう華やかさやオーラに欠け、慎ましやかな作品だと感じた。芥川賞に5回、三島由紀夫賞に1回候補作としてとりあげられるものの、とうとう受賞することがなく、作家は平成2年、41歳の若さで亡くなっている。彼は不遇だったのだろうか。作品と作家の賞にまつわる経緯に関連性はないと考えたいのだが、いくつかのアルバイトや職種を転々とし、後に故郷の函館市に戻り職業訓練校にも通学している作家の経歴から、彼の体験や人生から生まれて18人の彼らにわかれていって、小説の中で息をしているようにも思われる。

また、作家の島田雅彦さんが6回芥川賞候補となるも落選した”栄光”をもちながら、今では芥川賞の選考委員を務めるようになった時は、ちょっとした話題にもなった。芥川賞を受賞することと落選することの間には、作家にとってはとてつもない落差があり、受賞作が発表される日の候補者にとっては、神経が消耗する一日になるようだ。何度も落選するのも、精神的にこたえるだろう、と同情を禁じえない。しかし、芥川賞を受賞しても、あっというまに忘れられていく作家もいる中で、佐藤泰志の作品にはいつまでも失われない輝きを感じる。

単行本の解説を書いた福間健二氏によると、本書の二章からなる18人の物語は全体の構想のちょうど半分で、季節で言えば冬から春であり、この後、夏と秋が用意されて全部で36人の物語になる予定だったそうだ。その後の海炭市の叙景を、読者は永遠に見ることがかなわなくなった。

日本的受身のジャーナリズム

2011-05-09 22:33:38 | Nonsense
「モスクワの孤独」という著書で、米田綱路氏はあとがきで「そもそも日本のメディアに、何か本質的なことを批評し、批判を持続していくだけの姿勢や問題意識はあるのか」と痛烈な一言を投げた。元日経新聞の記者だった米田氏のこの言葉を、メディアでお仕事にたずさわる方たちはどのように受け止められたのだろうか。少なくとも、マスコミ業界に何の関係もない私ですら、おっしゃるとおり・・・と感じたのが、先日の震災報道だ。タイムリーにも、今月号の「選択」の巻頭インタビューのお題目が、「これでいいのか『震災報道』」だった。ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏が日本的な「震災報道」についてインタビューに答えている。

震災直後、福島第一原子力発電所の事故にまつわる一連の報道には、かたずを呑んでテレビの画面を見守っていた。しかし、次々と東京電力側、原子力安全・保安院のおえらいさんや現場責任者の発表、専門家の解説を聞きながら、おそらくおおかたの国民は報道の内容に懐疑的になったのではないだろうか。不思議なことに、日本の政府当局が公表しているよりも、NYタイムズが入手していたNRC(米原子力規制委員会)の極秘査定報告書の方がさらに詳細だったそうだ。そのためだろうか、途中から日本政府は福島原発の被害をレベル7に引き上げたが、それは当初より海外メディアを通じて予測されていたことだった。マーティン氏によると、日本のメディアは記者クラブに陣取って情報が手渡されるのを待ち、受けた情報を垂れ流すだけで、自ら進んで報道するという精神がない。

その理由として、記者は記者クラブの席に座り、情報源とお酒をくみかわして親しくなり、スクープをもらって日本新聞協会の賞を受賞するからだ。米国でも同様の問題はあり、メディア自体がエリート層の一部となり、政府と対峙する関係になりにくいのだが、記者は自ら一定の距離をおくようにしているそうだ。米国では人が目を向けないところを自ら調査、報道して評価されるのに。但し、情けないのはメディア側だけではない。マーティン・ファクラー氏のいうように受身のジャーナリズムの最大の原因は、読者も含めた市民参加型社会の欠如にある。マスコミ業界に何の関係もない私ですが、おっしゃるとおり・・・、と反省。

ところで、米田氏が友人と「モスクワの孤独」の出版の打ち合わせをしていた時に、たまたま近くの席にいた青年から、本当にロシアには言論の自由がないのでしょうか、先生からはもうなんでも自由に話せると聞いている、と尋ねられたそうだ。聞けば、大手新聞社に就職が決まっているそうだとのこと。そんなエピソードから、冒頭の「そもそも日本のメディアに・・・・」という話になるのだが、おそらくその青年は頭のよい優等生で、優等生にありがちな素直な性格ゆえに、ゼミの教授の話などをそのまま素直に受け止めていたのではないか、と私は想像する。しかし、ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤが2006年に自宅アパートのエレベーター内でたった4発の銃弾で見事に心臓と脳など致命傷を与えられて亡くなった時、犯人の動機を痴情関係のもつれだとは誰も考えないだろう。まだ学生だったその青年には、私は、本質を見るためには、人から聞いたことをうのみにするのではなく、自ら調べて自ら深く考えることと、自分も含めて伝えたい。

「モスクワの孤独」米田綱路著

2011-05-08 13:56:22 | Book
弊ブログは、店主の覚書、記録を目的に開設されております。そのような不親切で格別おもしろくもないブログでありながら、ご訪問いただいたりコメントなどをいただくこともあり、嬉しくもあり感謝しております。そんなブログですが、時々、ご訪問された方に密かに”一方的に”お薦めしたい一冊に遭遇することがあります、あるのです。米田綱路さんの「モスクワの孤独」(副題:「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア)も、そんな推薦本です。

フルシチョフによる1956年のスターリン批判以後、文化的統制がほんの少しはずれた「雪どけ」時代があった。日本人でもすっかりおなじみの「雪どけ」という言葉は、作家でジャーナリストのイリヤ・エレンブルグが54年、雑誌『ズナーミヤ(旗)』に掲載された小説のタイトルに由来する。フルシチョフはこの名称が気に入らず、ソ連共産党中央委員会の幹部会でエレンブルグをペテン師と批判した。反ユダヤ主義キャンペーンの嵐が吹き荒れ、ユダヤ人が次々と職場を追われ、逮捕されていき、インテリゲンツィアが粛清されて収容所に送られる中、ユダヤ人のエレンブルグは暗黒の時代を歯をくいしばり、”政治的に抜け目なく”と言われてもとにかく生き延びた。しかし、逆に生き延びたという決定的な事実が、多くの人々に彼に疑惑の目を向けさせ、中傷、敵視の批判のつぶてを投じさせた。

本書はこのイリヤ・エレンブルグの掲載と出版の攻防からはじまり、ラーゲリに送られて亡くなった詩人オシップ・マンデリシュタームの詩と記憶を守り続けた未亡人ナジェージダの記録、、「プラハの春」に侵攻したソ連軍に個人の責任において反対の意思表示をしたラリーサ・ボゴラスたち、アンドレイ・サハロフの遺志をついで人権擁護活動を続ける生物学者、後にロシア最高ソビエトの議員となったセルゲイ・コヴァリョフ、プーチン政権の闇と欺瞞を告発し続けて暗殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤまで、ロシア・インテリゲンツィアの活動と精神の系譜を深くたどった600ページをこえる大作である。人々は言論の自由と簡単に言うが、本当の自由とは何か、私は、彼ら、彼女達の人生、本書から圧倒されっぱなしだった。

多くの人々にとって隷属とは、ひとりひとりに保障されたスープ皿からなる。それほど濃くもなく、水っぽいわけでもないそのスープ皿は無料で、雨露をしのぐ屋根さえある。その屋根が自分のものでもなくても、自分と自分の家族をも守ってくれる限り、自分のものと考えてよい。スープ皿、屋根に対して責任を負う必要もなく、奴隷にも働く権利と居住する権利がある。肝心なことは「責任から自由である」ことだ、とコヴァリョフは言う。一旦、解放されて自由になったら、日々のスープを得るために自分自身に責任をもち、家族を養いこどもの未来にも責任をもたなければならなくなる。それは「責任から自由」であるということからすれば、隷属と感じられ、つまり「自由とは隷属である」と。最初は渇望していた自由が弱き者には恐ろしくなり、やがて人々はスープと屋根を保障してくれる新しい主人を待望するようになる。まさしく現代ロシアとロシア人の関係である。ものすごく頭が切れる方だと私は思ったのだが、政治に対してナイーヴで損得勘定に疎かったコヴァリョフはサハロフに背中を押されて政界に進出したが、利権政治には場違いな異論派であり、今のロシアのジャーナリズムは、理念と理想について語り続けてきた時代は終わり、経済利潤を議論することにしか関心がない。彼は、ジャーナリストの世界からも時流から取り残された頑固な原理主義者として敬遠されていった。

1993年以降、ロシアで暗殺されたジャーナリストは300人以上にのぼるという。何と恐ろしい国と、誰もがそう感じるだろう。しかし、本書を読みすすめるうちに、遠い大国のことと考えていたことが、実は違う家の事情と読めなくなってくるのだった。著者は、あとがきで日本の言論状況は決して自由なものではないと言い切っている。私たちは、権力による抑圧など見えやすいかたちで自由を脅かされているわけではない。しかし、権威主義や経済的な優勝劣敗、精神や意識の格差、社会的な地位や関係性によって隠微に脅かされ、主体性を萎縮させられたり、空気をよんで付和雷同するケースが多いと著者は指摘している。全くである。自主規制、自粛といったかたちで自らの内部に検閲機構をすまわせて自由を殺ぐ。そもそも日本のメディアに、何か本質的なことを批評し、批判を持続していくだけの姿勢や問題意識はあるのか、とまで言う著者の自由への感度と活字ジャーナリズムについて考えてきたことの中間報告のような本書は、他国のハナシではなく、実は日本という国と個人に自由という問題を突きつけた一冊である。だから、私がお薦めしたいのである。

ロシアでは1990年以来、アンドレイ・サハロフ財団とモスクワ国立フィルハーモニー交響楽団が、故サハロフの誕生日を祝って、モスクワ音楽院の大ホールで音楽の夕べを開催してきた。ところが、2005年、フィルハーモニー交響楽団から一方的に何の理由もなくキャンセルを通告してきた。その一方で、コンサートを辞退したはずの交響楽団がモウクワ音楽院で「サハロフ・コンサート」を行うと宣伝しだしたのである。勿論、そこにはサハロフの遺族や友人、人権擁護活動家は招かれていなかった。サハロフの友人たちが、これまでの伝統を守るために人権擁護センターである非政府組織「サハロフ・ミュージアム」横の小さな広場で、野外コンサートを開いてからのことである。本書の帯にある「誠実に生きることが、まだ胸を打つうちに」というのは、この夕べのテーマーだった。

■こんなアーカイヴも
歴史的不可避性とソビエト的礼節
「エリミタージュの緞帳」小林和男著
「1プードの塩」小林和男著

「歴史の不可避性」とソビエト的礼節

2011-05-07 10:46:00 | Nonsense
三省堂主催のサイエンスカフェに参加した帰り道、懐かしくなり古本屋街を散策しているうちに、目についた一冊の本があった。
東京堂書店のショーウィンドに飾られていたのが、米田綱路氏による「モスクワの孤独」(副題:「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア」である。モスクワの芸術品のような地下鉄の写真を表紙にした分厚い本に、私は一目ぼれをしてくぎづけとなってしまった。1960年代の旧ソ連時代から現代まで、5人の自由な知識人はいかに生きのびたか、というサントリー学芸賞を受賞した本書は、私の直感があたった優れものの一冊。

その中でもほんの一部、20世紀最大のロシアの詩人、オシップ・マンデリシュタームが収容所で亡くなった後、彼の寡婦としてその後42年生きたナジェージダ・マンデリシュタームを書いた「歴史の不可避性」より紹介したい。

狐は多くの事を知っている、しかしハリネズミは一つの巨大なことを知っている。
ギリシヤの詩人アルキロコスの詩片から出発してアイザィア・バーリンは「ハリネズミと狐」で、 トルストイは資質からして本来は複雑かつ豊穣で多様さをとらえることのできる狐であるにも関わらず、大いなる理念を抱いたハリネズミであると信じたところに、彼を生涯苦しめた矛盾があったと喝破した。ハリネズミと狐の対照はバーリンの政治哲学の根本概念、積極的自由と消極的自由の対照につながり、積極的自由が過激化して消極的自由を破壊する全体主義に対し、価値の多元主義を守ることの重要性を説いた本でもある。彼は、トルストイを通じて、人間の自由と責任を歴史の不可避性というドグマとの対照によって考察した。

収容所群島では、国家統制に不適切な言葉は、被逮捕者とともにラーゲリーに持ち去られるか、HKBD(内務人民委員)の牢獄で朽ち果てる「歴史の不可避性」を強いられた。官僚的な絶滅機構は、「歴史の不可避性」を推進し、人々を破滅に追いやった。それは偶然のようでいて、すべてが必然となっていった。カリーンで生活していた頃、夫のマンデリシュタームが再び逮捕された後、ナジェージダは友人たちに知らせるためにモスクワに向かったのだが、逮捕状をもってHKBDがやってきたのは、そのほんの不在期間のことで、家宅捜査までされたが、夫の詩作の原稿とともに彼女は生き延びることができた。夫だけでなく、職も奪われ、モスクワからに住む権利も奪われのたが、住まいがなかったから、”人民の敵”である自分は救われたと、彼女は後に語ったそうだ。そんな彼女は、偶然もまた運命的であり、スターリニズムという「歴史の不可避性」が人間の生死をつかさどることを、ひとつのエピソードで説明している。

やがて彼女は工場で皿洗いをして糊口をしのぎながら、何度もモスクワに通いHKBDの窓口前に並んで夫の消息を尋ねた。そこには、夫、父、息子の消息を確認する列が静かに順番を待っている。ある女性もそんなひとりだった。彼女の息子は、たまたま家を留守にしていた同姓の隣人のかわりに、拘引されたのだった。彼女は、駆けずり回って、人違いを証明した。おかげで釈放命令が出されたものの、検察の窓口で息子の死を知らされた。隣人は、偶然にも生き延びて姿をくらますことができたのだが、かわりに息子は”残酷な偶然”によって破滅されたのである。彼女はうなり声をあげて号泣した。

何故、息子が誤認逮捕されたのか、何故、死んだのか。スターリン体制には、その”なぜ”を説明できる者など誰もいない。窓口から検事がでてきて、”教育的目的”から彼女をどなりつけ、列をつくって待っていた人たちが彼女を取り囲んだ。しかし、誰も叫び声をあげる彼女に同情して肩をもつこともしない。
「そんなところで泣いて何になるの。今はもう戻ってこないんだから。あなたはただ、私たちの邪魔なの」
彼女と同じく、息子の消息を問い合わせに来た中年女性は、そう言い放った。泣き叫ぶ女性は連れ出され、何事もなかったかのように”秩序”が戻った・・・。

ソビエト体制下で、人間的な本能を押し殺し、従順さを表したのは、スケープゴートにされないための自己保存本能、恐怖というよりも無力感、そして内的な規律をうめこまれた”ソビエト的礼節”だとナジェージダは述べている。無力感は”ソビエト的礼節”と表裏一体の感情で、人々は決定された運命を「歴史の不可避性」と受け止めて従順に従い、決定を下すシステムを支え、加担すらしている。規律化され、洗練され、秩序を乱さず列に並ぶ”ソビエト的礼節”の世界。

マンデリシュタームは、そのような従順や忍耐とは無縁で、冗談をいい、叫び声をあげ、驚き、理念と自由な人だった。歴史の不可避性によって決定づけられたマンデリシュタームの運命をなんとかかえたいと、ナジェージダもまた奔走した。何度も自問自答してくじけそうになりながらも、その決定から自由になることは、夫の詩を守ることだと決意する。夫の詩を驚異的な記憶力で覚えた。そして、何よりも生きることが自分の名前、希望を意味するナジェージダにふさわしいと。

「モスクワの孤独」の感想へ

『マーラー 君に捧げるアダージョ』

2011-05-05 16:17:04 | Movie
音楽評論家・吉田秀和氏による著書「マーラー」のあとがきによると、1968年、当時ベルリンに暮らしていた吉田氏のところにベルリン・フィルハーモニーでマーラーの第1交響曲を指揮したばかりの若かりし小澤征爾がやってきて言ったそうだ。
「楽員の中にはこの曲を一度もやったことがない。マーラーなんてよく知らないなんて平気でいうのが大勢いるんですよ。驚いちゃった。」
私もその証言に驚いちゃった!のだが、吉田氏によると、実はドイツではこの間までマーラーなどユダヤ系の音楽家の曲は御法度だったそうだ。今年は、マーラー生誕150年、没後100年の記念すべき年とあって、ゆかりの地、ライプティヒでは国際マーラー音楽祭も開かれるようだ。さて、河出書房から出版されている「マーラー」の本は記念年にあわせてこれまでの吉田氏のマーラーに関する文章を収録した一冊で、初出は1948年から2002年までの長期間渡っている。音楽評論の巨人のような氏をもってしても、書いた当時はマーラーが新しいものでむずかしく、書きながら一生懸命勉強したと述懐している。本作は、グスタフ・マーラーと、19歳年下の最愛の妻、美貌と才能のも恵まれ社交界の華だったアルマとの、美しくもなければ清らかでもない、けれども夫婦というもの、ある結婚生活の本質を描いている。

1910年、夏。マーラー(ヨハネス・ジルバーシュナイダー)と、妻のアルマ(バーバラ・ロマーナー)が暮らすマイアーニの山荘に、一通の手紙が届く。それは、アルマが情事を重ねていた若き建築家グロピウスからの手紙だった。マーラーに、妻を譲って欲しいという。映画は、実際にマーラーが精神分析医のフロイトと会っていた史実から、フロイトの前で感情のままに心情を吐露していくマーラーの回想を映像化し、そこから夫婦の真実がうかびあがるという構成になっている。

映画を観ながら、なんとなくふに落ちなかったのは、確かにマーラーは神経症状に悩まされていたが、アルマの不貞だけでなく、兄弟たちの早世による死の不安が終始つきまとい、長女マリア・アンナの死、自身の心臓病、ユダヤ人であること、指揮者としては一定の評価を得たが、作曲家としては賛否がわかれ非難もされたことなど、多くの悩みを抱えていて、それが作品にも投影されていると私は思うのだが、本作では自由奔放な妻の不貞という一面の表現しかない。それもそのはず、この映画のすべては、監督によると、息子フェリックスの未完に終わった交響曲第10番『アダージョ』にはマーラー夫妻の危機がすべて描かれている、という一言から始まったそうだが、これは、マーラーを鏡にした”アルマの映画”ではないだろうか。

アルマ・マリア・マーラー(Alma Maria Mahler)は、画家の娘として生まれ、母親は芸術サロンを主催するくらいの富豪。美貌のアルマは、多才で画家のクリムトとも交流があり、ウィーンの社交界の華だったから、マーラーが人目で恋に落ちたのも無理はない。作曲家を志して、映画ではアルマに「作曲は私の命」と語らせている。それにも関わらず、「これからは私の音楽を、貴女自身の音楽と考えることはできませんか?」」とこんな甘い言葉でプロポーズする年上のおじさんと結婚したのも、実父が早くに亡くなり、完成された人間を夫に求めたことだった。彼はこれからのウィーン楽団を担う指揮者としての名声に輝き、確かにアルマを愛してはいたのだが、年下の男に傾斜していく彼女の気持ちもわからなくもない。多少の才能があっても作曲家としては所詮二流で終わるのは、マーラーは一枚の楽譜から見抜いていた。そして彼女なりに夫に尽くしたが、マーラーの音楽を自分の音楽と考えられるほど、アルマは傲慢でもなく賢かった。そして、夫は献身的な若くて美しい妻であり母であることを望んだが、アルマは妻と母である前にひとりの女性として生きたかった。

音楽はエサ=ペッカ・サロネン指揮によるスウェーデン放送交響楽団。色彩豊かで多層的なマーラーの曲の中から、特別に第10番アダージョについて、総譜から楽器ごとにパートを分解して演奏されている。分断されたパーツの音楽それぞれに、不満、怒り、そして幸福な記憶など彼の結婚生活がすべてつまっていると監督は言う。建築家グロピウスをアルマから紹介された時、彼の建物は一般市民向けに装飾をはぶいていると聞き、マーラーは装飾をなくすことにあきれて拒否していた。シューンベルクを認めて保護したマーラーらしくもない。ここで流れる音楽は、嫉妬だろうか。音楽と映像、苦しくもまぎれない愛情を描いた映画に、観客は何を感じるか。

監督:パーシー・アドロン
2010年 ドイツ・オーストラ製作

■こんなマーラーの映画も
ケン・ラッセル監督の映画『マーラー』